Act1-29

 

【刹那】


部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
足取りは重く、自分の部屋に辿り着くまでいつもの倍以上の時間がかかったのではないだろうか。
お嬢様やアスナさん達がそんな私を心配してくれていたが、正直私の精神はそれどころでは無かった。


――――生きていた。

嬉しい。
志貴ちゃんが生きていてくれて、嬉しい。
あの幼い頃の温かい思い出は、今でも忘れず胸の内にある。

彼の強くて頼りがいのある背中は、私の憧れでもあった。


――――苦しい。

以前のような、優しい志貴ちゃんではなくなっていた。

冷たい、殺しを楽しむかのような残酷な瞳。

彼は…私を『魔』である、烏族の眷属として見ていた。
私の内にある烏族としての『魔』が、彼の『退魔衝動』に反応しているのだろう。
それは、とても私の胸を締め付け、苦しめる。


だってそれは――――彼にとって、私が殺すべき『魔』である証なのだから。




〜朧月〜





『吾は面影糸を巣と張る蜘蛛。――――ようこそこの素晴らしき惨殺空間へ』


「何で…あんな風になってしもたん…?」

ベッドに横になったまま、手に持った夕凪に問う。
頭に浮かぶのは、背筋の凍るような笑みを浮かべる彼の姿。
アスナさんと戦っている時の彼の顔には薄ら笑いが浮かび、戦いを楽しんでいる節があった。
いや…『戦い』ではなく、彼は『殺す』までの過程を楽しんでいた。
彼は…残酷な殺人鬼と化してしまっていた。


『…なぁ、『せっちゃん』?』


「どうして…どうして…?」

昔の彼に戻って欲しい。
優しくて、お人好しで、けれど強かった彼に。
思い出の中で私に向けてくれた笑顔を、もう一度見せて欲しい。
何が彼をそうさせてしまったのか。
彼がそうなってしまったのには、何か理由があるはずだ。
彼を救いたくて焦る私の脳裏に、急に紅いイメージが浮かぶ。


燃え落ちる七夜の森。


散らばる人々の死体。


――――紅い、鬼の姿。


「…っ! 今のは…でも、まさか…?」

七夜を襲撃し、志貴ちゃんの両親や一族を殺した『遠野』への復讐。
理由としてはあり得るかも知れない。
復讐に駆られて『遠野』を殺し、優しかった彼が人殺しと呼ばれ、殺人鬼へと堕ちていく。
そんな彼の姿を想像して、夕凪を握る手に力が篭もる。
幼い頃に消え去ったはずの『遠野』への憎しみが、私の中で再び首をもたげ始めた。

――――彼をあんな風に変えてしまった、『遠野』が許せない。

「次の夜に彼が現れたのなら…必ず、元の志貴ちゃんに戻してみせる…」

強く握った夕凪に、決意を秘める。
お嬢様やアスナさん、ネギ先生達と同じくらい、彼も私にとっての大切な人。
私に大切な人達を守るための力を…。

…けれど、この時私が望んでいたのは、大切な人を守るための力などではなかった。
ただ、『遠野』への憎しみと怒りに振り回されていただけ。


気付かぬうちに、懐にある思い出の短刀からは急速に温もりが失われていく――――





□今日の――――■


「ふん…タタリの残滓の大半は、あの白猫に持っていかれちまったか」

深夜の路地裏に姿を現したロングヘアーの黒髪の男は、不愉快そうに顔を歪める。
その男は顔の目と鼻、口の部分以外は全て包帯で覆われており、その上にどこかの制服らしきものを着ていた。

「まあ、いくらでも成り代わる方法はある。しかし――――奴から生命力を奪うつもりが、遠野シキと切り離されるという結果となる
とは、少々意外だったな…」

「おい、包帯だらけの兄ちゃん。ちょっといいかい?」

包帯の男が振り向くと、数人のガラの悪いチンピラがニヤニヤと笑みを浮かべて立っていた。
一人のチンピラがヘラヘラと笑いながら包帯の男に近づくと、男の首元に懐から取り出したナイフの切っ先を突きつける。
男は何も言わずにナイフを突きつけているチンピラの手首を握ると、ゴキリ、という鈍い音と共にあり得ない方向へと捻じ曲げた。

「ひ――――ぎゃ、ぎゃあああああっっっ!?!?!」

「うるさい…消えろ、虫ケラ」

「お、が――――っ…?」

男はチンピラの落としたナイフを拾い上げると、男の心臓に突き刺す。
ナイフの切っ先は音も無く男の体に吸い込まれていき、男は断末魔をあげることすら出来ずに力無く地面に転がった。
周りでその光景を見ていたチンピラ達は、それぞれ得物を持って包帯の男に襲いかかる。
が、たった一人の男によって、数十秒と経たないうちに路地裏に死体として転がることとなったのだった。


「クク――――さて…待っていろよ、遠野志貴。その直死の瞳…必ずや我が手中に納めてみせる…!!」

 

 Act1-28  / Interlude-1


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