第八話
護衛……でござるか」 右手に箸、左手に茶碗を持ちながら、楓は言った。 太陽が落ちて、空がすっかり暗くなった頃、爆に楓、風香に史香は四人で食卓を囲んでいた。 ジバクくんもテーブルの上の爆の近くで食べている。 今夜の献立は白飯、鳥の唐揚げ、シジミの味噌汁。 作ったのはもちろん楓であり、爆と風香と史香は皿を並べる係である。 爆はその性格上一番手伝わなさそうな人物であるが、部屋に泊めて貰ってる恩もあって、しぶしぶながらも従っている。 女子である鳴滝姉妹も皿運びなのは言わずもがな。 どんな素敵な物体を作り出すか分からないからだ(食したのは爆のみである)。 爆は朱色の椀に注がれた味噌汁を一口啜って話を続けた。 「ああ。しかし―――」 何か考え込むように口を閉じる爆に、楓は首を傾げる。 「しかし?」 「こう言っては何だが、木乃香の重要性が見つからんのだ」 とはいえども、爆にはある予想があった。 おそらくは、あの学園長の関係では無く――それもあるかも知れないが――彼女自身に何か秘密があるのだ。 それも、『魔法』とやらが関連しているに違い無い。 そうでなければ爆を護衛につける理由が見当たらない。 相手が、よく訓練されているにせよ一般人ならば、刹那一人でも何ら問題は無い。 簡単に蹴散らせるだろう。 だが、学園長はそれでも足りないと言う。 孫娘の可愛さのあまり(もちろんそれもあるだろうが)と言ってしまえばそれまでだが、爆には何か引っ掛かった。 他にも、刹那のあの奇妙な態度も気になる。 こうしてみると、意外に謎の多い少女だ。 「お前は何か知らないか?」 楓に訊ねてみるが、心当たりは無いと首を横に振った。 「いや、分からないでござるな」 「何話してんのー?」 そこで、風香が茶碗と箸を持ったままやんちゃに話に割って入って来た。 口端に飯粒をくっつけるそのあどけない姿は、とても楓と同年代とは思えない。 爆は見かねてティッシュボックスから一枚手に取ると、 「みっとも無い奴め……ほれ動くな。史香お前もだ、まったく……」 ぐいとティッシュで口元を拭ってやる。 ぶちぶちと文句を言いながらも、案外面倒見の良い爆であった。 果たして、爆の予想は当たっていた。 そして今夜、それを知る事となる。 電灯が消され、暗闇に包まれた部屋で、爆は目を覚ました。 今夜の警備は休みだったのだが、どうやらそんな事を言っている状況ではなくなったらしい。 大剣と、その柄に引っ掛けてあったカウボーイハットを被る。 ついでに鼻ちょうちんを作って寝ていたジバクくんも足で揺り起こす。 爆睡していたところを乱暴に起こされ、不平に『ヂィ〜ッ!!』と鳴くがそれを黙殺して、 「おい楓。気付いたか」 初めからそこにいたかの様に、忍者服の楓が爆の背後に姿を現していた。 「……妙な気配が近づいているでござるな……」 爆がこくりと頷く。 気配は複数―――八人程か。 かなりのスピードで、寮に接近している。 狙いは――― 「木乃香か……?」 此処には彼女も住んでいる。 確証は無いが、今の所思い当たるのはそれだけだ。 まあ理由が何にせよ、撃退する事に変わりは無い。 「行くぞ」 爆の声に、今度は楓が頷く。 べットの鳴滝姉妹が眠っている事を確認して、爆達は窓から外に飛び出た。 気配の主達と出会う事となったのは、ほんの数分後だった。 「……何者だ」 その一団は皆黒装束を身に纏っており、口元もマスクで隠されているため区別がつかなかった。 顔も性別も分からなかったが、先頭のリーダーらしき者の声は低い男の物だ。 「忍か……」 楓が緊張した面持ちで言った。 身構えてこそいないが、既に臨戦態勢である。 それは爆も、相手も同じだった。 一触即発のこの状況で、爆は一歩前に出て、先頭の男に訊ねる。 「狙いは何だ?」 無視も承知の事での問いだったが、男はやはり低い、感情を一片も感じさせない声で、 「……近衛木乃香の連行」 爆は自分の予想が当たっていた事よりも、思いの他素直に答えた事に一瞬驚いたが、すぐに理由が分かった。 「……答えたという事は、俺達を生かしてはおかないということか」 その言葉に、男達は酷薄な笑いを浮かべた。 手馴れた手付で素早く懐から忍者刀を取り出し、逆手に構える。 「目撃者は、全て消す」 封じ込められていた殺気が放たれる。 それを合図に、戦闘が開始された。 七人の忍者達が空中で一斉に手裏剣を投げる。 十字の刃は回転し、空気を裂いて爆と楓に飛来した。 爆と楓は後ろに大きく跳んだ。 次々と手裏剣が石畳に突き刺さっていく。 「ふんっ!!」 それと同時に、リーダー格の忍者が、夜空から降るようにして楓に斬りかかった。 「むっ!」 楓はすかさず忍者刀を横にしてその斬撃を受け止める。 その場は彼女に任せることにして、爆は前方の七人に戦いを仕掛けた。 「死ねッ!」 またもや手裏剣が投擲される。 だが今度は避けず、背負っていた剣を引き抜くと、 「はあっ!!」 横一文字に大きく振るった。 渾身の一閃は、刃と接触した手裏剣を打ち砕く。 当たらなかった手裏剣も猛烈な剣風に煽られ、軌道を変えられて的外れな方向へ飛んで行く。 間髪いれず、爆は右手を柄から離し、肩のジバクくんを掴む。 「お返しだっ!」 そして忍者達に向けて投げる。 ジバクくんが前に突き出した両手を開いた。 爆発が起きる。 だが忍者達は瞬動で散開し、それをかわしていた。 しかし、それが狙いだった。 空中に逃げた忍者に向かって、爆は天高く跳躍する。 剣を振り被りながら跳んできた爆に、忍者は慌てるが、空では蹴る大地も無い。 そこで忍者刀で防御しようとする。 だが――― 「はっ!!」 ギロチンの如く振り下ろされた大剣の一撃は、刀を易々とへし折り、そのまま忍者の胸を切り裂いた。 「ぐはぁっ!」 浮かぶ三日月を背景に血飛沫が舞い、忍者は血煙を撒き散らしながら落ちていった。 そして、爆もまた落下運動を始めた。 当然、それを残りの忍者達は見逃さない。 空中で避けられないのは爆も同じ事だ。 一人の忍者が大地を蹴った。 そして仲間の敵と、爆の背後から忍者刀を突き刺そうとする。 「もらったぁ!!」 勝利を確信し、嬉々として刃を振り下ろす。 だが、それは虚空を切り裂く結果となった。 突き刺さる寸前に、爆が幻の様に消えたのだ。 「何……」 「こっちだ」 はっとして上方に顔を向ける。 テレポーテーションで移動した爆が、足を振り上げていた。 「喰らえっ!」 腕で我が身を庇う暇も無く足が振り下ろされ、驚愕する忍者の頭に踵落しが鉄槌の如く叩き込まれる。 「がっ!」 その重い一撃で落下のスピードが速まり、忍者は流星のように地面に吸い込まれていった。 爆は踵落しの反動で、カウボーイハットを片手で押さえくるりと宙を一回転すると、優雅に大地に降り立った。 その鮮やかな手並みに愕然とする忍者達に、爆は彼らをゆっくりと見渡して、鷹揚に告げた。 「どうした?逃げるにしろ、かかって来るにしろ、さっさとせんか」 その獰猛な笑みに答えるが如く、突き出された大剣の切っ先がぎらりと光る。 それは敵対する者に対して、あまりにも恐怖をそそらせるものだった。 「「う……うぉおおおっ!!」」 効果覿面と言った所か。 忍らしかぬ恐慌に陥り、各々武器を構え、瞬動をもって四方八方から爆に踊りかかった。 しかし、彼らが肉迫する寸前に、またもや爆の姿が消失する。 一瞬後、探す暇も無く、輪状に集合している忍者達の穴の部分に、何かが落下してきた。 それはピンク色の丸い物体―――ジバクくんである。 その紅葉よりも小さい両手は既に広げられ、燐光が漂っている。 今度は、避ける間も無く、閃光と轟音が辺りを包み込んだ。 爆発の硝煙が晴れ、辺りに再び闇が戻った時、ぽっかりとクレーターの空いた地面に爆は降り立った。 爆は周りを一瞥すると、 「……またジジイに説教されるな……」 後日の事を報告を憂いて、走り出した。 爆が六人と戦っていた頃、楓もまたリーダー格の忍者と戦いを繰り広げていた。 目にも留まらぬスピードで二人が併走する。 時折交差すれば、銀線が走り、鋭い金属音が響く。 と、楓が突如走行を止めた。 やや地面を滑りながらも停止する。 虚を突かれた忍者も遅れて止まったが、その前に楓が攻撃を仕掛けた。 使用するのは、何処からか取り出した巨大手裏剣。 「てやぁっ!」 横に一回転して遠心力で手裏剣を投げる。 ぶうん、と大気を震わせて竜巻のように忍者に迫る。 だが忍者もさるもので、体勢を崩しながらも高い跳躍を見せた。 追撃しようと身を屈めた楓だったが、雨よ霰よと投げられたクナイ手裏剣を避けるために、上では無く横に跳ぶ事となった。 街灯の一本に降り立った忍者は、軽くそれを湾曲させて瞬動する。 両手の忍者刀を十字に構え、楓に砲弾の如く突進する。 楓は凍りついたように動かない。 「終わりだ……」 静かに告げて、楓の胸を狙い刃を鋭く滑らした。 だが――― 「どちらがでござるか?」 声がして、刃は当たる所か、そこにいる楓をすり抜けた。 忍者が地面にしゃがんだ様な形で着地する。 そしてその若干丸まった背中に、忍者刀が突き刺さった。 「な……」 「分身でござるよ」 忍者の体が崩れ落ちた。 刀を黒塗りの鞘に収めて、楓は血を流し始めたその死体を見た。 「……えらぶっていたわりには、弱かったでござるな……」 その部分が腑に落ちなかったが、今となっては気にしても仕方無い。 「楓!」 背後から呼びかける声がして、楓は振り返った。 爆が駆け寄ってくる。 楓はそれに手を振って応じた。 「爆殿、終わったでござ……」 その時、爆の顔に緊張が走った。 「馬鹿者!まだだ!」 彼の叫びと、楓の胸から白刃が生えるのは、どちらが早かったか。 「っ……ぐ…は……」 彼女の口から、血が溢れる。 刃がずるりと抜かれ、前のめりに倒れた楓の後ろに現れたのは、先程倒した筈の忍者。 しかしその体にはどこにも傷は無い。 「何で……」 「幻術というやつだ、小娘」 怜悧に言って、忍者刀を軽く振って血を払う。 「楓!」 爆が倒れ伏す楓に走り寄った。 忍者はそれとは正反対の方向に飛び退く。 「しっかりしろ!」 胸から流れ出す傷が爆を赤く汚すが、構わずその体を抱き上げる。 心臓や肺などの、重要な器官が集まる胸部の傷は無視できるものでは無い。 しかも刀には毒が塗布されていたらしく、血を拭った傷口は青く変色していた。 「ゆ……ゆだ……ん……」 かたかたと震える唇で、楓は喋ろうとしたが、言葉にはならない。 「よせ、喋るなっ!」 傷口に手の平を当てて、『聖華』の術を掛ける。 その時、忍者が含み笑いと共に、嘲るように、吐き捨てるように言った。 「……忍のくせに、詰めが甘いな。だからそんな目にあう」 「………黙れ」 「何だ?」 「黙れと、言っている」 爆は、楓の体を抱きしめたまま、射抜く様に忍者を睨みつけた。 歯は憤怒に強く食い縛られ、血に濡れたその姿は、まさに修羅。 「……俺の仲間を馬鹿にするのは、許さん」 血を吐く様に喉から振り絞られたその声に、忍者は嘲笑した。 「ほう、許さなかったらどう―――」 刹那。 忍者の顔面に激痛が走ったかと思うと、その体が吹き飛ばされる。 「な、何が……」 何が起こったのか分からず、背中から地面に叩きつけられた姿勢のまま、忍者は混乱する。 そして前方を見やった時、初めて理解する。 先程まで自分のいた位置に、爆が右拳を突き出して立っていた。 そう、爆は忍者にすら感知出来ない速度で接近し、同時に拳を叩き込んだのだ。 これはかつて、爆の世界でも有数の戦士、現郎の使っていた、意識が一瞬でも乱れれば、その隙に攻撃を加えるという離れ技だ。 「……さっさと立て」 茫然自失の状態で、言われるがまま忍者はよろよろと立ち上がる。 だが、すぐに我に返る事になった。 腹部に走った衝撃によって。 「がはッ!!」 爆の閃光の如き一撃に再び吹き飛ばされ、背後にあった建物の壁に叩き付けられた。 あまりに速すぎて、得意の幻術を使う暇も無い。 「く……ならば!」 壁から背中を離すと同時に、忍者の体が左右にぶれたと思うと、その姿が増加する。 増えた忍者の数、およそ十五。 残像ではなく、実像。 影分身の術だ。 「「「「「これはどうだ!?」」」」 左右に展開された忍者群が、一声に口を開いた。 しかし爆は、あくまで無表情に、毛ほどの怯えも見せず歩み寄ってきた。 そして、くだらないとでも言う様に、 「それがどうした。それくらい―――」 歩みを止めず、爆の姿が、十五人に増える。 それも実像―――影分身。 「「「「俺にも出来る」」」」 忍者が愕然として叫んだ。 「な……貴様も忍か!?」 「ふん、そんなこと知るか。行くぞッ!」 ここに、奇妙極まる戦闘が開始された。 その結果は目に見えていた。 同じ十五対十五ならば、実力で勝る爆に分がある。 実際に爆達はその大剣で、拳で打ち倒していく。 忍者達はその数を急速に減らしていった。 だが、十四人目を切り裂いた所で、忍者の姿は消えていた。 「はあ……はあ……何なんだ……あいつは……」 戦場から十メートル程はなれた場所で、忍者は息を切らしながら夜闇を駆けていた。 分身での対決が始まった時、勝ち目が無いとふんですぐにその場から逃亡したのだった。 まさか、この自分が敗走する事になるとは。 少女の誘拐。 最初は簡単な依頼だと高をくくっていた。 人数でいっても、余裕で完遂出来る筈だった。 それが、この様だ。 屈辱に歯を食い縛る。 しかし、生きていればまた機会はある。 そう思って、自分を慰めた。 だが、この世はそう甘く出来てはいなかった。 「何処に行くつもりだ?」 前方から、冷たい、しかし怒りに満ちた声。 それを発したのは、腕を組み、仁王立ちする人影―――爆である。 「あれだけの事をしておいて、逃げる気か」 爆の脳裏に浮かぶのは楓の苦悶の表情。 『聖華』の術で傷口を塞ぎ、解毒もしたが、しかし。 「お前は、許さない」 その言葉は、死刑宣告の如く、矢の様に立ち竦む忍者に突き刺さった。 「う……うわああああ!!」 恐慌。 腕に、拳に気を充満させて、今までで最強の一撃を見舞う。 しかし、爆はそれを何食わぬ顔で、左手で軽々と受け止めた。 「あ……」 爆も、残った右手に気を溜める。 「今度は、俺の番だ」 そして解き放った。 数秒後。 遠く離れた建物の壁にめり込み、壁画と化した忍者の姿があった。 「ん……」 楓の意識が、闇の中からゆっくりと覚醒した。 胸の、焼け付くような痛みが消えている。 その代わりに、何か、唇に柔らかいものが当たっている感覚があった。 「……?」 不思議に思って目蓋を開いてみる。 そこには、爆の顔があった。 「……………!!」 一瞬の混乱後、自分の状態を理解する。 そして、全身に火でも点いたのかと思う程熱くなった。 「おお、やっと起きたか」 爆の顔が遠ざかると同時に、楓が物凄い勢いで上半身を起こした。 「なななななな、一体何を!?」 戸惑い、どもりながら楓が訊ねる。 それに対し、爆の態度はけろりとしている。 「人工呼吸だ。傷は塞がったが、呼吸が止まっていたからな……それとも何だ、酸欠で脳細胞が破壊された方が良かったか?」 「い、いやそんな事は……ないでござるが……」 顔面をトマト顔負けに赤く染めて楓は俯いた。 「なら問題はあるまい。ほれ、さっさと帰るぞ」 肩にジバクくんを乗せて、爆は大剣を担いだ背を向けると、寮に向かって歩き出した。 「あ、待っ―――」 立ち上がろうとした楓だったが、貧血のためか体に力が入らない。 それに気付いた爆は振り向くと、やや苛立ったように、 「……まったく、つくづく面倒な奴め」 彼は楓の所に戻ると、その体を抱き上げた。 いわゆる、お姫様抱っこで。 「あ……」 「まったく、面倒ばっかりだ」 ぶつぶつとぼやいてから、再び寮へと歩みを進めた。 「……」 楓は何かを言おうとしたが、しかし口には出さず、顔を広い胸に埋めた。 |