第五十八話〜別路〜


 行くべき先は違おうとも。たどり着く先は、きっと同じだと

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 赤い光が全てを包んでいく。鋼化した世界を、赤い雪が、何処までも、地の果てまでも―――降り注いだ。

 それを見上げながら、私はそこに腰掛けた。ますます黒い霧は私の体を覆いつくして、存在を端から咀嚼していく。
 まぁ、だが。それも仕方ないのだなと思う。
 そうだ。これが当然の厳罰だ。あのありえぬ安堵に身を任せ続けて良い筈が無かったのだ。
 私は、裁かれなければいけない人間なのだから。

 後悔は無い。死んだと思った体に宿った僅かな篝火を費やし、此処まで来た。
 成長した多くを見守り、此処まで来た。
 それで良いではないか。私はそう思う。
 間もなくケリは付くだろう。赤い光の粒から伝わってくる、彼女の無念さ。
 あの赤い魔法少女の強い強い想い。それが、この鋼化した世界の全てを包み込んでいく。
 黒い霧は、ますます私の体を蝕み、最終的には向こう側へ引きずり込んでいくだろう。
 当然だ。私は死人で、私は不死者などと言う頚木から逃れ定命となったのだ。
 ならば、その私を向かえいれる者たちはこのような黒い影が適切な事この上在るまい。

 語り残した事も多いし、残そうと思っていた事も多いわけだが、まぁ、仕方ないだろう。
 私が散りゆく時は一人でなければいけない。
 散々奪って、散々好き勝手やってきた私だ。その上これ以上安易かを望むのは傲慢だし、与えられなかった者らに対してあまりに我儘だ。
 だから一人で散りゆこうと思う訳だ。それも、止めと成るのがあの赤い魔法使いの禁忌とされる大儀礼ならばこの上ないだろう。
 全身を焼かれるのではなく、全身を焼くような炎から帰ってくるものたちの手で向こう側へ送り届けられると言うのならば、他に是非を問うべくも無い。

 身体が沈む。沈んでいく。
 黒い闇の中に沈み、何処までも視界が黒に染まっていく。
 間もなく、私の視界は完全に途切れるだろう。そうなれば、私は本当に死ねるのだ。
 やっと迎えられる死。深き、私が望んだ、あの深い深い死だ。
 別れを担う事もあるまいと、私は一人で消えていく。瞳を閉じて、その暗闇に身を預け。
 言葉も無く。消えていこう。

 ふと、誰かの背中が見えた。ああ、知っている。茶々の背中だ。
 まったく何をやっているのか馬鹿者め。さっさと龍宮達の元へ急げといったのにコイツは。
 でもそんな反抗心もなつかしいな。茶々丸のようだ。
 茶々丸。二度と、帰ってはこないのだろうが頑張ったんだ。私。頑張ったよ、私は。
 辛かったし、苦しかったし、こんな、人が生きていくにはあまりに困難な世界でも、私は必至になって人間の未来を作れるように頑張った。
 生徒会長になんてなって、ずっとずっとクラスメイトや同学年生らを送り出していったのは、そう言う想いを込めたんだ。

 頑張ったんだ、私は。労ってくれる者なんて誰にも言っていなかったからいないけれど、でもお前には告げ口のように言っていたな。
 今日も疲れたとか。今日も頑張ったよとか。愚痴だったかもしれないけど、口にすれば安堵になった。
 それも悪かったのかもな。だから、こんな最後なのかもしれないな。
 まぁいいさ。そろそろ行こうか。未練たらしくなっては叶わないし、それに、アレだ。
 こんな状態でケリが付いては、消化不慮のままこっち側と向こう側にいってしまいそうだ。
 がんばれよ。皆。
 散り際の私に見えた最後の光景は、赤い光に包まれていく麻帆良と、それに手を翳している、茶々の姿だったか―――

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 夢を昇っていく。果てまで沈んでしまいそうだった夢を、何処までも昇っていく。
 その昇っていく夢の中で、数々の彼女とアーニャの夢を見過ごしていった。
 魔法使いなのに出会ってしまった瞬間。
 お互いの想いは、想いの他に別々で。彼女は優しく微笑んだだけだったのに、アーニャはそれを否定の意思で返してしまったんだ。

 でも、二度目の出会いではアーニャは僅かな勇気を見せたんだね。
 僕も、夢の中なのに、その人の笑顔はちょっとだけ怖かった。でも、アーニャは怖気づかないで頑張ったんだね。
 でも、やっぱりアーニャは自分が魔法使いだって言う事を忘れていなかったんだ。
 普通の彼女と、魔法使いのアーニャ。二人の出会いはあっちゃいけないもので、アーニャは規定通りに直に記憶を消そうとする。

 それは、間違えじゃない。魔法使いと一般の人は相容れちゃダメだって、ずっと習ってきたからね。
 僕も、初めはそうだった。でも、僕とアーニャでは決定的に違う所が在った。
 それは、僕は記憶を消さなくても大丈夫なんだと想ってしまった事で、アーニャは最後には絶対に記憶を消そうって決めていた事。それが、僕とアーニャの決定的な違い。

 やっぱりアーニャはすごい魔法使いになれる素質がある。
 魔法使いとして中途半端な僕なんかより、ずっとずっと才能も決意も固まっているし、ずっとずっとすごい魔法だって使いこなせるし、それに―――属性だって、全部使いこなせる。
 でも、もう遅いんだね。アーニャ。君が使ってしまったフェニックスの片翼。
 それを、君が使った意味が解った。この闇の中で、アーニャとあの人の思い出を見ちゃったら、気付けたよ。
 初めから生き返らせる気なんてなかったんだ。
 生き返らせる気なんてなくて、でも、それを成すにはこの大儀礼を使うしかなかったんだ。
 でもアーニャ。コレを使うという事は、君は。
 ……うん、知っていたんだね。知っていなくちゃ、使ったりはしなかった筈。
 使ったのは、全部知って、その覚悟も固まったからなんだ。フェニックスの片翼を使ったって言うのは、その覚悟が全部固まったからなんだね。

 戦っている。皆が、それぞれにそれぞれを賭けて戦っていた。
 その光景を、暗い暗い闇の底から見下ろしていた。
 皆が、それぞれの理由で戦っている姿が、僕の瞳に映った。
 龍宮さん。古老師。そして、傍らの知っている人たちも戦っている。誰の為に、戦っているんだろう。
 きっと誰の為でもなく、自分の為に。選んだ、道の為に戦って―――

 木乃香さん。夕映さん。のどかさん。いいんちょさん。刹那さんも戦っていた。
 相手は、明日菜さんに、機能得先生。見合って、そして、赤い光の中で立ち会っている。
 明日菜さんの為に戦ってくれている皆。僕では出来なかった事を、皆が、なしてくれている。
 アルビレオさんにタカミチも戦っている。立っている人は、誰だろう。でも、その顔はとても穏やかで、戦っているようには思えない。

 見える。全てが、見えている。戦っている人たちの姿を、見ている。
 高音さんがいる。愛衣さんもいる。長瀬さんに、コタロー君。皆が、赤い光の降る中で、それぞれに―――
 僕に出来る事はなかったかもしれない。なかったけれど、帰ってきたことに意味はあった。
 この為に、僕は帰ってきたんだ。この道を選ぶ為に、僕は、此処へ呼ばれたんだ。
 浮上しながら、全部が見えてくる。アーニャ。今、そっちに行くから―――

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 それは、彼女たちが黒い影へ突っ込もうとしたと同時に起きた。
 霧が、全て晴れたのだ。まるで日光に当てられた吸血鬼よろしく、全ての黒い影が晴れていく。
 後には何一つ、欠片の一片すらも残さずに―――黒い霧は、龍宮真名らの目前から完璧に消えうせた。

「いったい……?」

 呟いたと同時だったか。龍宮真名の目に何か赤い光が入り込んだ。
 見上げる先。天に輝いていた、あの巨大な魔方陣は既に尽きてない。
 その空から、赤い光の粒が、絶え間なく降ってきているのだ。
 突然、龍宮真名は片目に痛みを感じた。
 だがその痛みは一瞬、直に治り、代わりに妙な光景がその目に映りこんだ。

「………この風景は」
 その片目から覗ける世界を、彼女は知っている。
 何時かは両目だったが、五年前の日よりは両目とも潰れた世界の風景が、片目に映っている。
 知っていた。彼女は、ちゃんとその世界を知っていた。

「ムム? ……真名……真名!! 大変ネ!! 足の痛みが消えたヨ!!
 これだけ動いたらあれだけ痛かった足の痛みが完璧に消えたネ!! って? 真名? どうしたネ?」
「……古……魔眼が……戻った……」

 歓喜に体を跳ねさせていた古菲へ振り返った龍宮真名の片目。
 その右目の色は、確かに、五年前に失われた筈の魔眼の色。ソレであった。
 二人が見上げる。赤い光が降り注いでいた。
 まるで、今まで傷ついた何かを労うように。
 しかし同時に、全ての者達への謝罪のように。赤い光が、天から降り注いできている。

「はやや。何でしょか〜この光〜」
「さぁな……でも、何や。気持ちのええ光やなー……っ!?」

 同じように見上げていた天ヶ崎千草が周辺に目を配っていた処で、視界の端に何かを見つけた。
 降りる。巨躯の鬼より降り立って、彼女はその方向を見た。そこに、居たからだ。
 誰が。だが誰であっても、それは彼女にしか解らなかった。
 天ヶ崎千草が走る。追おうとして巨躯の鬼を、月詠は留めた。
 心配する事はないと。アレからは、邪気など一片たりとも感じない。
 だから、そこは彼女に任せてと、優しげに微笑んで。

「良かったどすなぁ。千草さん」

 駆けて行く天ヶ崎千草の先に、そんな彼女に何処か似た二人の男女が並びあって立っている。
 赤い光が舞う。一瞬だけ、月詠らの視界を覆った赤い光。
 それが晴れた先を見て、月詠は一瞬だけ驚き、しかし、また優しげに微笑んだ。
 駆けていた筈のあの長身ではるかに年上だった天ヶ崎千草の姿が無い。代わりといっては難だが、小さな子供の姿がある。
 月詠らからでは後姿しか見えないが、確かにその後姿は天ヶ崎千草と呼ばれていた女性に酷く似ている。
 駆けていく二人の男女からすれば、膝下ほどまでしかない身長の天ヶ崎千草に似た少女が走っていく。
 その先に待つ男女の内の女性が、両手を広げてその少女を向かえ入れる。

 赤い光が再び舞う。月詠は、確かにその赤い光の中で捉えていた。
 少女の姿に一瞬だけなっていたあの天ヶ崎千草が、女性に抱かれるその姿を。
 そして、赤い光が収まる。後には何も無い。だがそこに天ヶ崎千草が自分を抱くようにして屈みこんでいた。
 嗚咽だけが響く。だが悲しみの嗚咽ではない。
 あれは誰だろうと月詠は考えたが、答えなど直に出た。
 あれだけの歓喜を以って駆け寄れるのだ。そんな存在は、この地球上で人間が思う中では唯一つ。
 それは、家族に他ならないと。

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 彼女は妙な夢の中に立っていた。
 それは、何時か一緒に居た少年魔法使いの夢に入った時と同じ。
 体は裸だが、何処か半透明で、しかも時折身体が妙に霞むのだ。
 そんな体で歩いていくうちに何となく彼女は気付きそうになって、気付きそうになると何処かに引っかかったかのように動けなくなるのだ。
 それもいいかなと、何時もの無鉄砲さで納得して歩いていく。
 乙女らしくない大雑把さだけど、それも魅力だといってくれた人が、居たような気がしたと思いながら。

「あーすなっ」

 声をかけられたので振り返ってみると、見覚えのない少女が居た。
 彼女には本当に見覚えが無かった。誰だったのか考えても思い出せない。
 黒い髪で、何処か華奢な雰囲気の少女。だが、思い出せない以上、そう大した事じゃないだろうと思ったので思い出さず、無視した。無視して、元に体を折り返すと。
 驚く。こんなに驚いたのは、忘れてしまったけれど、暫く無かったのではないだろうか。そう思った。
 その暫くが何時だったのかなど、やっぱり忘れてしまっていたが。兎も角、彼女は驚いた調子で自分の目の前を見ていた。

 何しろ、自分が居るのだ。
 こんな顔で笑えていただろうかと思うぐらいに朗らかな表情で笑っている自分が、確かにそこに立っていたのだから。
 背後から駆けた黒髪の少女が自分と並んだ。嘗ての自分なのだろうかとも思う。
 二人は何しろとても嬉しそうに笑っているのだ。今の自分と、嘗ての自分では大きな差がある事を、少女は知っていた。
 今の自分ではああは笑えない。笑えない以上、自分の事を呼んだのではないだろうと思い、彼女は二人とは違う方向へ進む事にした。
 あの二人の間に入ってしまうと、何故だかとても二人を汚してしまう気がしたのだ。

「? 何処行くん? こっちこっち」

 やはり無視。自分の事ではないと解っている以上、反応する事はないと彼女は歩みを速め、その場から立ち去ろうとした。そんな、折りだったか。
 赤い光が、視界を照らし上げたのだ。
 降り積もっていく赤い光が、真っ暗闇だった世界を染め上げていく。
 足元には何処かで見た場所の道路が続き、その脇には満開の桜の木々が立ち並んでいく。
 その美しいまでの光景に、彼女は息を呑んだ。
 息を呑むなど、どれほど忘れていただろうかと思うほどに久々に息を呑み、そして、その手を、優しげに捉えられた。

「こっちだよ」

 自分が微笑む。自分が、彼女の手を取って微笑んだのだ。黒髪の少女もまた、彼女の片手をとって歩み出す。
 そっちに自分はいけないと、そう彼女は思っていた。
 愚かにも人を放棄してまで得た力に、どれだけの意味があっただろうか。
 だから、その手を振り解こうとしたところで。

「馬鹿やなぁ。皆、そんな事忘れてるん」

 黒髪の少女は、笑って手を引いて行ってくれた。
 帰れるのかと思う。帰れると言うのなら。
 何処へ帰れると言うのだろうかとも考えた。ああ、でも、そう彼女は考えて、笑いながら泣いた。
 もう、一人じゃないんだと。一人じゃない場所へ、帰れるのだと。

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 赤い雪が降る。光が、飛び掛る限死と、立ち尽くしていた神楽坂明日菜を包んだと同時だったか。
 限死の動きが僅かに鈍った。その光のない筈の眼球に、僅かに光が宿ったのだ。
 それに応じるように、神楽坂明日菜が体を捻る。両手にしがみ付いていた二人を振りほどくような動きではない。
 近衛木乃香、宮崎のどか、綾瀬夕映を素早く自分の背後へとまるで、守るように回し。
 飛び掛ってきた限死に対し、申し合わせたかのように剣をあわせた―――
 限死の体がはじけ飛ぶ。同じように、神楽坂明日菜の体も弾けとんだ。
 両者は互いに吹き飛んで、対角線上の木に対し体を強く叩きつける羽目となった。

「明日菜……あすなぁ!!」

 近衛木乃香が走り、神楽坂明日菜の傍らに寄り添う。
 涙目の彼女。それを、神楽坂明日菜の瞳が捉えた。まったく、相変わらずだわと言う眼差しで。
 片目は相変わらず猫科の生物宜しく、縦の黒目が入っているがソレとは逆の左目の変化に、近衛木乃香は気付いた。片目が、元の色に戻っている事に。
 耳は相変わらず。左右へ伸びて、人間では捉えられない程の音を耳に伝えてきてくれる。
 それもどうでも良かったし、この場においてはありがたかった。
 皆の声が届くからだ。良く知っている、友達の声。
 やや声変わりしているような友の声もあったかに聞こえたが、それは関係ない。
 近衛木乃香。宮崎のどか。綾瀬夕映。雪広あやか。桜咲刹那。全ての声が、耳に届く。

「明日菜さん……なのですの?」

 雪広あやかの声に神楽坂明日菜の顔が上がる。
 片目からは涙。片目は、何を捉えているのかも解らないが、それもどうでも良かった。

「―――他に誰に見えるのよ。ねぇ、皆」

 近衛木乃香の肩に手が添えられる。
 その声を、誰が聞き逃すだろう。皆の瞳から涙がこぼれる。

「明日菜さん……? 明日菜さんなのですか!?」
「……夕映ちゃん? うわっ、ビックリ。すごくおっきくなってるじゃん。はは、立場逆転ね」
「あ、あああ、ああああ、明日菜さぁあああん〜〜〜」
「うわっ!? ほ、本屋ちゃん? 髪長っ!! ちょっとは切りなさいよ〜。も〜折角の綺麗な顔台無しじゃん」
「……明日菜さん……」
「ん? あれ!? 刹那さん!? うわー、ツインテール似合ってるなぁー……あ、羽。……うん、やっぱ素直が一番だよね」
「……明日菜さんっ!! まったく貴方と言う方は何時も何時もいつも心配させて〜〜〜」
「ちょ、ちょっといいんちょ!! 泣くか怒るかどっちかにしてよ!! それに何!? そのかっこ!! あ痛! 痛い痛い!! ちょっ、鎧の出っ張りが痛いって!!!」
「……明日菜」
「……木乃香…………ただいまっ、って言えばいいのかな?」

 その言葉を、彼女は待っていたのかもしれない。

「うん…………お帰り、明日菜…………!!」

 近衛木乃香が飛びつく。神楽坂明日菜は優しく、自分よりも存外大きくなった親友を抱きとめた。
 費やした時間は帰っては来ない。神楽坂明日菜が失った時間も、近衛木乃香が失った時間も戻ってはこないだろう。
 だがその間に積み上げられた時間は、きっと掛け替えのない物だった筈。
 無意味では、なかった筈。綾瀬夕映は、目の前の光景を見て思う。そして、踵を返して、ソレを、かの存在を、見た。

 白黒の獣がこちらを見ていた。羨ましいそうにも、彼女は見えたかもしれない。
 綾瀬夕映が一度だけ手招きをする。
 まったくの本心だった。貴方も共にと。彼女はそう思って、手を招いた。
 だが、白黒の獣は首を横に振る。それは叶わないと。
 それを、自分に願う権限はないと言うかのように首を横に振るうた。そして、その場から動かなかった。

 彼を労う人間は居ないかもしれなかった。だが。赦されてもいいと彼女は思ったのだ。
 何を赦せばいいのかなど解らない。未来を奪った事を赦せばいいのか。自分を捨て去った事を赦せばいいのかなどわからない。
 ただ―――恨み言などは無かった。それだけだった。
 だから、それで良いと彼女は思ったのだ。何を赦すも関係ない。
 ただ、恨み言一つ無く共にあろうと思うのならば、それで良いのではないのかと。
 人として赦せぬ事であったとしても、それに恨み言一つ無いのであれば、それは赦しても良いことなのではないのかと。
 だけれど、彼がそこに居ると言うのならばそれでも良いと思った。
 嘗ての彼のように。遠目から、彼女たちを見守っているのが彼らしい。そうとも、綾瀬夕映は、思ったのだ。

「明日菜、明日菜ぁ……良かった……ほんとに良かったわぁ……」
「も〜木乃香ったら……ちょっとは変わったと思ったのに、ますます泣き虫になったんじゃないの?」

 神楽坂明日菜が近衛木乃香の背中を撫でた時、近衛木乃香は不思議な違和感を感じた。
 違和感。それは違う。それは、どちらかと言えば感覚に近い。新しい、しかし、真新しいとは違う、懐かしさの篭った新しさが、背中に伝わったのだ。
 神楽坂明日菜より少しだけ離れた近衛木乃香は肩口へ手を置く。
 そこは、五年前に切りつけられた傷口が残っている筈の肩。その傷口の感覚が、肩には、無かった。

「こ、このちゃん? どうしたの?」
「せっちゃん……傷……なんか、消えてるんよ……」

 僅かに衣服をずらし、桜咲刹那の方に肌蹴た下の背中には、あの、生々しい傷痕は無かった。
 光が妖精のように動く、そして昇る。その光が、あの、鋼塔の最先端に向かって―――

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「この光は……」

 赤い光が降り注いできている。雪のような灯火。
 それが、アルビレオらの外周にも降り積もっていっていた。それに伴って、ガトウ・カグラの肉体も、また。

「俺らが止めたあの大戦の時のフェニックスの片翼は不完全だったのさ。
 今回のコレが本物だ。ただし、あのお嬢ちゃんは別の道を選択したらしいがな」

 胸元から煙草を取り出し、その光の一つにガトウ・カグラは煙草を押し当てる。
 火は容易くつき、しかし、応じるようにガトウ・カグラの体は下から消えていく。
 黒い霧で構築されていた肉体は、少しずつ、向こう側へ帰っていくのだ。

「師匠……」
「へたれた面見せんなよ、タカミチ。大したモンだぜ。俺があそこまで苦労して習得した技術をその歳で極めるとはなぁ。
 師匠って呼ばれて、悪い気はしないぜ」

 ガトウ・カグラは高畑・T・タカミチの目の前にまで歩み寄り、胸ポケットから取り出した煙草数本が残った箱をタカミチの胸ポケットへ納める。
 肩に手を置き、ガトウ・カグラはタカミチの前を無言に通り抜けた。
 言い残した事など、彼には無い。嘗ての別れの際は少々早急すぎるような気もしないでもなかったが、あの別れを彼は彼なりの受け止め方で捉えていた。
 そして再び見えるガトウとアルビレオ。ローブのフードを剥いで、アルビレオは久々にその顔をガトウの前に晒す。

「ハッ。綺麗な面しやがって。少しは老いってモンを味わえよ」
「……そうですね。若い世代に此処は任せて、私もまた旅立つべきなのかもしれませんね……」

 アルビレオは本気でそれを考えた事が無かった。この麻帆良に留まり続けて、早数十年。
 多くを見守り、仕えていた千術の男の少年の成長も見守った。
 そして鋼性種。かの完全生命体の降臨も、この地で見届けたのだ。
 終わりまで共に居るべきであろう。アルビレオはそう思っていた。彼はこの学園でも最強に属する魔法使いである。
 性格の云々はこの際無しとして、文句の言いようがないほどに完成した魔法使いでもある。だが、今は違うかもしれない。アルビレオはそう考えた。

 少年の帰還。神楽坂明日菜の帰還。そして、あの赤い魔法少女の帰還がアルビレオの不必要性を提示したのだ。
 役に立たないのではなく、もう、自分たちだけで巣立っていけるということ。それを、多くの少女、少年らに見せてもらったのだ。
 自分へと弟子入りを申し入れ、今、魔法使いとして優れた技量を得た綾瀬夕映。
 一人間として成長を見守る存在となったエヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル。
 もう、アルビレオがこの場で何かをする必要は、確かになかったかもしれない。

「そうしましょうか。全て終わった後、ナギを捜す旅をするのもまた良いかもしれませんね」
「そーしろそーしろ。いまさら子供の心配するような必要はねぇよ。此処の奴ら、そこまで頼りなくはねぇだろ?」

 静かに頷く。結論は得た。アルビレオは静かに頷き、消えいくガトウ・カグラを見送った。

「じゃあな、アルビレオ、タカミチ。達者で暮らせよ。
 住みにくい世の中かもしれないけどな」
「いいえ、貴方の場所よりは住みやすいでしょう。だから」

 此処で、私達は生きていきましょう。
 アルビレオは躊躇いも無くそう告げた。
 鋼性種により鋼化しつつある世界。そこで生きていくのが、人間にとってどれほど困難な事かしかと知っておりながら、戸惑いもなしに言ってのけた。
 満足したかのように、ガトウ・カグラは笑いながら赤い光に溶けてゆく。
 あっち側からこちら側へ呼び出されるのが、どれだけの艱難であるかも感じさせないほどの朗らかな去り際で、ガトウ・カグラは摂理の輪へと帰っていった。
 赤い、赤い光が降り注いでいく。彼女の思いの欠片なのか。
 それとも、彼女が意図せぬ事なのか。どちらでも良く。浴びた人々は、失ったモノを取り戻し、新しいものを得ていくだろう―――

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 闇に沈む。深い深い、闇に沈んでいく。聞こえるのは全て怨嗟であり、届くのは全て怨念。
 私はバケモノだ。赦されては、ならない。安堵に身を任せるなど、あって良いはずが無かった。
 好き勝手に魔法を操り、何時だって奪ってきた多くを忘れて生きてきた。
 それが、どれだけの罪で、どれだけ赦されざる事かを、たった一時でも、私は忘れた。
 それが、許される事か―――

 赦されてはならない。裁きを。誰でもいい。
 私に裁きをくれ。ずっと、心の中でそう叫び続けていたかもしれない。
 そうして与えられる裁きは、やはり苦しく、だが、アレほど多くを奪った私にしてみればまだ軽い罰だった。
 それに、とも思う。相応しいと思うのだ。
 この私に下される厳罰の証が、あの赤い魔法使いであると言うのは、あまりにもの似つかわしいではないか。

 何時かの昔に私を焼いたあの炎。あの炎にも似た猛々しさと浄化の意思を見せる、あの魔法少女。
 あの、何時だって私と真正面ににらみ合い、真正面からぶつかってきた真紅の魔法少女に裁かれるというのであれば、これ以上の事は無いのではないか。
 贅沢を言うのも止めよう。私の裁きは、これぐらいでも許されない筈。
 これで済まされる事を、感謝しても良いぐらいだ。
 心残り。何かあったかな。いや、ない筈だ。尤も、あったとしても既に叶える事は出来まい。
 この怨嗟と怨念に囲まれて、これから私は苦しまなくてはいけないのだからな。

――― では、私との約束を守ってはいただけないのですか?―――

 約束。何かあったかな。ああ、あったな。お前とのたった一度の約束だ。
 一方的なまでの約束で、こっちが誓う間もなかった。
 すまんな。あんな、なれない魔法で散々痛めつけてしまった。
 赦してくれ。いや、赦さなくてもいい。ただ、時々でいいのだ。私が居たことを思い出してくれ。
 私と言う、不器用なマスターがいた事を。

――― いやです。―――

 わりかしあっさりと断られたが、無念はない。
 やれやれ、最後まで誰かに命令口調だったのが拙かったか。
 だが、こう言う私も悪くないだろう。五年前までの私のようで、悪くないだろう。
 なぁ、茶々丸。

――― 何故か教えてあげましょう。―――

 いいや、いいよ。知ったら泣いてしまうかもしれない。
 今の私はあの頃ほど打たれ強くはないんだ。言葉でも泣いてしまうぐらいだぞ。だからいらない。そう、思ったのに。
 急に浮上が始まる。闇に包まれていた私の身体が、何故か水面に向けて上昇していく。体を縛っていた筈の怨嗟の鎖が外れていく。

 ―――手を、伸ばす。

 体に巻きついていた怨念の数々が、赤い光に導かれるように私の体から去っていく。

 ―――彼らは、ただの一度も私に恨み言一つ残さずに。

 水面から手が伸びた。良く知っている者の手だ。私と共にあり、私と共に歩み、私が、壊してしまったあの者の手が、私に向かって伸ばされている。
 だから、その手を握って―――引き上げられて―――

「何故なら、マスター」

 目の前には緑の髪のあの従者。姿形は多少違えど、確かに、その瞳の奥の光は私が知っているただ一人だけでしかない。

「貴女は、生きるからです」
「…………茶々丸っ……!!」

 赤い光に包まれる。私の身体が、果てしなく浄化されていく。
 浄化の炎が私を撒く。
 目の前の従者と共に、黄金の炎が舞い、そして去っていく。天へ、あの銀色の塔伸びる果てへ。
 炎の去り際に、私に撒きついていた多くの者が去っていった。
 私が背負っていた重荷が、漸く私から離れていった。
 ただ、彼らが、私が奪って言ってしまった者たちが。最後の最後まで、私には恨み言一つなく去って行ってしまったのが。
 私には、無性に悲しく、無性に、嬉しかった―――

「マスター」

 従者の胸に抱かれて、共に空を見上げている。
 降り注いでいた多くの光。それが、天へと帰っていく。
 失われたものが帰ってくる。だけど、その代償は何を払わなければいけないのだろうか。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――

――――失われた物は、余りにも多く。

「な、なんやぁ……? この光」
「雪……いや、この光は……?」

 黒い霧が消えていく。それに応じるかのように降り注ぐ赤い光の中に、長瀬楓と犬上小太郎は立ちすくんでいた。
 急に、彼女は自らの片腕が軽くなった事に感づいた。その傷は、五年前に抉り取られた部位の傷。
 傷にもならぬ、もう、二度とそちら側の腕は使い物にならないとまで断言された筈の傷口が疼き、そしてめくって、目が丸くなった。
 そこにはあの時と変わらぬ腕がある。損なわれた筈の傷口は癒え、変わらずに動く腕を、彼女は五年ぶりに強く動かした。
 痛みはなかった。それも当然だ。腕は、成長した彼女に追いつくかのように癒されているのだから。
 空へ帰っていく光の粒。その光の中に、長瀬楓と犬上小太郎は、黄金の鳥を見た。


――――だから、私が癒してあげようと思ったの。


 遠い遠い地だった。日本と言う、自分の本国はどうなっているのだろうか。
 大河内アキラは、赤い光の降る夕暮れ時の大通りに立って、空を見上げていた。

「アキラー!! ど、どうなっちゃってるの!? この状況!!」
「まき絵……ううん、私にも何がなんだか……あれ?」

 彼女は自分の腕を見る。そこは、ある傷口があったはずだった。
 見るたびに、絶望を味わい、しかし、それが起因となって此処まで再び上り詰めることが出来るようになった兆しともう言うべき傷。それが、腕からは綺麗に消えていた。
 黒髪の彼女は空を見上げた。赤い赤い雪が降る。
 冬は過ぎ去ったというのに、なおも降り注いでくる赤い雪が一際美しく、しかし、彼女には悲しく感じて。

「あれ? あ、アキラ?? どうしたの? 何処か痛いの??」
「ううん、違う。違うよ、まき絵。ちょっと、ちょっとだけ」

 痛くて、悲しくて、辛くて、でも。
 頑張れた日々を思い返せたと、彼女は唄う様に告げた。


――――長い時を廻って、でもどうしても見つけられない物があって。それでも捜してやっと見つけた。


 相坂さよは光の中でくるくると廻っていた。
 恐ろしくはなかったし、悲しくもなかった。ただ嬉しくて、その場でくるくると回り続けていた。
 ただ何時ものようにふわふわと廻っているのではない。
 確かに両足で地面を捉え、霞まない体を以って、その場で廻っていたのだ。
 感覚は幽霊のままだったが、他の感覚が芽生えている。
 六十余年前に失った感覚が、光を伝わり、全身に満ちてきていた。
 それは、一時の夢なのか。それは彼女にも解らなかったが、その温かな光に、彼女は全てを委ね、何時までも、廻っていた。


――――ただ、やり方が解らなかった。だから、ちょっと荒っぽくしちゃったかもね。


 青空色の髪の彼女もまた、ベランダに立ってその赤い光と戯れていた。
 つっついては離れ、しかし寄ってくる光を彼女は優しく手で包み込む。
 包み込めば消えてしまうその光は、やはり雪のようで、ほんの少し、温かかった。

「ん……、火みたいに赤いのはなんや怖いけど……でも暖かいなぁ……」

 傷口が消えた事にも、彼女は気付かない。それほど光は温かく、そして、果てまで降り注いでいた。


――――代償はちゃんと払うよ。大丈夫だいじょうぶダイジョウブ。魔法使いだもん。


 傷の消えた体を見て、高音・D・グッドマンはその魔力の持ち主のあるであろう方を見上げた。
 この魔法が何を示すのか、彼女にはわからない。
 黒い霧を生み、邪霊を具現化しながら、突如としてその黒い霧を全て払い、こうして癒しの光を降らせるその魔法とも思えぬそれに、彼女も、そして妹分の佐倉愛衣も困惑しながら天を見上げる事しか出来ない。
 困惑しながらも、五年前に食いつかれ出来た傷口が消えた後を摩る。
 佐倉愛衣もまた、傷だらけにされた際に全身に刻まれた切り傷の痕すら残さぬその癒しに、ただただ立ち尽くして見届けるだけ。
 光が降り注ぐ。どこまでも、どこまでも降り注いでいく。
 この星を包み込むように、光が、満ちていく。


――――だから、そろそろ。


 そうして、少年はその炎の中から出でた。
 熱くはない。身を焦がすほど大量の炎であると言うにも関わらず、少年の体は一部たりともこげず、また肩に乗っているオコジョ妖精の白い肌にも黒い焦げ目一つ見えなかった。
 肩の相棒の体を労う真似はしなかった。
 同じように、あの炎に巻かれただけと言うのであれば無事には間違えなかったであろうから、少年はその場で佇みながら、その、赤い魔法使いを見つめていた。
 彼女の傍らにあった筈の二人の姿は無い。黒い髪の女性の姿も、白い蛇の姿も、炎の中には既に無かった。
 ただ、二つの光が天を目指して昇っていく。
 寄り添うような二つの珠が、数回、赤い魔法使いの体の外周を廻ると、未練もなく、二つは天へ帰っていった。

「アーニャ。今の人たちが、そうなんだね……」
『……うん。まぁ、ね。私の大切だった人達』

 振り返る赤い魔法少女の姿は変わってなどいない。
 あの、赤い戦闘機から変形したかのような姿のままで、少年を振り向き、見つめている。

「生き返らせるるもりなんて、なかったんだよね。
 夢の中で、見たよ。アーニャと、あの女の人と使い魔の蛇の事。……お別れ、突然だったんだね」
『……さよならもありがとうも言えなかったからね。私、もうこんな体でしょ? 死にたくても死ねない体。
 ちゃんとした命で死んでいった彼女達には、もう、どんなに頑張ったって会う事は叶わないわ。
 天国にも地獄にもいけない私だもん。だから、もう一度会うにはコレしかなかった。
 こうするしか、なかったの。ゴメンね。沢山の人達に迷惑かけちゃって』

 光が星より浮かび上がり、天を目指して去っていく。
 多くの悲しみと傷を乗せた光は、一途、天の果てを目指して舞い上がっていった。

「明日菜さんや機能得先生を連れてきてくれたのは、アーニャだったんだね」

 そう。少年の言うとおり、神楽坂明日菜と機能得限止こと限死を此処まで招いたのは彼女だった。
 京都での事も、ここ、麻帆良での事でも彼女は神楽坂明日菜達の事を常に見守り、妨害も、時に少年らの援護も行ったのだ。

『さぁ? 私はなんの事だか知らないわよ』

 少女は否定する。自分が、全て少年らの為に行った行為だったなどただの一言も言わない。彼女は、最後の最後まで、何も告げない。
 両手を天へ向けていたアーニャの身体が浮ぶ。
 相変わらず、あの真紅の翼を左右へ広げ、不死鳥のように彼女は浮んだ。

「アーニャ!?」
『代わりに癒せるものは全部治してあげたわ。コレが私の夢だったしね。
 言ったでしょ? 何時か光を降らせたいって。ちょっと違った形になっちゃったけど、でもまぁ、上等でしょ。
 その代償は、ちゃんと払わなくちゃね。アンタや、他の人たちに沢山迷惑かけちゃったものね。その、代償』

 代償。そう。彼女が実行したのは、ある意味で奇跡だった。
 奇跡と言う禁忌に手をかけた以上、彼女はその代償を払わなくてはいけない。
 彼女は、その代償を払うと言った。
 何を以って払うと言うのか。簡単な話だ。彼女が代償となりえるものは、彼女、それ自身でしかない。
 少年は傍らまで走り寄ったが、その手を伸ばす真似はしなかった。出来なかったと言うにも近い。
 出来たとしても、アーニャと言う少女はもう帰ってはこないだろうから。
 一緒に帰ろうといっても、彼女は、それには決して応じないだろうと確信してしまったから。

『ネギ。怒ってるでしょ? 散々痛めつけて、お父さんの杖まで勝手に使っちゃったんだもん。そりゃ、怒るわよね』

 空から少年の手に杖が渡された。焦げ目なども無い、確かな、あの父親から渡された時のままの杖が、少年の手にある。
 恨み言を言わせようとする少女。だが少年は首を横に振る。
 力強く横に振り、しっかりと、天へ昇っていく炎の翼の魔法使いを見上げた。

「怒ってなんて、ないよ。アーニャのままだった。
 バカな僕に、ちゃんとひっぱたいてでも大切な事に気付かせてくれる、アーニャだったよ。あの頃の、アーニャのままだったよっ……」

 流れ出る涙。多くは戻っても、彼女は二度とは帰ってはこない。
 少年が望んだ未来ではない。皆が幸せになる事は無い未来。
 少女と少年は魔法を交えた。勝てる戦いではなかったが、本来の意味は其処ではない。
 あの戦いは、少年が背負っていた重荷を軽くする為の儀式。
 荒っぽい、アーニャと言う魔法使いの気付かせ方だったのだと、少年は信じた。少女は違うと言っても、少年は、そうだと信じ続けた。

 傷つけた罪と、犯してしまった禁忌の奇跡の領域。
 それは少女の選んだ道だった。他の誰でもない。アーニャと言う少女の選んだ道であり、彼女が最後に選んだ、最後の魔法使いとしての役割だった。
 泪に暮れる少年の頬を、少女の鋼鉄の手が撫でた。
 冷たい、その肌触り。少女も、手を通じてぬくもりも感じなかった。
 それでも、少女は成長した少年の頬を撫で、少年は成されるがままにされつつも、泣き続けていた。

『泣き虫。そんなんじゃ頼られないわよ』

 笑って、その手が離される。見上げて少年の目には、あの真紅の鋼鉄に身を包んだ魔法少女。
 その魔法少女が往く。一人往き続けた魔法少女は、此度もまた、一人で往く。
 一人焔の尾を伸ばし、篝火の翼を広げ。それでも、温かい光の雪を降らせながら、彼女は往く。
 天を目指して、少女が飛翔ぶ。赤い翼と、真紅の想いを胸に宿して少女が往く。
 銀板の月が美しい。それが、間もなく沈もうとしている頃だった。少女は、銀色の髪を焔風に靡かせる。
 月の輝きのソレにも、勝るとも劣らないその輝きを目に焼き付けて、少年は、最後の言葉を交える。

「アーニャ!! また、会える!?」

 少女は、応えなかった。答えなかったのか、それとも、答えなど無かったのか、それとも―――風が、その声を掻き消してしまったのかは解らない。
 解らなかったから、少年は彼女の言葉を聞いたフリをした。
 他の誰かに聞かれてもダイジョウブなように、彼女の口の動きから、彼女の言葉を推測したのだ。
 彼女は笑っただけだった。だから、想像するのは難しかったけど、きっと、きっとと、少年はその言葉を聴いたフリをしたのだ。

―――いいえ。もう、二度と会う事はないわ―――

 笑っていった彼女はそう告げたと少年は信じ、なら、此処で生きていくよと、昇る朝日に、そう誓った。
 
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――

 魔法少女が往く。
 もう二度と、魔法と言う忌まわしさを忘れさせる、強大な力を振るう事は無いと誓い。
 しかし、希望を生む勇気が貴方達にはあるのだと告げて。
 繋がりと言う傷の名を携えた絆を全て断ち切って。
 しかし、絆と言う虹で貴方達は全て繋がっているのだと告げて。
 一人。今日もまた、一人行く。
 不死鳥飛翔と、魔法少女が往ったお話――――


「……アーニャちゃん……」

 鋼塔へ向かって走っていた神楽坂明日菜らが立ち止まる。
 炎の翼を広げた、とても大きな火の鳥が鋼塔から旅立っていったのだ。
 同時に、麻帆良を包んでいた魔力の余波が消える。
 半鋼化の影響なのか、神楽坂明日菜は深くソレを感じる事が出来た。
 少女が帰っていったと。また、一人でいくのだと。何時か、この星の上が全て鋼性種に満ち、それでもってこの星が滅びるその日が来るまで。
 彼女は一人だろう。突貫魔法少女二代目、アーニャと言う名の少女は、その時が来るまで一人この星を見守り続けていくのだと言うのを、感知できぬ筈のものを感知し、神楽坂明日菜は悟った。

「明日菜っ、ネギ君、迎えにいこなっ」

 近衛木乃香が手を引いて走っていく。神楽坂明日菜は正直楽しみに思っていた。
 あの少年ともう一度言葉を交える事が出来ると言う事。
 傍らの雪広あやかと、綾瀬夕映、宮崎のどからともう一度、五年前のような日々が送れるのかと思うと、無性に嬉しくなったのだ。
 嬉しくない筈が無い。鋼化していた頃の記憶の殆どを得ている神楽坂明日菜にはやりたい事が沢山あった。
 謝らなければいけない人。感謝をいいたい人。労ってあげたい人が、沢山居たのだ。
 近衛木乃香に手を引かれ、太陽のような笑顔で駆けていく神楽坂明日菜。
 だが、その彼女の獣の性を残す側の目が彼女の脳に一つの光景を映し出した。
 それは、神楽坂明日菜にとっては無視できぬ光景だったので―――彼女は、物も言わずに足を止めた。

「明日菜?」

 振り返る近衛木乃香が神楽坂明日菜の向いている方を見て、少しだけ悲しそうな顔をした。
 それは、その場に居た全員とて同じ事だった。神楽坂明日菜の見る方向に、一匹の獣がいる。
 限死と言う大型の獣は、見守るように。
 遠目で木の根元に腰を落として、相変わらずその場から動かずに見守り続け出した。
 神楽坂明日菜はその光景を見つめ続けている。
 誰もが、そんな神楽坂明日菜を見守り続け、しかし、近衛木乃香は、しっかりと握っていたその手を離した。

「―――明日菜。いってらっしゃい」

 手を離し、近衛木乃香は一歩だけ笑って退いた。

「木乃香さん!? あ、明日菜さん、どういうことですの?」
「いいんよ、いいんちょ。ああ、ウチ明日菜のそんなトコ大好きなんえ。
 誰にでも優しい明日菜。悪い人でも、どうしようもない理由があったら一緒になってあげる女の子。
 それが、ウチの知ってる神楽坂明日菜って子なんやもん。だから、いってらっしゃいや、明日菜」

 近衛木乃香が指を差す。その先には、直立不動の体勢で彼女たちを見守り続けているであろう限死が相変わらずの姿であった。

「こ、このちゃんっ。でも、それじゃあ明日菜さんが……」
「そうですよーっ。ネギ先生も……きっと喜ぶと思うのにー……」

 桜咲刹那と宮崎のどかが弁明するも。それを神楽坂明日菜は片手で制す。
 そして、あの笑顔。太陽のような笑顔でにかりと笑んだ。

「―――ありがと、木乃香。やっぱり、木乃香は変わってなかったね。
 あーあ、なんであんな幸せな頃を放棄してこんなんになっちゃったんだか。
 でも、まぁ、付き合ったのは私だしね。最後まで一緒なのが、私の役割なのかな」

 神楽坂明日菜もまた、一歩退いた。別れ。それは紛れもなく別れだった。
 だが五年前のような別れの儀式も無い別れではなかった。
 笑顔の別れ。二度と、会えないというわけではない。
 同じ星と、同じ空の下を行く別れ。今度は、出会えば襲い掛かってくるのではなく、言葉をかけてくれる。それで、充分だった。
 神楽坂明日菜は少しずつ後退し、近衛木乃香らから離れていく。出会いも再会も、そして言葉を交えたのも一時だった。
 だがそれで神楽坂明日菜は満ち足りていたし、近衛木乃香も満ち足りていた。
 親友と言う間柄。お互いの事を、誰より解っていた二人は言葉も無く、しかし、神楽坂明日菜は吼える様に告げた。
 あの大声だ。気が滅入っている時には、3-Aと言うクラスを立ち直らせるような一撃の声。

「本屋ちゃぁあああん!! ネギとしっかりやりなさいよぉおおお!!
 夕映ちゃぁあああん!! おっきくなったねぇえええ!! すっごい美人だよぉおおお!!
 いいんちょぉおおおお!! ますます綺麗になって腹立たしいったらありゃしないわぁあああ!! そんなに美人なんだから、さっさと自分の幸せ見つけなさいよぉおおおお!!
 刹那さぁああああん!! 木乃香と一緒に、幸せにねぇえええええ!!
 木乃香っ!! 皆ぁあああ!! また、会おうねぇえええええ!!」

 背中を向けて、神楽坂明日菜が駆けていく。
 あの巨大な剣を構えたままに、神楽坂明日菜が行く。
 各々が叫ぶ。労うように、また会えるようにと。
 今生の別れなどではない。また、会えるようにと。
 皆は叫んで、神楽坂明日菜を送った。

 

「ちょっとー、機能得先生ほんと解ってるー?
 もー、一人が寂しいならいってよねー。皆受け入れてくれたと思うのに」

 傍らの獣を大剣の横腹で数回小突きながら、神楽坂明日菜が行く。
 夜明けの迫る麻帆良。太陽の光を背中に受けていく姿は威風堂々とし、あの、殺伐とした獣の出で立ちは無かった。
 何故付いていったのかを、神楽坂明日菜は不思議と自分で自覚していなかった。
 ただ、一人は辛いだろうなと何となく思ってしまっただけだ。
 好き勝手にやって、散々色んな人を巻き込んだ限死。
 だが嘗ての彼の精神だけでも戻ったのか、限死は彼女らに狂気の無い瞳で頭を下げた。

 それで赦される赦されないは彼女は問わない。
 ならいいんじゃないかなと思っただけだ。そして、一人で何も行かせる事もないだろうと思っただけだ。
 一人であり、一人きりである者の辛さを知っている彼女だからこそ、彼女は、一人になるであろう者についていく。
 それが、神楽坂明日菜と言う少女の優しさだったから。理解されずとも。
 それが、彼女の道だったのだから。同じものになりかけた者同士にしか解らない、小さな繋がりだったから。

 朝日を背に浴びて獣と共に歩く。思い出せも出来ないが、おぼろげながら覚えている。
 五年前の夜は、ここまですがすがしい気持ちで旅立てもしなかったのに、この変化はなんだろうと神楽坂明日菜は思い、行く先を見つめた。
 その先に人影が幾つかある。それは、戦っていた人達。それぞれに戦い。それぞれの道を見つけ、新しい何かを得た人たちでもあった。

 龍宮真名が手を翳す。それにあわせて、神楽坂明日菜はハイタッチをジャンプしつつも決めた。
 古菲が大き目の袋を神楽坂明日菜へ手渡す。
 中身は、考えるまでも無いと神楽坂明日菜は笑って受け取りやはり軽くハイタッチを決める。
 長瀬楓、犬上小太郎がいる。
 長瀬楓は相変わらずであったが、犬上小太郎はその背丈を大分見違えさせていた事に神楽坂明日菜は目を丸くしつつ笑う。応じて、長瀬楓も、犬上小太郎も笑った。
 二人の間を通り抜けようとした神楽坂明日菜の体に、布が掲げられてマントのように羽織られた。
 思い返せば、自分は胸元を綻んだ包帯で覆っていただけだったと気付き、神楽坂明日菜はそのマントを羽織って、行く。

 そして、高畑・T・タカミチとアルビレオ・イマを前にする。だが止まらない。神楽坂明日菜は、少しだけ微笑んで二人の間を抜けていった。
 タカミチへ恋心抱いていた時の笑顔とは少し違う、はにかむような笑顔で微笑みかけ、アルビレオへはあの明朗快活な笑顔を見せて、神楽坂明日菜はそこを去り往く。
 振り返るような事はしなかったが、五年前の二人だけの。否、二人だけとさえも自覚できない旅立ちではないことを、神楽坂明日菜は少しだけ力強く思い、其処を進んで、彼女たちと見えた。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと、少し外見の変わった絡繰茶々丸。
 二人が、限死と神楽坂明日菜の前に立ち、彼女の来訪を待っていたかのように歩み寄っていく。
 エヴァンジェリンは俯いたままに何も言わない。
 ただ、両手を胸元で組んだ姿は神楽坂明日菜の知る、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと言う悪い魔法使いの大胆不敵にして厚顔無礼な態度のソレである事を理解して、笑いながらその場所を過ぎようとした。

「神楽坂さん。またお会い出来る事を願っています」
「うん。ただいまだけど、いってきます、茶々丸さん。それと、エヴァちゃんや皆の事お願いね」

 あの頃から変わっていない二人。それは身長と声であり、しかし、唯一五年前で一番変わったところの少ない二人が過ぎ去っていく。笑いながら、微笑みながら、二人は過ぎていこうとした。その、合間に。
 神楽坂明日菜の背中に重みがかかる。背中と言うよりは、腰付近。そこに、重みがかかる。
 それほど重量感のあるものではない。軽く、半鋼化している状態である神楽坂明日菜ならば容易く無視していける重みであったが、彼女は足を止めてその重みに暫し体を預ける。
 重みをかけるものの名前は、エヴァンジェリン。
 エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルが、彼女の背中にしがみ付いたまま動かなかった。

「……エヴァちゃん、今、幸せ?」

 神楽坂明日菜は何時か言った事場を思い出し、繰り返した。
 誰にだって幸せになる権利があるのだと。
 それは、仮令多くを奪ったエヴァンジェリンと言う吸血鬼にも与えられるものなのだと確かに告げた言葉を思い出し、繰り返した。

「ああ。私は幸せになれたよ、神楽坂明日菜。
 アイツが。アーニャが全部持っていってくれた。
 事実は消えなくても、私は生きていけそうだ。幸せの中で。この、安堵の中で」

 背中にしがみ付いていたエヴァンジェリンが離れ、振り返った神楽坂明日菜は驚いて、笑った。
 久々の笑顔。エヴァンジェリンが泣いていたからだ。
 口調は、あの我儘で慇懃無礼な口調そのままだったが、エヴァンジェリンは本当に子供のように泣いていたのだ。
 神楽坂明日菜のその久々の笑顔。エヴァンジェリンは、ますます泣けてきた。
 無理もない。五年越しの笑顔だった。そして、また暫く見られなくなる。
 半鋼化した二人は、また世界を廻るのだろう。だが今度は無意味な廻りではない気がするのだ。

 何が待っているかも解らない新しい旅立ち。それを、迎えるのだから。
 だが旅立つ前にと、神楽坂明日菜は屈んで大泣き状態のエヴァンジェリンのその泪を自らの手で拭う。
 拭っても拭っても流れ続ける滝のような泪に、神楽坂明日菜は終始笑いっぱなしだった。
 エヴァンジェリンはそれを諌めるような余裕も無い。それぐらい、泣いていた。

「もー、ホントにエヴァちゃん? 真祖じゃないの? 泣いたら子供っぽいってバカにされるわよ?」
「ぐずっ…………構うかぁ。子供でもいい。素直になれるに越した事は、ないんだからなぁ。
 ずずっ……帰って来いよ。もし、辛くなったら、必ず帰って来い。
 その日まで……うぐっ……ま、待っててやるからなぁ……」

 屈んだ神楽坂明日菜目掛けてエヴァンジェリンは子供のように抱きついた。
 何も知らない人間が見ればどう思うだろうか。その光景は。姉と妹。
 まさにそれであり、知る人間、振り返った戦った全ての人々の胸には、あの神楽坂明日菜らしさを蘇らせるには十分だった。
 首元に抱きつかれ、神楽坂明日菜はますます目を丸くした。
 だけど、もう気にするそぶりなどない。これが本当の彼女なのだと思い、彼女は少女を優しく受け入れた。

 彼女が願うならば、神楽坂明日菜は此処に留まれた。
 皆と共にとどまれ、その耳もいつかは取り外すすべを見つけ、元の、人間として生きていく事が出来るだろう。
 神楽坂明日菜がそれを選ばなかった理由はなんなのか。傍らで静かにその光景を見届け続ける限死のためだろうか。
 だが、それは違う。違うのだ。そんな事は考えていない。五年前にも彼女は高音・D・グッドマンへ告げた筈だ。

 一人っきりじゃないのと。彼女は確かにそう告げた。
 それで良いではないのか。良くは無いかもしれないし、否定もあるかもしれないその答え。
 だが、仲間は全て受け入れてくれた。
 それで充分。これ以上、望むべくも無いと神楽坂明日菜はエヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルを抱き返して告げた。

「いってきます。そして、待っててね」

 微笑みながら抱きとめ、エヴァンジェリンも、微笑んで抱き返した―――


 光が散っていく。朝日なのか、それとも、彼女の残した篝火の残光なのかは解らない。
 ただ光は温かく、五年前に傷ついた、全ての人の傷口を癒していった―――
 去りいくは魔法少女と鋼化少女。残りいくは、また、温かい日々と変わり行く日々か―――

第五十七話 / Epilogue


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