第十八話



「買い物に付き合え?」


学園内の、爆にとってはすっかりお馴染みとなったベンチで、彼は素っ頓狂な声を上げた。

「そうだ。昨日言っただろう、私の頼みも聞いてもらうとな」

にやりと、意地悪そうな笑みを浮かべるのは、いつも通り背後に茶々丸を従えたエヴァンジェリンだ。

そう―――彼は昨日、魔法の手解きをしてもらう代わりに、彼女の頼みを聞くという約束をしたのだった。

願い叶って魔法を使える様になり、だから爆も授業料を払わなくてはならない。

それは別に良いのだが―――まさか頼みの内容が、買い物の同伴だとは思っても見なかった。

「嫌か?」

言われて、爆は自分が額に眉を寄せている事に気付いた。
困惑から立ち直ると、爆は何とか返事をする。

「別に嫌じゃないが……俺で良いのか?」

「何がだ?」

その意味を理解出来ず、エヴァンジェリンが聞き返した。

「そうだ。俺には女が買う物など分からん。それなら茶々丸と一緒に行った方が良いんじゃないか?」

実際、それはもっともな提案だ。
しかし、彼女にとっては違った様で、数回頭を横に振ると、再び爆を見る。

「お前と、一緒に行きたいからな」

少し赤面して、エヴァンジェリンは小さく言った。
それきり口をへの字にして黙り込む彼女は、爆の返答を待っているように見えた。

「(俺と一緒に?)」

やはり、理由が分からない。

買い物というのは、多分服やら何やらの装飾品の類だろう。
そんなに大量に買うとは思えないので、荷物持ちという線は消える。

大体、それだったら茶々丸でも事足りる。

または、これは聞いた話だが、恋人同士は、男の方が女の服を選んでやるものらしい。
しかし、これも却下だ。

それならば、長年共に暮らしている茶々丸の方が彼女の好みを知っているだろうし、それに自分達はそんな仲では無い。

ならば、何か。

いくら考えても、その答えが出る事はなかった。
しかし、そこは柔軟な爆。

分からなければ、実際にやれば良い事だ、そう結論付ける。

「……分かった。付き合ってやる」

そう承諾すると、エヴァンジェリンは思いのほか明るい顔をした。

「そうか!なら、今日の放課後、駅前で待ち合わせだ。約束だぞ!!」

一気に、捲くし立てる様にエヴァンジェリンが言う。


と、その時。


それまで黙りこくっていた茶々丸が、小さい、極小さい声で、ぼそっとつぶやいた。

「……ずるいです。マスター……」

「ん?何か言ったか茶々丸?」

聞き取れず、振り返ったエヴァンジェリンに、彼女はぷいと目線を反らし、

「いえ、何でもありませんマスター。ええ、絶対にそうです」

澄ました顔で、かなり怪しげな弁解をする茶々丸だった。


日が傾き、世界が茜色に染まる頃、爆は言われた通り麻帆良学園の駅の前で、エヴァンジェリンの到来を待っていた。

何時か彼女と決闘した時は、自分が後にやって来たのだが、今回は逆だった。

駅の時計を見て、爆は近くの円柱に寄りかかる。

「それにしても、あいつらは一体何がしたかったんだ?」

あいつらとは、楓達の事である。

昼間エヴァンジェリンと分かれた後、楓に夕方出かける事を話した。


すると、彼女と、一緒にいた刹那と真名が、目に涙を溜めながら襲い掛かってきたのだ。

更には木乃香やら鳴滝姉妹やらが泣きついて来たりと、やたらと命の危険を感じた一日だった。


「まったく……本当に女のする事は理解できん」

その原因の全てが自分だと言う事に気付かず、爆はげんなりとした表情を浮かべる。

「……ん?」

その時、爆はある事に気付いた。

この駅前にいる男達の視線が、ある一点に向けられている。
それに釣られて、彼もその方向に目を向けた。


そこにいたのは、金髪の、黒いドレスを着た美女。

長い髪を揺らしながら、優雅にこちらに歩いて来る。

今、男達の目は、心は全て彼女に奪われていた。


しかし爆は、

「(見たことの無い奴だな……)」

そう思ったきりで、すぐに興味を無くして視線を外す。
だが、彼女は爆の姿を見つけると、少し早足になって歩み寄ってきた。

「待たせたな、爆」

その瞬間、男達の視線が嫉妬に代わり、爆に向けられた。

麗しい外見に違わず、綺麗な声。
それに爆は、不審に細められた目で応じる。

「誰だ、貴様は?」

その言葉に、彼女は見事にずっこけた。

そして唇をひくひくと戦慄かせ、怒りに満ちた目で爆を睨みつける。

「私だ私!エヴァンジェリンだ!!」

自らを指差す美女を見て、爆は目をぱちくりさせると、ああと平手に拳を打ち付けた。

「しかし、随分とサイズが違う様だが……」

爆の疑念に、エヴァンジェリンはふふんと自慢げに鼻をならすと、

「幻術というやつだ。どうだ?美しいだろう」

これ見よがしに、長髪を掻き揚げてみせた。
その金糸の一本一本が、夕日を受けてきらきらと美しく輝く。

しかし、爆はあまりにも素っ気無く、

「別にどうとも思わん。それよりさっさと行くぞ」

くるりと背中を向けて、駅の改札口へと歩き出した。

「………これでも駄目か………」

エヴァンジェリンは、悔しそうに、しかし何処か寂しそうにつぶやいて、その後を追った。


電車を降りて、爆達は渋谷のアスファルトの上に立った。

日は確実に夜に近づき、人工の光が目立ちつつある。

それでも、この街は帰宅途中のサラリーマンや、これからが本領発揮という若者達で賑わっていた。

「で、まずはどこに行くんだ?」

爆がエヴァンジェリンに訊ねる。

時々楓達に付き合って街に繰り出す事もある爆だったが、それでも完全に地理を把握してはいなかった。

「ああ、そうだな……」

「?」

爆は、彼女の様子がおかしい事に気付いた。

目線を辺りに秩序無く漂わせ、身を落ち着き無くそわそわしている。

と、そこで爆は思い出した。

エヴァンジェリンは、今まで『登校地獄』とか言う呪いの所為で、学園から離れる事が出来なかったのだ。

つまり―――

「お前……ここに来た事がないんだろう?」

図星を突かれ、エヴァンジェリンの後姿がびくりと震えた。

「〜〜仕方ないだろうが!!」

目に涙を溜めて喚きたてる。
外見を繕っていても、内面は変わらず子供だった。
爆は、頭痛がするかの様に額に手を当てると、溜め息混じりに、

「……とにかく、適当にそこら辺を回ってみるか」

そう言って、彼女の手を取る。

「!」

エヴァンジェリンの顔が、かあっと赤く染まる。

それを無視して、爆は昨日のお返しとばかりに、彼女を強引に引っ張って行った。


しばらくして、エヴァンジェリンは爆の拘束を解き、彼と並んで歩道を歩いていた。

道行く男達は、彼女がいるにも関わらず、エヴァンジェリンを見ると漏れなく振り返り、熱っぽい視線を浴びせてくる。

しかし、彼女の機嫌は少しも良くならなかった。


何故なら―――隣にいる、一番自分を見て欲しい男が、あまりにも無反応だからだ。


ちらりと、横目で爆の顔を見た。
相変わらずの仏頂面で、ただ前を見詰めて歩いている。

この男には、愛欲とか、そういう物が全く無いのだろうか?

むしろ、この男が誰かを愛する事があるのだろうか?

もしも、自分が危機に陥れば、彼は絶対自分を助けに来る。

だが、それは愛故では無い。

きっと、彼は自分の誇りのためだとか、仲間だからとか、言うのだろう。

そしてそれは、嘘では無い。

「……ッ!!」

エヴァンジェリンは、途轍も無い不安に襲われた。

ならば、自分の寄せる愛は、決して爆に届かないのでは無いか?

全ては、無駄なのではないか?

寒いわけでもないのに、体が小さく震える。

「どうした?エヴァ」

爆が、彼女の様子に気付いて声を掛けた。
そのお陰で、エヴァンジェリンは思考の迷路から開放される。

「……いや、何でも、無い」

途切れ途切れの、明らかに嘘と分かる返答だったが、爆はそうか、と言ったのみで追及はしなかった。

これも彼の、彼なりの優しさだった。

思わず涙が出そうになって、エヴァンジェリンは目を伏せた。
すっかり夜の帳の降りた空は雲一つ無くて、それがあまりにも今の自分の心と相反していて、何故だか悲しかった。

その後も、ブティックや、小物屋を転々としてみたが、気分が乗らず、少し見てはすぐに離れるという始末だった。

しかし、爆は文句一つ言わない。

今夜は、とことんまでエヴァンジェリンに付き付き合うという約束だからだ。

二人が最後に入ったのは、ある小さいバーだった。

天井に吊るされた幾つかの裸電球のみが照らす、薄暗い店内。
何処と無く、俗に言う『大人の雰囲気』という物を醸し出していた。

爆とエヴァンジェリンがカウンターに並んで座る。

「言っておくが、俺は酒は飲めんぞ」

そう言う爆に、いくらか余裕を取り戻したエヴァンジェリンは、

「心配するな。おい、アンカレッジとアフター・レモネードだ」

慣れた様子でバーテンダーに注文する。
程無くして、カクテルグラスとコップが二人の前に置かれる。

エヴァンジェリンはカクテルグラスを手に取ると、爆にもコップを勧める。

「それは、アルコールは入って無いぞ」

言われて、試しに一口含んでみると、確かに甘い芳醇な味が広がった。

「ふむ……」

感心した様に唸る爆にエヴァンジェリンは微笑むと、自らもグラスに口を付ける。
ぐいと、半分ほど減らして、かたりとカウンターの上に置いた。

静寂に包まれた空気が流れる。

「―――なあ爆。お前、好きな奴はいるのか?」

突如として投げ掛けられた問いに、爆は思わずエヴァンジェリンを凝視した。

「何だ突然……別におらん」

それで話を終わらせようとした爆だったが、エヴァンジェリンはそれを許さなかった。

「誰もか?」

「……誰もだ」

そこで、彼が望んだ通り、話の流れが断ち切られた。

再び、場を沈黙が支配する。

何処からか流れる、緩やかな音楽と、バーテンダーのシェーカーを振る音が在っても、それは静かと言えた。


そしてそれを破ったのは、またしてもエヴァンジェリンだった。


「………無神経な、奴め」

俯きながら、震える声で、そう言った。

「何?」

「お前はいつもそうだ。自分勝手で、無愛想で、一人でどんどん先に行く!」

子供が駄々をこねる様に、声が荒げられる。
店内にいた僅かな客が、何事かと二人を見た。

「おい、エヴァ」

「みんなそうだ!いつも私を置いて行く!私は、お前の事を……」

―――こんなにも愛していると言うのに。

不公平ではないか。

寂しすぎるではないか。

一方通行の、愛など。

「……エヴァ」

「もうお前など知らん!おい、ギムレットだ!!」


それから一時間ほど経過して、爆はすっかり酔い潰れたエヴァンジェリンを抱え、店から出た。


人目に付かぬよう近くの路地裏に入り、そこに壁に寄りかからせる姿勢で寝かせた。
爆もその隣に座る。

「結局、俺に勘定まで払わせおって……」

疲れ果てた様子で、爆は溜め息をついた。
何だか、こちらに来てからは溜め息ばかりついている気がする。

その時、隣でぽんと言う、可愛らしい音がした。

見れば、泥酔したエヴァンジェリンの幻術が解け、元の十歳の姿に戻っていた。

「……爆……」

すると、眠りから覚めたのか、エヴァンジェリンがゆっくりと体を起こした。

「気付いたのか……まったくそんなになるまで飲むなど……ッ!!」

怒る爆の言葉を遮ったのは、彼の胸にもたれ掛かったエヴァンジェリンの小さな体だった。

意識は、現実と夢の狭間にあるらしい。

アルコールの所為で火照った体は、服越しでも体温を感じさせた。

「爆ぅ……」

仔猫みたいだな、と思いながらも、爆はその呼びかけに答えた。

「……何だ」

その瞬間、爆の唇が奪われた。

「う、むぅ……」

一旦、離されるが、口に留まらず、エヴァンジェリンは爆の顔中にキスの雨を降らせた。
楓達が見たら、絶叫を上げそうな光景だ。

彼女は今度こそ顔を離すと、最後に、

「……好きだ……」

そして、再び穏やかな寝息を立て始めた。

「……」

爆は、体を動かそうと思ったが、エヴァンジェリンがカブト虫か何かのようにしがみ付いているため、移動もままならなかった。

しばらく、爆は思案を巡らせたが、深く溜め息を吐き出して、

「……今夜はずっと付き合ってやると言ったからな……」

つぶやいて、体から力を抜いた。
ふと、夜空を見上げる。

雲一つ無く、憎々しいほど晴れ上がっていた。


爆がテレポーテーションの存在を思い出したのは、それから一時間経過してからだった。


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