ネギ補佐生徒 第21話
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「さ、わ……む、ら……さ、ん」 熟れすぎた果物が潰れるような音が、ネギにはっきりと聞こえてきた。 地から伸びた石の槍が、澤村の身体を貫いている。 貫かれた澤村は、だらりと五体をたらしていて……槍に引っかかっているただの人形のように見えた。 それを否定するかのように、ぼたぼたと真っ赤な血が流れている。 口から、腕から、腹部から、足から――――― 死んで、しまったのだろうか。 「澤村さん!!」 それを否定しようと、まだ痛む腹部を抑えて声を荒げた。 しかし澤村は、呼びかけても飾り物のように動かない。 死という文字がネギの意思とは関係なく、体に浸透していく。 それはネギだけではなかった。 刹那も木乃香も明日菜も……それを見た全員がそうだった。 皆、痛みから動くことができず、ただ澤村を見るだけ。 そんな中フェイトは、石の槍にぶら下がる澤村の傍へ歩み寄る。 まずい、とネギは体を動かそうとしたが、右肩まで石化した体がそれを許さない。 情けない話だが、明日菜達に頼るしかない。 まだダメージの残る刹那と明日菜が立ち上がり、フェイトの所へと走りよる。 これ以上、フェイトが何か行動に起こしてしまえば、澤村の命は確実に終わりを告げてしまう。 だから、間に合え――――――! そして、ネギは霞む視界の中―――――それを見た。 澤村が、フェイトの右腕を左手でしっかりと掴んで、 「そんなこと……もう嫌ってほど知ったってーの」 汗と血を流しながら、ニカリと笑って見せたのを。 ネギ補佐生徒 第21話 長き夜の終わりと明ける朝 「澤村さん!」 「澤村君!」 それぞれの得物を構えた明日菜と刹那がフェイトに躍り掛かる。 フェイトはそれに対応するために、澤村に捕まれた腕を振り払った。 今だに石の槍に体を貫かれている澤村がフェイトに力で勝つことなどできるはずもなく、あっさりと振り払われてしまう。 澤村は、野球ボールほどの太さがある石の槍が、腹部を貫いているという事実に吐き気を覚えた。 正直、さっきのは時間稼ぎだ。 自分の死を遅らせるための、つまらない足掻きだと澤村は自負している。 一瞬熱くなった体は、血が流れるたびに冷えていった。 石の槍が自分の体重で食い込むたびに、激痛が走る。 むせ返るような血の匂いと味。 失われていく血。 意識が、遠のきそうだった。 そんな体で回りを見渡す。 右半身が石化していて、素人である自分から見ても生命の危機だということのわかるネギ。 自分の状態を見て、泣きながら何か叫んでいる木乃香。 フェイトの攻撃を受けながらも、自分を救おうと戦う刹那と明日菜。 上空で銃器を構えている茶々丸。 同じく上空で呪文を唱え、巨大な鬼を凍りづけにしているエヴァンジェリン。 鬼の方は終盤へと向っているようだった。 だがこちらの状況はよくない。 フェイトの攻撃で更に傷ついていく少女に自分の身を案ずる少女、そして……今にも倒れそうな少年。 自分を助けてくれた人達が、危険に晒されている。 澤村は思う。 ――――――自分が、動かなくては。 このままでは、謝りたい人達を失ってしまう―――――! 幸い、フェイトは刹那と明日菜の相手をしているため、澤村から大部離れている。 アクションを起こすなら、今だ。 震える手で、石の槍を掴む。 澤村は、これから起こることを考え、目を閉じた。 息をくっと止め―――――腕に力こめて石の槍を握った。 石の槍から逃れるために。 「ぐ……」 体が動くたびに、体の中身が出てきそうな感覚が襲う。 喉から出てくる血を口の中にためこむ。 今、口の中のものを吐けば、腕の力が抜けそうだった。 ゆっくりと、ゆっくりと……澤村の体が動く。 斜めに刺さっている石の槍の先端に行くごとに、宙に浮いていく自分の体。 先端が、自分の体の中央にあるのが、痛みと吐き気がしそうなほどの異物感でわかった。 石の槍を両手でしっかりと掴み直す。 歯を噛締める。 目を見開く。 そして、 「ぐぁぁぁあ!!」 叫び声を上げて石の槍から体を抜いた。 体中を駆け巡る痛覚が引き千切れそうな激痛を感じながら地に仰向けで沈み込んでいく澤村の体。 石の槍が塞いでいた傷口から、血が流れ出ていくのがわかる。 細い息をしつつ、澤村は起き上がった。 ガクガクと悲鳴を上げる足が腹立たしい。 「君も無駄な足掻きが好きだね」 刹那の刀をゆらりと躱しながらフェイトが無機質に言った。 その言葉に答えることもせず、澤村は重い体を無理矢理動かして前へと進む。 フェイトの蹴りが、刹那の脇に入る。 普通なら、そこで彼女はまたその体を吹き飛ばされるはずだった。 しかし、 「明日菜さん!」 「うん!」 刹那の小脇に挟まれるフェイトの足。 完璧にフェイトの動きを止めていた。 澤村は霞みつつある視界でそれを見届けている。 そしてフェイトが刹那に拳をぶつける前に、明日菜がハマノツルギを横へとふるった。 腕でそれを受けたフェイトに、澤村は衝動的に足を前へと出した。 第2波を放つ明日菜に続くように、澤村はフェイトにしがみ付いた。 フェイトの腰と肩に腕を回し、もう放さないと言わんばかりに力を込める。 そのまま地面へと倒れ込み。 澤村は、口に堪っていた血を吐き出しながら、叫んだ。 「エヴァンジェリィーーーーーーィイン!!!」 その場に高々と響く、喉が掻き切れそうな声。 情けないけれど、彼女を頼るしかない。 自分が抑えている間に、彼女にこの危機を知らせるしか、澤村にはできないのだ。 足もフェイトの体に絡める。 正直端から見たらとてもおかしな光景だろう。 けれども、澤村にそんなことを気にしているほどの余裕と体力はなかった。 ここまでしなければ、先ほどと同じように、フェイトに振り払われてしまうから。 少しでも力を緩めれば、引き離されてしまう。 くっついていれば、フェイトの水を使った瞬間移動魔法は使っても意味がない。 澤村は、自分の声がエヴァンジェリンに届いたことを願いながらも自分の胸の中で放つフェイトの攻撃を受け続けた。 「ぐ、が……」 傷口に容赦なく叩き込まれる強打が、意識を朦朧とさせる。 口の中に溜まって行く血の味が気持ち悪さを引き立たせた。 そんな中で、 「澤村君!」 「澤村さん!」 「翔騎君!」 体に感じる重み。 声でわかった。 誰が、自分を助けてくれているのか。 更に力を込める。 ――――――ここでフェイトに振り払われれば、彼女達もただでは済まされない――――! 絶対に離すものかと澤村は、朦朧とする意識にムチを打つつもりで目を見開いた。 目を瞑るな。今瞑ったら確実に意識を手放してしまう。 そして意識を手放してしまえば、待つのは死のみだ。 彼女達に謝るまで、彼女たちも自分も失うわけにはいかない! そう自分に言い聞かせていると、 「よく耐えたな、澤村翔騎。一応誉めてやろう」 声が頭に降りかかった。 念話の時とは違い、耳を通して間接的に聞こえてくる声。 震える頭を上げれば―――――― 「エヴァン……ジェリン」 澤村の表情が緩む。 大丈夫。 これでもう大丈夫だ。 涙が出そうなほどの安堵感に浸かっていく澤村の意識は、少しずつ機能を失っていく。 けれど、ここで眠れば……自分はきっと目覚めることがない自信が澤村にはあった。 自分の体の下からフェイトがエヴァンジェリンに引きずり出されるのを感じつつも澤村は、ごぼりと血を吐き出す。 喉から血があふれ出てくる。 上を向いたら、きっと呼吸ができなくなると思い、澤村はそのままのうつ伏せで寝転んだままになった。 澤村の背に感じる重みがなくなると同時、 「翔騎君!」 それと同時に木乃香の声が澤村の耳に届く。 答える余裕は、なかった。 空気を吸っても全然酸素が脳に回らない。 澤村の視界には、渡り板とゆっくりと倒れていくネギの姿。 ごとん、と地に接触している澤村の耳に響いた。 澤村の位置ではネギの表情が伺えないが、慌てて抱き起こした明日菜の表情は見えた。 愕然とする彼女の様子からして、よくないのだろう。 でも全てが終わった。 木乃香がシネマ村でみせた治癒力があればきっとネギも自分も、助かるという確信がある。 だから澤村は、フェイトはどうなったか気になった。 言葉にならないか細い声で、近くにいると思われる木乃香に問う。 彼女は初め、澤村の声が聞こえていなかったらしく、澤村の口元に形のいい耳を向けてきた。 もう一度、声を出す。 だが、木乃香から答えを聞く前に―――――勢いよく水を切り裂く音が聞こえてきた。 なんとなく。なんとなくだが澤村はこれが何を意味するのか理解する。 それを肯定するかのように、フェイトの声がした。 「……なるほど。相手が吸血鬼の真祖では分が悪い。今日のところは僕も退くことにするよ……」 パシャン、と音を立てて消え去る殺気。 つまり、この戦いは本当に終わりを告げたのであろう。 「お嬢様……」 遠慮がちな刹那の声。 複数の足音がする。 うつ伏せになっている澤村には、誰がいて誰が何をしているのかさっぱりわからなかった。 ざわざわと声がする。 誰かが誰かと話しているようだ。 朦朧とする意識では、それを理解することはできなかった。 ただ、わかったのは。 ――――――眩い光が、自分を包み込んだということだけ。 近衛木乃香の仮契約による力によって、その場にいた者の傷が癒えていく。 それは、澤村もネギも同じだった。 真名は、自分の足元で刹那に抱き起こされている澤村を見る。 服に血がついていて、服も穴が空いていたが、その穴から覗く彼の体には異常はない。 傷は完璧に癒えていた。 皆、澤村とネギの様子に歓声を上げた。 澤村は、刹那から離れまだしっかりとしていないはずの体で立ち上がる。 「あ、れ……なんで龍宮さん達まで……」 首を傾げて自分を見詰めてくる澤村に、真名は助っ人だ、と言葉を返す。 それだけで、彼は理解したらしい。 そっか、とどこか悲しげな表情で短く答えた。 澤村の傷は癒えたものの完璧に回復はしていないらしく、ふらふらとした足取りでエヴァンジェリンの元へと彼は歩いていった。 ……彼の偽者については、あとで話すことにしよう。 澤村をまだ少し心配そうに見詰めている刹那に真名は近寄り、こう言った。 「お疲れ様、と言っておこうか」 「龍宮……助かった、礼を言う」 刹那らしい返答に、真名は微笑で返す。 「報酬は後でたっぷりもらうよ」 ちょっとした戯れ言、戯れ。 刹那もそれがわかったらしく、かわいらしい笑みを浮かべた。 少しだけ真名はそれに目を丸くする。 たった一日で、こんなにも人というのは雰囲気が変わるのだろうか、と。 ずいぶん彼女は性格が丸くなった気がする。 今までの彼女は、夕凪という彼女が愛用する刀のような人物だった。 研ぎ澄まされた刀のように、触れれば切れるような、そういう人間。 だが今の彼女は違っていた。 仕事の仲間としては喜ばしいことなのか少々複雑ではあるが、友人としてはとても喜ばしいことである。 だから、ここは笑顔で彼女と話そう。 真名は刹那に笑顔を向けた。 「正直、聞こえていないと思ったよ、俺の声」 エヴァンジェリンはおぼつかない足取りで近寄ってきた澤村を視界に入れた。 澤村の言葉に、エヴァンジェリンはフンと鼻を鳴らす。 「子供みたいな大声で叫ばれれば嫌でも聞こえる。というか、気安く呼び捨てにするな」 キッと澤村を睨み付けるが、澤村は苦笑を浮かべるだけだった。 そこに何故だか苛立ちを感じるが澤村はそんなことを気にしている素振りすら見せない。 エヴァンジェリンの傍らでネギの様子を伺っている。 「お前、心配なら見に行けばいいだろう」 その言葉に澤村は気まずそうに頭を掻いてみせる。 フン、とエヴァンジェリンは鼻を鳴らす。 うじうじした澤村の姿に苛立ちを感じたからだ。 澤村は、回りをキョロキョロと落ち着きがない様子で見ている。 その様子が更に苛立つ。 いい加減鬱陶しくなり、殴ってやろうかと拳を握った時、 「……俺、皆に、その……聞いて欲しいことがあるんだ」 澤村が、躊躇いながらも言った。 歓声が止み、その場にいた全員が澤村を見る。急に視線が集まるものだから、澤村は一歩足を退く。 どうやら視線が集まって怖気づいたようだった。 エヴァンジェリンはその様子を見て、思い切り澤村の腰を平手で叩いた。 「いってぇぇぇえ!!」 明日菜が刹那の背中を叩いたときのような爽快な音と澤村の叫びが響く。 因みにエヴァンジェリンが澤村の腰を叩いたのは、二人の背の違いからだ。 腰を摩りながら澤村がエヴァンジェリンを見る。 「早く言え」 エヴァンジェリンのそんな返答に、澤村は苦笑して彼女の顔を見てから姿勢を整え、 「俺、皆に謝りたい」 はっきりとそう言った。 まるでエヴァンジェリンの平手で勇気を貰ったかのように。 エヴァンジェリンは、そんな澤村の横顔を見つめる。 その横顔は、ナギとは全く似ていない。 頼りない横顔だった。 そんな澤村は、 「皆が怪我をしてまで、戦っていたのに……俺、どうなってもいいと思ってた」 小声で語りはじめた。 この時、どう思っていた。 あの時、こうしていた。 ゆっくりと。 エヴァンジェリンは、それをずっと聞き入れていた。 彼女と同じように皆も澤村の言葉を聞いている。 気持ちの吐露にも近い澤村の話の中、 「俺っ……近衛さんみたいに魔力があるのに……何にも役に立たなくて、逃げてばっかりでっ」 その言葉にぴくりとエヴァンジェリンの眉が上がった。 脳裏に過ぎるのは、髭と眉毛と頭が妙に長い小憎たらしい老人の顔。 なんのために彼を3−Aに入れたというのだ。 いろいろと厄介なことに巻き込ませて、この少年に何を望んでいるのやら。 学園長の顔を頭の中でげしげしと蹴り飛ばしながらもエヴァンジェリンは、まだ続く澤村の話を聞き入れる。 「興味本位で無駄に首つっこんで……皆に迷惑かけた。化け物が途中で強くなったのも、俺の力が使われたからで……!」 声が震えていた。 泣いているのかとエヴァンジェリンは澤村の顔をちらりと覗き見たが、くしゃりとなった澤村の顔には涙は浮かんでいない。 「力があるのに俺、力の使い方を知ること……力を使うことに怖がって、逃げて」 澤村の拳が強く握られていた。 涙を堪えるように。 そして、 「俺、皆に謝りたかった! ネギ先生や神楽坂さん、桜咲さんが怪我してるのみて、どうしても謝りたかった!」 ずっとずっと……と、声を絞り出す。 その声が場に溶け込むと、沈黙が訪れた。 誰かが声を出す。 誰だかはエヴァンジェリンにもわからない。 わかるのは声を出したのが自分じゃないということ。 声が言葉に変わる前に、澤村は遮った。 「ごめん! 本当に……皆に迷惑をかけてっ……どうなってもいいって、何もしようとも、何も考えようとしなくて、ごめんなさい……っ!」 深く頭を下げる澤村。 言葉にはしなかったが、許しはいらないという気持ちがエヴァンジェリンにも伝わってきた。 ただ、謝りたいがだけ。 それは一方的な気持ちではあった。 けれど、まぁ――――― 「――――――少しは、ましな奴になったようだな」 小さく呟く。 それは、澤村も含め誰の耳にも入ることはなかった。 澤村の言葉に、皆がなんだ、と騒ぎ始めたからだ。 周囲の反応にありがとうと答える澤村を見て、もう一度エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。 その後、関西呪術協会の応援が訪れ、屋敷内で石化していた人物達は、無事元の姿に戻された。 その頃にはもう朝日が覗きはじめており、皆軽くお茶を飲んだ後にはそれぞれ部屋で休憩をとることになった。 澤村も初めは眠ろうと思ったのだが、寝たら起きれない自信があったので、結局こうやって寝ずに廊下を歩いて外の桜を見詰めている。 廊下を曲がってすぐ、建物には合わない綺麗な金髪が澤村の目に飛び込んできた。 エヴァンジェリンだ。彼女は廊下の手すりに据わっており、その横には和服を着こなすロボ、茶々丸の姿があった。 話し掛ける前に、 「刹那さんっ!」 バン、と襖を開く音と 彼女の視線を追えば、荷物を担ぐ刹那の姿だった。 翼を持った少女。 なぜかその場には踏み込んではいけないように思えた。 だから曲がり角に身を隠そう……としたが、やめた。 盗み聞きするのは、よくないだろうと思ったからだ。 どうせバレているだろうし。 刹那とネギが一族の掟やらオコジョやらとぎゃーぎゃー騒ぐ中、茶々丸からお茶を受け取るエヴァンジェリンに近づく。 「……子供のじゃれあいみたいだな」 思わず苦笑する。 二人とも、あの戦いの時のような凛々しい表情の面影すらなかったからだ。 刹那の腰に抱き付いているネギ。 刹那はそんなネギを振り払おうとするのだが、ネギがぶんぶん揺さぶられるだけだった。 何でもめているのかは、想像が付く。 大方、彼女がここから去ろうとしていてネギがそれを止めようとしている、というところであろう。 「――――――お前はどうする気なんだ」 ずずっとお茶を啜るエヴァンジェリンを見詰める。 金髪幼女が日本茶を啜る姿はとてもおかしかったが、今笑えばまた鳩尾に拳をもらうことになるだろう。 だがそれよりもエヴァンジェリンの放った言葉に、澤村は気をもっていかれた。 「どう、する……って?」 エヴァンジェリンを見詰めたまま、固い音色で澤村は答えた。 エヴァンジェリンの鋭い目が、澤村を捕らえる。 「残るのか、去るのか」 二者択一。 ――――――ネギの補佐生徒を止めて、学園長達に守られて生活を送るか。 ――――――ネギの補佐生徒を続けて、魔法使いとして生きていくか。 極論ではあるが、たぶんどちらかしか選ぶことはできない。 逃げるならずっと逃げて、自分の愚かさを背負っていく。 進むのならずっと進んで、恐怖と立ち向かっていくか。 「俺は――――――」 「大変よ、刹那さーんっ!」 「せっちゃんせっちゃん、大変やー!」 真面目な顔をしてエヴァンジェリンに言葉を返そうとしたのに、それはあっけなく遮られた。 恨めしく思い、澤村は明日菜達を見る。 すると、 「実は、3−Aの旅館に飛ばした私達の身代わりの紙型が大暴れしてるらしいのよっ!」 血の気がすっと引いた。 澤村の危険レーダーがブイブイいっている。 紙型、というのは以前ネギが使用してとんでもないことをよんだ、あの紙型だ。 なるほど、なんとかなるとは紙型のことだったのか、と澤村は固まりつつある頭の中で思う。 てっきり学園長を通じて適当な理由をつけてくれているのかとばかり思っていたのだが、そうではないらしい。 カモ達の話によれば、偽者はずいぶん本物とは違った性格になるらしい。 それは随分いただけないことだ。 偽者の自分が何をするか。 もし下手なことをしてしまえば、澤村の株は急降下。右肩下がり。没落貴族。地獄へ決死のダイビング。 澤村は頭を抱える。 まずい。それは非常にまずいことである。 ただでさえ澤村の評判はあまりいい物ではない。 自分の人生にとって大きな分岐点にもなる選択も大事だが、どちらにせよ自分はまだ麻帆良学園という環境には身を置かねばならない。 それなのに、自分の評判やらキャラやらを壊されるなんて、たまった物ではない。 ぞろぞろと現れてきたクラスメイト達に慌てて続く。 群れの一番後ろを走る刹那の横を通り過ぎる時、ふと思い出した。 ――――――女神と天使みたいだ。 自分、結構を恥ずかしいこと言っちゃったのでは? 澤村は熱くなる顔を片手で片す。 走るスピードもどんどん落ちていった。 いや、疑問系にしなくても恥ずかしいことである。 とうとう澤村の歩が止まった。 気まずい。気まずすぎる。 女神と天使ってどれだけ青臭いことを言っているのだろうか。 普通ひく。言われたらひく。 澤村の思考がぐるぐると回り続ける。エンドレス。 イギリス暮らしより日本の暮らしの方が長い澤村には、さらりと女性を誉めるスキルなんてない。 いや、そういった言葉が頭に浮かぶ辺りはそういった素質があるのやもしれないが、さすがに口には出さない。 あの時、澤村の頭の中には、言葉を思い浮かべるということができなかった。 思い浮かべる前に、口から出した言葉が、あの言葉。 これは参った。 澤村の手は、まだ顔に添えられている。 真っ赤になった顔はすぐに直ってくれない。 きっと刹那と木乃香を目の前にしてしまったら、きっと今と同じようになってしまう。 恥ずかしい。すごく恥ずかしい。 「澤村さーん!! どうしたんですかー!?」 もう一度頭を抱え込もうとした澤村にネギの元気な声。 顔を上げると、ネギの姿があった。 澤村は、自分が抱えた重大なミスやら選択やらおかまいなしに声をかけてくるネギに大きな溜息をついて走り出す。 心頭滅却。火もまた涼し。恥もまた忘れし。 ―――――たぶん無理。 頭の上で言葉をぐるぐるとまわしながらも澤村はネギ達に駆け寄った。 本当に3−Aはすごい。あんなことがあったのに、皆笑顔でいる。 まるでそれも修学旅行の一部かのように。 そんなクラスメイト達に呆れる自分もいるが、なんだか楽しく思っている自分もいた。 澤村が合流したのを確認すると、皆走りはじめる。 けれど、一つ気になることがあった。 「―――――ネギ先生、パジャマで帰るんですか?」 ネギの慌てた声と明日菜の怒鳴り声が爽快な空に響いた。 今日はどうやら、修学旅行日和のようだ。 |