第五話〜異種〜

 

 突き上げていた握りこぶしを下げる。

だけど、まだ視線は上向きで、直に落胆の色と、しかめっ面を胸元から顔を出していたレッケルの前に晒し出さなくちゃいけなくなってしまったわよ。

 あ、レッケルの顔付きが慰撫しかんだ。蛇の慰撫しかむ表情って貴重よね。

 と、どうでもいいけど今日は厄日かもしれなくはない。特に厄日って言うほどの悪い事はなかったけど、こうしてあんまりにも何にも無いと何か一つの現象にその日一日分の厄とか、幸運とかが詰め込まれているような気がしてならない訳なのよ。

 で、なしてこんな顔をしているかって言うとですね。

 樹の上に人が居るんですよ。

 いや、木登りぐらいはする人も居るかもしれないけど、遠目で見てもちっさいし、しかも二人居て片方が落下寸前と来たなら、見てしまった以上何もしないわけには行かないって事よね。

 もっかいだけ視線を上に。あーありゃ落ちるわね。この高さなら間もなく痛覚半分無我半分でぽっくりあの世逝きって感じには丁度善い具合に逝けますねー。

 根元に落ちれば土の肥やしにいいかもしれんけど、残念無念、助けないと言う選択肢は、そもそも私の脳内にはこれっぽっちも存在しておりません。さぁって、さっさと助け出しますか。

 

「レッケル、貴女は下で待機していて。ほっと」

 

 返答を待つでもなく樹に足をかけていく。ごめんね巨木、暫く足場にするわ。

 断りはいれて、微妙なでこぼこを駆け上がるように昇っていく。気分は高みを目指す山人みたい。もしくは大安売りの現場へ急いで高みを目指す主婦の気分。

 半分前者で、真実は後者。あんまりにも緊張感ってものが欠けているものだから、急いでいいんだか遅れて落ちるのを見届けてあげればいいのかが解らない。尤も、速めに着くに越したことはないんだけど。

 スルスルと樹を登っていくけど、実際私は体力がそんなにある訳でもない。

 では何ゆえこうやって上り詰めていく事が出来るのかといいますと、そりゃ幼い頃からの教訓。

 ガキんちょもガキんちょだった頃、私やネギや近所の子供達はバカみたいに外で大遊びしていたものだ。

 女の子も男の子も関係なし。とにかくはっちゃく様に草原を突っ走って、遊ぶものなんて何にも無いもんだから、木登りはするわ川に潜って魚は取るわ。

 まさかその時の教訓がこうして活かせる様になるなんて、いや、幼い頃は色んな事をやっておくに限るわね。

 …一つ不安なのは、魚とりに川にも潜った記憶はあるけど、どーも服を着ていた記憶がない。まぁ、それはとりあえず保留と言う事で。

 

「ちょっとー大丈夫―」

 

 十数メートル付近まで近づいたところで、漸く声をかける。気付いたのは髪の毛をシニヨンに纏めた私よりも一回り小さな女の子だ。

 目に涙なんて浮かべちゃってまぁ。こんな事になるなら始めから昇らなきゃ良かったんですー、って気分丸出しの表情だわ、アレ。

 振り向いたそのシニヨンヘアーの女の子が見つめていた先には、今回私が出撃する要因となってしまった短めの二房を結った気の強そうな、でも、シニヨンの子と変わらない体格、外見の女の子。

 それだけで双子だって解るけど、ここまで似ている双子って言うのは始めてみたかもしれないわね。一卵性双生児ってヤツかしら。

 

「もっかい聞くけど、おーい。だーいーじょーうーぶー!!」

「ふぇ〜〜ん。お姉ちゃんが落ちちゃうです〜〜〜!!」

「まだ落ちてないって!! て言うか助けて〜〜〜〜!!」

 

 リアクションのタイミングばっちり。ありゃ双子で決まりだわね。しかも性格だってしっかり捉えられましたよ。

 シニヨンヘアーの子が大人しめで泣き虫さん。で、二房持ちのややツリ目の子が気が強くて怖いもの知らず、と。

 近づきながらとは言えこの距離で双子の外見的特徴並びに内面的特徴を捉えきれる私ってやっぱすごい、と自画自賛する暇もなく詰め寄る。

 ツリ目の子はホントに危ないのだもの。辛うじて枝に引っ掛かっているって言う表現が一番しっくり来るかな。

 シニヨンヘアーの子じゃ引き上げられないし、位置的にも一番拙い体勢なのだ。ありゃ体揺すっただけで落ちるかもしれないわね。

 とまあ冷静に観察している場合じゃない。素早く距離を詰めてツリ目の女の子の処まで手を伸ばす。

 伸ばすけれど、悲しいかな。私もそんなに背が大きいわけじゃないから、と言うか小さい、うん、そうですよ、私小さいのよ。―――兎も角手が届きません。

 

「どっしよっか…」

「お姉ちゃんっ!! あいとあいとー!!」

「応援してないで引き上げる方法とか考えなよっ!! あわわ…」

 

 言わんこっちゃない。なまじ気が強い分、余計な事を言うと大暴れするタイプみたいで、僅かながらもずりずりっと枝から落ちていってしまう。

 残念ながら私は落ち着かせる抱負とかを良くは知らないし、何しろこの子達とは初対面もいいところ、あ、初対面だわ。

 そんな初対面の子達に下手なこと言っちゃあ余計な不安感とか不信感とかを与えざるえないかもしれないので、とりあえず黙って助け出す方法を考え出す。

 まず魔法は論外。使えば簡単だろうけど、幾らなんでも近すぎだし、一般人に魔法を見せるのは好ましくはありません。

 落ちてしまったらもう言い訳は利かないけど、それでも魔法以外で助けられる方法があるんなら、まずはそっちを優先するって言うのが一般人との正しいお付き合いなのだ。

 いきなり魔法で何とかしようと思うなって言うの。ここは魔法界じゃないのだから、魔法以外って言うのが常道なのだ。魔法使いは影からこっそり、けど助ける時は一般人と同じように。

 さて、いつまでも思考ばかりはしていられない。

 思考している間もシニヨンの子と二房の子の言い争いならぬ言い仲良さを見せ付けられていますが、それにほんわかしている場合じゃないのは重々承知の上なのだ。

 とりあえず、救出方法は三つほどあるけど、問題は私の傍らのこの子が承知してくれるか否かだけど、まぁ、この際考えてもいられない。とりあえず両手をシニヨンの女の子の腰へ。

 

「ひゃうぅ!?」

 

 うーんウェストは細め、羨ましいことこの上ない体型ですよ、この子。

 そのまま持ち上げるようにぐわしと腰を掴んで持ち上げる。ひーひー言っているのはとりあえず無視。

 押し問答とかはやっている暇はないので、ここからは独断専行させていただこう。

 体重は私より軽い。つまり天秤に載せれば私大なりシニヨンの子小なり。がくんと傾きますわよみたいな状況が頭の中で完成する。うん、悔しいけどそれなら平気だ。

偶然肩からかけていたナップザックからベルトを二本引っ張り出す。

コレだけじゃ二房の子の処までは届かないので、まず一本目をシニヨンの子の腰へぐるりと一巻き。手際よく巻いていく。

反論反攻は後で聞くので、とりあえず今言っている言葉の殆どは無視させていただきます。

で、二本目を巻いた一本目とジョイント。見事カウボーイが使うような輪っか付きベルトの完成なのです。

強度バッチリ、そもそもベルト自体が魔力をよく通せる素材で出来ていて、私が手に取った時点で強化は完了しているようなものだ。

大の大人五十人対五十人で左右から引っ張ったって切れない優れモノ。持ってて良かった師の譲り物。

 

「あ、あのー」

 

 不安な声も今は聞けない。悲しいけど、コレ現実の厳しさなのよね。

 

「と言う事で。行ってらっしゃーいっ」

「ふわわわぁ〜〜ん!!」

 

 コツンとシニヨンの子の背中を押すタイミングを合わせて私も逆方向へ全体重をかける。

 太いとは言えど、狭い枝の上で踏ん張ることは出来ないし、仮令踏ん張れてもあの子と二房の子を引き上げる事は出来ないだけど、全体重をかければ二人分ぐらいの体重は私一人でも支えきれる。

 何とか私でも持ち上げられるぐらいの体重だもの。悔しいけど、私の方が重いわけだし、軽い子の方が効率よくも動ける。

 突き落とす形になってしまったけど、悪く思わないで貰いたいわね。最善方法がコレしかなかったのよ、それにこれ以上思案を巡らせる訳にもいかなかったし。ホロリ。

 

「ちょっとー!! 史伽になんて事するんだよー!!」

 

 怒鳴り散らしている場合じゃないのだ。早くしてくれないと、はっきり言って逆方向に体重をかけているわけだから、私も間違えがあったら落ちるし、この高さなら間違えなく天に召されてしまう。

 そんなのは厭だから、早く二房の子を上げて欲しいんだけど――――泣き出しそうな、いや、あれは泣いているわね。泣いているシニヨンの子――史伽ちゃんって言うのかしらね。に、声をかける。

 泣いている場合じゃないのよ。泣いて状況を解決できるなら何度だって私も泣くって言うの。泣いてどうしようもないのなら貴女がどうにかするしかない筈。だから、言う言葉なんて一言で通じるのだ。

 

「貴女がお姉ちゃんを助けなさい」

 

 その一言で十分。シニヨンの女の子の表情に決意が固まったっぽい。と言うかこの状況で決意してくんなきゃ、全体重をかけて支えている私の面目丸つぶれ。

 頑張れ少女たち、私は頑張っている人たちを応援します。と、力を緩めずベルトを握り締める。

 もうすぐこのベルトにかかる重量が二倍二倍だ。そうなったら、ホントに体をぶら下がるような形になってでも二人を支えなくっちゃいけなくなる。もうちょい良い方法が思い浮かばなかったのか、まったく、私もまだまだ冷静じゃないわね。

 と、ベルトの先が僅かに重くなる。きっとやや視点を下げて見ればシニヨンの子があぶあぶしながらもなんとか二房持ちの子に手を差し出している姿があった。

 と、なると重量が二倍二倍になるまではそんなに時間もないでしょうね。手に巻きつけていたベルトをより強く握って、さらに後方へ。太くも、踏ん張るような場所にはならない枝だから、体重を落下する寸前くらいまで体を傾けてかける。

 怖いもんは怖いけど、仕方ないじゃないの、この状況下じゃ。愚痴るのは無しだ。自分で選択した救出方法である以上、ミスなんて許されない。

 と、突然ベルトの先に体を引っ張られかける。これは正直拙いかもとは思うも、ベルトを離すような真似だけは全力で回避すべく、本当に体重がなくなったら下へ落下していくんじゃないのかってぐらいまで体を反る。

 もぉ殆ど二人を引き上げようとしているようなものだ。軽いとは言え双子の片割れの重みがプラスされれば、そりゃ重量はすんごい事になってます。ベルトは肉に食い込むし、痛いは手は何だかピリピリしてるわで、もぉ最悪。

 兎も角早く上がってくれなくちゃ、私もやばいんだけど――――

 

「お、お姉ちゃん〜早く上がってです〜〜」

「待ってよ史伽っ…っと、よしっ! 次は史伽を引き上げるからねっ! 手伝うよ!」

 

 体重が軽くなる。二房持ちの子が何とか這い上がって、私の握っていたベルトに手を添える。添えるんだけど、出来るなら添えるだけにして欲しかった。

 うん。その気持ちだけ受け取っておくわねーって始めの内に言えばよかったかもしれない、あ、言ってもこの状況下じゃ受け入れてもらえないね。

 だってこの子は妹さん助けようとしてるんだから、見ず知らずの私でも協力して助けようとするのが当然の行為でしょ。だーけど今の状況下では私の握っていたベルトに手を添えるのは厳禁なのだ。

 だって忘れてない。私、後ろに全体重かけて二人分の体重を支えていたんだから、つまりまだ体重は後方へかかっているわけで、そこに後方へ引く力が加わりますと――――

 

「いっくよぉ〜〜〜!! それぇ!!」

 

 あ、やっちゃった。

 二房持ちの子の力がかかる。

 体がふわりと浮く感触。

 後方にかけられていた体重が最大となって、私の体が宙へ行く、てか落ちる。

 まぁそりゃ落ちるわよね、二人助けようって後方へ体重かけていたんだから、そこに後方へ引く力が加われば落ちるのは当然だわね。

 でも、このまま落ちるわけにはいかない。だってベルト握ってるし、このままじゃシニヨンの子まで巻き込んで落下運動へ突入だ。

 そんな事は避けなくちゃならないからって、シニヨンの子が枝にしがみついたのを見届けて手を離す私のお人好しさも呆れもの。

 一瞬の無重力化に居る。見上げた先は、なんか涙目になっている双子。

 泣かせちゃったかもしれないけど、はっきり言って泣くような事じゃないでしょ。私は死ぬ気なんてはこれっぽっち、人差し指と親指の間に隙間が開かないぐらいのつもりで無いのだ。

 十分助かるつもりだし、きっと打撲にはなるだろうけど、骨折粉砕まではいかない筈。

 でもまぁ、こういった落下経験って言うのは滅多に味わえないものだから役得か厄得のどちらかで捉えて、受け入れる事にしましょうか。

 幸い落下しているって言うのに、速度は殆ど感じない。平行して、巨木の幹が天へ伸びていくような錯視。

 不思議と穏やかなのは、こういう存在の傍らだからなのかもしれない。

 天へ向かって伸びる巨木。真っ直ぐな在り方と、ありのままの在り方。私達とは違うあり方で、それを四十億年も前から変わらず繰り返し続けていた一つの存在。

 水の底へ落ちていくような錯覚。酷く、時間の流れが穏怠に感じるけど、錯覚だし、人間の感覚なんてあんまり頼りにはならないから深く考えるのはやめる事にした。

 そうなると着地の事も考えるのがまどろっこしくなって、でもとりあえずレッケルにテレパティアだけ送って水膜で落下衝撃を和らげるようにってだけ通達して思考を切る。

 でも、この樹の根元で朽ち果てるのなら実はあんまり苦はないかもしれないとか思っているわけですよ、柄にもなく。

 生き物は何時か死ぬし、死ねば土に返って新しい命の肥やしとなる定めで生きている。

 それがこの世の慣わしで、この世がこの世としてちゃんと動いているって言う重要な証なの。

 師は何度だって教えてくれた。生き物の命は平等で、優れたもの劣っているものの差など何処にもない、と。

 耳が腐るんじゃないかってぐらい何度も何度も、お父さんみたいなしつこさで何度も呟きのように繰り返していた。

 でもまぁ、実際それは当たっているのじゃないかとは修行を頑張りつつもしっかり考えてはいたのよね、私も。

 差って言うのをつけるのは人間だけ、他の生き物はどんな生き物だって差なんてない。

 劣っているものと、優れているものの差なんて言うものは人間以外、いや、人間を除く全ての生き物の決まりごと。

 誰かが何かに劣っているのをバカにするとか貶したりとか、誰かが何かに秀でているのを褒めちぎったり嫉妬したりとか。そんなのは人だけの感情。

 他の生き物はそんな事さえ考えない。何かを考えているかもしれないけど、どー頑張っても想像できない、彼らが何かを思考して行動すると言うソレが想定できない。

 考える事じゃない。どれだけ考えようが、私達じゃ絶対に答えはでない。

 ただ一つだけ解るのは、と言うか、一つだけ人間も、他の動物も共通する事がある。

 それは、誕まれて生きて死んでいくと言うこの世をこの世として成り立たせる摂理の輪だ。

 回り回り続けているから今の私達があるわけだし、不老不死を語っても何時の日かは必ずその日は訪れる。避け様のない事実だけど、まっしょうがないわよね。そう誕まれてきてるんだし。

 だから、実はここで死ぬ事にあんまり理不尽さは感じてない。

 こんなんで死んだりするのに理不尽を感じていたら、今頃この世は理不尽だらけでどーしようもない、それを理不尽だとは解らず、解らないけどなおも生き続けていくもの達が居るからこそ、この世はこーやってくるっと回っているわけだし、私達が理不尽だと嘆けるのも、理不尽に嘆かない生きモノ達が居るから、嘆きや悲しみを紡げるワケ。

 欠けている部分を拾い集めてこねくり回して誕まれたのが人間じゃないかなって思う。

 あ、そー考えれば他の生き物から劣っているのも重々承知だわね。他の生き物からのこぼれものの取り繕いなんだし。つなぎ合わせの人形みたい、とほんの僅かに自嘲する。

 さてさて、何時までも感慨には浸っても居られないからそろそろ助かる準備でもしましょうかな。

 思う事は思ったけれど、こんな所で朽ち果てているようじゃ、自分の夢も見れないって言うの。夢見た夢を見続けていられるようにってマギステルになったようなものなんだから、根性出して全力で助かんなきゃ嘘になっちゃう。

 

「―――レッケル、水膜多重展開用意」

『はいですです〜〜DasWasserSchuetzenafueinandar〜〜』

 

 ぱしゃん、と背中に水がはじけるような干渉を断続的に感じ取る。

 水膜が、私の落下速度を緩和していってくれているのだ。

 断続的に続いているのはばれない為の処置。一気に大規模な水膜なんて言うのを展開しようものなら一体何事かーって皆様にばれてしまう。

 それを防ぐにはちょーど私の体で隠れる程の大きさの水膜を断続的にはっていく方が効果はあるのだ。

 流石に一気に衝撃なんかをゼロにする事は出来ないけれど、それでも、こういった場所での効果は絶大。レッケルの手腕に乾杯。

 やや落下速度が緩くなる。上から覗き込んでいた双子の顔はもうあんまり良くは見えないけど、泣かしちゃったからにはちゃーんと謝んなきゃ後味とかも悪いし、何しろシニヨンの子は、問答無用で突き落とすような真似をしちゃったんだからしっかり謝んなきゃね。うん。

 いや、私の行き当たりばったりの行動もココまで来ると大したもんだと自画自賛しちゃえる。流石は私。未来の優秀マギステルはやる事が違うわ。

 

『あ』

 

 脳内にレッケルの短い声調が響いた。しかもいやな予感を髣髴とさせてくれる噂の一言。

 あ、って何よ。あ、って。

 ホントにその一言は魔法の言葉だ。事実も何も語っちゃいないって言うのにそれだけで大抵の人は厭な予感だと言う事を想定できてしまうのだから。ああ、人の身とこの理解力が妬ましいわ。

 落下してから既に何秒、いや、実際一秒にも満たない時間で巨木の二分の一程度は過ぎたから、きっともうすぐ一秒になる筈。

 そろそろ落下速度はかなり弱く、下に人が居たとしても――――

 しまった、良くない事を考えてしまった。こういうときは大抵当たるのが常道。厭な予感がするわーとかサスペンスドラマで主役が言うと人が死ぬのよね。すごいわよね。

 で、だ。今の私の発言も、例に外れずこんな状況を悪化させてくれるいやーな予感なわけ―――――

 

「ふぎゅっ!!」

「あいたぁ!!」

 

 ゴール。

 

 

 

 

「あー……どうもスミマセンデシタ」

「まったく…助かったから良かったものの、一歩間違えれば大惨事でしたのよ?」

 

 浮かない顔で金髪のおねーさんの顔に絆創膏、あるいはバンドエイドをはっつけいていくのは私で、その後ろで双子はしゅんと縮こまってしまっている。

 幸い私はセーフティ、レッケルの水膜のおかげもありまして落下した時の衝撃といえばせいぜい跳び箱20段位から飛び降りた程度の衝撃で済んだ。

 問題はですね、私はそれでも良かったけれど、下に人が駆けつけていたと言う事で、しかもその人が双子のクラスメイトの委員長さんだったと言うから二重の不幸。

 私は已む無く、委員長さんによる双子の事情徴収じみたお説教に付き合わされる破目と相成っているわけね。

 で、だ。当の本人たちは浮かない顔。いやいや、浮かなさそうなのは史伽と呼ばれていたシニヨンの子の方であって、ややツリ目の二房持ちの子の方はどーみても反省の色が無い。

 冷や汗とかは流しているっぽいけど、あれは“もうなれたー”って感じの表情だわね。どことなーく視線を逸らしている辺りがまたバレバレ。

 また、委員長さんの手際のよさから見ても、恐らくはこの双子が問題を起こすと言うのはあんまり珍しい事態ではない様ね。

 ともかく、一先ずお話に付き合ってあわなくちゃいけない。

 状況を詳しく知りたがるのは委員長さん属性を持つ人の定めの様に取り決められていることかもね。

 こーやって双子を叱る委員長さんの姿はまさしく保護者。って言うかもぉ殆どお母さんの類だわ、アレ。あんなにハチャメチャしたクラスメイトが居るって言うのは大変ね。

 ……アレちょっと待って。あの委員長さんと双子はクラスメイトだって知ったわよね。何かがおかしい気がする。何かが。

 あ、そっか、双子が私よりも年上なんだって言う事に驚いているんだ。いやいや、人は見かけに寄らないとはまさにこの事。背の大きさや口調で人は判断しちゃいけないっていう良い教訓だわ。

 

「ほらっ! お二人とも助けてくれたこの子にお礼を申し上げてっ」

「はうぅ…有難う御座いますですー…」

「うーありがとぉー……」

 

 なんだか双子のお姉ちゃんの方めっちゃ不満そうなんですけれど。

 まぁでも、素直に謝る事が出来るのは改善の傾向もあるし、何よりも捻くれ者の宿命だ。

 私にもああいった不満さは何時だってあった。自分は悪い事した訳でもないのに謝らされて、どーして謝らなきゃなんないのかが何時だって不満で不満で堪らなかった。

 あの子も様はそう言う事。まだ自分の行動に自覚とかが持ててないってトコかしらね。

 かく言うそんなあの子に謝罪を要求して達成しきる委員長さんの手腕も見事なもんね。委員長さんみたいな気質の人と二房持ちの子みたいな気質の持ち主は基本的に気質が合わないって言うのが基本だと思っていたけれど、どうやら考えを改めなくちゃいけないようだわね、コレは。

 って、まさかとは思うけど、精神的な年齢差とかが関係しているわけじゃないでしょうね、ホントにまさか。

 

「あー、えっと。いいのよ別に。私だって結構酷い事しちゃったし」

 

 ちゃんと頭を下げられた以上、私も頭を下げないのは失礼にあたる。しっかり提げて、はい、両成敗。

 双子の不注意も今回の結果へ繋がってしまったけれど、私の軽率さも今回の件へ繋がったのは隠しようもない事実な訳だ。

 間違った行動をしっかり間違っていると自分で認める事が出来るようになら、私もあの子もきっと大丈夫。いつかは良い大人になっていける。

 

「あ、あのっ、でもいいんちょさんっ、どうして私達が世界樹に居るって…??」

「偶然近くを通りかかってみれば見知った声がしたものですから…厭な予感がして見に来て見ればこれですもの…もうっ、これからは本当に重々承知とは思いますけどこの様な行動は取らないように! お二人とも解りましたわね!?」

 

 はぁーいと言う声。あーありゃダメだわ委員長さん。二人とも反省はしているけど教訓にはしていない。

 つまりだ、双子は悪い事をしてしまった時はちゃんと悪い事をしてしまったって謝れる非常に人格的な面も取り揃えているけど、その悪い事を自覚するには第三者が居なくちゃいけないって言う事。

 それは悪い事だから、しちゃいけないよーって言える人、つまりは、委員長さんみたいな人が常に傍に居なくちゃいけないって事なんだけど、ありゃダメだね。近いウチに必ずまた何かやらかすわ。

 ご愁傷様と小さく、大きな背中の委員長さんに合掌を送る。

 同時に仕事人である彼女が頑張っていけますようにと言う願と、小さなおまじないをささやかだけど、プレゼントに。

 夕日が沈む。

 もう間もなく夜の帳は落ちるけれども、まぁその前に結構楽しめたんだから日本初宿泊は良い夢が見れそうな事に、双子と委員長さんに感謝を笑顔と言う名でお礼を言わせてもらった――――

 

 ―――――――

 

「晩ご飯も食べましたし、もぉ寝るだけねー」

「ふみゅみゅ…おにく…」

 

 haltenSiedenMund(お黙り)と一息でレッケルの案を切り捨て御免。

 はっきり言って手持ちの資金でやりくりするには一日は私の案で過ごしていかなくちゃいけない。

 中間報告者としてこっちには渡ってきたけれど、その実、私の役柄はマギステル修行者ではなくて、一マギステルとしてこっちに渡ってきているの。

 つまり、一マギステルとして、滞在中の資金振りや居住区の取り決め、そのたもろもろの殆どは私自身が何とかしなくちゃいけないわけ。

 一人前のマギステルになるためには当然の事なんだけど、どーにもレッケルは納得がいかないらしい。だってこの子、元々肉食だし。

 が、それを一々受け入れていては一週間も経たずに手持ちの資金が尽きてしまう。

 色々やりくりするにはきちんと切り離すものは切り離すように考えなくちゃいけないのだ。人間は諦めの時期も大事、何ごとも徹底的にやりゃいいってものじゃないわけよね。

 そーゆーことで、本日のディナーは海草サラダ弱冠とライスを大盛。

 あとは明日の朝ごはんを作る為の材料の買い込み。毎日外食は出来ないから、少しぐらいは自分で作らなくちゃいけないのだ。ちなみに明日の朝ごはんは卵かけご飯なので1パック105円の卵を買いました、まる。

 

「アーニャさんは冷酷ですです。卵を食べるなんて卵を産んで子供を育てる蛇の私に対する挑戦、いえいえ、あてつけですです。断固としてお肉を要求するですです。お肉のたんぱく質はアーニャさんのお胸にとっても、はみゅ」

 

 デコピン一発で勘弁してあげる事にする。

 レッケルだって解っているのに、どうしてもこの子は肉類には目がない、と言うか肉類しか食べない。

 そう言う時は無理やりにでも口の中へ野菜類をほおりこむ私、フォークでぐいぐい。野菜系は食べないと栄養に偏るって言うのに、まったく。あと、胸は関係ない、胸は。

 手早く食事を済ませ、巨木の根元へと歩く。

 夜のこの辺りは至極真っ暗。近所に人の済む気配は十分あるって言うのに、何故か巨木の周辺は完全な静寂に包まれていると言っても過言じゃない。

 事実として、私のテントを張っている周辺に明かりはあれど声や音なんかはまったくと言っていいほどになーんにも聞こえない。

 まるで虚街。気配だけが息づく、姿のない影絵の街。

 でも、それはそれで実際は有難いのですよ。

 夜は静かだろうし、一目を気にする必要もないわけだから私だって結構好き勝手する事が出来るだろうしね。

 正直サバイバル生活をしている場面を人に見られるのは好きじゃないし、と言うか一般生活しているところを誰かに見られて気分が良いわけないじゃないの。

 そういう事で、私としては有難いことこの上ないわけね。それに夜な夜なおかしな呪文とか唱えている場面とか見られなくて済むし、いや、そんな事はしないけどね。

 足元を照らすのはいつの間にか街灯から月の光と星の光に変わっている。幸い寒いことはないし、夜目も大分利いてきてきたから恐ろしい事はなーんにもない。

 幽霊とか妖怪とか夜の闇に怖がっているようじゃマギステルって言うのは勤まらないわけですよ。

 ネギは幽霊とか昔は苦手だった見たいだけど、今はどうなのかしらね。あ、日本の幽霊はドイツのバンシーとかとは違うから驚く部類が違うわね。うん。

 日本の幽霊はあれだ、恨み嫉みで帰ってくる事が多いって聞いてる。

 だってホラ、うらめしやーとか言っているでしょ。そりゃ要するに恨みだ。人に対する恨み。他者に対しての嫉みとかで、日本の幽霊は成り立っているって聞いた、確証は持てないけれど確かね。

 でもまぁドイツとかロンドンで聞いた幽霊話は違う。

 あの人たちは後悔でこっち側に残っているんだって言うのだ。その後悔が恨みか嫉みかは解らないけれど、果たされれば消えるって言うんなら果たさせてやれって言うのが向こうの考え方。

 他力成仏じゃなくて自力成仏。成仏するより成仏させろ。他力本願はダメダメと言う、死んだ後も厳しい対応なのよ。

 でもそれもやっぱり人間に対する事ばかりなのよね。

 人間以外に恨みを持つ幽霊とかって言うのは殆ど居ない、と言うか、そーゆーのを近く出来るのは基本的に人間だけだから幽霊とかそう言うのは人間としかコンタクトできないのよね。

 猫や犬が幽霊を見ているって話はよく聞くけど、あれは幽霊を見ているわけじゃないらしいの。

 つまりは空気の濃い場所、幽霊とかって言う薄いながらも存在している為に空気の濃度が弱冠異なる場所を本質的に悟って、その空気の悪さを何とかしようとすると言うのだ。

 要はね、環境に悪いから何とかしようっていうのが、犬とか猫とかが幽霊をなんとなーく感じ取っているって言う事なのよね。なまじ自然界に敏感な分、遺物への反応は鋭いって事。

 実際動物霊が人に悪さを引き起こすって言うけど、じゃあ聞きますけどね、あんたらは動物が何考えているのか解っているかって話しになるのよ。

 そりゃ無理に決まってる。人間と言う生き物にとって、人間以外の生き物は不理解不可解の領域に住む方々だもの。

 そんなの理解できる方がおかしい。理解できる人が居たら、その人はもう人じゃない。

 それは完全な自然界よりの存在。所謂処の神様とか、そっち方面の存在と言う事になってしまう。ホラ、それじゃあ流石にもぉ手の出しようなんてない。

 彼らは彼らで、私達は私達と言う事だけだ。それ以外には、特に変わるようなものは何もない。何者にも左右されないって言うのが一番良い。自分を貫くのは大変だけれど、それが出来れば、それは―――

 

「あーそれってすっごい気持ち良いかも」

 

 きっとそうでしょうね。自分で決めて自分で頑張って自分で成し遂げていくって言うのはきっと気持ち良い事だと思う。

 難しい事かも、容易くはない事かもしれないけれど成し遂げた時の達成感は一入ってヤツかな。

 苦痛とかが深ければ深いほどに、頑張ったものって言うのは成し遂げた時の感慨は良いものになるのだ。

 勿論、これは人間的な思考だから自然界的な方々にはまったく通じない。だって自然界って言うのはそういったものは持ってない。

 一切合切全てが色即是空。不変でありながら変わっていくと言う絶対的な摂理の元に生きているのが、自然界に生きる動物たちなの。

 それに比べりゃ、私達って言うのは至極俗っぽい生き物だ。

 人の都合に合わせて生き方だって変えなくちゃいけないし、時には欲しくもないものを欲しがり、要らないものさえ拾おうとする。

 うーん、そう考えると人間の進化って言うのは本当は退化なのかもしれない。知識と言う名の進化は、肉体の退化に繋がるって事なのかもしれないわね。

 まっ、それを私が考えたところでどうしょもない。

 億年以上昔から繰り返されてきた輪廻の輪にメスを入れる気なんてないし、今更私一人考えたところで劇的な変化が生まれるような境遇でもないの。

 今重要なのは、幼馴染みが無事にマギステルになれるかどうかってところ。それ以外の事に思考回路を割いていると、本職にも支障が出てしまうってものだ。

 だから自分勝手な想像思考はここでお仕舞い。今は明日の為の今日する事をちゃんとやるって言うのが、一番大事なのだ。

 

「さてとーそれじゃあ明日の為に、今日やっておかなくちゃいけない事でもしておこっと」

 

 買い物袋を下してテントの中へ。

 冷凍のものは買ってきていないけれどなまものがちょっと多いから大半はアイスボックスの中だ。

 アイスボックスって言っても、容量はそんなんでもないから買ってきたものは片っ端から平らげていかなくちゃいけないのがちとお腹に堪えるかも。

 それはさておいて、折りたたみの机の前に座って羊皮紙を広げてペンを滑らす。

 本日の査定結果の報告書作成。ネギは順調に修行進行中、教師としての仕事にも遣り甲斐を感じているようで、マギステルへの過程は順調にこなしているようである。

 なんて、心にもない事を書く。

 正直に言っちゃうけど、ネギがアレでマギステルになれるかといえば、あれは無理としか言い様がない。

 まず、ネギはマギステルがなんであるかを良く判ってない。

 それは初めの頃の私と同じようなものなんだけど、それでも、決定的に間違えている事がある。

 それは何を隠そう修行方法だ。先生って何よ。先生って。隠蔽すべき魔法使いなのに教えを説く教師。まったく相反するって言うのに、本当に。

 テントから顔を出して息を吐いた。

 正面にはまったくもって何にもなくて、暗い林とか遠い街並の光とかしか見えてない。そんなんだから見上げた先の星が綺麗だった。

 なんだか考えるのも煩わしくなるような綺麗な空。

 星の輝きも私達の考えや感情とかとは無縁の存在。絶対に届く事のない、憧れのような存在にしか見えない。

 星に手が届くようにと言うけど、私達は人間だもの。星の手が届くより先に酸欠になるのがオチ。目指すなら地平線の向こう側でしょう。辿り着いても、地平線って言うのはどこまでも続いているんだから。

 

「…アーニャさん?」

「ん。キレーな星よねぇ、レッケル」

 

 星は綺麗なままが一番だ。人間が近づいて汚していい光じゃない。憧れは憧れのままで、私達は辿り着けない地平線を追いかけ続けているのがお似合いなのだ。

 で、だ。柄にもない事をいろいろ考えたり思ったりして、はてはて自分はこんなに俗学的だったかなって思いつつ視線を正面に戻したところで――――ソレがあった。

 

「は?」

 

 もぉ訳がわからない。

 だって唐突過ぎる。

 いや、唐突どころの騒ぎじゃもう済まない。

 だって突然すぎる。本当に突然。前振りなんて何にもない、いや、それどころか気配だってなかった筈。と言うかそもそも、ソコには何もなかったんじゃ――――

 近づくべきじゃないって言うのは判っていたけれど、どうしても抑制が利かないのが私の悪い癖。

 興味を持ったものは、レッケルの静止も聞こえないぐらいにのめり込んで、徹底的に調べつくすまでは勘弁が利かないって言うのは後々の為にも直さなくちゃいけない短所だとは思うんだけど、ちょっとどうしようもないかもね。

 

「アーニャさぁんっ」

 

 しゅるしゅるっとレッケルが私の胸元から顔をひょこっと出したのが、ちょーどソレの目前に経った時だった。

 もう余計な文体とか装飾とかはなしにして、一言で説明しようと思う。

 と言うか、他に何を脚色して良いのかが見当たらない。

 言います。それは四角錐だった。

 黒い金属光沢を放つ異質な四角錐。二メートルちょっとと言ったところの、簡単なそれだけの物体。

 エジプト辺りのピラミッドを想像させるけど、それよりもっと鋭利で人工的な、あ、違う、これは人工的ってもんじゃない。

 まずつなぎ目が見えないし、触ってみると暖かくも冷たくもない。

 金属光沢は放っているけど表面がツルツルってわけでもなくてかといってざらついてる訳でもない。

 言っちゃうと表現しづらい感触。そこまででまず理解した。これは人間には理解できないものだと判った。

 こんなものは人じゃ造る事が出来ないし、生み出す事が出来ない。

 言ってしまえば人工的じゃなくて、自工的。自らで自らを工作したと言った方が十分に納得できるような、人では辿り着けない、人が見てはいけない、異星のモノ。

 だからちょっと後悔してた。来るべきじゃなかったって今だって後悔している。

 こうやってぐるぐるぐるぐる四角錐の周辺を回っている今だって思ってる。

 テントに戻れって、関わって良いものじゃないって、体の内から拒否反応を染み出させるぐらいのモノが、手でなぞっているコレだもの。

 四角錐は一片がこれまた二メートルちょっとと、つまりは正四角錐と言える異物だった。

 他には何にもない。周辺は草木が立ち並んでるし、地面から生えてきたわけでも、空中から落ちてきたわけでも、誰かが運んでここに置いたって訳でもなさそう。

 つまり、初めからここにあった、と言うのが一番しっくり来る。もぉそれ以外に言うべき言葉が見つからない。始めからここに在ったと言う説明しか思いつかない。それぐらい、それは理解に苦しむ物体だった。

 誰かが運んでくるところは見てなかったから、先ず人が運んできたと言う案は却下。

 見た感じではかなりの重量がありそうなモノに見えるし、実際押そうが引っ張ろうがなーんにも反応しない。

 だからといって、地面から生えてきたと言う案が正しいかと聞かれると首を傾げる。

 生えてきたなら地面が抉れていたっておかしくないのに、抉れもなければ窪みもない。

 草はさわさわ、木々はざわざわ鳴いているだけで、その黒い四角錐の表面を流体してる。

 風が吹いても草花一本空へは舞い上がらない、つまり地面から土を突き破ってこれは現れたんじゃない。

 なら空から落ちてきたって言うしか説明が付かないんだけど、先ず最初に却下すべきはその案かもしれないのよね。

 だって、私空見上げていて、その視線を下したまん前にコレがあったんだもん。

 地揺れもなければ、クレーターも出来てない。空から落ちてきたと言う痕跡は皆無で、それがますます混乱を激しくしそうなモノ。

 けど、おかしな事に私は全然慌ててなかった。いつどこで何の為にどういう理由で現れたのか理解できないものだって言うのに、不思議と不気味とは思えないのが、ソレの不可解なところだった。

 いわば自然的。機械的かつ科学的な、近代的と言う言葉が凡そ似合うような物体なのに、その雰囲気は周囲に立ち並ぶ木々や足元の草花とも変わらない漠然とした当たり前がそこにあった。

 初めからここに在ったと言う存在感。

 突然とか当然とかは関係ない、ただ在り続けるだけの、意味の判らない、意味を理解させない物質。

 そうだって言うのは解る、誰だって目の前にこんなものが現れればなんであるかは知りたくなるって言うのに、不思議とそれを深くは感じさせない在るだけ在るモノ。

 

「何かしらね」

 

 やっと出た一声に真っ先に自分で噴出しかけた。

 だって何かって。解るわけないのに何かって問う事ほど滑稽なことはない。

 私に判らないものが他の人に解るはずないとは言わないけど、これはきっと無理ね。だって潜在的になんとなく判ってしまう。

 こりゃダメだって。これは人間では理解する事が出来るとか出来ないとか、そういったレベルの問題にもならない、当たり前が目の前に在るだけだ。

 コレは初めからここにあった。

 あんまりにも強い存在感を放っているけど、それはさっきからでさっきまではソレがなかったと言うだけの話だと思う。

 と言うかそうしておきたい。何か理由をつけなくちゃ、はっきり言って不安で堪らないんだからね、これでも私も女の子。得体の知れないものは怖いし、気味だって悪くなっちゃう。

 ただ一つだけ違うのは、必ずしも目の前のコレがそれには当て嵌まらないと言う事。

 ソレが怖かった。怖がっていいはずのもの、気味悪がっていいはずなのに、怖くもないし気味も悪くならない。

 その矛盾が怖い。

 喩えるなら周囲に立ち並ぶ木々のように、言い直すなら、足元に生えている草花のように当たり前のようにあるその外状。

 当たり前のように存在していてはいけない存在だと言うのに、当たり前のようにあってもおかしくはないと言う矛盾した存在感。

 いや、これは存在感って言うよりは、虚無感。視覚に納めると圧倒的な存在感を知らしめると言うのに、視覚外に外せば、触角や嗅覚では何一つとして感じられない。

 あまりにも曖昧な。けれど。こうして目を見開けば、こうして生々しいまでの存在感を感じられる。

 無視しようにも無視しえない、視覚の中に入ってしまっている生き物のような雰囲気。眼の中へ入っている限り、その存在を脳じゃなくてもっと奥の何かがしっかりと認識させようと働いちゃう。

 もう何周しただろう。

 いや、ホントは二、三周で終わらせるつもりだったんだけど、回り始めるとこれがどうしてか、中々中断する事が出来ない。

 まるで蟲みたいと自覚してしまう。そう、この四角錐には生き物を、人を牽きつける強烈な何かが働いているみたい。

 甘い蜜に牽かれる蟲のように、私は、この四角錐の発する異様感に好奇心を以って牽かれてしまったのかも――――

 風が舞う。草花が夜の麻帆良に静かに舞った。

 それを四角錐が受けて、風を分ける。舞い上がった幾本かの草花もそれに応じて分かれる。

 なんて、無機質。

 木々や草花のような当たり前にある存在だって言うのに、自然界を受け付けようとしないその外状。

 ソレは、人が時折見せる“拒絶”の意思にも似た反応。受け付けようとしない、受け付けたくない、いえ、それは受け付けるとかそういった慣性がないと言ったほうが一番しっくりくる。

 

「――――」

 

 六周目を回り終えて、漸く足を止めてもっかいだけその四角錐を見上げた。

 鈍い輝きは相変わらず、黒曜石に曇りを混ぜたみたいな鈍色で月光を吸う姿は、どこか不気味と言うか、光を食べているみたいでどーにも好きにはなれない。

 好きになるってヤツがいれば、きっとそいつとは私、友達にはなれないわね。

 左右をもっかい確認。落ちているものとか、手掛りになるものとかは落ちてなければ、この四角錐の出現で抉れたり吹き飛んだりした土とかも一切見当たらないから、回収の手立てもなし。

 四角錐はまるで瞬間接着剤で地面とその接点・接面が完璧に一致して、四角錐の下からはみ出してる草花一本もない。

 そこに四角錐が治まる空間が、始めから用意されていたとしか言いようのない程の完璧さ。文句の付けようもないぐらいの良い仕事で、四角錐は地面と一体化してる。

 色々考えて、漸く導き出された答えは至極シンプルだった。

 なんの事はない。今日見たコレは、何かの間違えで、見なかった事にしてしまえば良いのよね。

 判らないものを判らないままで放置しておくって言うのは誉められたことじゃないかもしれないけど、仕方ないじゃないの。

 だってコレ、ホントに意味不明なんだもん。色々やってみてはいるけど、とは言っても触ったり押したり引いたり程度なんだけど、結局動きもなければ反応もない。

 まるで“お前には興味なんかないよ”と言わんばかりの無反応ぶりだから、ちょっと切れかけて魔法の一発でも叩き込んでやろうかとも思ったけど、やめる。

 壁に耳在り障子にメアリー。何処で誰が見聞きしているのかも解らないこの状況で魔法を使うって言うのは、ちと軽率なわけよね。

 でも、ホントの所はそんなんじゃない。私は単に、コレに対して攻撃とも取れる行動をとれば、きっとただじゃ済まないって言いますか、こんな訳の解らないものにヘンな事して更に変な事を引き起こすようになるのは勘弁なだけなのです。

 

「アーニャさぁん、どうしましょ??」

「どうするって…訳の解らないモノには手を出さないのが一番じゃないかな。ホラ、この国の諺でも言うじゃないの。“触らぬ神にタタリーなし”って、ね? とんでもないものや変なモノには手を出さないで観察しておくのが一番って事よ」

 

 後ろ髪を引かれる思いだし、はっきり言って釈然としない思いはじゅーぶんある。

 だけど、これまたはっきり言うけどしょうがない。

 だって解析しようにも手の打ち様がない、手掛りゼロで用途も不明。

 モノなのか生き物なのか。物体なのか魔力塊なのか。そもそも私や人間って言う生き物で理解できる範囲に収まっている存在なのかも理解出来ない。

 なら、手は出さずに静かに見守っているっていうのが一番どっちにも不利益にならない良い考えだと思うんだけど、まぁ、行動あるのみと言いますか観察あるのみ。動きのあるまでばっちり見させてもらいますかね。

 踵を返す。テントから四角錐までの距離は、ざっと見積もり三十メートル。広くなく狭くない、監視するには持って来いの状況だ。

 コレを利用しない手はないから、駆け足でテントまで戻り飛び込んで、すぐさま顔を四角錐の方へ向ける。

 四角錐は相変わらずで、無機質な存在感を洋々と夜の世界に満ち溢れさせて、私が近くに居ようが、こうやって遠くに離れていようが関係ないといった外状で、相変わらず鈍い黒曜石の瞬きで月の光を貪り食ってらっしゃられる。

 様は、あまりにも鈍い黒の輝きだから、月の光も反射しないで吸い込んでしまっているんだ。

 その様子が、まるで光を食っているように見えるんだけど、まぁなんて言うか、悪食と言いますか、本当に光の反射しない物体で造られてんのね、アレ。

 

 月の銀光が栄える夜。初日の夜は、おかしな不気味な、でもどこか当たり前のような当たり前じゃないモノと過ごす、いやーな予感に満ち満ちた夜となってしまった―――

 

第四話〜決意〜 / 第六話〜出会〜 


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