【愛衣】


「きゃあっ？！ いっ、いたたたた……え、高畑先生？」

「……逃げるよ、愛衣君。シオン君は高音君を頼む！」

　突然さつきさんに突き飛ばされたと思ったら、いつの間にか高畑先生に抱き上げられていた。
　よくわからないけれど、どうやらさつきさんを置いてこの場から逃げるつもりらしい。
　コンクリートの破片を背中に喰らって、苦しそうな顔をしていたさつきさんを置いて逃げるなんて出来ない……！

「高畑先生！ さつきさんを置いて逃げる訳には……！！」

「愛衣、さつきがこれから使う能力は、私達をも巻き込んでしまう強力なものだ。さつきの私達を巻き込みたくないという気持ちを、無駄にする訳にはいかない」

　高畑先生の代わりに、お姉様に肩を貸しながら走るシオンさんが答える。
　その表情は無表情のようにも見えたが、私にはさつきさんを心配する気持ちが表情に表れないように、無理をしているように見えた。



　路地裏を出てどこをどう逃げたのかわからないが、とにかく遠いところまで逃げることが出来たらしい。
　遠くで強力な魔力が発動したのを感じて、さつきさんが偽者のエヴァンジェリンさん達と戦っているんだとわかった。

「……シオンさん、きっとさつきさんは大丈夫ですよ」

「――――ええ、そそっかしいところもあるが、さつきの潜在能力は二十七祖にも匹敵する。まあ……あの性格のままなら、一生半人前でしょうが」

　そう言って苦笑を浮かべたシオンさんは、ふと何かに気付いたように辺りを見回した。
　気付けば、周囲から夜の街に相応しい喧騒が聞こえ始め、町を覆っていた魔力が消えたことに気付く。
　腕時計に目をやれば、既に時刻は深夜零時を示していた。

「どうやら、深夜零時になると結界が解除されるようですね……」

「ああ……それより、さつき君の身が心配だ。早く行こう」


　路地裏へ向かうと、さつきさんは地面に横になっていて、幸せそうな顔で寝息を立てていたのだった……。




〜朧月〜




【アスナ】


「……メール？ ……ネギから……そっか、もう遅いから寮に戻ったみたいね」

　気付けば、携帯にメールが来ていて、見るとネギの携帯から送られたものだった。
　文章から考えると、恐らく夕映ちゃんが打ったのだろう。
　既に学園を出て、寮に向かっているという内容だった。

「刹那は私が部屋まで運んで行こう」

「あ……ありがとう、龍宮さん。このか、行こう」

　寮への帰り道、私はついさっきあったことを思い返していた。
　このかを殺そうとしてきた偽者の刹那さん、この町をおかしくしている元凶らしいレンという名の少女、そしてこの町を覆っている魔力の正体……。
　刹那さんの不安や恐怖を具現化した存在だと白い少女は言っていたが、あの偽者の刹那さんが刹那さんにとっての不安なのだろうか？

「……結局、刹那さん自身の問題だから、私達じゃ拭い切れない苦しみがあるのかも知れないわね……」

　ふと呟いた私の言葉に、隣を歩いていたこのかが寂しそうな顔をしていることに気付いた。
　このかも刹那さんの過去や烏族との混血であること等は知っているが、その苦しみの全てを理解できている訳ではない。
　自分のことでは無いのだから理解してあげられないのは当然だとしても、目の前で苦しんでいるのに何もしてあげられない自分の無力さがとても悔しかった。
　龍宮さんの背中で気を失っている刹那さんは悪い夢でも見ているのか、苦しそうに魘されている。

「う、ん……し、き……ちゃん……」

「……刹那さん……」

　刹那さんが魘されるように小さく呟いた言葉は、幼い頃に変わるきっかけとなった男の子の名前だった。
　その出会いがあって今の刹那さんがあるようなことを話していたけれど、だとすれば昨夜の出来事は刹那さんにとって、苦しみ以外の何ものでもないだろう。
　そういえば、偽者の刹那さんと刹那さんの会話の中にも志貴さんの名前が聞こえたけれど、もしかしたら刹那さんが抱く不安や恐怖に、彼が深く関わっているのかも知れない。

「せっちゃん、志貴さんの夢見とるんかな……」

「そのシキ、というのは誰のことだい？」

「あ、龍宮さんは知らんかったんやな。えとな――――」



　このかが龍宮さんに志貴さんのことを話し終える頃には、私達は寮に到着していた。
　既に寮の門が閉まっている時間だったけれど、ネギが私達が遅れることを話しておいてくれたお陰で、何とか中に入ることが出来た。
　刹那さんを背負った龍宮さんと別れて部屋に戻ると、部屋の灯りは消えていて、ネギの部屋からは既に寝息が聞こえていた。

「ほら、ネギ……もー、ちゃんと布団の中で寝なさいよ」

「あ……う？ あ、アスナさん……？ お帰りなさ……い……」

　寝間着に着替えてすぐにベッドに倒れて寝てしまったのか、毛布の上で寝ていたので、布団の上に寝かせて毛布をかけてやる。
　声をかけたら起きてしまったみたいだったけれど、寝惚けながらボソボソと呟いて再び眠りに落ちていった。
　何があったのか知らないけれど、どうやらネギの方も大変だったらしい。
　私はネギの安らかな寝顔を見ながら、一つ大きなため息をついた。


　本当に、いつまでこんなことが続くんだろう――――？


☆


□今日の裏話■


「――――七夜志貴……七夜、か……」

　刹那を部屋に寝かせた後、黒肌の銃使い――――龍宮真名は、このかから聞いた刹那の過去を思い出してそう呟いた。
　純粋な『魔』等を調伏する神鳴流等とは別に、人と人にあらざるモノとの交配によって異能を持った者達……『混血』を排除する者達がいる。
　その一つが七夜であり、『淨眼』という超能力を遺伝的に継承し、奇怪な技術をもって混血達の暗殺を可能としたという。
――――しかし、その一族は十年近く前に滅び、歴史上からその名を消した。

「ぅ……ん……」

「刹那が戦場に色恋沙汰を……いや、私情というべきか。……そんなものを持ち込むとはな」

　悪夢でも見ているのか、辛そうな表情で呻く刹那を見て、真名はふっと小さく笑みを浮かべる。
　直後、真名の顔は一転して厳しいものとなり、刹那に背を向けて部屋の出口へ向かって歩き出した。
　扉の前でふと足を止めた真名は、刹那が寝ている方向に視線を向けて口を開く。


「……当時の七夜の当主は歴代最強と謳われていたが、彼の私情によって一族全てが滅びるに至ったと聞く。……お前が、その当主と同じような過ちを犯さないことを祈っているよ」


　聞く者のいない呟きは、誰にも届くことはない。
　故に、彼女の言葉もまた刹那に届くことは無く、ただ灯りの消えた部屋の闇に飲み込まれていくだけであった……。