第十一話



「うむ。なかなか良い天気だな」

うららかな午後である。

空は見事に晴れ、燦々と輝く太陽は温かく地表を暖めている。
もちろん、地上に属する生き物もその恩恵を受けていた。

例えば、爆もその一人だ。

今日は警備員の仕事は休み。
その休日を利用して、爆は学園都市内を闊歩していた。

その目的は衣服の購入である。

別に着飾る気は無いが、仕事の一環――侵入者の排除により服がかなり傷んでおり、補充しなければ着る物が無くなる危険性があった。

仕事の報酬を詰めた財布をポケットに入れて、日光を満喫しながら爆は歩調を速めた。


「ん…?」


一時間後、買い物を終えた爆は紙袋を手に下げ、帰路についていた。
その途中で、爆は目撃したのだった。

緑色の長い髪の、何処か人形的な印象を受ける少女。

「茶々丸?」

彼女は腕に仔猫を抱きかかえていた。
なかなかに微笑ましい情景だ。

そんな茶々丸が、一度戦闘になれば強力な兵器になるなどとは誰も信じまい。

しかし、爆は彼女に声を掛ける気は無かった。

反対に、彼はそそくさとその場から離れようとする。
その理由は彼女では無く、その主であるエヴァンジェリンにあった。

あの少女の口やかましさには、さすがの爆も閉口するしかなかった。

出会うたびに、『私のモノにならんか?』などと意味不明な言葉を連呼するのだ。
そしてそれを見た楓が、半泣きで手裏剣を大量にばら撒くという謎の連鎖。

ここ数日はその姿を見かけないが、とにかく関わり合いにはなりたくなかった。


だが、きっとその時、爆には悪魔か何かが憑いていたに違いない。


茶々丸に抱かれていた仔猫が突然、その腕をすり抜けると、てこてこと爆に走りより、その足に擦り寄ってきたのだ。

「ぬおっ!?」

考えもしなかった猫の行動に、爆は悲鳴を上げた。

「何の用だ!俺は餌など持ってないぞ!」

「ニャー」

腕を振り振り暴れるが、猫は無邪気に頬を擦り付けてくる。
さすがに蹴飛ばすという選択を選ぶほど、爆は冷酷ではない。

「爆さん……」

当然、茶々丸がその存在に気付き、近づいてくるわけで。
脱出不可能なこの状況に、爆は腹をくくる事にした。


「風邪?」

茶々丸から聞かされた思いがけない言葉に、爆は目を丸くした。

「そうです」

「奴は吸血鬼なんだろう?なんでそんな……」

爆の台詞に茶々丸は首を振った。

「魔力の減少した体では、元の体である十歳の少女とそうは変わりません」

それに、と彼女は続けた。

「前に治した筈の病原菌が残っていたのでしょう。それが先日の戦闘でぶりかえしたようで……」

「むう……」

爆は悩ましげに唸り声を上げた。

それでは、自分の所為ではないか。

根底に生真面目な所のある爆はそんな念に囚われてしまった。

もちろん、エヴァンジェリンにも多少の責があるわけだが、今それを言う気は無かった。
挑発したのは自分である。


―――言い訳は、覇王にはふさわしく無い。


そう思った爆は、深く溜め息を吐き出して、

「見舞いくらいはしてやるか……」

責任の回避は、爆自身のプライドが許さなかった。


茶々丸の案内により、爆はエヴァンジェリンの住居に来ていた。

針葉樹に囲まれたその場所には、ここが日本だという事を忘れ去れるようなログハウスが建っている。

てっきり墓場の棺桶の中にでも住み着いていると思っていた爆は、少し驚いて、静かに扉を開いた。

「失礼するぞ……」

だが、その内装を見て更に驚愕した。
部屋中に可愛らしい人形の数々。
広い筈なのだが、散らばる人形のせいか狭く思えた。

「ふむ、意外だな……」

どうやら、精神年齢は外見と比例しているらしい。

「私はお粥を作りますので……」

そう言うと、茶々丸は台所に引っ込んでいった。

爆は二階の、エヴァンジェリンが眠っている部屋に上がった。
そこは下の階と打って変わって広々としており、何故か和室まであった。

足音で目覚めたのか、爆が近づくと、エヴァンジェリンは体を起こした。

「お前か……」

その言葉には、普段の力強さはあまり感じられない。

「どうだ、調子の方は?」

珍しく爆が気遣いの言葉を使った。

「ふん……お前に心配される程では……ごほっごほっ」

言いかけて、エヴァンジェリンは苦しそうに咳をついた。
やはりその顔色は優れない。

「おい、大丈夫か?水でも飲むか?」

心配する爆に、エヴァンジェリンは何事か思案すると、首を振った。

「いや……それより……」

ちらりと、爆に視線を寄せる。
正確に言えば、爆の首筋辺りに。

それに気付いて、青年は眉を顰めた。

「……何だ貴様、まさか……」

ふふっ、とエヴァンジェリンが妖艶に微笑む。

「そうだ、お前の血だ」

「何っ!」

爆はその物騒な要求に戦慄し、思わず後退った。

「魔力が戻れば、少しは楽になるかもしれんからな。それに、風邪がぶりかえしたのはどっかの誰かさんの所為だしな……」

「(仕掛けてきたのは貴様だろうが!)」

さらりと嫌味を言うエヴァンジェリンに爆は胸中で叫んだ。

「ちぃっ、仕方あるまい……ほれっ!」

忌々しげに舌打ちをして、爆は腕をエヴァンジェリンの顔の前に突き出した。

「では……はむっ」

エヴァンジェリンは爆の腕に唇を寄せると、かぷりと小さい牙を突き立てた。
それは思いの他痛みが伴わず、最初にちくりとした意外は快楽すら感じた。

少しして、エヴァンジェリンは口を離した。
爆もまた腕を戻すと、噛まれた部分をなでなでとさする。

「まったく、本当に手間のかかる奴だ……」

そこで、エヴァンジェリンが何やらぽかんとした顔でこちらを見ている事に気付き、額に眉を寄せた。

「何だ?」

「いや……お前、何ともないのか?」

「? 別に、ぴんぴんしてるが……」

「そ、そうか……(何故だ?しっかりと力を使ったはずなのに……)」

爆の血を吸ったのは、魔力回復は建前(もちろんそれもある)で、その目的は吸血による爆の下僕化を狙っていたのだ。

もちろん、風邪を引いているのは本当だ。

だが、自分の誘いを突っぱねる爆が見舞いに来たため、この際にと作戦に挑んだのだが……。

「?」

信じられない事に、爆はこの通り平然としている。

「(こいつ、本当に人間か?)」

と、その時。
愕然とするエヴァンジェリンの額に、爆の冷たい手が当てられた。

「ひゃ!?」

突然の事に、彼女は裏返った悲鳴を上げてしまった。
それに構いもせず爆は手を離し、今度は自分の額に手を当てた。

「やはり、まだ熱いな……もう少し寝ていろ」

「ふんっ、襲うなよ?」

「……俺はちみっ子に欲情するほど飢えてはいない」

その返答にむっとしたエヴァンジェリンだったが、やはり体調の低下は否めず、言われた通り目を瞑る事にした。
爆はベットの傍の壁に背を預けて座り込む。

二人が沈黙した部屋の中、時計の音のみが静かに響く。

「……なあ、爆」

「何だ?」

「どうしても、私のモノにならないのか?」

「くどい。断ると言った筈だ」

「……何故だ」

熱のため弱弱しく投げかけられた問いに、爆は淀み無く答えた。

「俺は、俺だけのモノだ。俺の運命を、他人になんぞ決めさせてたまるか」

「……」

この時、エヴァンジェリンは唐突に理解した。

この男は、真の意味で、自由なのだ。

この男が属するのは、自分を律する世界。
だから何にも縛られず、自らを信じた道を、迷うこと無く突き進むことが出来る。

生きるという事を、理解しているのだ。


……自分には、出来ない。
持て余した永劫の時の中をただただ、彷徨っている自分には。

生の何たるかを知る事は出来ない。

「(ああ、そうか―――)」

だから自分は、アイツに、そして爆に、惹かれたのだ。

奇妙な共通点を見出し、エヴァンジェリンは、笑いたくなった。
しかしそれに反して―――意識は遠のいて行った。

爆は、エヴァンジェリンの目が閉じられたのを見ると、短く溜め息をついた。

「まったく、俺が何でこんな事をしなければならんのだ……」

そうぼやいた後、彼の脳内で閃くものがあった。

「ん、そうだ。アレがあったな」

何故忘れていたのか。
爆は物音を立てないようにゆっくり立ち上がると、眠るエヴァンジェリンの胸元に手を置いた。

「聖華……」

柔らかい、心安らぐ様な光輝が爆の手から放たれる。
治癒、浄化の作用を持つこの『術』ならば、多少なりとも効果はあるだろう。
だがこれが後に、思いがけない結果になる事を、この時爆は知らなかった。


――今、エヴァンジェリン何処かの崖にいた。

草木も無く、灰色の荒涼とした道を、ただ一人歩んでいた。
冷たい打ち付ける風は、熾烈なまでに少女の体を苛む。

―――ここは、何処だろうか?

記憶には無い、しかし見慣れた場所。
空を見上げれば、灰色に彩られた天幕には、散り散りの雲が陰鬱に浮かんでいる。

―――雨でも降りそうだ。

そう思っていた矢先。

不意に、視覚ががくん、と揺らいだ。

―――!!

足元が崩れ、そこから、谷底が現れた。
必死で、崩れず残った地面にぶら下がる。
思わず下を見れば、そこには深淵が大きく口を空けていた。

身を貫く恐怖に耐えて、エヴァンジェリンは、残った右手を伸ばした。

だが、その指先に助けてくれる者はいない。

いつも差し伸べてくれる、あの温かい手は存在しない。

―――ッ……

残った左手が掴む地面が、脆くも崩れた。
引力は無情にも、エヴァンジェリンを谷底に引きずり込んでいった。


「おい、大丈夫か?」

爆の声で、エヴァンジェリンは目を覚ました。

「う……」

全身が、汗で濡れた寝巻きの所為で氷の様に冷たくなっている。
―――否。ただ一つ、温かみを感じる箇所があった。

それは、左手だった。
エヴァンジェリンの左手を、ベットの脇で中腰になっている爆が握っていた。
そこに視線を落として、少女は何処かぼんやりとした様子で呟く。

「これは……」

「うなされながら手を伸ばしてきたからな。別に襲った訳じゃない」

爆は横一文字に結んだ口で素っ気無く答えた。

「…そうか…」

「そろそろ放せ。帰らなくては……っ!?」

エヴァンジェリンの繊手が青年に首に回され、更に小柄な身体が重ねられた。
全く予想だにしなかった抱擁に、爆は上擦った声で叫ぶ。

「おいっ! 何だいきなり……どうした?」

爆が発しようとした怒鳴り声を喉奥に飲み込んだのは、彼女が震えている事に気付いたからだった。

「……少し、怖い夢を見ただけだ……」

「?」

「……しばらく、こうさせろ。……お願いだ……」

それは、何時も彼女の突きつける要求では無く、真摯なる『願い』だった。
身を硬くしていた爆だったが、やがて、ふっと力を抜くと、

「……好きにしろ。まったく、本当に手間の掛かる下僕だ」

しかしそのぼやき声は、既に二度目の眠りについているエヴァンジェリンに届く事はなかった。
安らかな寝息が、耳朶を撫でる。


この後、同じく見舞いに来たネギとアスナに目撃され、当然大騒ぎになった。
それがどういうわけか楓の耳にも届き、嫉妬の権化となった彼女に巨大手裏剣で襲撃された事は、余人の知る所ではなかった。


前へ 戻る 次へ