【千草】
呪符で魔力を消し、スーツ姿に変装した天ヶ崎千草は、人込みに紛れ込みながら商店街を歩いていた。 周囲からの視線を感じていたが、その視線はどうせ町行く男達の視線なので特に気にせず、町の中をつぶさに観察していく。 前回このかを攫うことに失敗してしまったので、警戒は強化されているはず。 なら、その警戒が多少緩んでいる隙を狙うしかない。
「(商店街からの帰り道は既に警戒されているわな……。せやったら、他に警戒の緩むような……)」
ふと立ち止まり、周囲に視線を巡らせてみる。 特に関心も持たずに、千草の横を通り過ぎていく人の波。
その人の波間に見えた――――黒縁眼鏡の男の姿。
「っ……!!」
無意識の内に、千草の体が震える。 道の途中に置かれたベンチに腰を下ろして休む、見覚えのある黒縁眼鏡の男――――遠野志貴から、目を離せない。 その千草の視線を感じたのか、ふと顔を上げた志貴と視線が合ってしまう。 殺される……昨日のことからそう考えた千草は、悟られぬように後ろ手に呪符を構える。 しかし、志貴は訝しげな顔をしながら小さく頭を下げただけで、攻撃を仕掛けてくるような気配は無い。
「(な、何や……気付いてなかったんか。驚かせよってからに。……ちょい待ち。気付いてないんやったら――――)」
昨日このかを助けたことからすると、志貴が彼女らの仲間か何かだと考えるのが妥当だろう。 なら、警戒しないであろうその仲間を、千草が意のままに操り、不意を突いて攫ってこさせればいいのではないか。 ついでに、あの熊鬼を消滅させた『力』についても聞き出せるかもしれない。 千草は突然浮かんだ作戦を、頭の中で即座に練り上げていく。 そして周囲を見回して辺りにアスナやこのか達の姿が無いことを確認すると、営業用スマイルを浮かべながら志貴へと近づいていった。
「こんにちは。……隣、いいかしら?」
「え? あ……はい。どうぞ」
志貴は突然見知らぬ女性である千草に声をかけられて、多少戸惑うような顔をしながらも接近を許した。 心の中でほくそ笑みながら、しかし先程と変わらずのんびりとしているように見えて、いつでも動けるようにさり気無く重心を動かしていた志貴に、決して侮らぬよう千草は自らに警告する。 千草の方から話しかけなければ特に話すつもりが無いのか、志貴は目の前を流れる人の流れをぼうっと見つめていた。 それこそ好都合とばかりに、千草は腰の辺りに隠しておいた、相手を傀儡とする呪符に手を伸ばしかけ、止める。 もしこの男も七夜の血を引いているのだとすれば、不穏な気配で悟られてしまう可能性もある。 焦りは禁物……自らにそう言い聞かせ、話しかけて警戒を解くことを優先することにした。
「初めまして。私は 浅間ヶ口 咲。……関東魔法協会に所属する者です」
「ああ、初めまして。俺は遠野志貴です。……えっと……咲さんは、さっきの集まりの時に見かけなかった気がするんですが……」
「え? あ……ああ、少し用事を頼まれて、外へ出ていたんです」
偽名を使い、この町を統括する関東魔法協会を名乗って近づくと、あっさりと警戒を解いて自ら名乗り返してきた。 しかし先程まで何か集まりがあったらしく、咄嗟に頼みごとで席を外していたと告げる。 苦しい言い訳だとも思ったが、志貴は特に疑問に思うでもなく信じたようだった。
「……そう、ですか。……じゃあ、自己紹介のついでに一応話しておいた方がいいのかな?」
そう言って声を少し潜めると、志貴は自らの本当の姓が七夜であることを告げ、遠野姓を名乗るに至るまでの経緯について簡潔に話す。 ぽつり、ぽつりと呟くように告げられていくその過去に、千草は自らの底に抑えていた何かが首をもたげるのを感じた。
――――両親を殺害され、まるで玩具のように自らの運命を翻弄されたというのに、目の前の男は何故復讐を考えないのか。
千草の中でもたげたモノ……それは、自らと同じく両親を殺されたというのに、その仇である男の娘と同じ家に暮らしていて、いつでも復讐できるというのに、何もせず、それどころか一緒に穏やかに暮らしているという遠野志貴に対する『怒り』だった。 記憶を弄られ敵意を持たないようにされたとは言え、今は七夜という本当の親を、一族を皆殺しにされたという事実を知っている。 なのに、目の前の男はその事実を知って尚、復讐しようと考えていないというのだ。
「何故……復讐しようと考えないんですか? 近くにいて、いつでも殺せるというのに……」
怒りに歪んだ自らの表情を見られぬように俯きながら、志貴に問いかけた。 先程と変わらぬように、努めて冷静に問いかけたつもりだったが、その言葉の端々に怒りの感情が見て取れる。 千草の手は自然と腰に隠した呪符へと伸び、隙を窺いながら志貴からの返答を待っていた。 しかし、志貴はそれに答えず、突然立ち上がる。 バレたかと思い、別の呪符に手を伸ばしていつでも逃げられるように構えたが、志貴は千草のことなど見ていなかった。 驚いたような目でまっすぐ見つめる、その視線の先には――――
「弓、塚……?」
そこには、目を丸くしたツインテールの女の子が固まっていた。
〜朧月〜
【さつき】
「わったし さっちん きゅうけつき〜……♪ …………うう、シオン帰ってこないよう……」
部屋の隅で体育座りしながら、寂しく歌う私こと弓塚さつき……。 この豪勢な部屋の居心地が悪いという訳ではないのだが、ダンボールハウスで暮らし慣れているせいなのか、どこか気後れしてしまい、自分がこの部屋にいることが場違いに思えてきてしまうのだ。 シオンは遠野家に居候しているから慣れているのかもしれないが、実家も平凡、性格も平凡、成績も平凡だった私ではとても慣れることはできそうに無い。 普段シオンと一緒に部屋にいる時はそれほど気にならなかったのだが、こんな豪勢なお部屋にこうして一人取り残されるというのは、正直、落ち着かなくてそわそわしてしまう。
「……よし、シオンを捜しに行こう!」
私は突発的な思いつきで立ち上がり、ホテルの外へと向かう。 幸い、外は曇り。雲の切れ目からたまに射す陽光はそれほど強くなく、今の私なら歩けないことも無い程度のものだ。 ……普通に考えれば、入れ違いになる可能性があるのでそのまま待っていれば良かったのだろうが、その時の私の精神状態は普通ではなかったのである。
――――まあ。これが私の一生の中で、たった一度だけの最良の選択だった訳だが。
「えーっと……確かこっちの方で合ってるはず……だよね?」
朝、タカミチさんの車の中で聞いた目的地である、麻帆良学園女子中等部校舎。 タカミチさんの車の向かっていた方向を思い出しながら歩いていると、商店街らしき場所に辿り着いた。 こんな場所通ったっけ、と思いながらもフラフラと商店街を歩いていく。 休日だからなのか、それとも普段からそうなのか、商店街の道には人の波が途切れなく続いている。 もしかして道を間違えたかなと思った、その時――――
人の波間に見えた、見覚えのある、男の子の姿。
ド、クン――――……! 周りの雑踏の音が消えて、心臓の音すら聞こえなくなる。 古臭い黒縁眼鏡に、サラサラフワフワな黒髪の、私が好意を寄せていた男の子。 隣に何か良くない女の人の姿が見えたが、そんなことを気にしている余裕など無かった。 ……逃げなきゃ。 逃げなきゃ私が壊れちゃう。 頭の中でパニックに陥りながらそう叫んでいるのに、体は硬直して一向に動こうとしない。 そんなことをしているうちに、私の視線に気付いた遠野君が立ち上がってポカンとした表情でこちらを見てきた。
「弓、塚……?」
それなりに距離があったはずなのに、遠野君がそう呟いたのが聞こえた気がした。
嬉しい。 遠野君が、私のことを覚えていてくれた。
でも……苦しい。 あの日の、あの夜の記憶。 遠野君に、罪を背負わせてしまった記憶。 酷いことも、言った。
――――『あなたは生粋の殺人鬼だわ』
――――『……あなたはそういう人よ。今の私と同じで、人を殺さないと生きていけない人』
あの時の私は、遠野君のことを何も理解していなかった。 確かに、遠野君にはそういった部分はある。 それが知りたくて、ただそこだけを見て――――普段の優しい部分なんて、一片たりとて省みていなかった。
――――『人を殺す罪悪感より、命を奪うっていう優越感の方が、何倍も気持ちいいんだから』
あの時の私は、もうどうしようもないまでに人として終わっていた。 生きるために人を殺して、血を吸って、その度に人としての心を失っていって。 あのままだったら、遠野君に殺されなくても、いずれシエル先輩や他の人達に殺されていただろう。 でも、最期の瞬間に気付けたのは――――それが遠野君だったから。
「弓塚、なんだよな……?」
「あ――――……う、うん。そ、そう、だよ、遠野君」
頭の中で以前のことが思い出されて、これが走馬灯っていうやつなのかなー、とか思いつつ、突然かけられた遠野君の声に緊張してドモりながら答える。 以前の自らの意思で吸血鬼と成った私は、自分の心を包み隠さず告げていた。 自分があの時言ったことを他にも色々と思い出してしまい、顔が真っ赤になっていくのが自分でもよくわかる。 うわー、よくあんなこと言えたな、私。 吸血鬼になってたってのもあるかもしれないけど、それにしたって突然生き返るなんて聞いてない。 生き返ったことに感謝しつつも、生き返るんならあんなこと言わなきゃ良かったと心の中で頭を抱えて後悔の嵐。
遠野君は呆然とした顔のまま、私を見ていた。 と、突然後ろから誰かに押されてつんのめってしまう。 振り返ってみれば、そこには少女の姿になった黒猫さんが立っていた。 私は黒猫さんに押されるがまま、遠野君の前に立ってしまう。 とりあえず、そのまま往来で突っ立っていると目立ってしまうので、遠野君との間に黒猫さんを置いてベンチに腰を下ろす。 さっきまで遠野君の隣に誰かいたような気がしたけど、既にどこかへ行ってしまったみたいだし、特に気に留めないことにする。
「弓塚、生きてたんだな。色々と聞きたいこともあるけど、とりあえず――――……ゴメン。ピンチの時は助けるって約束したのに、助けられなかった。それと……ありがとう。生きててくれて、本当に良かった」
「う、ううん、あれは私が馬鹿だったってだけで、遠野君は何も悪くないよ。……あの時、私言ったよね? 『死』が救いになることもあるんだ、って。あれは、本当の気持ちだったんだよ?」
私の言葉を聞いても、遠野君は悲しそうな笑顔を浮かべたまま俯いている。 きっと、どれだけ言っても、遠野君の心のどこかに罪悪感は残り続けるだろう。
遠野君は、優しい。 だから――――私の死を背負ってしまっている。 あの日、学校の帰り道にした約束が、遠野君を苦しめ続けているんだ。 自分が生きていることだけを喜び、私のことなんて忘れてしまえば良かったのに。 ……でも、やっぱり覚えていてくれたことは嬉しくて、心の中では喜んでいる自分がいるのも確かである。
以上、弓塚さつきの複雑な乙女心なのでした、まる。
☆
□今日のN……裏話■
――――蒼崎青子。
原色『青』の称号を与えられた、魔術協会の定義における魔法使いの一人。 第五魔法の使い手で、第四の魔法使い。 幼い遠野志貴に魔眼殺しを与え、正しく生きることを教えた、人生の師でもある。 さて、ではその当人はどうしているのかと言えば――――
「んー……もうお昼かぁ……。ふあああぁぁぁ……」
……昼になってようやく起きていた。
適当に選んだ宿に泊まって、食っちゃ寝を繰り返すこと三日。 ノロノロと布団から這いずり出ようとして、そのまま二度寝なんてことは当然だった。 とても志貴には見せられない姿である。 いや、見ても特に問題は無いかもしれないが、色々と問題はある。 魔術協会から原色の称号を得た魔法使いとして、志貴にとっての人生の師として、そして何より―――― 一人の女として。
彼女の恋愛観は極めてクールで、自分の感情が確かなら相手の感情など知る必要はない……らしいのだが、姉と同じく根がロマンチストなので少しだけ愛し愛される関係に憧れているらしい。 ……そういう関係になりたいというのなら、もう少ししっかりした方がよろしいと思うのですがどうか。
「んーむ魔術協会も魔法協会も、私に対していいイメージ持ってないからなぁ……。下手にフラフラ出歩いたりしたら警戒されちゃうだろうし……。ん〜……志貴には悪いけど、今しばらくの間は頑張ってもらおうかしら〜……」
ブツブツと言い訳めいたことを呟きながら、再び眠りの世界へと落ちていった。
「子を千尋の谷に突き落とす親ライオンの気持ち……じゃないわね。私、親じゃないし。……まあいいや。おやすみぃ〜…………」 |