第二話



「たたた大変だぁーーー!!!」

騒々しく扉が蹴り破られ、矩形に開いた穴から銀髪の青年が飛び出してきた。
人間では無く鳥人と呼ばれる種族で、背負った純白の翼がそれを証明している。

そんな彼に面倒そうに応じたのは、黒く長い髪を持つ、同じく鳥族であるハヤテだ。


「……どうしたんですか雹さん」

一応訊ねてみたが、この男がこんなに取り乱す事件は、彼の知る限りでは一つしか無い。

「爆くんからメールの返信がこないんだぁーーー!!」

すなわち、そういう事である。

「それくらいでいちいち騒がないで下さいよ」

ハヤテは、諦観の念を交えて大きく溜め息を吐き出した。
同居してからはや数年。
もう慣れつつあるが、それでもやはり騒がしい。
ハヤテの適当な返答に、雹は美貌を鬼の様に歪めて彼を睨み付けた。

「それくらいだと!? ただでさえ世界中を飛び回ってて会えないのに、さらには愛の返信すら来なかった僕の気持ちがお前にわかるかーーーー!!」

愛の返信というのは、以前雹が興奮気味に頼みもしないのに見せ付けてきた、『生きてる』という文ですらないメールの事だろうか?
そもそも、愛は青年からのみの完全なる一方通行だ。

ハヤテはそんな事を思ったが、さすがに手作りの爆人形に頬擦りする雹に言う勇気は無い。
彼の執念に限りなく近い愛情はどうにかならないものだろうか。

「はっ!! まさか爆くんの身に何か!?」

突如、雹が明後日の方向に首を回して咆哮した。

「まさか。あいつはそんな玉じゃないでしょ」

「もしかしたら飢餓に負けて毒キノコでも食べたかも知れないじゃないか!!」

本当に愛しているのだろうか。

「!! ああっ今爆くんの助けを求める声がっ!!」

絶対に幻聴だ。

万が一求めてたとしても、それは雹に向けられたものでは無いだろう。

「こーしちゃいられない!! 待っててね爆く〜んっ!!」

雹は今度は玄関のドアを打ち砕くと、その破片を纏いながら地平線の彼方に消えて行った。

「はあ……一生帰ってこなきゃいいなあ……」

信じなくなって久しい神に心の底からそう願いながら、ハヤテは窓際に据えられた植木鉢の花、チャラに水をやる事にした。


「―――つまりそういう事なんだが……」

「なるほど、それは奇怪な話しでござるな」

先程まで戦場だった大樹の下。
幹に負け無い逞しく節くれ立った根に腰掛けながら、爆は正面に座る楓に事情を説明していた。
先刻まで血を滴らせていた背中の傷は、『聖華』の術ですでに塞がれている。

楓はふむ、と顎に手を添えてしばし思案顔をすると、

「とにかく、学園長殿に報告するしかないか……」

少女の唇から漏らされた意外な事実を、爆は聞き逃さなかった。

「学園長? ここは学校なのか?」

言うが速いか、視線を軽く周囲に巡らせる。
たしかに所々人間の手が加えられた箇所が見受けられるが、この土地が学校などという文化的な場所とはとても思えない。

「そう、ここは麻帆良学園都市の世界樹の広場でござる。森を抜ければ、校舎もあるでござるよ?」

楓の言葉は説明というより提案だった。
つまり、その学園長とやらに頼ってみてはどうか、という事なのだろう。
それに爆は悩む様な素振りを見せたが、それもほんの数秒だった。

「……仕方ない、行ってみるか。おい下僕、案内しろ」

「げっ、下僕?」

青年のあまりに不遜な態度に、楓は顔を引き攣らせて絶句した。

確かに、敗北はした。
その事実は認めよう。
だが、軍門に下った覚えは無い。

「何でござるか下僕って!?」

「どうした下僕。早く行くぞ」

楓が抗議すると、爆はうるさそうに眉間に皺を寄せたものの、全くその態度を改めようとはしない。

「むぅううう……」

溜飲は下がらないが、何を言っても無駄と判断した楓は観念すると、道も知らないくせに先行する青年の後ろ姿を追いかけた。


しばらくして、爆と楓の姿は校舎の最奥に位置する扉の前にあった。

「ここでござるよ」

楓が『学園長室』と刻印された立て札を指差す。
爆は確認して頷くと、少女の一歩前に出て、軽く硬い扉を叩く。
返事も待たずに冷たいノブを回した。

「失礼す……」

部屋の中を覗き込んだ刹那、爆は凍りついたかの如く硬直した。

何故ならば、部屋の奥の窓際にある机に、顔から白く長い髭を垂らした、やたらと後頭部の長い、面妖な老人が座っていたからである。

「ん? 何」

ばたん。

突然の入室者に気付いた老人が何か言う前に、爆はビデオの巻き戻しの如く後退して扉を閉めた。

「どうしたでござるか?」

その傍から見れば奇妙な行動に、続いて入室しようとしていた楓が肩越しに青年の顔を覗きこむ。

だが、今の彼に答える余裕などあろう筈も無い。

何だアレは?
もしかしてアレが学園長か?
それとも、それに成り済ましているUМA?

何だあの頭は?
トウモロコシのDNAが入っているとしか思えない。

いや待て待て。

外見で人を判断するのはいけない。

そんなこと世界制覇をする男がする事では無い。

よく考えてみろ、自分がいた所にはもっと奇怪な生命体がいた筈だ。

今肩に乗っているピンク色の丸い物体もそうだ。
ピンクの祖母とて同じようなモノだったろう。

そう、彼はきっと人間だ。紛れも無い人間。


爆は思考の泥沼から強引に脱出すると、再度学園長室に足を踏み入れる。
そして、つかつかと老人の目の前まで行くと、爆はへの字に固く結んでいた口を解き放った。


「何星の人間だ?」


一瞬の沈黙があって、その言葉を鼓膜から脳に取り入れて、それでもしばらく唖然としていた、次の瞬間。


「わしは地球人じゃあああああッ!!」


活火山の如く激怒した。

それに対して爆が刻んだ表情は驚愕だった。
無論、怒りの勢いに対してでは無い。

「何っ? 楓、ここらへんの人間は年を取るとあんな頭の形状になるのか?」

「え?いや、その……」

突如話をふって来た爆に、楓は教師に難題の回答を求められた生徒の様に反応する。
それは実に曖昧な答えだったが、カウボーイハットの青年は満足そうに頷くと、再び老人を真顔で見据えて、

「だそうだ、観念しろ口の中にもう一つの頭を持つジジイ」

「わしはエイリアンかっ!! 大体何じゃお主いきなり入ってきて!!」

「ご老体、お、落ち着いて……」

「そうだぞジジイ。ただでさえ脆い血管が切れるぞ」

楓が咆える老人をなだめるその傍で、逆鱗をヤスリでがりがりと削る爆。


この後十数分、このある意味息のあったコンビネーションが続いたが、何とか(楓の独力によって)和解に成功した。


「はあっ……はあ……で、結局何なんじゃお主は……」

老人は息も絶え絶えに、しかし先刻よりは冷静に口火を切った。
それに爆は、およそ敬老精神が塵ほども感じ取れない口調で応じる。

「俺は爆。世界制覇をする男だ。そしてこの肩に乗っている生物が聖霊のジバクくんだ」

『ヂィッ!!』

独特の鳴き声を上げ、ジバク君が親指を立てた。
学園長はそれをさも珍奇そうに眺める。

「ふむ……見たことの無い生き物じゃのう……」

「いや、アンタも負けな……むぐ」

またしても余計な事を口走ろうとした爆の口をすっぽり覆ったのは、再び話しが拗れては敵わないと背後から回された楓の薄い掌だった。

「が、学園長殿、拙者が変わってお話を……」


「ふむ、それはまた奇妙な事じゃのう」

「何か心当たりは無いか?」

依然敬語では無いものの、爆は素直に学園長に訊ねた。
この部屋に到着するまでの道中、青年は自らに原因を探ってみたが、彼はただ平地をのんびりと歩いていただけなのだ。
事の発端となるような行動を起こした覚えは無い。

「あの世界樹の前に立っていたのか……」

老人の呟き声に含まれていた『世界樹』という単語に、爆は肩眉を軽く釣り上げた。

「(まさか……)」

自分とジバクくんが感じた、あの巨大な樹の不思議な力が関与しているのだろうか?

「やはり、お主はこの世界の人間じゃないのかも知れんな……」

思考中の爆を、学園長の推測が現実に引き戻す。

「何だと?」

「お主の言う事を信じるならば、そうとしか思えん。その聖霊も、聞いた事も見たこともないしな」

確かに、聖霊は知らない者などいない筈なのだ。
GCや、トラブルモンスターがいなくなった後の新しい世界でも、それは同じ筈。

つまりそれが意味するのが、今しがた学園長の唱えた異世界説なのだ。

「むう……信じ難いが、その線が一番正しそうだな」

爆がカウボーイハットの下額に皺を寄せるのに合わせて、肩のジバクくんも『ヂィ……』と何やら複雑な面持ちで鳴いた。

「これからどうする気じゃ?」

顎の前で手を組み合わせた学園長の問い掛けに応じたのは、不敵な微笑だ。

「決まっている、世界制覇だ」

例え異世界だろうが何だろうが、それだけはは譲れない。

これは幼い頃からの夢であり、同時にこれからも続く道なのだ。
多少曲がり道に入ってしまったが、それは望む所だ。

しかし。

「いや目標じゃなくて、これからどう生活するかとか、そう言う事なのじゃが……」

「あ」

己の間抜けさに身を凍らせる。

考えてみれば、それが一番の問題なのである。

この世界に爆の戸籍など存在する筈も無く、仕事をしようにも、怪しがって誰も雇ってはくれないだろう。
もっとも、性格に難ありの爆はそれ以前の問題だろうが。

「それに、住む場所とかも……」

「それなら心配ご無用」

学園長の言葉を遮って、爆の後ろに控えていた楓が口を開いたのはそんな時だ。

「どういうことだ?」

要領を得ない楓の言葉に爆は問い返した。
それに楓は再びふふふと奇妙な微笑を口元に刻むと、次の瞬間にはとんでも無い事を言ってのけた。

「拙者の部屋に住めばいいでござる。助けてもらった恩もあるでござるし」

爆は一瞬耳を疑うと、それが聞き間違い出ない事を確認する。
次いで、絶叫が狭く無い部屋を満たした。

「何だとぉーーー!!」

「し、しかし君には同室の子がいるはずでは……」

「まあ、何とかなるでござるよ。爆殿は、寝込みを襲うような輩ではござらんし」

その見立ての鋭さは、さすが忍者と評するべきだろうか。
爆は淡白な人間の模範とも言うべき男であり、オカマやホモに夜這いをされた事があってもした事は一度として無い。

「それに、仕事の方はここの警備員にでもなればいいでござる」

「ま、まあ君がいいんならいいんじゃが……」

「なら、決まりでござるな」

そう言った時には、楓の細腕は爆の腕に絡み付いており、その足は出口に向けて歩みを進めている。

「ちょっと待て、俺は野宿する! おーい!!」

爆の必死の抵抗も空しく、青年と少女は悪魔の口の如く開かれた扉の向こうの暗闇に消えていった。


ちなみにその頃、ツェルブワールド。

「はっ!爆くんが女に誑かされている気がする!!」

爆走しながら、雹の第六感がそれを告げた。

「うおおおおお! 何処の誰だか知らないがッ! 八つ裂きにしてくれるッ!!!」

目に見えぬ恋敵に憎悪を募らせながら、雹はさらに走行を速めた。


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