Act2-8


【エヴァ】


「ふあぁぁ〜あ……。むぅ……眠い……」

 騒がしかった朝のHRが終わり、大あくびをしながら机に突っ伏す。
 昨夜、物思いに耽って結構遅い時間に寝てしまったのが祟っているのだろう。
 まぁ吸血種である私にとっては、陽の出ている時間帯はいつでも眠いものだが。

「マスター、志貴さんを放っておいても良かったのでしょうか? その……この町から逃げ出すということも……」

 前の席の茶々丸が、小声で私に話しかけてくる。
 茶々丸には、私が志貴に家の鍵を渡して自由に外出することを許したのが意外だったのだろう。
 確かに、志貴は気配を消す術に長けていた故、人の気配に紛れ込んで町から逃げ出すことも考えられる。
 ……しかし、私にもよくわからないが、志貴はそんなことをする奴だとはどうしても思えなかった。

「フン……茶々丸、お前にはアイツがそんな奴に見えたか」

「え……いえ、そんなことはありません。ですが、可能性としては……」

 わざと意地の悪い質問をすると、案の定、茶々丸は困ったような表情を浮かべてしどろもどろに答える。
 茶々丸も志貴が私を裏切って町から逃げるとは思っていないだろうが、それを裏付けるようなものは何も無い。
 裏切る可能性がある限り、茶々丸は私の従者として最善を尽くさなければならない。

「……朝、志貴に渡していた物には発信機か何かが付いているんだろう? ま、保険をかけておくのも悪くない」

「勝手なことをしてしまい、申し訳ありませんでした、マスター……」

「構わん。まぁ……アイツは逃げはしなくても、どこかにフラフラと流されていきそうだし、丁度いいだろ」

 申し訳無さそうな表情の茶々丸に苦笑しながら、志貴の顔を思い出す。
 志貴の場合、少し出かけるつもりだったのが、流され流され、最終的にトンデモナイ大冒険になってしまう……そんな気がした。
 さて……志貴は、夕方までにちゃんと私の家に戻ってきているのやら……。




〜朧月〜




【刹那】


 話も虚ろに聞きながら学園長室から廊下に出ると、高畑先生と高音さん、愛衣さんが何か話していた。
 聞こえた話の内容からすると、どうやら魔眼使いがこの町にいるらしい、という話のようだ。
 確か、七夜の一族も『浄眼』と呼ばれる超能力を持っていたはずだが、彼女らも彼に出会ったのかもしれない。
 話を聞いてみようと思い、振り向こうと思ったその時、聞き捨てのならない単語が聞こえた。


「……昨夜外に出ていたみたいだけど、こんな青年を見かけなかったかな?」

「えっと……この人、遠野シキさん……ですよね?」


「……!」

 その名を聞いた時、無意識の内に殺気が漏れ出してしまった。
 咄嗟に殺気を抑え込んだので、あまり気付かれなかったようだが、己の未熟さに苛立ちを覚える。

 ――――『遠野』。

 遥か昔に鬼と交わり、その強大な力を手に入れたという、混血の一族。
 高位の陰陽道の術は通用することもあるが、混血は人としての側面を持つため、下手に手出しをすることは出来ないし、人を害することの出来ない法術といった類は一切通用しない。
 更に理性を失くし、鬼と成り下がった混血は、符術で召び出された鬼などとは違って、退魔にとって非常に強力な敵となる。
 人違いの可能性もあるが、一般人の姿が須らく消えていた昨夜の状況から考えれば、恐らく混血の遠野と見て間違いないだろう。

「遠野……シキ、か。…志貴ちゃんと名前が同じだなんて、巫山戯てる……」

 怒りから、夕凪を握る手に力が篭もる。
 殺気は意識して抑え込んではいるが、ともすれば溢れ出してしまいそうだ。
 同じ名を持ちながら、片方は幼くして殺され、片方はのうのうと今を生きている。
 これが神の定めた運命などというのなら、巫山戯過ぎというものだ。


「あれー? この人、ついさっき私を助けてくれた人だ」


 教室に向けて歩き出すと同時に、背後の高畑先生達の方から美空さんの声が聞こえる。
 どうやら、遠野シキという『混血』は学園の近くにいるらしい。
 ……お嬢様の近くまで『混血』を近づけてしまったという失態に、己の愚かさを心の中で叱責しながら、自然を装って高畑先生達へと近づく。
 写真を見せてもらうと、昨夜の志貴ちゃんに黒縁眼鏡をかけたような青年が写っていた。
 確かに昨夜の志貴ちゃんによく似ていたが――――それだけに余計、この男が許せなかった。
 写真の遠野シキという名の男を目に焼き付けると、礼を言ってその場を後にする。


「……どうした。随分と怖い顔をしているようだが?」

「! ……エヴァンジェリンさん、茶々丸さん……。……おはようございます」

 眼鏡の男に対する怒りに我を忘れていたのだろう、背後のエヴァンジェリンさんと茶々丸さんの気配を感じ取れなかった。
 あまり事情を聞かれたくなかったので、目を合わせずに挨拶をして教室へと足を向ける。
 エヴァンジェリンさんも私の事情を聞く気も無いのか、黙ってゆっくりと歩いているようだ。
 なるべく平静を保とうとするが、背後から突然聞こえたエヴァンジェリンさんの言葉に容易く崩れてしまう。

「ククッ……理由は知らんが、いい表情をしているな。……だが、そんなザマでは愛しのお嬢様どころか、誰も守ることなど出来んぞ」

「――――――――」

 エヴァンジェリンさんの言葉を聞いて、私の脳裏に何か靄のかかった光景が浮かびかけたが、激しい頭痛に阻まれてしまう。
 その光景がとても大切なことだったような気がして、もっとよく見てみようとするが、思った以上に強い頭痛に、思わず頭を押さえて廊下に膝をついてしまう。
 浮かびかけた光景に、私が忘れている何かを感じてもう一度思い出そうとするが、その度に痛烈な頭痛に阻まれて思い出せない。

「くっ……何、だ……?」

「大丈夫ですか、刹那さん? 頭痛でしたら、私が持っている頭痛薬を差し上げますが……」

 こめかみの辺りを押さえて蹲った私に、茶々丸さんが心配そうに声をかけてくる。
 思い出そうと意識すると頭に痛みが走るが、意識しなければ痛みはすぐに治まるので、肩を貸そうとしてくれている茶々丸さんを手で制して、ゆっくりと立ち上がる。
 まだ心配そうな顔をしている茶々丸さんの後ろで、エヴァンジェリンさんが目を細めながら私を見て、口を開いた。

「……違うな。単なる頭痛ではないだろう、刹那。……そういった場合、無理に思い出さん方がいいぞ」

 どうやら、エヴァンジェリンさんには私の頭痛が記憶の封印によるものだとわかっているらしい。
 確かに魔法などによって封じられた記憶を無理に抗って思い出そうとすると、脳に大きな負担がかかり、最悪の場合脳の血管が破裂したりしかねない。
 しかし、私はいつの間に、そして誰に記憶を封じられたのだろうか?
 そんなことを少し考えただけでも、針が突き刺さるような痛みが頭に走る。

「……はい」

「ふん……しかし、私が気付かないとはな……」

 助言どおり、封じられたらしい記憶のことは一旦忘れると、何か考え込んだまま立ち止まっているエヴァンジェリンさんを置いて3−Aの教室へ向かう。
 程なくして教室の前に着くと、ネギ先生が扉の前で立ち止まっていた。
 ネギ先生は何か考え込んでいるようで、普段の少年らしい表情ではなく、戦う時のような厳しい表情をしている。

「……あの、ネギ先生……もう教室に着いていますが?」

「うひゃいいっ?! あ……あぁ、刹那さん」

「……アニキ、驚き過ぎだぜ」

 考えることに没頭していたところに急に声をかけたためか、ネギ先生が驚いたような表情で私を見ている。
 ネギ先生が考えていたのは、恐らく今夜のことだろう。
 学園長からは高畑先生達以外は、夜に生徒が寮から外に出ないか監視するように言われたが、ネギ先生は夜の街に徘徊するであろう化け物達と戦うつもりなのだ。
 勿論、ネギ先生を一人で行かせる気は無い。

「ネギ先生、今夜も外へ出るつもりなのでしょう? お供しますから、くれぐれも一人で行こうなんて考えないでくださいね」

「あ、はい。わかりました」

 放っておけば一人で走り出してしまいそうなネギ先生の姿に不安を覚え、声をかけておく。
 少年の顔に戻って素直に頷くネギ先生を見て、安堵感と共に顔が自然と微笑んでいた。
 けれど、そんなネギ先生の顔に懐かしい少年の面影を感じて、すぐに表情を引き締めて教室へと入っていく。


 ――――大切なものを、二度も失う訳にはいかない。今度は、今度こそは守りきってみせる……。





□今日のNG■


「……朝、志貴に渡していた物には発信機か何かが付いているんだろう? ま、保険をかけておくのも悪くない」

「勝手なことをしてしまい、申し訳ありませんでした、マスター……」

「構わん。まぁ……アイツは逃げはしなくても、どこかにフラフラと流されていきそうだし、丁度いいだろ」

 言って、ふと昨夜の首輪をした志貴の姿が頭に浮かんだ。
 あの姿を見ると、何故だかわからないが、思わずいぢめてやりたくなってしまう衝動に駆られてしまう。

「……な、なぁ、茶々丸……首輪型の発信機とか……無いか?」


 同時刻――――。

「うぅっ……な、何だ? 突然寒気が……」

 妄想がちな女性達に囲まれていたせいか、志貴は遠く離れていても直感的にその邪念を感じ取っていたのであった……。


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