世界樹の下。大鎌を従えた魔法少女が踵を返す。同時に、その己が眼を疑った。
炎が、生きているかのように動いているのだ。
それは、如何なる生物でも驚嘆するだろう。
感情も意識も無い炎。全てを舐め尽くし、嘗め尽くした全てを灰塵へと帰化させ、しかし、多くの命の開花の営みを行う炎。
炎と破壊だけの象徴ではない。燃やしつくし、焼き払われた後には必ず命の種が残るのだ。その炎は、それを象徴するかのように撥ねていた。
伐採魔法少女はその光景を感嘆視する。
僅かな冷笑を浮かべ、伐採魔法少女は歩み寄ってくる焔の火の粉を小さく撫でようと手を伸ばした。
その火の粉を撫でた瞬間、伐採魔法少女は笑む。
本気で笑った。近々、ここまで笑った事が無いと想うほど朗らかに。しかし、狂気にも似た表情で、火の粉を撫でたその掌を見る。
焦げては、焦げが消える。
消えれば、また焦げるの繰り返し。
それが、炎を撫でた掌で起きていた。再生と死滅。細胞レベルで、その応酬が繰り返されていた。
やがて、撫でた火の粉が消えた。
ソレと同時に、焦げと再生を繰り返していた皮膚が元の状態へと戻っていく。
焦げも何も無い、綺麗なままの手。それに戻っていったのだ。
顔を、挙げる。吹き飛ばした林の向こう。
其処から、天に届くかのように昇る無数の火柱と、全てを焼き尽くすという旗の下に誕生した炎と言う存在が、林の枝葉をかいくぐり、幹と幹の間を絶妙にくぐっていっているというのだ。
その炎も同様。焼き焦がしては、生やし。生やしては、焼き焦がす。その繰り返し。
林の木、一本一本に至るまで、再生の炎は、静かに伐採しつくされた木々を癒し続けていっていた。
その林の奥から、伐採魔法少女が良く知る魔法少女が現れた。
その手には突貫楯。小柄で、愛らしい小躯で在るというのに腰まで届くかのような長い銀色の髪を靡かせ、切り刻まれ、白い珠のような肌を露とした魔法少女服に身を包み、突貫魔法少女が現れた。
その姿は変わっていない。
服が千切れた箇所などを除けば、かの魔法少女そのものといえた。
だが、唯一の違いに伐採魔法少女は気が付く。否、伐採魔法少女で無くとも気が付くであろう、その変化。
全身を取り巻く、人間では堪える事の出来ぬモノを従える、その姿。
炎が撒く。突貫魔法少女の体からではない。突貫魔法少女の体の周辺。
この学園都市を焼き焦がしていた炎が集結し、突貫魔法少女に仕えているかのよう。
そのように炎は集い、突貫魔法少女を、労わるようにうごめいていた。
炎を撒いて、突貫魔法少女は立っている。
業火。太陽の陽炎に勝るとも劣らぬ量の炎であり、その中心温度付近は文字通り全てを灰塵へと帰化させばかりの温度の高まりで燃え続けている。
その炎を従えて、突貫魔法少女は一歩一歩を着実に踏みしめて歩いてきて居るのだ。
伐採魔法少女は今再び収納しかけていた大鎌を展開する。
幾何学文様がそのまま鎌に成ったかのような異形の鎌。
対する突貫魔法少女の俯いていた顔が上がる。
可憐な少女のものに他ならないその表情。
だが伐採魔法少女は笑った。冷笑。その姿を人間とは呼ぶまいと笑う。
それは、どちらかと言えば人の形をした人以外のもの。炎を撒いて歩む姿は他ならぬそうであってないモノを想像させ、髣髴させた。
だが恐らくソレは伐採魔法少女には関係ない。
彼女は彼女自身として出来る事を行うまで。そう考えているからだ。
そしてそれは今も違えてはいない。彼女は彼女に出来る事を行うだけ。
それが伐採魔法少女である彼女の原動力。仮令、今まで望んでなかった魔法少女と言う存在の役割であったとしても、それは一瞥変わるべくもなかった。
伐採鎌の鎌の部位が二分する。
そうして広がる満天の星空が如き伐採鎌の刃の部位。
リング状に回転し始めるソレは、恐らく最加速の低位置で繰り出せば麻帆良学園都市など一瞬で横断する事が可能であろう大伐採鎌、大和。
突貫楯の八角の部位が分散す。
そうして広がる太極曼荼羅が如き突貫楯の八角部位。
時計のように回転し、まるで伐採鎌のソレとは相反するかのようになったソレは、周辺を渦巻いていた炎を掠め取っていく。巨大な炎の輪となる。
お互いにお互いの顔など見ていない。
ただ目を伏せ、次の瞬間応酬され始める撃の嵐を待ちわびるのみ。
周囲は酷く静か。
静かを通り越えて、棺の如く。
埋葬されるべきは伐採魔法少女か、突貫魔法少女か、はたまた、この学園そのものか。
伐採魔法少女の背後に立つ巨木が吼える。
巨木が吼えるのではない。巨木の内。そこから、深い深い怨嗟と尤隙しあう希望、汀の果てに至ったかのような、絶対の是空を感じ取る。
銀色の光。罅が入り、砕け散りかけの世界樹の内側からその光が漏れる。
ミラーボールが輝く様にも似た光を、二人の魔法少女はその身に浴びていく。
単一性元素肥大式を持った兵装を構える二人の魔法少女に、光は冷たく突き刺さっていく。
打ち合いになどならなかった。
故に接近と言う名の接戦すらなかった。
お互いに構えた武装の最大限膂力。それを用いて相手を吹き飛ばしてしまおうという決意と鋳薔薇が胸から外へと噴出そうとしている。ただ、それだけだった。
その内で伐採魔法少女は思い返す。
初めて突貫魔法少女に出会った時。
走馬灯かとも思考したが、冷笑がソレを掻き消した。
死ぬ気など無いのだから、思い返すのは馬鹿馬鹿しい。そんな風に考えでもしたのか。
リングが廻る。
まるで輪廻。
伐採魔法少女は思う。未来永劫。この輪廻の輪が崩れ落ちる時など来ない。
人間が繰り返すように、魔法少女と言う悲劇は循環し続ける。
ただ戦い、臥して敵へと突撃し、相手を殲滅しきるまでその人生より解放されない魔法少女。
伐採鎌と言う大鎌と、突貫楯と言う大楯を構える事の意味。
それは人そのものだと、伐採魔法少女は断言した。
言葉と言う名の伐採鎌。相手の言葉を刈り取って、自分の言葉を突貫(つらぬ)こうとする。
その為ならばどれだけ傷ついても構うまいと考え、どれだけの犠牲が出ようと、己に降りかからなければそれで良い。そんなものだと。
否定は出来ない。人がそうなのだ。
人である事が罰の証。人であるというだけで、人間は極刑に値する存在。
自覚と言う名の意味を携え、伐採魔法少女は廻り回り続ける大伐採鎌大和を見上げ続ける。
天を仰ぐようなその様相。女神のように優雅なのに、その威力は生きとし往ける全てを塵芥まで切り刻まんとする暴風の化身。
伐採魔法少女とかつて人であったモノ。
それは酷く似ているのだ。
両者は、早い話が諦めがしごく早い。
諦めと言うのはして悪いものではない。
諦めるべき時は、どんな人間でも必ずやって来る。最後の最後に、自分の命を諦めるように。
人に応じてその規模と数が異なるだけ。そんな程度であった。
伐採魔法少女とかつて人だったモノ。
両者は早い話が、人に諦めを抱いたのだ。
人と言う存在の根本的な否定。
繰り返し繰り返し、くだらない事を飽きもせずに繰り返す。
全力で生きていない証拠だとかつて人だったモノは告げ、伐採魔法少女はそんなモノに興味を懐く奴はただの傀儡と同じだと呆気していた。
その果てに至ったのが両者の思考。
かつて人だったモノは人間を正真正銘の意味で放棄し、今獣として生きている。
森羅があるがまま。運命と言う輪に乗り、宿命と言う名の線路の上を歩き、生きて死すまで生き通そうという誓い。
人間と言う存在を放棄し、『そうであった』と言う尊厳すら捨て、人間全てを否定するかのような決定を躊躇なく下したのだ。
そうして立つ伐採魔法少女も同じである。
彼女は人を捨ててなどいない。だが、どんな人間よりも人間らしい。
何事にも興味など割かず、厭な事も好きな事もそれなりそれなりでこなし、普通と言う名の生活を日々繰り返しのように過ごしていく。
だが、彼女はそんなもの程度でよかった。
たった一度。たった、その一回しかないというのならば、そんなくだらない行為に構っているような余裕など無い。
死ぬほどに下らなく、下劣なまでにどうでも良い。
そんなものに構う必要性は、確かに無い。彼女はソレを知っていた。
憤りなど無い。不満など無い。そんなモノだった。伐採魔法少女にとって、自らの人生はそんなモノで充分満ち満ちるものとなったのだから。
リングの回転が早まる。
気狂いのような速さ。
ある意味で二人は狂っていたのかもしれない。
だが、彼女と彼が狂っていたとするのであれば、この世界は。
二人が生きようとしているこの世界は正常なのだろうか。
そんな程度。それを思い、伐採魔法少女は両目を閉じた。再び開いた時に起きる、暴風を待ちわびて。
同時、炎を撒いて歩いていた突貫魔法少女の動きも凍った。
魔法ならざる魔法を発動させつつ、焦土にも似た焦燥と華紅柳緑とも言うべき流麗な態度を懐く。
突貫楯の回転。炎の輪となりつつあるソレを見上げ、突貫魔法少女は天を仰ぐ。
突貫魔法少女は、初めて先代突貫魔法少女と伐採魔法少女に出会った時を省みる。
それを笑いもせず、思い返せる分、全てを思い返そうとしていた。
そうして、解った。あまりに少ないと。消えていくだけの思い出が、あまりにも自分は少なかったと。
その内で思う。炎の輪。まるで、繰り返される人の世のような。それでも続く、導く森羅の繰り返しのようなものに似ている。
朽ち果てて生まれ、また朽ち果てては生まれていく森羅の果ての果て。
魔法少女にも似ている。そんな気がした。
ただ臥して伐採し、その身朽ち果てて消えるまで相手を殲滅するまで止まらない。
それは、まるで兵器のようだと思う。
ただの爆薬でも良いかもしれない。
ただ打ち出され、事が終わり、全て灰に帰るまで燃え続ける爆薬であり炸薬。そんなモノと酷く似通っていると。
それが人と言うものであると同時に、生きとし生ける全てのモノの様だとも感じ取った。
行為と言う名の生存代償。
傷つけては自らを立証し、立証したものもまたそんな朽ち果てていった多くのモノの上に成り立つ砂の城なのだと。
崩れ落ちると解っていて、人はソレに縋りつく。
何時かは何もかも消えてなくなると解っていて、それに向かっていく。突貫。ただ、只管に進み続ける突貫魔法少女と同じのように。
それが人なのかも。
しかしてそうであろう。誰もが誰もを傷つけていくのが人の世だ。それに対する否定も肯定も無いに等しい。
世間を斜に構えて見ているものほど生存価値はなく、世間を楽観視して生きているものほど全力なりえない。
そんなものなのかも。そう考え、炎のリングを見つめていた。
廻り回り続ける焔渦。輪廻のように繰り返される全てを否定するかのように輝き、火の粉を散らし続けるそのリングは、生きとし生ける全てに全力である事を望むかのようになおも廻り回り続けていた。
さもなくば、追いすがる焔の珠がお前を焼くといわぬばかりに。時間は焔と同じであり、追いつかれれば燃やしつかされるのだと。
現行突貫魔法少女と先代魔法少女は、深く浅い部位でとても似通っている。
両者は、早い話がしごく諦めが悪い。諦めが悪いことでは無い事を二人は知っていた。
知っていながら、なお出来ると信じて突き進む。知っていながら、解っていながら、やらねばならぬと前を目指し続けた。
そんな二人。生きることでなく、全てに全力を尽くしつつあった二人であった。
故に、周辺の人間になど気を割いている余裕はなく、しかし、周囲の人間を憧れの眼差しで見つめてもいた。自らが得られなかったが故。自らが、終ぞ得る事の叶わなかった、その余裕を。
果てに至るまでもなく、両者は答えを得ていたにも等しい。
即ち、一人では生きていけぬという事。だからこそ先代突貫魔法少女は周囲の人間を思い、現行突貫魔法少女に対し深い安堵を与え続けた。
最後の最後に用意されていたもの。
それは残酷なものであったが、それすら愛せる。そう呟くこともなく、先代突貫魔法少女は去っていった。
最後の最後まで恨み言ひとつ漏らす事もなく。最後の最後まで、何一つ悪意を持つことはなく、先代の少女は逝ってしまった。
そうして立つ現行突貫魔法少女もやはり同じ。
彼女もその安堵に身を寄せた。ありえぬ筈の安堵に身を寄せたが故、彼女は自身に罪を背負わせた。
命を終わらせる道へと導いてしまったという逃れようも無い事実。
その罪を、貫き続ける。
命在るものの定義が何処に在るのか。そんなもの、誰が思考できよう。
本人がそうだといえるのであれば、そうなのだ。
本人がそうであるというのであれば、他の誰にもたった一つを否定する事など出来まい。
かれど、少女は死を負った。
ありえぬ安堵に身を任せた焔の化身として。傷つけてしまった、多くの者たちへの最大級の謝罪を篭めて。
突貫魔法少女は今日も今日とて貫き続けるのだ。
業火に身を任せ、いま、不死鳥が飛び立つ今際の如き業火に身を焦がしつつ。
心半ばかもわからぬ、満ち足りていたのかも解らぬまま、今、突貫魔法少ホライゾンとして飛翔しようとしていた。
焔の珠の回転が早まる。気狂いのような早さ。
ある意味で、二人の突貫魔法少女は狂っていたのかもしれない。
精神ではない。二人のいた世界。鋼性種と争い続ける世界と、人と隔絶された場所で生きていく世界。
その内で、あくまでも二人は正常だった。正常を貫いた。そう思ったのではなく、自然とそうなっていたのだった。
両者の答えは酷く近く、遠い。
目を閉じた世界は黒。
それが開かれると同時に、麻帆良学園は閃光で包まれた。
最早生物が介入できるレベルの戦闘行為ではない。
それは生存行為。全力で生きようとするもの二つの魂。それの、純粋なぶつかり合いが始まったのだ。
キャリキャリと廻る。大伐採鎌大和。
その刃は、踊るように空中を高速で回りだす。打ち出しまで、数秒も無いだろう。
火の粉舞い上げ回る。紅蓮突貫楯。
その八角は既に捉えられず、業火と共に舞い踊る。焔が意思を持つまでは数秒も無いだろう。
両者の視線が、初めて合わさった。
業火と暴風。煽れば煽るほどに燃え盛る炎と、猛れば猛るほど集ってくる風。
同じ性質を持つもの同士。回転する大伐採鎌大和と紅蓮突貫楯。
二つは、互いの意味を確かめ合うかのように―――閃光となり、両者の主へ向かっていった。
風が消えた。正しくは、奔る伐採錬の刃が全ての風を千切りにしているのだ。
壮絶な勢い。如何なる風ですら追いつく事も出来ない壮絶な嵐そのものであるかのように、大伐採鎌は突貫魔法少女へ向かっていく。
四方八方から。それこそ、四面楚歌にするほどの角度調整を行いながらである。
しかし届かない。届く距離であり、元来大伐採鎌には射程距離などと言うものは無い。
先の大伐採鎌の威力を見れば推測は付くだろう。
その破壊力と、伐採力。波紋のように広がり、一気に周辺を薙ぎ払う大伐採鎌の威力。
その、全てを引き裂くような攻撃も、矛盾と言うものには該当しない。
より高密度で単一性化されている突貫楯の八角。炎を撒いて回転し続けるその輪に、迫る伐採鎌の刃の殆どは弾かれた。
紅蓮突貫楯も黙ってなどいない。
炎が奔る。周辺の林に加え、家屋の全てを焼き払うような炎の渦。
凡そ、生物が接近する事が出来ないほどの炎の渦を生み出し、突貫楯は回り続ける。
奔る炎の帯。だが、それらはやはり大伐採錬の虚空へ浮かぶ刃のリングに全て弾かれていく。
炎を引き裂き、大伐採鎌のリング状に回転する刃は、鞭の様に、鋳薔薇の様に撓りながら突貫魔法少女へ向かう。
方や紅蓮突貫楯。八角が生み出す炎の渦は、蛇の様に、舞い上がった木の葉の様に踊りながら伐採魔法少女へ向かう。
あまりに凄まじい打ち合い。弾かれた大伐採鎌の刃は世界樹の周辺を無差別に撫で、切り刻み、破砕し続けていく。
弾かれた炎は世界樹周囲の林を初め、多くの家屋になど引火し周囲を炎で嘗め尽くす。
二人が気狂いの様に繰り返す撃の応酬。
それは破壊以上のもの。最早破壊と呼ぶにはあまりに苛烈で、しかし、破壊と呼ぶにはあまりに潔かった。
それは、色即是空を数百倍の速度に早めたものであった。
繰り返される事柄。繰り返される事象。そして、繰り返し終わっていく全ての事柄。
形あるもの全て滅びる。
永久不滅の四文字はなく、存在必滅はこの世の無情にあっては是。
これは如何なる事柄であっても否定は出来ない。
永遠に続く。この世ある限りは、永遠に。
そして全一に等しい。誰も違えることは出来ないのだ。
そんな色即是空と空即是色。赤黒い閃光と白銀の閃光はソレの権化であった。
それでも、両者の周辺は美しかった。
何故か。炎。突貫魔法少女の放つ炎がソレを成しているのだ。
伐採鎌が生み出してしまった傷に、突貫楯の炎が引火する。
しかし燃えない。数度か燃える、消えるを繰り返し、そして直る。元の状態に。
治療系の魔法使い故の芸当なのか。
だが、突貫魔法少女にはその意思は無い。魔法を使うという意思は、突貫魔法少女には無いのだ。
では何故炎が撒いているのか。理由など無い。突貫魔法少女の無意識。それがそう成しているのだ。
焼く炎ではなく、焼かずの炎。しかし完璧に癒すという炎ではない。あくまでも炎。寛恕の炎であり、悲哀の炎であった。
狂ったような猛る炎と、狂ったような奔る刃。
二つのぶつかり合いは、ただの打ち合いとなっている。
全力開放の打ち合い。それが尤もしっくりと来る言葉だろう。
それだけの激しさ。魔法と言うものの華々しさもなければ、戦いに胸躍らせるような者でも胸躍らせる事無いかのような紅蓮と暴風の単純な自然現象同士の打ち合い。
それだけが、両者の間で交わされている最後の一欠片であった。
刃が奔る。突貫魔法少女の周辺が、鞭で抉られたかのように抉れ、少女自身の体も数箇所、かすり傷が生まれていく。
恐らくは、突貫楯と炎による守り成らぬ撃がなければ突貫魔法少女は早八つ裂きとなっている。
それは本人自身も自覚していた。
自覚あって、打ち合わせているのだった。
傷つく事を覚悟の上で、突貫魔法少女は、完璧な防御体制には移らなかった。
それは伐採魔法少女も同じ。
奔る炎。それが体を焦がしていく。
服は焼け焦げ、珠のように美しかった肌にも火傷が目立ち始める。
恐らく、大伐採鎌に拠る撃がなければ伐採魔法少女は黒焦を通り越えて灰と成っている。
それを、本人も自覚していた。
自覚あって、打ち合わせていたのだ。
焼け焦げるの覚悟の上で、伐採魔法少女は全リングを同時に仕掛けるようなマネはしなかった。
気狂いのような魔弾と魔斬の応酬。
お互いに防御、回避の二文字は頭の片隅に蚊の屍骸ほども存在してはいない。
ただ、気狂いの様に撃たれ撃ち返され撃ち返すを繰り返すだけの存在となっている。
まるで、機械。まるで、獣。
まるで、しかし、その二つの円環は。確かに意思のあるものに担われた、生きとし生けるものの、意地の塊であった。
加速する。撃ち合いが加速するのだ。
初めの間隔から今の間隔を比べれば数倍の差がある。
数秒単位で撃ちこみ、弾き返し、撃ち返す。
そうであった筈の応酬が、いつの間にかコンマ単位で繰り返されている。
撃ち込みと弾き返し、そして撃ち返し。それが、目を閉じる暇も無いほどの速度で繰り返されている。
両者共に絶命必死の乱撃。
一発でも撃ち込まれ弾く炎を通せば、同様、一撃でも撃ち込まれ弾く刃を通せば。二人は互いに砕け散る。そんな撃の嵐。
故に気狂い。お互いに絶命必死の撃を撃ちあっていると言うのに、お互いにソレを防ぎ、躱す様な仕草は皆無。
来る前に弾き返し、撃ち殺され、切り刻まれる前に。焼き焦がし、切り裂く。その何れかを相手へ叩き込む。それだけであった。
それは、子供の喧嘩にも似ているようであり、泥沼化した戦場を見ているような光景だった。
繰り返す。何度でも繰り返す。
下らないと知り、終わらないと知り、それでも繰り返す、人間の業そのものの体現だった。
ただ。目的はただただ一つ。ただの一つを成す為だけに、両者は炎を撒き、刃を奔らせる。
しかし、決定的に子供の喧嘩と戦場と違う所がある。
それはただの一つだけ。お互いに何かを得ようとなど片隅にも思っていない。
ただの、意地だった。
喧嘩のように相手に勝って優越感を得る気など無い。
戦場のように領地を奪い、金銭糧秣を徴収する気も微塵も無い。
ただ、意地だけがぶつかっていた。
炎を統べる少女と、刃を操る魔法少女を突き動かすのはただそれだけの意地だった。
目の前で互いに繰り広げられる撃の嵐。
凡そ、見たことも無いような破壊と炎と再生の嵐。
突貫魔法少女は数ミリずつ前へ出て、しかし、数ミリずつ下がる。
頭上で回転する八角の円環。炎を撒き散らし、単一性元素肥大式で構築された刃を弾き返し、猛り狂う。
突貫魔法少女らしくない、その戦いの仕方を突貫魔法少女は嘆くでもなく、哀れむでもなく、ただ、俯いたままで繰り返しを受け入れ、時折降り注ぐ刃の嵐をその身に甘んじて受けていた。
突貫魔法少女は前に立つ伐採魔法少女をどうにかしたいとは思っていない。
思っていないが、では何をしたいのだろうかと言う疑問に駆られた。
その疑問。それは彼女の疑問ではなく、先代の突貫魔法少女が懐いていた疑問ではないのだろうか。
そして、今の突貫魔法少女は単に、その答えを得る為だけに、突貫魔法少女と言う役割を担っているのではないだろうか。
その疑問を突貫魔法少女は砕く。
そんな事では無い。そんな事を成そうとしているんじゃない。そう訴えた。
何故訴えているのか。何に訴えて居るのかも自覚も出来ず、なおも繰り返す。
回転を更に早め、撒く炎は業火の如く。
もう、その炎が届いているのかも定かではなかった。
繰り返されるは破壊の嵐。
それに、突貫魔法少女は顔を俯いていたからだ。
見てもいない。見ようと思えば見える。伐採魔法少女から見れば、確かに見えているのだから。
だが見てはいない。見ずに、俯き、しかし、一歩進めては一歩あとずさる。
言ったではないか。意地だと。意地の張り合いだと。
ならば何の意地の張り合いか。愛か。絆か。
何れでもない。突貫魔法少女も、伐採魔法少女の頭にも、片隅にすらそんなものは存在していない。
言葉ではない。人間的なものでは、最早無い。
張り通そうとする意地。それは単純であり、極々至極単純なものなのだ。
生きとし生けるものの、意地。その程度であり、しかし、如何な者でもそれ以上望む事のないものだった。
世界樹広場は粉々に砕かれていた。
砕かれていたが、全てが正常だった。
炎が治すのだ。焼き尽くす筈の炎が治し、治した場所を伐採鎌の刃が砕く。その繰り返しでもあった。
最早、世界樹広場では以前のような華々しさは微塵もない。
あの学園祭の時行われたライブの時のような華やかさは、最終イベントのような騒がしさは二度とは訪れないだろう。
世界樹は砕け散りかける寸前まで亀裂が走っている。
外の嵐。内の異様。二つの要素が、幾星霜を繰り返し繰り返し見つめ続けてきた巨木を今日この日、完璧に朽ち果てさせようとしていた。
二人の魔法少女と、一つの完全存在に何より近いモノの手により。
色即是空と同じ事だった。
この世の全ては事象であり、移り変わっていかないものはないという事の形容に過ぎない。
人の思いも、生み出したものも、全て同じ。
何時かは消えうせ、何もかもから忘れられていくだけ。そんなものなのだ。
どれだけ喜ばしい事も、悲しい事も。
どれだけ楽しい事も、苦しい事も。
どれだけ美しいものも、醜いものも。
流行りも、廃りも。
輝いていた時も、鈍くなった時も。
そうして、生きていた時も、死んでしまった事すらも。
全ては、何時か忘れられていく。
永遠に続くものはなく、全ては始原へ向けて帰っていくのだ。それが全てであり、答えなのだ。
だから、これも何時かは消えていく事なのだ。
それが早いか遅いか程度だという事であろう。
巨木がどれほど長く生きたのかなど、突貫、伐採両魔法少女は知る良しも無い。
ただ、その内に眠っているモノは知っている。
どれだけこの木が永く生き続けてきたのか。どれだけ永くここに聳え、この地を見守ってきたのかを。
全ては終局へ向けて動いている。
全ては、始原に向けて動き出す。
幾数にも及ぶ道は一つに集い、しかして最後には同じ運命と宿命を辿るように成立している。
抗う事は出来ない。逆らう事は出来ない。覆す事も出来ず、知る事など以ての外。
そうなるようになっており、そうなるように生きていく。
それが生物共通の宿命であり、始原へ向かって帰っていくものの幸せな道。
ソレすらないものから見ればそれは、とてもとても幸せな事なのだ。
ソレすらないモノが、第二世代。完全な命。完璧な存在。機能得限止が言った生命体である。
それは、完全生命体なのだ。
完璧な命。人間が望み願い続けるモノを全て取り揃えたモノ。
不死。不老。無病。全て持っている。
全て取り揃えているが故、何処へもいけない。
何処へ行っても、同じなのだ。
何処へ行こうが変わらないのだ。故に彼の者らは幸せとは遠く離れた場所であり、そうなった者らにとっては幸せなどと言う定義は意味の無いものと化す。
そうなってしまったものが多くある。
鋼性種。機能得限止。神楽坂明日菜。絡繰茶々丸。
人間の定義として既に外れてしまった者たちであるが、彼らに幸せと言う定義はもう無い。
生ける幸せもなければ、死せる幸せも無い。
定義として、幸せが存在していないのだ。
その中で、彼らはただ只管に生き続けていくのみ。
生きて、ただ、我武者羅に生きていく。それだけのモノ。それだけとなってしまう、なってしまった、モノら。
突貫魔法少女はその気配を感じている。
撃ち合い続けていたが故に気付く、その気配。
居るのだと。魔法少女と言う存在が、己が生涯をかけて相対した存在の頂点に立つもの。
鋼性種でさえ、第二世代ではない。
鋼性種の更に上がある。その上に立つもの。
それが、世界樹と言う巨木の中にある。そう感じていた。
確信に近いのは何故か。簡単な理由。彼女は、心底の突貫魔法少女となっていたのだ。
銀色の髪がソレを示す。何故突貫魔法少女の髪が銀色に染まるのか。その理由を、突貫魔法少女は自ら悟った。
この銀色は、鋼性種のものと何も変わらない。
単一性元素肥大式を極限まで高密度で編みこんでいるが故、その体質がソレにより近いものによっていくのだ。
全体が単一性元素肥大式で構築されているもの。それは、一体しかおるまい。
鋼性種。突貫魔法少女が、その突貫楯で突貫くべく対象。
だが、しかし。突貫魔法少女はその高密度で編みこんだ突貫楯を持つが故に近づいていく。
より打ち砕くべく対象に。鋼性種と言う、魔法少女最大の仇敵に近づいていくのだ。それが、この銀色の髪であった。
狂ったような嵐だった。
かの突貫魔法少女の眼にはそう映る。地獄のような光景だった。
人と人の織り成す戦場と言うものがあるというのならば、こんなものなのだろうかとも思考する。
それほど炎に撒かれ、瓦礫飛美散り、全てを砕く、嵐の内で、魔法少女は二人撃ち合いを続けていた。
最早如何なるものでも拮抗させられる事は無いだろう。
単一性元素肥大式で構築された兵装を持つ二人の魔法少女のみに許された激突。
それがこの嵐の体現。他の誰もが耐え切る事など出来もしない究極の撃の応酬。
それが全て。全てだった。
相手を完膚なきまでに粉砕しつくす怒涛の撃の嵐。二人の魔法少女は、何も口にはせず、ただただ只管に、相手の駆逐を願望した。
既に撃ち合いは音速を超えた。見えない。誰も目視できない。
鋼性種。転醒明日菜。限死。鋼化茶々丸。“深き死のエヴァンジェリン”かの存在にしか目視は許さない。
その嵐が、二人の魔法少女の間で行きかっている。
生きようとする意思の嵐。生きとし生けるもの全てが持つ、生存への明確な意地。それの激突に他ならない。
感情は無い。想いなど無い。ただ、ただ撃ち合うのみ。
我武者羅。その言葉だけで事足りる。それが繰り返されている。
それが、幾星と繰り返される、人間の欲と業。全て薙ぎ払うように、続いていた―――
そうして、私は視線を上げた。
居る。目前に居るじゃないの。居るというのに、其処まで駆け出せる足が無い。
其処まで至れる体力が無い。それが、無性に悔しくて。無性に腹立たしかった。
火花も何も見えない。ただ、間で何かが激しく行き交っている事だけが認知できる範囲。
それ以外は、何も見えない。影も。残像も。色も。
唯一見えているのは帯だけ。
赤い帯は私の頭上で回転し続けている八角から撃ち出されているモノで、銀色の帯は相手の頭上で回転しているリングから。それぞれに、一撃抹殺の勢いを纏わせて。
その帯の繰り返し。赤い帯は相手の頭上のリングで全部散らされ、周囲を焼いていく。銀の帯は私の頭上のリングで全て弾かれ、世界を切り刻んでいく。
単純で純粋な繰り返し。
他に望むものは無い、ただただそれだけを目的としている行為の応酬。それが、私と、伐採魔法少女の間で繰り返されていた。
思い返せることを、全て思い出す。
少しずつ視界が狭まって、白く、とても白く変わっていく。
帯も。撃ち合う音も。崩れていく世界も。何もかも白に満ちて、私の視界は完全に白に埋め尽くされる。
思い返せるのは、全て思い出。思い返すのだから、思い出しか思い返せない。
沢山在った。
掛け替えの無いもの。
なくしてはいけないもの。
費やしていくだけだったモノ。
沢山。数え切れないほど、沢山の思い出。
それが消える。消えていく。私自身が消していく。許されてはいけないが故の私の意志。
罪だと言うのなら、私自身が許されないというのであれば。
私が、彼女たちを殺したというのならばその罪を償わなくちゃいけない。
けれど、死では軽い。
死ぬ事では、彼女達に省みれない。死ぬ事以上の断罪を、自身で自身に下さなくちゃいけない。
ならば、焼いてしまえ。何もかも。
残さず灰にしてしまえ。
感情も。憎悪も。悲しみも。怒りも。思い出も。憐憫も。哀愁も。欲望も。
全部、全部。残さず、灰になってしまえ。
焼く。心の裡で、炎を炊く。それが、全部焼いていく。残さず焼き払っていく。
反省とはここまでやって反省だ。
心底許せないというのならば、心底焼き払ってしまう。それでしか、私は反省の仕方は知らない。
他の方法で、許されるとは思っていない。
そも、許しを請い、許されざる事を他者に請う事が間違え。
本気で自分を許せないというのならば、自分で自分の心を焼き払う以上の事があるかな。本気で許されない事を犯したというのならば、そも、口に出すのが間違えよ―――
言葉では反省足り得ない。
言葉にする時点で無意味。言葉では、反省の意思は伝わらない。
ならば焼く。一つ残さず、焼いてしまおう。
それが全てだ。本気で許しを請い、許されざるを証明するというのならば、言葉にする前に焼いてしまえ。何もかも。
反省心と言う言葉さえ陳腐。許さないでなんていわない。
言った所で、そんなのは知っている。知っている事に許しを請う気は無い。故に、全部、焼き払ってしまおう―――
燃える。何もかも燃えていく。残ったのは僅かな欠片。
私と言う、小さな欠片だけが今の私を支えている。
他には何も無い。何も。
全部焼いてしまった。あの子との思い出も。妹との笑顔も。―――少年の、あの共に居た時すらも。
思い出してはいけない。
焼く。一つ残らず焼き払う。灰だけにしろ。自分で自分にそう叫び続ける。
それだけが私に出来る全て。
皆がそうすればいい。
許されない事。許されてはいけない事をしたというのなら、言葉による反省は無意味だ。
焼け。何もかも焼いてしまえ。
自分の足跡を消してしまうほどに、自分の思い描いたものも、自分が生み出したものも、何一つ残さず焼き払ってしまえというのに。
ありえない安堵を抱いてしまった。
ありえない許しを与えようとしてしまった。
ありえない事を、願ってしまった。
だから焼いていく。この安堵を焼き焦がす。
私は、魔法使い。魔法使いなのだから、そも、人に関わるべきではなかった。
だから、彼女に関わった時点で私の罪は確定。結果は―――アレだ。
焼く。燃やす。焦がす。焦土へ変える。
炎の魔法使いである私にふさわしい荒野。荒地ではなく、炎燻る地獄のような場所が、私にはお似合い。
だから、そこに至るまで、全部全部、焼いてしまえ。
奥歯を噛んだ。痛みは無い。痛みすら焼いていた。痛いと思う心も焼き払ってしまいたかった。
そうすれば、楽にはなれなくとも省みる事はできた筈。
心なんて、私は持っていてはいけない。焼いて、しまえ。
心を持っていたから、大切な人を傷つけた。大切な妹を、死なせた。
そんな心を持っていてはいけない。
焼こう。焼いてしまおう。何もかも。絆なんていらない。想いなんていらない。
全部、何時かは灰になってしまうというのならば―――今此処で、焼いてしまえ。
燃えた。燃え尽きた。
完璧に燃やし尽くした。もう私の欠片は一つぼっち。ソレしか残っていない。
もう、撃ち合いにどんな意味があるのかも自覚できていない。
考える。何もかも燃やし尽くした後だって言うのに、考えられる事がまだったなんて反省が足りない証拠だ。
でも、考えてしまっている。
何を、考えればいいのかも解らないのに。どう考えればいいのかも、知らないのに。何を考え、どう応えればいいのかも解らないクセに。
銀のリング。ソレの真下に居る、伐採魔法少女。それに挑んだ、その理由は何なのだろう。どうして、彼女へ挑んだのだろう。
それは、彼女の最後の欠片。今の私の最後の欠片。それを叶える為だと想う。
ああ、なんだ。やっぱり捨てきれて、ない。まだ、彼女と居た時の思い出が私を燻らせているじゃないの。
でも、それが私の最後の一欠片。
最後の最後。私と言う存在を立証する、最初で最後の一欠片なのだもの。
捨てるのは、コレが全て終わってからでも充分だと想いたい。その考えすら傲慢だけれど、そう想いたいの。
彼女は、最後の最後まで自身を案じなかった。
この巨木。コレを断切ろうとした伐採魔法少女を、自分の意思で止めた。
でも、それは彼女の思いじゃなかった。
彼女は、案じたんだ。この学園を。この巨木に想い馳せる、全ての人を。だからあの時、彼女に縋り、そして結果は―――
それを成そう。彼女が成せなかったというのならば、突貫魔法少女ホライゾンたる私がなそう。
他に成せる人は居ない。彼女の真の心を知る人間は、私でも誰でも無い。
彼女は彼女であり、彼女以外に彼女は居ない。
故に、成せるのは私。彼女を継ぎ、彼女を成し、恥と知って、彼女を演じ続けているこの私だけが―――あの、伐採魔法少女と言う存在に立ち向かっていける。
その代償を払い続けている。自分の全てを焼き滅ぼすという事。自分の未来を全て灰に変える行為。それが、私の反省よ。
許されない事をした。許される気は無い。
だけれど、それで自分に何もしない必要が無いはずが無い。
自分でそう決めたのなら、自分の何かを燃やしてしまえ。それさえ出来ねば、許しがいらないなどと口ぶるな―――そう、叫び続けている。
他者が許せぬ事を、どうして自分で受け入れる事が出来るって言うのだろう。
他者に許して欲しくない事を、どうして自分で放って置く事が出来るのだろう。
自分で自分を裁く。それが、コレ。自分で自分を焼いていく。何もかも。何一つ残さず、全部焦がしつくしていく。
此処に居た意味。此処に生きた証。
ありえない安堵に身を任せた私。その結果が、アレだったというのなら。
私は私を許す事は出来ない。
ソレは、私自身の全てを焼いていく事で反省の種としましょう。
私と言う存在そのものの焼却で、許しの証を此処に建てましょう。
思い出は全て灼爛。何もかも焙陽と化した私の感情。
でも、たった一つだけが灯火のように揺らぎ、私を突き動かしている。
それが、今の私の全て。それが、突貫魔法少女を貫き動かす、全て。
白い世界が、晴れた。
世界は紅蓮。あるいは、全てに傷が入り、亀裂の奔っている世界。
現実。全部現実。これが現実なんだ。
現実の壁。幻想を磨り潰し、幻を消し流し、夢理想を粉々にしていく現実。
理不尽な行いがある。受け止められない事柄がある。
譲れぬ矜持がある。誇り高い自尊がある。
だが、だからどうしたというのだろう。それが何か意味のあるもので、この世を回す歯車になどなると想うのかな。
結局は、何の価値も意味も無い。
最後には全て灰。そうだとすれば、意味は無く、価値はなく、意地も無い。
現実はソレをひき潰し、どうでもいいものと扱い、今日も廻る。
回り続ける。いつまでも。ソレだけが現実。ソレだけが、リアル。
途方に暮れる事。涙する事。憤怒の炎に心燃やす事。如何なることにも心動ぜず、冷静な事。
それはそれさえも薙ぐ。それさえ巻き込み、ソレさえひき潰し、世界に不平等と言う名の現実の壁を突きつける。
逃れる事は出来ない。目を叛ける事も出来ない。変える事、覆す事なんて、以ての外。
だから、生きていくのね。
全力。何事にも全力。此処で生きていくにはそうするしかない。
生きていくという生存行為は、こんなにも困難だったなんて。今更になって、気付いた。
そうして気付く、生かされていたという事。その果てに、生きているだけの事が、ここまで幸せな事だったなんて。
目の前に、そのありふれた幸せを掴もうとしている人が居た。
普通に生きて、普通に死ねればそれでいい。そう考えている女性。そう、それは、とても幸せな事。
何一つ知らない。何一つ関わらない。何が起ころうとも動じず、関わりを悉く断ち切る。
そんな、ありふれた、慈悲も無いけど、危険もない究極の生き方。
彼女は、伐採魔法少女と言う存在は、それを目指している。だから、強い。こんなにも。普通を得ようとする為に、此処まで強い。
なら、私じゃ勝てない。私にはもう何も無いから。私に残されているものなんて、もう何一つないから。
でも、それでも必死に赤と銀の閃光入り混じる世界を凝視している。
巨木が揺れる。地の底。其処から声が聞こえたような気がした。
勿論気のせい。でも、声が聞こえる。
誰の声だろう。あんまりにも轟音過ぎて聞き取れない。赤い炎と銀の刃の応酬が、尊くも尊大な声を掻き消してしまっている。
もう、何年撃ち合っているかな。
本当は数分も経ってない。数分経っていないのに、私の心は数年も経過したかのように荒み、涸れ果て、それでも、たった一つの欠片の為に、全身全霊をとしている。それが、私。
生きようと、誓った。最後の最後まで、生きていくと誓った。
彼女の思い。妹の願い。私に出来る、最初で最後の一欠けら。それを、成しに行かなくちゃ。それを、叶えに行かなくちゃ。
突貫楯。それの基礎を握り締める。
無傷ではすまない。尤も、生存競争だもの。戦いならぬ生存競争。それを生き抜くためならば、怪我があっても構わない。
怪我は、怪しい我と言うのだ。
自分が自分であると認識できなくなるまで粉々になってこそ、怪我。
そんなモノ以外は、怪我の範疇には該当しない。なら、私はこれから、確実に『怪我』を負う。
痛いのは我慢できる。我慢するような怪我にはならないけれど。
ああ、でも、我慢しなくてもいいや。泣き喚きたくはないけれど、きっと、それぐらい私は自分の身に与えなくちゃいけないもの。それぐらい、されて当然だもの。
突貫楯の基礎。ソレを少しだけ、ほんの少しだけ、捻る。
回転が、ほんの僅かに緩まった。ほんの僅か。ほんの、0,02秒遅れただけだって言うのに、足元が抉れて行く。周囲が、全て粉々になっていく。大伐採鎌。それが、吼える。
足が切り裂かれた。赤い血が迸る。
でも、うん、熱いだけだね。平気平気。こんなのへっちゃら。
胸を貫かれた彼女や、体を二分にされた私の妹。それから比べれば、どこが苦痛の対称だろう。
どれほどの、痛みの規模だろう。こんなの、痛みに入らない。もっと、もっと―――私は、地獄を味わうべきだから―――
突貫楯の基礎を極限まで捻る。
それで、紅蓮突貫楯は終わった。
炎は私の周囲にだけ集い、天空で回転していた八角の突貫楯の単一性元素肥大式部は、元の突貫楯を構築する星型八角錘へと戻って、突貫楯の基礎部に収まった。
雨が降り注ぐ。本当に、酷い、雨。
雨で無い事は知っている。
嵐。絶命の嵐だった。
誰も近づけないし、目視なんて言うのも許さない。
掲げた武器は悉く粉砕。そこに在る命は、悉く一撃抹殺。
そんな、雨。大伐採鎌。その銀色の刃が、湯水の如く鋼の雨を降らせる。
ブチブチ筋肉と血管が切れていく。ゴリゴリ骨が砕けてく。ぐちゃぐちゃ肉がかき混ぜられる。
周辺が全て砕けていく。世界樹広場。
あれだけ豪奢なつくりだったあの広場が、もう、見る影も無い。
西洋風の建築物も、木の幹そのものも。何もかもが、完膚なきまで、ここまで完璧なんて言うのが許されるのかと思うぐらいの、大破壊。それが、目の前で。私の体を削りながら、起こってる。
痛い。全身が痛い。
無理も無いかな。身体が砕かれている。
降り注ぐ雨全てが絶殺。一片でも頭を貫通すれば、一片でも骨を砕いて心臓へ届けばそれで終わる。私が死んで、あの巨木も、折れる。
多分。二目と見られない姿になっていると思う。
だって、全身痛い。本当にバケツをひっくり返したぐらいの勢いで降り注ぐ銀色の雨は、余すことなく私の体を粉々に砕いていってる。
死ぬほど痛いくせに、痛いという感情表現能力を燃やしてしまったから喚けない。
残念。私、もう、泣くことも出来ないみたいだわ。
でもね。決めてるから。最後の最後まで、貴女と貴女の為に―――
開いた。突貫楯。あの嵐で、基礎部は半壊している。
その半壊した基礎部を何とか捻って、突貫楯を半分だけ開く。半分。八角中左側四角。それを開いて、前に構えて、走った。
炎が、撒く。砕けつつあった身体が炎と共に蘇る。
もう一度、見られる体。炎の中から蘇った、私の小さな、何時だったか、肌が綺麗だって誉めて―――
ブヅン。
展開されて無い側。八角中右側四角が展開されず、デフォルトの形態のまま、前方を向いている方。
そっち側に該当する、右半身。その腕が吹き飛ばされた。
血が流れる。だらしなく血が流れてる。
飛ばされた右腕はもう当に粉々。最後の最後まで見届ける事が出来なかったのが、本当に残念。
ありがとう、私の右手。さようなら、私の右腕。土に食われて、この星の糧となってね。
進む。凄まじい圧力の中で、突貫楯を半分だけ展開した状態で、やっと走り出す。
突貫楯の単一性元素肥大式部に組み込まれているバーニアを点火させて、若干浮上しつつ、前を、目指す。
ぶぢり。
右足がもげた。もげて、瞬時に粉々にされた。
無理も無いか。さっきより雨の勢いが激しくなってるものね。捥がれれば、そりゃ捥がれた瞬間、粉々よね。
でも進む。痛いなんていっていられない。
痛い感覚は残っているけど、痛みに反応する心は燃え尽きている。
ああ、よかった。燃やしておいて本当に良かった。痛いって事を表現する場所を燃やしておいて―――本当に、良かった。
ゴギャリ。
左足も取れちゃった。ああ、痛いイタイいたい。
でも、進める。進めている。嵐の中を、左手一本で突貫楯を構えながら、進めている。
うん。なら、まだ大丈夫。目指す。真っ直ぐ、真っ直ぐに。あの先を、目指す。
雨は晴れない。けれど、前は目指せる。
銀色の雨の中。一人、行こう。
突貫魔法少女だもん。何でも突貫いて、何でも、砕かなくちゃ。
ソレが役目。突貫魔法少女ホライゾンの役割。成さなくちゃいけない、コト。
奔る。突貫楯の基礎部は、もう殆ど原形をとどめていない。
その基礎部を捻って、突貫楯を、前へ。前へ。只管に、前に―――
銀色の雨が急に晴れた。加速。正面からの凄まじい勢いが弱まったから、一気に加速がかかった。
届く。コレなら、届く。目前。伐採鎌を掲げた、伐採魔法少女。それに、届く。届くなら、やれる。
突っ込め。突貫け。砕け。
突貫魔法少女の役割。彼女が成そうとしていた事。
妹も、願っていた事。何より、突貫魔法少女足りえる私が、今成さなくちゃいけない事が、目の前に、あるの、だから―――
突貫楯は突貫形態。
目前には、酷く体の細くて、綺麗で、美人なあの人。
伐採魔法少女。鎌の柄を構えたままで、動いていない。なら、突貫ける。突貫。突貫。このまま突貫いて。そして、そして、そ、して―――
ああ―――ごめんなさい―――
嵐が止んだ。とても静か。
とても、気が遠くなるほど、静かな中に、失った両膝から下を硬く、砕け散った瓦礫の上に腰掛けながら、殆ど全裸に近いボロボロの体を見下ろした。
突貫楯は、傍ら。視線がハッキリしないのは、泣いているからじゃない。
それは、ただ単純に。目の前には、殆ど無傷の、あの、伐採魔法少女が立っているから。
殺せなかった。突貫けなかった。
この楯で、突貫くって訴えていたのに、それでも、私は突貫かないで、楯を、眼前で止めた。
ごめんなさい。貴女に肖ろうと頑張ったの。
ごめんなさい。貴女の敵を討とうって、そう決めていたの。
ごめんなさい。でもやっぱりダメだった。
ごめんなさい。私には、殺せない。
ごめんなさい。私は、魔法使いだから。
ごめんなさい。何があっても、誰かを、傷つけちゃいけないから―――
「―――どうして止めたの?」
久々に声を聞いた。穏やかな声。
どこかで聞いた、懐かしい声だった気がする。
彼女、とは違う。もっと前。もっともっと前に聞いた―――ああ、なんだ、この声は。
そう言う事だったんだ。妙に、納得がいった。
この学園で過ごした数日。その最後を飾るのは、やっぱり、この人しかないと。
どうして止めたのか。そんなこと、知らない。ただ、殺せないと思っただけ。殺したら、何もかもなくなってしまうから。
本当に、彼女がいた事すら、なくなってしまうから―――
だから仮令人殺しでも。貴女は、彼女を覚えてくれている最後の一人なのだから―――
「―――ああ、そうなのね。それじゃあ、しょうがないかな」
鎌が降りた世界樹広場は完璧に、本当の意味で原型をとどめていないほどに砕け散り。それでも、しずくを打った様に静か。そう、その時までは―――
地震の様な地響きが轟く。足元。
とは言っても、もう私には足なんて無いから。殆ど裸で。そのお尻辺りから、凄まじい地響きが轟く。
衣服の全てはさっきの大伐採鎌との応酬で全部千切れちゃった私の魔法少女服。
でも、何を恥ずかしがる必要なんてあるんだろう。こんな、傷だらけで、でも炎のお陰で傷なんて無くて。ただ、心はもう、完璧すぎる寸前まで砕け散りかけていて。
巨木から銀色の光が漏れている。天空から差し込む木漏れ日のように。
罅割れて、今にも砕けて散りそうな巨大な木。始めて見た時の雄雄しさと気高さは変わらずとも、その内からは、その時以上の威圧感が漏れている。
その時、世界が反転した。
周辺から感じる気配。周囲。肌一枚挟んでの世界が、凄まじい気配で揺れている。
コレは何かと感じるより早く、感じ取ってしまった。
コレは、鋼性種の気配。完璧な命により近い、けれど、かの漆黒の結晶体を母体としている究極の生命体。
それの気配が、世界そのものから伝わって感じ取れる。
「うん。やっぱり怒るか。無理も無いかもね。
サポートちゃんも、そうでしょ? 親しき仲にも礼儀あれ。あたし達はこの星に生まれて生きてきたけど、この星はそもそも私達のモノじゃない。私達は単にこの星の上で生かされていただけ。それだけの生命体。
それが好き勝手にやって、好き勝手に破壊を繰り返してたんじゃ、怒られても文句は言えないと思わない?
だから、怒ったみたいね。誰だって自分の部屋で好き勝手やられたらキレもするわよねぇ。
と言うワケで、今度こそ私達が滅びるばん。人間程度が小細工考えた程度で、この星や世界が思い通りに動くわけ無いじゃないの。
人間の定義で生み出されたものなんて『所詮はその程度』なんだから。
じゃあね。私、行くわ。あとは好きにやってちょーだい。サポートちゃん。いいえ、突貫魔法少女」
それだけ告げて、伐採魔法少女は行ってしまった。
相変わらずのマシンガントーク。けれど、初めて会った時と変わらない穏やかな声と、去り際にかぶった、大きな丸い鍔の付いた帽子を被って、彼女は、銀色の咆哮ならぬ咆哮響き渡る世界樹広場を後に行く。
最後の最後まで、伐採魔法少女らしく。竹を割ったような清々しさで、彼女は、私も鋼性種も関係ないと言わぬばかりの対応で、去っていった。
残されたのは、私一人。足は両足とも無く、片腕だって無い。
体は捥げた所は深紅に染まって、けど、何時か彼女や妹が誉めてくれた白くて綺麗だといってくれた肌が露になっている。
周囲から鋼性種の視線の様な気配を感じても、恥ずかしいなんて言ってられない。
やるべき事を、やる。ソレが彼女との誓い。
私が継いだ、突貫魔法少女と言う存在としての役割。
今の私にだけ出来る事がある。突貫魔法少女として、やらなくちゃいけない事がある。
突貫楯の砕けかけた基礎部を握る。
痛みは、不思議と無かった。両足が切り落とされて、片腕だってないし、服にいたっては身にも纏っていない。
重症に重傷を積み重ねたような状態だけれど、私が、やらなくちゃ。
何とか突貫楯を使って体を起こそうと頑張ってみた。けど、ああ、やっぱり難しいわね。
足が無いって、こんなに不便だったんだ。初めて、両足がまともに機能しない人の気持ちをじかに味わった。コレは、本当に大変だわ。
でも、今の私に手を貸してくれる人は居ない。私は一人。一人で、今から成すべき事を成さなくちゃ行けない。
だから、立って、そしていかなくちゃ―――
けど、運命とか宿命っていうのは結構に残酷で。
「―――アー、ニャ?」
聞きたくも無い声を、聞いてしまった。
振り返る。銀色の紙を振り乱し、かつもう、私であった面影なんて微塵も残っていないにも拘らず、アイツは私を、私だと見極めた。
ソコに、居る。赤毛と茶の髪。変に大人ぶったり、子供っぽい事なんて殆どしない、けど、それが妙にむかついて、アホだのバカだの言い罵っていた、私の、幼馴染。
銀色の光木漏れぶ中、幼馴染と、私は、二度と会うことのない再開を果たしてしまった―――
「アーニャ……だよ、ね? ど、どうして此処に……!? あ!! あ、アーニャ、足が……っ!!」
駆け寄ろうとしてくる幼馴染。
でも、今触れられるわけには行かない。
安堵に、身を任せるわけには行かない。私は、もう、突貫魔法少女なのだから。
突貫楯の基礎部へ突っ込んでいた手を引き抜いて、振るう。
其処から出した一枚の紙。それを、トランプカッターのような原理で飛ばし、ネギの胸元へ投げ渡した。
ネギの足が止まる。胸元に投げつけられた一枚の紙。
それが、風に揺れて胸元から離れ、地に落ちていく。そうして、幼馴染の顔は凍った。投げつけた紙。それに記載されている全てを、見て。
「あ、兄貴っ!! こりゃ『マギステル・マギ』の特別認定書だぜ!?
噂でしかしらねぇが、何でも見習いマギステルに付く報告者ってのがそのマギステル候補の今までの働きを見て特別に発行するってモンだ!!
これさえありゃ兄貴も直に…って、どうしてあの嬢ちゃんがこれを持ってんだ???」
アルベールが殆ど説明をしてくれたから、私からは何も無い。
ネギ。それを渡しておくわね。その胸にしっかり受け止めなさい。
「そ、そんな事よりアーニャの事だよっ!! アーニャ待ってて!! 今助けてっ……うわぁ!!?」
地響きが酷くなる。
もう、時間が無いみたい。怒っているのが大地を通じて解る。
鋼性種。姿は見えないけれど、学園の影と言う影の中。暗闇と言う暗闇の中から気配だけがしてる。
それを上回る気配の大きさ。生物としての存在が違う存在感を持ったのが、此処、この巨木の内から生じている。
岩盤が捲れ上がって、私とネギの距離が一気に開いた。
それは、私からすれば丁度良いこと。今の私は、ネギに触ってもらえるほど上等な存在じゃない。
愚直なまでに真っ直ぐで、何事にも頑張って前を目指していたアンタとは違うのよ。私は、もう、何もかも燃やし尽くしてしまったから―――
盛り上がっていく岩盤。巨木の中腹まで盛り上がった所で、木の内から漏れる銀の閃光が一層激しくなる。
それを横目に見つつ、下段。下界に居る、ネギを見た。
心配そうな顔で見上げている幼馴染。何処か、すっかり大人びた顔立ちになった幼馴染を。
言葉にはせず、表情と視線だけで訴えかける。声を出しても通じる距離じゃないだろうから、出来る限り目を細め、意識がちゃんと、伝わるように。
ネギ。ソレを手にしたからには、後はアンタが決めなさい。
マギステルになって世界を廻り、恵まれなかったり、災害に苦しむ人を救うのも良いわ。
ソレを保留にして、このまま学園で教師を続けるも良いでしょう。
サウザンドマスター。アンタの父親を捜すならそれでも構わない。もう、私が止める権利なんて無いもの。
―――ただ一つだけ忘れてはいけない事は、選べるのは、たった一つ。それ以外の道は、無いと知りなさい。
視線だけでそう訴えた。
伝わったかなんて解らない。ただ、細めた視線とかち合う、力強い意思の眼差しが、色を失っている。
悟ったみたいだった。私が言いたい事。ネギ・スプリングフィールドと言う幼馴染が選べる、たった一つきりの道筋を。
これで、本当に終わり。
私。突貫魔法少女以来だった頃の私だった時はお仕舞。
これから、私の最後の役割を果たさなくちゃ。突貫魔法少女ホライゾン。その役割を、果たさなくちゃ。
突貫楯の基礎部を残った左手一本で持ち上げて、掲げる。
天を貫くかのように構えられた突貫楯。先は、満天の星空と、白く重い、かの岩の塊一つ。
低い駆動音。それが最後なんでしょうね。
ごめんね。本当の使い手になりきれなかったから、アンタをちゃんと使ってあげられなかった。
でも、お互いボロボロだから、許してくれてね。あんたには許されたいな。他の全てが許さなくても、あんただけは。
相棒。突貫楯を掲げて、空へ急浮上していく。
昇る。巨木を超えて、なお昇っていく。銀色の発光は激しい。それが頂点を極めようとした時だったか。
巨木は、盛大な音を立てるでもなく。その巨体が積み上げてきた全歴史を―――終えた。
―――学園都市場所不明
その轟音と地響きの中に、彼女たちは居た。
長瀬楓。佐倉愛衣。そして、神楽坂明日菜のカタチをした何かと、かつて、機能得限止だったもの。
それが見合う中だけが現実として動き、それ以外、全ての世界が長瀬楓と佐倉愛衣には非現実だった。
魔法界に触れておきながら非現実と言うのも滑稽だったが、非現実だった。現実とは認めたくない破壊。
それが、彼女たちの目に深く焼き付けられている。
燃える麻帆良。銀色の爆光に包まれ砕け散った世界樹。
そして、目の前。獣耳を生やし、鋭い犬歯を覗かせる、手足甲冑のみの神楽坂明日菜と、気付きもしない。かつて、機能得限止だった、モノ。
ガズ。神楽坂明日菜が両膝を付け巨大な大剣を地面に突き刺した音だった。
その音と共に、機能得限止だったモノは後ずさり、桜通りの端へ背を向けて去っていく。
長瀬楓と佐倉愛衣は、夢見るような眼差しでその光景を見ていた。
アレだけの暴風じみていた機能得限止だったモノのあっさりとした、しかし、穏やかなまでに退いてく、その姿を。
同時に、自分たちの目の前で、両刃となった剣を突き立て、獣耳のまま天を仰ぐ、神楽坂明日菜を。
「―――愛衣」
佐倉愛衣はよく聞いていた声を耳に受けた。振り返る。
其処には、傷ついてはいるが、五体満足の、だがしかし、肩口からは大量の出血を伴った高音・D・グッドマンが立っていた。
「お―――お姉さま……? ………お姉さまぁ!!!」
長瀬楓の傍らであった佐倉愛衣は駆け出し、ボロボロになった高音・グッドマンに縋りつく。
両目からはとめどなく涙を流し、久しく忘れていた少女の様相で泣き続ける佐倉愛衣を、高音・D・グッドマンは両膝を付いた神楽坂明日菜の姿を心底に悲しそうな双眸で眺めていた。
長瀬楓が動く。殆ど腕としては機能しない、抉られた方の腕を庇いながら神楽坂明日菜に近づく。
天を仰いだまま動かない神楽坂明日菜。両目は髪の毛に隠れ、その顔を窺い知る事の出来ない神楽坂明日菜の傍らまで立ち、その手を取ろうとする。
「……明日菜殿。怪我の治療をせねばいけないでござるよ。
どうやら―――アレは拙者らに興味を失ってくれたようでござるから」
反応はなかった。
神楽坂明日菜は天を仰いだまま、両膝を地に着けて動かない。
長瀬楓は不審に想ったと同時、視線をその頭を突き破って現れたような獣耳を見る。
見て、気付いた。人の耳が無い。その耳。狐のような、若干狐よりも大きめのその耳は、人間の耳の在った位置を奪い、皮膚の下から、生えていた。
それに長瀬楓が息を呑むのが早いか。神楽坂明日菜が動く。
顔を動かし、臙脂の髪を顔から数本流し落として、神楽坂明日菜は、猫のような虹彩の片目と、辛うじて人間味を残した眼差しで、長瀬楓の珍しく慌てた様子の形相を捉えていた。
「―――ア゛――え゛――っと。ン゛。よかった。ぶじダッタんだ。――え゛ェ゛っと。だれ、だっけ? あのふたり。あ゛ぁ゛――おもいだせない。でも、なんか。ぶじ、ソウヨネ。うん。よかった」
声にかかる妙な雑音。獣の吼える様な韻の交じり合ったその声を聞いて、長瀬楓は後ずさった。
その様子は、確かに神楽坂明日菜のものである。
リーダーシップがあって、優しく、力強く、困っている人を放っては置けないという、典型的なお人よしの少女。
確かに、その声も、自分の方が重傷だというのに他者を労うその態度も。全ては、かの、神楽坂明日菜に間違えなかった。
だが、長瀬楓と、後方の二人。佐倉愛衣と高音・D・グッドマンを見る表情とその眼差しは、酷く虚ろだった。
「あ、明日菜殿―――」
「ん゛? どうか、シタ―――? ………あ゛ァ゛。ゴメン。ほんとうにもう、なんにも。おもい、だせない。あ゛。でも、まだしゃべれてるカラ、ダイジョウブ、かな? あ゛はは」
笑う。壊れた人形の様に彼女は笑い、長瀬楓と佐倉愛衣は絶句し、そして、高音・D・グッドマンは、泣いた。
嗚咽も立てず、一筋目じりから水のラインを牽いて、泣いた。
神楽坂明日菜に似たモノは、本当に神楽坂明日菜であったモノになりつつあった。
かつて、神楽坂明日菜と言う名の少女だったモノ。
これから、神楽坂明日菜のカタチをした別のモノになってしまうだけの、モノ。それが、目の前に居る彼女の、最後の姿だった。
もう、神楽坂明日菜は何を考えて居るのかを断定できなかった。
考えと言うものが該当できない。
思考と言うものが、形作れない。
思い出が、無い。
それが、神楽坂明日菜であったモノ。神楽坂明日菜以外になろうとしている、神楽坂明日菜の姿だった。
それでも、最後に残った僅かな知性の欠片。それを奮い立たせて、神楽坂明日菜は一歩退いた。
長瀬楓、佐倉愛衣。高音・D・グッドマンから離れるように。まるで、機能得限止だったモノの後を追うかのように。
長瀬楓はその細目であった両目を見開いて、神楽坂明日菜の笑顔を見る。
最後の笑顔となるだろう笑顔。
それを見て、悟った。行かせてはいけないと。友人を。戦友を。何より変えがたい仲間を、失いたくないと。
「明日菜殿っ!! まだ……まだ助かる術はある筈でござる!! 超殿にハカセ殿……エヴァ殿もおらっしゃるではござらんか!! まだ、まだ何か手が残されて…!!!」
「わ、私も……私も神楽坂さんを治せる魔法を探して見ます!! 大丈夫ですっ!! お姉さまも、協力してくれますよねっ!?」
叫ぶ長瀬楓と佐倉愛衣。だが、佐倉愛衣の傍らに立っていた高音・D・グッドマンは頷かなかった。
神楽坂明日菜と視線を交えているのみ。
高音・D・グッドマンは知っていたのだ。正しくは、長瀬楓、佐倉愛衣よりも長生きしているが故、知っていたのだ。
どうしようもない事がある現実。救いようの無い現実が、確かに世の中にはあるのだと。
どんな事をしても適わぬ事。どの様に願っても報われない事。
それが、この世にはある事を長く生きている高音・D・グッドマンは知っていた。
そして、目の前。去っていこうとする少女が、既に―――救いようも無い状態だという事に。
それに、神楽坂明日菜は小さく笑む。意識を殆ど失いかけている状態で、最後の最後まで彼女は太陽のような笑顔を忘れてはいなかった。
それは、神楽坂明日菜と言う少女の本質が、笑う事で周囲を明るくさせられる才能を持っていたが故の行為だったのかもしれない。
故に、神楽坂明日菜は小さく微笑んだ。微笑み、しかし、悲しそうに首を横に振って、振り返る。
桜通り。何時か、吸血鬼が出没すると噂されており、春になれば満開の桜が舞い散る場所。
そこの思い出も全て失い、神楽坂明日菜はその奥を見つめていた。
桜通りの最奥。ソコに、行儀良く座した機能得限止だったモノが、居る。
「明日菜殿……」
長瀬楓と佐倉愛衣は言葉を失った。
何も言えなかった。言った所で、どうしようもない事を悟ったのだ。
魔法。忍術。呪術。魔術。技能。そんなモノ、何の役にも立たないことを悟ってしまったのだ。
故に、神楽坂明日菜は救われない。救えない。
獣耳を生やし、甲冑の篭手と具足を身に付け、胸元には千切れの包帯だけを巻きつけ、柔肌を見え隠れさせている神楽坂明日菜。彼女は救えず、一匹の、獣へと―――
「……どうして、行くのです。あれは、あの獣は、あまりに多くを傷つけました。罪も何も無い人間を。多くの学園の人間を傷つけたのです。その様な存在に、何故、貴女はっ………!!」
今まで黙っていた高音・グッドマンが吼えるように静かに訴えた。高音・D・グッドマンはそれだけが納得できなかった。
多くの学園の人間を傷つけ、今も、自らと自らを姉と慕ってくれる佐倉愛衣、そして、長瀬楓を傷つけようとした筈の機能得限止だったモノ。
それに付いて行くのか。付いて行こうとするのか。高音・グッドマンは、ソレだけが納得できなかった。
神楽坂明日菜はもう意識が消えかけていた。
神楽坂明日菜。麻帆良学園中等部3-A所属出席番号八番。
その全てが、消えていっていた。神楽坂明日菜と言う少女の全て。
それが消えていく。残ったものはたった一言。あと、たった一言だけ、口にする程度の理性しか残っていなかった。
だがその一言。神楽坂明日菜は、目の前に居るクラスメイトにも、仲間にも告げる事はなかった。
ただ高音・D・グッドマンと言う仲間の質問に対し、高音・D・グッドマンにも。佐倉愛衣にも。ましてや、長瀬楓にも伝えることなく、振り返って、神楽坂明日菜はくぐもらない、小さな、しかし、美しい声で、断言した。
「なんでかなぁ」
その声は、あの健在だった頃の神楽坂明日菜のもので。
「―――だって、このままじゃああの人、本当に一人ぼっちじゃないの」
言って、神楽坂明日菜は駆けた。
佐倉愛衣の号泣が響く。高音・D・グッドマンは静かにその去り際を見送り、両目を閉じて泣き喚く佐倉愛衣の頭を胸に寄せた。
長瀬楓といえば―――見守っていた。最後の最後まで、見守っていた。
駆けて行った神楽坂明日菜と機能得限止だったモノ――長瀬楓はここで気付く。
神楽坂明日菜がいった言葉。あの人と言う言葉で、漸く、長瀬楓はアレが何で在るのかを悟ったのだ。
故に、駆けて行った神楽坂明日菜とソレ―――機能得限止だったモノを遠く遠く見守り続けた。
助ける為に、人間を捨てた少女と、己の為に、人間をやめた男。
少女は、知っていた。
獣と化した男の深み。幼い頃に見てしまった、男の、人ならざる憧れ。それを、身を持って味わったのだ。
男は獣になろうとも罪無き人を傷つけた。
それは、人から見れば許せぬ事であり、そして、払わせねばならない罪だ。
だがもうアレにはそれすら当て嵌まらなかった。
罪の意識も、罰の謂れも。全ては、罪と罰の二つを理解している存在で無ければ受け入れるには該当しないのだ。
それを忘れ、罪とは何か。罰とは何かを失った男は、もう、それを受ける謂れなど存在していない。
獣は獣。もう、罪と罰を理解する知能すらなかった。
生きていれば救われる。生あってこそ全てがあり。生きているからこそ、道を選べる。
男にはもうソレは無い。男は、もう死んだも同じだった。
機能得限止と言う男は、あの夜。あの時、死んだのだ。完璧に。
機能得限止と言う人間だった記憶、感情、精神、魂の放棄。そうして、生まれたのは限死。限りの死。その名を冠する、獣の王。
生徒だったものを忘れ、何もかも忘れ、全て捨て去り、機能得限止は死んだ。そこに現れたのは、もう、機能得限止などではなかった。ただの、血に餓えた、ただの獣だった。それだけ、だった。
神楽坂明日菜はそれをどこかで知った。
機能得限止はもう居ないと。あそこまで自分と言う存在を見ていてくれた人間が、あそこまで完膚なきまでに実の生徒だった人間を傷つけまわったのだ。
それは機能得限止の意思ではなく、限死と言う、ただ一匹の、獣の意思だった。血に餓えた獣が、血を欲しただけ。それだけだった。
そうして、男は一人だった。
長い長い孤独。誰一人彼の心情の奥底を理解出来る人間など居らず、彼もまたそれにはよらずに一人だった。
だから、神楽坂明日菜は思うのだ。
一人。たった一人でも彼を理解して挙げられる人間が居れば、機能得限止は今日も、厳しくもあの、クラスメイトを誰よりよく見て、誰より教師らしい教師として、Aクラスと馴染んでくれたのではないかと。
一人限は、あまりに辛すぎた。機能得限止にも。神楽坂明日菜にも。そして、誰であっても。
獣二匹が消えていく。
二人は似たもの同士であり、まったく同じであり、しかし、余りにかけ離れた存在だというのに、寄り添いながら、振り返りもせず―――夜の闇に、消えて、いった