第十話
麻帆良学園都市の、最端に位置する巨大な橋。 広大な湖の中に立つその場所で、黒いローブ姿のエヴァンジェリンは、従者の茶々丸を背中に控えて、腕を組んで爆の到着を待っていた。 まだ約束の時間までは少しあるが、胸に残る憤りのせいか、彼女はやや早めにこの場所に来ていたのだ。 腕を組んでじっと正面を見据えるエヴァンジェリンに、茶々丸が控えめに声を掛けた。 「よろしいのですかマスター。今夜は満月とはいえ、先日のネギ先生との戦闘の疲労が……」 「ふん、そんなもの、とっくに癒えている。そんな事より、あの男の事は何か分かったのか?」 昼から夜までの間に、エヴァンジェリンは茶々丸に爆の情報の収集に当たらせたのだ。 ロボットである彼女は指の接続プラグでコンピューターに侵入する事が出来るため、そういった作業にはうってつけだった。 しかし、返って来た答えは意外なものだった。 「はい……しかし、不明瞭なものばかりです」 「何?」 「まず経歴ですが、この学校に来た時の事しか分かりませんでした」 これは当然である。 爆は異世界からやって来たのだから、そんなものがある訳がない。 しかしエヴァンジェリンがそれを知るはずも無く、気を取り直すと、 「まあいい……他には?」 「はい。爆さんと接触した人達の証言です。まず、鳴滝風香さんに史伽さん『お兄さんみたい』、神楽坂アスナさん『超俺様で、変な奴』、ネギ先生『無愛想ですけど、いい人です。でも、ピンク色のアレはちょっと……(以降、言葉にならず)』、近衛木乃香さん『ぶっきらぼうやけど、優しい人』、長瀬楓さん『え?あの、えっと……(赤面)』、桜咲刹那さん『放っておけません。あ、いえその、色々な意味で……』、龍宮真名さん『面白い人だな』―――以上です」 茶々丸がレコーダーを再生するかの様に機械的に陳べた。 ……そんな情報が一体何の役に立つというのか。 エヴァンジェリンはしばし沈黙して、こめかみを人差し指で押さえると、 「……他には何か無いのか?」 「はい。戦闘データですが、これは予想したよりもかなりの量が集まりました」 「ほう」 「基本的には、大剣と素手で戦闘しますが、念動波やバズーカ砲での遠距離攻撃もできます。他にも空間移動、影分身などが使えるようです」 「……多彩だな」 しかし、それだけ分かれば対策が立てられる。 それに対して、爆は自分の戦術、戦法など知らないだろうから、戦闘ではこちらがイニシアチブを取れる筈だ。 エヴァンジェリンがフフフと実に愉快そうに笑った。 「奴の悔しそうな顔が、目に浮かぶ……」 あの男とは初対面だが、何故か無償に気に入らない。 そう、あの言動といい、あの不敵な態度といい、まるでアイツ――― そこまで考えて、エヴァンジェリンははっとして頭を振った。 「(何を考えてるんだ、私はっ?)」 これから戦いだと言うのに。 彼女は頭の中から、余計な思考を追い払った。 「どうかしましたか?」 茶々丸が主を案じる。 エヴァンジェリンはそれには答えず、一瞥しただけで、再び正面を見た。 その時である。 目の前の空間が一瞬陽炎の如く歪んだと思うと、次の瞬間、肩にジバクくんを乗せた爆の姿が出現した。 時間はちょうど九時だ。 「待たせたようだな」 「ふん、遅すぎ……ん? 何でお前そんなに傷ついてるんだ?」 エヴァンジェリンの言う通り、よく見れば爆の全身に所々短い切り傷が走っている。 爆は心なしかぐったりとした顔で言った。 「……よく分からんが、お前に会いに行くと言ったら、突然楓が『浮気者〜!』と叫んで手裏剣を投げつけて来たんだ……」 題して、『雹二号』の誕生と言ったところか。 爆の言い方も悪かったかも知れないが。 寮の部屋で起こったであろう楓の嫉妬劇を想像し、エヴァンジェリンが顔を引き攣らせる。 「そ、そうか……だが、それで戦えるのか?」 「ふん、貴様を料理するくらい簡単だ」 やはり大人気無い、あからさまな挑発。 普段のエヴァンジェリンなら鼻であしらうだろうが、今回ばかりは事情が違っていた。 彼女は、それにまんまと乗せられてしまった。 「ほほう……随分と舐めているようだな……ならば、容赦はせんぞ」 底冷えのするような声で、エヴァンジェリンが告げた。 満月によって、一時的ではあるが回復した魔力が、その小さい体から炎の如く立ち上っている。 いつもならば共に戦う茶々丸は、依然背後に控えたままだ。 エヴァンジェリンが一騎打ちを望んだからである。 爆はおもむろに背負った大剣を引き抜くと、思い切り地面に突き刺した。 その行動にエヴァンジェリンが眉を顰める。 「何故剣を捨てる?」 「……ハンデと言うやつだ」 「?」 だが、そういう爆の表情からは余裕といったものが見受けられなかった。 何か、別の理由でもあるのだろうか? 「まあいい、行くぞッ!」 語尾と共に、エヴァンジェリンは爆に向かって一直線に突進した。 爆はそれに対して、無造作に拳を突き出す。 エヴァンジェリンはそれを予想していたらしく、素早く手首を掴むと、パンチの勢いのまま爆を投げた。 「む……」 爆はエヴァンジェリンを中心に据えて、弧を描きながら頭から地面に向かっていたが、慌てずに体を思い切り捻った。 「っ!」 螺旋の回転に掴んでいた手が外され、拘束を解かれた爆は一回転して難なく着地する。 「あれは、たしか合気道とかいうやつだな……」 実際にその使い手と戦った事は無いが、知識としては知っていた。 関節技を特色とする柔術の流派で、護身術を目的とすると聞いた。 たしか、相手の力を利用した受身が主体の筈だ。 無闇に打撃を加えればこちらがダメージを受ける。 現在爆とエヴァンジェリンの間の距離は、約九メートル。 この位置関係からでも彼女を倒す方法は、いくらでもあった。 例えば、ジバクくんを砲弾とし、威力を高めたサイコバズーカなら、彼女が脱出する間も無く、この橋ごと殲滅が可能だろう。 いや、そこまでせずとも、テレポーテーションでジバクくんを彼女の目の前まで運び、軽い爆発をさせればいい。 その他にも、戦闘体勢となった爆の頭脳が様々な戦法を生産している。 しかし、爆は――― 「今度はこちらの番だ」 遠く映る人工の光を背景に、地面を蹴った。 ――相手の流儀に合わせる事を選んだのだ。 エヴァンジェリンは、向かってくる爆に一瞬面食らったような表情を浮かべたが、すぐに何時も通りの不敵な笑みに戻して両手を、構えた。 「馬鹿めっ!」 白魚の様な両手が、突風の如く向かってくる爆を掴みにかかった。 だが、体に触れる寸前で、指先が空しく空を切った。 「なっ!?」 瞬動か、はたまたテレポーテーションか。 とにかく視界から消えた爆を探し、エヴァンジェリンは視線を巡らせる。 まるで夜闇に融け込んでしまったかの様に、気配すら感じられない。 「くっ、何処だ!」 「ここだ」 頭上からの声。 それに見上げる間も無く、頭に衝撃が走った。 「あだっ!?」 爆が直立不動の姿勢で、空から降って来たのだった。 エヴァンジェリンの頭に。 爆はその体勢のままで眼下を見下ろし、講釈を垂れた。 「甘いなちみっ子。あれくらい見切れて当ぜ……」 「ええい! さっさとどかんか!!」 屈辱に身をぷるぷると震わせて思い切り頭を振り回した。 その直前に爆は地面にぴょんと飛び降りた。 「ヒステリックな奴め。カルシウムを取れカルシウムを。だから背も伸びんのだ」 「ぐぁああぁ!この……憎ったらしい!!」 爆の減らず口に、エヴァンジェリンは歯をギリギリと食い縛り、だんだんと地団駄を踏んだ。 本能と理性の境界線が果てし無く薄くなっている。 心の海は大嵐状態。 怜悧な美貌には無数の血管が浮き出ている。 「殺す……殺す殺す殺す!もう手加減はせん!!」 エヴァンジェリンはたんと軽く地面を蹴ると、魔力によってその体をふわりと浮き上がらせた。 八メートル程上空に来たところで上昇が停止する。 エヴァンジェリンは手を空に向けて突き出すと、手の平に魔力を集中させる。 電気の様にスパークする魔力に、爆は眉を顰め、身構えた。 「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!闇の精霊11柱、魔法の射手、連弾・闇の11矢!!」 韻を踏んだ始動キーと呪文の詠唱が、迸る魔力を暗黒の矢へと変換した。 高速で飛来する十一本の矢を爆は前転してかわした。 彼の立っていた場所を、暗黒の矢が猛烈な勢いで削っていく。 「これが魔法か……」 爆はその威力に舌を捲いた。 もっとも、当たらなければどうという事も無い。 「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!氷の精霊17頭、集い来りて敵を切り裂け、魔法の射手、連弾・氷の17矢!!」 立て続けに放たれたのは氷の矢。 鋭いつらら群が、氷の粒で軌跡を残しながら突き進む。 「ふん」 爆が手を翳すと、彼の周囲を不可視の壁が覆った。 思わぬ障害物に阻まれ、氷の矢達は憐れにも次々と砕け散っていく。 ―――シールド。 かつて、爆の父である真――顔すら見たことも無いが――が使っていた『技』だ。 四日間熾烈な砲撃に耐え続けたというその防御力は、寸分違わず再現されていた。 「そんなもの!リク・ラク・ラ・ラック・ライラック来たれ氷精、大地に満ちよ、白夜の国の凍土と氷河を……凍る大地!」 「!」 爆の足元から鋭利な氷柱が迫り出してきた。 シールドが守っているのは地上のみで、地中からの攻撃には無防備なのだ。 速やかにシールドを解除し、バックステップでその場を離れる。 それを追うエヴァンジェリンの心には、微かな戸惑いがあった。 「(……何故だ?何故奴は反撃してこない?)」 あの上空からの攻撃だけで、他には何の反撃も無い。 最初に剣を捨てたのも気掛かりだった。 フェミニストというわけでも無いだろう―――絶対。 ならば、自分を馬鹿にしているのか? そう思った瞬間、エヴァンジェリンの心に、得体の知れない苛立ちが入り込んできた。 『よお、どーした。チビガキ』 ―――そういえばアイツも、よく自分を小馬鹿にしたな。 「……リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、来たれ氷精、闇の精、闇を従え吹けよ常夜の氷雪、闇の吹雪!!」 戦いには余計な想いを振り切るように、エヴァンジェリンの両手から、吹雪が生み出された。 悪魔の牙の如き氷嵐が、一直線に爆に襲い掛かった。 「……」 そこで、爆は、初めて攻撃の態勢に入った。 腕を腰に引き寄せると同時に、無数の念力球がその周りに浮かぶ。 そして、眼前に迫る死の使者に向けて、一気に解き放った。 「シンハッ!!」 超能力の『技』と魔法とが衝突し、その余波が橋を凍結させていく。 「はぁあああっ!!」 「うおおおおっ!!」 爆とエヴァンジェリンを結ぶ線、その中心で、強烈な光と、爆風が迸った。 「っマスター!」 放熱用の緑色の長髪をなびかせながら、それまで傍観していた茶々丸が叫ぶ。 光が引いた後、二人は依然その場にいた。 ただし、一方のエヴァンジェリンは疲弊して肩で息をし、対する爆はまだまだ余力があるように見えた。 「はあ…はあ……」 「降参しろ、エヴァンジェリン。今ならお尻ぺんぺんで許してやるぞ」 台詞の中の聞き逃せない単語に、エヴァンジェリンが激昂する。 「死んだ方がマシだッッ!!それに、まだ戦いはおわっ…て」 エヴァンジェリンの視界が、ぐらりと揺れた。 「う……」 突然の体調の変化。 原因はどうやら、魔力の消耗。 最後の一撃で、力を出し切ってしまったらしい。 そして、当然、浮遊の魔力もその効果を消した。 がくん、と今度は大きく揺れ、体が落下を開始する。 それだけなら、問題は無かった。 だが、その落下地点にある物を見て、エヴァンジェリンは凍りついた。 そこには、先程自分で作り出した氷柱が待ち構えていた。 いくら今夜が満月といえども、能力のほとんどは封じられたままだ。 そんな状態で貫かれれば、ただでは済まない。 「……うわあっ!」 それを想像して、エヴァンジェリンは恐怖にもがくが、その未来を回避する方法は見つからなかった。 「マスター!!」 主の危機に茶々丸が走る。 しかし、もう間に合わない。 その時。 「はあっ!!」 裂帛の気合。 その一声と同時に打ち込まれた鉄拳が、氷柱を完膚なきまでに粉砕した。 その拳の持ち主は、他でもない、爆だった。 雨の様に降り注ぐ氷の欠片と共に、エヴァンジェリンの体が、ぽすん、と爆の両腕に収まった。 唖然とする彼女に、爆のぼやきが降りかかった。 「……何だか最近同じ事をした気が……まあいいか」 その言葉に我に戻ったエヴァンジェリンは慌てて両腕から下りた。 そして、爆をきっと睨みつけると、 「何故、助けた!!」 「? お前は死にたかったのか?」 「そうじゃない!何で敵の私を助けたのかと聞いている!!」 その問いに爆は逡巡もせず答えた。 「昼間は、ついかっとなって勝負を受けたが、女が傷つくのは性に合わんからな」 「っ!」 その言葉に、エヴァンジェリンは理解する。 剣を捨てたのも、目立った反撃をしなかったのも、全てそれが理由だったのだ。 一瞬の絶句のち、エヴァンジェリンは唸るように口を開く。 「……甘い奴だ……そんな事では、いつか死ぬぞ」 爆はそれにふん、と小鼻を鳴らして応じた。 「俺は絶対に死なん。それに、その程度のハンデで負けるようじゃ、覇王にはなれんからな」 エヴァンジェリンが目を丸くする。 「覇王?」 「そうだ。俺の夢は世界制覇だからな」 その内容は、まるで子供の戯言。 しかし語る爆の目は、ただ強固なる信念。 本気だ。 本気で、その夢を実現させる気でいるのだ、彼は。 ぽかんとしていたエヴァンジェリンだったが、やがて目を細めて、 「……ぷ、くくくくく………」 疲れきった体と反して、何だか無償に笑いたくなった。 「む、何だ。何がおかしい」 突然笑い出したエヴァンジェリンに爆が不機嫌そうに言った。 「くくく……いや、何でもない……爆といったな?」 「?」 いつもの表情に戻ったエヴァンジェリンが、右手を爆に突き出した。 それは握手を求める手だった。 「認めてやる。同じ警備員同士、仲良くやろうじゃないか」 しかし、悲しいことに、彼女は知らなかったのだ。 その昔、爆に同じ様な台詞を言った少女がいた事を。 そして、何て返されたかを。 「ふざけるな。お前は俺の下僕だ」 爆の冷徹な言葉が、夜の静寂に、嫌な感じに響き渡った。 数分後、硬直から復活したエヴァンジェリンが暴れ出したのは言うまでもない。 |