【遠野家】


　浅上女学院から戻ってきた秋葉は、玄関に入って急に立ち止まった。
　出迎えた琥珀は、まるで固まってしまったかのように動かない秋葉に首を傾げる。

「……どうかされましたか、秋葉様？」

「――――兄、さん……？」

　琥珀の言葉に反応するように胸の辺りに手を当てた秋葉は、不安げに顔を歪める。
　九年前の事件で、秋葉は自らの持つ混血としての能力『共融』により、死に瀕した志貴に自分の半分の命を分け与えた。
　故に、志貴の生命が危機に陥ったとしても、彼女にはそれを感じ取ることができ、またそれが彼女の心の支えにもなっている。
　生命の揺らぎは感じたものの、繋がりは……まだ感じられた。

　しかし、以前遠野シキが志貴と『共融』していた頃のように、二人分の負荷を感じたのだ。
　秋葉の髪は赤みを帯び始め、辛そうに顔を歪めながら玄関に膝を着く。

「秋葉様……っ！ まさか――――」

「ええ……。この感覚……どういう訳か、シキが生きているみたいね…」

「――――！ 秋葉様、私の血を……！」

　膝を着いたまま息を荒げる秋葉に近づき、着物の前をはだけようとする琥珀の手は、秋葉の手によって遮られた。

――――志貴に半分命を与えたことにより、秋葉自身は命の半分しか使うことが出来ない。
　そのため、秋葉は残りを最も栄養能率のよい血液を摂取して補っている。
　その行為にはデメリットも存在しており、それを嫌う秋葉は最近はあまり血を吸わないようにしていた。
　意地を頑ななまでに徹そうとする彼女に、琥珀は顔を顰めながらも引き下がる。
　荒い息を吐いていた秋葉が一度大きく深呼吸をすると同時に、髪はいつもの艶やかな黒髪へと戻り、何事もなかったかのように毅然と立ち上がった。

「……大丈夫よ、琥珀。それよりも――――手筈の方はどうなの？」

「――――……はい。メカ翡翠ちゃんは、先に麻帆良の方へ送っておきました。程無く到着するとは思いますが……」

　しっかりとした視線の秋葉の問いに、琥珀は着物の襟を正して答える。
　秋葉はその答えに満足げな笑みを浮かべると、琥珀に荷物を渡して自室へと向かう。
　胸にある二人分の負荷に一抹の不安を感じながらも、秋葉は麻帆良へと向かってくれた友人を信じて三咲町で待つことを選択したのだ。


――――自ら麻帆良の地へと足を踏み入れるような事態にならないことを祈りながら……。




〜朧月〜



【エヴァ】


　超包子で夕飯を食べ終え、志貴が向かったという女子寮近くのケーキ屋へのんびりと向かう。
　その途中、例のタタリの固有結界が展開され――――


「ほう……昨夜の真祖か。私に再び出会ってしまった、己が運命を呪うがいい」


　再び『混沌』――――ネロ・カオスと相対することとなってしまった。
　ジジイがタイミングよく停電にするはずも無いだろうし、手持ちの魔法薬で凌ぐしか手は無い。
　『混沌』はコートの中から黒い獣達を放ち、こちらへ仕掛けてきた。

「チ――――魔法の射手 氷の十五矢！」

「マスター、援護を」

　私が魔法の射手で迎撃し、撃ち漏らした混沌を茶々丸が仕留める。
　だが、やはりその数は半端ではなく、じりじりと後退を余儀なくされていた。
　魔法薬のストックは既に限界に近づき、意識を懐に向けてしまった瞬間、地面を疾る影が私の足元へ迫っていることに気付く。
　咄嗟に跳び退くと同時に、その影目がけて何かが飛んでいった。

「……あなたが苦戦しているところを見るとは、意外なこともあるものね」

「フン――――魔力さえ封じられていなければ、苦戦することも無かったんだがな」

「ほう……鼠が増えたか。埋葬機関……ではないな。となれば、魔法協会の者か」

　影から飛び出した牙を持った巨大な何かの口に、十字架が直撃して吹き飛ばした。
　聞こえた声に視線を向けずにぴしゃりと言い放ち、懐から数少なくなった魔法薬を取り出し身構える。
　シャークティも目の前の男を見てその存在の異様さに気付いたのか、迫ってきていた混沌の獣達に向けて十字架を放つ。
　だが、倒しても次から次へと襲いかかってくる混沌の獣に、シャークティもようやくその正体に気付いたらしい。

「くっ……倒しても倒してもキリが無い……！ ……あの男――――まさか、『混沌』……？！」

「ようやく気付いたか。だからジジイに町を停電させろ、と言伝を頼んだんだろうが。……まあ、アテにはしてなかったがな」

　例え混沌の獣達を倒したとしても、その黒い泥のようなものは『混沌』本体へと戻っていき蘇生していた。
　物量で言うならば、こちらは圧倒的に不利でしかない。
　このままでは、いつまで経っても堂々巡りを繰り返すだけだ。
　最後の一つとなった魔法薬を手にしながら、今の状態で使える魔法を頭に浮かべるが、どれも『混沌』に対して劇的な効果は無い。
　最強状態の私ならば『永遠の氷河』なり何なりと倒す術はあっただろうが、極限まで魔力を封じられた今の状態では、この状況で使える魔法は限られている。
　……ふと、今朝志貴と戦った時のことが脳裏を過ぎる。

　志貴なら……茶々丸の腕をいとも容易く切り落とした、志貴のあの『魔眼』ならばあるいは――――


「む――――ふん……儘ならぬ身よ。……魔法協会の真祖よ、次に出会った時こそその身の最期と思え」


　『混沌』を倒し得る策を考えていたが、意外にも『混沌』の方から身を引くらしい。
　その黒いコートを纏った後ろ姿が、夜の闇に溶けるように消え去っていく。
　固有結界が展開されてから大して時間は経っておらず、時間にして一時間弱程度のものだった。

「マスター……町を覆っていた魔力が消えていきます」

「……タタリの元である白猫が倒されたか――――いや……何かを企んでいるのか……？」


　その後、色々と小うるさく聞いてくるシャークティを撒いてから、志貴を捜しに女子寮近くのケーキ屋へと向かう。
　しかし、その途中刹那に背負われた志貴が女子寮に運ばれていく姿を見かけ、その後を尾けることになったのだった……。


☆


□今日のＮＧ■


「う――――うふ、うふふふふ……」

　愛衣のいる寮へと向かう途中、突然現れた田中さんズの群れに囲まれた高音。
　既にトラウマモードに入っており、現実逃避の真っ最中である。
　そこへ――――


『ピピ、目的地：麻帆良ニ到着。――――敵機影ヲ確認』


「あ――――あああなたこの前の……！」

――――空からメイドが降ってきた。
　いつぞやのメイド型ロボットの登場に、高音の精神もどうにか戻ってきたらしい。
　とはいえ、逃げ腰なのはやはり機械に関わって碌な目に合わなかったことが無い故か。
　口からレンズ状の脱げビーム発射口を覗かせる田中さんズに対して、メカ翡翠は一向に動く気配を見せない。
　だが、高音はメカ翡翠の全身が足下から色が変わっていくのを見た。

　脱げビームは一点――――メカ翡翠へと集中砲火され、メカ翡翠の頭に着いていたカチューシャが宙を舞う。

「や……やられたーっっっ？！」


『ピ――――Ｍ（メイド）Ｓ（シフト）装甲データ収集完了。――――反撃ガ、カイシデス』


　やられたと思った次の瞬間、脱げビームによる土煙の中からメカ翡翠の機械的な声が聞こえた。
　次の標的が自分に移らずに済んでホッとしたのも束の間、今度は――――田中さんズの群れの方から、次々と破壊音が響き、煙が立ち昇っていく。
　田中さんズが完全沈黙し、脱げビームの土煙が晴れた後には、スカートの裾を両手で摘んで持ち上げた姿のメカ翡翠が立っていた。
　高音はその姿に首を傾げた直後に、そのスカートの中へ空中を高速で動く何か小さな……例えるならば、香水の瓶のような物が入っていくのを見つけ、何となく理解した。

「……ファンネル？」


――――このメカメイドを造った主は、ガ●ヲタだと……。