第五話



楓は風を捲いて疾駆していた。

寮で眠っていた所、駅の方から爆音が聞こえたのだ。

「爆殿の身に何か……」

短い付き合いだがその実力の程は知っているため、まさかとは思うが、万が一という事もある。

居ても立っても居られず、姉妹を起こさぬよう素早く忍者服に着替えると、窓から夜闇の中に身を投げたのだった。


しかし、そんな彼女の心配が杞憂と知れたのは、駅を眼下に置く低い階段の最上段に到着した時の事だった。


楓はそこで、思いもよらない光景を目にしたのだ。

「……何してるでござるか?」

そう呟かずにはいられなかった。


肩にジバクくんを乗せた爆が巨大なクレーターを背に、両手を腰に当てて仁王立ちをしている。

その前には、二人の少女がそれぞれの得物を横に、正座をして俯いている。
さながら、刑の執行を待つ罪人のように。


その二人とは、桜咲刹那と龍宮真名。


楓は彼らに近づくと、先程と同じ言葉を口にした。

「……何してるでござるか」

「おお、楓か。この馬鹿女どもがいきなり攻撃をしてきたものでな」

それに、楓は納得するものがあった。

「(また暴走したでござるな……)」

彼女は刹那に目をやると、胸中で呆れ返った。
おそらく爆の事を刹那の守る少女、近衛木乃香を狙う者と勘違いし、抹殺しようとしたのだろう。

隣の真名は、さしずめその手伝いを依頼されたと言った所か。

そして、見事に敗北したと。

「(あの爆音はジバクくんのものでござったか)」

しかし、ほとんど傷が無い所を見ると、爆は手加減したのであろうか。

「(やはり、爆殿はやさしいでござるな)」

人格破綻者で、人を人とも思わないような発言をするがその実、きっと誰よりも優しいのだ、彼は。

自分が気に入ったのも、その部分に違い無いと、楓は思った。


「――で、何で俺を襲ったんだ?」

爆が話を切り出した。
その声が何処か厳しいのは憤りの所為だろうか。
それとは対照的に、刹那と真名は小さく唇を震わせた。

「……その、勘違いで……」

「私は依頼されて……」

「勘違い?」

刹那が頷く。
途端に爆の表情は険を帯び、更に問い質す。

「何と?」

「その……木乃香お嬢さまを狙う者と……」

「何でそう思ったんだ」

「その、怪しいし、強い力を感じたから……」

「ほう……つまり、俺は何の根拠も無い理由で疑われ、その挙句殺されそうになった、と」

爆が妙に低い声音で話を要約すれば、その通りなのか二人は首を縦に振った。

青年の口はしばし閉じられ、訪れた嫌な沈黙の中で何事か考えているようだったが、やがて口を開く。


「……坊主頭と中国人カット、どっちがいい?」


髪が命の女性にとって、死刑にも近い罰を言い渡した。

ちなみに爆の言う中国人カットとは、丸刈りに三つ編みという珍妙な髪型である。

刹那と真名は、それぞれその髪型になった自分を思い浮かべて顔を青くすると、

「「ごめんなさいそれだけは許してください」」

二人揃って、深々と土下座した。
事前に打ち合わせをしていたとしても、ここまで息が合う事は無かっただろう。

しかし爆は許す様子も無く、肩のジバクくんも何処からか取り出したミニサイズの鋏をジャキンジャキンと鳴らしている。

「爆殿、そのくらいで許してもらえないでござろうか……」

さすがにまずいと思った楓は、爆の説得に当たった。

「何を言う。こいつらが女じゃなかったら打ち首のち切腹だ」

打ち首の時点で死んでいるではないか。
更に切腹する意味には理解が及ばないが、とにかくそれだけ爆の怒りが深いという事だ。

楓は再び説得を試みようとしたが、それを遮るかの様に爆は突然くるりと踵を返した。

「……しかしまあ、大切なものを守りたかったのなら、仕方ない、許してやるか……」

それが小声だったのは、もしかすれば照れていたのかも知れない。
階段を上り始めた青年に、楓はしばし呆然とそれを見送っていた。
しかしそれも数瞬の事、やがてふふっと微笑むと、その背中について行く。


翌日の昼頃。

爆は睡魔に意識を翻弄されながら、広場のベンチに死体の如く横たわっていた。

「ふぁああ……あの女どものせいで、余計に時間がかかってしまった」

無論女どもとは、刹那と真名の事を指す。
両手を後頭部に組んで、鬱屈を晴らすように大きな欠伸を一つ。

今日は見事な晴天で太陽の光が心地良く、それが爆の睡魔を活性化させていた。

「……眠いな」

腹の上に寝転がるジバクくんは、すでに眠りこけている。
それに触発されてか、爆の目蓋も次第に重みを増していった。


「「爆さーん!!」」


その時、聞き慣れた声が軽快な二つの足音とともに接近してきた。
そちらに眠たげな目を向けると、ぼんやりとした視界の中、風香と史伽が駆け寄って来るのが確認出来た。

「お前らか」

姉妹が真横に到達した時点で、爆は重たげに体を起こした。
乗っていたジバクくんが地面に落ちて、『ヂィ〜ヂィ〜!!』と不平を訴える。

「どうした?」

「今日はね、僕達がお弁当作ったの!」

風香が、元気良く右手に持っていた包みを爆に突き出した。
いつもは昼時になると楓が自作の弁当を届けに来るのだが、今日は珍しく鳴滝姉妹が作ったらしい。

「そういえば、何かごそごそやってたな」

普段、風香と史伽は爆が起こしている。
しかし、今朝は何故かそうするまでも無く二人は起床していて、台所で楓と一緒に何かやっているのを見かけていた。

「は、初めて作ったんですけど……」

爆が包みを広げるのを見守る史伽は不安げに口元に手を当ていて、何処か落ち着かない。

「どれどれ……うっ!」

蓋を開けて網膜に飛び込んできた光景に、爆は顔を引き攣らせた。

「これは、何だ?」

視線を弁当箱に注いだままの問い掛けに、風香は憎らしい程嬉々として説明を始めた。

「それが野菜炒めでーこっちが卵焼きでーこれがお握り!」

繊細な指があちこちを指差す。
爆は、緊張した面持ちでその満面の笑みと、弁当箱の内容を交互に見つめた。


野菜炒め。
確かに、野菜がこれ以上無いほど痛め付けられている。

一言で言えば、『ズタズタ』だ。


卵焼き。
もしかして、この四角いプリンが黒焦げになったような物体だろうか?

箸でつついて見ると、一瞬の硬い感触の後、ズブリと飲み込まれ、引き抜くと中から黄色い汁が溢れてきた。


お握り。
これは、何となく分かる。

だが、隅の方で固まり、お握りと言うより、海苔弁を乱暴に掻き混ぜたかのような、黒かったり白かったりの謎の物体だ。


「……ちょっと失敗したかな……」

はは、と風香が頭を掻き掻き苦笑いする。

史伽に至っては、影を背負って目を伏せてしまっている。

好き嫌いの無い、というより雑食のジバクくんでさえも顔が引き攣っている。

「……」

爆は無言で、弁当箱の中に広がる惨劇の園を注視していた。

おもむろに箸をつけ始めたのはその直後だった。

「「!!」」

二人の幼さが色濃く残る顔が戦慄と驚愕に染まった。

自分達で作っといて何だが、まさか本当に食べるとは予想していなかった。

もぐもぐと、爆は次々に弁当を口に放り込み、終始無表情で食べ終えると、

「……まずい」

歯に衣着せぬ感想を述べて、蓋を閉じた弁当箱を風香に突き返した。

爆は、向けられた好意を無碍に出来るほど、非情では無い。

それが、姉妹には堪らなく嬉しかった。

「「爆さん……」」

感極まって、風香と史伽は目尻から涙すら流し始める。
その時だった。

「あの、すみません」


二人の間を割って、黒髪の少女―――刹那が爆の前に現われた。


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