HOME  | 書架  | 

当サイトは「魔法先生ネギま!」関連の二次創作投稿サイトです。ネギま!以外の作品の二次創作も随時受け付け中!

書架

[]

File06「探偵と記者」 投稿者:赤枝 投稿日:04/09-03:26 No.123

魔導探偵、麻帆良に立つ



 File06「探偵と記者」





1.



 麻帆良のはずれの幽霊屋敷の存在は、割と有名である。



 どことなく御伽噺の様な雰囲気のあるこの麻帆良には、心霊スポットや、幽霊の噂話がわりとたくさんある。この幽霊屋敷もそんな物件の一つだ。



 朝倉和美が件の幽霊屋敷を訪ねるのは、半年ほど前に心霊スポット特集以来だ。

 此処を取材してから、一月ぐらい妙に肩が重かったりしたのは、今でも苦い思い出だ。





 それはさておき、和美の目の前には、かの幽霊屋敷がそびえていた。



 玄関には「大十字九郎探偵事務所」とある。





「大十字九郎? 変な名前」





 実に偽名臭い名前だ。まあ、探偵なんてみんな何処か怪しげなものかもしれないが。



 日も完全に落ちようかという時間になって不気味な雰囲気を増した屋敷にちょっと気圧されながら、和美はドアノッカーを叩いた。





「ういー、どちらさまでー?」





 予想外と言えば、予想外な人物が出てきた。



 探偵と聞いていたので、小説に出てくるような品の良い中年か、老獪な雰囲気をもつ老人を想像していたのだが、出てきたのはまだ若い青年だった。

 探偵というよりは、そこいらをほっつき歩いている暇な大学生といった風体。

 いい加減そうな男だと思った。覇気に欠けるいささか間の抜けた表情は情けないようにも見えたが、なんとなく憎めそうにない、何処か呑気な雰囲気を持っていた。

 



「あの、此処の探偵さんですか?」



「そうだけど……、なにかご依頼で?」



「いえ、ちょっとお話を伺いたいんですけど、よろしいですか?」



「かまわないよ。入ってくれ」





 促されて、和美は幽霊屋敷――いや、探偵事務所に入っていった。



 以前とは異なり内装は整えられていたが、半年前と同様に、どこか不気味な空気が漂っていた。

 どこからともなくぎしぎしと何かが軋む音が聞こえてきた、フローリングの床が軋んでいるのかとも思ったのだが、どうも違う。

 カンテラじみた作りの照明器具の光源は明滅を繰り返していた。きちんとしまっていないドア隙間から覗く暗澹とした暗闇の奧には、なにやら不気味なモノが蠢いているように思えてしまい、和美はぶるりと体を震わせた。





「ん。どうかした?」





 その様子を見て、探偵が和美に声を掛けた。





「いえ。なんでもありません……」





 流石に、此処に住んでいる人に向かって此処はなんだか不気味だとは言えなかった。





「もしかして、見えてる?」





 ちょいちょい、と探偵がすぐ脇を指さす。

 和美は指先を見つめたが、特に何も見えなかった――いや、薄ぼんやりと何かがいるような気がする。ハッキリとなんだとは言えないけれど何かがそこにあるような、喩えるなら風呂場で髪を洗っているときに背後に感じる、あのじわりとした得体の知れない何かがあるような……。





「何も見えませんけど……。なんか嫌な感じがします」



「あー、もしかしたらそっち系の才能があるのかも」





 よく分からないことを良いながら、探偵は扉を開けた。





「お茶いれてくるから、ソファにでも座っててくれ」





 和美を部屋に案内するなり、探偵はそういって何処かへ行った。





 その部屋は、一見して書斎のようだった。

 壁の半分は本棚で埋まっていた。もっとも本棚の中は殆ど空で、数十冊の古めかしい書籍が並んでいるだけだった。その中に日本語で書かれている書籍は一冊たりとも存在せず。英語を始めとする多彩な言語で書かれた書籍ばかりが並んでいた。中には表題すら書かれていない真っ黒な本もあった。

 これらの本を全て読んでいるのだとしたら、あの探偵は実は頭の良い人なのかも知れない。まあ、とてもそんな風には見えなかったが。

 

 部屋の中程、執務机の上には雑多な道具が転がっていた。

 乳鉢や天秤はまだ良い。よく分からない鉛製の小箱の存在は異彩を放っていた。王冠をかぶった人の顔を直線で戯画化したような奇妙な印。何らかのオカルティックな意匠の込められた一品だった。

 その横には黄色い表紙の大きな本が置かれていた。いささか痛んでいたが、辛うじて表題を見ることが出来た「New translation Necronomicon」。





「『ネクロノミコン新釈』?」





 読んではいけない。そんな確信にも似た直感が和美の頭の中を奔った。

 ゾッとする。本棚にある書物もそうだが、此処にある書籍の類はどことなく不気味だ。

 じわりじわりと、確固たる現実を犯す曖昧な非現実が押し寄せてくるような、そんな錯覚に囚われた。

 以前、此処を取材したときとは異なる恐怖が、理解しがたいモノに対する恐怖ではなく、理解してはいけないモノに対する恐怖が和美の胸中を満たしていった。



 恐怖を取り払うように、あるいは誤魔化すようにして和美は頭を振った。



 先ほど探偵に言われたとおり、おとなしくソファーに座る。安っぽい外見とは裏腹に、割とまともな代物であった。



 変な想像をかき消すために、和美は瞑目し、心を落ち着けようとした。

 光が無くなり、音と匂いだけの世界が和美の脳内に広がる。



 またしてもあの耳障りなぎしぎしいう音が聞こえた。天井あたりから響いているような気もするし、壁の向こう側から聞こえてくるような気もする。



 続いて、ザクザクという奇妙な機械音が和美の鼓膜を揺らした。

 酷く不定期なリズム。今まで聞いてきたどの様なリズムとも違う、異様な規則性を備えた音であった。

 気になって目を開き、音源に目をやると其処には大きな機械仕掛けの家具があった。

 半年前、此処を取材したときはこんなモノはなかったから、おそらくはあの探偵が持ち込んだモノだろう。



 これがまた珍妙な一品だった。

 酷く趣味の悪い、まるで棺桶のような形。文字盤の上には見たこともない象形文字がてんで出鱈目な順序で並んでおり、その上を歪んだ四本の針が、先ほどのザクザクという奇妙な音とともに不規則に動いていた。

 もしかしたらこれは時計なのだろうか?

 時計のように見えなくもない。けれども、これはもしかすれば別の用途に用いるモノなのでは無かろうか。

 少なくとも、時を読むために、時を伝えるために作られた道具ではないことは確かだ。

 かなりの年代物のように見えたが、アンティークの時計によく見られるゼンマイを撒く穴は何処にもなく、またこの時計を開閉するための蝶番のような装置は如何なる場所にも存在しなかった。果たしてこの時計の動力源はいったい何なのだろうか。まさか電気仕掛けではあるまい。



 どことなく超常じみた力が働いているように思える。確固たる現実から乖離した、既存の機械細工の概念から放逐された、あるいはこの星の物理法則から逸脱した、理解しがたい理念に基づいて設計されたとしか思えないこの道具は、不気味であった。



 どうかしている。なんでこんな考えになってしまうのだろうか。

 何処か現実離れしたこの屋敷の雰囲気がそうさせるのか、それとも先ほど黒い不規則多面体の中に見た幻影が未だ尾を引いているというのだろうか。



 ふつふつと、この場所から逃げ出したいという欲求が湧いてきた。少なくともここは長い間いて良い場所ではない。

 そもそも此処は幽霊屋敷だ。人が住み始めたと聞いたから、いくらか不気味さも解消されたかと思ったが、てんで逆だ、相も変わらず微妙に湿気った嫌な空気が常に流れていた――いや、以前よりも酷くなっている気がする。玄関先ではそんなこともなかったのだが、此処はとりわけ酷い。徐々に自分の正気が奪われていくような、そんな嫌な感じがつきまとって離れない。



 あの探偵は、なんでこんな所に平然として住んでいられるのだろうか。度胸に溢れているのか、それとも人並み外れて鈍感なのだろうか?

 



「お待たせ」





 そんな事を考えていると、件の探偵が、お盆をもって書斎に入ってきた。お盆の上にはコーヒーカップが二つ。砂糖とミルク。





「いえ……」





 和美の顔色を見るなり、探偵はあっと、何かに気がついたような顔をした。





「いやー、すまない。君にはこの部屋はちょっと辛かったかも知れないな、感受性が強い人にはきついものも置いてあるし」





 どうぞ、と和美の前にコーヒーカップを置き、真向かいのソファーに腰掛けた。

 コーヒーは明らかにインスタントだったが、特に文句をつけるつもりもなかった。



 とりあえず、気を持ち直す。此処には目的があってきたのだ、この人から吸血鬼の事件に関しての話を聞く迄帰るなんて事は出来ない。





「さて、自己紹介といこうか。俺の名前は大十字九郎。普通の人捜しから、ちょいと変わった捜し物まで何でもござれの私立探偵だ」



「私は、報道部の朝倉和美といいます」



「報道部? ああ、要するに記者かなんか?」



「はい、それで大十字さんにお話を伺いたいと思いまして……」



「九郎で良いよ。君は此処に事務所構えてから初のお客さんだからな、何でも聞いてくれ」





 そういって、九郎はコーヒーを啜った。

 とりあえず、和美はさっさと本題に迫ることにした。





「吸血鬼の噂の元になった事件についてなんですが……」





 半ばカマを掛けるつもりで、和美は訪ねた。



 九郎がこの事件に何らかの形でかかわっているのは多分間違いない。





「吸血鬼、ね」





 そういって九郎はふっと笑った。





「それは、俺がとある事件を追っていることを知っての質問かい?」



「ええ、その通りです」





 ビンゴ。改めて班長の手腕に驚嘆する。

 九郎の答えに、内心ほくそ笑んで、和美は答えた。





「君は、この事件を調べてるみたいだけど、どのあたりまで調べているのかな? とりあえず聞かせてくれないか?」



「かまいませんよ」





 手帳をとりだして、メモしていた部分に目を通しながら、和美は話しはじめた。





「今現在、麻帆良には吸血鬼の存在を彷彿とさせる事件が二つあります。一つは満月の夜に発生する貧血女性について。もう一つは動物たちが変死体となって発見される事件です」



「続けてくれ」



「満月の夜の事件。数ヶ月前から満月の晩になると決まって若い女性が貧血になります。貧血になった人たちは、きまって倒れる前後の事を覚えていません。中には「黒いマントの人物を見た気がする」と証言する人もいましたが、曖昧ですね。あ、でも一人だけ「黒いマントの男性を見た」ってハッキリとした証言をした人がいました。被害者が女性ばかりであるという点を鑑みても多分犯人は男性でしょう」



「黒いマントかぁ――」





 そういって九郎は、意味ありげな目線で、書斎のハンガー――翼の骨格を模した奇妙なモノだった――に掛けられた黒いコートに目をやった。





「続けますよ。一週間ほど前から、動物たちの変死体が発見されるようになりました。共通しているのは、どの動物も全身の血液を始めとする水分の事如くを抜き取られ、全身の骨を砕かれ、ズタボロに引き裂かれているという点ですね。こちらは奇妙なことに目撃情報は一切無し。被害にあった動物のサイズが徐々に大きくなっていること、それと同時期に流れ出した動物が奇声を上げながら空を飛ぶという噂が気になります。満月の夜の事件とはかなり性質が異なるので、犯人は別々に存在するのではないかと思われます。こちらの事件の犯人が満月の夜の事件を模倣したと考えても不思議じゃないかと……」



「なるほどね。大体解った、ありがとう」



「それで、九郎さんからみた私の調査結果ってどんな具合ですか?」



「んー、70点ってとこかな」



「微妙ですね……」



「情報収集力はたいしたもんだ。でも、まだまだだね」



「その口ぶりから察するに、九郎さんはもうこの事件の真相を知っていると?」



「まあね。この手の事件には慣れてる」



「是非是非その件について教えてくれません? 今なら特別にちょっとぐらいエロい事しても許しますよ?」



「はっはっは。そんな調子の良いこと言ってるとマジでとんでもない目に遭わすぞ小娘?」





 実に素敵な笑みで九郎は言ってのける。額に青筋を浮かばせて、なんでどいつもこいつも俺を性犯罪者に仕立て上げようとするか、などとぶつくさと呟く。





「冗談はさておき。俺はこれでも恋人のいる身でね。今はちょっと疎遠になってるけど……」



「捨てられたんですか?」



「痛いとこ突くね、君は……まあ、似たようなもんだけど。

 「こっち」にも居ることを知って以来、世界中探し回っていくらか断片を集めることは出来たんだけど。まだまだだな。そもそも本体が何処にあるかわかんないし。つーかどうやったら全章そろったアイツを倒したり出来るってんだ。ったく何処のトンデモ野郎だ?」





 恋人の話なのに断片とは一体どういう事だろうか。何らかの手がかりという意味か。

 それはさておき、和美は徐々に話をそらされていることに気がついた。ともかく話の流れを修正しなければならない。





「九郎さんの恋愛話は別にどうでもいいんですよ」



「そうか? 世界どころか宇宙を巻き込みかねない……というよりも巻き込んだ一大スペクタクルだったんだが」



「法螺は結構です。ともかく事件の真相を教えてください」



「真相ねぇ。知らない方が良いと思うよ?」



「かまいません。記者は真実を知り、それをみんなに伝える義務を持ってます」



「もう一度だけ言うぞ。この事件に、君は首を突っ込むべきじゃない。君が思っているよりも世界の闇は深く暗いんだ」





 警告するような口調。いや、真実警告なのだろう。九郎の顔には、先ほどまでの何処か余裕のある表情ではなく、酷く剣呑な表情が浮かんでいた。

 その九郎の顔に、和美は戦慄を覚えた。

 紫の瞳の中に奔った冷たい眼光、その奧に閉じこめられた、夜の闇よりなお暗い暗黒の蠢き。

 先ほどまでの九郎に対する情けない印象は何処かへ消え去った。

 これは若い青年のする目ではない、少なくとも普通に生きているだけでは、とうてい到達し得ないような暗くよどんだ光。探偵という職業について、社会の闇や人間の生き汚さに絶望しているような、そんな生やさしいモノではない。



 気圧されながらも和美は答えた。ありったけの意地と勇気を込めて。





「闇がどうしたって言うんですか、そんなもの報道の光が照らし出してくれます」





 九郎は朝倉の瞳をじっと睨みつけていたが、諦めたようにため息をついた。





「ったく。これだけ脅しても無駄か……。朝倉、お前俺の知り合いの記者によく似てるよ」



「それは光栄ですね。たいそう有能な方なんでしょ?」



「ある意味な。やっかいごとに関する直感はたいしたモンなんだが、ほっとくとどっかの教会で白骨化して発見されそうなヤツでもある」



「は?」



「まあいいさ、教えるだけ教えてやる。だから、これ以上首を突っ込むなよ。闇の世界に近寄るべきじゃない。君みたいに勘の良いヤツは特にな」



「後半はちょっと了承しかねますけど……どうもありがとうございます」





 にこにこと笑いながら、手帳と筆記用具を取り出した。





「まず聞くけど、朝倉は吸血鬼の存在を信じるか?」





 いきなり、突飛なことを聞いてくる。





「そんなの居るわけ無いじゃないですか。たしかに今回の事件は吸血鬼の仕業のように見えるフシもありますけど、それはどっかの変質者が吸血鬼を真似ているだけなんでしょう?」



「違う。吸血鬼は存在する。狼や蝙蝠を使役し、体を霧に変化させ、夜の闇に跳梁跋扈し、人の血を啜る。人の形をした人ならざるモノ。死者にして生者。不死者<アンデッド>の王。人間の天敵の一つだ。最近俺が見た大物は、クソ野郎をぶちのめしにイギリスに行ったときだったな。あの『伯爵』が名前を変えてまだ生きていた、てっきり『教授』の手によって滅ぼされたとばかり思っていたが、なかなかどうしてしぶとい。今は人間に使役されてるみたいだったな。王立国教騎士団もとんでもないことしやがる」





 唐突に、とんでもないことを言い始めた九郎に、和美は面食らった。

 その様子を知って知らずか九郎はそのまま話し続ける。





「麻帆良にも一匹いる。日の光を克服していたから間違いなく真祖クラス――あ、真祖ってのは、吸血鬼の親玉みたいなヤツな――なんだが、封印されてるから今じゃろくな力をもっていない、普通の人間と大して変わらない位だな。でも、吸血鬼ってのはその力を月に支配されるから、満月になるとその力が増す。満月の晩に女性ばっかりが貧血で倒れるのはそのせいだ。満月による魔力の強化が力が結界の出力限界を超えてるんだろう。アイツが何企んでるのか知らないけど、死人がでるほど酷い事態にはなってないから今のところは放置しておいても問題ない」



「九郎さん!! 私を馬鹿にしてるんですか!?」





 和美がテーブルを叩いて立ち上がった。振動でコーヒーカップの水面が揺れる。

 その様子に怯んだ様子もなく、九郎は和美を見やった。





「馬鹿にしてなんかいない――俺が話しているのは、純然たる事実だ。いくらか推測も混じっちゃいるがね」



「でも、そんな荒唐無稽な話、信じられるわけが無いじゃないですか!?」



「信じれられない?」



「当然です。いくら何でも……」



「君が信じようが信じまいが、吸血鬼は存在する。それだけじゃない、この世には妖怪も悪魔も人狼も存在する。そいつ等と人間の混血児もな。もう一つ言えば、そんなモンがかわいく見えるぐらい兇悪で邪悪で禍々しい連中だって存在する。そいつ等の親玉みたいな連中はことさらに酷い。太平洋に眠ってるやつなんか、連中の中ではまだ下級だってのに、そいつが寝ぼけて欠伸しただけで、世界中がとんでもないことになる」



「そんな話、信じられません」



「まあな。俺だって何も知らないまま誰かにそんな話をされたら専門医にかかるように勧めるさ。でも、朝倉ぐらいの感受性の持ち主ともなると、見たことがあるはずだ。幽霊とかそんな非現実的な存在を」



「……たしかに、心霊写真ぐらい見たことはありますよ。でもそれが吸血鬼や九郎さんが言う存在の証明にはならないでしょう?」



「現実の中に潜む非現実性の存在証明なら十分だ。現実ってやつは朝倉が思っているほど強固に出来ていない。虚ろで、朧で、何より曖昧だ。それに朝倉、お前はもう気がついて居るんだろう。今回の事件が、あんな芸当が人間に出来るわけがないって」





 妙に確信に満ちた表情で九郎は言った。

 



「それは……たしかに九郎さんの言うとおり、考えましたよ。こんな事人が出来る事じゃない、仮に出来たとしてもそれが普通の手段で行われたわけがない。だとしたら、それこそ超常の力を使ってるんじゃないかって、馬鹿な考えが浮かんだりもしました。

 ……でもそんな訳はない。現実は強固なモノです、人が見る幻想や夢が存在する余裕なんてモノは存在しない。違いますか?」



「違うね」





 九郎は断言した。





「君の言う現実は人が作り出した共有幻想だ。世界にはびこる安楽椅子の夢のようなものだ。怖いものを見たくないから、認めたくないから、現実的だの科学的だのとかいう言葉で誤魔化してるんだ。君はもう知っているんだろう? 現実的な日常の裏側に、とんでもない何かが、想像もつかない何かが、自分の力の及びようもない何かが棲んでいることを」



「――――――――」





 だんだん怖くなって来た、自分が立っている場所が酷く曖昧なモノに思えてくる。今にも崩壊しかねない瓦礫の山に立っているような、あるいは底なし沼に脚を取られてしまったかのようなそんな不安感が胸中に噴出する。

 九郎の一言が、和美を更なる深みに誘う。今まで積み重ねてきた浅薄な理屈が、次々に剥がされ、事件の真相がみるみるうちにその姿を現す。





「路地裏の隙間に見たことがあるはずだ。鏡の向こうに見たことがあるはずだ。閉ざされた扉の向こうに見たことがあるはずだ。星一つ無い暗澹たる夜に見たことがあるはずだ。現実という薄っぺらな幻想の向こう側に、悪夢めいた何かを、君は見たことがあるはずなんだ」





 ゾッとする、さっき決めたばかりの決意がぐらつく。

 九郎の言葉は強力だ。怒濤の如くたたみかけ、和美の中を犯してゆく。何らかの力、それこそ魔力と呼ぶにふさわしい超常の力が九郎の一言一句に込められているような、そんな気がした。

 今まで幽霊やそんな類のモノに出会したことなんて一度だってないはずだ。いや、本当にそうか? 都合の悪いことはただ忘れているだけなのではないか? もしかすると私は今まで何か見てきているのだろうか?

 自分の記憶が信用できなくなる。全てを疑い始める。何もかもが嘘っぱちで、どれもこれもが幻で、森羅万象が何者かの手によってでっち上げられたモノなのではないかとういう疑惑が徐々に徐々に和美の中で質量と密度を増してゆく。





 がちがちと、歯の根が合わずに音が鳴る。頭の中でありとあらゆる事象が連結される。漠然とした繋がりが、九郎の言葉によって次々と形を成し関連性を持った事象が和美の脳内に恐怖の実像を投影してゆく。

 真実に向かって焦点が徐々に収束してゆく、現実と言う名のフィルターが外され、新たに九郎から与えられた事実を組み込みながら、一つの絵が和美の脳裏に浮かび上がる。



 今一歩で完成しようかというそのときになって、和美はその絵を全力で破棄した。

 危なかった。九郎の言葉に飲み込まれるところだった。



 まだだ、まだ納得していない。

 未だに直接的な証拠は何一つ見ていないのだ。

 九郎の言葉の真偽も現実の構成も、何もかも証明なんてされていない。

 彼の言葉の中にこもる強大な逆らいようのない力が、そんな当たり前の事実さえも忘れさせていたが、そんなモノに騙されるわけにはいかない。

 だから――。





「だったら、そんなモノが存在するって言う証拠を、見せてください。じゃないと納得できません」





 言って後悔した。もしも九郎が和美を納得させる証拠を持っていたとしたらどうすれば良いというのだ?

 すなわちそれは今まで信じてきたモノが根こそぎひっくり返されるということだ。

 それは絶望だった。





「なるほど、そう来るか――まあいいよ」





 そういって九郎は立ち上がった。机の上から鉛製の小箱――王冠をかぶった人の顔のようなサインの刻まれたモノだ――を取り出した。





「コイツは、イブン・ガズイの粉薬って言ってな、見えないモノを見えるようにする魔術的な効果があるんだ」





 鉛の小箱から、粉末をひとつまみ取り出して、手のひらに置く。





「ここだ。良く見とけよ」





 そういってすぐとなりを指さした。何もない空間だ。

 いや、本当に何もないのか? 見えないだけで何かが存在するのでは無かろうか。

 じっと目をこらすと、何かがいるような、そんな根拠のない感覚に襲われた。





 九郎が、吐息でもって粉末を吹き飛ばした。



 埃のように粉末が宙を舞う。

 真っ白な粉末は何もないところを通り過ぎてゆき、そこにあるモノを浮かび上がらせた。



 人の形をしていた、と言うよりも明らかに人であった。ただし粉末が掛かった部分しか実体化していない。

 首とおぼしき部分に荒縄が食い込んだような痕があった。

 



「――――――ッ!!」



「紹介しよう。コイツの名前はビリー。この屋敷の騒音担当で、この屋敷がやたらとぎしぎし軋むのはこいつのせいで、見ての通り幽霊だ」





 恐らくこの時この瞬間、朝倉和美の世界観というモノは一度崩壊した。





2.





 和美は、幽霊を見た後、不覚にも呆然としてしまった。

 今まで信じてきたモノが綺麗さっぱりとぶち壊されてしまったようなそんな心地。

 爽快感を伴った達観があった。喩えるなら青空の下で高台に立って銅<あかがね>の荒野を見下ろしているような、そんな感じ。



 あの後ビリーという名の幽霊は一礼して、天井へと消えていった。当然壁抜けで。いや、なかなかに礼儀正しい幽霊だ、などと呑気な感想を抱いて、和美は自分のタフネスに驚嘆した。なんだ、割と平然としていられるじゃないか。



 それはともかく、幽霊を容易く実体化させた九郎のことが気になってきた。



 彼は何故あんなことができたのだろうか?

 彼は何故あんなことを知っているのだろうか?



 いや、そもそも、彼は一体何者なのだ。

 

 しかし、それを九郎に問うてもまともな答えが返ってくるとは思えない。いや、もしかしたら素直に答えてくれるかも知れないけれど、それはそれでおもしろくない。

 今調べている事件が片づいたらいずれ詳しく調べてやる、と和美は心に決めた。

 今すぐ調べたい欲求に駆られたが、二兎を追う者は一兔をも得ずという。

 

 取り合えずこれ以上九郎はなにも話してくれそうになかったし。ショッキングな出来事があって疲れてしまったため今日の所はいとまする事にした。





「それじゃあ、失礼します」



「おう。大分遅くなっちまったけど、送っていこうか?」



「いえ、結構です。そんなに距離もないですし……」





 そういって和美は幽霊屋敷――いや、探偵事務所を後にした。

 予定していた時間よりも大分遅くなってしまったが、特に問題はない。



 事件に関する収穫は思いの外多かった。とりあえず、片方の事件についてはもはや全貌を掴んだに等しい――まあ、どう頑張ってもゴシップ記事にしかならない内容ではあったが……



 それよりも、もう一方の事件について九郎からあまり情報を引き出すことが出来なかったのが問題だ。

 動物たちの変死体の事件については九郎は何も語らなかった、言葉尻の数々から察するに九郎は事件について何か知っている――というよりも全貌を掴んでいるのは明らかだった。



 多分アレは、もう一方の事件には深入りするなという九郎なりの警告なのでは無かろうか、そんな気がする。

 あれだけ脅しておけば、もう首を突っ込むまいと踏んだのだろうが――甘い。甘すぎる。

 この麻帆良のパパラッチこと朝倉和美がその程度で諦めるハズがない。

 吸血鬼上等、やってこい、かかってこい、私の血を吸ってみろ。返り討ちにしてくれる。

 決意を新たに、和美は拳を握りしめた。



 辺りはすっかり暗くなってしまった。

 それでもまだ変質者に襲われるような時間でもなかったが、今日はなにやら不気味な出来事が連続して起こったので和美は帰路を急ぐことにした。



 人通りの無い道を、和美はすたすたと進んでゆく。





 それを見たのはまさしく唐突だった。



 何の前触れもなく、和美はそれを見た。





「…………なによ、あれ」





 犬だ。

 犬がいた。

 それ自体は別におかしいことではない。犬なんていくらでもいる。



 しかし、『空を飛ぶ犬』なんてものがこの世の何処に存在するというのだろうか!?





「てくとるるむとふ、あるくいいがんどすてにぃぃ、へるすとにくるおびぃーすっっ!!」





 空飛ぶ犬は、今まで聞いたこともないようなヒステリックで胸糞の悪い笑い声を上げながら。和美の上を通り過ぎていった。



 一瞬ゾッとした。

 だがしかし一瞬で気を持ち直す。これはスクープだ。先ほど九郎からは聞き出せなかった事件の真相と相まみえることが出来るかも知れない!!



 危険だろうが何だろうがこいつを追いかけねば記者の名が廃る。

 「君が思っているよりも世界の闇は深く暗いんだ」

 九郎の台詞が脳裏に蘇る。今や和美は九郎の手によって世界の闇の一端を知った。ならば今更恐れる理由もない。

 「今日は用が済んだら道草なんてしないこと。何があっても見ないふりして帰りなさいな。でないと酷い目に遭っちゃうよ」

 夕暮れ時に出会った女性からの助言が頭を掠めた。だがしかし全力で無視した。



 犬が飛んでいった方向に向かって和美は走った。

 相手を見失ったりはしない。大音量で気味の悪い声を上げているのがさっきからずっと聞こえている。



 道無き道を通りこし、緑の草を踏み、足下に引っ掛かる低木をけっ飛ばす。

 目指すはただ一点、怪異の起こるその地点だ。





「あんがるくすとむ、あいいいえええ、えるんとふるぐると、くしゅにあいわるとっっ!!」





 木を一つ越えたその向こうから、尋常ならざる音程を持つ笑い声が響く。木に隠れるようにして和美は座り込んだ。

 笑い声に反応して、和美の心臓がとんでもない速度で脈動する。一度深呼吸。取材道具の中からデジカメを取り出す。電源をON、準備完了。



 バキボキと、何か固いモノをへし折るような酷く胸糞の悪い音、続いて断末魔じみた犬の悲鳴。

 この低木の向こう側で一体如何なる行為が行われているというのだろうか?





「――――――――ッ!!」





――世界の闇は深く暗いんだ――



 再び、先ほど九郎が言っていたことを思い出す。

 和美は、今自分が現実と非現実の狭間に立っていること自覚していた。



 前々から気がついていた、この麻帆良は何処か変な街だ。



 一般的な常識では説明することが出来ない超常現象や、オカルティックな存在がうようよと蠢くまるで絵本の中のような街であることを知っていた。

 今まではそんな目にあっても目をそらしてきた。

 何度も記憶を失う班長、不思議と喪失する資料。明らかに何者かの力が働いているというのに、自分が納得できる理由を探しては、何度も何度も自分を騙してきた。

 九郎の手によってその欺瞞はとうとう砕かれた、ならば今こそ真実をこの目で見るべきだ。

 世界の隠された真実を知り、世界の深き闇を暴き立て、報道の力をもって皆に真実を知らしめるのだ。



 この向こうにいる吸血鬼の姿を想像する。

 これは恐らく、九郎から聞いた満月の夜の事件ではなく、もう一方の事件――おそらくは九郎が元々追っていた事件――の方の吸血鬼だ。



 得体の知れない悲鳴じみた笑い声、空を飛ぶ動物たちの噂はやはりこの吸血鬼がもたらしていたモノだったのだ!!

 自分の推測が外れていなかったことににやりと唇の端を持ち上げる。



 この低木の向こうに今まで見たこともない奇妙な世界があることを、もはや和美は完全に理解していた。



 今なら引き返せるかも知れない。今見たモノ、今日調べたモノの全てを忘れ、平穏な日常に舞い戻ることは容易なことだ。今日手に入れた新たな世界観を放棄し、以前のそれを取り戻すことはそれほど難しいことではないだろう。

 事実、そうするべきだと、先ほどから頭の中にある冷静な部分は切実に訴え続けている。

 だがしかし、それは何とも癪ではないか。

 未知なる怪異にこんな所まで漸近したのだ。せっかくの機会だ。それにこれを逃せば恐らく次は無い。

 あの探偵――大十字九郎という男は、こいつの正体を知っていて、こいつをどうにかするためにここに来たのだ。

 おそらく、こいつは九郎によって駆逐される。その前に、こいつの正体を知っておくべきでは無かろうか。



 デッドライン。そんな言葉が和美の頭をよぎる。

 かまうモノか、記者は真実を暴き皆に伝える義務を持つ。



 だったら、突っ込んでやる。私の名前は朝倉和美。報道部突撃班所属の麻帆良のパパラッチだ。

 こんなところで怯んでどうする!!



 あの笑い声に、何かを突き刺すような生々しい音と、粘性の高い液体を啜るような嫌な音が混じる。



 怖かった。怖かったが、こんな大スクープにを再び掴み取ることが出来るかどうか判らない。チャンスは逃さずに掴み取るのが鉄則だ。



 デジカメを夜間用に設定。

 もう一度だけ深呼吸。

 瞑目し、心を落ち着ける。



 よし、準備完了だ。写真を撮ったらその後すぐに逃げだす。それでOKだ。その後は九郎の所に逃げ込めば何とかなる。多分、あの人は普通の人じゃない。それだけは間違いなかった。





 ありったけの勇気を振り絞って立ち上がり、木々の向こう側を覗き込んだ。

 同時にデジカメのシャッターを切――――――。





「え――――――?」





 そして、其処にいたモノを見て、和美は、自分が九郎の言ったことを万分の一も理解していなかったことを思い知った。





File06「探偵と記者」…………………Closed.

魔導探偵、麻帆良に立つ File07「闇から逃れ得る者無く」

  HOME  | 書架top  | 

Copyright (C) 2006 投稿図書, All rights reserved.