第十五話
その日、麻帆良大学工学部の研究施設内に、爆と茶々丸の姿があった。 「すみません爆さん。ついて来てもらって」 人形的な顔を向ける茶々丸に、彼は前方に目を向けたまま応じる。 「……俺が一緒に行く必要があるのか?」 「……」 爆の口から出た疑問は、何故か沈黙で報われた。 元々表情が無いため、その真意を読み取る事は出来ない。 仕方なく問いの返答は諦めて、爆は溜め息混じりに会話を再開させた。 「別に、エヴァでも良かっただろうに」 その言葉に、再び茶々丸が口を開く。 「いえ、マスターは、何か確かめたい事があるそうで……」 「確かめたい事?」 爆が訝しがると同時に、茶々丸がドアの一つの前でぴたりと足を止めた。 ネームプレートには、『葉加瀬』と記されている。 「ここです」 茶々丸が軽くノックをすると、間を置かずして返事が返って来た。 「はーい、ただいま〜」 扉の向こうから軽い足音がして、ドアノブが回転する。 重たげに開かれた扉から、眼鏡を掛けた白衣の少女が顔を出した。 「こんにちは茶々丸。あれ、警備員さん……?」 思いがけない組み合わせに、葉加瀬聡美は首を傾げた。 すかさず茶々丸が紹介する。 「爆さんです。今日はメンテナンスの付き添いで来てもらいました」 「そう……ま、とにかく入って入って」 二人を手招きしてから、彼女は顔を再び部屋の中に引っ込めた。 彼女の研究室に配置された機械群を、爆は珍しそうに見回していた。 少し離れた位置では、聡美が茶々丸を座らせて、その背中で工具を忙しく動かしている。 無数のランプが点滅していたり、赤や青のコードが絡み合っていたりする機械達を見て、爆はイレブスを思い出した。 針の塔の高度な科学力を直接授与したあの世界にも、同じ様な物があった。 もっとも、科学者でも無い爆にそれらの使用方法を理解する事は出来なかったが。 「おい生物。遊ぶなよ」 何時の間にか爆の肩から離れ、機械の一つに突進するジバクくんの後ろ姿に釘を刺した。 彼のむやみに強い好奇心には、爆も手を焼かされている。 「はいっおしまい、と……」 息をついて、聡美が息をついて、茶々丸の項部分の蓋をぱちんと閉めた。 首をゆっくり回して、茶々丸が抑揚の無い声で礼をする。 「ありがとうございます、ハカセ」 「神経のコード古くなってた以外は、そんなに大した事無かったから」 言いながら聡美がドライバーを工具箱にしまう。 それを尻目にして、爆は部屋の隅に鎮座する物体に気付いた。 近づいてみると、それはロボットだった。 一応人型ではあるが、茶々丸の様に明確に人を表現した物では無く、頭部には目に当たる部分に赤い単眼があるのみだった。 サイズもニメートルはある。 「何だこれ?」 中腰になって顔を寄せる爆に気付いて、聡美は目を輝かせると、舌を回転させて薀蓄を混ぜた説明を開始する。 「これは新世代人型ロボット、通称『ユートム』です。新しく開発された駆動方式で、高効率省容量の機体を実現し、多種武装内蔵が可能なりました。更にその駆動方式と連動して、ボディに使用されている可変伸展可能な特殊金属のお陰で、二輪車形態にも変形が可能です。だから開発者の一人がこの子を赤く塗って、改名して電人ザボ……」 「分かった! それ以上言うな!」 白熱して少しまずい領域に踏み込もうとする聡美を、爆がぴしゃりと遮った。 「あ、もう少し聞いてください! このプロジェクトで、私が担当したのが、AI、人工知能です」 一旦そこで聡美は言葉を切り、息をつくと話しを続けた。 「しかし、それはただのAIでは無く……茶々丸よりも高度な感情を与える事に成功したの!」 「私よりも?」 茶々丸が自らを指差す。 「といっても、知能としては五歳児レベルだけどね。『ユートム』!」 聡美が呼びかけると、それに応じてユートムの赤い単眼が光を宿し、しゃがんでいた姿勢から立ち上がった。 「うお!」 傍にいた爆が驚いて飛び退く。 『ユートム』は、しばらく円筒形の頭部を、何かを探す様に動かしていた。 しかし、センサーに聡美の姿を捉えると、ゆっくりとした足取りで彼女に歩み寄る。 そして、口に当たる部分に設置されている小型のスピーカーから、小さい子供のような声を発した。 『オカアサン。オカアサン』 それは、金属製の彼の姿にはあまりにも不釣合いだった。 「この子、私を母親だと認識してるみたい。今夜から、テストがてら夜間の警備をさせてみようと思うの」 得意げに聡美は胸を張った。 しかし、爆は浮かない顔で、 「大丈夫なのか? 知能は五歳児なんだろう?」 そんな彼の不安に、聡美は不な笑みを持って答える。 「それは大丈夫です。命令はきちんと認証する様に出来ていますから。『ユートム』、ボールペン取って」 命ずると、『ユートム』はすぐに近くのテーブルからボールペンを探し出し、聡美に手渡した。 人間とまるで遜色無い動きだ。 だがこの時、爆の心に疑問が浮上した。 「だったら、どうして感情なんかつけたんだ?」 「んー……この子は実験体ですから、載せられる機能は載せたいんですよね〜」 言いながら聡美は、傍に立って離れない『ユートム』に目を向けた。 その目は科学者特有の純然たる好奇心が湛えられている。 「……」 たしかに、性能は申し分無いかも知れない。 しかし、その身体を操るのは、五歳児の精神という不安定な要素。 心の強さと弱さを知る爆には、どうしても不安を払拭する事は出来なかった。 果たして、彼のその不安は、的中する事となった。 夜の帳に、重い足音が響く。 街灯に照らされ、『ユートム』の銀色のボディが鈍く輝いた。 彼は今聡美に命じられ、夜の学園を警備していた。 学園の生徒、教員のデータはすでに入力されているので、間違わずに不審者のみを撃退する事が出来る。 そのための武装も、体内に備えられている。 だから、彼にとってこんな任務はまさしく屁でもない筈だった。 だが、しかし。 異変が起きてしまった。 精巧過ぎる『ユートム』の電子頭脳に、ある感情が誕生した。 『……』 彼は突如として立ち止まると、その身を静かに振動させる。 それは、機械である『ユートム』にとって、絶対に存在してはならない感情だった。 『……オカアサン』 電子音でそう呟く。 狂気が、始まった。 こつ、こつ、こつ、と靴底が地面を叩く。 ポケットに手を突っ込み、爆は悠然と職務を遂行中だった。 今夜も怪しい影は見当たらず、彼は警備とは名ばかりの散歩を続けていた。 しかし、今夜はばかりは一筋縄ではいかないという事を、この時の爆が知る由も無い。 天空に宝石の如く散ばる星達を眺めながら、爆は肩で同じく空を見上げるジバクくんに語りかけた。 「あと一回りしたら帰るか、ジバクくん」 ジバクくんが同意に『ヂィッ!』と一鳴きする。 その内、広域指導員の申請でもしようかなどと考えつつ、爆は歩調を速めた。 その時、爆の勘が後方から接近する物体を感知した。 「!?」 振り返ると、遠方から銀色に輝く何かが猛スピードで走ってくるのを視認した。 それが更に接近するにつれ、爆はその全貌を知る事が出来た。 それは、一台のバイクだ。 ただし、そのフロントの部分は、何処かで見た円筒形に赤いライトという形状。 「『ユートム』!?」 それはまさしく、昼間見たロボットの、おそらく聡美の話しにあった二輪形態だ。 車輪を唸らせ疾駆する『ユートム』は、前方に立つ爆の存在を無視しているのか、その走行を停めようとはしない。 「ちぃっ!」 咄嗟に右に跳ぶと、真横を『ユートム』が駆け抜けていく。 再び遠く闇に消えていった『ユートム』と、その進路に、爆は血相を変えた。 「くそっ……本当にこうなるとはっ!!」 跳んだ拍子に転げ落ちたジバクくんを拾うと、爆は『ユートム』の消えていった方向へと走り出した。 行き先は―――工学部の研究施設。 何の前触れもなく、建物を振動と轟音が襲った。 「?」 それに、自分の研究室に寝泊りしていた工学部の生徒が目を覚ました。 しかし、また近くの何処かのグループが実験でもやらかしたのだろうと、気にも留めず毛布に包まった。 振動と轟音は立て続けに冴え渡る。 それに対しても、すぐに止むさと、頑なに目蓋を瞑る。 しかし次の瞬間、轟音は何かが崩落する音に取って代わった。 「!」 ただ事ではない気配に、跳ね起きた生徒は扉を開いた。 そして、愕然とする。 「何だありゃあ……」 廊下の突き当たりに、巨大な穴が空いている。 そしてそこに、外の夜闇を背に立つのは、銀色のボディに赤い単眼を持つロボット、『ユートム』だった。 彼は赤いセンサーを学生に向けると、電子音で、何の抑揚も無く死刑宣告を告げた。 『敵影確認。排除します』 言うが早いか、丸太の様な右腕を向ける。 すると腕部の装甲が開き、その中からバルカン砲がせり上がって来た。 「うわあ!!」 明確な殺意に、生徒は後ずさる。 しかし、最早退避は間に合わない。 銃口が弾丸を吐き出そうとした、その時。 『!!』 『ユートム』が半ば倒れこむ様にして吹き飛ばされた。 遅れて火を吹いたバルカン砲は狙い誤り、床に無数の穴を穿つ。 吹き飛ばされた勢いのまま、『ユートム』は火花を上げながら廊下を滑ってゆく。 「え? え?」 何が起こったのか? 理解の及ばない現実に、生徒は目を白黒させる。 そしてロボットの代わりに、壁の穴に立つカウボーイハットの青年を目撃した。 「おい! 早く部屋の中に隠れろ!」 青年、爆が叱咤する。 「え……」 呆ける生徒に、もう一度怒鳴る。 「さっさと部屋の中に入れ! 死にたいのか!!」 その怒声と、斜め前方で床に手を着きながら立ち上がろうとする『ユートム』を見て、生徒は転がる様に部屋の中に飛び込み、鍵を閉めた。 「あれくらいじゃ無傷か……」 立ち上がった『ユートム』に、爆が唸った。 どうやら、今の彼は暴走状態にあるようで、人と見れば速攻で攻撃を仕掛ける具合になっているらしい。 その暴走の原因が思い当たる爆は、胸中でその製作者に毒づいた。 『ユートム』は円筒形の頭部を爆に向けると、その単眼から赤光を放った。 「うおっ!」 咄嗟に屈むと、頭上の壁が熱光線に横一門字に薙ぎ払われて熔解する。 傍の観葉植物が、一瞬で燃え尽きる。 「くそっ、ハカセめ、面倒な物を造りおって!」 「! 『ユートム』!?」 噂をすれば何とやら。 爆の右側に位置する階段に、聡美が立っていた。 彼女も研究室に泊まっていたらしく、下の階の異変に気付き降りて来たのだ。 『ユートム』はそれまで爆に向けていた視覚センサーを、素早く聡美に向ける。 『オカアサン!』 初めて、彼は感情らしきものを見せた。 床を踏み砕き、両腕を大きく開いて、母親たる聡美に抱擁を求める。 「きゃあ!!」 その剣幕に押され、彼女は反射的に頭を押さえて身を屈める。 その上を、『ユートム』がコンクリートの柱を削りながら通過した。 しゃがんでいなければ、聡美は鉄の腕に圧殺され無残な骸と化していただろう。 「ふんっ!」 勢い余ってよろめく『ユートム』の背中を爆が蹴り飛ばした。 再び吹き飛ばされ、頭から階段に突っ込む。 「爆!」 「爆さん」 その時、爆の後ろに空いた大穴から、異変に気付いたエヴァンジェリンと茶々丸が飛び込んできた。 「何事だこれは!?」 エヴァンジェリンが廊下の惨状を睥睨する。 「マスター、あのロボットが暴走したようです」 茶々丸のガラスの瞳が、体を起こし始めた『ユートム』の後ろ姿を映した。 「そんな! 欠陥なんて無かった筈なのに!」 聡美の悲鳴にも似た叫びは、困惑に満たされていた。 爆が静かに口を開いたのは、その時だ。 「……たしかに、あいつは完璧だ」 「え?」 「こいつには、五歳児の知能と精神があると言ったな」 頷く聡美を、爆は横目で見詰める。 「……五歳の子供が、夜、たった一人で放り出される気持ちを、考えたか?」 「あっ……」 聡美は、絶句した。 爆が怒りと、悲しみを帯びた声で続ける。 「こいつは、怖かったんだ。命令と感情は別者だ。侵入者を倒す。母親に会いたい。その二つに挟まれた。両方とも果そうとして、壊れたんだ」 『ユートム』の逞しい足が、廊下を踏み締めた。 赤光を宿す視覚センサーは、敵である爆を睨みつけているかの様だった。 「どうするつもりだ?」 エヴァンジェリンが、神妙な顔付きで爆に訊ねた。 「……どんな理由があろうとも、人に武器を向ける奴を、放っては置けない」 答えた爆の声が、絶対零度の冷たさで冴え渡る。 『ユートム』の両腕から伸びたチェーンソーの鎖刃が、禍々しい叫喚を始めた。 「いいな、ハカセ?」 捕らえても、狂ったAIを修理する事は出来ない。 爆の言葉は、了承を求めるものでは無く、覚悟を問うものだった。 「……お願い、します」 聡美の唇が震えた時には、爆の足は床を蹴っていた。 『ユートム』の巨体が青年に迫る。 チェーンソーの凶刃が、彼の頭上に振り下ろされた。 「はあっ!」 しかしそれより一瞬速く、鋭く撃ち出された爆の拳が『ユートム』の胸、『秘点』を穿った。 鋼の巨体が、凍り付いたかの様にその動きを止めた。 同時に、単眼の赤い光も掻き消える。 『秘点』を突かれれば、どんな物体だろうと存在は出来ない。 次の瞬間、『ユートム』は崩壊を始め、瞬く間にその原型を失った。 「なあ、ハカセ」 もはや何の意味も持たない鉄屑を見下ろす爆の声には、責める様子は全く無い。 「……」 ただ。 「二度と、こんな奴を作らないでくれ」 「……」 ただただ。 「こいつの心は、たしかに作られたものだったかも知れない」 「……」 奪ってしまった心に対する。 「それでも、痛いし、悲しいんだ」 途方も無い哀愁がそこには在った。 翌朝。 「すみません、爆さん、茶々丸。お墓作るの、手伝ってもらっちゃって」 スコップを片手にして、顔に泥をつけた聡美が頭を下げる。 「気にするな。俺が言った事だ」 同じく土くれをこびり付かせたスコップを肩に乗せた爆が素っ気無く答えた。 広大な森の一角。 そこには、簡単に木を組み合わせた十字架―――墓標が建てられている。 それは、『ユートム』の墓だった。 彼が自然に帰る事は出来ない。 しかしせめて、その心だけは、神の身元に行けるように願って。 「……それじゃあ、行かなきゃ。二人とも……さようなら」 「? どういう事だ?」 その謝意を理解しかねて爆が訝しげに訊ねると、聡美は俯きながら、訥々と答えた。 「……あのAIは、私が作った物だから。私が、責任取らないと……」 彼女が白衣を翻し、森の外へと歩き出そうとした、その時。 「馬鹿かお前は」 爆の容赦ないでこピンが、聡美の広い額を襲った。 「爆さん!?」 青年の行動に叫んだのは茶々丸だった。 「いたっ! 何するんですか!?」 額を押さえ、聡美が目に涙を溜めて抗議する。 それに爆はふんと鼻を鳴らした。 「学校を去るというのは、責任を取るとは言わん。単なる逃げだ」 「……じゃあ、どうすれば良いんですか?」 淡々と、無情に言い放つ爆に、聡美の声は憤りを帯びる。 しかし眼鏡を通して睨み付けた青年から返って来たのは、予想だにしない答えだった。 「今までどおりに、やれば良い」 「え?」 理解が出来ない。 それに構わず、爆は言葉を途切らせない。 「もっと研究して、より完璧を目指せ。お前にはその才能も、それを成す体も、全部持っているだろうが」 「っ……」 「本気で償う気があるのなら、また人の役に立つ研究でも始めるんだな」 それだけ言い残して、スコップを片手に身を翻した爆は、森の外へと歩き出した。 聡美と茶々丸は、しばし呆然とし―――やがて、微笑んだ。 「……素敵な人ですね、爆さん、って」 茶々丸が、こくりと頷く。 「……ええ」 もうすぐ、授業が始まる時間だ。 二人もまた、森の外へと歩き出した。 |