【愛衣】
「なあ、シオン。亜子ちゃん……だったっけ? 彼女、何だか俺の方をちらちら見てた気がするんだけど、どんな説明をしたんだ?」
和泉さんを眠らせた後、説明を始めようとしたシオンさんに、志貴さんが小さく手を上げて質問する。 そういえば、確かにシオンさんが説明を終えた後、和泉さんはちらちらと志貴さんの方を見ていた。 私達魔法使いの存在を知られてしまうのは困るが、タタリを倒す現場を目撃してしまったらしい和泉さんを誤魔化すのは難しい。 お姉様と強引に記憶を失わせる手段も考慮して話していたところへ、シオンさんが彼女への説明を任せて欲しいと言ってきたので、何か考えがあるものだと思って任せたのである。
「私にも聞かせてくれるかしら、シオン。もし私達魔法使いについて知られてしまったのなら、彼女の記憶を消すことも考慮しなければならないわ」
「いえ、その必要はありません、高音。彼女の目の前でタタリの模した『何か』を倒したのは、刹那ではなく志貴ですから」
シオンさんの言葉に、ベッドの上で上半身を起こした状態の志貴さんへ視線が注目する。 保健室に至るまでの道中、ネギ先生から話を聞いたのだが、どうやら3−A教室でタタリに襲われたらしい。 そういえば、3−A教室には女生徒の幽霊が出るとかいう噂を聞いたことがあるが、恐らくその噂がタタリとなったのだろう。 戦力を分断するつもりだったのか、3−A教室に刹那さんとこのかさん、志貴さんと和泉さんの四人が閉じ込められたと聞いていたので、刹那さんが倒したものだと思い込んでいた。 でもそうだとすると、そのタタリを倒したのは多分……志貴さんの持つ『眼』だと思うが、やはりその力は謎である。
「まあ、それを見られても特に問題は無いと判断したので、そのまま志貴にはタタリという『霊』を調伏した退魔士ということにして説明しておきました」
「……なあ、シオン。退魔士ってのもバレると不味いんじゃ……?」
「そうですか? どの国でも大概魔法は信じずとも、霊的な現象等について信じる者は多い。この国では、霊現象についてテレビ番組で放送することも多いので尚更でしょう」
なるほど、シオンさんが言ってるのはテレビの心霊番組なんかに出てくるような霊能力者のことか。 志貴さんがその霊能力者になって、タタリを悪霊として退治したと説明すれば、信じる人は信じる……と思う。 まあ信じる人、信じない人といるだろうが、和泉さんの様子からすると前者のように思えた。 それに、と付け加えながらシオンさんは志貴さんをジト目で見据える。
「どうやら彼女にとって志貴は、危機を二度も救ってくれた『白馬の王子様』のようですから、そのような些事を気にすることはないかと思います。……良かったですねえ、志貴?」
「……ねえ、愛衣ちゃん。何だか、シオンの目がとっても冷たい気がするんだけど……」
志貴さんは何だか怯えたような顔で、近くに立っていた私に話しかけてくる。 うん、私の目にもシオンさんが怒っているように見えます。 でも下手すると私にも被害が及びますから、助けを求めないでくださいね? 何も言わず笑顔に拒絶の意思を込めると、志貴さんも察してくれたらしく、大人しく引き下がってくれた。 ……すいません、シオンさんとお姉様二人を相手にして生きていられる希望無いので。
「まあこれくらいのことは初めから予測済みでしたから、大したことではありませんが……」
「予測済みなんだ……。て言うか、和泉さんの危機を二度も救ってくれたってどういうこと?」
「ああ、それは――――」
アスナさんの問いに、志貴さんは思い出すような仕草を見せながら話していく。 話によると、一昨日の夕方に商店街の道を歩いている途中、ふと向かい側から歩いてくる女の子……亜子さんの背後で、不自然に歩調を合わせて歩く不審な男を見つけたのだという。 その時の亜子さんは全身をカタカタと震わせながら酷く青ざめた顔をしていて、志貴さんが気になってよく見てみれば、男の手元から亜子さんの背中にキラリと輝く刃が向けられていたのが見えたらしい。 それでピンときた志貴さんが擦れ違い様に男の鳩尾に掌底を喰らわせ、屈んだ首筋に手刀を落とし気絶させたのだそうだ。 ふと、昨日の新聞の記事に、商店街で連続殺人犯が逮捕されたというものがあった事を思い出し、納得する。
「二度も命を救われたのならば、運命を信じたくなるのも仕方ないでしょうねえ……」
シオンさんの冷たい視線を受けて、志貴さんはひょこりと姿を現した黒い方のレンさんを撫でながら必死に目を逸らしていた。
〜朧月〜
【ネギ】
「まあいいです。とにかく、志貴はここでしばらく休んでから宿泊先へと向かってください」
「ああ、わかってるって。シオンの方も……無茶するなよ?」
「気遣い感謝します、志貴。――――夢魔、元を辿れば元凶はあなたですが、今は無駄な争いはすべきではない。……私達に代わって、志貴をお願いします」
志貴さんの体を心配したシオンさんの言葉に、志貴さんもシオンさんを気遣う言葉を返す。 シオンさんはその言葉に小さく頷くと、レンさんの方に視線を向け、頭を下げる。 そういえば白いレンさんは、黒いレンさんから分かれた存在だとシオンさんが言っていたっけ。 黒猫の姿のレンさんは志貴さんの隣で横になりながら、シオンさんの方へ顔を向けて何も言わずにじっと見つめているだけだったが、恐らくシオンさんには伝わっているのだろう。 そして、最後に僕らの方へ体を向けると、シオンさんは深く頭を下げて告げてきた。
「……志貴を、お願いします」
シオンさんの真剣な表情を見れば、本当に志貴さんのことを心配しているのがわかる。 詳しくはわからないが、先程の戦いで志貴さんがタタリを倒し得るだけの力を持っていることはわかった。 けれど同時に、大きな弱点も明らかになっている。 志貴さんは僕達魔法使いの持つ障壁や、アスナさん達のように身を守る魔力の壁を持っておらず、一般人と同程度の防御力しかない。 一撃でも喰らってしまえば、それだけで死んでしまいかねないのだ。 志貴さんの身を案じてしまうのも頷けるが、それでもシオンさんは志貴さんが戦うことを強く止めようとはしない。
……アトラスの錬金術師であるシオンさんのことだ。 恐らくその危険性を考慮して尚、大丈夫だと思える何かが志貴さんにはあるのだろう。 保健室から出て行こうとするシオンさんの背中に、問いかけてみた。
「シオンさん。……本当に、志貴さんがタタリと戦っても構わないんですか?」
「――――ええ。言ったところで、どうせ聞いてくれませんから」
僕の言葉に立ち止まったシオンさんは、振り向いて小さく悲しそうな笑みを浮かべながら答える。 そして最後に志貴さんの方をしばらく心配そうに見つめた後、いつもの冷静な表情に戻って高音さん達と共に保健室から出て行った。
シオンさんが去ってから、志貴さんは一つ大きく深く息を吐き出し、静かに眠りへと落ちていった。 その寝顔はまるで死んでしまったかのように白く、寝息も低くて、呼吸による胸の上下も真横から見ないとわからないほど小さい。 パッと見、死んでいるようにしか見えないと思う。 近くで見ていても、よく見なければ死んでいると思ってしまいそうなほどだ。
「まるで死んでるみたいねー……」
皆同じように思ったらしく、アスナさんの小声で呟いた言葉に保健室にいる皆が首肯する。 隣から亜子さんの静かな寝息は聞こえているのに、志貴さんは近くにいてもまったくと言っていいほど寝息が聞こえてこない。 カチ、コチ、カチ、コチ、という、時計の規則的で無機質な音だけが響いている。 何となく喋ってはいけないようなその雰囲気に、自然と保健室に沈黙が落ちた。 その沈黙の中で色々と考えているうちに、先程のタタリによる被害が気になり、椅子から立ち上がる。 いきなり立ち上がったので、自然と僕に皆の視線が集まった。
「……僕、学園長室に行ってきます。他の魔法先生や魔法生徒達のことも心配ですし」
「あ、ウチ、志貴さん心配やからここに残るわ」
「あ……」
立ち上がった僕に続くように腰を浮かせかけた刹那さんが、このかさんの言葉にそのままの体勢で固まる。 刹那さんはこのかさんとアスナさんの方を見てから、志貴さん、そして僕の方へ視線を巡らせて、困ったような顔を見せていた。 多分刹那さんは、皆で一緒に学園長室へ向かうものだと思っていたのだろう。 しかし、『遠野』姓を名乗る志貴さんを警戒しているらしい刹那さんからすると、アスナさんがいるとは言え、保健室にこのかさんを残していくことには抵抗があるのだろう。 そんな刹那さんに気付いたのか、アスナさんが苦笑を浮かべながら立ち上がる。
「学園長室には私とネギが行ってくるから、刹那さんはここにいる皆をお願いね」
「え……あ、はい。……すみません、アスナさん」
申し訳無さそうに謝る刹那さんに苦笑を返しながら、アスナさんは僕の背中を押して保健室から出る。 保健室の扉を閉じてしばらく廊下を歩いた後、突然立ち止まったアスナさんがくるり、と僕の方へと振り返った。 どうしたのかと思ってじっとアスナさんを見ていると、アスナさんは困ったような顔を浮かべて一つため息を吐き出す。
「……ネギに言ってもしょうがないわよね……」
「む。僕は先生なんですから、何でも相談してくださいよ。そりゃ……力になれないことはあるかもしれないですけど」
頼りにされていないような言葉に、僕は不満を露にする。 とはいえ、頼られても力になれない部分も確かに存在しているけれど、僕はアスナさん達の先生なんだから頼りにして欲しい。 僕が力に慣れなくても、誰か力になれる人を紹介できるかもしれないのだから。 アスナさんは膨れる僕に苦笑しながら、僕の頭を撫でてくしゃくしゃにする。
「いーのよ。多分、私達には何もできない。……あれは、刹那さん自身の気持ちの問題だと思うから」
くしゃくしゃされてボサボサになった髪の毛を直しながら、ちょっと悲しそうな笑顔を浮かべるアスナさんを見る。 突然刹那さんの名が出てきて、何のことかと思って一瞬考えたが、今の刹那さんにおける問題は一つしかない。
「……もしかして、志貴さんのことですか?」
「そ。だけど、余計な手出ししちゃダメだからね」
「なぁに、そんなの俺っちに任せれば……ぶぎゅるっ?!」
「アンタにも言ってんのよ、このエロガモ! まったく、アンタが首突っ込むと大抵碌なことにならないんだから止めなさい!!」
僕の肩の上にいたはずのカモ君が、一瞬の早業でアスナさんの手の内に収まって握られている。 アスナさんの手の中から抜け出そうと必死にもがくカモ君と、カモ君に説教するアスナさんに苦笑を漏らす。 確かに刹那さんのことも気になったが……僕はさっきの3−A教室で見た、志貴さんの蒼い瞳が気になっていた。 畏怖すら感じた、志貴さんのあの『眼』。 白いレンさんとの戦いの中でも眼鏡を外していたが、それだけを見る限りでは、大抵の魔眼のように視ることで外界に何らかの影響を及ぼすタイプのものでは無いと思う。 視えるだけなのか、それとも――――
「ほら、ネギ。何ぼさっとしてるの? 学園長室行くんだったら早く行きましょ」
「あ……は、はい。すみません、アスナさん」
何か引っかかるものを感じながらも、アスナさんがさっさと歩き始めたので僕も慌ててその後を追う。
☆
□今日のNG■
高音さん、愛衣ちゃんと共に保健室の出口へ向かって歩いていくシオンの足音を聞きながら、一つため息を漏らす。 色々ととやかく説教されそうな気がしていたものだから、安堵したというか何というか。 しかし、そのまま保健室から出て聞こえなくなると思っていた、カツカツというシオンの規則正しい足音が突然止まる。 そして……
「ああ、そうそう……一つ言い忘れていました。――――志貴、今の内に生を謳歌しておくことです」
……そんな、冷たい声が、聞こえた。 死刑宣告ってこんなんなのかなーあははははははははははははは。
「秋葉は髪を真っ赤にして怒り狂っていましたし、翡翠もフライパンのスイングに余念がありませんでした。琥珀に至っては言うまでも無く――――」
うわーい聞きたくねぇー。 そして帰りたくねぇー。 まるで刑を読み上げる裁判官の如く冷静に告げていくシオンに、俺は胃がキリキリと痛むのを感じながら下手に出てみることにした。
「あの……シオン、さん。いや、シオン様。報告はなるべく緩めにお願い――――」
「事細かに、伝え漏れ等無いようにしっかり伝えておきますから、ご安心を。それでは」
シオンはとっても爽やかな笑顔を見せて去っていった。 俺は彼女を止める術も思い浮かばずに、想像に容易い未来を幻視して深いため息を吐く。 ふと視線を感じてそちらへ顔を向けると、事情を知らないであろうネギ君達から同情の目を向けられていた。
――――安○先生……平穏が欲しいとです……。マジで。切実に。 |