【アスナ】
七夜とかいう奴に蹴り上げられた私の体は宙高く舞い、そして背中から地面へと叩き付けられた。
息が一瞬詰まり、咳き込みながら何とか呼吸を再開させる。
腹部に当たったと思った蹴りは、斜め上へと削り上げてくるように腹部から私の顎まで蹴り上げられた。
ネギの魔力で物理的な衝撃の大部分が緩和されたが、彼の蹴りは内側に炸裂するかのような衝撃があり、私のお腹から顎まで痛みが残っている感じがした。
「あ…う…っ!」
「アスナさんっ!」
「アスナーっ!!」
呼吸を整えるのに苦労しながら、ゆっくりと上半身を起こす。
ネギとこのかが慌てて私に駆け寄ってくるが、なぜか彼が攻撃を仕掛けてくる気配は無い。
見れば、彼は歪んだ笑みを浮かべながら刹那さんの方を見ている。
何か言われたらしい刹那さんは――――顔を青褪めさせて、震えていた。
「…さて…残念ながら、一日目の上映はここまで。お楽しみいただけたならば恐悦至極にございます。では、今宵はこれにて…」
彼はそんな刹那さんに向けて優雅に一礼すると、私達に背を向けて夜の闇へと消えていった。
このかに肩を貸してもらいながら階段を上り、刹那さんに歩み寄る。
刹那さんは、手に持った刀を今にも取り落としてしまいそうなくらい震えている。
「刹那さん…?」
「…ウチが…ウチが烏族やから…?」
刹那さんは、私達が近くにいるのも気付かずに呟いていた。
呟いている言葉は、刹那さんにとって拭い去ることの出来ない苦しみ。
彼が何を言ったのか知らないけれど、刹那さんをここまで苦しめるなんて…許せない。
「…絶対にアイツぶっ倒して、刹那さんの前で謝らせてやる…」
〜朧月〜
【志貴】
「はぁ…何だかわからないけど、どうやら俺はこの事件の中核にいるみたいだね…」
白いレンの言葉からすれば、彼女がこの夜を創り出している元凶であり、その彼女の目的は俺を手に入れることらしい。
やはり、望まなくとも事件――――それも中核に巻き込まれるのが、俺の運命らしい。
「ふん…お前を捕縛することに変わりは無いからな。まぁ…素直についてくるというなら、縛ったりはしないが…」
「縛るって何?!!」
身の危険を感じて、咄嗟に後ろへ跳びずさる。…過去のトラウマゆえの反応だ。
エヴァちゃんはそのリアクションに少し驚いたような表情をしていたが、悪戯を思いついたような笑みへと変わる。
しまった、と思ったが既に遅い。
にへら、と笑ったエヴァちゃんの口から――――
「よし、茶々丸。縛って持っていくぞ」
「ハイ、了解しました、マスター」
「NOーーーーーッッッ!!!」
無情にも、近づいてきた茶々丸さんが俺に縄をかけていく。
茶々丸さんはすまなそうな表情をしていたけれど、どこか嬉しそうだったのは見逃してないからな。
「…縄が似合うな。…あぁ、そうだ。ついでに首輪も着けてしまえ」
縛られた俺の姿を見て、頬を赤らめ息を荒くしたエヴァちゃんが、更に笑みを深めながらとんでもないことを言い出す。
高音さんといい、エヴァちゃんといい、秋葉といい、どうして俺に首輪を着けたがるんだろう?
でも、さすがに今首輪なんて物を持ってるはずが…。
「ハイ、マスター」
「持ってるーっ?!!
ちょ、日本では奴隷的拘束は許されませんよ?!!
憲法十八条ーーーーーっっっ!!!」
どこから取り出したのか、無表情で革製の首輪を取り出した茶々丸さんがにじり寄ってくる。
俺の叫び声は、虚しく夜空に吸い込まれ消えていくのであった…。
「マスター、少々お茶目が過ぎたようですが」
「ふふふ…志貴の反応が良過ぎるからな。ま、悪いようには扱わんから、安心しろ」
縄に縛られ持って行かれた先は、エヴァちゃんの家であるログハウスだった。
中はぬいぐるみや人形で溢れ返っていて、何とも女の子らしい部屋になっていた。
とりあえず首輪と縄は取ってもらったが、少し残念そうだったのは見なかったことにしておく。
聞けば、向かい側のソファーに座ったエヴァちゃんと、その後ろに控える茶々丸さんはどうやら主従関係にあるらしい。
更に驚いたのは、茶々丸さんは麻帆良大学工学部に造られたロボットだということだ。
「へぇ…エヴァちゃんといい、茶々丸さんといい、麻帆良には可愛い子が多いね」
「え…あ…ありがとうございます」
さっきロボットだと聞くまで、普通の女の子だと思っていたのだから、かなり精巧に造られている。
思わず口にした褒め言葉に、エヴァちゃんは頬を赤らめながらそっぽを向き、茶々丸さんは少し戸惑いながらも軽く会釈して礼を返した。
「…私は、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。先程のレンとやらも言っていたが、『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』や、『人形使い(ドールマスター)』とも呼ばれていた。…ま、この異名が出たら、さすがにわかるか」
「いや、知らないけど…」
自慢げにニヤニヤしながら自己紹介するエヴァちゃんだったが…知らないものは知らないのだから仕方ない。
素直にそう答えると、ポカンとした表情をした後、訝しげな表情へと変わる。
どうやらエヴァちゃんは有名人らしいが、遠野家にTVは琥珀さんの部屋にある一台しかない。
情報に疎いことを責められても、俺にはどうしようもないのである。
「…私を知らない?
…オイ、お前どこに属している?
ヘルマンとの戦いで黒鍵を使っていたが、埋葬機関の人間じゃないのか?」
「ん…あぁ、アレは俺の学校にいる先輩に貰ったんだ。その人が埋葬機関に属しているよ」
話しても問題無い…かな?
まぁ、捕まっている時点でほとんど黙秘出来そうにはないし…。
そんなことを思っていると、突然エヴァちゃんが俺に跳びかかってきて、襟を掴んで前後に激しく揺らしてきた。
「私のことを知らないクセに、協会の人間でも教会の人間でもなく、埋葬機関と真祖の姫君と知り合いだ?!
オイお前、一体何者だ?!!」
「ぐぇ…ちょ、ちょっと…」
「マスター、少し落ち着いた方がよろしいかと」
冷静な茶々丸さんが、暴走したエヴァちゃんの両脇を持って俺から引き剥がしてくれる。
エヴァちゃんは茶々丸さんに持ち上げられ、足をぶらぶらさせながら憮然とした表情をして、咳き込む俺を睨んでいる。
「ゲホッ、ゲホッ…わ、わかった。話すから、そんなに焦らないでくれ」
とりあえず落ち着いて、ソファーに腕組みしながらふんぞり返った不満顔の少女に苦笑を漏らしつつ、自分のことを話し始めた。
☆
□今日の裏話■
「…私を知らない?
…オイ、お前どこに属している?
ヘルマンとの戦いで黒鍵を使っていたが、埋葬機関の人間じゃないのか?」
「ん…あぁ、アレは俺の学校にいる先輩に貰ったんだ。その人が埋葬機関に属しているよ」
「ほぅ…どんな奴なんだ?」
その頃――――
「ふむ…さすが本場ですね。香り、味、共に素晴らしい…」
埋葬機関から呼ばれて一時帰国していたシエルは、その帰り道にインドに寄っていた。
カレーの匂いを嗅いで浮かべた陶酔の表情は、もはやクスリでもキメちゃっているのではないかと疑ってしまいそうである。
左手にカレー、右手に黒鍵よろしくスプーンを構えたその姿からは、とても埋葬機関の人間だなんてわかるはずも無かった。
…てゆーか、わかりたくない。
「…何だか遠野君に噂されているような…。ふふ…噂されてしまうほど、私が美人でスタイルがいいのがいけないのでしょうね」
頬を赤く染めながら、カレーを頬張る。
普通ならば可愛らしいと思えるのかもしれないが、背景に積み上げられたカレー皿とか、泣き叫ぶ店主の姿とかがあるので、とても
可愛いとは思えない。
「最近カレーの食い過ぎで腹が出てきてること気にしてるクセに、スタイルがいいなんて笑わせてくれるにゃー」
その日、世界から一つのカレー屋が消えることとなる――――――――
「…そう、だね…。一言で言えば、カレー…かな」
エヴァンジェリンは当然首を傾げたが、遠野志貴は頑としてその言葉の意味を話すことは無かったという…。