第三十六話〜想出〜

 
  現在時刻は夕暮れ時。昨夜一晩あの巨木の下で鋼性種を待ったけど、結局鋼性種はその姿を現さなかった。
 新種が倒されたからか。それは解らない。解らないけれど、鋼性種は私達の前に姿を現さなかった。
 嶺峰さんは気配は在ると言っていた。レッケルも同じ。私だって、水膜結界のお陰でその存在は探知していた。
 ただその察知している存在が、まるで私達の方へは寄ってこない。それが私たちが対面した状況だった。
 鋼性種が自ら考えてそうしているという判断は却下。鋼性種に人間の思考回路は当て嵌まらない。当て嵌めようものなら、もれなく足元を掠め取られるでしょう。

 それで今日。被害者がまた増えた。新たに二人。プラスで四人。計六人が重軽傷。
 幸い死者は今だ出ていない。出ていたら、最早この学園は学園として機能しなくなるだろう。
 夜毎に化け物が出て襲う街なんて、残念ながら私はごめんだ。
 そんな私の意志が体現されたかのように、街中からは人影が消えていっている。
 特にこの時間から。日中は安心して皆出かけている。朝方、並びに明朝に襲われた人は皆無だからだ。
 日中、太陽の昇っている頃の時間は問題がなかった。
 問題なのは、此処からの時間。今からがこの学園におけるこの連続傷害事件の首謀者ならぬ実行犯が動き出す。

 それは、恐らくキノウエってヒトだったものと。
 両目を閉じて私達の前に座っている金髪。コレが言う、大切な者だったモノの仕業であるとだけ結論する。
 他に手を出す相手が見当たらない。居たとしても、コレだけの短期間。
 ここまで目撃者ゼロの無差別を出来る存在は、知的生命体では考えられない。
 そして、鋼性種は人を襲わない。つまりは、即ち――その結論に。故に重く。重く、口を開く。

「私達の方は情報なんてないわよ。鋼性種が姿を見せないわ。教えられる事なんて、何にもないわよ」
「同感だな。こっちもお前たちに提供できるような情報はない。
 では何故今日も今日とて此処へ来たなどと言いたそうな顔つきだな。
 まぁしかめっ面は止めておけ。単純な話だ。会議でもしようじゃないか」

 雑談会のようなものだと思う。
 だけど、今はその雑談会による推測でも情報源に成ってしまうと言うのだからなんとも悲しい。
 そんなものにまで縋らなくちゃ解決できない所まで事態は進展している。関係ないでは、最早済まされないのかもしれない。
 それならそれで、と椅子の上にきちんと脚をそろえて座った。
 今の今までは片足を抱えてスカートの中が見えるんじゃないかってポーズで話を聞いていたけど、もはやその地点は通り過ぎた。
 私たちには関係のない事態ではなくなっている。ネギも居れば、知り合いの魔法使いも居るような場所だ。黙っている事は出来そうに無い。
 ましてや、今日から魔法使いらによる巡回が開始するというのならば、なおさらに。

「時のお前たち二人に聞くが。鋼性種とか言うのは無差別に人間を狩り殺すような存在なのか?」

 金髪の意見も尤もだと思う。キノウエってヒトともう一人が鋼性種の所為で変異したと言うのであれば、鋼性種は潜在的に人類への反発要素を持っていると言う事になる。
 でも、それは矛盾だし、そんなのは鋼性種じゃない。鋼性種はもっと圧倒的な存在なのだから。
 認識出来ないものは受け付けない。知覚しないものに干渉はしない。
 そんな完全無欠を体現したかのような。いや、人間という存在が生み出した理を瓦解させるかのような生体機能を携えているのが鋼性種。

 鋼性種は人間が理解出来るような存在ではない。即ち、鋼性種と言うのは人間などどうでもいい。そんな風に考えている。
 私には解る。レッケルも解っていると思う。嶺峰さんなんて、語るまでもない。
 そんな存在。鋼性種。鋼の性を持つ絶対種。人の理を超えた域、人のたどり着ける限界の向こう側から来た、地平線の向こう側の存在。
 そんな絶対的なものが、何故に人間なんて他愛もないものを襲ったりしなくちゃいけないのか。
 だけれど金髪の言うとおり、鋼性種を憑依させた二人は無差別にも思えるように人を襲っている。それはどうしてか。

 でも、無差別とは言うけど、本当は無差別なんかじゃないってわかっている。
 鋼性種は機械じゃない。機械のような正確さ。精密さ。緻密さを重ね備えた生命体ではある。
 だけれど、忘れてはいないかな。
 アレは生命体。生物。生きている、生命ある存在なのだ。
 そう。鋼性種は圧倒的でもあるけれど、確かに命を持った神様や悪魔なんかとは違う、生命体として君臨すべき存在なのだ。

 それ故に人を襲っているとだけ結論した。何がそれゆえかと問われると、答え難いけど。多分そうだろう。
 そう言うことかも、だ。あくまでも、かも。
 かも、以上ではない。でも以下でもない。正直微妙だけれど、限りなく正解に近いということは何となくわかる。
 伊達にあのキノウエって人から聞かされてきたわけじゃない。だから、きっと。

「襲う理由。何となく解るわよ」

 挙手するでもなく、つらつらと私は語り始めた。
 口を挟む相手はいない。私の独白が終わるまでは、きっとこの静けさは守られるだろう。

「その二人は鋼性種って言うものの細胞を体内に取り込んでの変異、あるいはその転醒って言うのを選んだ。
 鋼性種って言うのちょっと教えてあげるけど、嶺峰さん。いい?」

 傍らの彼女の方を見ずに問う。滅相もないと一言。
 レッケルを抱きかかえたままで、嶺峰さんは小さく微笑んだ。私の好きな笑顔で。そして直ぐに真面目なあの無貌へ戻る。

「いい。鋼性種って言うのは生命体。生物よ。
 驚いているわね、でも黙って聞いていなさい。
 いい? 鋼性種は人間の常識の範疇には該当しない。
 猫の様ではない。犬の様ではない。人の理には当て嵌らないもの。それが鋼性種だって、私は感じたわ。
 まぁその点は気にしなくてもいいでしょ。重要なのはこの辺からよ。
 鋼性種のオリジナルはあらゆる干渉を受け付けないわ。だから人間も襲わない。襲う必要がないから。
 どんな干渉も効かないんだもの。そそったりの必要はないわ。
 でも変異した二人はどうかしら。生まれながらに鋼性種じゃないでしょ?
 人間の細胞。あるいはその別の要素。それが憑依した鋼性種の細胞と入り混じった可能性があるのよ。
 そうなれば、生まれてくるのは当然普通の。元々普通じゃないけど、普通じゃない鋼性種。欠陥持ちの鋼性種が誕生するわけ。

 襲っているのはその所為じゃないかなって思うのよ。
 誕生した二対の異形。鋼性種の憑依により完成した生命体は完全な、あらゆる干渉を受付ないだとかの能力を持っていない鋼性種疑(モドキ)。
 だから人を襲う。自分を生きながらえさせる為に。鋼性種疑にとっては、近づくのは全て敵と思うわ。
 そうじゃなきゃ此処まで無差別には襲わないはず。何一つ受け付けないと言うのなら、人を襲う要素はない。
 でも襲っている。襲うと言う事は、それが危険だと認知するから。
 早い話が自己防衛本能ね。自分を守ろうとしているって事じゃないかしら。あ、これは私の見解。正しいわけじゃないから聞き流して頂戴ね」

 金髪が唸る。私の説明は大雑把なものだ。
 簡潔に述べれば、遺伝子情報の混ざり合いによる突然変異と言うのだろう。
 加えて突然変異と言っても良い方向への突然変異じゃない。退化に近い突然変異。
 だから人を襲う。鋼性種の様な才は持たないから。生物としての自己防衛本能。
 それがキノウエって人だったモノを突き動かし。もう一方も突き動かしている。そんな気がする。

 実際のところは何も解らないに等しい。
 私たちは人間――若干一名違って、一名はナチュラルだけど、相手はそんな人間の理をさっさと越えた異常の存在。理解出来るはずがない。
 理解出来るという人間がいたら絶対信じない。鋼性種とはそう言うもの。人間では理解出来ない存在なのだ。
 だから、どんな干渉も受け付けず与えないと言うことにも納得している。
 そうじゃなければ、一体どういう原理でそういったものを拒絶しているのかの判断がまるでつかない。
 故に理解する気はない。理解しようとすれば、それは即ち。私たち自身が鋼性種とか言うのになるしかないのだから。

 金髪も神楽坂さんも。加えてレッケル、嶺峰さんもだんまり。
 別に構わなかった。自分の見解をいっただけだったから。
 そうじゃないかなと言う予測。そうではないのかなと言う推測。
 以前、キノウエと言うヒトから言われたのにも近い。なんとも曖昧な、つかみ所のない。雲どころか、霞どころか、まるで目にも見えない星を掴むような言葉だったに違いない。
 でも他に喩えどころがない。鋼性種とは、まさにそういった生命体なのだ。

 周辺はだんまりのまま。沈黙は美徳。そっちの方が考えは良く纏まる。纏められる考えすらないのだけれど。
 そうだ。お互いに意見がない。相談の意味も、会議の意味もない談合。
 このままで居るぐらいなら、もう解散したいぐらいだった。
 金髪の近くに居るとレッケルが怖がってしょうがない。だから早めに切り上げたかった。

「―――お前たちは、漆黒の多面体を知っているか?」

 金髪の言葉に反応したのは金髪以外、この場の全員。特に私は一番反応したでしょうね。
 何しろ、毎夜毎朝見ていたものだもの。
 でも多面体とは気付かなかった。なにしろ存在していたのが四角錘の部分だけだったから。

 一先ずソレはどうでもいい。どうでもいいけど、無視は出来ないだろうと確信している。
 あの四角錘を何度か見ている。ある時はある時で。その時はその時で。
 相変わらずと言う表現が一番似合う、何一つ語らないかのような無機質な存在感。
 圧倒するかのような威圧感。どこか、嶺峰さんの気配にも似ているかのような超越感を匂わせる存在。
 それを、アレはさせていた。目を閉じればあっさりすぎる位に思いだせる。
 あの黒い、光沢すら放たない面を。冷たくも、熱くもない。硬くも、柔らかくもないあの感触を。
 アレもまた、鋼性種同様に理解できないものだった。けれど、金髪らもソレを知っているとはね。

「アレが私の従者を鋼性種化させた。私は見ている。お前たちは知っていたか?」

 そう言うこともあるかな程度に感じる。
 特別驚きはしなかったけど、ちょっとした意外程度には感じた。
 でも、つまりはそう言うことだとだけ感じ取れた。アレもまた、そう言うものであったということ。
 ソレぐらいあの四角錘は異常的な存在だった。鋼性種以上に。
 私たち魔法使いと言う常識外の存在にさえも異常と感じるようなものを凌駕して異常と言わせるのだから、それがどれほどの異常かは。もはや、異常かも判断がつけられない程だ。

 これで楽観視は出来なくなかった。あれは危険なものだと言う見解は生まれた。
 ただし生まれただけ。特別ソレでどうにかしようと言う気は起きない。正しくは、起きてこない。
 アレ相手に何かが通じるなんて、よほどの馬鹿でもない限りは手出ししない。
 ただ確信がある。アレには手を出してはいけない。手を出せば、きっと『想像も着かない何かが待ち受ける事になる』
 そんな確信。そして、貧乏くじを引くのはきっとあっちじゃなくてこっち。そんな不気味な確信もあった。

「今日は此処までね。お互い得られたような、得られないようなと言うか」

 さっさと立ち上がってその部屋を後にしようとする。
 語ることはないわけだ。お互いに告げあう事は告げあった。それを有効活用するかどうかはお互い次第。
 私と嶺峰さん。金髪と神楽坂さん。お互いにお互いをどうにかする。それだけの話。

「そうだな。私たちは図書館島でもう少し調べ物をする。
 神楽坂明日菜。今日からお前は私の家に泊まれ。どうせぼーやの帰りは遅いのだろう?
 近衛木乃香は全治四ヶ月。桜咲刹那とて全治四週間だ。それなら私と共に居ろ。調べる事は多いのだからな」

 神楽坂さんの変化なんて見れば解る。
 蝋燭の火が消えたのを確認するまでもないように、神楽坂さんからは、あの太陽の様な明るさが消えていた。それがどうしてなのかなんて、予測するまでもない。
 金髪の告げた、聞き慣れない名前。それが神楽坂さんに関係しているなんて言うのは直ぐに解った。
 ぼーやと言うのはネギの事だろう。何しろ金髪の担任はネギなんだもの。それ以外に関連性はない。

 二人は無言で部屋から出て、見送りの私と嶺峰さんに。
 金髪は背中越しで片手を上げるだけで。神楽坂さんは一度、大きく頭を下げて去っていった。
 変われば変わるものとも思う。
 ただし要因が大きく違うのは頂けない。良い事で変わるのと悪い事で変わるの。
 どちらがより良いかと言えば、それはやっぱり良い事として変わって行くに越した事はないでしょう。そう思う。

 そう思うけど、それは関係ないのかもしれない。
 疑とはいえ鋼性種。理解出来ない存在には変わりない。
 それに挑むと言うのだ。挑む意味さえ理解しない存在に挑むと言う行為。
 全てがないのではない。全て意味がないのだ。
 私達の見解じゃ、鋼性種は生涯にわたって理解は出来ない。あれはそう言うものだから。
 私たち人間と言う存在の全てを否定するのではなく。私たち人間と言う存在の全てを受け付けないもの。鋼性種とは、そう言うものなんだ。

 深く考えるような真似はしない。したくないから、しない。
 すれば、意味がないといわれるような気がした。世界から拒絶されるような気がしたから考えるのは止めた。
 何があっても、挑む事に変わりはない。挑むざるべきモノではあるけど、挑まざる得ない。
 人間として生きているから。生きている限りは、無視できないから。何より―――
 必死そうなのは、ほおってはおけない性質だもの。喩えそれが敵でも。だから、せめてと思っている。
 開かれた玄関の向こう側を歩いていく二人。
 金髪と神楽坂さん。不思議と風景が目に入らないのはどうしてだろう。
 だから、二人は真っ白い夢のうちへ飛び込んでいくかのような足取りで歩いていた。
 そんな視線の端。あの巨木は、厳粛な面持ちのまま佇みつつけていた。


 ――――――――――――――――――――世界樹下 深夜


「申し訳御座いません」

 巨木の下。星だけが煌いていて、存外綺麗な空なのに、傍らの嶺峰さんは唐突にそんな事を告げてきた。
 謝罪。それがどうしてなのかは、考えるまでもなかった。
 片手をひらひら。そんでもって口端だけで笑顔を作って軽く流す。
 それを見た嶺峰さんは安心した様な様相で、でも、また元の悲痛な顔立ちに戻って私の横に座り込む。魔法少女服で。

 そう。私たちは今、あの巨木の下にある大きな根の上で鋼性種を待っていた。
 行動して見つけ出したい所だけれど、そもそもあの鋼性種出現前の漆黒の四角錘は見当たらないし。
 何より、鋼性種って言うのがどういう基準で出現しているのかは判断も付かない。
 そんなんだから、こうして待っている以外に鋼性種と接触する手段はない。
 他に良い手があるのなら是非とも知りたい、なんて鋼性種と始めて接触した頃とはまるで逆の事を思ってみた。

 に、しても。あれだけ活発だった鋼性種がこうも出なくなると逆に不安にもある。
 何か。別の何かを考えているような。考えるようなものなど持っていない筈なのに、そんな不安を髣髴される何かが起こりそうな予感がしてならない。
 鋼性種は、もうそれぐらい私達の目の前に姿を現してはいない。

「レッケル?」

 頭の上のレッケルに声をかけても、反応は芳しくない。
 ふるふる小さな頭を振って、水膜結界になんら反応がない事を示唆。
 軽くため息を一つついて、夜空を見上げた。
 満天の星空。この学園で照らされる灯火が少なくなったからでしょうね。でなければ、ここまで夜空は輝かない。
 事件が始まって既に数日。最早、夜中に外出する人間は居ないにも等しい。
 余程の怖いもの知らずか。あるいは、私達の様に鋼性種に用事のあるような人間だけが外出している。
 それは魔法使いの人であり、嶺峰さんの様な魔法少女であったりもするわけだ。

 魔法使いを巡回させても意味がない事を教えたかったけれど、それは止めている。
 鋼性種の事を大勢に知らせることはあんまり上手くない。魔法使いであっても、鋼性種には根本関わってはいけないと、関わっているからこそ断言できる。
 魔法も何も通じない相手だ。魔法少女だけのみが、その存在と拮抗する事が出来る。
 残念だけれど、本来の鋼性種の相手は魔法少女である嶺峰さんと鶺鴒さんにしか任せられないのだ。

 で、その鶺鴒さんだけど、今日も此処には居ない。
 最近は誘ってもさっぱり。でもそれは予測出来ていた事であったりもする。
 鶺鴒さんは、魔法少女と言うものにあまり感慨のようなものを懐いていないのだ。
 言うなれば事務的。魔法少女と言う役割を、仕方なしの仕事的にこなしていた節が見えていた。そして、それはその口調にも現れていた。

 これは推測だけれど、鶺鴒さんと言う女性は魔法少女をやる事に肯定の態度を一度も見せていない。
 鶺鴒さんは鋼性種と言う超越的なものに対してすら、何の感慨も懐いていないのだ。
 それは多分。以前あの金髪が鋼性種について鶺鴒さんからお話を窺おうとした時、鶺鴒さんが告げた言葉に全ての意味が含まれていると思う。
 確か、鶺鴒さんは言った筈だ。普通に生きていけてばいいと。
 何事も普通にこなして、死んで往ければ良い。そんなような事を言っていた筈。

 それを否定しない。と言うより、それは普通の人間としてはどんな人間よりもまともな意見じゃないかなと思う。
 良くゲームとか小説とかの主人公に自分を投影してみる人間は何時の時代でも居る。
 遠い憧れみたいなものなのかな。私には解らないけど、そう言うのに憧れたりするようなわけの解らない人間は何時の時代だって確かに存在しているのだ。
 けど、現実って言うのはそんなに華やかなものじゃない。
 憧れているような世界と、現実のその世界はまるで違う。
 現実の壁は容赦がない削岩機。憧れだとか、物語の主人公のように活躍できる夢を粉々に砕け散らす。
 魔法使いやっている私が言うんだから、多分間違えない。

 魔法界といっても、それは完全な幻想じゃない。現実に食い込んだ幻想。
 現実的な法則にはちゃんと沿って魔法は行使されているし、現実を瓦解するかのような魔法なんてない。
 現実の壁は高くて険しく、越える事の出来ない壁なのだ。
 それを目の当たりにするとやる気が失せるなんて言うのは無責任でいいかっこしいの発言。
 そう言うの全部ひっくるめて生きていくことを誓ったものにだけ許される行為。
それが幻想と言う名の現実で生きていくということなのだ。
 
 多分。多分だけど、鶺鴒さんにはそれがない。
 と言うよりも、その決意をするより先に魔法少女と言う幻想現実に踏み込んでしまったんだと思う。
 だから、鶺鴒さんはやる気がない。普通に生きて、普通に死んで生きたいと思っている。
 それは正しい。普通の人間って言うのは、普通に生きていけるほうが幸せなのだ。
 余計な事には首は突っ込まず、一普通として生きていく。そんなんで充分だと思う。
 明日死ぬかも知れないのはお互い様だけれど、魔法界の方がちょっとだけでも死ぬ可能性は高い。
 そんなのに自ら進んで足を踏み入れる必要はない。

 普通の人間は、所詮普通なのだ。物語の主人公のような力はない。
 欲しければ、必死こいて勉強し、努力し、それを得ていかなくちゃいけない。
 魔法使いの殆どがそうであるように。私や、ネギがそうであるように。
 だから鶺鴒さんと私はどこか相容れないような気持ちになっているのかも。
 魔法が活躍するファンタジー的なものじゃないけど、非現実的な現実問題である鋼性種に対して無関心な鶺鴒さん。
 伐採魔法少女と言うものを事務的かつ能動的に過ごしていく鶺鴒さん。
 そんな彼女には、やっぱり普通の生活があっていると思ってしまう。
 だから、私たちの居る方には来て欲しくない。そんな、中途半端な気持ちでは、居て欲しくないと思っているんだ。
 だから、私は鶺鴒さんとは相容れないと思っていた。会った時から。
 ふうっ、ともう一回ため息。若い内からこんなんじゃ先が思いやられる。
 でも、これは私の気質と言うか性格なので仕方ない。アーニャ=トランシルヴァニアとしての性格。魔法界の魔法使いとしての、気質。

「……御出でになられませんね」
「……そぉねぇ」

 二人並んで手持ち無沙汰。みゅーっと頭の上でレッケルが鳴いてぽふっと私の額に下顎をつけてくる。
 冷たい肌触りが心地よく、意識を鋭敏化させてくれ、集中力も上がっていく。
 尤も、そんな状態になった処で感知できることなんて何もない。鋼性種は来ない。誰も来ない。二人ぼっちの、夜。
 と、傍らを見た。片膝を抱えて天を見上げている嶺峰さん。
 相変わらず綺麗な。私なんて、私じゃなくても人間全てを霞ませてしまうような気配と面持ちを持った彼女。
 その横顔は、私なんて足元にも及ばないぐらいに綺麗で神々しくて、でも、ちょっと悲しげで―――初めて会った時に見せてくれた、あの真紅の目を細めて見せる笑顔にも似ていた。

 彼女は変わったんだろうか。それを考えてしまう。
 変わっていくのは嶺峰さんだけど、それをやっぱり不安にも思ってしまう。
 この神々しさは残しておくべきなのかもしれない。誰も触れることの出来ないこの雰囲気。これは、生涯の彼女自身として残しておくべきなのかもしれない。
 汚いものを綺麗なものに触れさせる義理はない。
 綺麗なものは嶺峰さん。そして、汚いものは、きっと、今考えている私の心境みたいな想い。独り善がりな、そんな考えとか。

 私はもう直ぐ此処から居なくなる。
 レッケルを置いて行こうとも思ったけど、それはやっぱり無理だった。
 私はマギステルで、もっと沢山の命の為にならなくちゃいけない。
 その為には、水の属性を操れ、私の治癒魔法の効力を増強させるレッケルの存在は不可欠なんだ。
 でも、私とレッケルが居なくなれば、嶺峰さんはまた独りになってしまう。
 天文部に通っているけれど、嶺峰さんから一度でもその天文部のお話を聞いたことはあったかと振り返る。
 ない。何も無かった。彼女は本当に平気なんだろうか。
 彼女は、嶺峰湖華さんは、本当に一人ぼっちじゃなくなっているんだろうか。それだけが、不安だった。

 一人きりだった女(ひと)。生まれた時からこうだったのかなんて知らない。
 でも、少なくとも私が彼女とであった時、彼女の周囲に人は居なかった。それ以後、嶺峰さんが誰かと一緒に居る所を見たことは、ない。
 いつも通りに一人きり。私が来た事など、変わらない一要素であるかのような不変の日々。
 ねぇ嶺峰さん。一人きりって寂しいでしょ。
 私は寂しいと思う。どれだけクールな魔法使いでいようって誓ったって言っても、私女の子だもん。
 一人っきりって寂しいよ。だからレッケルと一緒だもん。一般のヒトと、私だって仲良くなりたいよ。

 でもダメ。私魔法使いだから。仲良くなるより、助けて生きていく道選んじゃったから。
 だから、こうやって関わりあえた貴女にそれを叶えて欲しかったんだよ。
 ねぇ、嶺峰さん。一人って、寂しいでしょ。一人って、悲しいよね。
 嶺峰さん、湖華さん、湖華ちゃん。貴女は、今、幸せかな。貴女は、今、一人じゃないのかな。
 私はどうすればいいのかな。貴女と一緒に居た方がいいの。でもそんなの出来ないよ。
 私魔法使いで、もっともっと頑張んなくちゃいけないんだよ。ねぇ、嶺峰さん。私、貴女と―――

 そんな事を思う。夢見るように。夢見たように。
 夢見続けたかのように。叶わぬ夢を、生涯にわたって見続けていくように―――
 ぽたりと、傍らの魔法少女から一滴の雨。小さなしずくが、彼女の黒いニーソックスを濡らした。
 覗き込むように顔を見る。その表情は無表情。でも、何かに耐えるような様子でもあり、だけれどその瞳からは止め処もなく涙が流れていた。

「ね、嶺峰さん?」
「―――キノウエ先生。何故あの方々が言うような真似をしてしまったのでしょうか。わたくしには語ってはいただけませんでした。
 共に居ましたのに。キノウエ先生はそこまで思いつめてらっしゃられたのでしょうか? 人を捨て、ヒトでなくなるまでに」

 嶺峰さんの言葉は自分に対する嘆きではない。
 金髪と神楽坂さんの語った言葉から来ている。そして、その対象はあのキノウエって人。黒ずくめで、石灰を固めたような無機質な顔立ちのヒト。
 けれど、もはや二度とその人に会うことはない。
 あの人は行ってしまった。私たちでは理解出来ない場所へ。あの地平線の向こう側。私たちでは知覚する事は出来ない領域へ、旅立ってしまった。
 そして、嶺峰さんはソレに嘆いているわけじゃない。
 嶺峰さんの嘆きは、多分、人間すら止めた事にでしょう。
 そう、人間そのものを根源から放棄してしまった事。嶺峰さんは、純粋にその事そのものに嘆きを感じていたんだ。

 人間を止めるとはどういう事なのか。それは解らない。
 でも、あの鋼性種と言う存在を用いて人間であると言う事を放棄したと言うのなら、なんとはなくだけど解る気がする。
 もう感じないんだ。何も。悲しい事も、嬉しい事も。
 怒りに身を奮わせることも、喜びを誰かと分かち合うことも。誰かを愛し、愛されると言う事も。
 誰でも感じるような当たり前のことを、もはや、二度とは感じることはなくなった。
 鋼性種とはそう言うもの。キノウエってヒトは、鋼性種のそんな一部を使って人間である事を放棄した。
 それがどれ程の事なのか。解らないほど、私は馬鹿じゃない。

 それは私たち人間から見ればとてつもなく悲しい事だ。
 だって、もう何も感じないし、何も知らない。
 自分にはお母さんとお父さんがいて、その二人が愛し合うことで自分は生まれたって言う事さえ理解出来ない。
 そも、そんな事さえも忘れてしまったのではなく、本当に放棄してしまった。
 放棄。忘却じゃない。喪失でもない。放棄だ。それが何を意味するのだろうか。そんなの知っている。
 放棄とは、かなぐり捨てる事だ。完全に。二度と手に入らない場所へ放り捨てる事。
 キノウエってヒトは、それを実行したんだ。それがどれほどの事なのかなんて、私たちには理解出来ない。出来るわけがない。
 全部捨てたんだ。記憶も。思い出も。知識も。自分も。存在も。そして、人間である。そんな生まれたときに授かった事すらも。
 ―――全部何もかも捨て去って、そうしてソレになった。今学園を襲っている何か。それに、なった。

 キノウエってヒトは、何を欲しがったんだろう。
 人間である事放棄してまで、何をほしがったんだろう。
 私には解らない。嶺峰さんも解らない。もはや誰にも解らない。
 それを知るたった一人の人間は、既に完全に人間以外になってしまった。
 そうして、その人に聞いても最早その人は答えない。ヒトとは違うものになってしまった。
 人と言う存在が理解出来る領域の外へ行ってしまった。もう、誰もこちら側へ戻す事は、出来ない。
 両の目を閉じ。しかし、嗚咽一つ漏らさず、端正な顔立ちのまま嶺峰さんは泣き続けている。
 ぽろぽろぽろぽろ。涙は綺麗な宝石のように珠となって頬を伝って黒いニーソックスの上に滴っていく。

 私は、それを慰められなかった。慰める事は出来ない。どんな言葉も慰めにはならない。
 キノウエと言うヒトは自分の意思でそうやった。もう二度とそんな考え方が出来るような生物ではなくなってしまった。
 想像する事など出来ない存在。人間の想像力では、もうあれには及ばない。
 悪魔。怪物。妖怪。そんなものじゃない。そんなものすら歯牙にもかけない、私達の想像できる存在全てを淘汰する場所にある存在。
 そして、それ故に私たちを無関心に貫く存在。人間など、居ても居なくても同じ。そうやって考え、それが事実である存在。

 私に言える事はない。キノウエと言うヒトは自らの意思を持って、自らの意思ないものへ昇華した。
 彼がそうした、他には何もない。
 彼自身がそれを選び、その道を行くと決めた以上、もう、私たちに出来る事は何もないのかもしれない。
 でも。まだ、諦める真似はしたくはないから。
 両目を閉じ、清廉として泣き続けていた嶺峰さんの肩に体を寄せた。
 嶺峰さんの顔。珍しく驚いたかのようなそんな愛らしい表情を見て、心がちょっとだけ安らいだ。
 彼女には笑っていて欲しいから。確かに、辛い事ばかり。悲しい事ばかり。一人になってしまうことばかり起こっている。
 奇跡も何もあったものじゃない。ただ、くるくる廻るオルゴールのように曲は流れ続けるように。
 物事が、あまりに残酷な方向へ向かっているような気がして仕方がない。
 それは、そう感じるのは。ロンドンで私が修行した占い師としての才なのかもしれない。

 そうであっても諦めるような真似はしたくなかった。
 魔法使いだからとかじゃない。未来は決まっていないと信じたいから。
 占い師は予測する存在。予測したモノがどんなものであろうとも、それを欲しているヒトには教えなくちゃいけない。
 本来はご法度なんだけど、私は一度自分を占ってみた事がある。
 なんか、どんよりした感じだったとしか明言できない。
 不透明と言うか。曇天と言うか。先の見えないカーブだらけの坂道を登って行くみたいだった。
 それは果たしてコレを意味していたというのか。それは解らない。
 解らないけど、少なくともいい事ばっかりじゃないって事はなんとなく解った。
 まぁ、魔法使いで一人で行く道なんだもの。良いものが用意されているわけはない。
 でも、それが訪れるのはまだ先。私一人に降りかかる。そんなので良いと想いたい。

 悲しい。そんな気分だった。
 嶺峰さんの心がしみこむように、不思議と涙腺がなんだか潤んできてしまう。
 嶺峰さんの肩に頭を預け、高みから麻帆良の町並みを臨む。
 星にも似た輝きは少ない。夜は最早ヒトの時間ではなくなりつつあるのかもしれない。
 夜は元々そうであったモノが支配する時間になりつつある。
 夜に生きていけるもの。
 そう、例えば。それはかつての昔、夜も昼も関係なく生きていたものが支配するかのように。
 自然界がそうであったように、夜を、少しずつ支配しているような気がする。

 鋼性種。ソレを考えてみる。
 まったく、一体鋼性種ってなんなのかしら、と。だけど考えて理解出来るようなことではないと知っている。
 そう言うモノだから。その様になっているもの。
 まったく以って謎、ではなく。謎と言う定義にすら該当しない存在。
 それはなんなのだろうって考えると、頭が痛い。
 宇宙の果てを見ている様な気持ちになっていく。
 でも、それはそれだけ鋼性種がワケの解らない存在だと言う事。
 それが此処に居る。この学園のうちに居た。
 何故。それは解らない、ワケの解らないものが何を考えて――考えてさえもいないかもしれないモノが何処にどうして居ようとも、私たちには理解出来ない。
 理解しようとするだけ滑稽だ。アレはそういうモノなのだから。

 でも、あれは確かに私たちに近しい存在なんだ。
 だって生きている。レッケルが感じたように。
 私が目の当たりにしたように。そして、嶺峰さん達が人間を守る為に戦っているように。
 あの存在は確かに生きている生命体。
 生命体と言う同じ舞台でも、ここまで配役が違うのかと思うほど高みに居る生命体なんだ。
 それは何かと尋ねれば、なんと答えるかな。
 答える事はない。あれに人間の知能や知性を理解する能力はない。そんなものは、必要ないから。
 進化と同じだ。不必要な部分はカットしていく。
 魚に羽がないように。虫に感情がないように。
 よりよく生きていく進化と言うものの中で、不必要なものは全てカットされていく。
 鋼性種。その存在には、そんなものは要らなかった。
 人間が持つ想像力や、知性や知能。
 そんなものなんて、鋼性種と言う一完成した固体には“取るに足らないどうでも良いもの”でしかなかったんだ。

 それはいい。私たちが超自然的視野から見て、どれほどどうでもいいものであるのかなんて言うのは良く理解できている。
 人間と言う生物ほど超自然的視野から外れた生命体はいない。
 生んでくれた星を傷つけて、好き勝手に傷つけあうのと殺しあうのを繰り返す。
 地球の視点から見て、地球はどう思うかしらね。生んだ子供が殺しあう。そう思っているのかしら。
 でも、ひょっとしたら、この星すら“それがどうした”なのかもしれない。
 ふっ、と頭に予感が走った。ああ、そう言うことなのかって言うのに近い。
 なんともなくもない。どうでもよくもない。そんな、曖昧な予感。

 鋼性種って言うのは、この星そのものなのかもしれない。
 バカバカしいかもしれないし、あまりに突拍子なくて、自分でも吃驚するぐらいいい加減で無責任な予感だ。
 でも、なんでかソレが一番しっくりきてしまう。
 鋼性種イコール地球。この星そのものの存在。
 だって、思い返せばそうとも思える。
 地球と言う星の上に生きている私たちにこの星の大きさと圧倒差は伝わらない。
 当たり前のように足元に座しているからまったく以って気付けない。

 でも、この星は本当はすごく偉大なんだって知っている。
 魔法使いだもの。自然の力を借りて魔法を酷使するものが、その地球の力である魔力を借りている私達が、それを理解できないはずがないじゃないの。
 コレだけ大量の魔法使いが地球のチカラ。魔力と言う名のチカラを吸い上げてもまだ尽きる気配を見せないなんて。
 それは、これだけこの星が豊かで、私たち魔法使いを始め、人間が生まれる前から沢山蓄えていたものだ。
 私たちは、そこからちょっとだけ力を貰って魔法を使う。
 そして、大気へと散った魔力の残り香は、また地球のチカラへ帰っていくんだ。
 けれど時折考えていた。もし、この星がそれを拒絶したらどうなるのかを。
 この星は大きな生き物としても見れる。複雑な自己調節機能を以って、体皮には多くの生物が息づいている。
 それは、まさに私たちや、他の多くの生物そのものに見られることじゃないかな。
 そう考える。そう考えて、それは何れ、私たちに牙を剥く事すら暗示させた。

 好き勝手にやって、際限なく他の生物を飼って、自分たちがこの星の支配者だと想いこむ人間。
 もし、星がソレを感知したらどうなるのか。もし星に意思があって、私たちに所業を見て、私達の存在に価値なしと判断したら。
 この星は何をするんだろう。見当もつかなかった。
 当たり前。この星は偉大すぎる。偉大すぎて、大きすぎて、当たり前のように私達の足元に広がっていて誰も気付かせないほど大きいから、誰もこの星の事を理解する事なんて出来ないんだ。
 その理解出来ない存在。偉大なる存在。圧倒的過ぎるほどの存在感は、まさに。
 かの鋼性種。そのものじゃないかなって思えてしまう。
 この星が鋼性種を産んだ。ソレは間違えない。この星に生まれた生命体だもの。
 この星が生む以外に存在する可能性はない。生き物は全て、この星から生まれて土に食われて、また帰る。
 それが、この世の習し。誰にも違える事は出来ない、唯一無二の理。

 もし。鋼性種と言う存在が、本当の意味でこの星の代行者だとしたらどうなんだろう。
 圧倒的なまでの存在感を以って降臨した鋼性種。
 それがこの星そのもので、この星が私たちを計っていると言うのなら。それは。
 思い出す。鋼性種は何をしてきたのか。
 何をするわけでもない。ただうろうろ歩いて、何処かへ飛んで去っていく。
 まるで、人間やそのほかの生命体へは一切の感慨も持っておらず、ただありのままに存在し続けているそのあり方。それは、あまりにこの星のあり方に似ていて―――
 私たち人間が精々暴れた程度では何の感慨も懐かない。
 それがどうした。だからどうしたで済ましてしまうかのような。それほどの存在感を持っている、この星。
 その程度の存在感しか持って居ない私達。
 そして、同じように知覚出来ないものには干渉せず干渉させないと言う絶対的とも思える生態機能を持っていながら、それを振るう事は無く。
 ただ、ありのまま。ありのまま、自然に従って生きていっているその姿。

 恐ろしい事を考えた。鋼性種と言う存在は私たちになどなんの感慨も懐いていない。
 完全な無視。存在していようがいまいがどうでもいい存在。
 鋼性種と言うものは、自らの存在そのものを以ってそれを立証している。
 私たちはソレを認めざる得ない。人間の、人間が思考できる程度のレベルでは鋼性種は当て嵌まらない。
 だけど、それは一先ずいい。重要なのはもっと先にある。
 私の予想は、この星と鋼性種はまったく以って同一の存在であるという見方。
 この星が鋼性種で。鋼性種がこの星。それが私の思考であり、考え。
 鋼性種は私たちを無視している。私たちは無視されている。
 生きているのではなく、生かされている。それが答えだとしたら、どうなるのだろう。
 星は、鋼性種は私たちを完全に無視している。
 それによって、私たちは生かされている。鋼性種と言う壮絶なまでの存在。
 それが無視してくれるからこそ私たちは生きていけて居るのであって、もし、鋼性種と言う存在が、私たちを『敵』と見たのならば―――

 全身が泡立った。自分が消えていく、そんな感覚。
 鋼性種がこの星なら、この星は自らにとって害にしかならない存在は生かしては置かないでしょう。
 ならどうする。鋼性種が私たちを『自ら』知覚し、敵対行動を用いたとするのであれば、それは、即ち。
 この星そのもの。それを敵に回すということに他ならない。
 超自然的な全て。それが、全て牙を剥く事に他ならない。
 そうなれば勝てない。誰であっても。どれだけの超能力者も勝つ事など出来ない。
 鋼性種に加え、この星全てが牙を向く。私たちなど滅ぶべきだと思って、人間的な思考に当て嵌め、そう思っているであろうと推測できるような生物なんて、数え切れないほどに要る。きっと、間違えなく。
 蟲。細菌。病原菌。それだって生物だ。
 意思は無い、けど、自然によって誕生した生命体には他ならない。
 それは私達の中にいる。それが、鋼性種が私たちを敵と見定め、そう断定した瞬間に牙を向いたとすれば。

 きっと、助からないでしょうね。体の内からは細菌、病原菌が。
 体の外からは、鋼性種、そのほか、この星全ての生命体が星に従い、排除にかかる。
 そうなれば人間など、一晩で消えてしまう。
 慈悲は無い。容赦も無い。遠慮も躊躇も後悔も感慨も無い。
 『今まで私達がさんざんこの星の上で生きてきたもの達にしでかしてきた所業』
 それが、一瞬を以って全人類に『返還』されるだけなのだから。
 借りていたものを、返すだけなのだから―――
 鋼性種とはそう言うものなのかもしれない。
 この星の代弁者。私たちを初め、多くの生物でこの星に生きているべきか、そう在らざるべきかを判断する判定者。
 まるで私。ネギを判断するかのように、鋼性種は全てを生物を等しく篩にかけて、本当の意味で『生きるべきか、そうであらざるか』を判断するのかもしれない。

 突拍子も無い事なのに、本当にそう感じてきた。
 正しいとはいえなくても、間違えているとも言えなくも無い。絶対ではないけど、否定は出来ない。
 だって鋼性種だもの。なんでもアリではないけど、私達の想定の範囲の斜め上を行く存在である事は間違えない。
 そんな存在だと言うのなら、私の突拍子も無い事さえ、正しいかもしれないんだ。
 鋼性種は私たちを計る査定者である。
 そんな、突拍子も無いことが現実味を帯びてくる。
 正しくは無いと思う。アレは知っての通り、私達の想像で図る事の出来ない存在。
 鋼性種と言う名称も、本来ならば当て嵌まらないが、暫定上の名称でこう呼んでいるだけに過ぎない。
 キノウエってヒトが告げた鋼性種。鋼の性。何事に対しても関せず、何事をも関させない冷たく暗い鋼の意思を持った、意思すら持たない、生存にのみ特化した究極的な生命体。
 生きていくという行為のみに極限とも言える進化を遂げた、この星が生んだ生命。

 この木の元で出会ったことを理解できた。
 嶺峰さんよりも、この学園の何処の誰よりも先に私から接した相手。
 それが何を隠そう、あの鋼性種だった。踏み潰されそうになって、踏み潰されないで。
 でも感覚も無くて、感慨も無い存在として立ちはだかった。今までの常識を根本から覆すかのような、そんな威圧感を味わった。
 その威圧感や存在感は、何より。この学園で一番目立つ、この巨木そのものに他ならないから―――

「アーニャ様。お気を確かに」

 額にふわっとしたと言うか何処となく冷たい感触が伝わって感覚が戻ってきた。
 脳の感覚。正常な思考が出来るようになる温度に、脳の周辺と脳の中身が元に戻ってくる。
 額に当たる手の感触と、額を触る冷たいチロチロとした感触。
 片方は言わずものがなで、心配そうな顔つきで私を臨む嶺峰さん。もう片方は私の頭の上にのっぺりしていたレッケルの舌の感触だったらしい。
 現に、なんだか額が湿って、でも気持ち悪くはなかったりもする。

「みゅー……アーニャさん、怖い顔でしたですです」
「アーニャ様……鋼性種の方々のことを、考えていらしたのですね」

 驚いた。で、たははと苦笑して笑う。彼女には隠し事なんて出来ない。
 あの深紅の眼差しで瞳をあわせちゃうと、本当に心の中を見透かされちゃうような気になってしまうもの。それに、真摯な顔で見つめられればなお更のことだもの。
 で、嶺峰さんもなんだか悲しい顔をしてしまった。
 最近あんまりお互いに心から笑った事が無い気がする。
 悲しい事ばっかりじゃない。嶺峰さんと朝ごはん食べたり、一緒に出かけたり、長い時間を共有してきた。
 それは悲しい事じゃない。寧ろいい事。思い出を作って残していく、とてもとても有意義な事のはずなのに。
 何故か、私は、心から微笑んだ記憶がない。嶺峰さんの笑顔にも、同じものが窺えた記憶は無い。
 どうしてだろう。私はもう直ぐ居なくなってしまうからかな。
 それとも、本当は嶺峰さんに何かを残せた気になっているだけで、本当は何一つ残せていないんじゃ―――

 そんな事は無い。無いと信じたい。
 でなくちゃ、此処で私は何をやってきたのか。
 ネギの為だけに此処にきて、それだけの事をやる為だけに此処に至ったというわけじゃないと信じたい。
 鋼性種と出会い、嶺峰さんに出会い、鶺鴒さんに出会い、出合う筈も無かった者たちと、多くのかかわりを持った。
 ソレが私が此処に来た理由だ。そう信じている。

 だから悲しくても、笑った。無理して笑った。
 笑う事なんて、この先きっと無いかもしれない。魔法使いだもの。
 同じ場所に長くは居れない。此処も同じ。現れては去り、現れては去るを繰り返していくだけのものたち。
 それが魔法使い。だから、だから。此処で笑っておこう。
 笑えなくなる日が来るよりも先に。二度と、微笑む事が出来なくなるその日が来るまでは、此処で微笑んでおきたい。

 嶺峰さんが小さく微笑み、星を臨む。
 その横顔は綺麗で。壮麗で。幽玄だった、けど。だけれど
 その表情は、今まで見たどの表情よりも深く、悲しげにも見えた。

「……話したいこと。話したほうがいいと思うな。
 私、頼りにならないかもしれないけど、結構人生経験豊富だもん。旅してるから」

 人生経験豊富といってもまだ十年程度。
 十年程度で十八年生きている嶺峰さんに人生説いてあげられるほどまっとうな道を歩んできたわけじゃない。
 魔法使いやって、一般社会からは逸脱した生きたかをしてきた。
 そんな私が、一般社会で生きてきた嶺峰さんを説いてあげるとは滑稽なお話。
 でも、それをしたいと思う。私と嶺峰さんは、どこかで似通っているから。
 二人ぼっちなところ。一人でなんでもやり遂げてしまおうとする所。
 そんな所が、なんでかとても似通っている。最近になって、そんな事に気付いた。

「はい。では少々……わたくし。鋼性種の方々と争う事があまり慣れません。
 魔法少女として生き、早ぞ十八の年月を重ね数えて参りました。
 その内でわたくしがお相手いたしました鋼性種の方々の数。早数えれば数百に及びましょう。
 ですが、その鋼性種の方々を一人としてわたくしは倒しては参りませんでした。
 この間。あの白と黒。二色の鋼性種の方と試合ったのが始めてなのです。そして、滅ぼしたのも、また。
 ……彼らもまた生きておりますのですね。私たちと同じように、生きているのですね。
 わたくしは傲慢かもしれません。あれだけ傷つける行為を拒み、誰かに尽くす事で自らを立証しようとしていたのかもしれないと言いますのに、彼らに対しては傷つけるような行為を繰り返していただけ。
 わたくしは、もしかすると鋼性種の皆様にまで嫌われてしまったのかもしれませんね」

 そう告げて、彼女は笑った。心からの笑顔ではなく、悲哀と悲壮と悲痛の混ざった苦笑。
 口端だけで笑む、見たくは無い笑顔。
 目は顰められて、眉は八の字を画いて、瞳の端からは、一滴、水の雫が宙に舞う。そんな、頼りげない笑顔だった。
 でも、それはそれだけじゃない。彼女はまだ隠している。
 私にも言えないこと。それを隠している。
 そしてきっとそれは彼女の優しさなんだろうって思っている。
 もう直ぐ巣立つ私の為に。彼女は会えてソレをひた隠している。
 彼女の隠し事。それは、鋼性種に対してそう思っていることじゃなくて。
 同じように、学園の皆にまで嫌われている。そんな事を、隠すように。

 嫌われていないと言えるのかな。私に。何も、何一つ知らない私が言えることだというのかな。
 それは違う。言えはしない。彼女の問題であり、魔法使いの私がかかわって良い事じゃない。
 でも、それが解消されるようにと必死に頑張ってきたつもりだった。
 でも、それは嶺峰さんにだけだった。他の人には何一つ告げていない。
 嶺峰さんにだけ、彼女が少しでも健やかに幸せになれるように。
 あの移動遊園地で一緒に過ごした日だけで、私は満足してしまった。
 ダイジョウブだって、思ってしまった。
 那波さんと言うヒトに天文部に誘われたから、きっと、この先は彼女はダイジョウブだって。そんな理想のような勘違いを懐いてしまった。

 彼女に変化は見当たらない。
 相変わらず笑って、私と過ごしてきた。そこに変化は無かった。
 今までどおりの嶺峰さん。私が来るよりも前の彼女。それに、相変わらず変わっていなかった事に。
 気付いていた。気付いていたけど、大丈夫なんて思っていた。
 彼女は強いからなんて言う言い訳していた。彼女は、本当に強いのかな。彼女は、本当に一人で平気なのかな。
 私と一緒にいるとき以外、彼女は笑って居るのかな。彼女は、私に向けるのと同じ笑顔を、他の人にも向けられていられるのかな―――

 何かをして上げられたのか。何かを残して上げられたのか。
 それすら彼女は語ってくれない。私は彼女の為になる事を本当の意味でしてきたのか。
 その判断すら着かない。ただ、一つだけ思うことがあって。彼女には変わって欲しいと思う願い。
 彼女は今のままでなくてもいいから、今の彼女は崩れてしまうけれど、それでも、その笑顔を誰かの為に向け続けて欲しいと言う想いだけがあって。

「大丈夫よ。誰も嫌ってなんか居ないから……そうよ、ちょっと拒絶の意思を見せた相手にはあははって笑って背中の一発でも叩いてあげればいいわ。
きっとその人目を丸くするわよ。“ああ、こう言う人だったんだ”ってね。
だから、嶺峰さん。大丈夫。ちょっとだけ前へ踏み出せば、きっと気付いてくれるから」

 それは理想だった、叶わない理想だった。
 彼女にソレを叶えさせる事は何より酷だ。
 そんな事を彼女にさせる事自体が先ず困難そのもの。彼女は今日の今日まであの笑顔を基点として生きてきた。
 そんな彼女が、いきなりそんな風に慣れるなんて言うのは無理八百。ありえない事だなんて、初めから知っていたも同意義だった。
 でも、今のままじゃダメ。それだけは伝えたかった。
 私が行ってしまえば、私は二度と彼女に会うことは出来なくなる。
 確信として想う。間違えは無い。私は魔法使いで、彼女は魔法少女で一生を生きていくことになる。
 私はそれでも構わない。私はレッケルも居るし、それなりに人望も多い。人並み程度だけれど。

 でも、嶺峰さんにそれは在るのかと尋ねられれば、三日三晩頭を捻っても答えは無い筈。
 鶺鴒さんは相変わらず。むしろ、鶺鴒さんは仕方なしに嶺峰さんとお付き合いしているといった風潮が強い。
 そしてキノウエってヒト。もうその人はいない。違うものになってしまった。私たち人間ではないもの。
 そんなものに昇華されてしまった。
 彼女の近くに居てくれる人。あの那波さんと言う人だって、本当は中学生だもん。
 嶺峰さんと常に一緒に居てくれる人じゃない。頼りにはなってくれるけど、それ以外ではやっぱり嶺峰さんは一人ぼっちのままで終わってしまう。

 変わって欲しかったから理想を語った。
 あなたには足があるから、その脚で前へ踏み出せば、きっとアカルイミライが用意されているなんて信じたかった。
 それが、必ずその手につかめるんだって、教えてあげたかった。願っていた思いは、ただただ単純なそれだけの想いだった。
 嶺峰さんは静かに笑う。答えは無い。でも、心に刻み込みはしてくれた。そう信じたい。
 彼女は何時だって、私の言った事を覚えていてきてくれた。
 今度も覚えていて欲しい。彼女の記憶が消えるよりも前に、それを行ってみてほしい。
 そうすれば変われるから。環境が変われば、彼女も変わってくれる、そう信じたいから。

 覚えているから。私はずっと覚えているから。
 あなたに忘れられても、貴女が綺麗に笑って周辺全てにその笑顔を向けてくれると言うのなら、私、貴女に忘れられても苦しくないから。
 そんなの嘘だけど、大丈夫だもん。私、魔法使いだからね。

「そだっ」

 ひらめきはすぐさま行動へ。水晶玉を呼び出して、手の上に。嶺峰さんは不思議そうな顔で、ソレを見遣っていて。

「占いしてあげるわ。私と、嶺峰さんの今後。いい事ありますようにって」

 まぁ、精神的なものなんだけどね。けど、気休めでも何もやらないよりはマシじゃないかな。
 口の中でごにょごにょ呪文を唱えて、水晶玉の中を、私、レッケル、そして嶺峰さんで見ていると。

「まぁ……」
「みゅっ」
「まぁ、こんなもんかしらね」

 水晶玉の中には、私達三人の姿が見える。何時も通りの私達。代わり映えしない、風景。
 それを、きっと三人とも、そう、私すら、望んでいるんだ。
 魔法使いにあるまじき願いかもしれないけど―――――嶺峰さんは、嬉しそうに微笑んでいる。
 どうしてかそれを見ていると、胸の奥がほっとしてくる。
 甘いわね。私も、まだまだ……

「みゅっ? アーニャさんアーニャさん。魔法使いの反応ですです。
 巡回中の魔法使いのヒトがきちゃった見たいですです」

 どうやら潮時らしい。ヒトが来るという事は、もうここに鋼性種は絶対に現れない。
 鋼性種は私達の前だけに姿を現す。キノウエってヒトと、金髪の従者が変化した鋼性種は別ものだけど、純粋な鋼性種は心底人前、特に多勢大勢の前では決してその姿は見せない。
 魔法使いの巡回者が来るという事は、もう此処に現れる可能性は無いと同じだ。

「行きましょっか?」
「はい。では」

 巨木の根元をから二人同時に飛び降りて、レッケルが魔力を感じている方向とは逆の方向へと二人進み歩んでいく。
 振り返るような真似はしなかった。どうせ何も目にははいらない。
 振り返っても、大きな巨木が相変わらず不変を以って、まるで嶺峰さんのように佇んでいるだけだろうから。
 でも、視線を上げた先に。一番最初に触れ合った、あの漆黒の結晶体が浮かんでいた。そんな気が、した。
 

第三十五話 / 第三十七話


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