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File17「うぃすぱーど」 投稿者:赤枝 投稿日:08/29-22:58 No.1178

0.


「さっき川沿いで何か変な動物の死体が見つかったらしいんだけど、これから見にいかね?」

「聞いた聞いた。何でも体長1.5Mのピンク色した化け物らしいな。でも、また工学部の連中が作り出したロボットかなんかじゃないのか?」

「いや、それにしちゃ生物的過ぎるって話だ。なんでも甲殻類っぽい菌糸類らしいぞ」

「カニなのかキノコなのかはっきりさせとけよ。てかキノコで動物ってなんだよ」

「わかんねぇから見に行くんだって。きっと今回はホンモノだぜ。俺の直感がそう告げているからな」

「おまえ、こないだのイエティ騒ぎのときも同じようなこと言ってたろーが」

「ふふふ。きっと今回の菌糸類と前回のイエティとの間には慄然とした関連性があるに違いない」

「どーゆー思考を巡らせたらその二つに関連性を見出せるのか俺は知りたい」

 すぐ横を通り過ぎてゆく男子生徒の雑談が、和泉亜子の耳に入ってくることは無かった。彼らの話題は亜子が興味を示すようなものではなかったし、そもそも頭のてっぺんからつま先まで緊張の色に染まった今の亜子には、そんなことを気にする余裕なんてこれっぽっちも無かった。
 亜子の心臓は先ほどから通常のそれよりも数段早い勢いで拍動を続け、途方も無い量の血液を送り出している。血の巡りの良くなった頭が考えるのはたった一つ。

「……先輩、どんな返事くれるやろか」

 口に出してみて、亜子はふと、もしかすれば自分はとんでもなく大それた事をやろうとしているのではないだろうかという思いにとらわれた。所詮自分は脇役に過ぎないのだから、これからやろうとしている行為は文字通り分不相応のものなのではないかと、そんな考えが噴出する。
 亜子が今からやろうとしてるのは、アレだ。そう、アレ。
 心のうちに大事にしまっていた想いを伝えるアレ。

 要するに、告白だ。 
 
 今日は卒業式。件の先輩と自然にチャンスは今日を逃せば――多分、もう無いだろう。
 なけなしの勇気を振り絞って亜子は思い人を呼び出してみたものの、覚悟は半ばまでしか完了しておらず、どうやって話を切り出せばいいかなんてこれっぽっちも決まっていない。
 しかし、いまさら後に引くことも出来ない。

「落ち着け。落ち着くんや」

 大きく深呼吸。
 呼吸を整え、脈動を抑え、ループしがちな思考を制御する。昨晩、ベッドの中で何度も行ったシュミレーションを思い出し、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。
 震える指先をなんとか制御して手のひらに人という字を三回書いて、捨てる。

「捨てたらアカンわ!!」

 人を捨てるってのはどういう選択か。いや、たしかに人間をすれてばなんとなくこの危機もあっさりと乗り越えられるような気がしないでもないが。しかし告白するためだけに人間捨てるのどうだろうか、だがしかし、告白といえば乙女の一大事、むしろそのくらいの勢いで行ったほうが良いのではないだろうか。
 と、そこまで考えて亜子は自分の思考の暴走っぷりに自分がちっとも落ち着いていないことに気がついた。
 そもそもこんなもので落ち着けたら苦労しない。
 眠らずに行ったシュミレーションなんてものに意味は無くて、結局のところはどうあがいたとしてもぶっつけ本番になるしかないのだ。

「おい、和泉。俺に用事っていったいなんだ?」

「わひゃい!!」

 だからって、こう急に来られても困る。いや、来てくれなかったら来てくれなかったでとても悲しいのだが。

「ええっと。あの、その、せ、せせせせ先輩」

「落ち着け、和泉。別に逃げやしないから」

 混乱が混乱を呼び混乱が混乱する。つまるところ今の亜子は混乱状態にあり、伝えるべき言葉はのど元に突っかかったままなかなか頭を出さず、平衡感覚を失った目が視線を彷徨わせ、暴走する思考回路が逃げ道を模索する。
 しかしそれでも亜子はこのまま終わらせたくは無かった。
 必要なのは勇気だ。今居る場所から一歩踏み出し、脇役にしか過ぎない自分から脱却し、主人公になるために必要な第一歩だ。

 一つ。小さく腹式呼吸で息を吸って、亜子は自分より頭二つ分ほど高い位置にある、かの人の目を見つめて真っ直ぐにその言葉を放った。

「好きです、先輩」

 存外に、かざりっけの無い言葉が出てきた。


 魔導探偵、麻帆良に立つ
 魔導少女、麻帆良に現る

 File17「うぃすぱーど」


1.

「これ? カニか?」

「体長が1.5Mもあって膜翼をもってるようなカニがこの世のどこに居るってんだよ……
 でもマジでキノコっぽいな。なんか全身穴だらけだけどこれは何だ――銃創?」

「この法治国家日本で銃創だぁ?」

「に、見えなくも無いってだけだ。でもまあ、傷跡なのは間違いないな。ほら、此処を見てみろ。色は気持ちの悪い緑色だけど体液が流れ出てる」

「うわ、すげぇ色。これ血か?」

「多分そうだ。あながちコイツの原因が工学部って予想は外れてないかもな。生物工の連中が機械工に一泡吹かせようとして頑張ったのかもしれん」

「にしても銃創とはなぁ。そーいやこないだ報道部の突撃班の班長が『長身で褐色肌のゴスロリ美少女が二丁拳銃振り回してた』って言ってたな。ばっちり写真を撮ったはずなのに現像してみると何も写ってなかったってよ」

「……それは間違いなく幻覚だろう」

「ふふふ。この謎生物と二丁拳銃ゴスロリ美少女の間には慄然とした関連性があるに違いない」

「だから。どーすればそんなぶっ飛んだ考えが……」

 亜子が学校から女子寮へと帰る途中、両岸をコンクリートで舗装された河原に人だかりが出来ていた。何かを囲むようにして集まっていたが、それは亜子の興味を引くものではなかった。

 そもそも、今の亜子にそんな余力は体のどこにも無かった。
 霞がかったようにぼんやりとした頭で無気力に滾る足を踏み出し、惰性でもって体を前へと進ませる。
 それを繰り返しながら、亜子はふらふらとした足取りで女子寮への道をゆっくりと辿っていた。

 予想はしていたことだ。と亜子は自分に言い聞かせる。
 こうなることも予想はしていた。けれども予想していたからといって自らがこうむるダメージの減衰が起こるわけもなく。

「――きっついなぁ」

 口からこぼれるため息を止められる道理も無かった。

 所詮、自分には物語の主人公やヒロインになる資格は無いということなのだろうか。

 確かに、自分はただの人間だ。
 容姿に優れているわけでも、運動能力に秀でているわけでも、頭の回転が速いというわけでもなく、かといって特殊な特技を持ち合わせているわけでもない。
 凡人、そんな言葉が自分を表すのにもっとも適している言葉なんだということは重々承知している。他の人と違うところといえば、普通よりもちょっと瞳と髪の色素が薄いところと、背中にあるアレだけだ。
 でも、これは何のプラスにならない、むしろマイナス要素にしかならない自分の醜い特徴だ。あんなものを見て、いい気分になる人は居ないだろう。

 特別な人間はやっぱり自分とは違うのだ。目には見えない、けれどもはっきりと肌で感じることが出来る輝きを持つ人間は確かに居る。
 自分のクラスメートがそうだ。誰が、というつもりは無いが、あのクラスには明らかに物語の主人公の資格を持つ人たちがいっぱいいる。とうてい近寄り難い雰囲気を持つ人も居れば、誰からも好かれる柔らかな人柄を持つ人も居る。
 
 多分、華やかなスポットライトが当たる場所に立つためには、自分が持っていないような特殊で運命的な何かが必要なのだ。物語を紡ぐ資格は誰もが持っているものではなくて、ほんの一握りの選ばれた人間しか持ち得ないものに違いない。

『ふふん? なかなかおもしろい考えじゃないのよぅ?』

「え――?」
 まるで自分の考えを読んでいたかのような回答を示したその声に、亜子ははっとして辺りを見渡した。けれども自分の周りに人は誰も居おらず、亜子は首をかしげる。
 大分離れたところ。河原の中にはなにやら人だかりが出来ていたが、あの声はあそこから聞こえてきたものではないことだけは確かだ。
 あの声は、そう。まるで直接頭の中に響いてくるような不思議な声だった。だからごく近い距離から聞こえてきたもののはずだ。

「あれ? 声なんて聞こえたっけなぁ?」

 ふとして沸き起こる疑問。
 そう、アレは果たして本当に声だったのだろうか。本当に耳から聞こえたものだったのだろうか。
 あれはもっと直接的に直感的に、自分の頭の中に響いてくるものだった。少なくとも空気の振動によって得られたものではないように亜子には思えた。
 テレパシーという言葉が亜子の頭に思い浮かんだが、そんなものはフィクションだ。テレパシーなどという非現実的な意思伝達手段があるわけが無い。ましてやそれを凡人である自分が聞き取る道理はないだろう。
 多分、幻聴だ。

「疲れとるんかな……」

 きっと今日はショックな出来事があったせいで神経が参っているに違いない。馬鹿な考えを振りほどくように亜子は頭を振った。

「ん? コイツなんか動き始めたぞ」

「うわ。傷口がものごっつい勢いで再生していってる。カビの増殖を早回しで見るとこんな感じだよなー」

「つーかそんな暢気なこといってる場合じゃない。本気でやばいぞ!!」

「膜翼が広がって今にも飛び上がりそうな――ってマジで飛んだよ、おい」

「ほんとに飛ぶとは……まあ空飛ぶ謎の動物ぐらいでいちいち騒いでたらこの街じゃあ暮らしていけないからな、こないだ大橋で見つけられたってモスマンは確か超常現象研究会の連中の自作自演だったんだよな、たしか。
 ――しかし安定しない飛び方だな。やっぱりダメージがでかかったのか?」

「直接超常研の連中に話を聞いたけど、モスマンじゃなくてのっぺらぼうの悪魔だったっていってたぞ。しかし、この街に流れる噂話には食い違いが多いんだよなぁ。誰かが意図的に操作してるのかもしれないな。
 ――アレの飛んでいった方向は、麻帆良中学の女子寮の方か……女子寮って、いい響きだよなぁ。男子禁制の楽園だよなぁ。エロスの都だよなぁ」

「あそこはあそこで魔窟だと聞くけどな。しかし、結局なんだったんだ。アレ?」

「ふふふ。俺の直感的予想ではあれは冥王星とか月あたりに前線基地を持つ菌糸類で、外宇宙から飛来した宇宙人とかそんなかんじの存在に違いない。地球にしかない特殊な鉱物資源とか求めて地球に飛来するんだ」

「だから。ど-すればそんなぶっ飛んだ考えが――」

 なにやらいろいろと騒がしかったが、亜子はそれを気にとめることなく、とぼとぼと道を歩いていった。


2.

 亜子が女子寮に到着するころになると日は暮れ始め、辺りは徐々に宵闇へと沈んでいった。
 ちろちろと街頭が点滅を始め、電気仕掛けの灯りが夜を削る。通いなれた道も、見慣れた光景も今日の亜子にはなんだかどんより濁って見えた。
 結局のところ電気仕掛けの光は亜子の沈んだ心を照らし出すことなんて出来るわけもなく、輝きを失った風景に彩をとり戻ることも出来ず、うつむきがちになってしまった亜子を元通りに矯正するだなんて夢また夢だった。
 アスファルトで舗装された道路のわき道、麻帆良の緑化に一役買っている街路樹の植え込みにあるむき出しの大地は、昨晩の雨で緩んでぐちゃぐちゃになったままで、そのやわらかい地面の上にはたくさんの奇妙な形をした足跡があった。おそらく小動物が歩いたために複雑怪奇な形になったのだろうだろうと亜子はいまひとつはっきりとしない頭で考えたが、どこか冷静な部分では、犬や猫の足の形では、あんな鋏とも鉤爪ともとれる奇妙な足跡は出来ないだろうと理解していた。
 だがしかし亜子は今、あまり深くものを考えたくなかった。普段ならば疑問に持つであろうそれも無視して、出来るだけ早く部屋に帰り、何もかも忘れて眠ってしまいたいというのが今の亜子の最大の願いだ。それは多分、自らに対する慰撫でもある。

 これまで2年間近く通り続けた、そして後一年は通るであろう女子寮の門を通る。
 亜子が女子寮に入ると、エントランスホールで木乃香が『なにか』と話しているのが目に入った。『なにか』というのは『なにか』であり、『なにか』以外の何物でもない。奇妙な話だが、亜子にはそれが何か分からなかった。目に見えているのにそれが何か分からないというのはどうにも不思議だが、亜子はその『なにか』を正しく認識することが出来なかった。
 木乃香が『なにか』と話しており、その『なにか』がなんであるかも分からないのに木乃香の行動に塵芥ほどの疑問も亜子は持つことはなく、その光景をごくごく自然に受け入れてしまう。そのこと自体も亜子はおかしいと思うことが出来なかった。
 ただ、視界の中に木乃香と話すピンク色のスライムみたいなものがある。そんな単純で無機質な認識だけが、亜子の中にあった。

「こら、沙耶。どしたんよ。いつもはおとなしいのに……」

「てけり・り!!」

「へ? 仲悪い子がこの近くにおる? もう沙耶、喧嘩はあかんよー」

「て~け~り~・り~」

「カニかぁ。カニは美味しいよなぁ」

「てけり・りっ!!」

 木乃香と話せば気もまぎれるかもしれなかったが、どうも取り込み中の様子なので、声をかけずにそのまま階段へと向かった。
 いつも上る階段は今日もいつもどおりだったが、なんだかいつもよりも段数が多いよう見えてしまい、鉛のように重たくなった足を引きずって上がるのは億劫だった。
 それでも亜子はゆっくりと階段を上り、自分の部屋があるフロアまで上った。

「あの腐れ菌糸類!! 最後までふざけてくれるっ!! オリジナルの記録媒体[レコード]を何処にやった!!」

 部屋へと入る途中で、普段は冷静な龍宮真名が珍しく大声を上げながら部屋から飛び出してきた。どういうわけだが顔を真っ赤にして、肩で息をしている。怒っているようだったが、どこか恥ずかしがっているようにも見えた。そして片手には黒くて大きな拳銃みたいなものを掴んでいるが――あれはおそらくモデルガンだろう。決してホンモノではないと思う。最近のモデルガンは精巧に出来ているらしいから一見しただけでは見分けが付かないと聞く。

 ふと、亜子と真名の目が合った。
 亜子が怪訝な顔をしていたためか。真名ははっとなって手に持っていた物騒なものを亜子の視線から隠し、こほん。と咳をついた。

「あー。和泉。この辺りで変なものを見かけなかったか?」

 目線が妙に泳いでいる辺り、もしかしたらさっきの醜態――亜子はともかくとしても真名は醜態だと思っているだろう――を誤魔化すためなのかもしれない。

「変なものて?」

「カニというかキノコというか――まあ、こちらは別にかまわないか――ともかく、あやしげな記憶媒体[レコード]とかを見てないか?」

「見てへんけど――そういえばさっきエントランスホールの方で木乃香が、カニがどーとか言いよった気がする」

「そうか、ありがとう。ところでもし怪しげな小型の記録媒体[レコード]を見つけたら、中身を見ないまますぐに捨てるか、私のところへ持ってきてくれ」

「中になんかはいっとるの?」

 亜子のその問いに、真名はなにか屈辱的なものを思い出してしまったかのように頬をヒクリと引きつらせ、気分を落ち着けるようにほんの少しの間だけ瞑目して続ける。

「いや――見ても面白いものは何も入ってない。入ってないからくれぐれも中身を見るのだけはやめてくれ。頼むから」

「わ、わかった」

 どんな理由があるのかは定かではなかったが、真名が必死な様子だったので、亜子は素直にうなずいてしまった。

「じゃあな、和泉。何があったのかは知らないが、少し顔色が悪いぞ」

「うん、分かっとる。もう今日は寝るわ」

「そうか、ゆっくり休むといい」

 そう言って、真名は駆け足でエントランスホールの方へと向かっていった。おそらく木乃香から詳しい話を聞くつもりなのだろう。

「なんや大変そうやなぁ」

 そういいながら、亜子は自分の部屋の扉を開けた。


3.


「まき絵ー。帰ってへんのん?」

 ルームメートに呼びかけてみるものの返事は無かった。部屋の明かりもついていないことだし、まだ帰ってきてないのだろう。
 最近の麻帆良は黒いマントを着た吸血鬼が出没するという奇妙な噂話をはじめとして、大量の牛が相次いで行方不明になる事件や、変質者が出没するなど何かと物騒なので、なるべく早く帰宅し外出は控えるよう通達が来ているから、まき絵もすぐに帰ってくるだろう。

 もう日も暮れて部屋の中は真っ暗だ。亜子は手馴れた動作でスイッチを操作しようとしたところで、部屋の中に充満する異様な臭いに気がついた。

「なんやこれ? カビ?」

 部屋の中には奇妙なカビ臭さがあった。
 悪臭――というほどではなかったが、少々鼻に付く。
 たしか、朝にはこんな臭いはしなかったはずだ。毎日ではないが掃除もきちんと行っているし、水場周りだってちゃんときれいにしている。ごみもキチンと処理してる。
 カビが生えるような要因は無かったはずだ。そもそも半日程度でこれほどの強さの臭いがするわけが無い、もしかしたら通風孔の中にカビが生えてその臭いが部屋の中にたまってしまったのかもしれないが、それにしても今朝まで全く異常が無かったのに、これほどの臭いがするのはおかしい。

 しかし、現に部屋の中にはカビ臭さに満ちていた。

 ともかく原因を探ろうと、亜子は電灯のスイッチを入れた。
 ぱっと明かりがつく。亜子の目の前には見慣れた部屋が広がっていた。原因らしきものが見当たらなかったので、風呂場を覗いてみるが、風呂場にも特におかしなところは無かった。
 となると思い当たる場所は台所ぐらいなものだったが、台所を見ても変な様子は無かった。

 どういうことだろうかと亜子が首を傾げた時。ひゅうと、ベランダのから黴臭さを孕んだ風が吹き込んできた。

 春先の風が奇異なる悪寒を亜子にもたらした。

 窓を開けたまま外出しただろうか?
 いや、いくらセキュリティーが整った女子寮とはいえ、そんなずぼらなことはしない。今日だって部屋を出るときはきちんと窓を閉めたはずだ。
 なのに何故、風が吹き込んでくるなんてことがあるのだろうか。

 ぞっとしない気分になりながらも、亜子はゆっくりと首を巡らせてベランダのほうへと向き直った。

 風によってゆらゆらと棚引くカーテンの向こう側、もうすっかり暗くなった夜空が不気味に覗く。夜空に浮かぶ星のきらめきが、まるでこちらを窺っているような不可解な輝き方をしているように感じてしまったのは、亜子が神経過敏になってしまっているせいだろうか。
 はためくカーテンの下、『それ』は奇妙なまでに堂々と鎮座していた。『それ』は通常室内にあるようなものではなく、また本来ならば亜子の部屋にはあるはずの無い珍妙きわまるものではあったが、それは幻覚ではありえないほどの確たるリアリティを持ち合わせたオブジェクトであった。
 
「……………………キノコ?」

 そう、一言で表すならばそれはキノコだった。ただし通常のキノコと比べるといろいろと変な箇所が見受けられた。まず大きさがおかしかった、ちょうど人の頭ほどの大きさををしており、先端は細かい何かが密集してピラミッド状の形を形成していた。
 全体的にピンク色を帯びてるが何処となく新鮮な肉を思い浮かばせる生々しいピンク色で、よくよく見ると表面は粘液でぬめっているようにも見えた。どんなに控えめに見えても食卓に上るような類のキノコではなかった。
 もしかしたらピンク色が好きなまき絵が持ち込んだものかもしれなかったが、いくらなんでもこんな気味の悪いものを持ち込んだりはしないだろう。

『あーら。気持ち悪いってのは酷いわねぇ?』

「――――へ?」

 間抜けな声。一瞬、何が起こったのか亜子にはさっぱり分からなかった。
 頭の中に直接響いてくるような、声。いや、声ではない。空気を媒体としない声なんてものは存在しないはずだ。これはもっと直線的で直接的な意思伝達手段だ。

 自然と、亜子の足が一歩後ろに下がる。
 亜子の理解の範疇を大きく逸脱した恐怖のためか、あるいはもっと他の何かか。何が原因かは亜子にはよく分からなかったが、亜子は不安げに自分の体を抱きしめ、固唾を呑んでそのキノコを見つめた。

 もしかしたら錯覚かもしれない。今日は疲れているから幻聴を聞いたのかもしれない。さっきだってそうだったじゃないか、まさかキノコが空気媒体を必要としない尋常ならざる意思伝達手段を使用しただなんてそんな馬鹿なことが起こりうるはずが無い。

『別に恐がらなくてもいいのよん? アタシは別に亜子ちゃんに危害を加えようなんて意思はこれっぽっちも無いんだから』

 もぞもぞと『キノコ』が動く。その動き方は明らかに風やその他の自然現象によって起こるような受動的な動きでなく。明らかに『キノコ』自身の自発的な行動に他ならなかった。

 にゅるり。やけに生物的で生々しい動作でキノコがカーテンの向こう側に引っ込んだ。亜子が安心のため息をつく暇も無く、カーテンの裾からなにやらピンク色をしたカニの鋏の先端じみたものが差し込まれる。

『よいしょっと』

 『それ』が掛け声と共に、あの耳を仲介としない、頭に直接響いてくるような声と共に、一気にカーテンを持ち上げ、その全貌を亜子の前に明らかにした。

『はーい。亜子ちゃーん、元気ですかーっ!! 冥王星[ユゴス]からこんにちわっ!!
 はじめまして亜子ちゃん、アタシは――人間はアタシのことを『ユゴスよりのもの』とか『ミ=ゴ』とかって呼ぶわ。どうかアタシのことは気軽に『ユゴちゃん』って呼んでねっ!!』

 悲鳴を上げなかったのは、奇跡だと思う。


4.


 ユゴスよりのものと名乗る不躾な来訪者は、1.5Mほどの背丈を持つピンク色の生物だった。
 全体の印象はカニのようにも思えた。それというのも全身を覆う甲殻類じみた殻と節足動物に良く似たいくつもの節を持つ数組の腕――後方に備わった節足はおそらくは歩くために使用すると思われたが、前肢には何かを断ち切るような巨大な、しかし器用そうな鋏があった――を備えているためであったが、地球上に存在する甲殻類とは明らかに起源を異にするものであった。
 甲殻類のような印象に伴って菌糸類と思しき特長も兼ね備えていた。先ほど見たキノコは、おそらくは頭部なのだろう。かろうじて頭だと分かる部分に先ほど見たキノコらしきものがある。
 背中に何対かある鰭のようなものは、蝙蝠の翼の様な膜状の翼のようにも見えたが、これが果たしてどのような機能を持つものなのか亜子にはさっぱり分からなかった。
 目の前に居るこれが、水中に生活するもの達に属するのか、地上で生活するもの達に属するのか、空中で生活するもの達に属するのか、あるいはもっと他の領域、宇宙だとか時空だとか亜子が知りえない領域に属するものなのかすら見当が付かなかった。
 地球上のいかなる生物とも合致しない構造理念によって作られた全身像は何処までもでたらめなものだったが、非常に精緻なつくりをしており、亜子が知っているどのような動物にも属さない特異的なものであったが間違いなく生物であることを主張していた。

『あ、お茶はいらないわよ。アタシは地球産の食べ物は摂取することが出来ないから』

 だというのに、その行動がいやに人間くさいのはどういうことか。
 見た目に反してスムーズな動きで部屋の中にユゴスよりのものが入ってくる、トコトコと後足を器用に使って歩く様はなかなかどうしてユーモラスだったが――そんなものを受け入れる余裕は今の亜子には無かった。 
 常識だとか自分の理解力の限界だとかを軽々と超越している存在がいくらフランクな態度であろうともそうそう受け入れられるものではない。しかもその外見が節足動物を見たときに感じるあの生理的嫌悪感を催すものであるからなおさらだ。

 徐々に亜子の下へと近寄ってくるユゴスよりのものに対して、亜子はゆっくりと後ずさりをしてゆく。
 亜子は眼窩から眼球が零れ落ちそうなほどに目を見開きそれを見た。悍ましいほどに現実から乖離した異様な姿ではあったが、だがそれ故に亜子は目を瞑ることが出来なかった。

 かたかたと、見た目からは到底想像も出来ないほどスムーズな動きで『それ』は亜子に向かって接近する。表情の判断なんて出来ない、そもそも表情なんて概念があるかどうかも怪しいような菌糸類的なその貌は、無表情ゆえに何処までも理解し難かった。
 がちがちという音が聞こえる。その音が何処から聞こえてきたのか亜子にはさっぱり分からなかったが、ともかく耳にはがちがちという固いもの同士を叩き合わせたような音がどこからか響く。
 それが自分の歯の根が合わない音だと気づく余裕は、今の亜子には無かった。
 
『くぅっ!! いいわっ!! 実にいい感じの怯えっぷりっよ、亜子ちゃん!!
 ホーントこの街に住んでる人間ってばアタシの姿を見てもちっとも恐がらないからつまらなくてつまらなくて……死体のフリしても恐がって逃げ出すどころか積極的に干渉してくるしー』

 かしょーんかしょーんと鋏を鳴らす。頭に伝わる奇妙な声の調子からするともしかしたら楽しんでいるのかもしれない。

『だから亜子ちゃんもちょっと驚くかもしれないけど平気かなーって思ってたんだけど……ちょっぴりやりすぎちゃったかしらん?』

 はてなとユゴスよりのものが小首を傾げながらさらに亜子に近づいた。
 後一歩で亜子と接触するという距離になったとき、亜子の中でなにかのスイッチが入った。

 大きく息を吸って――

『あ、叫ばれるのはちょっと困るわ。真名ちゃんに見つかったらアタシ確実に殺されちゃうし』

 鋏の先端に燐光が灯る。鋏が幾何学的な動きを刻み、空中に描写された燐光がある種の規則性を持った図形を構成してゆく。
 図形の完成と同時に亜子が悲鳴を上げる。

「――――――――――――!!」

 だがしかし、亜子の悲鳴が音となって発現することは無かった。光で作られた図形はすぐさまに瓦解し空気の中へ解けていった。

「ふぇぇっ!? なんやっ!! 今のいったい何っ?」

 今度はまともに声が出た。

『んー、亜子ちゃんにも分かり易く言うと魔法みたいなもんよ。正確には魔術って言うんだけど――こっちの世界はその辺の区別がめんどくさいから……
 てゆうか、そんなに恐がらなくてもいいじゃないのよぅ。さっきも伝えたけどあたしには亜子ちゃんに危害を加えるつもりは無いのよん? だたちょっぴりお願いがあっただけ』

「お、お願い事?」

『そう。お願い事。
 その前に、ちょっと落ち着きましょうか。はーい、息を大きく吸って深呼吸。人間の精神は呼吸と密接な関係があるから呼吸を整えれば自ずと精神も整うわよん?』

 言われるままに、亜子は大きく息を吸った。
 目の前のユゴスよりのものが言う通り、ほんの少しだけ落ち着いたことを冷静になってきた頭で自覚しながら、何で自分はこの謎な生き物の言われるがまま為すがままなんだろうかと思うと、亜子はちょっぴり悲しくなった。

『まあ、こんなものかしらね』

 頭部から触覚みたいなものを伸ばしていたユゴスよりのものが、仕切りなおすようにコホンとセキをついた。亜子には目の前のユゴスよりのもののどの辺りに呼吸器官があるのかは分からなかった。
 もしかしたらただのポーズなのかもしれないなぁと、亜子はどこか諦観気味の心地でぼんやりと考えつつも、ユゴスよりのものの主張に耳を傾けることにした。

『今、この麻帆良は未曾有の危機に曝されてるの!!』

 いきなりそんなこと言われても。

『そんな冷めたツッコミは不可っ!! 物語ってのはおおよそにおいて何の唐突も始まるものなのっ!!
 詳しい説明は省くけど。今、この麻帆良では怪事件が頻発しているのは知っているでしょう?』

「えと、まあちょっとぐらいは」

 超常現象研究会が発見したモスマン。黒いマントの吸血鬼。夜の街を徘徊する赤貧探偵。目に見えない怪物。一夜にして何匹もの牛が失踪を遂げる事件。夜道に現れる謎の変質者。事実かどうかも分からないような奇妙な事件や噂話は知っている。いやに現実的なものからもはや夢物語としか思えないものまでさまざまだが。日が暮れる前に帰るように注意を受けているので、なんとなく不気味だなと思っていたが……
 ふと思ったのだが、今自分の身に降りかかっているこれは怪事件なんじゃなかろうか?

『まあ、アタシがその怪事件に属する存在なのは認めるわ。今事件を引き起こしているのもアタシの同類みたいなもんだし』

「さっきから気になっとったんやど、なんであなたは――」

『んもう。亜子ちゃんのイケズ。アタシのことはユゴちゃんって呼んでっていったでしょう。別にミ=ゴでもかまわないけど、出来ればそう呼んでくれると嬉しいわ』

 このユゴスよりのものに向かってちゃんづけで呼ぶのはなかなかどうして抵抗があったけれども――

「ユゴちゃんはさっきからウチが口に出してないことまで返事しよるけどなんでなん?」

『ああ、これ? アタシはテレパシー能力を持ってるから、相手の考えていることをある程度は読めるし、逆にアタシが考えていることを相手に伝えることが出来るわ。異星種間のコミュニケーションを行うにはベターな方法よ?
 今のアタシの形態だったら人間同様の手段で会話も出来るけど、あんまり聞き取り易い声じゃないし、何よりアタシがあの声があんまり好きじゃないからね。ちょっと慣れないかもしれないけど我慢してね?』

「なんかさりげなくとんでもないこと言われた気がするなぁ」

『きっと気のせいよ。――って話がそれちゃったわね。
 その怪事件は、とある一冊の本が引き起こす怪異によるものなの。
 アタシはこの街にやってきて以来、その怪異による被害を食い止めようと尽力してきたわ。つい最近まで協力者が居て、その子と一緒に数々の悲劇を未然に防いできたんだけど――』
 
 そこでユゴスよりのものは顔を鋏で覆い、よよよとその場に泣き崩れた。そのまま顔を地面に伏せて、鋏をだーんだーんと床に叩きつけたりしている。

『そのときの格好[スタイル]が気に食わないって契約を解消されちゃったのよっ!!
 何がいけなかったのかしら? とっても可愛いピンクのゴスロリ衣装だったのに。きっと自分の萌え要素を存分に生かしきる格好じゃなかったのがいけなかったのね。でもまさか巫女属性の持ち主だなんて夢にも思ってなかったし……』

 亜子は自分の脳裏で連結推理されるある一つの事柄について思い至りながら。がっでむとテレパシーで叫ぶユゴスよりのものを眺めた。ユゴスよりのものは相変わらず不気味な体躯だったが、流石の亜子も慣れてきた。

『でもアタシに抜かりは無いわ、あの子には私のことを言いふらさないようにきっちり口止めだけはしてきたからね。あの貧乏探偵にばれずにもうちょっと好き勝手あそ――もといあの人に苦労をかけないためにもっと頑張らなきゃ』

 何処からとも無く小型の記録装置[レコード]を取り出し、窓の外に向き直り、空に浮かぶ星に何かを誓うようにぐぐっと力を込めて鋏を握る。
 あ、なんか確実っぽい。

 ぐるりと、再び亜子の方にむき直ったユゴスよりのものが告げる。

『そこで亜子ちゃんにお願いがあるのっ!!』

「そのお願いはとっても嫌なもんな気がするんやけどっ!?」

 亜子の台詞を聞いて、ユゴスよりのものは酷く確信に満ちた[テレパシー]でふふふと不気味に笑う。

『決してそんなことは無いわよん? このお話はきっと亜子ちゃんにとっても嬉しいもののハズ』

 ユゴスよりのものはそこで一旦言葉を切って、亜子に向かってびしりと鋏を向けて言い放った。


『――亜子ちゃん。『物語の主役』になってみる気はない?』


「え?」

 ユゴスよりのものの言葉を亜子はすぐさま理解することが出来なかった。

『さっき私が使ったような不思議な術を使ってみたくない? 人知れず悲劇を防ぐヒーローをやってみたくない? 夜空を駆け、風に乗って空を飛んでみたくない? 普通なら絶対に体験できないようなまるで夢のような体験をしてみたくない?』

「………………」

 脳内に直接投影されたユゴスよりのものの言の葉がゆっくりと組み立てられ、確たる形を作り出す。言葉は力を持ち、人の心に影響を与える。
 願いを骨格[フレーム]に、望みが肉付けされてゆく。分厚い血管の中をめぐる劣等感という名の血流が轟々と唸りを上げ、誘惑の甘き毒が神経に快楽を走らせる。亜子の中の何かが、痺れるような筆舌に尽くし難い何かを訴える。ぐるぐると唸り声を上げるそれは、亜子の中で静かに、だがしかし確固とした熱を放っていた。

 ごくり、亜子はつばを飲み込む。

 抗い難い欲求が生まれる。
 自分はどう足掻いたところでただの路傍の石[わきやく]だ。だがしかし、いつだって主役になりたいと願ってきた。華やかな舞台、華麗なるスポットライト、秀麗な音楽。誰だってその場所に立ちたいと思うだろうし、自分もまたそうだった。
 けれど、主役になることなんて、普通の人間には出来やしないのだ。結局のところ人には器だとか限界だとか言うものがあって、それを自分自身の力で越えることなんて出来やしないんだ。
 普通はそうだ。今日だってそうだった。自分自身で行動を起こしてみてもそれが報われることなんて実は少ないものなんだ。

 だが、誰かの力添えがあればどうだろう?
 目の前のユゴスよりのものは、なるほど普通とは大きくかけ離れた存在だ。
 もしかすれば、成れるかもしれない。ずっとずっと望んでいた、望んでも望んでもなることが出来なかった物語の主役に!!
 
『お願いよ亜子ちゃん。私を助けて』

 それは多分、殺し文句。

 どんな目に遭うかなんて分からなかった。これからどんなことをするのかも分からなかった。けれど、自分にも物語の主役になる可能性があるならば、それを手に入れることが出来るかもしれない機会があるのならば、それを手を伸ばせば届くところまで差し出されているのならば――

「――分かった」

 ――どうして、断ることが出来ようか。

『いっえーーっす!! 言質をとればこっちのもんよっ!!
 じゃあ、和泉亜子ちゃん。アタシはあなたと契約するわっ!!』

 うれしそうな[テレパシー]を上げて、ユゴスよりのものの体がその場でバラリと崩れた。崩れたピンクの体はまるで本を紐解いたように頁をばら撒き始める。バラバラになった頁があこを中心に渦巻いた。
 ごうごうと渦巻く頁群と化したそれらは今もユゴスよりのものの意志を持っているらしく今までとなんら変わらないテレパシーで、言葉を続けた。
 
『アタシは世界最強の魔導書『Al・Azif』が断章の一つ。『ユゴスよりのものに関する記述』よ、これまでと変わらずユゴちゃんって呼んでね。
 亜子ちゃん、よろしく頼むわよっ!!』

 光があふれた。
 あまりの眩しさに亜子は瞼を閉じた、それでも眩しさは収まらず両の手で光を遮る。

 光はあっという間に収まり、それと同時に亜子は自分の体の異常に気がついた。
 いや、異常というのは正しくない。全身に普段の何倍もの活力が漲っているような感覚は常ならざる状態ではあったが、それは決して不快なものではなく、むしろ心地良かった。

「……なんや、これ」

 呆然と、呟く。
 自分が自分で無いような奇妙な感覚。何でも出来るという根拠の無い確信が亜子の中に満ち満ちていた。

『亜子ちゃんは、今この瞬間に魔術を使うもの――すなわち魔術師[マギウス]になったのよっ!!』

 肩に何かが居るような気配があったので、亜子は自分の肩を見てみると、そこにはちょこんと肩口に鎮座するミニチュアサイズのユゴスよりのものが居た。

「なんか、えらい小さくなったなぁ……」

『アタシを構成していた術式のほとんどを亜子ちゃんに移譲したからね。しょうがないわ。その代わり亜子ちゃんのパワーはこれまでとは比較にならないほど増大したわ。アタシと亜子ちゃんの魔術的な相性は予想以上よ。これならすぐにでも活動できるかも。
 さあ亜子ちゃん、そこの姿見で自分の姿を見てみて、きっと今の自分の姿に驚くわよっ!!』

 言われるままに亜子は姿見を覗いた。

 確かに、驚いた。

 普通の人よりも色素が薄かった髪の毛は、更に色が抜けて処女雪のような白い色となり、背中の半ばまで伸びていた。同じように瞳の色は更に色が抜け、虹彩は透き通るような真紅になっていた。
 一瞬、これが自分の姿だとは分からなかった。けれども鏡の中にあったのは確かに自分の顔だった。鏡の向こう側に、今起こっていることがまるで夢の中の出来事だと思っているのか、驚きつつも呆然とした顔をぺたぺたと触っていた。
 感覚的な変化もあった。目で見ただけで自分の今の体の大まかな健康状態が自動的に認識でき、手から伝わる肌の感覚から更に細かい自分の状態がわかった。人体構造の全てがまるで手にとるかのように完全に理解できる今まで体験したことが無いような奇妙な感覚。
 だが、一番の変化はその服装、つい先ほどまでは学校の制服を着ていたはずなのに、今自分が来ているものといえば――

「……………………なんでナース服やのん?」

 体を覆うのはまさしく典型的なナース服だった。頭の上にちょこんとのったナースキャップ。そして止めといわんばかりのオーバーニーソックス。
 そのどれもがユゴスよりのもの体表面の色と良く似た――けれども適度にやわらかくなったピンク色をしていた。

 なにゆえ?

『ユゴスは優れた医療技術を持っているの。アタシから言わせれば地球の外科手術なんてものはあまりにも原始的で粗雑に過ぎるぐらいよっ!!
 ユゴスよりのもの――つまりはミ=ゴが持つ高度で医療技術を受継いだ今の亜子ちゃんは、いうなればナースの中のナース。まさしく究極的なナース。
 そうっ!! 今のあなたは冥王星[ユゴス]よりの使者――その名も素敵、ミ=ゴ・ミ=ゴ・ナースっ!!』

 どかーん。
 と、パタパタと背中の羽で宙を飛びながらユゴスよりのものが鋏にぐぐっと力を入れて叫んだ。

 亜子は自分の頬がひくりと引きつるのを感じながら、どうしようもない脱力感に襲われた。いまさらながら自分はとんでもない選択をしてしまったのではないかという後悔の念が胸の奥から湧きあがる。

『む、むむむむむ。なんか早速ヤバげな気配がするわ。亜子ちゃん、早速で悪いけどこのまま出動よっ!!』

「そんなこと言われてもこんなカッコ恥ずかしくて外歩けへんよ」

『ふふん? その点に関して心配要らないわ、なにせこれから歩く必要なんて何処にもないんだから。霊質に抗う翼[エーテル・ウイング]ッ!!』

「ひゃうっ!!」

 ユゴスよりのもののその[テレパシー]に反応して、ナース服の一部が音を立てて変化する。何かを接続するような奇妙な感覚が、亜子の肩甲骨の辺りに奔った。
 何事かと亜子は自分の背中を振り返ると、其処には数対の膜状の翼があった。

『この霊質に抗う翼[エーテル・ウィング]があれば空を飛ぶことが出来るわ。さあ亜子ちゃん、あなたの物語は今この瞬間に始まるわよ、覚悟は出来てる?』

 そうだった。自分はこれから主役になるのだ。自分の、自分だけの物語が始まるのだ。自分がずっと望んでいたことが今叶うのだ。

「うん。どうなるかわからんけど、ウチ頑張ってみるわ」

『実にいい返事ね。じゃあ飛ぶわよっ!!』

 背中の膜翼が羽ばたく、空気ではない何か――おそらくは霊質[エーテル]とかいうもの――を受けた翼が亜子の体を宙に浮かび上がらせ、いまだ開かれたままの窓に向かって亜子を進ませた。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 空を飛ぶという未知の体験、未知の感覚に亜子はの悲鳴を上げた。背中に接続された羽根からは霊質[エーテル]を受けて空を飛ぶ感覚が伝わり。言語化しがたいその感覚は何処までも異質であったが、清清しくもあった。

 これから何が起こるかなんてことを亜子は知らない。未来は知ることことができないが故に未来であり、主人公は自分の物語がどんな風に進むかなんて知らないからだ。
 けれど亜子は今、確かな熱を感じていた。自分は一歩踏み出したのだ、脇役にしか過ぎない自分からもう一歩踏み出したのだ。
 何が起こるか亜子はちっとも分からなかったが、夜の麻帆良を飛ぶ自分はたしかに物語の主人公になりえたのだと確信した。


File17「うぃすぱーど」…………………………Closed.


 


 
あとがき

 誰がなんと言おうと、冥王星は太陽系だっ!!
 赤枝は固くそう信じています。ちなみに冥王星と書いてユゴスと読むのはデフォルト。

 File17お届けしました赤枝です。さー、魔導少女亜子ちゃんのお話が始まりました。エヴァ編ご期待の方後二月ぐらい待ってください。

 コミック14巻を読むと、亜子は素直に恋愛やってるんじゃなくて、自分が主役になるための手段として恋愛をやろうとしていたよーに思えてしょーがない。そーゆーのって思春期にはありがちなんだろーけど微妙に歪んでる心理過程が赤枝の琴線に触れた。
 つーわけで、彼女に主役になる夢を見せてあげようと思ってこいつを書き始めてみる。もはや気分は灰かぶりに魔法をかける魔法使い。杖を一振りびびでばびでぶー。

 赤枝は失恋したことねーので失恋中の亜子の気持ちはあんまり分かりません。
 ……もちろん失恋したこと無いってのは、まともに恋愛したことが無いって意味です。念のため。
 ああ、この頬を伝うあっつい液体の正体っていったい何っ!! なんなのっ!!
 というわけで、そのあたりの描写はまるっきり妄想で書きました。こういうところで人生経験の差とか出るんだなぁと痛感。

 すっげぇ問題がありそうな亜子の変身後。
 いや、ネタ帳に「ミゴ=巫女=真名」と書いてあったんですが、これを口に出して読んでみると「みご・みこ」とゆーふーになっちゃうのです。そこで赤枝ブレインにライトニングがピピーンと走っちゃいまして、慄然とした口調でこう呟いてしまったわけです、「み、ミ=ゴ・ミ=ゴ・ナース……」。
 そうだ、ユゴスといえば高度な医療技術、そしてネギまでナースといえば亜子が居るじゃないか。となんだかとんでもない考えに至るまでにさして時間は掛かりませんでした。
 話に真名が絡んでくるのは当初のネタが後引いているからかも。
 
 いろいろ調べてみると意外にユゴスよりのものと亜子の相性は高かった。亜子の星辰性は月なんですが。ユゴスよりのものは月に前線基地持っている上に、件のネタ本ドナルド・タイスン版「ネクロノミコン」にはユゴスよりのものは月を神聖視しているとのこと。
 言い訳が出来ればこっちのもんだと、大笑いしながら書いた。楽しかったー。
 真名とユゴスよりのもののエピソードは今のところ書くつもりは無いです。

 ちなみにこの魔導少女シリーズ、他にもいくらか没案がありまして。
 ひょんなことから『ルルイエ異本』を手に入れたアキラちゃんが自らの血縁の秘密に気がついた挙句に海に帰っちゃって、ルルイエにて大司祭の役割を継承して『魔導少女ク・リトル・リトル』と化し九郎たちとどんぱちを繰り広げる『麻帆良を覆う影』。
 『黄衣の王』を第二部まで読んじゃった美空ちんがシュリュズベリィ博士の薫陶を受けつつ大暴れする涜神的シスターもの『えいごーの探求』。変身呪文はもちろん「いあ! いあ! しすたー!!」という問題以外の何物でもないシスマゲドンな代物。
 まだまだミニマムでロリなころの刹那と木乃香がちびアルと出会って魔導書の断章を集めるというタイトルとしても話の大筋としても実にアレげな『グリモアキャプチャー刹那』。
 などなど。
 はっはっは。どれもネタ的にクト的でアレだなぁ。ちなみに書く気は無い。これっぽっちも無い。無いったら無い。

 今回ちょっぴりはっちゃけてますが。次回、更にはっちゃけます。ええ、赤枝の良心が許す限りやりたい放題やってくれます。うはははは。
 亜子の最初の敵はアレです。仄めかしてるから分かる人は分かるんじゃないかと。あ、ネタバレは勘弁願います。予想してほくそ笑むだけにしておいてください。

 さて、今回も感想批評批判その他諸々は感想掲示板の方で受け付けております。
 思う存分書き込んでやってください、といいたいところなのですが。あまりにも掲示板の趣旨から外れた内容の書き込みをすると、削除対応を受けてしまうこともあるとの事。
 過度の雑談も禁止とのことです、ご注意ください。

 ではまた。

 PS.多分次の話辺りから新しいスレッドたてます。赤枝の話は一話が長いからこれ以上負荷かけちゃうのもアレですから。

魔導探偵、麻帆良に立つ

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