Act1-1

 

『むばたまの 夜の寝覚めの朧月 花踏む鬼(ヒト)の名を問へば 夢幻と答ふなりユメマボロシ ト 答フナリ――――』

                                                                 『三國傅來玄象譚』浄瑠璃「鬼闇櫻玉琴」より


〜朧月〜


【刹那】


――――森。


そこには、全てを温かく照らし出す陽の光を遮るように暗く、覆い尽くすかのような
闇が広がっている。
全てを冷たく照らしだす月の光も、木々の黒いカーテンに遮られて、奥までは届かない。
森の闇は深く高く、暗く遠い。
一切の光源さえない、絶対の闇がそこにある。


人は闇に恐怖を覚え、光を求める。
闇は魔を懐に抱き、人が真っ先に頼りにするはずの視覚を奪ってしまうから。

けれど、時に人は闇を求め、光を拒む。
闇は生きとし生けるもの全てを懐に抱き、優しく包み込んでくれるから。
私にとっての闇とは、そういうもの。
そう思えるのは、温かく、優しい、大切な思い出があったから。


そして――――――――


「せっちゃん、森見つめたまんまぼーっとして、どしたんー?」

「…へっ? あ…おっ、お嬢様?! あっ、えと…その、少し昔のことを思い出していて…」

急にお嬢様に話しかけられたため、驚いてしどろもどろになってしまう。
今日はエヴァンジェリンさんに急用が出来てネギ先生の修行が中止になったため、私達は早めに訓練を切り上げ寮へ向かっていた。
今まであった様々な騒動が落ち着き、少し平穏になったせいで気が抜けてしまっていたのか、ふと視界に入った森を見て昔のことを思い出しながら、呆けてしまっていたようだ。

「えー、昔のこと? 良かったら聞かせてほしいなー」

「え?! う…そのぉ…それは…」

しどろもどろになってしまう私に、お嬢様が微笑みかけてくれている。
お嬢様の後ろでは、アスナさんとネギ先生達が笑っている。


けれど、あの男の子はもう――――


【志貴】


「いっくし!」

電車の車内に、青年のくしゃみが響き渡る。
眠っていたのか、青年はぼうっとしたように辺りを見回して、軽く自分に視線が集まっていることに気付き、愛想笑いを浮かべながら周囲に向けて軽く頭を下げる。
さらさらの黒髪に、黒縁の眼鏡をかけた青年は、しばらく人の良さそうな笑顔を浮かべていたが、やがて疲れたような顔で深いため息をついた。

青年の名は、遠野志貴。
三咲町という街に住む、ごく普通の高校生である。
『遠野グループ』という一大企業の御曹司ではあるが、彼の様相は金持ちどころか、逆に貧乏学生といっても良かった。
…まぁ、実際、彼の懐具合は木枯らしどころか、嵐が吹き荒れている有様であったが。

「はぁ…一応、大学の下見に行ってくる、って書き置きして抜け出してきたけど…。…追ってきそうだよなぁ…」

座席の背もたれに背を預けると、彼は周りに聞こえないように小さく呟いた。
彼は今、三咲町を離れ、大学の下見という名目を借りた逃走劇を演じている。
学校から療養という理由で休みを貰って来ている訳だが、一発で許可が下りた理由が彼の青褪め痩せこけた顔だったというのは内緒だ。

「本当は夏休み中に行くべきなんだろうけどね…」

志貴は呟き、こうなった経緯を思い返す。
――――以前、三咲町で起きた『吸血鬼事件』に関わった志貴は、彼の持つ特異な能力によって事件の元凶たる『魔』を討ち滅ぼし、その事件に関わる美しい女性達に慕われるという、周りから見れば羨ましいことこの上ない状況にある。
しかし、彼からしてみれば、美人云々関係なく、神経を磨り減らすような毎日であった。
慕われるのは一向に構わない。
けれど、彼女らは『人外』であり、顔を合わせれば志貴の取り合いを始め、怪獣同士の一大戦争へと発展するのである。
更にその騒ぎを助長するような策士までいるのだから、手のつけようが無い。
志貴と遊ぶ、という目的のためだけに、広大な土地一つが戦場(リング)と化するのである。

「…夏休み中、俺が自由に過ごせた日なんて一日も無かったからなぁ…」

遠野家では、彼に選択権や自由意思等というものは存在していない。
彼と遊ぶために行われるその戦争被害は、当然のことのように彼にも及ぶ。
酷い時には瓦礫の山に押し潰されかけたり、流れ弾に当たって死にかけたこともある。

「ハハ…起きた時に部屋の天井が青空だったのは驚いたなぁ…」

遠い目をしながらそう呟いた志貴に、周りの乗客は彼の事情はわからずとも思わず憐憫の視線を向けてしまう。
…こんな状況から、彼が逃げ出したいと思ったのも当然であろう。


『…次は、麻帆良――――』


「…あ、次か。…とりあえず、今は忘れるとしよう…」

喋っている学生達の声の方が大きく、しっかりと聞こえなかったが、アナウンスは確かに目的地を告げていたはずだ。
志貴は駅に降り立ち、前もって買っておいた地図を見ながら、麻帆良大学へ向けて歩き出す。


背中に背負ったナップザックの中に、黒い追跡者がいるなど気付きもせずに――――





□今日の裏話■

志貴が旅に出る前日の深夜、志貴の部屋――――

部屋の主が眠りについているその中へ、一つの人影が忍び込んだ。
志貴の布団の上に寝ていた黒猫…レンは、その気配に気付き、頭を上げる。

「志貴さんったらどこへ行く気か知りませんが、こんな準備をしていて、わからない訳無いじゃないですかー」

「…」

影の主…琥珀は、志貴のベッドの下から寝袋等を詰め込んだナップザックを引きずり出し、
忍び笑いを漏らす。
レンはそんな琥珀に冷たい視線を向け、再び眠りにつくために丸くなる。
が、気配が自分に近づいてきたことに気付き顔を上げる。

「うふふ…レンちゃん、この寝袋の中に入って志貴さんについて行って下さいません?」

ナップザックの中から寝袋を取り出した琥珀が、寝袋を広げてレンににじり寄って来ていた。
しかし、レンはご主人様たる志貴から、内緒にするように言われている。

「…」

やだ、と一言で切り捨てて眠りにつこうとするレンの目の前に、白い、甘い匂いをした物体が
差し出される。
レンの大好物である、ケーキだ。

「…」

「お願いを聞いてくれたら、帰ってきてからいくらでも差し上げますよー」

大好物とご主人様の信頼に揺れる純粋な乙女に、トドメとなる一言が放たれる。

「…にゃー」

レンは甘い誘惑に負け、琥珀の広げた寝袋の中へと、自ら飛び込んでいったのだった…。

 

Act1-2


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