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00-3 投稿者:B 投稿日:04/09-17:05 No.2238
それは真実無限なのだろう。
あるものはただ前を見据え。
あるものはただ駆け抜け。
あるものはただ瓦解し続けた。
果たして、その生涯に意味は――
◆
人間ではない、という事は容易に見て取れた。
そもそも隠す気は微塵も無いのだろう。ただそこにいるだけで異常な存在感で知らしめ、見下ろすだけで威圧する、人が有するには巨大すぎる威風。
何の冗談か、と思った。
学園最強の魔法使いは学園長近衛近右衛門。
成程、あの人は魔法なんて使わないし使う必要も無いだろう。闇の福音も封印されて弱体化している。魔法使いに限定すれば最強は学園長に間違いない。
もとよりそんな序列に当て嵌める事からして間違いなのかもしれないが。
同時に、あの人を御するものは一体何なのだろうかとも思う。恐らくは学園随一の実力者である学園長がその手綱を握っているのだとは予想できるが。
あの人は己のみで立つ人だ。
他の何にも縛られることなく、頂から見下ろす人だ。
立ち塞がる者を暴風の一撃にて粉砕し、ただ突き進む人。
王道ではなく、覇道。
……ふと、納得してしまった。
だからか、と思った。
あの人は煩わしく思う事はあっても気に留めてすらいないのかもしれない。
自らを縛るものに時折目を向けても、特に何も思うこと無く別のものに目を向けるような。
きっと、何時か何処かへ行こうとして縛りを思い出して――そのまま引き千切ってしまうような。
そんな在り方が、枯葉山之路と名乗る少年には似合っているのかもしれない。
……隣を歩く彼を盗み見るようにして、そんな事を考えていた。
「……お前さ、お嬢様の傍にいなくていいのかよ」
びくっ、と。
考え事に埋没していた所為か、相変わらず鉄面皮な声に肩を震わして反応してしまう。
顔が熱い。きっと真っ赤になっている。無様だ。
「だ、大丈夫です。都市の外に出ない限りはいつも式神を貼り付けていますので」
少しどもってしまうが、彼は「へぇ」と返すだけだった。
寂しいと感じる反面、ありがたいとも思う。
誤魔化すのは気が引けるし、正直にあなたの事を考えていましたなんて言える訳がない。ああ、きっと顔が真っ赤だ。
「そんで」
「え?」
「今日はどうしたよ」
私と同じくらいの背丈の、彼の目線がこちらを向く。
それだけで心臓の鼓動が少し早くなったような気がして、咄嗟に足元に目を逸らす――だから何故に赤面が収まらないっ。
「い、いえ。鍛錬に出ようと思っていたところで之路さんを見かけたものですから」
密かに息を吸って吐いて深呼吸。落ち着け私、落ち着け。
つい、と彼は目を前に戻す。
「……いや、人混みに紛れ込める程度に気殺してるんだが。葛葉だって気付かねぇってのに」
「? すごくわかりやすいと思いますけど。之路さんの気配は」
何というか、こう、独特だ。緑葉の中に一枚だけ枯葉があるような、川のせせらぎの中に金属の軋む音が混じっているような、どちらも違うような。強いて言うとすれば――
「こう、匂い、というか」
「犬かオマエは」
「いぬっ!?」
犬、犬ですか。動物にたとえますか。確かに匂いとか言いましたけど、それはその表現が一番近いかなと思っただけで。……いぬ。
「しかし、成程。成程成程。お前だけそう感じるってのは、やはりお前が混血だからか。人間の要素と人間と異なる要素を自身が持っていてその差異を理解しているからこそ認識しているからこそ、外界に存在する人外を独自の感覚で、言うなれば『嗅ぎ取る』事が出来るか。いや、正確には『人間』と『それ以外』を判別するか」
「嗅ぎ取るっ!?」
「嗅ぎ取ったんだろ」
「いえ、確かに表現的にはそれが一番近いと思うんですが……っ!」
何故に、何故にっ。
もう少し、こう何か柔らかな表現が無いものでしょうか。
「犬、だ。刹那よぉ」
つい、と。
彼の目がこちらに向けられる。
違和感。
その鈍色の瞳が、これまで見たものと違うような感覚。
変わりない、変わりない筈だ。
磨耗して、濁り切って、故に真を見極める眼光。
いつもと同じ筈、同じ筈なのに違和感が拭えない。
怖い、とそう感じた。
違和感に恐怖して、
「――僕に付き纏う限り、お前は犬だろうが」
――――
ず、と血の気の引く音を聞いたような気がした。
氷の海に沈められたような気分。
それで、私は足を止めてしまった。
彼は、足を止めない。
私は追う事ができない。
足が動かない。
彼の声色に変化は無く、終始感動など無いままだった。
何の感情も無いその言葉。
感慨など含まれない言葉。
拒絶以前の問題だ。
誰に対しても同じ姿勢であるということは、誰とも相対していない。
全てに背を向けた絶対孤立。
全てを俯瞰する絶対孤高。
常に、独り。
彼は何も顧みない。
彼は何も共感しない。
如何なる時であっても、戦場の昂揚の最中であっても彼の言葉は揺るがない。
だから、きっと錯覚だ。
最後の言葉に、微かに苛立ちが混じっていたと感じたのは。
夕凪を鞘に収めて、呼吸が常より乱れているのに気付いた。
呼吸法を以って、正す。
息遣いが整えながら、足元に落ちる汗を見る。
頬を伝って落ちる汗が止まらない。呼吸が整えられない。
視界が滲んでいるのに、漸く気付いた。
痛い、と思った。
◆
図書館島に帰り着いて、裏の直通口に回らず正面口から入った。
人目につくホールを通りながら、首を巡らせて後ろを見やる。
溢れているという程度ではないがそれなりに人の行き交う場で、こちらを窺う一つの視線。何の変哲も無い、灰色のセーターの壮年と見て取れる年齢の男。
魔力の流れも気の流れも、使い手特有の整った流れや増大している様子も抑圧している様子も無い。
正真正銘の一般人。少なくとも戦闘という面では表だ。
さて。お目当ては僕の様だが、一体何なのやら。
一度、視線を合わせてから人気の無い区画へ足を向ける。後ろの男はのこのこと尾けてくる。
視線を感じたのは図書館島に通じる橋に差し掛かった辺りから。どうやら僕の行動パターン、というか最近は頻繁に外出するようになったから確実な通過経路を捉えられたらしい。ファック。
しかし一般人と思しき人間――知識は持っていないとも限らないが――が一体何の用なのか。只の変態か。僕を引き抜きにでも来たか。
唐突に、というかまるで意を決したかのように、後ろの靴音が早まった。
「君は、ええと枯葉山君だね?」
駆け寄ってきた男が僕の肩に手を置く――寸前で一歩更に足を進める。空振って思わず踏鞴を踏んだ男が何事か言うよりも早く、僕は先んじて口を開いた。
「焦んなよ。ここはまだ十分人目につくからよ、後少しお喋りは我慢しとけ」
言って、足を進める。
男は躊躇うように止まったままだったが、やがて靴音を立ててついてきた。
僕が立ち止まった場所は確実に人気が無かった。話し声も、靴音も、衣擦れの音さえも自分達のものしか確認できない。ぽつり、と一箇所だけ本棚が途絶えて壁面が露出した所だった。
その不自然な静寂を受け取った様子も無く、男は如何にも胡散臭そうに辺りを見回して漸く僕を見る。
……何か、違和感の様なものを感じた。
「まず、私はこういうものだ」
男が懐から取り出したのは名刺入れだった。差し出された名刺を受け取って、一瞥する。
おやおや。こいつは完全無欠に、どうしようもなく表の人間じゃねえか。何の用だよマジで。暇なのか。暇人なのかアンタは。
「麻帆良市長サンねぇ。で、一体何の御用件で」
「しっ!」
それこそ唐突に、市長と名乗る男は口に人差し指を立てた。そのままきょろきょろと左右を窺うように見る。
「誰に聞かれているとも分からないからね。あまりそういった名前は出さないで欲しい」
――オイオイ。笑っちまうぞ。マジで今更だよ市長サン。
安心しろ。何を警戒しているのか知らんが、少なくともここに来るまでの監視カメラにはアンタの顔が既にバッチリだ。良かったね。
そしてこれまた唐突に、僕の両肩に乗せられる市長の手。勢い良く乗せられた手は子供では蹌踉く程の力強さだ。微動だにしない僕に、興奮している様子の市長は何の疑問も抱いていない。
「君の事はよく知っているよ。枯葉山之路君。ここの悪い奴らが君を学校にも行かせずに何をさせているのか分からないが、もう大丈夫だ!」
「……あ?」
「公安から……と言っても分からないだろうな。国そのものからもこの学園には手を出すなと圧力がかかるのに疑念を抱いてな、色々と自分で調べたのだよ。……一人では掴めたものは少なかったがね、この学園は一見ただの巨大な学園でしかないが、その実不明瞭な部分も多く見られる。そこから探れば何か決定的な証拠が見つかると思っていたんだが、どうにも巧妙で尻尾を出さない。それこそ裏に相当な規模の組織が存在していると私は予想した」
おぅ。わんだーらんど。助けて誰か助けてママっ。ここに何だか微妙に真実に近づいているんだか遠ざかってんだかよく判んない人がいるよっ。
「公安も今は静観するしかないような場所だが、それでも何かしらの糸口は掴める筈と調べ続けて、君を見つけ出したんだ。君の他にも学園長の世話になっている子はいたが、君の方こそが重要だと状況から判断できた」
まあ、学校に行かずにココに引き篭もってただけなんだが。市長サンはどんなびっくりどっきりな解釈をしてくれたんだろうか。どきどきでわくわくだっ。嘘。少しばかりうんざりだ。
「君は恐らく危険思想と共にあらゆる教育を施されてきた筈だ。こう言っては悪いが……君の人格は戦場の子供に近いのかもしれない。感情が希薄で、表情も変化がない。でも大丈夫だ。きっと私がここから――」
「んで?」
「……え?」
少しばかり冗長に感じたので促してやると、市長は実に間抜けな顔を見せ付けてくれた。豆鉄砲をフルオートで喰らった鳩というか何というか。
「そんで? 一体何がしてぇんだアンタは」
「そ、そうだ! 君にはこの学園の実態を解明するのに協力して欲しいんだ! 堤防も僅かな亀裂から決壊するように、君という僅かな糸口があればきっとここを切r」
ウゼェ。
そう思った瞬間か。
市長の声が半端に途切れて、僕は彼の首を握り潰した己の手に気付いた。
肩に乗せられていた両の手が、びくんと大きく跳ねてだらりと落ちていた。
「……アレ?」
首を潰した手は皮膚が僅かながら硬質化し、鋼と化しかけている。
市長は言わずもがな、既に死んでいる。明後日を通り越して何処とも知れぬ時空を見つめる瞳が超クール。痺れるぜっ。
「……オイオイ、マジかよ」
馬鹿な。僕の意志を離れて剣化しかけたってのか。
完全に意志の制御下にある筈のこの肉体が。
理性に因って動くこの肉体が。
否、剣化だけではない。
何時の間に、僕はこの男の首を砕いていたのか。
完全無欠に意識外。
反射で殺ったとしか思えない。
だが、一貫して戦闘状態ではない状況の中で反射行動で殺すという事こそ有り得ない、有り得る筈がない。
馬鹿な。
馬鹿な。
馬鹿な。
これでは、これではまるで理性を離れた行動だ。
理性で制御できないそれだ。
それは何と言うのだったか。そう、確か、確かそれは衝動と言ったか。
思い至って、すとん、と何かが嵌り込んだような気がした。
そうだ。
その通り、その通りだ。
その時、僕は何を思った。
何を、感じた。
喧しく喚き散らされるあの言葉に、何を感じ入ったのか。
そうだ。確か――ウゼェ、と。
思ったのが先か殺ったのが先か。
思ったのが先か感じたのが先か。
どちらが先なのかは、もうどうでもいい。
むくり、と胸の奥で何かが首を擡げる。
確かに在る。
これまで在り得なかったものが。
これまで自覚し得なかったものが。
情動が、確かに、確実に発生している。
「くく」
衝動が、喉の奥から突いて出た。
何だ。これは一体何の衝動だ。
「くは、はははははははははははははははははははははははははははは」
気付けば、笑っていた。
嗤っていた。
哂っていた。
嘲笑していた。
苦笑していた。
失笑していた。
嬉笑していた。
歓笑していた。
片笑んでいた。
薄笑んでいた。
高笑いしていた。
せせら笑っていた。
哄笑を撒き散らして、愉悦。
「感謝する。感謝するぜ。感謝してやるぜ市長サン。はは」
僕は、最早僕の腕に支えられているだけの死体に、生前の呼び名で呼び掛けた。
己で解る。
喋る言葉にも僅かながら起伏がある。
はは。
愉快だ。
愉快だ。
愉快だ。
くしゃり、と死体を持っていない方の手が何かを握り潰した。
そういえば、名刺なんて物を貰っていた。
名刺を握り潰した手を見て、一つ思い至った。
愉悦する。
掌から魔力を放出して、何をするでもなく炎として現出したそれをみて愉悦する。紙屑を跡形も無く焼き尽くした炎に愉悦する。
空いた手で煙草を咥えて、魔力の炎で火を点けた。
「それ、と」
持ち上げたままの死体を見遣る。
「安心しろよ。僕が使う最後の炎だ。遠慮無く、跡形も残さねェよ」
死体に声をかけて、壁面の隠し扉を開ける。エレベーターで地底まで一直線。
静かにエレベーターが下降を始めた。
箱の中には化け物一匹、死体が一つ。
死体はもう笑わない。
笑うのは化け物のみ。
呵呵、と木霊する。
情動発生の原因は、そうだ、そう、解っている。解っているさ。解っているとも。
夕映。
綾瀬夕映。
僕のマスター。
僕の主。
我が担い手。
愛おしき我が担い手よ。
あいつが僕という上位者に引っ張られたように、僕もあいつの影響を受けている。
当然だ。
意識の一部を共有できる程の強力なラインで結びついた契約。どんな影響が出るかは正しく未知数。
怪物と戦うものは全て、その闘いの過程で自分自身が――
そう。そうとも。
その通りだ夕映。
お前はきっと怪物になる。怪物になれる。
遥か地底の眠り姫よ。
この礼もしなければならない。
この魔力特性、お前ならきっと気に入るだろう。
早く、早く起きろ夕映。
楽しみだ。
◆
「之路さん」
翌日の事だった。
止まらぬ涙を何とか堪えながら寮に帰り着いて、同僚でもある同居人に心配されてシャワーに放り込まれて、布団に押し込まれて何時眠ったのかわからぬまま朝を迎えて――また零れそうになる涙を堪えて、平常を取り繕って授業を終えた。
そして、合わせる顔など無いというのに。
ふとその匂いを捉えた瞬間、私は駆け出していた。
会ってどうするのかなんて微塵も考えていない。後先なんて考えない。考えるより前に動いていた。愚直なまでに反射的。
彼を視界に収めた時、犬という表現も強ち否定できないなと何処かで思った。
「之路さん」
自分でも驚く程のか細い声。
彼の背に追い着いた時、周囲に人はいなかった。彼が誘導したのかなんて考える余裕も無く、私はただ彼を見ていた。彼しか見ていなかった。
足を止めた彼も、振り返って私を見ていた。
今まで気恥ずかしいというだけで逸らしていたその瞳。
磨耗し切って、濁り切って、それでも尚力強い鈍色。
在るだけで木々を揺るがすと錯覚させる、戦場に身を置いたような存在感。
ただ前を見据えるその姿勢。
圧倒的だった。そうだ。だから私は――
「なあ。刹那」
「はい」
呼びかけに、私は応えた。今度は声ははっきりとしていた。
「やっぱさ。お前、犬だろ。僕を見つけた途端にダッシュで迫って来やがって」
「はい。これでは否定できなくなりました。私、犬ですね」
純粋な罵倒とも憎まれ口とも取れる彼の言葉に、私は臆面も無く肯定した。
む。と彼が詰まる。
少し可笑しい。そんな彼の表情は初めて見た。ふふ。
「犬でいいです。寧ろ私は、犬でなければきっとこんな風にあなたに追い着けません」
「だから何だってお前は――」
「憧れています」
「――――」
初めて、彼の言葉を遮った。
いつも最後まで聞いていた彼の言葉を、私は遮っていた。
「私は、あなたに憧れています。きっと、初めて見た時から」
「…………」
「そんなに長い付き合いがある訳ではありません。まだ二ヶ月も経っていない短い時間でしか、あなたの事を知りません。会うことの無い日も沢山あって、話した言葉も多くありません。でも――憧れなんです。ずっとあなたが私の中に居るんです。忘れる事なんてありません。お嬢様の事を考えていても、あなたの姿があるんです。ずっと、ずっとあるんです。授業中でもあなたの事を考えて上の空だった事があります。鍛錬の最中にあなたの事を考えて集中を途切れさせて困った事もあります。力強いあなたのようになりたい。堂と構えるあなたのようになりたい。真っ直ぐに揺ぎ無いあなたのようになりたい。どこまでも誇り高いあなたのようになりたい。未熟で、卑屈で、不器用で、化け物である自分を卑下する私です。あなたのようになるだなんて、そんなの夢だってわかっています。叶う事は無いと理解しています」
足元に、雫が落ちた。
泣いている、と他人事のように考える。
何故泣いているのか――私は怯えていた。
こうやって、私の彼に対する思いの全てを吐露して、その果てに、本当に拒絶されてしまったら。その恐怖に、私は怯えていた。
「でも、憧れてしまったんです。どうしようもなく、私は、ずっと、あなた、を――」
嗚咽が混じる。言葉が途切れる。涙が止まらない。膝を、屈した。
涙を流し続ける目を手で覆う。
駄目だ。
こんな無様、彼に見せるなんて。
こんな惰弱、失望されて当然だ。
こんな自分、憎悪して然るべきだ。
こんな、こんな――
「……物好きにも程がある」
ぽん、と。
そんな声と共に、頭に手が乗せられて、そのまま一度撫でられる。
度し難い事にそれだけで安堵感が満ちた。
「……う、ぁ……ごめんなさ、い……」
それでも出るのは嗚咽ばかりだ。言葉が紡げない。彼に捧げる言葉が出ない。
「こんな真正の化け物に、憧れなんぞ抱いたかよ」
憧れました。憧れています。ずっとずっと、憧れています。
「多分病気だぜ、ソレ。普通の人間ならゼッテェならねぇ」
私、混血です。異常でいいです。異常でいさせて下さい。
「それによ、お前が見てるのは偶像だ。僕は何っつーか、まず外道だぜ、オイ」
わかってます。そんな事知ってます。わかってますから、お願いです。
目の前の腰に手を回して抱き着く。
彼の腹に額を強く押し当てて、引き剥がされないように。
離されないように、強く。
「お願い、です。……憧れ……なんです……憧れさせて、下さい」
嗚咽に言葉を途切れさせながら、それだけしか言えない。
もうそれだけしか言えなかった。
「……僕に憧れるんなら、まず強くなれ」
頷く。
額を彼の腹に擦りながら、頷く。
「手段を選ぶのは只の戯れだ。手段を選ぶな」
頷く。
身体を満たすのは、幸福感にも似ている何かだ。
「死に物狂いで追って来い。もしかすれば、足元ぐらいには手が届くかもしれん」
頷く。
彼の苦笑する気配。嬉しかった。
「お前、泣き顔は美しいが笑顔は可愛らしい。笑った方がいいぜ」
顔を上げる。涙はもう止まっているだろうか。
彼を見上げる私の表情は――
◆
そうして、目覚めた。
柔らかく沈むベッドに仰向けになっている。
むくりとシーツから上体を起こす。
僅かに膨らみを見せる乳房が外気に触れた。
まずは主観の変化。
咽返るような大源の豊富さに驚いて、それを大きく吸い込む。皮膚で呼吸するような、夢の中で得た感覚。
吸い込んで。吸い込んで。吸い込んで吸い込んで吸い込んで――
広い部屋の中の大源が希薄になってから止めた。また徐々に大源が満ちていく。成程、ここは世界樹の根の張り巡る地底だ。云わば巨大霊脈の中心に近い。大源は際限無い程だろう。
次に自分の身体に意識を向ける。
そこで小源というものを認識した。
之路と違って魔術回路は無いので自身で魔力を生成する事は出来ないが、大源を取り込むのは心地良い。之路には大きく劣るがどうやら魔力容量はそれなりにある。というか之路、魔力容量大き過ぎです、呪詛精霊が大部分食ってるですが。化け物の面目躍如です。
肉体的な変化も大きい。寝ている間に之路に引っ張られていたのか、ぶっちゃけ既に人間ではありません。特に何の不都合も感じていない限り、精神的にも変化があるようです。助かります。こんな事で一々動揺していては先が思いやられるというものです。
身体能力は以前とは比較にならない。体格にそう変化は無いようですが、魔力強化をせずともこの小柄な身体は優れた運動能力を有している。……何だか肉付きが良くなっているような。何を狙っているのでしょうか。いや狙うも何も変化に応じる形で自然とこうなったのだと想像できますが。まあ以前は発育不良の感があるほどに細かったのだから悪くはありません。少女でありながら少々肉感的な女性らしさを備えた素晴らしいボディです。ただ、何というか、小柄な少女で肉感的というアンバランスさは一部の男性にジャストミートしそうで怖いというのは自惚れでしょうか。……本当にジャストミートしそうなので自惚れということにして忘れましょう。こういった事は不安に思えば思うほど現実になるのです。桑原桑原。
魔力を肉体に巡らせてみる。肉体強化に限らず魔法というものは、感覚的には自身の裡にある貯蔵された魔力に一定の指向性を与えて発動する。強化に限れば、身体の中に満ちてはいても何の作用も働いていない魔力を、活性化させて身体全体に巡らせるような感覚だ。運動量に似ているかもしれない。質量は振り分けられた魔力量に置き換えて、それを一定の速度で回転させる。強化の度合いは云わばその魔力運動量で調節できるが、肉体という器の耐用限界を超えればその器が耐えられないのは必然だ。一時的に限界以上の出力を得たとしてもその状態を継続すれば自身の魔力に内から破壊される。その終焉を夢の中で幾度も見せられた私としてはあまりぞっとしない話でもある。
魔法の一つに完成した肉体強化の術式も存在するそうだが、あまり期待はできない。基本的に人間かそれに類する亜人の使用を前提に作用するのが魔法だ。外界に作用する魔法ならともかく内界の特に肉体に作用するものは、既に人間と構造を違えてしまった私には下手すればマイナスしか齎さない。加えて、霊質を備えた今では単純に魔力を蓄えた方が強化される。
魔力を全身に巡らせて、これは少し厄介だと思った。
身体能力、魔法抵抗、物理抵抗、各能力が飛躍的に向上。思考速度すら上昇したかもしれない。だが、この昂揚具合は問題だ。鼓舞とでも言うべきか、思わず手加減無しに力を奮ってしまいそうだ。
いけない。これは駄目だ。トリガーハッピーだ。多分乱射する。
待て。落ち着きなさい私。
そう、荒ぶる精神を精錬してこそ魔術師改め魔法使い。
この精神の揺れ幅をも力へと変ずればそれこそトリガーハッピー乱射しまくりって違うですっっ。
……何とか自己制御に成功したものとします。
マーフィー大尉、私は負けません。
と、言うよりも鼓舞の影響だろうか。何だか身体が熱い。しっとりと汗ばんですらいる。ええ、瑞々しいお肌でいてくれて私も嬉しく思うですよ。ですから先程から何かテンションがおかしいのです。
気分の昂揚だけではない。何か魔力自体が熱を発しているようにも感じ取れる。
そう、魔力だ。
検証する為に、掌から魔力を放出してみる。ほんの少し、グラスから水を溢れさせるように。
途端、鮮烈な赤が出現した。
紅色の蒸気のような魔力を撒き散らしながら、掌から立ち上がる炎。皮膚から立ち上っていながら皮膚を焼かず、炎でありながら酸素を消費せず。正しくそれは炎という表象で放出された魔力だった。
同時に、思い至る。
魔力特性。術式を経ずとも形成される魔術。魔術染みた魔力。魔力そのものからまず魔術。精錬する炎。神秘を鍛え上げる炎。神秘をも灼き尽くす炎。彼の世界に於いて外縁を形作る炎。炎の表象。炎そのもの。
之路と意識までも共有した結果、私は無意識ながら之路の持つ知識を持っている。通常ではアクセスできないその知識群だが、条件さえ揃えばそれらは意識に浮上する。
この魔力が何なのかは理解できる。制御も可能だ。炎の形を取らずに放出し更なる強化
を図ることもできる。
しかし、この特性は私に発生したものではない。
枯葉山之路から私に完全に移譲された、移植された、一つの権能――
「よう。具合はどうだい我が担い手」
何時の間にか、之路はベッドの脇に立っていた。
変化の無い筈の表情がほんの僅かに笑んでいる。
空虚な鉄の色をした眼が辛うじて悦びを示している。
それで、私は悟った。
「最悪の夢見です、我が友――」
影響を受けたのは私だけではない。
「――ですが、満ち足りている」
彼もまた、この私の影響を受けたのだ。
彼の差し出した手を取り、ベッドを降りる。
炎を巡らせる身体が熱い。
にぃ、と口元を吊り上げる。
綾瀬夕映は、きっと以前なら出来る筈もなかった笑みを自分に貼り付けた。
◆
朝のホームルーム前。
登校経路を爆走する生徒達を他所に、一足早く辿り着いた生徒達が顔を合わせる学び舎。その内の女子中等部校舎のとある一室でそれは起こった。
1-A、と表示されたその教室に二人の生徒が揃ったときだ。
一人は暫くの間、急病を患って少し離れた病院に入院していた生徒だった。
凡そ二週間ぶりとなる友人と身を寄せ合って談笑する姿は一介の女子中学生でしかない。
「ゆえー、これ、ノート取っておいたから」
「ありがとうです、のどか。では返礼を」
「……なしミルク。まともかも」
「それにしても……ゆえってば、暫く見ない間に随分女っぽくなってなーい? フトモモとか、うおおっ、ムッチリぷにぷにぃぃ!!」
「つつくなです。そして吼えるなですハルナ」
慎ましくも姦しい、実に女子中学生らしいやりとりだ。
変態、とささやかに罵倒する小柄な少女と、ごくりと唾を飲み込む仕草とともに味わうようにして太腿に手を滑らせる長い黒髪の眼鏡少女。むふふ、という笑声も微笑ましい。
あわわ、と前髪で目元を隠したもう一人の少女が顔を赤くして慌てるが、それを他所にガラリと扉が開いてまた新たに一人の生徒が登校してくる。
現れたのは黒髪をサイドに一括りにした、凛々しい相貌の少女だった。肩に引っ掛けた背丈ほどもある竹刀袋は特に長物と見て取れて微笑ましい。
和やかに繰り返される朝の風景。
今日も一日、勉学に遊びに精一杯励もうかというこの時間。
だが、異変はそこで現れた。
発端は、竹刀袋の少女。教室に足を踏み入れて少し、自らの席に向かう最中突如として涼やかな目元を斬り崩して鋭く目尻を吊り上げた。
桜咲刹那はあの匂いを捉えていた。
あの人の匂い。あの人の気配。いや、それに限りなく似通った匂いだ。これも鍛錬の一環、と常に一定の密度で体内に留めている錬気が、更に密度を増し唸り始める。何故このような行動を取るのか、自分でも理解し難い。だが、そうするべきだと何かが囁いている。
その匂いの元を特定するのは容易かった。他と比べて明らかに特異なあの人の気配に似た何か。それは刹那の嗅覚からすれば正しく明らかな異物なのだ。
綾瀬、夕映。
確かここ暫く入院していたと聞いている。特に興味も無く聞き流していたが、何故この気配を、匂いを放っているのか。一般人でしかなかった筈だ。こんな匂いは放っていなかった筈だ。この教室で、貴様だけがただ一人、何故こんなにも虫唾が走るのか。綾瀬夕映――
その様は正しくガンつけだった。
涼やかさも何もかもブチ壊して険しいどころか禍々しいまでに睨みを効かせたその眼つき。多分、百年の恋も粉砕し尽くして更に土下座まで要求される。
対する少女はその眼光を真っ向から受け止めて、その上で冷徹に視線を返しながら思った。何なんでしょうかこの女、いきなり人を睨め殺すような目で見てきました。しかし何故でしょう――何となく、気に食わない感じがするですねこの女。
ニィ、と無意識に口元が吊り上る。この年頃の女の子ではとても出来そうにないシニカルな笑みだった。
実に恐ろしきは女の感。この場における両者の行動原理はただそれだけだった。
友人二人は既に非難している。あわわ、修羅場ぁっ、と退屈していないようなので放置。
何時の間にか二人は至近距離にて視線を交わしていた。
夕映が冷笑して、ピキィ、とリアルにコメカミに青筋を立てる刹那。
――桜咲がまずヘッドバット!
――いや、綾瀬がボディ!
刹那と同室の龍宮真名は思った。
あれはマズイ。何がマズイって、あれは絶対殺す目だ。いつか殺す宣言だ。アレと目が合ったら多分いつか本当に殺される。
取り敢えず、彼女は自分の席に座ったまま窓の外に目を向けた。青空だ、今日はよく晴れている。
「よしっ! 間に合っ……た?」
「……なんやろ?」
睨み合いはいつまでも続く。
無言で。
「お二人とも! いい加減になさったらどうですか!? もうすぐ高畑先生も――ひいぃっ!」
ぐるり、と雪広あやかに二人の目が向けられる。
やべ、マジ怖えぇ。と誰かが呟いた。
「やあ、おはよう――な、何事だい?」
ともかく、きっと何時も通りに朝は始まった。
高畑先生は、ちょっとビビったけれど、何時も通りだと思っておく事にした。
◆
時に我が剣。。
あ?
始動キーを決めてみたです。
へぇ。それはそれは。うん、そいつは良かったな。
きっとあなたも気に入ると思うですよ。
ふん?
I am the bone of my sword――
ってオイ。
――火よ灯れ。
おわ。火力でけー。はは。
……とまあ、このような感じでいいですか?
くは、はは。OKOK。文句無し、文句無しだこの酔狂め。
好評なようで何より。
はは。愉快だ。ははは、ははははははははは――
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