【さつき】
シオンと高音さんが妙なことで意気投合している間、私は紅茶を飲みながら沈黙していた。 目の前の愛衣さんも同じらしく、紅茶を飲みながら所在無さげにしている。 ちなみにタカミチさんは、煙草を吸いに部屋の外に出ている。 ……まあ、確かに遠野君は子犬めいたところはあるけど、私はそれよりも周りの人のために頑張れるところの方が好きかな。 そんなことを考えていると、紅茶を飲んでいる愛衣さんがこちらに視線を向けていることに気付いた。
「えっと……愛衣さん、どうかした?」
「あ、いえ、ちょっと疑問があって……」
「私達に答えられる範囲でしたらお答えしますよ、愛衣」
高音さんと談笑していたシオンが、愛衣さんの言葉に反応して声をかけてきた。 愛衣さんの隣に座っている高音さんは、シオンが貸したエーテライトの入ったブレスレットを手にしている。 どうやら高音さんは、本気でエーテライトを学ぶつもりらしい。 遠野君、大変だなぁ……。
「えっと、その……志貴さんは遠野の血を引いていないらしいですけど、そんな人を兄にして何の得があるのかな、って思って……」
「あ、そっか……シオン?」
愛衣さんの指摘に、私はどう説明していいものかわからず、隣のシオンを見た。 そういえば遠野君の本当の血筋は退魔師で、『混血』である遠野家にとっては天敵の存在だったはず。 確かに愛衣さんの言うとおり、そんな危険人物を身内に引き入れたところで、自分が殺される危険性が増えるだけで、得になるようなことがあるとは思えない。 たとえ記憶を操作したとしても、いつ、何のきっかけで記憶が戻るかもわからないのだから。
「……遠野家には元々、遠野四季という長男がいました。しかし、彼は若くして反転してしまい、当主によって処断されています。その後、社会への体裁を気にした当主が、志貴とその彼をすり替えた……これが志貴が遠野の姓を名乗っている真相です」
「そんなことが……。で、でも、そんな大事なこと、私達に教えていいんですか……?」
重要なことを聞かされ、愛衣さんは戸惑ったようにシオンを見ている。 確かにこの事実は、遠野家にとっては知られたくないことのはず。 そんなことを簡単に話すとは思っていなかったので、少し意外に思ってシオンを見た。
「愛衣、高音。……私はあなた達を信頼したが故に、この事実を話した。遠野家当主である遠野秋葉は、私の友人であり恩人……もし、こちらの信頼を一方的に裏切った場合は、事実漏洩を防ぐためにいかなる手段も辞さないつもりだということを覚えておいて欲しい」
「……わかりました。私もその秋葉さんと同じく、シオンの友人……。なら、その信頼を壊すような真似は出来ませんね」
真剣な表情で言うシオンに、エーテライトの習得に熱中していたはずの高音さんが真摯な表情で答える。 愛衣さんも高音さんと同じく、背筋を正して真剣な表情で頷いていた。
〜朧月〜
【志貴】
橙子さんとエヴァちゃんの後について行くと、そこには遠野グループホテルがあった。 この近くでオークションが行われていて、橙子さんはそれが目的で来たらしい。 しかし、橙子さんはなぜかオークション会場へ向かわずに、こちらへと真っ直ぐに来たのである。
「おい、トーコ。オークション会場へ向かうんじゃないのか?」
「ん? ああ、そのつもりだったんだが……目的の品が売れたらしいんでな」
どうやら、橙子さんの狙っていたものが既に無かったため、真っ直ぐ滞在予定のこのホテルへ来たようだ。 橙子さんはフロントで予約していた部屋の鍵を貰い、屋上近くの部屋へと向かう。
「あのオークションには大したものなど無かったが、何が目的だったんだ?」
「お前が持っている、その曰く付きのクリスナイフさ。……話によると、死神の加護があるらしい」
「これが? ふん……死神の加護、ねぇ……」
エヴァちゃんは懐から取り出した、橙子さんの目的の品だったというクリスナイフを見て、胡散臭そうな表情をしている。 そのナイフはかなり小さく、柄と刀身がほぼ同じ長さをしていて、透き通るような青い刀身を持っていた。 そうこうしている内に橙子さんの部屋に着き、エヴァちゃんと茶々丸さんと共に部屋の中に入る。 先に部屋の中に入って持っていたトランクを置いた橙子さんは、ソファーにふんぞり返って新しい煙草に火を点けて一息つくと、こちらに鋭い視線を向けてきた。
「さて……アイツの知り合いだというだけでも殺したくなるのだが……まぁ、ちょっとした気紛れだ。その魔眼殺しに手を加えてやろう。……ただし、交換条件付きで、だ」
幾分か鋭さの和らいだ視線で俺の全身を見ながら、紫煙をゆっくりと吐き出していく。 先程からあまり良い予感がしていないのだが、目の前の女性から逃げられる可能性は零に等しいだろう。 交換条件に何を出されるのか構えていると、紫煙越しに橙子さんが歪な笑みを浮かべた気がした。
「――――どうだ、遠野志貴。人形になる気は無いか?」
「断る。志貴は私の人形だ。貴様になんぞやらん」
俺が何か言う前に、後ろにいたエヴァちゃんが橙子さんに答えてしまっていた。 というか、まるで橙子さんが初めから何を言う気かわかっていたかのような反応だ。 ……人形だの何だの聞こえた気がするが、非常に気のせいであって欲しい。
「ク――――ククククク……ハハハハハハハッッッ!! 既に『闇の福音』のお気に入りだったか。これは失礼したな、エヴァンジェリン」
「ふん……何が失礼した、だ。……本気で志貴を人形にするつもりだっただろう」
「クックック……何、その眼の成り立ちに興味をそそられたものでね。……ま、私もその眼を持つ者を知っているのだが、彼のように『淨眼』から進化したものでは無いからな」
橙子さんは不敵な笑みを浮かべながら、不機嫌そうな顔をしたエヴァちゃんに答える。 しかし……俺の持つこの『直死の眼』はこの世に二つと無いとか聞いたけど、橙子さんの知り合いも持っているとは……。
「まあ……代金の方は、君が私の下で二つ、三つ仕事をこなしてくれればいい。別にそのままでもいいというのなら構わないが――――そのままの魔眼殺しでは、恐らく数年後には抑え切れなくなるだろうな」
「――――……お願いします」
「……わかった。魔眼殺しを貸せ」
橙子さんの下で働くなんて命が幾つあっても足りそうに無いが、それでも眼を抑えられなくなるのに比べれば幾分かマシだ。 少し逡巡した後、橙子さんに頭を下げてお願いする。 俺が承諾の意を示すと、橙子さんは灰皿に煙草の先を押し付けて火を消し、こちらへ近づいて無造作に俺の眼鏡に手を伸ばしてきた。
「えっと……眼鏡が無い間、俺はどうしていれば……」
魔眼殺しを外されて咄嗟に目を閉じたはいいが、作業に没頭しているらしく、橙子さんからの返答は無い。 仕方なく目を閉じたまま突っ立っていると、小さな手が俺の手を引っ張ってどこかに座らせてくれた。 座ったのはソファーらしく、背もたれに背を預けながら深く腰を下ろすと、俺の膝の上に何か軽くて温かいものが乗っかってくる。 どうやら、エヴァちゃんが膝の上に座っているらしい。
「あ……エヴァちゃん? ありがとう、助かったよ」
「ふ、フン……。しかし……何故目を閉じているんだ、志貴?」
う……やっぱり聞かれたか。 エヴァちゃんは既に俺の眼が何らかの魔眼だということに気付いているらしく、訊ねてくる言葉に余裕を感じる。 どうしたものかと思って何となく頭を撫でてあげると、どうやら嬉しかったらしく、もっと撫でるようにせがまれた。 とりあえず、魔眼だということくらいは教えてもいい……かな?
「あー……その、実はこの眼……魔眼なんだ。ちょっと曰く有りで、眼を閉じていないと頭痛が酷いからこうしているんだよ」
「ふぅん……まあ、今日のところはそれで許してやろう。だが……いずれ、その眼のことをお前の口から直に聞かせてもらうからな」
どうやらこのお姫様は俺の眼のことが気になっているご様子だが、彼女がこの眼のことを知ったら恐らく……いや、絶対に手放そうとしないだろう。 ……どうしろってんだ、俺に。 まあ……そんな訳で、俺は橙子さんの作業が終わるまで、エヴァちゃん達と一緒にのんびりしていたのだった……。
エヴァちゃん達と話していると、橙子さんの作業が終わったらしく、俺の耳に眼鏡のフレームがかけられる感触がした。 目を開けてみると、結構な時間が経っていたらしく、部屋は窓から射し込む夕陽に照らされて紅く染まっている。
「失敗など有り得んが、一応確認だ。線が見えたりしないか?」
「ええ、大丈夫です。それどころか、以前よりもすっきりしているような気がします」
橙子さんは俺の返答に満足そうな笑みを浮かべて頷くと、胸ポケットから煙草を取り出して火を点ける。 そして一つ大きく紫煙を吐き出すと、思い出したように名刺を渡してきた。 名刺に書かれていた住所は、三咲町の隣町。 確か――――ブロードブリッジが崩壊したとかいう事件の話を、ニュースで話していたような覚えがある。
「ありがとうございます、橙子さん。えっと……エヴァちゃん、茶々丸さん、そろそろ帰る?」
「……ん、あ? あ、ああ……私達はトーコに用があるから、先に帰っていいぞ」
「あ、うん、わかった。それじゃあ、お先に」
座っていたソファーから立ち上がるためにエヴァちゃんを下ろすと、何だか不満そうな顔をされた。 何が不満なのかわからなくて困っていると、突然橙子さんが吹き出して笑い出す。 そっぽを向いてしまったエヴァちゃんは顔を赤くさせて怒っていたみたいだったが、俺には不機嫌になった理由がわからず茶々丸さんに視線で問いかける。 けれど、茶々丸さんは困ったように笑うだけで、さっぱりわからなかった。
☆
□今日のNG■
エヴァちゃん達と話していると、橙子さんの作業が終わったらしく、俺の耳に眼鏡のフレームがかけられる感触がした。 目を開けてみると、結構な時間が経っていたらしく、罅割れた部屋は窓から射し込む夕陽に照らされて紅く染まっている。 ……あれ、線が消えてない?
「ぶっ――――!!!」
「? ……どうしたの、エヴァちゃん?」
俺の膝の上に乗っかっていたエヴァちゃんが、俺の顔を見た途端吹き出して体を震わせている。 眼鏡をかけてくれたであろう橙子さんの姿が見えず、部屋を見渡すと、橙子さんは後ろの卓で作業を続けていた。 ……あれ、橙子さんが作業を続けていると言うことは――――?
「ぷっ……くくく……あはっ、あははっはははははははは!!! ははははははははは!!!!」
体を震わせていたエヴァちゃんは我慢し切れない、といった感じに笑い出した。 俺の膝の上から転げ落ちたエヴァちゃんは、拳で地面を叩きながら腹を抱えて笑い続けている。 何だか嫌な予感がして、すぐに近くにあった大きな鏡に顔を向ける。 そこには――――
「な……何じゃこりゃあ!!!??」
……パーティなんかで使う、鼻ヒゲ付きのおもちゃの眼鏡をかけた俺の姿が映っていた。
「あはっあはははははははははははははは!! 苦しぃー、よじれるぅー!!! はっ、腹が……腹がぁ……あはははははは!!!」 |