第二十五話
「おい、まだ着かないのか!?」 後方に流れてゆく景色の中、爆は肩にしがみつくちび刹那に、ほぼ怒鳴る様にして訊ねた。 疾駆を始めて十数分。 この速度ならば、そう時を置かずにネギ達の姿を捉えられると思っていたのだが、実際には人影一つ見えてこない。 『本体も移動していますから……あ、今電車に乗りました!』 「電車!?」 また厄介な状況になったものだ。 奥歯を強く噛み締めて、更に、更にスピードを上げる。 アスファルトを踏み砕き、風と同化するかの様に加速する。 叩きつけられる空気の壁は視界を防ごうとする。 靴底が溶解を始め、おぞましい臭気を上げる。 しかし今はそんな事に気を寄せている場合では無かった。 一刻も速く、守ると決めた少女の下へ行かなければ。 やがて爆が辿り着いたのは、嵯峨嵐山駅だった。 ネギ達と木乃香を攫った敵はここから電車に乗ったのだろう。 どうやら人払いの結界が張られているらしく、まだ九時も回っていないのにも関わらず、人の気配は皆無だった。 爆が油断無く周囲を睥睨していると、ちび刹那が耳元で悲鳴に似た叫び声を上げる。 『ああっ! 敵の術で水攻めにされました!!』 「何ぃッッ!!」 刻々と悪化してゆく状況に、青年もまた愕然と叫んだ。 もはや驚いている暇も惜しいと、改札を飛び越える。 そして無人のホームに突入すると、躊躇無く線路の上に降り立ち、肩の式神の案内で再び駆け出した。 程なくして、線路沿いに疾走する爆の顔面に冷たい何かが激突した。 「痛ッ!」 突然の衝撃に危うく転倒しそうになったが何とか踏みとどまる。 顔を拭ってみるとそれは単なる水だと分かったが、今の爆の速度で当たればそれなりのダメージはあった。 しかしそれは、着実にネギ達を乗せた電車に接近しているという証でもある。 「! あれか!?」 ようやく見えてきた電車の最後尾に、爆は更に速度を上げた。 見れば、中心の車両から絶え間なく水が漏れている。 爆は目標を見定めると、走るスピードを緩めずに背中から大剣を抜く。 「はあッッ!!」 足元を爆砕して跳躍した爆は空中で一回転し、大剣の切っ先を電車の上に突き刺した。 「くっ……」 全身を襲う烈風に耐えながら、青年は剣を杖の様に扱って、一歩一歩、出来るだけ早く確実に、水を噴出している車両に接近してゆく。 「ふん!」 爆は目的地に到着すると、今度は深々と剣を突き立てる。 「さて、どうするか……」 落ちないように大剣の柄にすがりつきながら、爆は救助方法を思案した。 生半可な方法では車両内の水を全て排出する事は出来ない。 ゆっくり考えている時間も無かった。 「……仕方ない、あまりやりたくはないが……」 一つ確実な方法を発見した爆は、左肩のジバクくんを掴みとった。 それから、右肩に必死でへばり付くちび刹那に向けて警告を発する。 「おい、刹那! 危険だから、出来るだけ底の方に沈んでろ!」 『は、はい!』 この式神と刹那の意識は繋がっているため、言葉は届いたはずである。 「ちび、お前は背中に隠れてろ! 行くぞジバクくん!」 『ヂィッ!』 両の掌を広げ、燐光を放出し始めたジバクくんを、爆が手の中に収めたまま足元に押し付ける。 それと同時に、全身に気を巡らせて鎧の様に纏った。 聖霊が凄まじい爆発を起こしたのは、その一瞬後だった。 荒れ狂う爆風が車体を容赦なく破壊する。 水が、電車の破片を交えながら後方に消えて行く。 粉砕され、ほとんど原型を喪失した電車は走っているのが奇跡の様な有り様だった。 「おい! 大丈夫か!!」 爆発と共に車内に降りた爆は、近くで倒れていたネギを助けを起こした。 「あ……爆さ……げほっ!」 言いかけたネギの言葉は、喉奥から吐き出された水に取って代わった。 周囲で体を起こし始めた刹那とアスナが、同様に体内の水を排出し始めたその時、電車が停止した。 何時の間にか駅に到着していたらしい。 隣の車両の扉が開かれ、その中から風呂場を襲撃した猿の式神を巨大化させた様な着ぐるみが現れた。 その短い腕には、意識を失っているらしい木乃香が抱かれている。 「貴様、木乃香を放せッ!」 電車からホームに降りた爆が咆哮すると、その着ぐるみは、彼に向けて巨大な頭部を旋回させる。 猿の口に当たる箇所に据えられていたのは、歳は二十歳前半といった所だろう、眼鏡を掛けた女性だった。 レンズの奥の釣り目が、青年を睨み付ける。 「電車吹っ飛ばした兄さんか……悪いけど、それは出来ない相談ですえ。このかお嬢さまが戻れば、ウチの―――」 台詞を完成させないまま、女性―――千草を身を翻し、短い足からは想像出来ない程の走破能力を持って逃走する。 「待て!」 爆と、回復したネギ達がそれを追った。 「せ、刹那さん、一体どういうことですか!?」 懸命に走りながら、ネギが前方の刹那の背中越しに訊ねた。 彼の隣でそれを引き継いだのはアスナだ。 「ただのいやがらせじゃなかったの!? 何であのおサルこのか一人を誘拐しようとするのよ!!」 二人の問いに、刹那は重々しい口調で応じる。 「じ、実は……以前より関西呪術協会の中に、このかお嬢さまを東の麻帆良学園へやってしまったことを心良く思わぬ輩がいて……」 そこで一旦言葉を切ったのは躊躇したからだった。 しかし、次の瞬間には推測を口にしている。 「おそらく……奴らはこのお嬢様の力を利用して、関西呪術協会を牛耳ろうとしているのでは……」 「―――利用だと?」 忌むべき言葉に、真っ先に唸る様な声で反応したのは、先頭を行く爆だった。 「牛耳ようが何しようが、奴らの勝手だが、それにあいつを使うのは、絶対に許せん」 程なくして、四人は京都駅の大階段に出た。 その最上段では、着ぐるみを脱ぎ、大昔に京都の貴族が着ていたような装束を纏った千草が待ち構えていた。 その細い指には、一枚の札が挟まれている。 「フフ……よーここまで追ってこれましたな」 その隣で猿の着ぐるみの足に寝かされている木乃香を一瞬見遣った爆は、恐ろしい程冷たい声音で告げた。 「木乃香を、返してもらおう」 片手で軽々と大剣を旋回させ、その切っ先を月下に立つ千草に向ける。 それに、女は冷笑を浮かべた。 「お札さん、お札さん! ウチを逃がしておくれやす!」 言葉尻と共に、千草の腕が閃く。 指に挟んでいた札を投じたのだ。 ひらひらと、長方形の紙片が舞い落ちる―――刹那、それは目も眩む業火と成って大の字を形成した。 「くっ!」 跳躍しようと屈んだ爆だったが、魔炎は龍の舌の様にうねって進路を阻む。 「ほな、さいなら!」 揺らめく赤い壁の隙間に背中を見せる千草の姿を認めて、青年は火の粉を振り払うネギを振り返った。 「ネギ、風の魔法だ!」 同じく超常の風ならば、この炎を吹き飛ばせる筈だ。 真意を悟ったネギが杖を前方に向ける。 「はい! ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 吹け一陣の風……風花風塵乱舞!!」 土星を模した先端から、魔力の風が吹き荒れた。 烈風に吹き飛ばされ、散らされ、火炎は跡形も無く消滅する。 「な、何や!?」 愕然と呻いた女には答えず、魔法使いの少年は勇敢にカードを持った手を突き出した。 「逃がしませんよ!! このかさんは僕の生徒で……大事な友達です!」 その叫びに爆は満足そうに頷くと、自らも大剣を正眼に構えた。 「行くぞ!!」 地面を蹴った爆に、刀を振り翳した刹那、アーティファクト『ハマノツルギ』(と呼称されるハリセン)を握ったアスナが随行する。 しかし、千草に向けて振り下ろされた筈の刹那とアスナの剣は、敵手を捉える事は出来なかった。 何の前触れも無く出現した熊と、突如動きだした猿の着ぐるみが、その一撃を防いだのだ。 「何これ? 動いた!? 着ぐるみじゃなかったの!?」 「さっき言った呪符使いの善鬼後鬼です!!」 一方、爆は現れた熊を唐竹割りにする事には成功していたのだが、 「何で俺だけこんなに多いんだ!?」 視界を埋め尽くす熊の大群に包囲されていた。 それでも、巨大な人形と見紛う姿には似合わない殺傷能力を備えた爪の攻撃を掻い潜り、大剣を振り回す。 閃く白刃は、次々と式神を札へと還してゆく。 その様子に危機を感じた千草は、何時の間にかいなくなっていた剣士の名を叫んだ。 「つ、月詠はんは何しとるんや!?」 ―――その頃、月詠は爆と戦った場所で、 「え〜と……何するんやっけ?」 などと呟いて、首を傾げていた。 無論、それを彼女が知る事は無い。 「――テル・マ・スキル・マギステル……風の精霊11人!! 縛鎖となりて敵を捕まえろ!!」 呪文の詠唱にはっとしてその方向を見た時には、何時の間にか最上段に到達していたネギが杖を向けていた。 「ああっしまった!? ガキを忘れてたー!!」 「もう遅いです! 魔法の射手、戒めの風矢!!」 十一本の矢の姿を形成する風が、女に向けて殺到する。 魔法の矢群は、その牙を千草に突きたてるかに見えたが――― 「あひぃ! お助けーーー!」 怯えた声を上げると同時に、彼女は眠る木乃香を持ち上げて盾としたのである。 「あっ……曲がれ!!」 少女を傷つけまいとしたネギの意思に呼応し、魔法の矢は進路を変え、明後日の方向へ消えてゆく。 「このかさんを放して下さいっ! 卑怯ですよっ!!」 少年の責める様な声に、それまで目を瞑っていた千草はきょとんとしたが、次の瞬間には不敵な笑みを浮かべている。 「は…はは〜〜んなるほど……読めましたえ。甘ちゃんやな……人質が多少怪我するくらい、気にせず打ち抜けばえーのに」 木乃香の体を俵か何かのように肩に掛けて、千草はこれ見よがしに哄笑を上げた。 「ホーホホホホホ! まったくこの娘は役に立ちますなぁ! この調子でこの後も利用させてもらいますわ」 熊の爪に体を鷲掴みにされたアスナが、苦悶の声を搾り出す。 「こ……このかをどうするつもりなのよ……」 それに千草は細い顎を摘むと、夢想するかの様な調子で答えた。 「せやなーまずは呪薬と呪符とでも使うて口を利けんようにして……上手いことウチらの言う事聞く操り人形にするのがえーな……くっくっくっ……」 それは、言ってはならない言葉だった。 少なくとも、この青年がいる場所では。 それに飽き足らず、千草は更に言葉を続ける。 「ウチの勝ちやな。フフフ……このかお嬢様か……なまっちょろいおケツしよってからに、かわえーもんやなぁ」 剥き出しになった木乃香の尻を、なでなでと擦る。 「ほななーケツの青いクソガキども。おシーリペンペーン♪」 それは、死刑執行書に自ら署名したも同然だった。 不意に、風が駆け抜けた。 アスナを掴んでいた熊が、巨大な首を刎ねられ消滅した。 「きゃっ!?」 慌てて着地したアスナは、階段の頂上を振り返った。 千草の肩が突如軽くなる。 「なっ!?」 彼女が悲鳴を上げたのは、肩から木乃香が幻の如く消え去っていた事実と、そして突如頭に走った痛みのためだった。 「―――悪いが、もう一度言ってくれないか? こいつを……木乃香をどうするって?」 腕に少女を抱えた爆は、背後から千草の後頭部を万力の様に掴んでいる。 「いだだだだ!!」 「口を利けなくする? 操り人形にする?」 それはあくまで静かな語調である。 しかし、その場にいる誰もが動く事が出来なかった。 何故ならその目には、烈火の如き憤怒が宿っているのだから。 それは、まさに眼力と呼ぶにふさわしい。 「ふざけるな……貴様らの野心で……こいつの人生を奪うなッッ!!」 爆は頭を掴んだまま、踊る様に勢い良く上体を振った。 「お前は、吹っ飛んでろッッ!!」 満身の力を込め、千草を、思い切り放り投げる。 「あぁーーーーーれぇーーーーーーッ!!」 くるくると頭を支点にして、千草は冗談の様に夜空へと消えていった。 「ふん……」 怒りが覚めやらぬ表情で、爆は鼻を鳴らした。 腕の中の木乃香が目を覚ましたのは、ちょうどその時だ。 薄く目を開いて、青年の顔を見つける。 「んん……あ……爆さん……おはよう……」 爆は、その呑気な言葉に安堵した表情で、しかし素っ気無く返答した。 「ん……まだ夜だ。もう少し寝てろ」 そう言われて安心したのだろうか。 木乃香は目蓋を閉じ、再び眠りについた。 地面に突き刺しておいた大剣を背負うと、爆は木乃香を抱えて階段を降り始めた。 |