第二十八話



一悶着はあったものの、爆は無事修学旅行二日目の夜を迎える事が出来た。


しかし、本当に大変になるのはこれからだった。
就寝時間も間近だと言うのに、生徒達がやたら活気づいている。
それもその筈、酒の効果により一日目の夜を無駄にしてしまったからだ。

皆、その分を取り戻そうと意気込んでいるのである。

「（……今夜は遅くまで見回りだな）」

爆個人としては、ただでさえ昼間も喧しい事この上ないのだから、せめて夜くらい静かにしておけばいいものを―――なのであるが。

憂鬱な思考に耽っていると、爆はフロントの一角にある湯上り休憩所に、ネギ、アスナ、刹那の三人が集合し、何やら話し合っているを発見した。

近づいてみると、ネギが半泣きになっているのが分かる。

「（また、面倒な事になってる様だな……）」

次から次へと引っ切り無しにやってくるトラブルに爆は顔を顰めたが、彼のお節介焼きな所にその不幸があった。

「……どうした？」

さも気だるそうに呼びかけた声にネギが顔を上げると、同時にアスナと刹那も振り返る。

「あ、爆さん。それが……」

葬式に参列しているかの様な気落ちした声音で、ネギが事情を語り始めた。

道路で轢かれそうになった猫を助けるため、魔法の力で車を弾いたところ、それをある生徒に目撃されてしまったというのだ。

それをアスナが補足する。

「それで、その目撃者っていうのが……」

―――通称麻帆良パパラッチ。
朝倉和美という少女だった。

その名前は風香や史伽に聞かされ、爆も知っていた。

何でもカメラを常備していて、世界的なスクープを発見しようと日夜目を光らせているとか。

「まずいな……」

そんな彼女のデータに、爆は苦々しくつぶやいた。

魔法。

そのなんと魅惑的な言葉か。

人々の夢想する中で、それは神の如き力を有していた。

―――実際には、それほど万能な代物では無いのだが、それでも一般人には十分魅力的には違い無い。

それがもし、表の世に実在を証明されたのなら。

巻き起こる事態など、容易に想像出来た。

まあ当面の問題としては、ネギは確実にオコジョにさせられるといったところか。

爆はぽんとネギの肩に手を置くと、何処と無く悲しげな様子で、

「……短い付き合いだったが楽しかったぞ。小動物になってからも元気で……」

「即行で諦めないでくださいよッッ！！」

「安心しろ。冗談だ」

笑えない冗談もあったものである。

「おーいネギ先生ー」

そんな時、今のネギの心情には不釣合いな、明るい呼び掛けが飛び込んできた。

爆が振り返ったそこにいたのは話題に上がっていた人物、朝倉和美だった。

その肩には何故か、ネギを兄貴と慕うオコジョ妖精――カモが乗っけられている。

「うわっ！　あ、朝倉さん！？」

慄いたネギを庇うように、アスナが一歩前に進み出た。

「ちょっと朝倉、あんまり子供をイジメるんじゃないわよ」

咎める様な台詞に、和美は呆れた様な苦笑を浮かべた。

「イジメ？　何言ってんのよ。てゆーかあんたの方がガキ嫌いじゃなかったっけ？」

『そうそう、このブンヤの姉さんは俺らの味方なんだぜ』

「え……？　味方？」

意外なカモの言葉に、ネギはきょとんとして
思わず聞き返した。

彼が教師を続けるかオコジョの道を歩むかの瀬戸際にいるのは、確実に彼女の所為なのだが。

不審気なネギに和美は不敵に笑うと、困惑する彼に事情の説明に入った。

「報道部突撃班、朝倉和美。カモっちの熱意にほだされて……ネギ先生の秘密を守るエージェントとして協力していくことにしたよ。よろしくね」

「え……え〜〜！？　本当ですか！？」

暗かった表情に希望の光が差し込む。
どんな心境の変化かは知らないが、ありがたい事には変わり無い。

「今まで集めた証拠写真も返してあげる」

信用を不壊な物にするために、和美はポケットから数枚の写真を取り出し、ネギに渡した。

どれも、彼が魔法を行使するシーンが写されている。

「よ、よかった……問題が一つ減ったです……」

「よしよしネギ、よかったね」

「……」

号泣するネギの頭を撫でるアスナ。
一方でそれを尻目に、爆は釈然としない顔で、微笑む和美を睨みつけていた。

「（……あれは、確実に何かを企んでいる目だ……）」

爆は、彼女の双眸に姦計の色を見出してしまった。


「おい小娘ども。もう就寝時間だ。とっとと部屋に戻れ」

社交性というものを根こそぎ放棄した台詞で、爆はフロントに固まる生徒達に就寝を促した。

「え〜〜まだ眠くないよ……」

ソファに腰掛ける裕奈が口を尖らせる。
他の生徒達も同様に不平に唸ったが、青年にそれが届く筈も無かった。

「四の五の言うな。遊ぶんだったら部屋でやれ、静かにな」

ほれ行った行ったと追い払う様に手首を振って、たむろする少女達を部屋に戻らせる。

「まったく、面倒な奴らめ」

数十分程もすると、あらかた見回りを終えてしまった。
目下の職務を終えた爆も、与えられた部屋に戻った。

そこで爆を待ち構えていたのは、

「あ！　爆くんお帰りなさい！」

………何故か目に痛いピンク色のエプロンを掛けた雹だった。


エプロンには、『爆くん命！！』と刺繍されている。


何と言うか、どう表現すべきか。


とにかく、エグかった。


「……ッッ」

目に余るおぞましさに、爆が言葉を忘却していると、その隙を狙って雹が無理やりテーブルの前に座らせた。

銀髪の青年は、背中側から彼の両肩に手を掛けると、横から顔を覗きこむ形で、甘く、全身の毛が逆立つような声で耳元で囁いた。

「お仕事ご苦労様。お風呂にします？……それとも……ワ・タ・シ？」

「貴様の生き血だッ！！」

ゴズッ！！

注文と共に返されたのは、首ももげよとばかりに放たれた裏拳の一撃だった。

鼻血を噴水の如く撒き散らし、見事ノックアウト雹は仰向けになって撃沈した。

「はあッ……はあッ……どんどん変態度がレベルアップしてるな……」

その変態の抑止力であるはずの激を探せば、部屋の隅で空の酒瓶を懐に抱えグーガーと気持ち良さそうにいびきを立てている。

「こいつはてんで役に立たんし……やはり風呂場の時に殺っておくべきだった」

後悔の念に握り固めた拳がプルプルと震える。

今の彼の精神状態を言うならば、さしずめ水を一杯まで湛えたコップ。
ほんのちょっと揺らしただけで簡単に水は零れる。

そしてその揺れは、思っていたよりも早くやって来た。


キャーーーーーッ


キャハハッ


キャッキャッ


ドタバタ！


ドンチャンドンチャン！


大震災級の揺れで、コップの水はあっけなく零れた。

「……」

爆の中で何かが囁く。


―――プッツンしますか？


こう答える。


……イエース。


爆は、戦争に赴くかの様な勢いで外に飛び出していった。


「……こんの馬鹿娘どもがーーーーーッッ！！」

爆の烈火の如き怒号が響き渡った。

その怒りは、彼の目の前で、しゅんと正座をしている３−Ａの生徒達に向けられている。

「静かにと言ったろうが！　貴様ら頭の中に鼓膜と脳がちゃんとハイってるのか！？」

この修学旅行中のいざこざで蓄積されたストレスが、嵐の如く吹き荒れている。

その勢いに、普段神も恐れぬような少女達も、項垂れて何も言えなかった。

「遊ぶのは構わん。夜更かしも許そう……だがッッ！　とにかく静かにしろ！！　分かったな！！」

「「「ごめんなさい……」」」

怒鳴るだけ怒鳴ると、爆は興奮冷めやらぬ様子で、肩を怒らせながら自室に戻って行った。

「（これだけ言えば、奴らも静かにしているだろう）」

しかし、その考えは大いに甘かったと言える。

何故ならば、爆は見逃していたのである。
―――緋色の髪の魔女の存在と、その企みを。


「このまま夜が終わるのはもったいないじゃない？　一丁、３―Ａで派手にゲームをして遊ばない？」

そんな和美の提案。

いつもの３―Ａならば、興味にその耳を傾けただろう。
だが、今しがた爆の怒気を全身に浴びた少女達は、もちろんそれに異を唱える。

これ以上彼を怒らせたらどうする。

清水寺からヒモ無しバンジーを強制されかねない。

しかし、次に和美が放った言葉は、それを沈黙させるだけの威力があった。

「名付けて、『くちびる争奪！修学旅行でネギ先生＆爆警備員とラブラブキッス大作戦』！！！」

何の捻りも無い題名。

しかし、分かりやすさを優先させたそれは、恋する乙女達の心に火を点けた。

どよめく少女達。

その中から、主にいいんちょと呼称される雪広あやかが、静かに和美の肩をがっと掴んだ。

「（やっぱ駄目か？）」

つう、と冷や汗が流れる。
しかし、あやかの目は光に満ち溢れていた。

「やりましょう。クラス委員長として公認しますわ」

どうやら、自らの欲望を優先させたらしい。

「（乗ったか）」

胸中でほっと安堵しながら、次の瞬間にやりとほくそ笑む。
全ては計画通り。

適当にルールを説明すると、まるで戦国の世の武将が号令を掛けるかの様に、ばっと腕を振り上げた。

「よし！　じゃあ各班十時半までに報告、十一時からゲーム開始だーー！！！」

「「「おーーーーーっ！！！！！」」」

既に彼女達のボルテージはマックス。

同時刻、ネギと爆は原因不明の寒気に襲われた。


前へ　戻る　次へ