第二十六話



修学旅行、二日目。


食堂として利用されている広間で、生徒達は朝食を摂っていた。
しかし料理は美味なれど、一同の顔は皆憂鬱そうである。

その理由は―――

「ううう……頭が痛い……」

箸を持った手で、風香はこめかみを押さえて苦痛に唸った。

その様子に、彼女の右隣で魚の切り身を突付きながら、爆が呆れ気味に鼻を鳴らす。

「酒なぞ飲むからだ未成年。急性アル中にならなかっただけマシだ」

昨日の音羽の滝の一件が響いているらしい。
酒が混じった水を、調子に乗って多量に摂取してしまい、二日酔いになってしまった様だ。

「でも、誰があんなイタズラを……」

青年の隣に正座する史伽が、やはり苦渋の表情で呟く。

「……どっかの馬鹿だろう」

残りの魚をジバクくんにやって、適当に答えた爆はそこで話題を断ち切った。

まさか、危険思想の呪術使い達の仕業とは言えない。

食事を終えた爆がフロントに出ると、風香がシャツの袖を引っ張ってきた。

「あ、そうだ爆さん! 今日の自由行動、僕達と一緒に行こうよ!」

言われて思い出したが、今日は班別で自由行動の日である。
昨晩の千草の件もあり、出来る事なら木乃香の班と共に行動するのがベストなのだが―――

「う……」

見上げてくる風香と史伽の瞳は、やたらキラキラと輝いていた。
例えるなら、街頭に捨てられている子犬。
これを見ると、爆はどうしても断りの言葉が封印されてしまう。

青年が、呻くばかりで返答に困っていると、その背後に長身の影が忍び寄ってきた。

「それはダメだな。爆さんは私達の班と行くのだから」

聞き慣れた声に振り返ると、にやりと不敵に笑っているのは真名だった。

「昨晩約束しただろう、私と一緒に行くと……気付いたら布団の中だったが」

「人はそれを夢と言うんだが」

爆の淡々としたツッコミが飛ぶ。
しかし恋する乙女に道理など通用する筈も無い。
真名ががしっと戸惑う青年の手を握り締めた。

「まあ、そう言わずに。幸いガイドブックもある。これで手取り足取り何取り―――」

台詞が唐突に途切れる。

しゅっ、と空気を裂く音がしたかと思うと、続いてぷすり、という何かが突き刺さる音がした。
真名の首筋から。

「はうっ!」

悲鳴を上げた少女の長身が力を失って崩れ落ちる。

倒れ付した真名の背後に立っていたのは、楓だった。
その口元に当てられているのは竹製の筒―――吹き矢だ。

「真名殿? 抜け駆けは良くないでござるよ?」

人の良さそうな糸目から滲み出ているのは、もしや殺気ではないか。
額には、くっきりと青筋が浮き出ている。

「ぐ……楓、貴様ぁ〜……」

地獄の亡者の様な声を上げたのは、首筋に針を生やした真名だ。

弛緩する筋肉を叱咤し、歯を食い縛り、ソファを支えに立ち上がる。
ふらふらとおぼつかない足取りだが、その瞳は燃える様な怒気を湛えている。

「やはり……息の根を止めておくべきだったな……」

彼女が無造作に前方に差し伸べた右手には、何時の間にか黒く輝く鉄塊―――拳銃が握られていた。

「ほほう……殺る気でござるか……」

同じく、楓の手に苦無手裏剣が現れた。
主の闘志に答えるが如く冷たく光る。

睨み合う二人が作り出す一触即発な空気が、フロントに充満していた。
風香と史伽は恐れをなして退散してしまっている。

「……」

どう対処したものかと爆が考えあぐねていると、その背中を誰かが軽く叩いた。

「ん?」

振り返ってみると、何時の間にか背後に立っていたザジが、無表情にこちらを見上げていた。

「……一緒に、行きませんか……?」

爆のシャツの裾を握り締めながら、掻き消えてしまいそうな程の小声で提案する。

「ふむ……」

記憶が確かならば、彼女の班長は刹那だった。
彼女の立場上、木乃香の班との同行は確定している。

それに、班員にはエヴァンジェリンと茶々丸もいた筈である。
彼女達が護衛を手伝ってくれるかは怪しいものだが、敵が襲撃してくれば勝手に撃墜してくれるだろう。

「―――よし、行くか」

「……!」

考えを纏めて頷いた爆に、ザジは僅かながら喜色を顔に表すと、玄関に向けて歩き出した。
爆の服を掴んだまま。

「うお! ま、待て引っ張るな!」

そのおかげで、彼は向こう脛をスチール製のゴミ箱に思い切りぶつけてしまった。

「……何してんの?」

爆が立ち去った後も、剣呑に視線を交差させていた真名と楓。
そこを通りかかった裕奈によって、二人は現実の世界に引き戻された。

―――これは全くの余談であるが、楓は同じ班である聡美に、

「何で連れて来てくれなかったんですか!」

などと怒鳴られてしまった。


「あ、爆さん、ザジさん!」

外に出た爆とザジを、ネギの一声が迎えた。
その背後には案の定、五班と六班のメンバーが集結している。

「爆さんは僕達と行くんですか?」

「ああ、昨日の事もあるからな」

背負った大剣入りのバッグを揺らす。

敵方の目的が木乃香だと分かった以上気を抜く訳にはいかない。
いざとなれば例え町の中だろうと抜刀も止むを得ない覚悟だった―――その時、やたら明るい大声が、そんな爆の決意を一瞬にして破壊した。

「あっ! 爆さ〜ん!!」

ネギの横をすり抜け、木乃香が勢い良く爆に抱きついた。

その際に、彼女の頭が彼の鳩尾に打ち付けられる。


「ごふぅッッ!!」

鈍い衝撃が内臓を抉り、青年の体がくの字に折り曲がった。
ぱさりと、カウボーイハットが悲しげに落ちる。

ばったり背中から倒れ、ぴくぴくと痙攣する爆。
奥の方から込み上げる何かを嚥下して、代わりに言葉を吐き出した。

「木乃香……ボディランゲージは、よせと、いつも言っているだろう……」

「ば、爆さ〜ん!!」

今にも死にそうな感じの爆。
それにすがりつく加害者。

ある意味、木乃香は雹を超えた爆の天敵となりつつあった。
少なくとも、彼女に拳を振り上げる事は、青年には絶対に出来ない。

「おい近衛。いつまでも爆に引っ付いてるんじゃない」

近づいてきたエヴァンジェリンが、不機嫌そうに木乃香をぐいと脇に押しやった。

「ああっ、何するんやエヴァンジェリンさん!」

力を失った爆の体に手を回しながら、エヴァンジェリンが挑発するようにふんと鼻を鳴らす。

「何って……救助活動に決まっているだろう?どっかの誰かが、ノックアウトしてしまったからな」

止めとばかりに、口端を軽く釣り上げた。
暗に自分の所為だと揶揄され、木乃香は怒りに顔を真っ赤にする。

「な、た……たしかにそうやけど……」

激昂したは良いが、反論の材料が見当たらず、あえなく沈黙する事になった。
エヴァンジェリンはそれを見て、勝ち誇るかの様に再度鼻を鳴らした。

その頃、爆は優しい目をした犬の幻影と会合していた。


まず一行が立ち寄ったのは奈良公園だった。

公園内はおろか、何処にも彼処にも鹿、鹿、鹿。
人間にもよく慣れていて、近づいても逃げるどころが逆に擦り寄ってくる。

「おおっ! これはすごいな! 生物だらけだ」

壮大な景観に、爆は満足そうに声を上げた。

「……」

傍にいるザジも無数の鹿達に囲まれて、何となく幸せそうだ。
動物好きの彼女にはたまらないだろう。

「あっ爆さん、これ」

刹那が手渡したのは新聞が混じった煎餅である。
その用途が分からず、爆が首を傾げる。

「何だコレ?」

「鹿煎餅です。ほら、こうやって……」

刹那が煎餅を掲げると、すぐさま鹿が近寄ってきた。
長い首を寄せて、ぽりぽりとさも美味そうに煎餅を齧る。

それに習って、爆も煎餅を近づけてみた。
すると、刹那のを食べ損ねた鹿達がやって来て、青年に群がっていく。

「ふむ、なかなか楽しいな」

ふさふさの、鹿の頭を撫でる。
皆同じ様にしていった爆だったが、その中に明らかに違う感触がある事に気付いた。

「ん?」

短い鹿の体毛とは違い、それは長くつやつやしていて、まるで人間の様―――

「……?」

指に絡みついたそれは銀色の輝きを放っていた。
不思議に思った爆が、撫でていた鹿を改めて見下ろす。


―――頭に鹿の角を付けた雹だった。


瞳が、まぶしいほど歓喜に輝いている。


ゴシャ!


爆は無言で握り固めた拳を、その脳天に叩き付けた。
血飛沫と共に、木の枝の様な角が宙を舞う。

「鹿の餌となれ」

どくどくと血を流しながら足元で撃沈している雹に、冷酷に言い渡した。

「ふふ、ふふふ……畜生どもなんかに……爆くんの手を独占させてたまるか……」

結果は分かっていたけれど、愛にかかれば痛みや命など度外視。
立派な覚悟ではあるが、いかんせんその方向性に問題がある。

「まったく、懲りない奴め……激は何をしとるんだ?」

爆が憤慨を雹と、そしてもう一人の姿の見えない男に向けていた、その時だった。


「えー鹿煎餅はいりませんかー」


背後から耳朶を叩いた聞き覚えのある声に、青年が振り返る。

そこにいたのは、旗を掲げ、ぎいぎいと耳障りな音を立てる台車を引いている激だった。

「げ、激!?」

「おお爆。鹿煎餅を買え」

にこやかに言いながら、爆にずいと煎餅を押し付ける。

彼が言うには、今朝そこら辺をぶらついていた所、臨時のアルバイトを募集していたため暇潰しにと志願したらしい。

「いやぁーなかなか板についてるだろ?」

照れくさそうに頭をぽりぽりと掻いた。
雹も同行していたのだが、何時の間に失踪していたらしく、おそらくその時から鹿に混じっていたのだろう。

誰かに爆達がここに来るという事を聞いていたのか、それとも執念のなせる業か。
あの雹の事だから、後者の方なのだろうが。

偶然通りかかった夕映が、血の池に寝転がる雹を発見した。

「……何ですかコレ?」

「ボトルキャップだ」

非情に言い捨てた爆の言葉を、激が拾う。

「……回収もされないのか」

少しだけ雹が哀れに思えた。

本当に少しだけ、芥子粒程度だが。


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