ネギ補佐生徒 第30話





 淡々と書かれた文字が、澤村の恐怖を煽っていた。
 ニュースでも殺害という言葉を見るが、この本に書かれている殺害という文字が酷く現実味を帯びていて、身近に感じられてしまった。
 震える手が、ページをめくる。殺害の英単語がいくつも見えた。
 女子供を殺したという記述はないが、それでも死んでいった人数はかなりのもの。

 身近な少女が、
 知り合いの少女が、
 金髪で可愛らしい少女が、
 自分の隣に席で不貞腐れる少女が、
 素直じゃないけれども優しい少女が、
 今まで自分を助けてくれていた少女が、

 ―――――……人殺しだった。

「ふ、―――――」

 じわじわと襲う感情に任せて、

「―――――ざけんなよ……」

 澤村は、言葉を零した。
 眉間に寄る、深い皺。
 見開いた群青の瞳。
 食いしばった歯。
 澤村の言葉は、力無く空虚な部屋に溶け込んでいった。
 自分の言葉が何に向けられているのか、わからなかった。

 この本になのか、
 エヴァンジェリンになのか、
 自分になのか、

 わからない。

 わからないまま澤村は、その本に並ぶ文章を見つめていた。淡々と書かれている文章が澤村の瞳に映る。
 大きく……けれどゆっくりと、澤村は衝撃を受けていた。
 驚きや怒り、憎しみ……様々な感情の中、澤村はこう思う。

 ―――――悲しいと感じるのは、ズレているのだろうか。





  ネギ補佐生徒 第30話 罪人は目の前に





  カチ、カチ、カチ、カチ――――――

 時計の音が、澤村の波立った感情を宥めようとしていた。
 無論、彼の感情は収まらない。
 机の隅には、エヴァンジェリンが渡した杖がある。
 澤村は、洗い動作で本を閉じると杖が視界に入らぬよう顔を下に向け、肘をついた両手で頭を掻き毟った。
 考えろ。この本の内容がデタラメだという可能性もある。情報を真に受けるな。
 矛盾のある偽善者と言われようが、澤村は命を奪うということをしないと思う人間であり、命を奪う者を良い目で見れるほど大きい器を持つ人間ではない。澤村はしばらくの間、そのままの状態で机を見つめ続け感情の波が収まるのを待った。

 ――――もう一冊の方は読んだのか。

 昨日言っていた、エヴァンジェリンの言葉が思い起こされる。
 彼女の意図が、わからない。
 一体何を――――――

  ――――――カチ、カチ、カチ、カチ……

「ああ、くそっ。カチカチカチカチ煩いってーのっ!」

 椅子を倒しながらも勢いよく澤村は立ち上がる。
 床に倒れる椅子の音が更に彼を苛立たせた。
 机と面している横の壁に立てかけてある時計を取り、電池をもぎ取る。
 目覚し時計もあるのだが、それが止まってしまっては携帯のない澤村は時間がわからなくなってしまう。それを理解できる程度の理性は、まだ残っていた。
 いくらか小さくなった秒針の音が、その場に立ち尽くす澤村の溜息でかき消される。

 確かに初めは恐ろしかった。
 あの時そう感じたのは、殺人が原因なのだろうか。
 けれど接すれば接するほど、エヴァンジェリンは人間味のあるただの女の子の姿をいろ濃くさせた。
 素直じゃなく、不器用な優しさと感情表現をする少女。

 可愛いとも思うときがある、そんな彼女が人を殺していたなんて。

 それも一人ではない。
 ちょっとした資料ができるほどの人数。
 澤村は、ふらふらとした足取りでベッドへと向かい、その身をベッドに沈めた。
 寝返りをうって、2段ベッド特有の光景を視界に入れる。
 殺人の記録は徐々に減っていき、15年前からはぷっつりと途絶えていた。
 噂が広がり、エヴァンジェリンという吸血鬼の強さを知った人間が、命を落とす覚悟ができた者しか彼女に戦いを挑まなくなったということと、サウザンドマスターの呪いにより麻帆良都市といいう土地に縛られ公式記録では彼女は死んだということになっていた。
 本の内容は嘘なのか本当なのか、まだわからない。
 エヴァンジェリンが自分から澤村を遠ざけようとでもしたというのか。
 それともただの脅しか、冗談か。 
 けれど、澤村は―――――

 ――――――これが真実だと確信していた。





「あれ、澤村君まだ来てないの?」

 シャワーを浴びて私服に着替えてきた明日菜が目を丸くしながら言った言葉に、刹那は頷いた。
 刹那の背後では、朝日に照らされながらもネギと古菲、そしてまき絵が、互いに己の技を極めている。
 明日菜は、刹那の返答を見て軽く頭を掻いて見せた。

「寮に戻ったとき、一度部屋によったんだけどなぁ」

 え、と刹那は声を上げた。
 現在の時刻は5時ちょっと前。
 明日菜と同時刻に寮をでていなければ、5時には間に合わない。
 それなのに集合場所であるここにもいなくて、寮にもいないということはおかしい。 
 刹那と明日菜が二人して首を傾げようとしたその時、

「おはよう」

 明日菜が来た方向とは別の方向から澤村は走り寄って来た。軽く挙げる手には、何も巻かれていなかった。完治したらしい。
 彼の服装は休日のためか、刹那達が見慣れつつあるジャージ姿ではなかった。
 少しゆとりのある黒いズボンに体にフィットしているVネックで紺色のTシャツ。因みにどちらも無地である。ジーンズを穿かなかったのは、動き辛いからだろう。
 そんな澤村の姿に、刹那の横で明日菜があーと声を漏らし、

「ごめん、澤村君……パルの言う通り、地味だわ」
「神楽坂さんまで言うか!?」

 澤村の叫びに近い非難の声。
 明日菜がごめんごめんと謝り澤村を宥めたのを見届けた後、刹那はふと疑問に思ったことを口にしてみた。

「あの、澤村さん……ここに来る前にどこか出かけていましたか」

 え、と澤村は刹那を見る。
 そして昨日と同じようにどこか気まずそうに頭を掻いてみせた。
 プライベートに突っ込む気はなかったのだが、2日連続であるとさすがに心配になってくる。朝の鍛錬が早朝で、午後の鍛錬も結構遅くまでやっている。無理をされたら困るのだ。正直に言って欲しい。
 そう目で訴えかけると、澤村は頭をかいたまま視線を逸らして、こう零した。

「筋トレを……少し」

 刹那は、澤村の返答と彼の顔を見て小さく溜息を漏らす。きっと毎日やっていたのだろう。

「澤村さん、その向上心は認めますが……体をきちんと休めて下さい」

 刹那の目はしっかりと澤村の顔を捕らえていた。
 ほんの少し。ほんの少しだけ青い顔。
 苦笑する彼の顔は、どこか頼りない。

「寝てないのでは?」

 澤村は、首を縮こませて小さく頷く。
 やはり無理をしていたのかと刹那は軽く澤村を目で咎めた後、いつも通りの動作で彼に木刀を渡した。
 どうやら、今日も彼の鍛錬はうまくいかないものとなりそうだ。





 午後4時。残り時間は8時間。
 休息と復讐のために残された時間である。
 差し入れを持ってきた亜子、裕奈、アキラと共にネギ達は早めの夕食を取る。
 古菲との鍛錬が随分答えたらしく、ネギは空腹に襲われていた。いつもより速いペースで食べ物を口へと運んで行く。
 そんなネギに、

「ネギ先生、ちょっといいですか」

 澤村が声をかけてきた。
 ネギとその隣にいた明日菜は、揃って彼に不思議そうな顔を向けた。
 あー、と気まずそうに声を出して明日菜を一瞥した後、澤村は口を開く。

「エヴァンジェリンの電話番号、教えていただけますか」

 意外な言葉にえ、と声を漏らす。
 固まっているネギの変わりに明日菜が澤村に問い掛ける。

「エヴァちゃんに用でもあるの?」
「ああ」

 短く肯定した澤村にネギはようやく動き始めた。
 どうやら深い意味はないらしい。
 そう安堵したと同時に、ネギは心の中で首を傾げた。
 何故安堵する必要があるのだ。
 彼はエヴァンジェリンと隣の席であり、仲もいいように見える。ならば、何か用があってもおかしくない。
 ならば、何故?
 ネギは、じぃっと澤村を見つめた。
 どこか疲れている顔をしている。いつもは鋭い目もその鋭さを鈍らせていた。
 少し、様子がおかしいようにも見える。
 彼は、ネギが口を開くよりも早く、

「他の人には言いませんから」
 
 澤村が言葉を放つ。
 いつもこうやって何か聞こうとすれば、壁を立てられているような気がする。

 知りたいと思っているのに、
 理解したいと思っているのに、

 ―――――何故か彼は自分を拒絶する。

 それが酷く悲しい。
 ネギは頭の中に浮かべたことを揉み消す。とにかく彼に答えなければ。

「エヴァンジェリンさんの電話番号は、僕も知らないんですよ」

 正確に言うと、エヴァンジェリンの家に電話というもの自体がない。
 彼女はどうも機械は苦手らしく、電話すらろくに扱えないらしい……というか、魔法道具を使って学園長に言ったり茶々丸に連絡をさせれば電話なんていらないのだろう。
 彼女にとって欠席の連絡をするときぐらいしか電話の必要性はない。友達と遊びの約束をするわけでもないからだ。
 僅かな必要性も魔法や茶々丸がこなすことでなくなってしまう。
 電話がある方が返って邪魔になってしまうのだろう。
 ネギの答えを聞いた澤村は、そうですかと答えると踵を返して去って行く。
 ネギはその背中を見つめることしかできなかった。
 




 今時電話がない家なんてあるのだろうか。
 ネギの言葉を聞いた澤村はそんな事を思う。
 エヴァンジェリンと話がしたい。だから彼女の家に行こうと思ったのだ。
 けれど、連絡一つせずに彼女の家に行けば、家に誰もいないという可能性がある。しかし電話がないのならば、無許可で家に行くしかないだろう。
 澤村は小さく溜息を一つ漏らすと、刹那のところへと歩を進めた。
 隣には木乃香がいた。修学旅行の一件以来、刹那の隣にはいつも木乃香か明日菜がいたせいか、澤村にとっても見慣れた光景となっている。

「ちょっといいかな、桜咲さん」

 二人がレジャーシートに腰を下ろしていたので澤村も下ろそうとしたのだが、彼に気が付いた刹那が立ちあがってしまったため、それは断念された。
 木乃香だけが、腰を下ろしたまま不思議そうに澤村と刹那は見上げている。

「丁度よかった。私も澤村さんにお話があります」
「お話?」

 立ちあがった早々言われた刹那の言葉に澤村は聞き返す。彼女はそれに頷き、

「筋トレは、いつも何時に始めていますか」

 と言った。
 澤村は一瞬刹那にどういった意図があるのかと思考巡らしてしまったせいか、固まってしまう。
 しかしそんな澤村に刹那の真摯な瞳が返答を促す。
 しかたなく澤村は、

「4時に寮を出るけど……」
「わかりました、4時ですね」

 やっぱりと言った表情でいまいちおかしい返答を受けた澤村は首を傾げた。
 そして、澤村にとっては強烈な一言を貰う。

「でわ、明後日からその時間に澤村さんの部屋へ行きます」
「行きますって……ぅぇえー!?」

 目玉が飛び出しそうなほど目を見開いて澤村は声を上げた。
 澤村が何を考えているのか、それでわかったのだろう。刹那は顔を真っ赤にさせて、

「ち、違います! 私はただ、一緒に筋トレに付き合うという意味で言っただけです!!」

 力いっぱい否定した。
 自分の勘違いに、澤村も顔を真っ赤にさせる。どれだけ自意識過剰なのだろうか、自分は。木乃香がくすくすと笑っている声が足元から聞こえてきているではないか。
 羞恥心に耐えきれず、澤村は話を戻そうと口を開く。

「そのっ、桜咲さんが筋トレに付き合う必要はないって。俺が好きでやってるだけだし、朝早くだし」

 身振り手振りとはこの事か。澤村の手は無駄に動いていた。動揺を隠せないのだ。
 自意識過剰だった自分のことよりも、もっと大きなこと。
 刹那が自分の部屋に迎えにいくということだ。それも明後日から……つまり明後日からずっと。
 でも何故明後日? というか、待ち合わせ時間を早めれば済むことなのでは?
 澤村がそう付け足すと刹那は首を横に振る。

「更に早い時間に起きて鍛練をされては困りますから」

 きっぱりと言われてしまう。
 少しばかり考えていた刹那の言葉に、澤村は引き攣った顔をするしかなかった。
 彼が筋トレをするのは、ただ早く強くなりたいという想いだけではない。
 澤村―――――男としてのプライドからだった。
 女の子に体術を教わっている時点でプライドもへったくれもないのだが、それでも彼には、男としての小さなプライドがあるのだ。
 この想いはきっと、本当に極普通の男子中学生が故だろう。
 女の子の前でへばったり、情けない姿を見せたりするなんて情けなさ過ぎる。ただでさえ見っとも無い姿をさらしているというのに。
 修学旅行の時が一番最低な自分でそれ以上何も見せる物がないとしても、澤村は嫌だったのだ。
 自分の弱さをさらすのが。
 だから筋トレをしていたというのに、刹那からこんな風にいわれてしまっては、頷くことしかできない。
 満足言ったという表情をする目の前の少女を見て、澤村は溜息を一つ、心の中でついた。

「あ、それで澤村さんの話ってなんですか」

 思い出したように言ってくる刹那に、ああと澤村は声を口を開く。

「ちょっと用事ができたから、今日はもう鍛錬を止めたいと思ってさ」

 駄目かな、と澤村は頭を掻く。刹那は首を横に振る。

「かまいませんよ。むしろそうして下さい。ネギ先生の試験で、明日は午後の3時頃から鍛錬を始めようかと思っていましたから」

 なるほど、それで明後日なのかと納得しつつも澤村は頷いた。
 けれども彼はネギの試験を見られない。女子寮に住んでいる自分は、夜中に外にいることを禁じられているからだ。朝早くに鍛錬をしても問題ないだろう。
 そんなことを思いながらも別れの言葉を刹那と木乃香に別れを告げ、その場から離れようと踵を返す。
 だが、

「翔騎君、ちゃんと寝らなあかんよ〜」

 間延びした温かい声が澤村の耳に入ってきた。
 ……なんとなく、木乃香に自分が思っていることがわかったのかもしれないと彼は思った。





 各々が重箱の中身をつついている。
 亜子もそうだった。
 目の前にあるウインナーを口に運ぼうと箸で掴む。
 だが視線は一点に集中していた。刹那と話す、澤村の姿。
 彼は、亜子が見たことのない表情で話している。
 男友達にも、自分にも見せない表情。
 それが彼の本当の姿なような気がしてならなかった。

 ――――寂しくないと言えば、嘘である。

 今まであった支えがなくなって、精神は不安定だった。
 テーピングされていた手は、いつのまにか何時も通りになっていて安堵したが、やはり心配になってしまう。

「亜子?」

 体が跳ねる。
 箸で掴んでいたウインナーがぽろりと落ちた。横を向くと、アキラの心配そうな顔がある。
 なんでもない、と首を振るが彼女の顔は心配そうなまま。結局、亜子の視線の先を追ってしまうこととなる。
 今更になって亜子は視線をはずすが、時既に遅し。
 アキラはしっかりと亜子を見据えて言った。

「澤村君がどうかしたの?」

 アキラの鋭い思考が、亜子の表情を崩す。元々亜子は表情に出易い。付き合いが長く、鋭いアキラに隠し事などできるはずがないのだ。
 しばらく間を置いた後、亜子はもう一度チラリと澤村を見た。
 彼の姿はなかった。
 亜子はアキラに視線を戻すと、

「最近な、澤村君なんか違うんや」

 思ったことを口に出した。
 アキラが首を傾げる。当然のことだった。
 なんか違う、なんて言われてもアキラがわかるはずがない。
 たぶん、そんなことを感じるのは自分だけだ。“前”の彼を知っているのは、亜子だけなのだから。
 転向してきた当初の彼は、“前”の彼ではなかった。何かに怯えていた。
 フィールドを楽しそうに走り抜ける彼は、怯えずに前を見据えていたはずだった。亜子の憧れる、主人公――――現サッカー部のヒーローだ。
  確かに彼よりうまい人間はいる。部長だって別の人間だ。でも、彼がサッカーに向ける情熱は、主人公の輝きの源のようで、いつも周囲の人間を引っ張ってくれ ている。ムードメーカーとも言っていい。休憩中は、部員にいじられたり騒いでいるのを静観したり、一緒にふざけたり……本当に普通の少年。
 だが、フィールドに出ると彼は確かにヒーローだった。
 そんな彼は、女子中等部に来てからその面影を見せない。確かにサッカーを心の底から楽しんでいるのはわかる。
 けれど、今まで感じていたヒーローのような輝くは、全くなかった。
 たぶんこれが、亜子が感じる物の正体。澤村が、何処か遠くへ行ってしまうように感じてしまう原因だ。

 ――――――もし、今見みる澤村翔騎が本当の姿だとしたら。

 自分は、失望してしまうのだろうか。
 そんなことを思う。
 確かに彼は、何処かへ進もうとしている。
 けど、その歩みはどこか不安定だ。

 ―――――まるで、自分のように。

 自分の力には限りがあると……脇役だと思って進もうとしている彼が、亜子自身と被る。

 それが寂しい。

 自分にはないものを持っている澤村が、違う道へ進むことで彼の良さが消えてしまうことが。
 彼がゴールを決めるたびに、主人公の立場になれた。
 一緒に喜び感じられる。輝ける。
 それは和泉亜子のエゴであり、自分勝手な希望である。

「違うって?」

 聞き返すアキラの声が頭に響く。
 亜子が軽く頭を横に振り、自分の勘違いだと言うと、彼女は納得のいかない表情をしたままそう、と短く答えた。
 言いたくない、という気持ちを察してくれたのだろう。
 亜子はそんな友人に感謝しつつも、卵焼きを箸で掴みなおして口に運んでいった。





 茶々丸の出迎えを受けて、澤村はエヴァンジェリンの家に入る。
 木の椅子に腰を落ち着けながらも彼はエヴァンジェリンを待つ。

 ――――さぁ、どうする。

 とにかく話がしたいなんていう勢いだけで来てしまったことを後悔する。
 何処から切り出せばいい。
 もしそのことに触れて、殺されるようなことがあったとしたら……。
 背筋に冷たいものを感じる。
 そうならないことを願っていると、

「――――そろそろ来る頃だと思っていたぞ、澤村翔騎」

 エヴァンジェリン……殺人を犯した吸血鬼が、目の前に現れた。一歩後ろには茶々丸の姿。
 白のワンピースに黒いフリフリのついた服装が、エヴァンジェリンらしい。
 こうやって見れば、可愛らしい少女なのに。
 澤村は真剣な表情で口を開く。

「そろそろって事は、やっぱりあの本をわざと俺に渡したのか」

 金髪の少女が口をつり上げた。
 そこに少女の面影はない。
 吸血鬼の笑みだった。
 それが酷く悲しい。

「わざと、ではない。魔法を学んでいればいずれ知る“事実”だ」

 事実、という言葉を強調して言うエヴァンジェリン。
 笑みを絶やさずに話しつづける彼女に少しずつ澤村は恐怖を感じる。
 初めて会ったときに感じた恐怖。

「じゃあ、あの本に書いてあることは全部本当のことなんだな? ……人を殺したってのも」
「ああ……多少漏れはあるが、あの本に書かれている殺人履歴に書いてあることは全て本当だ」

 多少漏れがあるということは、あれ以上の人数を殺したと言う事。
 エヴァンジェリンは澤村の様子を愉しんでいるのか、笑みを浮かべたまま澤村の前の椅子に腰を下ろした。
 澤村の体が少しだけびくつく。恐怖を隠すことなどできなかったのだ。
 茶々丸は相変わらずエヴァンジェリンの後ろに立っていた。
 いつもと同じだと言えばそれで終わってしまうのだが、今の澤村の精神状態ではどうしてもその光景が異常にしか見えなかった。
 手に汗が滲む。

「―――――私が怖いか、“人間”」

 澤村の鋭い目が、見開かれる。
 確実に今、彼女は一線を引いた。

 吸血鬼と人間。

 自分達の立場はそれだ、と彼女の目が言っていた。

 逆立つ全身の毛。
 今にも屈服しそうな威圧感。
 量を増す汗。
 乾く喉。
 小さく開いた口。
 震える唇。

 全てが恐怖を表していた。

 喉を鳴らして唾の飲みこむ。
 少しだけ、恐怖を誤魔化せた。

「―――――怖いに決まってるだろ、“吸血鬼”」

 半ばヤケになってそんな言葉を放つ。
 もう、認めるしかなかった。

 今、この時、目の前にいる金髪の少女は、吸血鬼だと。

 それも、過去に殺人を犯し、今でも人を殺す覚悟がある吸血鬼だと。

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