Act2-33


【蒼崎青子】


「あちゃー……あの使い魔以外に余計なものまで祟っちゃったか……」

 麻帆良の観光スポットの一つとして紹介されている、町を一望できる展望台。
 雪がしんしんと降り積もる夜の麻帆良の町を見下ろす、赤く長い髪の毛をたなびかせる女性が一人立っていた。
 足元に大きなトランクが置かれていることから考えると、この女性は旅をしているらしい。

「んー……まさかアレに成るとは思いもしなかったわ」

 女性は呟いてしばらく考え込むような仕種をしていたが、やがてトランクを持ち上げて肩に担ぎ上げる。
 立ち去る前に展望台から教会近くの方に視線をやると、ふっと困ったような、けれど優しい笑みを浮かべた。

「まあ……わかってはいたけれど。……そんなんじゃ長生きできないわよ――――志貴?」

 遠野志貴が幼い頃に出会い、生き方を示してくれたその女性は、懐かしむように目を閉じる。



 『死』に触れたことによって、この世の『死』という綻びが視えてしまう瞳――――『直死の魔眼』を手に入れてしまった志貴は、触れれば崩れてしまいそうな罅割れた世界にいた。
 そんな発狂してしまいそうな世界の中にいるのに、誰も志貴の言うことを信じてくれる人はいない。
 他の人に『線』は見えていないのだから、当然といえば当然だろう。

 けれど、志貴の話を聞いてくれて、信じてくれた人がいた。
 孤独だった遠野志貴に手を差し伸べて、大切なことを教えてくれた人。
 罅割れた世界にいた遠野志貴を、普通の生活に戻してくれた魔法使い。
 街外れの野原で出会った、魔術教会における魔法使い――――それが彼女、蒼崎青子だった。

 たった七日間だけの出来事だったが、その後の生き方を変えてしまうほどの影響を志貴に与えたのである。

「……仕方ない、これも仕事の一環ってことで頑張りましょーか」


 青子は自らの教え子のいる方向へもう一度視線を向け、その場を後にしたのだった。




〜朧月〜




【ネギ】


「マスター、避けてくださいっっ!! 雷を纏いて吹きすさべ南洋の風……雷の暴風!!!」

「いけーっ、アニキーっ!!」

 倒しても湯水の如く湧き出てくる混沌に、威力の高い魔法を叩きつけた。
 強力な旋風と稲妻が混沌を蹴散らし、本体である黒コートの男――――ネロに直撃する。
 暴風が巻き上げた砂煙が徐々に晴れてくると、横に避けたマスターが先程までネロが立っていた場所を睨みつけている姿が見えた。
 砂煙が完全に晴れ、体を半分持っていかれたネロが姿を現す。
 展開されていた混沌も黒い泥となって吹き飛び、勝利を確信してホッと安堵の息を吐いた――――その時。



「――――今、何かしたか……小僧?」



「な……っ?!! そ、そん、な……?!!」

「んなバカな?! 『雷の暴風』は、アニキの使える魔法ん中でも強力な部類に入るはずだぜっ?!!」

 聞こえるはずの無い声が、体を半分吹き飛ばされて死んだはずのネロの声が聞こえたのである。
 魔法を喰らった痛みも無いのか、ネロは半分しかない顔にニヤリとした笑みを浮かべて平然としていた。
 その笑みに、今まで感じたことが無いほどの恐怖を感じ、全身が震える。
 マスターはその半身のネロに視線を向けたまま、苦い顔をしていた。

――――そういえば、聞いた覚えがある。
 『混沌』を殺すということは、大陸を丸ごと破壊するのと同義である、と。
 つまり……目の前の存在を殺すには、大陸を破壊し尽くせるだけの威力を持った魔法を使わなければならないということだ。

「ま、マスター……」

「ククク……タタリとして今一度復活してみれば、以前の私とほぼ同等の力を有しているとはな……」

「……『混沌』。…貴様以前、この極東の国で死んだと聞いたが?」

 マスターは油断無くネロを睨みつけながら、疑問を口にする。
 ネロはギロリとマスターの方に視線を向けると、口の端に自嘲の笑みを張り付かせながらその疑問に答えた。

「確かに……私は『殺人貴』によって殺された。……だが、タタリによって、現象の一つとしてこうして姿を現している」

「はぁ? ……『混沌』たるお前が、たかだか殺人鬼如きに殺される訳無いだろうが」

「たわけ。貴き殺人を行う者……故に『殺人貴』だ」

 貴き殺人を行う者――――『殺人貴』?
 詳しく聞いてみたかったが、どうやらお喋りはこれまでのようだ。
 ネロが半身を戻して、混沌の動物達を次々に呼び出していく。

「今生の別れだ。貴様らのいた世界――――無念を残す世界をよく見届けておくといい」


「それはそちらでござる……!」


 僕の方へ襲いかかってきた混沌の虎の頭に、巨大な手裏剣が突き刺さる。
 声のした方を見上げると、寮の屋根の上に楓さんが立っていた。
 楓さんは僕の視線に気付いてニコリと微笑むと、寮の屋根から跳び下りて僕の前に音も無く着地する。
 忍の衣装を纏った楓さんは、無数の混沌を目の前にしても怯む事無く、分身してそれぞれ武器を身構えた。

「待ってくれつーとるやろ、楓姉ちゃん! ……お、ネギ、お前もいたんか」

 コタロー君まで寮から姿を現して僕の前に下りてくると、同じく分身してネロに対峙する。
 ネロは分身した楓さんとコタロー君を前にしても表情を変えなかったが、ふと何かに気付いたように顔を上げると、展開していた無数の混沌達をその体に戻していった。


「ふむ……どうやら今日はこれまでのようだ。次の夜、私に出会わぬことを祈るがいい」





□今日の裏話■


 タタリの結界が発動してから、大方の人が姿を消した寮は閑散としていた。
 その中で、一部屋だけ人影が見える。

「今日は随分と静かなのねぇ……。夏美ちゃん、あやかはどうしたか知ってる?」

「んーん、知らないよ? あたし、いいんちょと帰ってきたから寮内にはいると思うけど…」

 665号室――――雪広あやか、那波千鶴、村上夏美の三名の部屋である。
 片付けをしていた千鶴が姿の見えなくなったあやかのことを聞くが、ベッドに横になって台本を読んでいたらしい夏美も首を傾げるだけで、あやかがどこへ行ったかなどはわからなかった。
 千鶴も同じように首を傾げたが、同室の小太郎が玄関へと向かう姿を見つけ声をかける。
 ロアに敗れて気絶していた小太郎は、タタリの結界が発動した後に目を覚ましていた。

「……あら、小太郎君、どこへ行くの? 怪我して帰ってきたんだから、ちゃんと体を休めないと……」

「あ、ああ……ちょっと寮内散歩してくるだけやから大丈夫や」

「……そう。……気をつけてね」

 納得していない様子ではあったが、千鶴が頷いたのを見て小太郎は部屋の玄関へと向かった。



 部屋から外に出てみて、閑散とした寮内の異常さがよくわかる。
 さっきまでいた部屋の中とはまったく異なる、シンとした静寂の世界。
 小太郎は何かを感じ取ったのか、階段を上がって寮の屋上へと向かう。
 屋上の鋼鉄の扉を開けると、そこには忍の衣装を纏った楓の姿があった。

「……無茶をしない、と約束できるのならついてくるでござる、コタロー」

「了解……って、ちょっと待ってくれや、楓姉ちゃん!!」

 姿を現した小太郎を一瞥してそう言うと、楓はすぐに寮の屋上から飛び降りていく。
 小太郎は慌ててその後を追って寮から飛び降り、危機に陥っていたネギの前に降り立ったのであった。


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