ネギ補佐生徒 第8話
風呂場に残って木乃香の話を聞くというネギを置いて、澤村は先に風呂場から出た。 慣れない浴衣とじんべいを羽織って、刹那の姿を探す。彼女が味方ならば、詳しい話を聞いておかなければならないし、木乃香のことをお嬢様と呼んだのも気になる。 いや、それよりも彼女を疑っていたからといって、何か聞きだそうとしたことについても謝罪せねばならない。 案外早く刹那はみつかり、澤村は彼女を呼びながらも歩み寄った。露天風呂の時のように、痛い目に合うのはもうこりごりだから。 「あ、さ、澤村さん……」 気まずそうに刹那が自分を見てくるので澤村は、参ったな、と手を頭に添える。まだ髪は乾いておらず、湿っていて冷たい感触が澤村の手に伝わってきた。 そんな反応をされては、こっちだってそういう反応になってしまう。 しかしすぐに冷静になれた。刹那の持つものに気が削がれたからだ。 「桜咲さん……それ、何?」 札の束を指差す。 「式神返しの結界のために必要なものなんです」 やはりそういう陰陽道みたいなものも魔法と同じで、実在するものなのだと再確認させられた。それを苦笑して刹那に言うと、彼女も澤村と同じ顔をしてみせる。 「ネギ先生の補佐生徒ということで、何かあるとは思っていたのですが……ネギ先生が魔法使いだということを知っているという以外は、一般の方なのですね」 まぁね、とフロントの前にあるソファーへと腰を下ろした。澤村のそれにならって、刹那も腰を下ろす。 二人は向かい合わせに座る。 「新幹線ではごめんね。なんか探るような感じのことをしちゃって」 刹那は口元を緩めて首を横に振る。いい判断です、と誉められた。少し照れたのは、澤村の心の中だけに留めておく。ありがとう、と礼を言ってから、 「いくつか質問があるんだけど、いいかな」 と、彼女の瞳を見た。 頷いたのを確認してから、澤村は言葉を放つ。 「――――まず一つ目は、近衛さんをなぜお嬢様と呼び、守っているのに彼女を避けるのか」 ネギ補佐生徒 第8話 届いた手 一般人、と思えばこうやって目の前の少年は、その目と同じように鋭い質問をしてくる。露天風呂の一件だって、素人とは思えないほどの判断力と行動力があった。 そんなことを思いながらも、刹那も彼の瞳を見る。 透き通るような青ではなく、少し暗さのある青―――群青というべきか。そんな瞳が刹那を射ぬいていた。 「あ、嫌ならいいんだけどさ!」 深刻な表情をしていたのだろうか。目の前にいる彼……澤村は、慌てながら両手を顔の前でぶんぶんと振った。 急に一般人の空気が漂ってくる。正直、彼が相手だと調子が狂う。露天風呂では、敵と勘違いしていたとはいえ、彼の急所を掴んでしまった。 相手がネギだったら、もう少し気にかけずにすんでいたのだろうが、相手は同い年の一般人。どうしても、申し訳ない気持ちと羞恥心が湧き起こる。 「その、ちょっと気になっただけだしっ……」 ネギのようにあたふたする澤村の姿を見て、刹那は小首を傾げながらも露天風呂のことを忘れて苦笑してみせた。あたふたしている彼の顔は、青ざめているようにも見えたから。余程こちらのことを心配してくれているらしい。 そこまで気を使わなくてもいいのにと思ったのだが、どうやらそれは違うようで、 「だから、そんな刃物を抜きそうな顔しないでくれ」 「―――――はい?」 顔を突き出して刹那は裏返った声を出す。そんな顔を自分はしていたのだろうか? 目の前の素人を見定めていたというだけであり、別に刀を向ける気などなかった。今後とも、絶対にない。断じて。 「悪い!」 土下座でもしそうな勢い。いや、すでにコレは土下座をしていると言ってよいのではないのだろうか。 澤村は、両手と額を勢い良くテーブルにつけた。ゴツン、という音がしたのは気のせいだといいのだが。 彼の旋毛を見ながらも刹那は、ソファーから腰をあげて彼を宥めた。 「ち、違います、澤村さん! 顔を上げてくださいっ」 居場所のない両手が宙をうろうろ。やはり第一印象が悪すぎたらしい。 刹那の言葉に、澤村の顔がゆっくりと上げてくれる。前髪からのぞく額はやっぱり赤かった。 「そ、そう?」 鋭い目は、なんだか情けなさそうな目に見える。 きっと自分は、彼の動きを分析していて、“仕事モード”の目になっていたのだろう。澤村は、一応一般の人間。怖がるに決まっている。 顔をあげた澤村に一安心して、ソファーに腰を下ろしながら、すいませんと言う。今日はなんだかよく謝っている日だ。 「あ、こちらこそ早とちりして……」 気まずそうに小さく笑いながらも、澤村はテーブルについていた両手を離した。 「戦闘経験のないはずの澤村さんの判断と動きが、あまりに素人には見えなくてちょっと考え込んでいたんです。たぶん、それで誤解を招かせてしまったのかと」 刹那がそういうと澤村は、ああ、と困ったように声をあげた。 「なんていうか……ネギ先生が魔法使いだって知ったときにちょっとした事件があってさ。その時、一回だけ似たようなことをしたから」 それは初耳である。事件とは、たぶんエヴァンジェリンのことだろう。 学園長からその話は聞いていたが、澤村のことは全く聞かされていなかった。 「それで、別の質問があるんだけど……いいかな?」 語尾の方は、真剣な表情だった澤村に刹那も真剣な表情で頷く。 「学園長からの話では、西と東の交流の妨害のはずだろ? なのに、近衛さんを外に連れだそうとした」 それっておかしくないか? そう聞いてくる澤村に、刹那は、目を瞬かせた。 ……本当に彼は鋭い。 もしかしたら澤村は、こういった世界に向いているのかもしれないと思ってしまうほどだ。 「実は……」 説明しようとした刹那に、 「いたいた、澤村君、桜咲さん」 ネギと明日菜が歩み寄ってきた。 「えと……刹那さんも、その……日本の魔法を使えるんですか?」 澤村の横に腰をおろして言ったネギに、刹那は頷く。 「ええ、剣術の補助程度ですが」 「なるほど、ちょっとした魔法剣士ってわけだな、つまり」 カモの言った魔法剣士という響きがかっこよかった。澤村も男である、剣士とか格闘技などは好きな方だ。 さっきの刹那の剣を振るう姿にだって、憧れを抱く。 ……自分には無理そうだが。 明日菜に魔法の件に関して話していいのか了承を得てから刹那が今回の事件に関して説明しはじめた。 「敵のいやがらせがかなりエスカレートしてきました」 まだ可愛げがあるが、確かにエスカレートしつつある。いったいどんな人物がやっているのだろうかと澤村は首を捻る。下着を脱がしたりと、ちょっと変態的なこともあるし、もしかしたら男なのだろうか。 「このままでは、このかお嬢様にも被害が及びかねません。それなりの対策を講じなくては……」 つまりは、刹那にとってクラスメートに被害が及んでいることは気にならないのだろうか。 木乃香のことしか考慮していない刹那に少し恐怖を感じつつも、澤村は彼女たちの会話に聞き入る。 「ネギ先生は優秀な西洋魔術師と聞いていましたので上手く対処してくれると思ったのですか……意外と対応が不甲斐なかったので、敵も調子に乗ったようです」 ジト目で刹那がネギを見て言った言葉に、澤村もあー……と声をこぼす。確かに露天風呂の時は困った。 おかげで澤村は、いらぬ経験をしてしまったのだから。 二人の反応にネギは、あうっと声あげると、すみませんと謝ってくる。 「じゃあ、やっぱりあんたは味方……!」 テーブルの上にいたカモがそういって刹那を見る。 ええ、と頷く刹那。 さっきから澤村も刹那もそう言っているのに、 「いや、すまねェ、剣士の姐さん。俺としたことが、目一杯疑っちまった!!」 「ごめんなさい、刹那さん……ぼ、僕も協力しますから襲ってくる敵について教えてくれませんか!?」 やっぱりこの二人は聞いていなかったらしい。 少なからず怒りを感じつつも、澤村は刹那の説明に聞き入る。今はネギたちに文句を言っている場合ではない。 刹那の口から出たのは、やはり関西呪術協会の名だった。 協会の一部勢力で陰陽道の“呪符使い”とそれが使役する式神。呪符使いは基本的にネギ達のこと言う魔法使いと大して変わらず、あえて言うならば日本独自の魔法――――陰陽道を基本としている。 呪文を唱えている間、無防備になるのは魔法使いと同じだとかで。 西洋魔術師が明日菜のように従者を従えている代わりに、善鬼や護鬼といった強力な式神をガードにつけているらしく、それを倒さない限り術者本人に攻撃は通用しないと考えるべきらしい。 さらに関西呪術協会は、刹那の扱う剣術である神鳴流と深い繋がりがあり、神鳴流とは、京を護り魔を討つために組織された掛け値なしの力を持つ戦闘集団で使い手が護衛として付いていれば、かなり手強いとのこと。 戦闘集団やら魔やら……なんだか物騒な話である。本当に自分の持つ常識とは離れた世界に踏み込んだのだと思いながらも澤村は、ようやく乾いてきた横の髪をかき上げた。 「彼らにとってみれば、西を抜け東についた私は言わば“裏切り者”」 流れるような動作で刹那は足を組む。浴衣の隙間から覗く脚は澤村の脚と一緒で、無駄な筋肉がなかった。鍛えなければそんな脚にはならない。 澤村だってサッカー部としてどれだけ自分の足腰を鍛えたことか。それでもやっぱり負ける時は負けるのだが。 今年こそは全国に出たいな、なんて普通の学生みたいなこと思いながらも普通じゃない世界の話を聞く自分に違和感を感じる。 ……そんなことよりも、今は刹那の話だ。 「でも私の望みは、このかお嬢様をお守りすることです。仕方ありません」 次の言葉を、刹那はどこか照れたような表情で零す。 「私は……お嬢様を守れれば満足なんです」 ―――――なら、なぜ避けるのだろうか。 大事なものを守るために、大事なものから避けてしまっているのなら、それは本当に守るとは言えないのではないのだろうか。素人の自分が言うのも何だが、身の危険から守るだけなら力があるだけで誰だってできる。 もし、木乃香が精神的に病んでしまっている時、守る人――――支えてあげられる人は少ない。だけど、目の前にいるこの剣士には、それができるのではないの だろうか。露天風呂の時、木乃香は刹那をせっちゃんと呼んでいたし、何より刹那が走り去っていく時の木乃香の声は、本当に悲しそうだった。 傍にいてあげた方が身の危険からだって守ってあげられるじゃないか。 不思議そうに刹那を見る澤村は、そう思っていた。 「よーし、わかったよ、桜咲さん!!」 ガタッという音と共に澤村のお尻が少し浮いた。勢いよく明日菜が立ち上がったためである。 「あんたがこのかのこと嫌ってなくて良かった! それだけ分かれば十分!!」 「わ」 明日菜が刹那の背中を叩く音を聞いて澤村は、うっと声を漏らしながらも顔を引き攣らせた。痛そうだ、と。 「友達の友達は友達だからね。私も協力するわよ」 「か……神楽坂さん」 あまりにもフレンドリーに接してくる明日菜に刹那は戸惑いを隠せずにいた。そんな刹那を澤村は少し微笑ましく思う。 中学に上がってすぐのルームメイトも明日菜が刹那にするのと同じように澤村に接してきた。彼も戸惑った覚えがある。どう反応したらいいものなのか、よくわからないのだ。 「よし、じゃあ決まりですね!」 明日菜、刹那、澤村の順にネギは半ば強引に手を重ねさせると、ネギは高らかにこう言う。 「3−A防衛隊、結成ですよ!! 関西呪術協会からクラスのみんなを守りましょう!!」 ネーミングセンスがないな、と思いつつも澤村は刹那を見た。きっと彼女はまだ戸惑っているだろう。 そう思ったのだが、 「あ……えと、すいません、澤村さん」 「―――――え?」 今回は謝られる覚えがない。なぜ彼女は自分に謝罪してくるのだろうか。 あるとすれば…… 「え、あ、その……」 どもりながらもばっと手を離す。澤村の上に手を乗せていていたネギは、それに驚いて後ろに飛び退いた。刹那も明日菜の上から手をどけ、明日菜は不思議そうに澤村と刹那を見る。 なんだかネギは、右手に拳を作って自分達を見ているが、そんなことなど気に止めていられなかった。 「もうそのことは気にしなくていいよ。俺も忘れるから……な?」 さすがにずっと気にされると気まずい。刹那も顔が赤いまま頷くが、やはりしばらくかかるかもしれない。 「何、どうかしたの?」 それを見た明日菜が、少しにやつきながらも澤村の脇を小突いた。作り笑いで何でもないと澤村が答えても、明日菜は疑ってばかりだ。 やはりこの辺彼女も年頃の女の子のようだった。 「敵はまた今夜も来るかもしれませんね。早速、僕、外の見回りに行ってきます!!」 助けの船だった。 「ね、ネギ先生だけだと心配だから、俺も行ってくるよ!!」 二人を見ないようにして澤村はネギを追う。 明日菜が逃げたか、と言ったのは聞こえなかったことにする。刹那がうまく明日菜を誤魔化してくれるのを願いながらも、澤村はロビーから出ていった。 ネギは自分の身体に魔力を乗せているらしく、脚が速い。 ようやく彼の姿を視界に捕らえたのは、ホテルに出るための自動ドアだった。 「ネギ先生ー!」 折角追いついたのにまた見失っては困ると、声をかける。ネギは振り返り、澤村を待ってくれた。 シーツを積んだカートを押すホテルの人を避けながらも、ネギに走りよる。だが、 「ウキ」 ―――――ウキ? 立ち止まって振り返る。別に猿なんていない。カートを押しているホテルの人の背があるだけだ。 澤村は小首を傾げる。猿の鳴き声にも気になったが、あのホテルの女性も気になった。 「どっかで見たことある気が……」 思い出せないのが、なんだか歯がゆい。 「澤村さん?」 ネギの声に、慌てて澤村は彼に駆け寄った。少し疲れているのかもしれない。そう思うことにした。 ネギの傍についた澤村は、走ることによって乱れた浴衣を整えながら言う。 「ネギ先生、俺も外の見回り手伝います」 澤村の言葉にネギは輝いた表情を見せる。大きな声ではい、と返事したが、その前に彼には言うことが一つあった。 「ネギ先生。もう少しご自分で状況判断をしてください。カモの意見に左右されすぎです」 カモという助言者は確かに頼もしいけれど、少し左右されすぎだ。刹那を信じていたのに、カモの言葉に惑わされ、少し深く考えれば味方とわかる刹那の発言を勘違いしてしまう結果となってしまった。 おかげでしなくていい経験をつんだのだ、今のうちにいっておかないと、また同じ事が起こってしまったら面倒である。何かキーキーいっているカモは無視だ。 「学園長や高畑先生が関西呪術協会のことを知っているのならば、京都出身である桜咲さんのことを知らないはずがないでしょう。名簿を持っていたのに、なんで気付かなかったんですか」 睨むような目の澤村が怖かったのだろう。自分を見るネギの目は、親に怒られている時の子供のものだった。 怒っていたのだ、澤村は。カモも澤村の苛立ちを感じたのだろう、澤村の顔をみたまま黙り込んでいた。 「俺もネギ先生にきちんと言わなかったのが悪いですけど、もう少ししっかりしてください。じゃないと」 ―――――――くだらないことで命を落としますよ。 何故、こんなにも自分が怒っているのか、澤村にもわからなかった。ネギを見ていると、なぜか苛々する。 怒りを抑えることなどできない自分だって、ただの子供なのに。むしろ魔法を使えるネギの方が魔法関係の知識や経験が多いのに、偉そうなことを言っている自分が、なんだか嫌だった。 ネギに背を向けて、 「別の場所を見回ります。ネギ先生はこの辺をお願いしますね。何かあったら携帯で」 既にネギには携帯の番号を教えているので、そのまま澤村はネギの元から去る。 ネギの視界から自分の姿が見えなくなったのを確認してから、澤村は自分の頭を片手で掻き毟った。 「なに苛々してんだ、俺は……」 そんな自分にも苛々する。 溜息を漏らして、空を見上げる。あの時のような、満月ではなく、ただの三日月だった。 「結局、一番子供で足引っ張ってるのって、俺じゃないか――――」 当たり前だけれど。 自分も何か武術みたいなものをやった方がいいのだろうか。露天風呂では、せっかく考えた攻撃も、あっさり刹那に見切られてしまった。 エヴァンジェリンの時のように、急に足が軽くなって走る速度があがるようなこともあれ以来1度もない。 そういえばあれは一体何だったのだろうか。 体が軽くなった。まるで、自分の体が羽のように軽くなって、思い通りに足が進んで……あの感覚はもう、思い出せそうにはない。 もう一度溜息を漏らす。 夜空はあんなに綺麗なのに、澤村の気分はよどんでいた。 そんな澤村の視界に、 「――――猿?」 大きな大きな猿の影が映った。月明かりで確認しにくいが、大きな猿は人間を抱えている。 目を細めてそれを見ると、それは澤村の知っている人物。 「近衛さん!?」 自分の頭の上を飛んでいく猿を慌てて澤村は追いかけた。携帯をすばやく取り出して電話してみるものの、話中らしくツーツーという音が耳に響くだけだった。 舌打ちしながらも、大きな猿を見失わないように走る。 猿は空中を飛んでいるわけではなく、ジャンプしただけのようで、その高度は少しずつ落ちてきていた。 2回目のジャンプをされる前に、追いつかなければ。 そう思い走るが、この方向はネギと別れた場所と同じである。なので、しばらく走っていくうちに、 「ネギ先生!」 木乃香を連れ去ろうとした小猿たちが、ネギに群がっていた。ネギの手には杖。どうやら呪文を唱えようとしたときに口を塞がれたらしく、ふがふがと澤村のほうを向いて何か言っていた。 明日菜がいないから、詠唱中にネギを守るものがいなかったのだ。 せめて澤村がいたら、なんとかなったのかもしれないが、それも後の祭だった。 また、自分は役立たず。悔しかった。 エヴァンジェリンの時だって、助けようとして結局失敗している。 歯がぎり、と鳴った。 大きな猿はただの着ぐるみで、猿の口から覗く女の顔は、やはりどこか見たことがあった。 ホテルですれ違った女だった。 よく見れば、新幹線でも同じ人間がいた。あの販売員。 ―――――あの時からずっと近くにいたんだ! もっと早く気付くべきだった。猿の着ぐるみを着た人間が、その体を屈める。 もう一度飛びあがる気なのだ。このままでは逃げられてしまう。 澤村は、衝動的に地を蹴った。 ぐっと右腕を伸ばす。 飛びあがり離れていく猿の体。 エヴァンジェリンのときのように、掠るだけなんて虚しい結果だけは避けたかった。 だから、 「っ……届け、くそヤローーー!!」 伸ばしていた右腕を思いきり退く。それと同時に腰も思いきり捻った。 その二つの動作の反動を使って、左腕を伸ばす。手に何かが触れたのを感じて、すぐにその左手を握り締めた。 それと同時に、体がふわりと舞った感覚が澤村を襲う。 「な、なんやて!?」 左手にはしっかりと猿の着ぐるみの尻尾がある。 だが、地にとどめておくことができずに、澤村も猿と一緒に飛びあがってしまっていた。 「さ、澤村さーん!!」 ネギの声が下から聞こえてくる。 「先生! 早く二人を呼んで来て!!」 そう言った澤村は、下を見ることはしなかった。見たらきっと、恐怖で身動きができなくなる気がしたから。しっかりと尻尾を掴んで、落ちないようにしながらもよじ登る。 いつのまにか現れた小猿たちが澤村の邪魔をしてくるが、そんなことではへこたれなかった。今まで役に立ってない分、役に立ってみせる。そう決めたのだから。 「ぐっ……しつこい人はきらわれますえ」 「うるさい」 そう言いながらも、しっかりと猿の耳を掴んだ。ぐっと身を引き寄せて、足を猿の首に絡める。 「落ちたら死にますえ。ウチが落とさん思うてはんのなら、覚悟しとった方がええ思いますえ?」 下を見なくても落ちたら絶対に死に至る高さまであがっていることはわかっている。恐怖がないといえば嘘だ。 だからこそ、しっかりと足と手を使って、体を固定した。 澤村は、強張った表情のまま猿に言う。 「――――覚悟なんかするもんか。俺は何が何でもお前にくっついてやるんだからな」 |