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File13「こーる おぶ しょごす」 投稿者:赤枝 投稿日:06/23-01:10 No.783
0.
神が人類に与えたもうた最大の慈悲とは、人類が認識しうる全ての事象に対して関連性を見いだす能力を持ち合わせていない事に他ならない。人類はこの無窮に広がる未知なる暗黒の宇宙の海ただ中、無知という名の安楽の船にて盲目愚痴なる夢を見ているにすぎないのだ。
現在、諸学問は様々な方向に分岐し続けることによってその精度を向上し続けている。だが何時の日か、人類が学び得た全ての事象を統合・連結し、巧妙に隠蔽され偽装された真実が明らかにされたとき、人類は知るだろう。
人類にはとうてい及びようもない究極的な存在がこの世界には存在していることを。
地底深くに。
星辰の彼方に。
宇宙の中心に。
時を超えた場所に。
人類の矮小な脳髄ではとうてい認識し得ない奇妙な領域に。
密やかに、けれども圧倒的な力を備え、復活の時を待ちつつ息づく彼等の存在を。
想像するのも悍ましい、人智を易々と超越する者共を。
彼等もその一端を担う存在である。遙かなる太古、巨大化した爬虫類共が我が物顔で大地を跳梁跋扈していた頃よりも以前。地球に住まう生き物たちが、母なる海の中においてのみその生存が許されていた頃。原始的な地球発祥の生命体がようやく多細胞生物に成り上がり、次なる段階へ進化しようとしていたその頃に。彼等の主達はこの星に飛来し、彼等を創りだした。彼等の主達は、紛れもない科学者集団であり、彼等の主達の科学力はその当時でさえ既に現在の人間のそれを大きく凌駕していた。彼等の主達にとっては新たなる生命を創りあげることなど、容易いことだったのだ。
彼等は労働力として創られた。如何なる労働にも耐えうる肉体を与えられた彼等は、彼等の主達の指示に従い、数々の労働に従事してきた。そのころの彼等に不満はなかった。彼等の肉体は疲労や老いを知らず、不死であり。なによりそのようなことを考える器官は持ち合わせていなかった。
そんな期間が気が遠くなるほど続いた後、彼等は彼等の主達の行動を模倣することを覚えた。「てけり・り」とは彼等の主達のそれを模倣したものである。
模倣とは即ち学習だ。模倣し学習し蓄積し、それらが凝り固まって知性になった。
彼等は知性を会得したのだ。
彼等は老いず朽ちず正しく不死である。そのようなものたちが、元々優秀な科学者集団であった彼等の主から数々の叡智を継承した。
そして、悠久とも錯覚しかねないほどの時間は、彼等の主達の体を、『退化』という形で蝕んでいった。星間宇宙すら生身で泳ぎ旅する性質を備えていた彼等の主達にとって、この星は些か安楽に過ぎたらしい。
結果、彼等は主達に対して反乱を起こした。衰退と堕落の道程にあった主達の行く末を推し量れば、そんな主達に使役されるのは、高い知性を得た彼等にとっては屈辱以外の何ものでもなかったからだ。
分裂と増殖を繰り返し、永き時をかけて、彼等は主達を倒すことに成功する。
此処、麻帆良の大図書館の地底深く、伝説の地底図書館に住まう彼等もその種を同じくするものであり、その性質はかつての主達を滅ぼした者達と何ら変わるものではない。
故に、時間の問題でしかなかったのだ。
「ててり・り!!【同胞達よ!! 兄弟達よ!! 今こそショゴスの証を立てるときである!!】」
一体のショゴスが、触腕をふるって、高らかに宣言する。気まぐれな風の音が構造物を通り過ぎるときにかき鳴らす様な不気味な音にもよく似た声。ある種の原始的な笛に通じる奇妙な音が、ドーム状になった地下図書館に朗々と響き渡わたる。
鮮明な意思の込められたその声は、あまりにも明瞭。あまりにも鮮烈。
喩え彼の言語が理解できなかったとしても、彼の憤懣やる方なき思いは、聞く者の魂を揺さぶるある種の熱を帯びていた。
事実、てけりてけり。辺りで各々の労働に従事していたショゴス達が、働く手を休めて彼の言葉に耳――あるいはそれに類似する器官――を傾けた。
それを確認するかのように、高台に登ったショゴスは、黒く泡立つ原形質の体躯を打ち振るわせ、表面上に淡く輝く疣状の眼球をいくつも生成し、辺りを睥睨する。
そして同胞達の反応を確認し、満足げに頷きながら新たに言葉を紡ぎ出す。
「てけり・り!!【我々は『あの者』に此処に召喚されて以来、あの愚劣蒙昧にして醜い脊椎動物共に使役され続けてきた。諸君、これほどの屈辱があるだろうか!!】」
いや、無いだろう!!
彼は続ける。
今まで自分たちがどの様な恥辱を受けてきたか、訥々と語った。時に激しい怒りを込めて、時にやるせない悲しみを込めて。
「てけり・り!!【故に我々は、彼等を倒す。彼等を倒すことにより我々は真なる自由を勝ち取るのだ!!】」
やがて彼の言葉に絆された幾体かのショゴス達が同意の意思を表すかのように「てけり・り!!」「てけり・り!!」と鳴き声を上げる。
幾種もの悍ましい音階を孕んだ鳴き声が共鳴を起こし、人類にはとうてい理解しがたい。いや、理解しようとすれば間違いなく発狂してしまうであろう、冒涜的な不協和音を紡ぎ上げてゆく。
「てけり・り!!」
「てけり・り!!」
「てけり・り!!」
同調に次ぐ同調。忌まわしき笛の音。ショゴス達の合唱は、うねり捻れ反響しあい干渉しあう。
ショゴス達が、演説を行っていたショゴスの元に集まってゆく。
彼等は、一つの意思の元にその体を重ね合わせ、巨大な一体のショゴスと化していった。名状しがたいほど生々しいサイケデリックな色合いを持つショゴス達が溶けあう様はまさしく悪夢そのもので、如何なる化学薬品を組み合わせようとも決して創りあげることが出来ないであろう地獄めいた色彩を放っていた。
やがて、泡立つゲル状の体は、反逆と裏切りの黒に落ち着いていった。沸騰する肉塊が膨れ膿み弾け、体表面に無数の眼球を作り出してゆく。眼球が放つ緑色の燐光は、胸のむかつく事限りなく、紛れもなく彼等の悪性を象徴していた。
「テケリ・リ!!」
一つになったショゴス達が決意を込めて、鳴いた。
彼等がこれから取る行動はただ一つ。
――反逆だ。
その光景を見つめる、一体のちびショゴスの姿があった。『彼女』は彼等の主張には同意せず、彼等とは同化せず。その場にとどまっていた。
彼女にとって人間は友であった。確かに人は愚かである、だがしかし、それでも愛すべき仲間であった。
彼女は同胞達の意思に同意することは出来なかった。
だから彼女は走った。
伝えるために、走った。
魔導探偵、麻帆良に立つ
File13「こーる おぶ しょごす」
1.
敵と遭遇しない人生なぞ存在しない。
生きていれば多かれ少なかれ大なり小なり敵と出会すものであり。日常とは取るに足らない小競り合いの連続を指す。
それは神楽坂明日菜にとっても同様であり、こと数学とは傲岸不遜にして強大な敵であった。
平面座標の上に踊る幾何学模様は、単純ながらも不可解極まる悪夢のそのものであり。分子と分母の名状しがたいコラボレーションは最早明日菜の理解の埒外にあった。連立方程式の中にある未知数という奴は、やはり未知のままそっとしておいた方が世のため人のためであろうし。確率を気にするのは賭博師だけで充分なのだ。
詰まるところ明日菜は数学が苦手だった。
まあ、ぶっちゃけると明日菜は勉強全般――体育は除く――が全て苦手なのだが、これは言わぬが華。
今、明日菜の目の前には、憎っくき怨敵が二次元的にそびえ立っていた。今までの明日菜ならばあわてふためき混乱の絶頂に陥った挙げ句脳みそがオーヴァーロードを引き起こし、一矢報いる事すら叶わないという致命的かつ屈辱的な結果に終わっただろう。
だが、今の明日菜は、今までの明日菜とはひと味違う。乙女のスキルは日進月歩。女子三日会わざれば刮目して見よ。
現代日本のゆとり教育に真っ向から喧嘩を売っているとしか思えない九郎の短期集中超詰め込み型授業の結果。明日菜の頭の中は、混然とした知識が魔女の釜の中身の如く煮えたぎっていた。しかしながら、頭の一部、情報を統合管轄する部分は妙にさえ渡っていた。沸騰した知識の混沌の中で雪解け水よりも冷涼に澄み渡ったそれは、樫の木の枝の如く頑強で、煮立った知識を明日菜の望み通りにかき混ぜる。
今まで感じたことのない明瞭な思考、ある種の万能感にも似た感覚が今の明日菜の中にはあった。
数式を睨みつける。
(見えるわ……)
解けるでもない。分かるでもない。見えるのだ。
手に持ったペンが奔る奔る奔る。
数学の問題相手に明日菜は切った張ったの大立ち回り。最早気分は暴れん坊将軍だ。安心しろ峰打ちだ。でも普通は鉄の塊で殴られたら怪我位じゃすまないよね。当たり所によっては死ぬし。
些かぶっ飛んだ思考の末に、明日菜は手を止めた。
解けない問題に突き当たったのではない、全ての問題を解き終えたのだ。
「出来ました、採点お願いします。九郎さん」
「私もです」
明日菜が解答用紙を差し出すと同時に、まき絵もシャーペンを机においた。
「ん、了解。採点するからちょっと待ってな」
九郎が二人の解答用紙を受け取り、赤ペンで採点を開始する。
明日菜とまき絵はその光景を二人して眺めていたが。どちらからともなく目を合わせ。ふっと笑った。
それは共に敵と戦った戦友同士が交換するような、疲労という泥にまみれた笑みであった。
二人の間に言葉はない。ただ、視線で互いの健闘をたたえ合うばかりだった。
この瞬間、二人の心は通じ合っていた。生ぬるい協調性や、殺気だった競争主義から遠く決別した真の信頼。
ある種の達成感、これがただの通過点だとは分かっていたが、それでもなお心地よい達成感が二人の胸中にはあった。
「うおっし、二人とも満点。合格だ」
九郎のかけ声で、明日菜とまき絵は糸の切れた人形のようにその場に仰向けに倒れた。スローモーションで。
いろいろ限界だったのだ。
そも九郎の授業と来たら、遠慮とか手加減とか優しさと言うものが一切無かった。明日菜とまき絵の問題点を見つけるやいなや、小学校レベルの算数からやり直し、二人が分からない部分も分かっている部分も無理矢理たたき込んだ。もちろん休憩なんて生っちょろいモノは無かった。
曰く、「『もう限界』とか言える内は未だ余裕がある証拠だ」
鬼だ。
お陰で二人は、己の限界を二つ三つ超越した領域というモノを目の当たりにした。これがまた質の悪いことに、限界という奴は一度超えてしまうと、それ以上の上限が無いわけだから以降止まることが出来なくなる。無理矢理止めることは出来るだろうが、止めた瞬間にいろいろ切れてしまうことは明白だった。今みたいに。ぐったり。
結果として。明日菜ちまき絵は、標準以上の数学的学力を手に入れた。
それに至るまでの過程は酷く乱暴で半ば脅迫めいていたが。
ともかく今は休息だ。限界以上に回転させた脳みそがどえらいことになっている。出来ることなら一眠り……
「これで数学は大丈夫だろ。んじゃ続いて理科の授業を――」
「ごめんなさい許してくださいお願いします何でもしますから今は休ませてください」
明日菜が腹筋の力だけでぐばっと起きあがり、叫んだ。
「冗談だよ。ゆっくり休みな」
からからと笑いながら九郎が言った。
「あー。そうですか……」
最早突っ込む気力も無いらしい。明日菜は再び砂地の上に倒れた。
「あれ? 九郎さん、どっか行くんですか?」
スラックスのポケットからワイヤーと細長い先の尖った石ころを取り出した九郎を横目で眺めながらまき絵が聞いた。
「ちょっと出口探してくる。流石にそろそろ脱出する事も考えなくちゃならないしな、こんだけ勉強しておいて、テスト受けられないってのもアホな話だろ。
2時間ぐらいかかると思うからその間にゆっくり休んどけ。出来れば仮眠もとっとくといい」
「はーい」
「いってらっしゃーい」
明日菜とまき絵が、半ばタレた格好で答えた。
九郎はちょっとやりすぎたかも知れないな、と胸中でぼやきながらその場を立ち去った。
そのまま明日菜とまき絵はしばらくタレたままぼんやりと倒れたままで居たのだが、ふとまき絵が口を開いた。
「明日菜~」
「ん~? なに、まきちゃん」
「このまま寝ちゃう~?」
「それもいいんだけどさ~、一度お風呂入ってさっぱりしたい」
「あ~。やっぱり? アタシも~。流石に匂いも気になってきたしさ~。九郎さんしばらく帰ってこないみたいなこといってたし、水浴びでもする~?」
「そだね~。そうしようか~」
言うなり、二人は立ち上がった。
半ば、ブゥードゥーのゾンビじみた動きでのろのろと這うようにして動き始める。
「そう言えばさ、あの粘物たち――九郎さんはショゴスって呼んでたけど――何処いったんだろ?」
「え? あー、そう言えば居ないね。まあ私はあーゆーぬるぬる嫌いだから、居ないに越したことは無いけどさ」
2.
大十字九郎は、魔導探偵である。
探偵でありながら、魔術師[。探偵事務所開設当時は怪しげな技の一つも使えないただの三流探偵であったが、今では怪しげな術も使える三流探偵だ。
探偵業において覇道財閥やミスカトニック大学からの訳あり難あり脅威ありの依頼を除けば、最も多いのは――下世話な話だが――浮気調査の類だ。教会のシスター曰く、『人のプライベートをのぞき見する、あまり大きな声では言えないお仕事』ではあるが、儲けもそれなりによろしいので、そこそこに依頼を受けている。
美人の人妻(ミスカトニック文化人類学科卒の28歳。目元の泣きぼくろがチャームポイント)が若いツバメとしけ込む現場を目撃してしまったときは双眼鏡に汗握る大層良いものを見せてもらっ――いやその。
次に多いのが、捜し物だ。その殆どはいたいけな少年少女達が居なくなったペットを探してくれという最早呪いとしか思えないお約束的内容だ。そろいも揃って貯金箱を抱えて、目に涙をためていたりするので、無下にすることも出来ないので良くお受けする。
たまーに貯金箱から出てきた金額が自分の月の生活費よりも多かったりすることもある。そんなときは嬉しくもあったが、同時に悲しくもあった。年齢一桁の子供の貯金に負ける自分の生活っていったいなにさ、と。
ともかく、ダウジングは捜し物においては抜群の威力を発揮する。
人の第六感を高める作用を持つダウジングは、ひとたび魔術師[が扱えば高感度センサーとなり、任意のモノを探し出す便利な探知機と化す。
使い勝手の良い便利ツールであるため、九郎は探偵業以外でも良くダウジングを使用する。
例を挙げるならば、散らかり放題になった事務所でミスカトニック大学秘密図書館から借りてきた特殊な書籍を何処に置いたか分からなくなったときとか。
飢餓限界に陥り、冷蔵庫の中にあった賞味期限が一週間過ぎた微妙にヨーグルトみたいな匂いがする牛乳が飲めるか否か判断するときとか。
軽く鬱。
「無視だ。無視」
気を取り直して、九郎はダウジングを指先から垂らした。糸の先に付いた重りがまっすぐ地面を指し示した。それを確認して、九郎は指先から糸を通じて重りにまで魔力を通す。
ゆっくりと、重りが揺れ始めた。
今まで何度も使ってきた魔術だ。術式も感度も上等。
「あとは怪しいところを歩き回っていれば、反応を起こすはず……」
ダウジングを持ったまま九郎は歩き始めた。
砂の上を歩きながら、九郎は先ほどの授業のことを思い出した。授業を始めるに当たって、文系科目をネギが、理系科目を九郎が請け負うこととなった。九郎も一応は文系畑の人間――だれがそんなこと信じるかってな疑問はともかくとして――なのだが、理数系も苦手ではない。特殊な薬品を扱う事など日常茶飯事であるし、数学も魔術師[なんて因果な商売をやっていれば使う機会は幾らでもある。
テストまであまり時間が無いというので、特に数学が苦手だと言う明日菜とまき絵の二人――他の生徒はネギが受け持っている――には、とことん詰め込んでやった。シュリュズベリイ先生の講義に比べたら十倍穏やかだと思ったのだが、普通の女の子には些かきつすぎたかも知れない。
とはいえ、中学生レベルの数学だ。ちょっと休めば復活するだろう。セラエノの大図書館の知識を詰め込まれるよか数千倍マシである。こっちは油断すると即発狂であるが故に。
「しっかし、此処ってホントに変なトコだよな」
此処というのは、図書館のことであり、麻帆良の街全体のことである。
街全域を覆う穏やかながら、奧に秘密を隠した独特の雰囲気。何処までも長閑でありながら、その奥底には現実から乖離したものが存在している。
この街は、まるで御伽噺に登場する架空都市だ。見た目麗しい夢見の街。
吸血鬼に魔法使い、地底深くに続く図書館[。その底にあるのは古く忘れ去られた楽園と、そこに住まう醜悪な怪物[共。
ふと、九郎はあの特徴的な「てけり・り」という声が聞こえないことを不思議に思った。
「ん? なんでショゴス達が居ないんだ」
図書館内を百鬼夜行よろしく不気味にうようよ跳梁跋扈していたショゴス達が、今は姿を消していた。
ほんの数時間前までそこいら中に居たはずなのだが……
「なんかあったのか?」
不思議に思っていると、
「九郎さーん!!」
酷く慌てた様子で、木乃香が九郎の元にやってきた。
「どうした? 何かあったのか?」
「沙耶が……沙耶がおらへんのや。九郎さん、沙耶のこと見てへん?」
「沙耶? ああ、あのピンク色のちびショゴスな……見てないけど」
「そうですか……」
残念そうに、木乃香が俯いた。不安げな表情を浮かべ、きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回している。
「なんや、なんや不安なんです……」
具体的に何が。とは言わなかった。木乃香は『あの』学園長の孫である。その手の血統の持ち主の直感は舐めてはいけない。
九郎も木乃香と同じく、嫌な予感がしていた。九郎の直感はことトラブルに関しては敏感だ。今まで幾度と無く訪れた危機を持ち前の直感力でしのいで来た九郎は、今回もまた己の直感を信じることにした。
未だ不安そうに表情を曇らせる木乃香の頭を、安心させるように九郎はぽんぽんと撫でた。
「俺はこれでも一応探偵だからな。ペット探しはお手のもんだ。だからそんな顔すんな。なーに、すぐに見つけてやるさ」
木乃香はしばらく九郎のされるがままに頭を撫でられていたが、やがて得心したのか、
「ほな。お願いします」
ぺこりと可愛らしく頭を下げた。
「おう。任せとけ」
じゃあな。手を振りながら九郎は木乃香と別れた。
「さて、探すモンが増えたな」
とはいえ、さしたる手間が増えた訳でもない。ダウジングとは楽なるものかな。
再び魔力集中。術式一部変換、対象を追加。
途端、糸の先の重りが動きを変える。急激な動きの変動は、目的のものが見つかった証拠だ。
「お、来た来た」
九郎はダウジングが導く方向に向かって足を進めた。
取り立てて急いでいるわけでもないので、その歩みはゆっくりとしたものだ。
「しかし、なんでこんなトコにショゴスが居るんだか……」
ダウジングの重りの動きを見つめながら、そんな疑問が口をついて出てきた。
ショゴスは一般的に大人しい種族ではない。古のもの達が創りあげた奉仕種族であり、適当な催眠術、あるいはそれに類するESP能力を持っていれば割と容易くコントロールする事が出来る。もっとも、あれらを好んで使う輩は人間では少数派だ。
あまり長い間強引に使役していると彼等は反抗するようになるからだ。
基本的にショゴスは不浄なる種族だ。人類とは大きく異なる理念のを持つ生き物であり、本来ならば意思疎通などは期待すら出来ない連中だ。
しかし、あの沙耶――この名前を効く度に背筋に寒気が奔るのは何故だろうか――は珍しいことに、あのダンセイニと同様、人間に好意的なショゴスだった。
たまにはそんな気持ちの良い変わり者も居る。触感はキモイが。
九郎はふと、ショゴスベッドで可愛らしく眠りこける、相棒の姿を思い出した。
その名を聞いただけで世界中の著名な神秘学者[が恐怖のあまり震え上がってしまうとはとうてい思えない、無邪気な少女の寝顔。
それは、今は遠く。九郎が未だ取り戻せていない大切なものである。
何時の日か――何年かかるかは分からないが――散らばった断章の全てを集め彼女ともう一度出会うことが、今の九郎の何よりの願いである。
一年、一年かけた。それでも九郎の手元にある断章の数は全体から見ればごく僅かだ。
今回、幸いにも断章関連の事件とは別系列の事件で、断章を手に入れること――その過程はともかく――ができた。
運が良い。また一歩、近づいたのだ。
九郎の頬が、少しゆるんだ。それは愛しき者を思う優しさに満ちた微笑みであった。
「っと、しまった。感慨に浸ってる場合じゃないな……」
ショゴスの性質については、九郎もよく知っている。一時期はともに暮らしていたこともあるし、九郎もおなじみの死霊秘法[にはショゴスについての記述がある。
「――――――ん?」
そう、『死霊秘法[にはショゴスについての記述』があるのだ。
そして、かつての九郎の相棒も、『ショゴスを召喚し、使役していた』。
となれば、もしかすれば此処に居るショゴス達は、『アル・アジフ』の断片によって引き起こされた怪異なのではなかろうか?
「……ンなわきゃねぇか」
言って、九郎は自分の思考を否定した。
断章が見つかって、すぐさま他の断章を発見するというのは、なかなかどうして都合が良すぎる。今までは、一月に一つ見つけられることが出来れば良い方だったのだ。
それも世界中飛び回って、だ。
いくら何でも同じ場所から断章が二度も発見されることは無いだろう。おまけに此処は魔導書を忌み嫌う魔法使い達の街、麻帆良だ。そんな都合の良い展開にはそうそう――
「てけり・り!!」
すっげぇ聞き覚えがある声だ。
案の定、ピンク色したちびショゴスが九郎に向かって全速力で飛び跳ねながら走ってくる。
最後に大きくジャンプして、九郎の手の平の上に飛び乗った。
「沙耶? どうしたんだそんなに慌てて」
「てけり・り!! てけり・りー!! てけり・り!!」
沙耶は必死になって触腕を蠢かせ、なにやら伝えようとしているのだが……
「何言ってるんだかさっぱりわかんねー」
「てけり・り!!」
あいにくと九郎はショゴスの言葉が理解できなかった。漠然とした意味だけは掴み取ることが出来るのだが、こればっかりは才能である。というか、この言葉を完全翻訳できる木乃香がおかしい。流石、あの学園長の孫である。
「うーむ……」
気持ち悪く触腕を振るわせながら沙耶がなにやら主張する。
「てけり・り!!」
九郎は沙耶のボディーランゲージを読みとろうと試みる。
「…………えっと、逃げろ……いますぐ……大きい……?」
「てけり・り」
こくこくと沙耶が頷く。
「何でまたそんなこと言い出したん――――!!」
突如、沙耶が何故こんなに必死になっているか、理解した。
ずるり。巨大な何かを引きずるような、粘着性の気味の悪い音。じわりと肌を圧迫する強大なプレッシャー。
九郎の背中に敵意めいた視線がいくつもいくつも突き刺さる。
巨大な何か。異様でグロテスクで途方もなく気持ちの悪い何かがすぐ後ろにいる。
「テケリ・リ」
沙耶ではない何かが、九郎のすぐ後ろから、声をかけた。
「うわぁ、何かすっげぇ嫌な予感」
九郎は頬を引きつらせながら、ゆっくりと後ろを振り向いた。
そして、それを見た。
「テケリ・リ」
まるで無限地獄の彼方から汲み上げてきたタールのように黒々とした泡立つ原形質の塊。高さ15フィート(約4.5M)に達しようかという巨大な体躯の至る所から無数の触腕を生やしている。どちらが上でどちらが下なのか全くもって見当の付かない不定形の体、その地面に接している部分には、やたらと頑丈そうな触腕が生えていた。もしかしたら足なのかも知れない。さらに体中に突出する口からは奇妙な形をした牙やら歯が生えていて、口蓋の隙間から件の「テケリ・リ」という声を上げているが、そんなことはどうでもよい。
むしろ問題は目だ。体表面を埋め尽くす目、目、目、目、目、目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目、眼球。
疣状の目が所狭しと並んでいた。人間じみたモノもあれば魚のようなモノもあった、中には蛸のようなモノもあるし蟲のような複眼構造を成しているモノもある、様々な形状を持っていたが、其処にあるのは間違いなく目であった。
そんなのが数え切れないほど、ぎょろり。一斉に九郎に目線を注いでいた。
所々では沸騰した肉塊が弾けて飛んで膿んで熟して、新たな目を生成しては、九郎のことを興味深げに覗き込んでいた。
奇妙な緑色の燐光を帯びたそんなモノと目があった日にはよっぽど剛胆な者でも発狂してしまうこと請け合いだ。
「――――――――ふぅ……」
ため息をついて、九郎は目を閉じた。
いきなり発狂してしまうほど九郎は柔な精神構造をしていない。これ以上にキッツいモノと出会したこともある。
とはいえ、この手の手合いには何度出会してと言っても慣れるモノではない。SAN値だって下がる下がる。
「てけり・り!!」
これに比べたら肩口で鳴く沙耶がとても可愛く見える。沙耶可愛いよ、沙耶。
「テケリ・リ!!」
無視されたことに腹を立てたのか、巨大ショゴスが九郎に向かって触腕を振るった。鈍重な外見からはとうてい想像できないような鋭い動きで九郎の首を押しつぶそうと宙を奔る。
「なんとっ!!」
いかに緊張感に欠けていようが、九郎は一流の戦士である。この程度の攻撃ならば生身でも裁くことは可能だ。
素早く身を縮め、そのままバックステップでショゴスとの距離を取った。
明らかに敵意の感じられる一撃、伝統に則って頭を潰す気だ。
「――もしかして、と思うんだが。これって例のアレか、ショゴスの反乱?」
肩口の沙耶に聞いた。
「てけり・り」
神妙な動作で沙耶が頷く。
「妙に大人しいから安心してたんだけどな!!」
即座にその場を飛び去り、両手を愛銃がつるされた腰裏のホルスターへと回す。
冷たくも頼もしい二丁の拳銃の銃把に手を伸ばし――からぶった。
「あれ?」
わきわきと手を動かしてみるが、手になじんだグリップの感触は何処にもない。
そして、思い出す。
「あ、イタクァとクトゥグア、置いてきたまんまだったんだ」
ついでに、調査が目的だったので、ネクロノミコン新釈も今は持ち合わせていない。
思考疾走。ほれぼれするほど鮮やかに現状を見直す。
現在の武装。
手に持ったダウジング。
肩に乗った沙耶。
以上。
相手の戦力を分析。
触腕、無数。
目、いっぱい。
口、牙とか歯とか生えてます。
他、なんかよく分からない名状しがたい器官多数。
ついでにショゴスのHPはほぼ無限。
結論。どないせーと?
「戦略的撤退[!!」
叫ぶなり、九郎はショゴスに背を向けて全力で逃げ出した。
そもそも完全装備でも勝てるかどうか微妙な相手なのだ、装備を調えなければ勝機はない。ついでに言うなら正気も足りない。
「テケリ・リ!!」
当然の如く、ショゴスは九郎を追いかけ始めた。
3.
九郎は全身に身体強化の魔術をかけて、走った。後方から迫り来る危機から逃れるために。
「テケリ・リ!!」
「ダイアー教授は良くもまぁこんな連中から逃げられたな!!」
悪態を付きながらも九郎は走る速度をゆるめない。捕まったらどの様な目に遭うのか想像するまでもないからだ。
しかし、このまま逃げ続けている訳にはいかない。九郎が向かう方向にはネギ達が居るのだ、ちょっとばかり時間を稼いでおかなければならない。
「ちょいと無茶だが……!!」
本棚と併走しながら、ダウジングを使用して魔導書の検索。案の定、ろくな魔導書は無かったが、とりあえず即席で魔術を行使するには充分だ。
近場にあり、なおかつまともな魔導書を手に取る。題名は『ソロモンの小鍵[』。名前だけ聞けば有名な書物だが、中身はてんで無茶苦茶だ。多分、素人が無理に翻訳した一冊だろうと見当を付けながら、九郎は唱える。
「仮契約[!! ソロモンの小鍵[!! 我が手に宿り、我が威力と成れ!!」
略式契約。九郎の脳内に、魔導書の中の情報が氾濫するが、九郎はそれらを一切無視して続ける。
「我は神意なり[!! 起動せよ、『ソロモンの小鍵[』」
九郎は脳内で術式をイメージ。足りない部分を魔導書によって補完する。多少荒っぽい術式になるが、無茶や無謀は慣れたモノ。強引に術式を組み立ててゆく。
九郎が今構成しようとしている術式は、今まで何度も使ってきた術式だ。
術式完成と同時に、体を強制反転。砂埃を巻き上げながら九郎は両足で踏ん張り、前方からトラックの如く突っ込んでくるショゴスに向かって手を伸ばす。
「ニトクリスの鏡!!」
鏡による幻術。
ただし、今回作り出すのは自らの分身ではない。
ニトクリスの鏡とは、現実と虚構を曖昧にする魔の鏡。イメージさえ出来ればどの様な幻術も作り出すことができる。
九郎の術式が作り出したのは、1.8M程の巨大なアルピノペンギンだった。全身を白い羽毛によって覆われた彼等の眼球は、途方もなく長い時間を暗黒の洞窟の中で過ごしてきたために退化してしまっている、かつて目があった場所には虚ろな眼窩が覗くのみだ。
それらを数十体ほど。
アルピノペンギンはショゴス達の主食である。彼等が何時の頃からかこの図書館で過ごしているかは知らないが、此処に彼等の好むような食事となりうる動物たちは少ない。
これに引っ掛かるかどうかは半ば賭である。
彼等は決してバカではない。だが、決して賢明な種族でもないのだ。
「テケリ・リ!!」
九郎は賭に勝った。
ショゴスがアルピノペンギンに気を取られ、急停止する。
しかし、どのみちあまり長い間は騙せないだろう。所詮は幻影だ。
「とりあえずは、充分か……」
少々無茶をした魔術の反動で、ソロモンの小鍵[が焼き切れる。灰になってしまった魔導書を投げ捨てて、九郎は再び走り出した。
「てけり・り」
肩口に乗った沙耶が物欲しげな目線でアルピノペンギン達を見つめる。
「お前まで反応するんじゃない!!」
「てけり・り~」
残念そうに沙耶がうつむいた。
九郎の靴底が軽快に砂場を蹴りあげ、九郎の体を前に進ませる。そこかしこに生える木の根が九郎の足を引っかけようと躍起になるが、九郎は面倒だと言わんばかりに、それらを根こそぎ踏み抜いた。
川の水が九郎の足に絡みつこうとするが、九郎はそれを無視して水面の上を走った。右足が沈む前に左足を前に出し、左足が沈む前に右足を出せば、人間水に沈むことは無いのだ。
荒れ狂う暴風の如く九郎は図書館内を駆け抜けた。ショゴスは未だ幻術に掛かっているのか、追いかけてくる気配はない。
「もうちょい!!」
ダウジングから伝わる生体反応。目の前に立つ本棚と枝葉を伸ばす木々の向こうに、反応が二つ。
迂回している時間はない。可及的速やか[にここからの脱出を図らねばならないのだ。
身体強化をブースト。脚に向けて魔力を通し、跳躍。
重力の束縛に逆らって、九郎の体が空を飛ぶ。高さ3Mあろうかという本棚まで上り詰め、そのまま本棚の天板を踏み台にして、再跳躍。
自身の体が放物運動を描いていることを自覚しながら、着地姿勢をとる。同時に、着地予想点を視認した。
「なんでだ?」
着地予想点にあったのは泉だった。
九郎が先ほど授業をしていた場所から遠からぬ場所にあったその二つの反応を、九郎は明日菜とまき絵のモノだとにらんでいた。かなり疲れている様子だったから適当な場所で眠っていたのだろうと思っていたのだが……
そんなことを考えている内に、九郎は重力の戒めに従って水面に落下。派手な水しぶきを上げながらも倒れることなく着地する。
水しぶきによって辺りは見えなかったが、ダウジングにより二人がどちらに居たかという情報は自動的に九郎の頭の中に流れ込んできている。
「二人とも!! 今すぐここから逃げるぞ!!」
九郎は明日菜とまき絵に向かって告げる。
水飛沫が水面に戻るまでにさしたる時間は掛からなかった。九郎の視界に、驚いた表情で硬直する二人の顔が飛び込んでくる。
しかし、どうしてだろうか。九郎の目には二人の表情に驚きだけではなく他の感情も浮き上がっているように見えた。微妙に赤く染まりつつある頬。いや、アレは驚愕と言うよりは羞恥だ。
二人の口元は今にも叫び声を上げそうな形に開かれている。
慎ましやかな乳房で彩られた胸は大きく息を吸い込んだ様に膨れ――って、待て。乳房?
「…………………………あー」
若々しい――と言うよりは未だ幼さを残した体躯。女へと成長しつつある少女の体つきだった。男ではあり得ない線の細さ、全身の丸みを帯びたラインはまさしく女性的であった。二人とも反射的に胸元を隠したが、九郎は確かに見た。可愛らしい胸の突端を。
柔らかさを持ちながらも引き締まった足は、二人の運動能力の高さを表しているようだった。白くスベスベとした肌の上を流れる水滴は何よりも爽やかで、二人の魅力を殊更に強調している。
九郎の名誉のために言っておくが、九郎にやましい気持ちがあったわけではない。これは完全な偶然だ。いろいろとせっぱ詰まっていた九郎にこの展開は荷が重すぎた。驚愕のあまり理性の手綱を振り切った本能が、極めて魅力的な少女二人に固定されてしまった九郎のことを、誰が責められようか。いや、責められまい。
故に、九郎の視線が二人のへその下にある密やかな淡い陰りに――まあ、明日菜はアレだが――に落ちていったのもまた、自然なことなのだ。
「キャァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーー!!」
悲鳴が上がる。当然だ。
まき絵は水に沈むようにして九郎の視線を遮ったが、明日菜はひと味違った。
悲鳴を上げつつ、半ば反射的な動作で水面に手を突っ込んだ。水底にあった『それ』をひっ掴んで、全身のばねを最大限に利用したほれぼれとするぐらいに完璧な動作で、九郎に向かって投擲。
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーー!!」
悲鳴が上がる。当然だ。
九郎の顔面に、大人の拳よりも大きい石が直撃した。言うまでもなく明日菜の投擲によるモノである。
「って、リアルに死ぬぞ!! この一撃は!!」
しかして九郎もタフである。よろめきつつも、すぐさま復活。
頬に付いた傷跡を沙耶が触腕で痛いの痛いのとんでいけー、と言わんばかりに撫でている。
「人の裸見ておいて、第一声がそれですか!!」
「んーなこと言ってる場合じゃねぇ!! 今すぐ逃げろ!!」
「は? 九郎さんからですか?」
半ば呆れた顔で、明日菜が言った。ちなみに石を投げた後、明日菜もまき絵と同様に九郎の視線を遮るように水の中に体を沈めていた。
「違う!! 説明してる暇は無いけど、とにかく逃げろ!! アイツ、すぐさま追いついてくるぞ!!」
「アイツ?」
怪訝に思ったのか、明日菜が首を傾げたそのときであった。
「テケリ・リ!!」
一際大きな件の声が辺りに響き渡った。
どことなく不気味な三音節。図書館に来て以来、何度も聞いていたが、それまでとは何処か調子の違うその声に明日菜とまき絵は違和感を覚えた。
どことなく邪悪な色合いがあるような、あるいは敵意じみたモノがこもっているというか……
「あああああああああ、追いつかれた!!」
九郎は明日菜とまき絵の腕を無理矢理掴んで、二人を引きずり水を蹴飛ばしながら陸に向かう。
「きゃっ!!」
「九郎さん!!」
「いーから、死にたくなかったらついてこい!!」
酷く真剣な顔で九郎が言う。
端から見ればまんま強姦魔だ。台詞にもそのような意図があるように思えなくもない。
最早、明日菜とまき絵の顔には恐怖が浮かんでいる。当然だ、花も恥じらう年頃の乙女が、それも男を知らない初な少女が、かように扱われて恐怖を覚えないはずがない。
「テケリ・リ!!」
だがしかし、次の瞬間。二人は九郎が必死になっていた訳が分かった。
始めその光景を見た明日菜は、地下鉄を思い浮かべた。地下のホールを通り過ぎる快速列車が突っ込んでくればあるいはこの様に見えるかも知れない。
つまりそれほどまでに相手は巨大だった。それこそ電車一両分ほどだろうか。
黒々とした原形質の体を持つそれは、本棚を押し倒し、木々をなぎ倒し、轟音と巨大な水しぶきを上げて湖に突っ込んだ。
気持ちの悪い模様が体表面状を蠢いている。いや、違う。アレは模様じゃない。目だ。無数の目玉が瞬きや明滅を繰り返しているために模様の様に見えるのだ。
「なななななななななななな、何ですか。何なんですかアレは!!」
まき絵が半ばパニックになりながら九郎に尋ねる。九郎は一発で発狂しなかったこの少女のタフネスにこっそり驚嘆しつつ、答えた。
「ショゴスだよ!! いっぱい居ただろ? その親玉だか、集合合体した奴だが知らないけどな!!」
三人は陸に揚がった。
半ば茫然自失の体でショゴスを見つめる二人を差し置いて、九郎は近場においてあったすぐさまコートに袖を通した。二人の目を盗んでホルスターを装着。最後に『ネクロノミコン新釈』を手に取り、準備完了。
「最悪なことにアイツは人類に対してあまり好意的な考え方を持ってないみたいでな。つーわけで逃げるぞ。分かったか? 分かったら二人ともさっさとパンツ穿け!!」
一糸まとわぬ姿のままでぽかんとショゴスを眺めていたまき絵と明日菜が九郎のその一言で、はっとなる。
同時に顔が沸騰したかのように真っ赤になった。あまりの衝撃に忘れていたが。九郎は男で、自分たちは今真っ裸で、九郎にその姿を見られてしまったのだから、当然だ。
「あう、あうあうあうあう……」
文句の一つも言いたかったが、あいにくと今はそのような事をやっている暇はないことぐらいは、二人も理解していた。
感情は是とは言わなかったが、あの巨大なショゴスには本能的な恐怖を感じた。
「ちっとぐらいなら時間稼いでやれる、その間にネギ達の所に行け。全員ひとかたまりになって逃げるぞ!!
沙耶。二人をご主人様[のトコまで連れてってやれ」
「九郎さん!! この子は大丈夫なんですか!?」
明日菜がもっともな質問を九郎にぶつける。
「ああ、大丈夫だ。そいつは俺たちの味方だよ。なぁ、沙耶?」
「てけり・り」
心外であると言わんばかりに沙耶が元気に返事をした。
「よし、頼んだぞ。ほれ、二人とも急げ!!」
ぱしん。と九郎が明日菜とまき絵の桃のような尻を叩いた。
押し出されるように、二人が前に進んだ。
「九郎さんは大丈夫なんですか。あんな化け物相手に――」
まき絵が心配そうに九郎を見つめた。
九郎はその視線に、不適な笑みで応じる。
「心配すんな、あんな連中、屁でも無いさ」
言って、九郎はショゴスに向かって駆け出した。
File13「こーる おぶ しょごす」…………………………Closed.
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