第四十六話



仮に地獄があるのなら、それは目前に広がるこの光景のことを指すのだろう。

青白く輝く水面と、そこから迫り出してくる異形の群れに、爆はそう思った。

百など当の昔に超えていた。

独眼の大鬼が、鈍色の甲冑に身を包んだ小鬼が、長刀を身に帯びた烏天狗が、それでも足りぬとその数を増大させ続けている。

げに恐ろしきは木乃香の魔力か。

それを源に召喚術を行使した千草は、夜の森を人知及ばぬ異界へと変貌させてしまっていた。
心弱き者ならば、蔓延する妖気に正気を失っているだろう。

無論爆はその例には当てはまらず、むしろ闘争心を募らせるばかりであったが。

「あんたらには、その鬼どもと遊んでてもらおか」

揶揄するように笑うと、千草は重力の縛鎖を断ち切るが如く夜空へと舞い上がった。
木乃香を抱えた猿鬼も、悪魔を従えた白髪の少年もそれに続く。

「まっ……待て!!」

後を追おうとする刹那の前に、異形の軍団が立ち塞がる。
呼び出された彼らは、忠実にも主の命に従っていた。

『悪いな嬢ちゃん達、呼ばれたからには手加減できんのや―――恨まんといてな』

鬼の一体の地響きにも似た声に、獣の唸り声のような笑声が重なる。
それが嘲笑であることは、この場の誰の耳にも明らかだった。

ここに第三者がいたのなら、この光景を猫に囲まれた鼠の図と評することだろう。

ただし、ただ嬲られ殺されるだけの鼠では、決して無く。

「―――上等だ。貴様ら残らず、地獄に叩き返してやる」

血の滴るような宣告と同時に、爆の背中から鋼色の閃光が放たれた。
鉄板をくり貫いて作ったかのようなぶ厚い大剣を右腕一本で支え、緩く湾曲した切っ先を鬼の軍勢へと向ける。

『……!!』

急速に膨れ上がる殺気。

もはや双方に言葉は要らず、異形達は各々得物を握り直した。
爆が大剣を正眼に構え、一歩前へ踏み出して、いよいよ戦端を開こうとした―――瞬間、地から舞い上がった陣風がそれを阻んだ。

「風花旋風風障壁!!」

ネギの生み出した竜巻は、正しく障壁となって風の無い中心部に立つ四人を守る。
更に巻き上がる川の水と風音で、中で何をしようと鬼達に気取られることは無い。

「……これは?」

どこか苛立たしげに、爆は風の壁を見遣った。

眉間に皺を寄せた姿は、御馳走を前にお預けをくらった犬にも似ている。
ただしそれは猛犬、手にした刃は今にも風障壁を断ち切らんとしている。

「落ち着いてください、爆さん! 何か作戦を立てないと!」

真正面に立って、彼を制止したのはネギだった。
少年の抗議に、青年は恥じるように喉の奥で唸る。

「む……」

言われて初めて、自分が冷静さを欠いていたことに気付いた。

らしくも無いと、爆は内心で舌打ちする。

心を乱せば、勝てる戦いにも勝てなくなるというのに―――千草の復讐を止められなかった、感傷だろうか。

何にせよ、今求められているのは木乃香を助け出す方法だけだ。

「すまん。少し、気が立っていたようだ」

浅く息を吐いて、心を落ち着かせる。
常に冷静であれ、と己に命じた。

「……事態は急を要する。あの鬼どもをいちいち相手にしている時間は無い」

爆は静かに口を開いた。

千草は、鬼達の召喚を『木乃香の力の一端』と言っていた。
百体を優に超えるこの数を、ほんの一端と。

ならば、彼女に眠る魔力を完全に開放したのなら、鬼達など全く比べ物にならない強大な怪物の召喚も可能なのではないか。

だとしたら、千草の自信も合点がいく。
彼女には、並の魔法使いなど一蹴する切り札があるのだ。

「じゃあどうすれば良いのよ? あいつら、頼んだって見逃してくれそうにないわよ」

アスナの疑問に爆は頷いた。

鬼達は、召喚主の命令を忠実に遂行することだろう。
戦って負ける気はしないが、木乃香の奪還が間に合わなければそれは勝利ではない。

可能ならば、千草とも白髪の少年とも戦う必要は無いのだ。
故に求められるのは、力よりも速度。

それらを踏まえて、爆は作戦を提示する。

「―――俺達が鬼達を引き付ける。その間にネギ、お前が杖で飛んで、木乃香を奪還しろ」

その、ネギにとっては非情とも言える内容に、その場の全員が言葉を失った。

奪還しろと彼は簡単に言うが、それを黙って見過ごすほど千草達も愚鈍ではあるまい。
成功したとしても、ネギが一身に受けることになる追撃の熾烈さは容易に想像することができた。

当然の如く、アスナが反論する。

「そんな、無茶な……っ」

「もちろん、無理にとは言わん。他にも何か道があるかもしれない」

そんな時間があればな、と爆は口には出さず胸中のみで続けた。

こうしている間にも、風の障壁の透明度は増し、それと反比例して風力は弱まっている。
見る限りでは、あと一分持続するかも怪しいところだ。

壁が消えれば、鬼達は怒涛の勢いで襲い掛かってくるだろう。
そうなれば、もはや作戦も何もあったものでは無い。

乱戦に持ち込まれ、全て打ち倒したとしてももう遅い。
その時には、千草の目的は果たされていることだろう。

テレポーテーションも、正確な位置が判明していなければ何処へ転移するか分かったものではない。
逆に時間の浪費となる可能性もある。

流石の爆の表情にも、危機感が過ぎった。


「……僕、やります」


その風音にも負けぬ力強い言葉は、他の誰でもないネギの発したものだった。

両手は、父から譲り受けた杖を握り締めて。
眼鏡の奥の瞳には、強き意思を光らせて。

ネギ・スプリングフィールドは決断した。

「少し……怖いですけど。でも、僕は僕にできることをしなきゃ、一生父さんに追いつけません」

誰も、何も言えなかった。
彼の示した勇気に、これ以上どんな言葉を付け足せば良いのだ?

爆は頷くと、少年に背を向けた。
左腕を前方に突き出す。

「ならば、道は俺が開こう」

瞬間、爆の左腕より長大な円筒が顕現する。
青年の肉体から派生している筈のそれは、金属の質感と質量を備えていた。

サイコバズーカ。

肉体を兵器と化すツェルブワールドの技。

「来い、ジバクくん」

爆に促され、ジバクくんはヂィッと頷いた。

肩からサイコバズーカの砲身を伝い、その丸い体を砲口へと押し込める。
狙いは、今まさに消え去ろうとしている風の障壁。

ネギは杖に跨り、刹那とアスナはそれぞれの武器を構える。
爆は、トリガーガードに指を差し入れ、引き金に触れた。

風の障壁が、消滅する。
居並ぶ鬼の軍勢が視界に入る。

「木乃香を頼んだぞ、ネギ」

かちりと微かな音を立てて、引き金が引かれた。
轟音が夜気を粉砕した時には、ジバクくんは砲口から射出されている。

ピンク色の砲弾が先頭の鬼と接触した瞬間、世界に昼が再来した。


―――ォオオオオオオオオッ!?


大地を抉る光の奔流に、射程距離内の鬼達は成す術も無く飲み込まれてゆく。
それは防御すら無意味な、正しく『暴力』。

爆の傍らを、一陣の風がすり抜けて行った。
振り返ることはせずに、ネギは夜が舞い戻りつつある空を一直線に駆け抜ける。

それを見送ると、爆は前方に視線を戻した。

そこには隕石孔が如き大穴と、生き残った大勢の異形達。
サイコバズーカを消した爆は、右手で握っていた大剣の柄に左手を加える。

ネギは勇気を示した。

ならば、自分は刃を持ってそれに報いよう。


「―――さて。俺は、俺にできることをするか」


大剣を振り上げ、爆は鬼達に向かって跳躍した。



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注)今まで使っていたパソコンの調子が悪いため、今回は別のパソコンを使って投稿させていただきます。


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