【シエル】
『○☆◆▽$♀#〒Ωφωφ――――!!!』
電話口からは、遠野秋葉の怒りの声が響いてきている。 その受話器を遠ざけ耳を塞いで顰めた顔をしている眼鏡の女性――――シエルは、どうやら落ち着いたらしい秋葉と二言、三言話してから受話器を置いた。 シエルは一つため息をついて、机の上に置かれた紙に疲れたような視線をやる。
「よりにもよって、こんな時に仕事を寄越さなくてもいいでしょうに……」
麻帆良へ行って志貴を三咲町に連れ戻すという秋葉からの依頼を受けてアパートに戻ってくると、ポストに埋葬機関からの仕事が書かれた手紙があったのである。 そのことを話して出発が何日か遅れる旨を秋葉に伝えると、予想通り罵詈雑言の嵐が飛んできたのだ。 とはいえ、志貴と恋仲(自称)であるシエルとしても、志貴を麻帆良から連れ戻したいのは山々なのである。
「……こうなったら、この仕事を即終わらせて行くしかありませんね。ふふふ……遠野君のピンチに颯爽と駆けつける私……そして、『お礼に一日中麻帆良カレーツアーに行こう』なーんてー!! きゃー♪」
「マスター、どうでもいいですけど……この仕事を早々に終わらせるなんて無理ですよー」
何やら妄想して腰をくねらせるシエルに呆れた視線を向ける、蹄の手足をした金髪の女の子が一人。 シエルが使用する転生批判の力を持つ武器、第七聖典に宿る精霊、セブンである。 それとは別に『ななこ』という名前もあるのだが、シエルは今までどおりにセブンと呼んでいた。 妄想に耽ってくねくねしていたシエルの体が止まり、ギギギ…と錆び付いたロボットのように顔がななこへと向く。
「セブン……人が現実を忘れたいというのに、現実に引き戻してくれるとはいい度胸をしてやがりますねえ……」
「ひいいいぃぃぃぃぃ……!! すいませんすいませんマスター私が一方的に悪かったので改造は許してぇぇぇぇぇ!!!」
シエルの顔は笑顔だったが、ななこにはその笑顔に恐怖を感じたのであろう。 ななこはマシンガンのような音を立てて床におでこを叩きつけながら土下座して、とにかく主であるシエルに平伏して許しを請う。 そんなななこに苦笑しながら、シエルは持っていく物を取り出してはななこに荷物を詰め込ませていった。
「さて……なるべく早目に出て、さっさと終わらせ――――」
(ガチャン!!)
荷物を詰め込んだトランクを持って外に出ようとした時、部屋の中で何かが割れるような音がした。 訝しげに思いながら部屋の中へ戻ってみると、ガラスで出来た写真立てが割れてガラスの破片が散乱している。
容易く倒れるような作りはしていなかったはずなのだが、出発の準備の際にぶつかってしまったのだろう。 シエルは手早く散乱したガラス片を片付けると、目的地へと旅立ったのであった――――。
〜朧月〜
【さつき】
「いい夜だな、タカミチ。こんな夜は――――血で全てのものを染め上げてみたい気分になる」
白猫――――偽者の黒猫さんが去ったすぐ後に、住宅街の一角から血の匂いが漂ってきていることに気付いた。 血の匂いが最も濃密な場所を辿っていくと、入り組んだ町の路地裏の奥に、積み重なった死体に腰を下ろして不敵に笑う金髪の女の人がいた。 タカミチさんの知り合いらしいが、タカミチさんの方は警戒した表情で女の人を睨みつけている。
「ああ……知らない者もいるみたいだな。私の名は、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。『闇の福音』、『人形使い』などの二つ名で呼ばれている者さ」
「貴女が魔法協会における『真祖』でしたか。……なるほど、確かに並外れた魔力を持っている」
いつの間にか銃を構えたシオンが、汗を滲ませながらタカミチさんと同じように女の人を睨みつけている。 シオンのその表情から、目の前にいる女の人がどれだけ危険な存在かよくわかった。 それに私の本能も、この金髪の女の人――――エヴァンジェリンという女性は危険だと警告している。 しかし、死体に座ったまま身構えてもいないというのに、彼女の周りに漂う魔力だけで気圧されてしまうなんて……。
「……さつき、気をつけてください。彼女はタタリによって作り出された存在ですが、ほぼ本物に近い力を有して――――」
「シオン、危ないっっっ!!!」
私に話しかけていて気配を察知出来なかったのか、シオンは頭上に迫る存在に気付いていなかった。 攻撃してくる前に直感で気付いていた私は、咄嗟にシオンを突き飛ばして飛び退くと、その襲撃者に視線を向ける。 その襲撃者は淡い緑色の髪の女性で、黒いメイド服を着ていた。
「ちゃ……茶々丸さん……?!」
「高音、愛衣、彼女らはタタリの作り出した存在です! 倒すことに躊躇してはいけない!」
愛衣さんは彼女と知り合いなのか、驚いたような顔をしている。 彼女は突然のことで反応できていなかったようだが、シオンの一喝のお陰で迫ってきた茶々丸さんというらしいロボットの攻撃を、間一髪で回避することが出来ていた。 茶々丸さんの一撃は、コンクリートの道路も壁も一撃で砕くほどの力を持っている。 彼女一人でも厳しいというのに、更に強大な魔力を持ったエヴァンジェリンさんまで相手しなければならないとなると、こちらにとってかなり不利な状況に陥ってしまう。
「くっ……私も戦えるということを証明して見せますわ! 操影術近接戦闘最強奥義……『黒衣の夜想曲』!!」
私達に攻撃を加えてくる茶々丸さんに対して、高音さんが仮面をして黒いマントのようなものを纏った巨大人形を召喚した。 人形の纏った黒衣は茶々丸さんの攻撃を完璧に防ぎ、今度は高音さんが攻勢となる。 打撃が完全に防がれるとなると、エヴァンジェリンさんが魔術……いや、魔法を使ってくる可能性が出てくる。 だが、エヴァンジェリンさんの方を見ると、笑みを浮かべたまま高音さんと茶々丸さんの戦いを観戦しており、参加してくる気配は無い。
「さつき君、こっちは僕とシオン君で抑える。……君は高音君達と協力して、あの茶々丸君の偽者を倒してくれ」
「……はい、気をつけてくださいね」
タカミチさんは背を向けたまま、エヴァンジェリンさんから視線を外さずに小さく頷いて私の言葉に答える。 私が視線を高音さんと茶々丸さんの戦いに戻すと、茶々丸さんが凄いスピードで高音さんに向かっていくところだった。 左肘での攻撃が黒衣で防がれた後、右腕の肘の辺りが軽い爆発のようなものが起きて、茶々丸さんの右腕が黒衣を越えて高音さん目がけて飛んでいく。 コンクリートを打ち砕く程の威力を持ったパンチを喰らえば、高音さんは死んでしまう!
「お姉様っっっ!!!」
「てえええぇぇぇーいっっっ!!」
(ガキィッッッ!!!)
何とか、高音さんに直撃する直前で防ぐことが出来た。 結構距離があった気もするけど、吸血鬼の力のお陰で何とかなったみたい。 高音さんを見ると、目を丸くして驚いたような顔をしていた。
「……大丈夫だった、高音さん?」
「え……ええ、お陰で助かったわ。……ありがとう、さつきさん」
さあ――――今度はこっちからいくよ!!
☆
□今日の遠野家■
「まったく……あのカレー狂は……!」
憤慨しながら受話器を叩きつけた秋葉は、不満顔でソファーに腰を下ろす。 怒りながらも音を立てずにソファーに座る辺りは、礼儀作法ができているからであろうか。 すかさず琥珀の差し出した紅茶を啜りながら、後ろで控える翡翠に視線を向ける。
「……翡翠、何か言いたそうね。言ってみなさい」
秋葉の斜め後ろにいた翡翠は、控えめながらも物言いたげな雰囲気を放っていた。 しばらく躊躇うような沈黙の後、ゆっくりと翡翠が口を開く。
「……秋葉様、姉さんが地下帝国で遠征型のメカ翡翠を造っていました。……このメカ翡翠を麻帆良に放ち、シオン様達の手伝いをさせてはいかがでしょうか」
「へぇ……そんなものを造っていたなんて初耳ね、琥珀。……まあ、琥珀の懲罰は別として、その案はいいかも知れないわね」
翡翠の報告に、琥珀は表情を凍りつかせ、秋葉は恐ろしい笑みを浮かべる。 秋葉から向けられる殺気に冷や汗をダラダラと流しながらも、琥珀は小さく手を上げた。
「あ……あのぅ……その遠征型のメカ翡翠ちゃんなんですが、バージョンアップの途中でして……」
「……一日。一日猶予をあげるから、それまでに終わらせなさい。終わらなかったら……わかってるわね?」
「あ……アラホラサッサー!!」
琥珀は敬礼すると、即座に部屋から出て行った。 一日後、琥珀の悲鳴が響いたか否かは、神のみぞ知る―――― |