ネギ補佐生徒 第37話





 麻帆良都市外のとある山奥には、誰にも気付かれることのない小屋があった。
 その室内にあるテーブルを挟んで、椅子に腰かける人影が二人。

「―――――麻帆良都市内に入る手順は、以上の通りだ。君は、それまでここで待機しておいてくれ」

 黒いハットに黒い革のズボン、黒い手袋に黒いコート……裾は、ぼろく裂けている。
 全身真っ黒なためか、ハットから覗く白い髪と髭が栄えていた。
 老人――――いや、紳士と呼ぶべきか。彼の低い声で放たれた言葉に、黒いスニーカーに黒いズボン、黒いハイネックなのに半袖というちょっとかわったサマーセーターに黒い手袋――――……そして、顔全体を覆う、真っ黒な仮面を着けた男が小さく頷いた。
 その様子に紳士は、苦笑して言葉を零した。

「君との付き合いも、あと僅かといったところか」

 その言葉に、仮面をつけた男は、頭をがしがしと掻く。実に人間味のある動作であった。

「そうだな」

 ―――あんまり、実感わかないけど。
 そう言う声色は、男というよりも少年という方が似つかわしかった。
 仮面をつけた男―――少年は、どこか息を抜くような話し方で、

「いろいろ世話になったな。……それと――――――礼を言うつもりは、ないからな」

 と言った。
 紳士のよく知る少年の姿だった。
 少年“らしい”、言葉だった。
 紳士は大らかに笑う。

「別にかまわないさ。君の境遇は、実に興味深い。それに――――」

 優雅な動作で紳士は自分で自分を指差すと、更に低い声で言葉を続けた。

「―――――その境遇を作ったのは、私でもある」

 そうだな、とどこか複雑そうな声色で少年は返す。

「けど、そっちの邪魔をするかもしれない。オレは、まだそっちの目的を知らないからな」

 やはり、少年らしい言葉。
 紳士は、口を軽く歪めると、話題を逸らすように言った。

「ここでそれを付けている必要はないだろう」

 紳士にそう言われ、少年は一度肩を竦めてみせると、それ……仮面を外した。
 その下から覗く顔は―――――

「うむ。そっちの方がいい。男前な顔が台無しだ」
「……あまり誉められた気がしないよ」

 ―――――澤村翔騎、そのものだった。





  ネギ補佐生徒 第37話 近付く過去





 妙にふらふらとしたネギが、授業をしていた。
 澤村はそんなネギを見ながら教科書の英文を読み上げる四葉さつきの声を聞く。可愛らしい声だった。
 いつもよりネギは自分で英文読むことをしない。元々彼は生徒に英文を読ませるのだが、ここ最近はそれが妙に多い。
 どうやら魔法使いの修行でかなりお疲れ気味らしい。エヴァンジェリンからの情報だ。
 たった2、3時間の修行であれだけボロボロということは相当辛いのだろう。隣に座るこの金髪幼女は、スパルタな教育をしそうだ。

 けれど、教師と言う仕事に支障が出るのは、困る。

 というより、このままでは両方駄目になってしまうではないか。
 それをエヴァンジェリンに言ったのだが、

「あいつが望んだことだ。鍛錬は毎日やらねば意味がない」

 とすっぱり言いきられた。わからないでもないので、澤村は口を紡ぐことしか出来ない。
 ゴールデンウィークが嫌な真実と直面して、なんとも胸糞悪い結果になったせいか正直澤村は苛々していた。
 ネギが嫌いな要因は、もう一つあったのだ。

 恋敵、というべきだろう。

 本当に嫌な事実である。
 10歳の子供に恋愛面で負けるとは。それも直接的ではなく、間接的に。
 本当に胸糞悪い。

「―――――最近、苛立っているな」

 隣から嘲笑うかのような声が消えてくる。視線をそちらに向ければ、思った通り人を嘲笑うような表情をしているエヴァンジェリンがいた。
 年の功というやつなのだろう。妙に人の感情と言うか、何かを察するのがうまい。
 隠しても無駄なので、素直に澤村は首を小さく縦に振って見せた。
 目の前には裕奈がいる。最近は、彼女とも距離をとっているので気まずかった。なので言おうと思ったことをノートの隅にざっと書いて、エヴァンジェリンにみせた。

 『ほっといてくれ』

 それを読んだエヴァンジェリンは、にやりと口を歪めていた。
 エヴァンジェリンは、澤村がどう思っているのか知っているのだろう。

 ――――――きっと、明日菜のことも。

 だから、ほっといてくれと申し出た。
 それが通じたのか、

「お前ももう少し鍛錬に力を入れた方がいい。できるだけ早く成長していた方が良いからな」

 と言ったきり千鳥足のネギが教室に出るまで、澤村に言葉を投げかけることはなかった。





「澤村君、ちょっといいかな」

 ネギが教室を出たと同時に、神楽坂明日菜はそう言いながら澤村の手を取り、廊下へと引っ張り込んだ。
 戸惑った声を漏らしながらも鞄を手に持った澤村に人差し指を立てて黙らせると、明日菜は言う。

「ネギが何やってるか、つきとめたいの。一緒に来てくれない?」

 澤村を連れこんだのは、彼がネギの補佐生徒だったからだ。それに彼なら万が一ネギと自分がまた喧嘩してしまったとき、止めてくれそうな気もした。それに、もう一つ大きな理由がある。

 ―――――澤村が最近、自分と距離を置いているように思えたのだ。

 本当に僅かな距離。それがどうしても気になった。避けているわけでもなく、気持ち的に何処か一線ひかれているようで、気になった。呼称が前のままなのは、いつも呼んでいる方がでてしまったのとなんとなく呼びづらい雰囲気を彼が持っていたから。
 澤村は、少しだけ間を置いた後、苦笑してわかった、と短く答えてくれた。
 本来ならば、明日菜の場合本人に直接聞くのだが、澤村相手にはどうしてもそれができなかった。
 ネギのような子供でも、木乃香達のような同性の友達ではないせいなのかもしれない。

 けれどこの後、和美、古菲、のどか、夕映……刹那と木乃香も加わり、澤村とあまり会話することができないまま、明日菜は途中雨に降られながらもネギを追いかけることになった。

 エヴァンジェリンと落ち合ったネギは、そのまま彼女の家へと入っていく。
 中をこそっと覗いてみるが、誰もそこにはいなかった。
 おかしい。2人が入ってすぐに見たというのに、人がいないなんて。
 明日菜は雨で濡れた髪を軽く絞って、まだ服に染みこんでいない水滴をぱっぱと払いながらもエヴァンジェリンの家の中に入っていた。
 もちろん、一応ノックはした。しかし返事がないので、特攻してしまった和美達と共に中へと入ったのだ。
 帰ろうとした澤村を和美が首根っこを掴んで引っ張り込んだ。
 明日菜は、自分も彼にそんなことをしたんだなーとか思いながらも、それを止めることはしなかった。

「とりあえず、手分けして探そっか」

 和美の言葉に、皆が散らばる。
 明日菜は、澤村を追いかけようとしたが振り返った時には彼の姿はなく、結局和美と古菲と一緒にエヴァンジェリンの家を回ることになった。





「お前、澤村翔騎をどう思う?」

 そう言ってきたのは、エヴァンジェリンだった。
 ネギはその言葉に怪訝な顔付きで小首を傾げたのだが、彼女はにやりと笑って見せるだけ。

 どう思う、とは一体どういう意味だろう。

 聞いたままの通りならば、こう答えるしかない。

「僕の大事な生徒です」

 補佐生徒としてやってきた彼は、ネギにとっては大切な生徒。
 けれどネギの答えにエヴァンジェリンは、口を歪ませた。先ほどの笑みとは全く別のもの。

「それは“教師”として、だろ? 私は、ネギ・スプリングフィールドとして、どう思うか聞いているのだ」

 一体どういう意味だろう。

 ネギは考えてみた。
 教師としてではなくネギ・スプリングフィールドとして……生徒ではなく澤村翔騎をどう思うか。

 何故か、何も思いつかなかった。

 思いつくのは、澤村が明日菜と……いや、明日菜が澤村と笑い合っている姿と自分の知らない一面を知っている様子に話す澤村の姿。
 そこから生まれる感情は、決して良いものではない。
 ネギはその感情がよくわからずにいた。
 わかりません、と答えようと口を開いた時――――――

「答えがわからないのなら教えてやろう。お前は……澤村翔騎が嫌いなんだ」

 ―――――エヴァンジェリンが、そう断言した。

「なっ……そ、そんなわけないじゃないですかっ。澤村さんは、僕の大事な生徒ですよ!?」

 一歩。
 後退する。
 背中に嫌な汗が垂れていた。

 ――――――エヴァンジェリンが言った言葉が、妙に自分の感情に染みこんできたからだ。

 黙って自分を見つめてくる青い瞳から逃げたくなった。
 けれど、それすらも青い瞳は許してくれない。
 紛れもない真実。
 教師としてしか澤村翔騎と言う人間を見ることができない自分が、すごく嫌だった。
 皆の役に立てる、偉大な魔法使いに嫌いな人なんていてはいけないと思っていた。

 それなのに、自分は悪者でもなんでもない人間を嫌いになってしまったのだ。





 相変わらずこの家にはファンシーなものが多いと、澤村は思った。
 並べられたぬいぐるみをぼうっと見つめ、視線を流していると、

「あ、これ翔騎君がとったやつやない?」

 木乃香の声が聞こえてきた。
 澤村の視界には、関西限定、タコヤキ君人形。

 なんだ、飾ってくれているんじゃないか。

 思わず笑みが漏れてしまう。
 なんだかんだで受け取ってくれたエヴァンジェリンの顔が脳裏に浮かんだが、それはすぐに打ち消した。
 澤村は、一つ溜息を漏らすと辺りの観察に入る。
 ここにネギはいない。
 この家は2階建てで自分たちがいるのは、1階である。現状では、どちらも未だにネギ達の姿はおろか、手がかりすらない。

 考えられるのは、三つ。

 一つは、エヴァンジェリンの魔法道具によって何処か別の場所に移されていること。
 エヴァンジェリンが杖を渡してくれたとき、結構な時間がかかった。ということは、他にもさまざまな魔法道具があるということだ。魔法といえば、ほとんどのことがあるだろう。何処かに空間をつくってしまうようなものもあるやもしれない。

 もう一つは、何処か地下へと続く入り口があるということ。
 2階以上は外装を見たところありえない。まだどちらとも調べ終えていないのでなんとも言えないが、もしかしたら地下の存在があるかもしれない。家の主は吸血鬼。地下帝国でもつくっていそうだ。
 まぁ、2階の更に上の階を魔法道具か何かで作っていたのならば、話は全く別物になってしまうのだが。

 最後は、その両方だ。

 とりあえず、ここは1階なので地下室に続く扉がないか探してみようではないか。魔法道具なんて、見てもわからないのだし。
 不法侵入なのだが入ってしまった以上、気にしていては始まらない。どうせ手がかりがなかったらすぐに皆帰るだろう。
 なんてことを思っている反面、冒険だか探偵だかわからないがそんな気分でワクワクして楽しんでいる自分がいた。
 ……染められつつあるのだろうか。
 部屋を探索していると、

「――――――アスナとなんかあったん?」

 木乃香にそう問われた。刹那も同じことを問おうとしていたのか、遠慮気味に彼女の隣に立っている。
 木乃香は中学からの付き合いがあるからだろう。刹那はきっと、朝の鍛錬の様子でそれを察したのか。どうであれ、彼女達は明日菜のことを良く見ている。気が付いて当然だったのかも知れない。
 考えてみればわかることなのに、澤村は驚かずにはいられなかった。
 自分は、それほど表に出ていたのだろうか、と。
 それを察した木乃香は、困ったような笑みで言った。

「翔騎君、せっちゃんみたいやったから」

 今度は刹那も驚いた表情で木乃香を見た。
 刹那がいるので言えないが、彼女のようにあからさまに避けているつもりもないしそう見られる根拠は全くないはず。それなのに刹那みたいだと言われてしまうのは、意外だった。

 明日菜を避けているのは――――いろいろな感情が複雑に入り混じっているせいだった。
 ただ一言でまとめるのならば、怖いが相応しいだろう。
 彼女や他の人達にこの気持ちを知られるのが嫌で……彼女への気持ちが押さえられなくなってしまいそうで。
 どうしたらいいかわからなかった。
 ネギへの妬みや何故早く彼女と出会わなかったのだろうという後悔……黒い感情。
 ぐちゃぐちゃな頭は、明日菜に近づくことで更に悪化しそうで避けることを選ばせたのだ。

「それに、アスナのことよー見てる割には、前より話さんようになったし」

 ちょびっとだけやけどな、と小さく笑って見せる木乃香に、澤村は歯を見せて苦笑した。
 聞いて来るということは、自分のこの想いには気付かれていないはず。エヴァンジェリンのように知っていて聞くなんて性質の悪いことを彼女はしない。
 ならば、話さないように……誤魔化そう。

「最近、鍛錬で疲れてるから口数が少ないだけ。その……明日菜さんと何かあったわけじゃないよ」

 明日菜さん、という単語を彼女達の前で使うのは初めてのこと。数日があれから経つが、なんとなく照れてしまって皆の前で明日菜のことを下の名前で呼ぶのを躊躇っていたのだ。
 この単語を使えば、何かあったとしても悪い方向には考えないだろう。
 思った通り、2人は澤村の明日菜の呼び方に目を見開いていた。

「その……アスナさんから言われたんですか?」

 刹那の言葉にこくりと頷くと、刹那は、私も言われましたとはにかんだ。明日菜のことだ、きっと仲良くなった友達に苗字でさん付けされていたらそういうに違いない。自分が特別扱いされているわけがないのだ。
 木乃香がまだ少し疑っていたが、それはある人物の助けで逃げることができた。

「澤村さん、ちょっと手伝って欲しいことがあるです」

 そう言ってきたのは、綾瀬夕映だった。彼女とまともに話すのは、修学旅行以来かもしれない。
 澤村は頷くと、彼女に案内されるがままに足を進めた。もちろん、木乃香と刹那も一緒だ。
 案内された先には、宮崎のどかがいた。
 床に一辺1メートルもない四角い蓋のようなものがあったのだ。ログハウスに似合わないコンクリートの蓋は、部屋の隅にあった。どうやら持ち上げられないらしい。
  澤村は、壁側とは反対の辺につけられた取っ手を両手でしっかり握り締めると、それを持ち上げた。幸いにも、掌にできたマメは随分はやく完治していたため、 全く痛みはない。肩にかかる負担を感じ、確かに重いかもしれないと思いながらも、よろよろとその四角い蓋を壁に立てかけた。
 その途中、刹那が手伝おうとしてくれたが、彼女なら楽々と持ち上げられそうなので必至で目で断った。なかなか気付いてくれないので、最終的には口で大丈夫だからと言ったけれど。
 とにかく、四角い蓋のようなものをどかした奥には、階段が続いていた。地下室である。
 澤村は、夕映を見て言った。

「上の三人に伝えてこようか?」
「いえ、きちんと確認をとってからにするです。誰もいなかったら、無駄足ですし」

 そういうもんかなぁ、と思ったのだが、先頭切って下りていった夕映とのどかの叫び声に慌てて澤村、木乃香、刹那は下へと下りて行った。
 階段を下りて直ぐに続く廊下は、

「……悪趣味だな」

 ファンシーなぬいぐるみではなく、大きな操り人形がずらりと並んでいた。正直、気持ち悪い。
 びくびくしながらも夕映の制服の裾をしっかりと掴んで歩くのどかに苦笑を漏らしながら歩を進めると、また扉が現れた。
 それを開けば、コンクリートで簡素な部屋の中央に明かりが照らされており、その光りの下には、見慣れないものがあった。
 長方形の台に乗せられた球体に近い大きな瓶。
 コルクで栓をされており、中には水が3分の1入っていた。何故か塔もあり、水面には小さな島のようなものがあった。

「EVANGELINE'S RESORT……?」

 エヴァンジェリンの別荘……瓶に書かれていた文字である。
 そう呟きながら澤村はそれを覗いて見る。彼女は近々こういう場所に出かけるつもりなのだろうか。それとも出かけられないから、こういったものをつくって出かけた気分になりたいのか……わからない。
 澤村にならって夕映やのどか、刹那と木乃香もそれを覗きこんでいた。すると、

「あっ……」

 小さくのどかが息を飲むような声を出した。
 澤村は彼女を見る。びくりと体を震わせた彼女に気まずさを感じながらも苦笑を漏らす。久々に自分の目の鋭さを実感した。
 すぐに彼女から視線を離すと、ようやく口を開いてくれた。

「ね、ネギ先生が見えました……」

 ええ、と皆で驚きの声を上げてその瓶にがっつく。
 しかしネギの姿は見えない。のどかの話では、瓶の中にある建物の中へ入ってしまったらしい。

「わ、私、上の人たちを呼んできますねっ」

 ぱたぱたと足を鳴らして消えて行くのどか。彼女の背中を見送っていると、夕映が澤村に近寄り、こう言ってきた。

「のどかは、男性が苦手なのです。できれば、その辺りに気を回していただけると助かります」
「あー、ああ……」

 そうか。
 女子校だからそういう子がいても不思議じゃない。男子校の方はさほどそういうことがないが、女子ならありえそうだ。
 曖昧な返事をしながらもそんなことを思った。
 ほどなくして、明日菜達が部屋にやってくる。

「何よコレ?」

 明日菜の第一声はそれだった。
 彼女の言葉に、夕映は何だと思います? と聞き返しながらも瓶の中を覗く。

「何かの建物……塔のミニチュア?」

 ボトルシップみたいねーと明日菜は返す。
 ああ、確かにそう見えなくもない。澤村も瓶の中の建物を一歩引いたところでもう一度見た。
 木などが妙にリアルだったので、思わず呟いてしまう。

「ミニチュアにしちゃ、細かすぎるな。ホログラフ……?」
「のどかがさっき、この中にネギ先生がいるのを見たそうです」

 あまりに小さな声だったため、間髪入れずに答えた夕映の言葉と重なる。
 更に問い返す明日菜。話が盛り上がりつつあった。

 ……今のうちに古菲辺りに声をかけて帰ってしまおう。

 そう思い、澤村が一歩足を進めたと同時に、カチッという音が足元から聞こえてきた。

「―――――ん」

 下を見れば、光る魔方陣。
 こんな今までの経験からか、何が起ころうとしていたのか直感でわかった。

 ―――――まじかよ。

 そう頭の中で言いながらも、澤村の視界は真っ白に染まった。





 一人。
 小屋で仲間待ち続ける澤村翔騎と同じ顔を持つ少年は、ぼうっと外を見つめていた。
 外は激しい雨に打たれている。

 ――――あの時、これほどの雨が降っていたらよかったのに。

 つい、物思いに耽ってしまう。
 頬杖をついていた肘がじんじんとしびれてきたので、少年は椅子から立ち上がる。

 丁度いい、こちらもそろそろウォーミングアップぐらいしておこう。

 少年は、壁に立てかけてあった銀色の棒を手に取ると、手馴れた手付きでそれを振り回し始めた。
 棒の長さは、彼の身長ほどある。下手をすれば、頭にあててしまうほどの長さだ。
 それを彼は、優雅に振るっていた。しばらくそうすることで時間を潰していたが、途中異変に気付いて彼の動きは止まった。

 荒々しい音を立てて、何者かが小屋の前を通りすぎたのだ。

 少年は急いで仮面で顔を隠し、外へと出た。

「おいっ!!」

 罵声にも近い少年の声が、何者かの動きを止めた。

「なんや」

 短く返される言葉。姿は見えなかった。
 本来ならば、別に止めることなどしない。けれど、この声だけの者が向かう方向に、少年はどうしても気になってしまったのだ。

「……この先の学校にいくつもりか?」
「それがどないしたっていうんや。あんたには、関係ないやろ」

 確かにそうだ。
 だが、計画の邪魔をされてしまっては困る。この者の目的を知る必要があるのではないのだろうか―――――

「――――――悪いけど俺、急いでるんや。あんたにつきおーてる暇ない」

 そう言うと、その者は急速に気配を遠ざけていった。
 少年は声を出して制止を謀ったが、それも虚しく終わることとなる。舌を打った。とりあえず、麻帆良へ行った仲間に知らせておこう。 頭をがしがしと掻きながら、少年は小屋へと戻っていった。





 あの瓶の中にあった建物は、ミニチュアでもなかえればホログラフでもなかった。
 魔法で作られた、エヴァンジェリンの別荘――――それも、1時間を1日とするもの。加えて性質が悪いことに、1日単位でしか利用できず、丸1日出られないというのだ。
 それを知った澤村は、やってしまったと後悔したと同時にネギに怒りを覚えた。

 やってしまった、というのは、自分がそんな別荘に来てしまったことだ。
 すぐにでも出たかった。だが出ることができない。
 さっさとエヴァンジェリンの家から立ち去るべきだったのだ。

 ネギに怒りを覚えたのは、何故か。これは相当長くなる。
  時間なんて物は、誰もが平等に持つ“不公平のない絶対のモノ”だというのに、こんな別荘を使って1日を2日間もあるなんてことをしたのだ。たとえどんなに 早く成長したくても、そんなものに頼るなんて、教職者としていかがなものだろう。魔法使いとしては当然のことのようにエヴァンジェリンは言っていたが、そ れも納得がいかない。何せこちらはただの人間、一般人だ。
 この別荘を使う限り1日が倍の早さで進むこととなる。
 けれど、一般人にとっては、1日は1日でしかないというのに、だ。
 魔法使いは魔法使いなりの事情があるのかもしれないが、理不尽にもほどがある。

 努力するものが違えど、とにかく努力家が2人いるとしよう。
 2人は才能やら効率のよさやらで多少個性が出るやもしれない。片方が劣ってしまっていても、ないものは時間で埋めようとするだろう。つまりは量、努力の積み重ねである。
 だが、もし片方がエヴァンジェリンの別荘などをつかって1日が2日間もあったとしたらどうだろうか。
 同じ努力家といっても、時間が倍もあるのだ。その差は歴然といえる。

 ……そんなの、不公平じゃないか。

 一般人の努力が、まるで魔法使いの努力に比べたら無駄だといわれているような気がして、憤りを感じずにはいられなかった。
 明日菜や自分は、1日を1日として受けとめて努力してきたというのに。
 学生としての時間の合間をちょびちょびとだが、努力してきたというのに。
 きっと刹那だって、こんな別荘みたいなのを使ったことがないはずだ。彼女は自分たちと同じくらいの女子。もしあんな別荘を長期間使っていたら、体が成長していて大人ともとれる背格好になっている。
 つまり、刹那も1日を1日として年月を重ねてこれほどの腕を持っているのだ。

 それなのに……それなのに、ネギ・スプリングフィールドという教師は、生徒の努力を否定していた。

 嫉妬が大半だったのかもしれない。
 けれど、澤村にはどうしても許せなかった。
 時間は、誰にも平等なものだと思っていたのに、本当は不平等なものだったということに。
 この6年間の穴を、体術でなら縮められると思っていたのに。
 1日1日を精一杯努力していたつもりなのに。
 部活でも、1日を精一杯活用して、試合のために我武者羅に努力を重ねていたというのに。

 それなのに、1日が2日分だって? ふざけるな。

 皆は、学校で授業をやっているというのに、すごいとネギを褒めるが澤村にはそんな気一つもなかった。
 彼がやっていることを、自分は褒め称えることができない。彼がやっていることは、一般人である自分の努力を否定されてような気がしてならかったからだ。
 だから、言わずにはいられなかった。
 明日菜がネギを心配そうに見ていても、言わずにはいられなかったのだ。

「―――――それって、卑怯じゃないですか」

 嘲笑うような震えた声が、澤村の喉から出てきた。
 木乃香達が騒いでいる場所から少し離れたところにいた明日菜とネギは、揃って澤村を見つめた。

「澤村君?」

 いつもと様子が違うのだろう。明日菜は少し怯えた表情で澤村を見ていた。呼称が変わっていないのもそのためだろう。
 だがそれも頭で理解することが難しいほど、澤村の怒りは頂点に達していたのだ。

「俺 や明日菜さん……刹那さんだって、1日を1日としてしか鍛錬できなかったっていうのに、先生はこんなところで1日を2日間も過ごして、1日分を鍛錬に費や していたってことでしょう? 俺達だけじゃない、クラスメイトの子達だって、努力するものが違くても1日を1日として使って部活とか頑張ってるのにっ」

 止まらなかった。
 ネギへの嫉妬や怒りが、理性では止まってはくれなかった。

「卑怯ですよっ!」

 八つ辺りにも近い怒りの声。
 そんな自分の声が情けなかった。
 嫉妬して、怒りをぶつけて……ただの子供だった。子供より性質の悪い人間だった。
 澤村にとっての救いは、この声が木乃香達の騒ぎ声で消されていたということだ。彼女達には、聞こえていなかった。聞こえていたのは、明日菜とネギだけ。

「ちょっと何言って……」
「僕は、修学旅行みたいなことを、2度と起こしたくないんです」

 明日菜の声を遮るように、ネギはそう言った。強い意志を持った声だった。

「澤村さん、あなたは死にかけたんですよ? 僕は、他の生徒にそんな目にあって欲しくないんです」

 ―――――もちろん、あなたもです。
 詭弁だと思った。
 理想を追いすぎて、大事な何かを失っているとも思った。
 壊れている。この子供は壊れている。
 父親の背を追いすぎて、何かが壊れている。
 壊れそうなのではない。もう壊れていたのだ。

 それは、きっと自分もそう。

 そう思った途端、一気に覚めた。
 ネギも自分も、勘違いしたまま己の道を進んでしまったんだ。それも頑固が故にその道を曲げるには、一度過ちを起こさねばならないほど自分達に醜い馬鹿になってしまったらしい。
 しばらくして澤村は、

「それなら、授業中くらいしっかりしてください。今日だって、俺達は先生の後をつけてここに来たんですから」

 と言って、ネギ達に背を向けた。

 ――――――そしてそのまま、澤村は別荘での夜を迎えた。

 皆、ネギに魔法を教わると言う事で、初心者用の呪文を熱心に練習していたが、澤村は一人エヴァンジェリンが持っていた本を読み漁っていた。
 とはいっても、大半がラテン語ばかりで、英文の本は非常に少なかったが。それでも暇つぶしが出来たからよしとしよう。
 エヴァンジェリンとは一言も話す気にはなれなかった。

 悪の魔法使いは、悪の魔法使いらしくネギを育てて行く気らしい。

 ネギも覚悟の上、だと思いたい。
 もう、これ以上ネギの事で腹立たしく思うのは真っ平だった。
 自分がどれだけ嫌な人間か、もうよく知っている。だから、赦してくれ。
 皆別荘での日中のことで疲れ果ててしまったのだろう。ぐっすり眠ってしまっていた。
 男子ということで、澤村も別の場所で寝ていたのだが……眠ることはできなかった。
 鍛錬をする気もなかった。この1日は、鍛錬に使うなんてことしたくなかったのだ。
 女子はテラス、男子……澤村は、建物内で寝ていた。
 しばらく建物の中にいたが、どうも外の空気を吸いたくなってしまって、外へ出る。うじうじした考えが過って嫌だったのだ。
 皆を起こさない様に、テラスを通りすぎると、広場が広がっている。来たときに最初に通ったところだ。

 そこに、また見たくない光景があった。

 明日菜とネギ。
 二人はまた何か話していた。
 会話が聞き取れてしまうのが嫌で、その場をすぐに立ち去ろうとしたのだが、

「―――――6年前、お父さんと出会った時、何があったのかって……」

 明日菜のその言葉に、澤村の足は硬直した。

 ――――――6年前。

 確か、両親が死んだとされている事件も、6年前。
 偶然か?
 そう思ったと同時、

「――――澤村さん、あなたもどうぞ。あなたにも、魔法について知ってもらいます。どれだけ危険かということを」

 ネギに声をかけられた。
 まるで、授業中に生徒をあてるような口調で。
 物陰に隠れることすらせずにいたためか、ネギに気付かれてしまっていたようだった。

 本当は、嫌だった。

 けれど、6年前という単語がどうしても気になり、澤村はネギと明日菜の元へ歩み寄って行く。
 明日菜と目が合い気まずかったがそうも言ってられなかった。
 ネギは、段差の上段へ。
 明日菜は、段差の下段へ。
 そして澤村は、上段と下段の間へ。
 左足が上段にあり右足が左足にある上に立膝をついているためか、バランスがとりづらかった。
 3人の距離は非常に近い。ネギが意識のシンクロ魔法を使うという説明を受けている中、澤村達を囲むように魔方陣をカモが書き込んでいた。

「両手を合わせて、3人でおでこをぴったりとくっつけます」

 その言葉に、澤村と明日菜は、え、と声を漏らした。
 思っていることは一緒なのかもしれない。
 けれどそんなところで照れているのもなんなので、とにかく手を握った。
 左手にネギの右手、右手に明日菜の左手。
 そして額をくっつけて―――――

「ムーサ達の母、ムネーモシュネーよ。おのがもとへと我らを誘え」

 ―――――ネギが呪文を唱えた。
 視界が白く染まる。
 過去への扉が、開かれた瞬間だった。

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