第十四話
今日は日曜日である。 それゆえか校舎の近辺は道行く人々もまばらで、広大なだけに物寂しさが強調される。 部活動の生徒以外は、ほとんどが商店街の方に遊びに出ている様だった。 何処と無く荒涼感漂う校舎エリアを、爆は警備のために徘徊していた。 「あっ爆さん!」 後ろから声を掛けてきたのは、明石裕奈だった。 制服姿の所を見ると、これからバスケ部の練習があるらしい。 「裕奈か」 『ヂィッ』 「ジバクくんもこんにちは」 爆の肩で小さい腕を振り回すジバクくんに、裕奈も手を小さく振って返す。 初めてジバクくんを見せた時は卒倒すらしそうになった彼女だが、最近では慣れたようだ。 この麻帆良学園生徒は、どうも順応性が高いらしい。 「これから部活か?」 「はい。あ、爆さんもどうですか?この前みたいに」 以前、爆は裕奈に勧められ、興味本位でバスケットボールの練習に出た事があった。 当初はルールがよく分からず、うっかり二人ほど保健室送りにしてしまったが(爆が後で治した)、すぐにマスターすると、練習試合で目覚しい活躍を見せた。 「爆さんなら歓迎ですよ?」 なかなか楽しそうな申し出だが、今は職務を全うしなければならない。 「悪いが、今は仕事中だ」 爆が丁重に断ると、裕奈は残念そうに、 「そうですか……それじゃまた!」 軽く挨拶をして、体育館のある方へ走っていった。 それをしばし見送って、爆は再び徘徊を開始した。 この学園に来てから、一ヶ月近くは経っている。 最初の頃はその服装から、逆に警備員の世話になりかけたが、最近では皆見慣れた様で、親しい間柄でなくとも挨拶を交わすくらいにはなっていた。 それを無愛想が染み付いた爆が喜んだかどうかは、また別の話だが。 「(よく考えれば、おかしな学校だ)」 吸血鬼はいるし、ロボットはいるし。 馬鹿でかい樹は生えて、子供が先生。 人が聞けば臍で茶を沸かすような世界だが、魔法が裏で横行するこの学園ならと、不条理に納得してしまう。 「まあ、どうでもいいか」 一番の不可解は、長年付き合ってきたピンク色の丸い物体だと自己完結し、爆は歩みを進める事にした。 現在、時計の短針は十一時を指し示していた。 爆は購買でホットドッグとコーヒーと、そしてジバクくんにポテトを買い、近くのベンチに腰を下ろす。 少し早い昼食だ。 今のところ不審者は見当たらない。 もっとも、爆の本領は夜中に発揮されるのであって、昼間の警備はお飾りみたいなものだ。 しかし、最近は夜の襲撃も少ないため、彼は多少退屈を感じていた。 刹那との稽古で、神鳴流とやらの技を何個か習得する事に成功したが、それだけである。 「(今度は、魔法とやらでも覚えてみるか)」 そんな事を考えながら、爆は手にしたホットドッグを食べ始めた。 彼はホットドックをあっという間に飲み込んでしまうと、缶のプルトップを開き、食後のコーヒーを楽しむ事にした。 そんな折、爆の視界の端に、こちらに向かって走ってくる少女を捉えた。 腰まで届く長い黒髪を振り乱し、はあはあと息を切らしながら近づいてくる。 「あれは、木乃香?」 それは間違い無く自分が護衛を任ぜられている少女だ。 彼女も爆に気付いたらしく、目線を寄せると走行の進路を曲げた。 「爆さん、ちょっとかくまって〜」 間延びした声で、木乃香は素早く爆の後ろ、すなわちベンチの後ろに隠れた。 「お嬢さまー!!」 次いで木乃香がやってきた方向から、今度は低い男の声が飛んできた。 そちらに顔を向けると、屈強な体に、黒いスーツにサングラスという、いかにも頭にヤのつく自由業的な男達が走ってくる。 しかしベンチの裏に隠れた木乃香に気付いた様子は無く、そのまま目の前を通り過ぎていった。 「ふー……助かったわー」 木乃香がひょいと爆の肩越しに顔を出し、男達の背中を見送った。 「何だあの頭にヤが付きそう連中は? 闇金にでも手をだしたか?」 全く表情を変えず、もはや嫌味さえ感じられないほど淡々と爆は憎まれ口を叩いた。 肩のジバクくんは何故か顔に線路の様な傷をつけ、サングラスまで掛けている。 「おじいちゃんの部下の人や」 木乃香が言うには、学園長が何を血迷ったのか十四歳の彼女にしつこく見合いを勧めるため、耐えかねて逃げ出してきたらしい。 「ジジイ……前から危ない危ないと思っていたが、とうとうアルツハイマーになったか」 「ついこの前も、お見合いの写真とらせようとして……はあ」 爆が納得したかの様に頷くと、木乃香がうんざりと溜め息をついた。 どうも今に始まった事ではないらしい。 「なあ、爆さん。ほとぼりが冷めるまで、ウチ逃がしてくれへんか?」 お願い! と木乃香が両手を合わせて頼み込んだ。 「むう……」 爆は顎に手を当て唸りながら思案を巡らせる。 如何にあの老人が偉かろうとも、孫の人生の伴侶を勝手に決定するのはどうだろうか。 「……仕方ない、俺は護衛だからな」 「あっ、お嬢さま!」 考えた末、爆が仕方なく了承したその時、先程の男達が引き返して来た。 「あわわ、どないしよ……」 慌てふためく木乃香を、爆は片手で制した。 「任せろ。平和的に、話し合いで解決してくる」 「話し合い?」 木乃香が訝しげに首を捻った。 「そうだ。だが、その最中は目をしっかりと閉じて、耳をちゃんと塞いでいろ」 そう不吉な勧告を残すと、青年は男達に大股で歩み寄っていった。 木乃香が爆の言われた通りに耳を両手で固く塞いだ直後、指の隙間か聞こえて来たのは悲鳴だった。 『ぎゃあー!』 『何だ貴様……ぐはぁ!』 『ちょっと待……ごはあ!』 何かを引き摺る様な音が、段々と遠のいて行く。 「もう良いぞ」 程なくして聞こえて来た爆の声に木乃香は目蓋を上げるや、次の瞬間端整な顔を引き攣らせた。 「……爆さん、顔に何か赤いのが」 「ん、ああ、気にするな。ちょっとホットドッグに頭突きしただけだ」 「……」 もはや言い訳ですらない言い訳に、さしもの木乃香も掛ける言葉を失ってしまった。 しばらくして、二人の姿は商店街エリアにあった。 「なぜこんな所に?」 雑踏を軽く睥睨しながら爆が訝しがると、先導していた木乃香はくるりと反転して彼に向き直った。 「木を隠すには森って言うやん? 人を隠すには街や。あ、このキーホルダーかわいーなー」 陽気に答えると同時に青年の手をぐいと引いて、木乃香は小物屋の店舗に突進した。 おしとやかに見えて、その実強な所がある。 「ほらジバクくん、これなんてどうや?」 『ヂィー』 カブト虫のキーホルダーを掲げて小躍りするジバクくん。 店員は顔を強張らせているが、木乃香は柔らかく笑っていた。 思うに、彼女の笑みは周りの者にもそれを誘う効果があるらしい。 普段無愛想な爆も、木乃香に釣られて口端を上げていたが――― 「……ん?」 ふと見やれば、ジバクくんがキーホルダーをピンク色の体に抱えながら、爆をじっと見詰めている。 「……欲しいのか?」 『ヂッ』 ジバクくんがこっくりと頷く。 気付けば、木乃香までもが爆を見詰めているではないか。 「……」 二対一。 勝機を見出せなかった爆は、無言で財布のジッパーを開いた。 『ヂィ〜♪』 ジバクくんは小さい腕にカブト虫のキーホルダーを抱え、歌っているかの様に楽しげな鳴き声を上げた。 「うれしそうやね、ジバクくん」 「……無駄な買い物だ」 にっこり笑い掛ける木乃香とは対照的に、忌々しげに爆が吐き捨てる。 大体、このピンク色の丸い物体がキーホルダーなぞ買ってどうするというのだ。 「じゃあ、次はどこ行こか?」 再び全身しようとする木乃香に、爆は慌てて口を出した。 「おい、あまり動かないほうがいいぞ」 爆の注意に、少女は呑気な顔で応じた。 「大丈夫、そう簡単に見つからへんて」 「しかしだな……」 根拠の無い自信にどうしても納得できない爆だったが、次の瞬間沈黙させられる事になった。 「……どうしてもダメ?」 木乃香にすがるように上目遣いで見られ、爆は途端に身を硬くした。 昔から、爆は女性のこの目に弱かった。 どうしても要求を断れなくなるのだ。 しかも、この少女は素でそれをやっているのだから、なおさら性質が悪い。 冷や汗が頬を伝う。 一瞬が永遠に思えた。 しばらくして爆は諦観の念とともに、深く溜め息をつき、ほとんどやけくそに咆哮する。 「……何処だろうと行ってやる!!」 結局、この後二時間ほど木乃香に付き合わされた爆だった。 「あー楽しかったわー」 木乃香の満足そうな笑顔を、赤みを増した日光が染め上げる。 対して、爆は見てて同情してしまいそうなくらい憔悴していた。 「さんざん連れ回しおって……二度とこんな事はやらん……」 全身に亡霊の如く圧し掛かる疲労に、爆の顔は青白い。 それを見てにやにやと笑うジバクくんが憎たらしくてならない。 「まあまあ、そんなこと言わんといて……」 「いたぞ!」 木乃香が微笑み掛けた直後、先程の黒服の男達が、昼間よりは少なくなった人波を掻き分けて駆け寄ってきた。 仕事熱心と評するべきか、この後に及んでまだ諦めてはいなかったらしい。 「ちっ、しつこい奴らめ。おい木乃香、少し隠れていろ」 平和的に話し合いで解決すべく、爆は両の拳をごきりと好戦的に鳴らした。 「……お手柔らかに」 苦笑いを浮かべつつ、木乃香は近くの建物の裏側に隠れる。 「はあ……それにしても、おじいちゃんには困ったもんやなー」 壁に寄りかかって、爆にアルツハイマーと断定された祖父に向かってぼやいた。 しかしその浮かない顔は、次の瞬間笑顔に塗り替えられる。 「でも、やっぱり爆さんは、良い人やね……」 ふふっと、柔らかく笑う。 その時だった 「あれれ、お姉ちゃん、何してんの?」 見るからに柄の悪い男子生徒が、彼女の前に現れた。 「こんなとこで一人なんて、さみしそーだなぁ。そうだ、俺と良いとこ行かね?」 典型的なナンパだ。 軽薄な笑みを浮かべ、木乃香の手を取ろうとする。 「あっ、ちょっと……」 それに負けじと、木乃香は足を踏ん張り、必死で抵抗する。 「そう言うなって。な、良いだろ?」 「ッ! いやや!!」 身を貫く嫌悪感に、木乃香は思わず両手を振り回した。 するとその手に、何か硬い物が当たった。 「あがっ!」 手の甲に顎を打ち据えられ、男がよろめく。 しかし所詮少女の力、瞬く間に復活すると、顔に怒りを浮かび上がらせた。 男の持論では、獲物はおとなしくしていれば良い。 抵抗など許されないのだ。 男はポケットに手を滑り込ませる。 そして取り出したのは小型のナイフだった。 「!!」 すでに戒めは解かれている。 しかしその銀色の煌きに射竦められ、足を動かす事が出来ない。 「このアマ……許さねえ!」 逆上して、男はナイフを逆手に持つと、委細構わず木乃香に踊りかかった。 「きゃっ……」 悲鳴を上げて、しかし恐怖に逃げ出す事もできず、彼女は目を瞑るしか出来なかった。 アスファルトに、赤い鮮血の花が咲いた。 しかし、その血は木乃香の物では無い。 「貴様、俺の護衛対象に手を出すとは、いい度胸だな」 眼前から耳朶を叩いた怒気に満ちた声に、木乃香が恐る恐る目を開ける。 するとそこには、青年―――爆の広い後ろ姿があった。 彼の足の隙間から、ぽたり、ぽたりと、血が滴り落ちて窪みに溜まってゆくのが見える。 胸の前に盾の様に掲げた左腕は、ナイフの刃が深々と穿たれていた。 「ひ……」 痛みを知らぬ者かの様な爆の眼光に、男の顔が霜でも降りたかの如く白く染まる。 「さっさと失せろ!」 閃いた爆の右腕が、男の顔面を捉えた。 拳の一撃は悲鳴を上げる事すら許さず、小さくは無い男の体を軽々と吹き飛ばし、意識を刈り取った。 「爆さん!」 爆の左腕の刺し傷を目撃した木乃香は我に帰ると、半ば彼に縋り付く。 「おお、怪我は無いか?」 しかしその本人は自らの痛みに全くの関心を寄せず、逆に木乃香の身を案じた。 だがその声も、涙を浮かべて彼の腕にハンカチを巻きつけ血を止めようとする彼女には届かない。 「ごめんなさい、爆さん……ウチのために、怪我してもうて……」 「こんなもん、怪我のうちに入らん。大体、何でお前が謝る?」 「え?」 爆の言葉の意味する所が理解出来ず、木乃香は上擦った声を持って聞き返した。 「お前を守るというのは俺が決めたんだ。絶対にお前を傷つけさせない。お前を死なせたりはしない。そう俺自身に誓った事だ。だから何も、お前が気にする事じゃない」 表情こそ、いつもの仏頂面だ。 しかしその決意に満ちた声は、教会の鐘の音の如く優しく少女の心に響く。 「っ……」 再び溢れ出す彼女の涙を、青年の指が拭った。 「俺としては泣かれる方がよほど困る。慰めの言葉など、知らんしな」 「……爆さん……」 最後に木乃香の頭にぽんと手を置いから、爆は締め括った。 「もう日が暮れる。そろそろ帰るぞ」 無愛想にそう言うと、爆は寮のある方角に向かって前進を始める。 木乃香も、目尻に残っていた涙を拭いて、その後を追った。 ―――その夜。 ウエンディングドレス姿の木乃香が、隣の新郎と腕を組みながら、 『おじいちゃん。ウチ、この人と幸せになります』 そして、次に口を開いた、タキシード姿の新郎の顔は――― 『そう言う事だジジイ。さらばだ』 ―――爆だった。 「うう……わしは……わしは認めんぞ……」 掛け布団を噛み締め、涙で敷布団に川を作りながら、学園長は悪夢に耐えていたという。 |