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第十七話“そして荒野と空の間を” 投稿者:SKY 投稿日:04/30-20:36 No.2371
「簡単やろ。その子の人生諦めれば、他の皆は生き残れる。一人と四人。迷うまでもない、実に簡単な選択肢や」
その黒服の男は ―――あの眼で―――
木乃香さんの命を ―――ホーンフリークを殺したその手で―――
見捨てろと ―――ウラギレと―――
言った。
【ブルージィ・マジック&クロス&ホーン】【第十七話“そして荒野と空の間を”】
「え?」
その電話は、唐突だった。
ネギ・スプリングフィールドへと電話をかけてきたのは、彼と同じく修学旅行の引率として来ているはずの、瀬流彦からだった。
「し、死んだ? え……?」
ネギの戸惑い。それはそうだ。なぜ、修学旅行中に、誰かの死という話題が出るのか。 判らない。わからない。“爆発事件”。わからない。“テロの可能性”。ワカラナイ。“関西呪術協会”。ワカらナい―――――――
なぜ、あの、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリークが。あの、誰よりも苛烈で強い男が、死んだなどと。
思い出せるのは、あの姿。誰よりも孤独で、人を避け、全てを忌避し、揺るがない。そんな、哀しいまでに虚ろな立ち姿。闇の福音を圧倒し、ネギ自身にも何よりも代え難い試練を与えた、強い、人物。
ネギは、ホーンフリークの事が嫌いなわけではなかった。あの男の在り方と、自分の在り方は、決して相容れない事を理解しておきながらも。
あの男は、ネギに足りない物を数多く持っていた。それが、何よりも眩しくうつったのかもしれない。
あの男は迷わない。なぜなら、一瞬の迷いが状況をとてつもなく悪化させることを理解しているから。
あの男は揺るがない。なぜなら、動揺は迷いと同じく窮地を招くことを、誰よりも理解しているのだから。
あの男は、躊躇わない。なぜなら、引き金を引くことを躊躇えば、直後に相手が引き金を引くことを、知っているのだから。
その、迷いも揺るぎも躊躇いもない苛烈なまでの生き方は、強い嫌悪感と……憧憬をもたらせていた。あれ程の人間としての強さ。あれがあれば、自分はあの時、大切な家族を守れたのではないかと。
【例え僕が揮う魔法が、人を殺すための凶器だとしても】
その強さを、あの時。
ホーンフリークの手から、エヴァンジェリンを護れた時。
【僕は誰も殺さない。そして、僕の前では誰も殺させない――――】
自分は、手に入れることが出来たのだと、思っ(錯覚し)た。
『ネギ君? ネギ君? 聞こえているかいネギ君!!』
瀬流彦の、どこか焦れたような声が響く。どうやら茫然自失としていたらしい。それはそうだ。知り合いの、それも、自らの人生を拓くために試練を与えてくれた恩人の訃報を、電話の相手は告げたのだから。
『辛い話だと思うけど、良く聞くんだ』
大丈夫、です。
そう答えたはずの声は、喉の奥に詰まったまま。声帯は震えず、音は出ず。しかし、相手には伝わったらしい。淡々と、しかし、その声に悲愴さを交えながらも瀬流彦は続ける。
『僕が彼と敵の交戦に気付いたのは、新幹線が発車した後だった』
話を纏めると、こういうことらしい。
名古屋駅から発車した後、瀬流彦は戦闘の気配に気付いた。一瞬の逡巡の後、彼は自身の行動を決定する。
瀬流彦自身は無名だが、無能というわけではない。そうでもなければあの近衛近右衛門よりこの様な重大な任務を託されるということはないのだから。戦闘よりもサポートに向くとはいえ、半端な魔法使いや戦士など、彼の敵にすらならない。そう、近右衛門から認められ、少なからず自らもそう自負していた。
彼は後部車両へと走り、すかさずある生徒の許へと行く。生徒の安全を守るべき立場にいる瀬流彦が、その生徒を頼らなければならないという結論を出した思考には辟易したが、犠牲を出さぬためという名目の許に、立場による矜持を排除した。
そしてその生徒、龍宮真名にこの場を任せると、彼は向かった。戦場へと。
高速で走る新幹線から飛び降り、認識阻害の術を纏いながら低空を飛行する瀬流彦。遠く名古屋駅には銃撃が彩る花火が幾度も咲き誇る様を見せている。音楽教師、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリークが、二人の敵と戦闘をしていた。
2対1。明らかにホーンフリークが不利だった。彼が如何に闇の福音達を圧倒した強力な戦闘者であっても、数の理というものは容易く天秤を傾けかねない。瀬流彦は遠隔視の魔法に使っていた魔力すらも飛行へと注ぎ込み、より早く戦場へ辿り着くべく加速する。
戦闘に気付くのが、あまりにも遅かった。彼が戦闘に気付いたのは、すでに車両が加速し始めた後である。そして、その後の逡巡と、生徒達へ不安を与えぬために平静を装って歩いていたことも、原因だったのかもしれない。必要な措置だったとはいえ、龍宮真名に生徒全体の護衛を依頼したこともまた、彼の到着を遅らせる原因だったのだろう。
結果からいうと彼は、間に合わなかったのだ。
戦場へと残り1キロ。遠隔視の魔法を使わずとも、常人よりも優れた視力を持つ魔法使いならば、僅かながらも状況を把握できる、距離。
そこで、瀬流彦は、紅蓮の炎を、見てしまった。
後は、語るまでもなく。
瀬流彦が辿り着くまでの僅か数十秒で、二人の敵は姿を隠し、盛りを越え消えゆく炎の脇には、主を亡くした黒いケースが落ちている。
そして、黒い消し炭のような、何かのイキモノの一部だった物体。
彼は、間に合わなかった。
たった数十秒。それだけの差で。
彼は、同僚を一人、喪った。
「この事を、君のクラスの龍宮真名と桜咲刹那へ伝えるんだ。良いね、ネギ君」
電話を切りながらも、自分は普段なら生徒のことを呼び捨てになどしないなと、瀬流彦は思う。
あの後、どの様にあの場を立ち去ったのかさえ、朧気にしか覚えていない。ただ、彼の形見となったサックスケースを片手に、逃げるようにしてあの場を後にしたことだけは確かだった。
学園長への連絡と、ネギへの連絡。それを果たした瀬流彦は、逃れようもない虚脱感に襲われていた。仲間を亡くした時は、いつもこうだ。絶望でも怒りでもなく、ただ虚ろで乾いた空気だけが、胸の中で広がってゆく。ホーンフリークとはまともに言葉を交わした記憶すらないが、それでも仲間であったと瀬流彦は思っていた。だからこそ、これほどの虚無が自分を埋め尽くしているのだと悟る。
ふと、形見となってしまったサックスを、吹いてみようと思った。
それは酷くつまらない感傷だったが、今の自分には酷く名案に思える。何もする気が起きない様な虚脱感を振り払うためには、その様な儀式も必要だと、自分に言い聞かせる。
しかし、ケースは開かなかった。鍵でもかけてあるのかと思えば、鍵穴すら見つからない。どうやら、何かしらの仕掛けがしてあるらしい。魔法の反応は窺えないことを見ると、何らかのカラクリを解除しない限り開かない代物だと推察できる。
自分の武器を自分以外に使わせないための仕掛けであることは、酷く簡単に理解できた。
実に、あの男らしいと思った。
嵐のように現れて、学園中の魔法関係者にその存在を刻みつけていったあの男らしいと。
そう言えば、連れ帰ることが出来なかったなと、今さらながら思う。
彼の故郷はすでに無くなっていると、学園長からは聞いていたが、それでも彼の遺体を持ち帰れなかったのは残念だった。せめて、故郷が見える場所にでも埋葬してあげたかったと、瀬流彦は思う。戸籍すら偽造である彼の遺体は、恐らく警察機関の手により身元不明の遺体として扱われるのだろう。下手をすると、今回の事件の犯人の死体とされてしまうかもしれない。それは、酷く痛ましいことだったが、瀬流彦に出来ることはもうすでになかった。後で学園長に掛け合ってみるぐらいしかない。
ならばせめて、このケースだけでも。そう思考が落ち着くのも、あまり時間はかからなかった。
涙は、でない。
目の前で知り合いが死んでも、瀬流彦は泣くことが出来ない。初めて仲間を亡くした時、どこかの誰かに、お前は酷く冷たい人間だと言われたことがあった。その時は否定することが出来なかった。涙を流すことが出来なかったのだから。
しかし、他の皆が仲間の死を乗り越えた頃に、涙は唐突にやってきた。きっかけは単純だった。自分のことを冷たい人間だと言った誰かが、他の仲間に対し、死んだアイツはこんな事が好きだったんだよな。と、ふと洩らした時だった。淡々と聞き流していたはずの瀬流彦を、他の皆はぎょっとした目で見つめてくる。何があったのかわからないと、皆に視線を返すと、視界が酷く歪んでいることに気付いた。泣いていると悟った時には、声を出すことも出来ずただ嗚咽を漏らし続けていた。涙は枯れることもなく流れ続け、結局その日一日は泣いているだけで終わってしまった。
きっと、自分は他の皆よりも弱いだけなのかもしれない。
だからこそ、仲間の死を知っても、実感を持つことが出来なかったのだと。ふとした拍子に、またあの仲間の姿を見ることが出来るのではないかと、思ってしまうために。
「あ、あれ?」
変だなと。思う。
なぜ、また、あの時のように、視界が歪んでいるのか。
今までと変わらないはずだった。仲間の死は初めてではない。今まで仲間が死んでも、すぐには涙を流せなかったように、今回もまた、泣けないものだと思っていたのに。
涙はとめどなく溢れてくる。認識阻害の魔法をかけていてよかったと、見当違いのことを思う。今の自分の表情は、この上なく歪んでいるはずだから。
そして、唐突に理解した。
今回、ホーンフリークの死は、自分の所為なのだと。
瀬流彦だけが彼を救うことが出来た。戦闘に気付いた時に、脇目もふらず彼の元に向かっていれば、きっと救うことが出来たのだ。
他の誰にも救えなくても、ただ自分だけは、仲間を助けることが出来たのだ。
それを、ふいにしたのは……。
誰にも気付かれない孤独な人混みの中、ただ瀬流彦は嘆き続けた。誰よりも痛みを噛み締めながら。
修学旅行は、中止になることもなくそのまま続けられることとなった。
理由はいくつかあったが、詳しくは聞いていない。学園側には学園側の思惑があるのだろう。人一人の死に対しても、下らない体裁を張り続けなければならない関東魔法協会の長は、一体どれほどの重圧に晒されているのだろうとも思う。
護衛の魔法職員に死人が出たことにより、学園からも何人か応援に来るらしい。
しかし、自分にとって重要なのは、体裁や応援ではなく、すでに敵が形振り構わぬ手段にでているという事実だった。
その話を、ネギ・スプリングフィールドから聞いた時、俄には信じることが出来なかった。あれ程の強さを自分の前で見せつけた、あのミッドバレイ・ザ・ホーンフリークが死んだなどと。今でもまだ信じられなかった。殺意だけで人を殺せる男が、たかが呪術師や陰陽師如きに殺されることが、果たしてあり得るだろうかと。
しかし、自分は知っている。数多の戦場を駆け抜けた経験で。どんなに強くても、時に人はあまりにも脆く散るのだと。
それは例えばあの荒野のような戦場で―――――――――
深く、心中に閉じこめた過去に触れそうになる思考を停止させる。これだから、強い人間は好きになれなかった。自分の知らないところへ戦いに出て、自分の知らないところで死んでゆく。別れを告げることもできず、ただ訃報だけが届くのだ。それは酷く哀しいことだと、自分・龍宮真名は何度も味わっている。
別に、ホーンフリークに好意を抱いていたわけではない。彼は生粋の殺人者で、異常者だった。自らの研鑽を怠らない人間は珍しくもないが、自身が壊れるまでに研ぎ澄まし続ける異常な人間は、それほど多いわけではない。そして、明らかにホーンフリークは後者だった。ただ、我慢ならないという理由で、音を求め続けた異常者。
初めに心を奪われたのは、彼の身に纏う静かな空間だった。
静かな空間。あれをそう表現するには生温かったかもしれない。あの、氷のように静謐な空間は、どんな音も許さないのではとまで、思ってしまう。樹に寄りかかりながら狂おしいほどの集中力で“演奏”するあの男は、どこか遠い世界の住人のようだった。それほど、現実離れした光景に見えた。
次に感じたのは、圧倒的な恐怖だった。
夜の森。死の予感。全てを薙ぎ払う死神の唄。それを紡ぎ出した、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリーク。
戦えば勝ち目はあるのか? わからない。勝てるような気もするし、決して勝てない気さえもする。恐らく、自分では豊富な方だと思っている実戦経験も、ホーンフリークには遠く及ばないだろう。
彼が気を抜いている時を、真名は一度たりとも見たことがない。常在戦場の心構えを持つことは、戦闘者にとって必須ではあるが、それが凄まじく困難なことであることも知っている。自分をカラにしてあらゆる襲撃に無意識で反応するか、常に周囲を疑いありとあらゆる物を警戒するか。大抵はそのどちらかに落ち着くものであるが、両者ともまともな人間には出来うる物ではない。自分をカラにするということは、自分の一部を壊すということに繋がる。あらゆる物を警戒するということは、常に独りで誰にも頼らず生きてゆくことに繋がる。人は自らを壊せない。人は温もりから離れられない。それが出来るのは、人を辞めた者だけで。ホーンフリークは自ら温もりを棄てた後者だった。
常に孤独であることを、あの壊れた男は選んだのだろう。私には、いつまで経っても出来ていないというのに。
一度戦場を共にしたからか、ホーンフリークは幾度となく真名を頼ってきた。頼ったという表現は間違ってはいないだろうが、実際には利用できると判断されただけなのかもしれない。
色々なことを話した。例えば、対魔法使い戦闘における注意事項。例えば、障壁や結界の種類やその危険性。例えば、腕の良いガンスミスの所在。例えば、術者の召喚する鬼や式神等。様々なことを彼に話した。最近など、エヴァンジェリンに銃を破壊された彼に新たな銃を見繕ってやったりもした。
逆に、色々なことを訊いた。例えば、対複数戦闘における最重要な心構え。例えば、対サイボーグ戦闘における注意事項。例えば、戦場における聴覚の重要性と危険性。例えば、銃の手入れの新解釈。真名にとっては知っていることでも、別方向から解釈された彼の見解は非常に有益なものだった。
彼に好意を持っていたわけではない。
ただし、尊敬はしていた。あれ程までに自身を棄てられる人物を、真名は他に知らなかったから。そう、彼を表現するのならば、魔人という言葉が相応しいのかもしれない。
彼との会話は楽しかった。会話の端々に緊張感が宿る。いつ、自分が相手に殺されるかわからない。そんな緊張感。いつ、自分が相手を殺せるかわからない。そんな期待。
互いが互いに相手を殺そうなどと考えてもいないのだが、そうなってしまっても別に構わないような、麻薬のような陶酔。どんな戦場よりも真名を惹きつけるスリルが、ホーンフリークとの対話には存在した。
そのスリルを味わうたびに思うのだ。ああ、自分は今、少しずつだが確実に強くなっている。と。
弟子入りしたような気分なのかもしれない。技術的なものはまったく鍛えられないが、精神的なものはたった数日で驚くほど鍛えられたとも思う。壊れるほどに、研ぎ澄まされたと、思う。
少しずつ、あの完璧な戦闘者に近づいてゆく。少しずつ、少しずつ。
それが、自覚できる。刃のように鋭くなる自分を、簡単に想像できる。刃よりも、剃刀よりも鋭く。
だからだろうか。死した彼に思いを寄せる自分の表情が、見知らぬ形に歪んでいるのは。
笑みがこぼれる。嘲る様な微嗤み(ほほえみ)。
彼を殺した相手を思うだけで、真名の貌は冷徹に歪む。その相手を、スコープに捕らえる一瞬を思うだけで。
「仇は、必ず執ってあげるよ。先生」
真名はただ独り、歪んだ微嗤みを浮かべながら、最後の瞬間を、引き金を引く瞬間を思い続けていた。
ホーンフリーク先生が、死んだ。
あの時の祈りは、届かなかったらしい。それともやはり、私のような汚らわしい半人半獣如きの願いなど、神様は叶えてくれないのかもしれない。
“今夜、話したいことがあるんよ”
“このちゃん”にそう告げてから、1時間も経っていない。
その、たった1時間の間で、あの人の訃報がネギ先生から告げられた。
私の、所為。
間違いなかった。私の判断ミスが、あの人を死に追い込んだのだ。私が、お嬢様に縋り付いていた時にはもう、あの人の命は尽きていたのだ。
それなのに私はあの時、何を感じていた?
それは、この上のない幸せだった。何年もの間求め続け、そして自ら遠ざけていたものを手に入れた歓びを、私はあの時思うがままに感じていたのだ。その時にはもう、私の所為で、あの人はこの世にいなかったというのに。
あの光景を思い出す。
川で溺れたお嬢様。助けにも行けない、無力な自分。
無力感はいつも味わってきた。だからこそ、強くなるべく行を積んできた。もう二度と、この手から大切なモノを零さないようにと。
確かに、今回の敵の目的がお嬢様だったとしたら、大切なモノは守ることが出来ている。それは間違いがない。お嬢様は皆と共に笑うことが出来ているのだから。
しかし、それでもまた命が零れ落ちたのは、確かな事実。それも、私の所為で。
『逃がしてくれておーきに、お嬢ちゃん』
あの女の声が、連続で再生される。あの嘲笑うかのような表情は、そういうことなのだろう。初めから、計画通りだったのだ。深追いをしてきた相手を、二対一で殺す。あの駅自体が奴らの罠だったのかもしれない。
だが、少なくともあの時私も降りていれば、あの人が孤立することなど。
「せっちゃんどうしたん。音羽の滝いかへんの?」
ふと、一人立ち止まってしまっていた私に気付いたのか、お嬢様が駆け寄ってくる。
また、心配をかけてしまったのだろうか。笑わなければ。笑顔でいなければ。これ以上お嬢様に負担を与えるわけにはいかない。けど、先程まで出来ていたはずの笑顔が、“このちゃん”と共にいられる喜びが、どこかに消えてしまったかのようで。
「お嬢……様」
泣き笑いのような顔しか、私は出来なかった。
「何かあったん! せっちゃん、また何か……」
この表情は余り見られたくなかった。だから、横をすり抜け、お嬢様の手を取り、先へ向かう。
図らずとも手を繋ぐという結果にはなったけど、心は全く弾まない。駆け足で皆の元へ向かう私に、訳もわからずお嬢様はついてくる。
“また、あったのです。お嬢様。私の無力を痛感することが。強くなります。もっと強くなります。守って見せます。だから、傍にいさせてください。お願いです。どうか、化け物の私を見ても、傍に……”
伝えたい言葉はいくらでも脳裏に浮かぶのに、決して口にしようとする気にはなれない。それをした瞬間、私の中の何かが終わってしまいそうで。
だから。
背中の夕凪に意識を寄せる。
もう戦えないあの人の分も私は、この手の温もりを守り抜くと、夕凪に誓った。
そして京の都に夜が来る。
古くより魑魅魍魎が跋扈した都。その夜に動き出す、黒き影。
巨大な十字を背負った男と、復讐に燃える女が。
「千草」
ニコラス・D・ウルフウッドは何の感情もこもらぬ声で、千草に語りかける。
「一つ、言っとく。引き金を引く時は、躊躇うな。例えあのホテルの人間皆殺しにすることになっても、ワイらの目的を優先しろ」
千草には、覚悟が足りない。目的のために全てを棄てる覚悟がない。ウルフウッドも、ホーンフリークも、当然の如く持っていた物が、目の前の女には足りていない。
だから、何度でも言う。元々、蜘蛛の糸より細い物に縋り付かねばあの場所へと帰れないのだ。千草の下らない逡巡如きで糸を断ち切られてしまうなどと、悪夢でしかなかった。
「計画通りここで待つ。何かあったら連絡せい。ワイの方から向かう」
覚悟を決めた顔で、千草も頷く。当然だ。ここに至って迷われてはたまらない。微かな希望を断ち切るような真似を、ウルフウッドは許さない。
煙草を吸う。暗い夜空。明るい夜の街。
空は何処でも同じ物だと思っていたが、そんなことはないのだと気付く。あの、砂と荒野と空の星と、この水と人の溢れる星は、全てを覆う夜さえも違うのだと、今さらながら気付いた。
ここに辿り着いてから、空を見上げてばかりだと、ウルフウッドは思う。
この空の遙か先に、あの砂の惑星があるのだろうか。遙か遠くの故郷を求めて、ウルフウッドは空を見続けているのだろうか。自問しても、答えは出ない。
どれほどの間、空を見上げていたのだろう。気付けば、煙草を吸いきっていた。仕方がなしに地に落とし、踏み消す。ろくに味もわからない。
ホーンフリークのことを思い出す。
初めに会ったのは、ジュネオラ・ロックだった。あの時、自分と同じ血と硝煙の匂いをまとわりつかせた者達の一人が、ホーンフリークだった。
次に会ったのは、龍津城。奴の存在に気付くと同時に、致死性の衝撃波を見舞われた。生憎、自分の躰が特別製だったが故に殺されはしなかったが、あの時もやはり同種の匂いを奴から感じていた。
そして、新幹線。
結局、自分達は殺し合うしかなかったのだ。例え自分がナイブズに忠実だったとしても、ホーンフリークとは殺し合いを演じていたに違いない。
奴との決着は、ついた。
後は悩まなくても良い。近衛木乃香を攫い、化け物を復活させ、麻帆良を奪う。自分はただ障害を根刮ぎにすればいいのだから。
そして千草を送り出した。
また、空を仰ぐ。どこかにあるはずの、あの星を探す。
ウルフウッドはもう、止まらない。止まれない。
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