【エヴァ】
――――愚直。
迷いの無い瞳で、この町に残ってタタリと戦うことを宣言した志貴を見て、私はそんな風に思った。 さっさと逃げればいいものを、何の益も無く、家族や恋人がこの町にいると言う訳でもないのに、ただ自分がそれを正しいと思ったからという理由で命を危険に晒すなど、愚かでしかないだろう。 軽く心を覗いてみたが、志貴の言葉に一切の嘘偽りは無く、思っていることをそのまま語っていた。 本物のバカか、と思う。
……だが、それが志貴の悪い所でもあり、いい所でもあるのだろう。 その隣で呆れながらも、安心したような顔を見せているアトラスの錬金術師を見ればすぐにわかる。
「……はぁ……これはエルトナムの名を継ぐ私の責務。できるならば、志貴に関わって欲しくなかった」
「ごめんな、シオン。俺の我が侭につき合わせちゃって」
「構いません。志貴の性格上、一応こうなることは予測していましたから」
すまなそうな顔で謝る志貴に、シオンと呼ばれたアトラスの錬金術師は苦笑して見せる。 志貴はそれに困ったような笑みを返し、そしてこちらへ視線を向けてきた。 私、茶々丸、坊やの順に視線を動かしていき、そして――――刹那のところで一瞬、視線を止める。
「……どうかしたか、志貴?」
「いや……何でもないよ、エヴァちゃん」
昨日も思ったが、やはり志貴と刹那の間には何かしらの関係があるようだ。 刹那の方も志貴の視線には気付いていたらしく、小さく辛そうな表情を浮かべて俯いている。 近衛木乃香の護衛としてここに来てから志貴と知り合ったという可能性は、私が知る限りではまず無い。 だとすれば、京都にいる間か、あるいは―――― まあ……何があったとしても、志貴が私の従者になるということに変わりは無いがな。
「――――当面は、あの白猫を倒すことが目標になるでしょう。これは推測の域を出ませんが、あの白猫は恐らく黒猫の欠片……。それがタタリの残滓を利用し実体化したに過ぎない。故に、前回のように真祖の力を借りる必要は無いと私は考えています」
「ふむ……じゃが『混沌』を筆頭に、他の悪夢たる存在達もどうにかせねばなるまい」
「ええ、わかっています。それ故に、この事件の根本であろう白猫を倒すべきなのです。あの白猫は自由気ままに姿を現しては悪夢を振り撒いているようですが、何日もタタリを続けながら悪夢を作り出すなどということはかなりの魔力を要するはず。ならば……その魔力の供給源を辿り、それを破壊するだけのこと」
「混沌もまた白い少女の作り出したモノ……末端より根本を潰すべき、か。それも力で倒すというのではなく、先にその白い少女の力の源を絶つという訳じゃな。しかし、その力の源……探すのは容易なことではなかろう」
「そうでもない。あれだけ膨大な魔力を使用しているのですから、探す場所も限定されましょう。しかし、私はこの町について詳しくない。……それ故に、あなた達の力をお借りしたい」
その後、タタリについての話に戻り、アトラスがジジイの疑問に答えながらタタリについて長々と説明を続けている。 その会話は形式じみたもので、聞いていて何の実りも無い。 私は特に聞く必要も無い話だったので聞き流していたが、アトラスのその淡々とした声が徐々に子守唄か何かのように聞こえてきて、抗い難い睡魔が私に襲いかかってきていた。
やはり、吸血鬼に朝は辛い……。 隣を見ると、志貴は疲れたような顔をしながらも話を聞いている。 クソ真面目な奴だなと呆れたのだが……よく見てみれば、志貴が気を抜きそうになる度に隣からアトラスが睨んでいるだけだった。 周りに目を向けてみると、魔法使い達はご苦労なことに熱心に耳を傾けている。 しかし、神楽坂明日菜は思ったとおりこの長話についていけず、知恵熱を出して目を回しかけていた。 面倒臭いとは思ったが、私もこの長話をさっさと切り上げたかったので仕方無しに口を開く。
「それくらいにしておけ、アトラス。……そこで知恵熱出してぶっ倒れそうな奴がいるからな」
尚も話し続けようとするアトラスに、親指で神楽坂明日菜を示しながら言う。 それとほぼ同じタイミングで、神楽坂明日菜が仰向けに倒れていった。
「わ、わーっ?! アスナさーんっっっ?!!」
「あやー……やっぱしアスナ、シオンさんの説明に耐えられへんかったかー」
倒れる寸前に坊やが支えたために床に頭をぶつけることは無かったが、神楽坂明日菜は気絶していた。 理解不能な長話を無い頭なりに考えたが結局オーバーヒートしてしまったらしく、神楽坂明日菜の頭から湯気らしきものが見えている。 坊やと近衛木乃香が心配そうな顔で容態を診ているが、そう大したことではないだろう。 アトラスはその光景に呆れた上に不満そうな顔をしていたが、深いため息を吐きながら説明を切り上げたのだった。
〜朧月〜
【アスナ】
「――――予測時間以下です。情けない」
目が覚めてすぐに、シオンの呆れたような声が降ってきた。 それが私に向けられたものだと気付くのに三秒。 そしてシオンの話があまりにも長く、聞いてて知恵熱が出てぶっ倒れたことを思い出すのに五秒かかった。 聞こえた声のとおりに、呆れた顔を見せるシオンを睨みながら、半ば不貞腐れ気味に文句を言う。
「……うっさいわね。もっとわかり易く言いなさいよ」
「あれでも十分わかり易くしたつもりでしたが?」
ため息混じりに即切り返され、言葉に詰まる。 ……いけない。これ以上何か言っても、私がバカだということを証明するだけではないだろうか? まだ少し頭痛がしていたが、大したことはないので寝かされていたソファーから身を起こし、辺りを見回す。 私が倒れてからさして時間は経っていないのか、学園長室に集まっていた人に変わった様子はない。 いや、まあ……私や志貴さんと同じくシオンの長話が面倒臭くなったのか、コソコソと逃げ出そうとしているシスターの姿なんかも見えたが、結局シャークティ先生に首根っこ掴まれて元居た場所に戻されていた。
「さて、と……。ジジイ、一つ聞くが――――志貴の宿泊場所はどうするつもりだ?」
シオンの長話はとりあえず終わったらしく、今度はエヴァちゃんが不敵な笑みを浮かべながら話し始めた。 話題の主となった志貴さんに皆の視線が集中し、志貴さんは少し緊張しながらも真剣な表情で学園長に向かい合う。
「む? 志貴君は既にホテルかどこかに泊まっておるのではないのか?」
「遠野グループの長男という立場であるとはいえ、敵対していた七夜の血を引いている志貴が自由に使わせてもらえる金など無いに決まっているだろう」
「ふむ……つまりは彼をどこに泊まらせるか、ということが聞きたいのかの?」
エヴァちゃんの言ったとおり、志貴さんは遠野家の血を引いていないのであまりお金を持たされていないらしい。 志貴さんは自分の責任だと言っていたが、今時がま口の中に五百円だけというのはイジメではないだろうか? いやまあ、がま口とは別にちゃんと帰り用の電車代は持ってるみたいだったけど。 この町に来てからはエヴァちゃんの家に泊まっていたらしいが、さすがに女の子と一つ屋根の下、というのは不味いだろう。 いや……エヴァちゃんと一つ屋根の下、ということこそが一番不味いと思う。
「志貴は私達が泊まっている遠野グループホテルに泊まらせるので、気にする必要は――――」
「そうはいかない。……貴様が志貴を連れてこの町から逃げ出したりしないよう、志貴は人質に取らせてもらう」
「な……に、逃げ出したりする訳が無いでしょう!! くっ……志貴! ぼうっとしてないでさっさとエヴァンジェリンから離れてくださいっ!!」
突然の言葉に慌てたシオンが、エヴァちゃんの隣に立っていた志貴さんにその場から離れるよう叫ぶ。 しかし既に遅かったらしく、志貴さんは困ったような顔で苦笑しながら、エヴァちゃんと繋いだ手を上げて見せる。 それを見たシオンは諦めたように深いため息を吐き、苦笑する志貴さんを呆れた顔で睨んでいた。
「さて……そういう訳だから、志貴は私の家で預からせてもらうぞ、ジジイ。フ――――まあ、念のための保険だとでも思っておけ。その代わり、この私が手を貸してやるというのだ。ありがたく思え」
凄く満足気な笑みを浮かべたエヴァちゃんは、勝手に今日の志貴さんの宿泊先を自分の家に決めると、志貴さんの手を引っ張ってさっさと学園長室から出て行こうとする。 が、学園長室の扉に手をかけようとした次の瞬間、エヴァちゃんは志貴さんの手を引いたまま大きく後ろに跳躍していた。 先程までエヴァちゃんが立っていた場所に目をやると、地面に何本もの十字架が突き刺さっている。 不満そうな顔で睨むエヴァちゃんの視線の先には――――地面に突き刺さったものと同じ十字架を持ったシャークティ先生が立っていた。
「待ちなさい、エヴァンジェリン。確かあなた……彼を従者にするようなことを言っていましたね。――――何を企んでいるのです?」
「……企む? ハッ、言いがかりは止してくれ、シャークティ。私は志貴が気に入った。だから従者にすると言ったまでだ」
「シスター・シャークティ、この場での戦闘行為は止められているはず。……それと、エヴァンジェリン。まだ学園長は志貴君を連れて行っていいとは言っていないぞ」
高畑先生の冷静な言葉に、シャークティ先生はバツの悪そうな顔で頭を下げ、エヴァちゃんは舌打ちしながら不満気に高畑先生を睨む。 エヴァちゃんの言葉に文句なり反論なりすると思っていたシオンは、特に何か動きを見せる訳でもなく、黙したままだった。 学園長は難しい顔で腕組みをしたまましばらく唸っていたが、やがてエヴァちゃんと手を繋いだままの志貴さんに視線を向けて口を開く。
「ふむ……君はどうしたいかね、志貴君?」
「俺、ですか? 俺は……出来れば女の子と一つ屋根の下っていうのはちょっと……こう、倫理的にとか……」
急に学園長から問われた志貴さんは、困惑した顔を浮かべながらも答える。 うん、エヴァちゃんと一つ屋根の下っていうのは流石にまずいわよね。 その答えに、志貴さんと手を繋いでいたエヴァちゃんの眉が釣り上がり不満そうな顔を作る。 それとは対照的にシオンが勝ち誇ったような笑みを浮かべ、嘲笑うかのような視線をエヴァちゃんに向けていた。 しかし――――
「でも、だからといって、自分の立場を利用して豪華なホテルに泊まるというのも気が引けますし……」
志貴さんの口から次いで出た言葉にシオンの笑みが固まり、今度はエヴァちゃんがそんなシオンを見て鼻で笑う。 シオンとエヴァちゃんは、空中で火花が飛びそうなほどに互いにガンを飛ばし合っている。 周りにいる魔法先生や魔法生徒達、隣で困ったように笑っているネギや私達のことすらも眼中に無いのか、凄絶な睨み合いとなっていた。 間に挟まれた志貴さんは、何かを恐れているかのように顔を強張らせながら固まっている。
「志貴は私の家に二日も泊まったんだ。今更他の場所で泊まるよりも、私の家の方が勝手がいいはずだ」
「ですが志貴はそれを断っている。志貴は三咲町に連れ帰るのですから、あなたの従者にさせる訳にはいかない。それに、あなたは一応とはいえ女子中学生の身。若い男女が一つ屋根の下に住むなどということは、学園長が許さないでしょう」
「断られているのは貴様もだろうが、アトラス。私が志貴を従者にしようが何にしようが、それは志貴の意思次第であって、貴様にとやかく言う権利は無いだろう。……そもそも、女子中学生もクソもあるか! 十五年だぞ!? 十五年も留年している女子中学生がどこにいる!! ……ええい、ハッキリしない志貴が悪い! 志貴、さっさと私の家に泊まると言え!!」
「志貴、冷静に考えてくれればいいのです。彼女の家に泊まるということの危険性は志貴もわかっているはず……。その点、志貴が遠野の名を使って系列店に泊まることができるのは、志貴が遠野姓を名乗らせられた時から生じた当然の権利で、あなたが気に病むことは何一つ存在しない。……志貴、判断を」
そして最終的にその怒りの矛先は、優柔不断な発言をした志貴さんへと向けられることとなった。 ……なるほど、志貴さんが恐れていたのはこれか。 二人は無言でこちらを選べと言わんばかりに、殺気めいたものを纏わせながら志貴さんを睨んでいる。 志貴さんはすぐにでもその場から逃げたそうだったが、繋いだエヴァちゃんの手から逃げ出すことは敵わず、疲れた顔で一つ大きなため息を吐いていた……。
☆
□今日のNG■
――――バカレンジャーが一人、バカレッドこと、神楽坂明日菜。
彼女は今、必死に戦っていた。 ……頭の中で。 状況を把握しようと、必死で耳で聞いたことを頭の中で纏めようとしているのだ。
「――――当面は、あの白猫を倒すことが目標になるでしょう。これは推測の域を出ませんが、あの白猫は恐らく黒猫の欠片……。それがタタリの残滓を利用し実体化したに過ぎない。故に、前回のように真祖の力を借りる必要は無いと私は考えています」
水槽の息? 黒猫のオケラ? タタリの惨死? ……あれ、タタリが死んだら解決するんじゃないの? いや解決してないんだから、死んでる訳無いか。 そうでなければ、こうして集まっている訳が無い。
……シオン。アンタ、まさか私がわからないように話してないわよね。
「ふむ……じゃが『混沌』を筆頭に、他の悪夢たる存在達もどうにかせねばなるまい」
「ええ、わかっています。それ故に、この事件の根本であろう白猫を倒すべきなのです。あの白猫は自由気ままに姿を現しては悪夢を振り撒いているようですが、何日もタタリを続けながら悪夢を作り出すなどということはかなりの魔力を要するはず。ならば……その魔力の供給源を辿り、それを破壊するだけのこと」
混沌としてるのは私の頭の中の方だって。 ええっと……白猫――――あの白いレンちゃんがタタリってのはわかる。 刹那さんに酷いこと言う悪い子だったから、あれがタタリってことも理解できなくもない。 それで……えっと……白いレンちゃんがタタリを作り出してて、それが続いてて……。
「なるほどのう……力で倒すというのではなく、先にその白い少女の力の源を絶つ、か。しかし、その力の源……探すのは容易なことではなかろう」
「そうでもない。あれだけ膨大な魔力を使用しているのですから、探す場所も限定されましょう。しかし、私はこの町について詳しくない。……それ故に、あなた達の力をお借りしたい」
……………。 あー……頭クラクラする……。 学園長とシオンのやりとりはまだ続いており、終わる気配がまったく感じられなかった。 そこへエヴァちゃんの声が混じり、何か言っているが遠くてよく聞こえない。 視界がユラユラと揺れ始めたかと思ったら、今度はどんどん上がっていき、最後に天井が見えたところで私の意識は途切れた……。 |