ネギ補佐生徒 第10話





 修学旅行二日目の朝。
 ショッキングな出来事が二つ、澤村を襲った。
 まず一つは、携帯。
 開いてもボタンを押しても画面は真っ暗でうんともすんとも言わない。
 つまり、壊れたのだ。
 まぁ、アレだけ衝撃を与えたり水に浸かってしまっては、無事でいるほうがおかしいだろう。
 幸いにも、アドレス帳のメモはとってあり、メモをとらなかったネギの携帯も本人に聞けばなんとかなるし携帯を買うだけで済む。
 問題はもう一つの出来事だ。
 澤村は、唯一の男子だけあって少しだけ制限がある。
 教師であるネギと同室であるということ。
 当然、ネギの部屋は教師達の部屋の中では一番奥に位置しているため、澤村が何か事を起こしてしまった場合にすぐに対応できるようになっている。
 澤村も当然のことだろうと、それを受け入れていた。
 同室の相手が新田だったら、さすがの澤村も多少なりとは抵抗を感じたかもしれないが。
 兎に角、同室相手がネギということで、緊張せずぐっすりと眠ることができた。
 しかし、ネギの寝相はお世辞にもよろしいとは言えない。

「ん……」

 疲労がたまっていたせいか目覚めが悪く、目蓋が重く感じた。ぼやける視界でホテルの天井を睨みつける。

 ―――――今日は、平和だといいのだが。

 昨日はさすがに疲れた。できれば修学旅行中はもうないと思いたい。
 そう思いながらも、だるい体を起こそうとした澤村に、ある違和感が襲った。
 何か体に巻き付いている気がする。最初はかけ布団だと思っていたのだが、違うようだ。
 かけ布団ではなく、別のもの。
 はっきりとしてきた視界で自分の体を見た。
 すると……

「――――――」

 なんとも言い難い表情で、澤村はそれを見た。
 それ――――ネギが澤村に抱き着いていたのだ。
 何故布団を離して寝たのに、この子供教師は自分の体に抱き着いているのだろうか。
 チチチ……という鳥のさえずりが響く室内で、それはしばし続く。
 だが、

「ん……お父さん」

 という言葉でようやく澤村は、自分の脳の機能を取り戻す。
 ネギの顔を覗き込むと、穏やかな表情。
 寝言から察するに、父親の夢を見ているのだろう。
 少しだけ微笑ましくて顔を綻ばせたが、それは長くは続かなかった。
 更に擦り寄ってくるネギに焦りを感じずにはいられない。
 別に澤村は、あやかのような趣味もない。そもそもネギのような子供は苦手である。
 それになぜか、ネギを見ていると嫌な気持ちになるのだ。下手をすれば、嫌悪感すら芽生えてくる。

「おねえちゃ〜ん……」
「いつの間に夢変わったんだよ……っ」

 そんなネギの甘ったるい声と共に近寄ってくる締まりのない顔が腹立たしい。
 先ほどの澤村に流れ込んできた温かいものは、今は沸騰して噴火しそうだ。
 何が起ころうとしているのか、容易にわかった。それはもう、手にとるかのように。
 澤村は必死になってネギと自分の体の間にある腕で距離をとる。
 しかし、魔法使いである上に大人と引けをとらないほど身体的能力が優れているネギに、ごく普通の男子中学生である澤村がかなうはずもなく、

「子供のくせに力ありすぎだってーのっ」

 縮まる距離。
 ネギの吐息が顔にかかってくる。
 まずい。これは非常にまずい。
 このままでは、自分のファーストキスが子供―――――しかも男となってしまう。それはいくらなんでもあんまりだ。
 乙女チックな理想はないけれど、ファーストキスはせめて女の子……できれば好きな子がいいっ!

 こんなときにかぎって、あのカモは近くにいない。あとで鼻を押してやろう。
 迫ってくるネギの顔。あと数cmで唇が触れる。
 その時、

 ―――――プチン。

 澤村の中で、何かが切れた。

「この子供教師ーーー!! いいかげん起きやがれーーー!!」

 澤村の罵声と鈍い音が、室内に響いた。





  ネギ補佐生徒 第10話 勇気をだしていきましょう





 目の前にいる少年が、不機嫌そうに少し赤みがかった手で箸を使い、食べ物を口に運んでいく姿に、亜子は首を傾げた。
 それはアキラも同じらしく、顔を見合わせて二人でまた首を傾げる。
 彼がこんなにも不機嫌さを表すのを初めて見たのだ。
 そんな少年・澤村は、本当は教師達のところで食事をとるはずだったのだが、それでは可哀相だというしずなの言葉で食べる場所を選べることとなった。
 あまりクラスに馴染めていない彼を呼び寄せる女子など、明日菜と亜子たちだけで、結果的にどうしようかと迷う澤村を半ば無理矢理、まき絵たちが連れ出したのだ。きっと、まだ勘違いをしたままなのであろう。
 別に澤村のことを恋愛対象として見てなんかいない。本当にいい友達なのだ。
 なのに、まき絵たちはこうやって変な気を遣う。
 ……まぁ、澤村もそうといえばそうなのだが、気を遣う場所が違う。

「ねぇねぇ、澤村君はどうだったの?」

 昨夜のことについて話していた裕奈が、澤村にそう話しかけた。すると、彼の顔からは不機嫌さが消え、きょとりとした顔が現れる。

「どうだった……って?」

 きちんと食べ物を飲み込んでから言う澤村の言葉に、まき絵が昨夜のことだよと言う。

「ネギ君と何か話したー? 例えば……好きな人の話とか〜」

 まき絵の顔がにやついているのが亜子にはわかった。そして何を期待しているのかも。
 だが、澤村の好きな人、というのは少し興味をそそられる話題ではある。亜子は気に留めていない様子を表に出しながらも内心耳を大きくしながら会話に聞き入った。アキラの素直に聞き入ればいいのにという視線は、あえて無視する。

「あー……最近クラスの成績がよくなって嬉しいって話なら聞かされたかな。あと、サッカーの話とか」

 やっぱりサッカーにしか興味がないらしく、なんとも色気のない言葉だった。思わずがっくりする。
 裕奈とまき絵も、がっくりとした表情をしている。澤村は訝しげな顔をしつつも、白いご飯を口へと運ぶ。
 何故だろう、なんだか奇妙な光景に見える。がっくりとした表情をした女子二名、それを見ながら眉間に皺をよせつつもご飯を食べる男子一名、それを見ている女子二名。
 そんな中を、

「せっちゃん、何で逃げるん〜?」

 間延びした声と、

「桜咲さーん!!」

 幼い声と、

「わ、私は別に……!」

 慌てたような声が、通りすぎた。
 間延びした声の主である木乃香は食事をもったまま、木乃香と同じように食事を持ったままである慌てたような声の主である刹那を追いかけていた。
 木乃香は、少しべそをかいており、刹那は亜子が見たことのない表情で木乃香からに逃げている。
 そして、その二人を追いかける幼い声の主のネギも両手を広げてわたわたとしている。これはいつも通りだ。
 だが、なぜか澤村の方を見たときにネギは肩をびくりと震わせて、そのまま踵を返して走り去ってしまった。
 ……額が赤かったのは気のせいだろうか。
 亜子はそんなことを気にしつつも、澤村を見る。
 すると澤村は、自分の前を通って行った人物たちを見送った後、こう言った。

「やっぱりあっちが素なんだ」

 なんだか刹那をよく知っています的な言葉に裕奈とまき絵が目をくわっと見開いて澤村を見たのがわかった。
 そんな二人に気づかない澤村は、なんだか親しみのある笑顔を浮かべている。
 さすがの亜子とアキラも、これには驚いた。

「ちょーっと、澤村君?」

 とても楽しそうな裕奈の声に、澤村は首を傾げる。

 ――――あーあ。

 きっと質問責めが止まらないのだろうな、と裕奈とまき絵の表情を見ながらも亜子は思った。





「ご苦労様」

 アキラにそう言われて、ロビーのソファーに座っていた澤村は、ぐったりとしていた頭を上げた。
 相変わらず彼女は背が高い。羨ましいかぎりである。
 でも、昨夜のように動く地面に頭を削られそうになるという事態に陥ったとき、彼女ぐらいの背があったら、今日自分はカッパ頭でいなくてはいけなかったのかもしれないと思うと、今の身長でよかったと思ってしまわなくもない。

「あの二人……本当に元気だな。和泉と大河内さんとは逆だ」

 率直な感想を述べると、小さくアキラは微笑んだ。
 ぽろっと口にした言葉が裕奈とまき絵の何かにスイッチをいれてしまったらしく、藁をも掴む思いだといわんばかりに澤村に質問を浴びせ掛けた。
 正直、疲れている。

「そういえば、班別行動はどうするの?」

 アキラの言葉に澤村は、あーと曖昧な返事をする。彼は班というものに属していないのだ。つまり、個人として見られている。
 班別という団体であったとしても、男子である澤村に自由行動をさせるのはよくないと新田達教師による判断からである。元々澤村はネギの補佐生徒として女子校にいるわけなのだから、当然ネギと行動を共にしなくてはならない。
 だが、ネギ自身が何処に行くということを決めていないので、どうしようもないのだ。
 親書の件や昨夜の件もあり、どうやらネギにもいろいろと考えがあるようなのであえて澤村は口を挟まなかった。
 昨日は偉そうなことをネギに言ったが、自分の方が下手に口を出せるわけではないのだ。
 思わず溜息が漏れる。

「澤村君?」
「あ、いや……ネギ先生と一緒に回るから、何処に行くかわからないんだよ」

 不思議そうに自分の名を呼んだアキラに苦笑しながら澤村は答える。
 大変だね、と言われて反射的に頷いてしまう。

「携帯は壊れるし、ネギ先生の寝相は悪いしで……」

 愚痴だって漏れてしまう。

「もう、最悪」

 金銭的にも精神的にも肉体的にも、本当に最悪だった。
 意外だ、という表情でアキラは、

「ネギ先生、寝相悪いんだ」

 と言った。
 すっごく悪い、と脱力しつつも力強く答えると、アキラはなんと答えて言いのかわからなかったらしく、無言が返ってきた。
 澤村も自分がアキラの立場だったらそうするだろうと思ったので話題を変えることにした。
 いつまでも自分の愚痴を聞いてもらうのも、悪い気がする。

「そっちは昨夜どうだったの? 和泉達、寝てたんだろ?」

 亜子、まき絵、裕奈は酔い潰れて布団の中だったはず。
 修学旅行といえば夜更かし。
 なのに同室の人間が布団ですやすや夢の中、なんてことならつまらなかったのではないのだろうか。

「龍宮さんと話していたんだ……亜子たちが寝てたから静かだったし、結構楽しかったよ」

 最後の方は肩をすくめて言うアキラに、澤村は少し首をを傾げる。
 龍宮って誰だっけ?
 名は知っているが、いまいち容姿が思い出せない。
 というか、思い出さないほうがいい気がしてならないのはなぜだろうか。
 それを察したアキラが視線を横にずらして、彼女だよ、と澤村に教える。
 アキラの視線を辿れば、褐色の肌の美女。
 不思議とこのクラスは美人やら可愛い子やらが多い気がする。元ルームメイトもそんなことで一時期騒いでいた気がする。
 元ルームメイトの好みのタイプがいるとかいないとか。面倒なのであまり聞いていなかったが、誰なのかは不明である。
 澤村にその子と自分を繋げるように頼んだりしないところを見ると、本気なのか冗談なのか区別しにくいところだ。
 ……とりあえずそのことに関しては保留しとくにして。
 その褐色の肌の美女――――龍宮 真名は、

「……でかい」

 楓と同じ位、身長が大きかった。

「何でこのクラスは身長が高い子が多いんだ……?」

 アキラにとっては些細な疑問かもしれないが、澤村にとっては大きな課題だ。
 澤村とさほど身長のかわらない女子も含め、背の高い女子が多いこのクラスでは、結構苦痛だ。

「亜子が言っていたけど、本当に気にしてるんだ」

 綺麗にその言葉が澤村の耳にはいってきた。
 ほほう、あのおっとりマネージャーは、そんなことまで言ってるのか。
 ひくひくと顔が引き攣った。

「ネギくん! 今日、ウチの班と見学しよー!!」

 ロビーに響く、可愛い声。
 引き攣っていた顔が一変し、ぎょっとした顔で澤村は振り返った。
 アキラもそれに続いて、ゆっくりとした動作で声が聞こえたほうを見る。

「ちょっ、まき絵さん。ネギ先生はウチの3班と見学を!」

 いろんな班員の人間が、ネギ争奪戦を繰り広げていた。
 子供は得だな、なんて思いながらもそれを見ている。ロビーの煩さは、あの煩さよりも心地良い。

 ―――――あれは、結局なんだったのだろう。

 昨夜も寝る前にも考えていたのだが、それは断片的にしか頭に残っておらず、パズルのピースのようにばらばらになっていた。
 パズルのピースがあるにしても、はめ込む額がない上にどこからはめ込み始めていいのかわからない。
 覚えているのは、赤と壊れる音のみ。
 何時、何処で、何が起きたのかもさっぱりわからないあの光景。
 ただの夢だったのだろうか。それにしては、なんだか現実感があった。
 本当にあれは何なんだろう。
 もう一度思い出せたら、と思考の迷路を辿ろうとすれば、

「――――つっ」

 小さくうめき、反射的に右手をこめかみに添えた。
 鋭い痛みの後に襲う、鈍い痛み。この頭痛が澤村を考えることを拒ませていた。
 痛みが襲うごとに薄れていく、記憶。

 なんだろう。何を今、思い出していたのだろう。

 あの赤は、本当はオレンジだったのかもしれない。黄色だったのかもしれない。
 壊れる音は、ただの足音だったのかもしれない。ただの空耳かもしれない。
 あの光景は、ただの夢だったのかもしれない。見ていないかもしれない。

 痛みが、すうっとひいていく。
 小さく息を抜き、澤村は改めてネギたちを見た。

「よ、よろしければ、今日の自由行動……私達と一緒に回りませんかー!?」
「み、宮崎さん……」

 顔を真っ赤にして言った女子――――宮崎のどかの言葉に、皆がぴたりと騒動を止めた。
 あやかとまき絵なんかは、お互いの頬をつねったままの状態で止まっている。
 澤村は、前髪がとめられていたせいか、その女子がのどかだとわからなかった。
 彼女の特徴は、顔を半分も覆うほどの長い前髪。前髪をとめた彼女を澤村は初めて見たのだ。
 何故前髪で顔を隠すのか、疑問に思うほどの可愛さだった。

「え、えーと、あのー……」

 何を考えているのかは澤村にはわからないが彼の目から見て、ネギは迷っているように見える。
 のどかは、関西呪術協会が力を得るために狙っている木乃香と、同じ班である。
 刹那と明日菜も同じ班だし、一緒に行ったほうがいいのではないのだろうか。
 そう思いソファーから腰をあげ、ネギに近寄りながらも大きめな声で、

「ネギ先生、いいんじゃないんですか」

 と言った。
 え、と小さく声をあげて澤村を見たネギに、桜咲さんと神楽坂さんもいますし、とネギと同様に小さな声で耳元で囁くと、ネギは力強く頷き言う。

「わかりました、宮崎さん! 今日は僕、宮崎さんの5班と回ることにします」

 のどかの周辺にいた女子達が、おーと声をあげて盛り上がる中、澤村にショッキングな出来事の三つ目が追加されていた。

「余計なことを……っ!」
「あーん! ひどいよ、澤村君!!」

 目くじら立てて澤村の肩をつかんで詰め寄ってくるあやかと、半べそで澤村の背中を叩いてくるまき絵。
 肩も痛ければ背中も痛い。二人とも手加減などしてくれず、女の子とは思えないほどの威力を澤村の体に刻み込んでいる。

「いててててて……! お、俺が何したっていうんだよ!?」

 大人気の子供先生の誘いを邪魔したのは悪いと思うが、そこまで怒らなくてもいいじゃないか。
 そういう心境だった。

「あなたには、乙女心というものがわかりませんの!?」
「そーだよー! 澤村君の鈍感! おバカー!!」

 さっきまでの乱闘が嘘かのように二人のコンビネーションがいい。
 だいたい、乙女心と言われても、子供であるネギに恋を抱いているわけでもなしに、そんな単語を出されても困る。

「俺は、悪くないだろー!?」

 澤村翔騎、15歳。子供に恋する乙女心は、わからない。





 どこを見ても、鹿、鹿、鹿。
 人間も通る道を我がもの顔で歩く鹿がいるここは、奈良公園である。
 長時間つねられた頬を赤く染めつつ、澤村はそんな鹿を見つめていた。

「俺、悪くないよな?」

 地面にしゃがみこんで、近寄ってきた鹿の鼻をつんつんと突付いていた。クラスの女子と違って、とてもとても大人し――――

「いて!?」

 くはないようだ。
 ネギに鹿煎餅を渡すときに匂いが移っていたのだろう。鼻を突付いていた澤村の指をがっつりと咥えていた。
 正直、痛い。

「……鹿まで俺を悪者扱いかよ」

 拗ねたい気分でいっぱいになってしまう。だいたい、世の中は不公平すぎる。
 ネギは笑って許してくれるのに、なぜ自分だけこんな酷い目にあわなくてはいけないんだ。
 大きな溜息をつく。

「澤村さん、いいですか」

 ネギの声だ。ゆっくりとした動作で立ちあがるとネギを見下ろす形となる。
 ネギに抜かれたら、きっと自分のあまり大きくないプライドは、ズタボロにされるのだろう。
 ……ないことを願うが。
 そんな想いを隠しつつ、何ですか、とネギに訊ねる。
 するとネギは何も言わず視線を後ろに向けた。澤村もそれを追うと、刹那と明日菜の姿がうつる。

「魔法の件、ですか」

 小さな声でそう言うと、ネギは頷く。澤村は、鹿に噛まれた指をハンカチで拭きながらネギと並んで彼女達のもとへと歩み寄った。

「今のところ、おサルさんのお姉さんは来ませんね」

 おサルさんのお姉さん。
 そんな言葉に少しだけ緊張感が削がれる。妙なところで子供らしさを出すのはやめてほしいなと澤村は思った。

「おそらく今日は大丈夫だと思いますが、念のため各班に式神を放っておきました。何かあればすぐわかります」

 緊張感を削がれたのは澤村だけらしく、彼以外は皆刹那の言葉に真剣な表情で頷いている。
 もちろん、刹那自身も真剣な表情だ。澤村だけがなんだか納得がいかないような表情をしていた。
 そんな澤村を差し置いて、話は進む。

「このかお嬢様のことも私が陰からしっかりお守りしますので……皆さんは、修学旅行を楽しんでください」

 遠回しに、邪魔だと言われている気がした。
 明日菜とネギはともかく、昨日は途中で倒れると言う大失態を晒した澤村にとっては、そうとることしかできないし、そう思わせられていた。
 申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「なんで陰からなの? 隣にいて、おしゃべりしながら守ればいーのに」

 明日菜は、刹那の言葉にそう返した。
 その言葉に刹那は、少しだけびくりと顔を動かした。

「いっ、いえ私などがお嬢様と気安くおしゃべりなどするわけには……」

 お姫さまとお侍の禁断の恋、なんてフレーズが出てくる。
 頭が堅いのか、それとも照れているのか。

「またもー。何照れてんのよ、桜咲さん」
「なっ、別に私は照れてなど!」

 後者のようだ。照れ隠しからか、刹那の足は、澤村たちよりも速くなっており、前をずんずんと歩いていく。
 ―――――と、その瞬間、

「アスナ、澤村くーん!! 一緒に大仏見よーよ!!」

 綾瀬夕映と早乙女ハルナの飛び蹴りと体当たりが明日菜と澤村を襲う。
 明日菜はもろに夕映の飛び蹴りがヒット。澤村も、避けようとはしたものの、結局ハルナの体当たりをもらい、そのままずりずりと二人に引きずられていく。当然、明日菜も一緒である。
 刹那も刹那で、木乃香に詰め寄られて逃げ始めていた。
 引きずられながらも澤村が、最後に見たのはポツンと一人取り残されたネギに、のどかが話しかけるところだった。





「結局なんだったんだ……?」

 頭をぽりぽりと掻きながら、澤村は首を傾げる。
 ハルナと夕映はいつのまにか消えるし、明日菜も何処かへ行ってしまっていた。刹那もネギも、まったく居場所がわからない。
 普段ならあまり使わない携帯も、こういうときに限って、必要なのに壊れている。

「だー、もう……」

 ぐしゃぐしゃと頭を片手でかきむしった後、大きな溜息をつく。

「はぁ」

 可愛い溜息だった。もちろん、澤村のものではない。現に澤村の溜息と可愛い溜息は重なって聞こえてきているのだから。
 視線を横へとずらすと、長い黒髪の女子が休憩所でお団子を持ちながら、暗い表情をしているという光景があった。

「近衛さん、桜咲さんは?」

 首を振る木乃香。刹那の方が足が速いに決まっているので、木乃香は逃げ切られてしまったということだろう。
隣、座っていい?
 そう聞いて、木乃香が頷いたのを確認してから澤村は木乃香の隣に腰を下ろした。

「団子、一本もらってもいい?」

 本当に少しの間なのだが、沈黙が辛かったので澤村はそう木乃香に聞く。彼女は、ええよ、とニコリと笑って団子を一本、澤村に差し出す。
 四つのうちの一つを頬張る。
 さすが京都というべきか、コンビニなんかで売っているものなんかよりもおいしい。
 口の中にある団子をもぐもぐと噛んでいる間、やはり沈黙が続いていた。
 木乃香は澤村を見ることをせず、ただ俯いて地面をぼーっと見つめるだけである。
 気まずい。

「……元気、ないね」

 団子を飲み込むと、澤村は躊躇いながらもそう言った。
 ゆっくりとした動作で、木乃香が澤村の顔を見る。目が、悲しそうに見えた。
 似ている目を見たことがある。
 亜子だ。彼女が先輩にフラれた時の目もこんな目だった。木乃香と少し違うかもしれないが、人に拒絶されたときの目ということにはかわりはない。

「ウチな……京都に住んどったときに、せっちゃん――――刹那さんと友達になってん」

 ぽつり、と木乃香の口から言葉が漏れた。
 まるで降りはじめの雨のよう。澤村は黙ってそれを聞き入る。
 傘をさす――――口を挟むような野暮なことはしなかった。傘を差してしまったら、すぐに雨が止んでしまう時があるように、木乃香の語りも中断されてしまうかもれないと思ったから。

「でもな、せっちゃん剣の稽古が忙しなって、会えんよーになってしもたんよ」

 ぽつり、ポツリ。

「麻帆良にきて、中一になって再会できたんやけど……」

 木乃香の目が、潤んでいくのがわかった。気持ちの吐露が激しくなる予兆な気がする。
 そろそろ、傘の準備――――彼女にかける言葉を捜さねば。

「せっちゃん、ずっとウチを避けるんよ。話しかけても短い返事だけで……なんでやろか? ウチのこと、嫌いやないんゆーのはわかったんやけど、こうやってずっと避けられてると、ウチ、自信なくしてまうわ」

 ぼろぼろとこぼれていく涙。感情の大雨を思わせる涙。
 傘を差してあげなければいけなかった。
 木乃香の泣き顔を見つめているのはなんとなく恥ずかしかったので、澤村は前を見る。
 そして、こう言った。

「大丈夫だと思う」

 気の利いた言葉なんて浮かばない。実際、亜子に対してもろくな言葉をかけられなかった気がする。
 別に相談されていなかったから、というのもあったのだが。
 こうやって、木乃香のように相談というか愚痴というものを聞いて、答えるというのは、いまいちうまく対応できない。
 だから、率直な自分の意見しか言えなかった。
 亜子のように、行動で気を遣うなんてことはできそうにもなかったし、刹那の本当の気持ちはなんとなくわかってはいるから。
 え、と澤村の言葉に、木乃香は目を丸くさせる。
 またぽつりと涙が降った。

「少なくとも桜咲さんは、近衛さんのこと嫌ってないと思うよ」

 これは、絶対。
 じゃなきゃ、守ろうなんて思わない。あんな命がけなのに。
 それにさっきだって、照れるだけのようにも見える。

「だから、大丈夫。いつか仲良くなれる」

 女子の相談にのり、慰めの言葉を言っているという自分がなんとなく恥ずかしく、視線をもう一度木乃香に戻し照れ笑いを浮かべながら、

「……と、俺は思う」

 と言った。
 しばらく呆けた顔で木乃香は、そんな澤村を見つめていた。
 その間、澤村は戸惑いを隠しつつも、また前を見て二つ目の団子を口に含んだ。味がよくわからない。
 二つ目の団子を飲み込んだと同時に、

「……そっか。そやね!」

 という声が隣から聞こえた。
 団子を持っていない手が、温かくなる。見れば、木乃香の両手が自分の左手を包んでいた。

「ありがとう、澤村君!」
「え、あ……ああ」

 顔が熱い。自分の固くて大きい手を柔らかくて小さい手が包んでいるという状況なんて、今までになかったから。
 それに、彼女が自分に向けている笑顔は、それなりの可愛さがある。
 木乃香の手は、すぐに澤村の手から離れた。澤村は、ほっと胸を撫で下ろし、三つ目の団子を頬張る。
 今度はおいしく感じた。
 きちんと三つ目の団子を飲み込んだあと、澤村はこう言う。

「避けられるのが怖くても、勇気を出していかなきゃ。もしそれでも駄目だったら、愚痴でもなんでも聞くし」

 勇気を出さなくてはいけないのは、自分の方だとわかっていても澤村はそう言った。

「澤村君、ええ人やね」

 にっこりと笑う木乃香に澤村は、苦笑を返す。

 ―――――いい人なんかじゃない。

 臆病で、楽な道しか進まない、弱い人間だ。
 いくら他人の言葉に感動しても、最終的に動くのは自分の力。
 木乃香の自身の気持ちで、前へ進んでいる。澤村が何も言わなくても、彼女はきっと立ち上がる。
 でも、自分は違う。いくら人に何か言われても輝く姿を見ても、感動するだけで何も変えない。
 自分の将来も、自分の有り方も、自分の日常も――――日常は、少しずつ変わってはいるが、それもいずれは戻るつもりでいるが故の行動だ。
 木乃香は強い。だから、大丈夫。刹那ともきっとうまくいく。
 そんなことを思いながらも澤村は、最後の団子を口に含む。
 団子は、なんだか苦い味がした。

感想はこちらへ


前へ 戻る 次 へ