第三十三話
ハルナ達がカードゲームに意識を向け始めた頃、爆はネギに耳打ちした。 「おい、今がチャンスだ」 「あ、はい」 近くにいたアスナに呼びかけ、出口へと向かう。 「じゃ桜咲さん、爆さん、このかのこと頼むね」 「無論だ。お前らこそしっかりな」 傲然と胸を反らす爆に、刹那は苦笑を漏らしながらアスナとネギを見送った。 「はい、二人とも気をつけてください」 唸り声に似た音を出しながら閉じてゆくの自動ドア越しに遠ざかる二人の背中を見送った後、少し間を置いて、爆が大声ではないが、よく通る声で口を開いた。 「激、雹。お前らも行って来い」 すると、彼が寄り掛かっている柱の影から激と雹がひょっこりと顔を出した。 「やっぱばれてた?」 「ホテルからな」 「ヒドイじゃないか爆くん! 激を先に呼ぶなんてぇ〜ッ!!」 「黙れ変態」 号泣する雹の訴えをばっさりと切り捨てる爆に、激が疑問符を浮かべる。 「てか、行って来いってどこにだ?」 「決まっているだろう。西の本山とやらにだ」 当然の如く答える爆に対し、激は目をぱちくりとさせた。 要するに、行ってネギとアスナの手伝いをしろという事だろうか? 「何だぁ? 柄にも無く心配してんのか?」 激が意地悪そうな笑みを浮かべて顔を覗き込むと、爆はふんと鼻を鳴らしてそれを否定した。 「馬鹿を言うな。ネギは立派な魔法使いだし、アスナも立派な戦士だ。心配などしとらん」 全く淀みの無い返答。 それに激は一度真顔に戻ると、今度は先程とは違った薄い笑みを見せた。 すると、今度は雹が問いを投げ掛ける。 「なら、何で僕達が行く必要があるのさ?」 「焦った敵が数でかからんとも限らないからな。まあ、保険という奴だ」 分かったらさっさと行け。 そう言いたげに、爆は顎でくいと自動ドアを指し示し、それきり黙り込んだ。 沈黙が、これ以上弁論の余地は無いという彼の意思を言葉よりも雄弁に伝えてくる。 その態度に、激もまた黙ってやれやれと首を振ると、未だごねる雹の首を引っ張って外に出て行った。 ◇◆◇◆◇◆ 一方で、刹那は独り思考を巡らせていた。 目前にある、大勢のギャラリーに囲まれたカードゲームの機械。 彼女の視線は、ただいまそれをプレイ中の木乃香に注がれていた。 「(いい笑顔だ……麻帆良学園に行ってからというもの友人も多く得て明るくなられた)」 だからこそ、と刹那は思う。 自分は、傍にいてはならない人間なのだ。 木乃香は魔法の事も何も知らずにいるべきだ。 そうしてただただ、平和に一生を過ごすことが、彼女の幸せだと刹那は信じて疑わなかった。 それには、確実に自分の存在が邪魔である。 もう自分は、裏の世界に肩まで浸かってしまっている。 「(……修学旅行では少し親しくしすぎた。学園に戻ったら今までどおりあまり関わらず陰から見守るようにしなければ……)」 その折、何か名状し難い物が、自分の食道を這い登ってくるのを感じた。 それが何なのかは、あえて知らないふりをし、意識の底に封じ込める。 ―――大丈夫だ。今までやれた事が、帰ってから出来ない筈が無い。 「馬鹿なことを考えるな」 「え?」 突然の声に驚いて左を向くと、爆の横顔が間近に映った。 どうやら、彼の接近に気付けないほど、自分は考え込んでいたらしい。 「どうせ、帰ったらまた木乃香と離れなければとでも考えていたんだろう」 「ッ!」 考えをいとも容易く看破されて、刹那は思わず息を呑んだ。 読心術まで使えるのだろうか? もしやとは思うが、彼ならば或いは……。 「どうして、分かったんですか?」 「全部顔に出ていた」 答えはあまりにも単純だった。 一瞬呆気に取られる刹那。 同時に、一体どんな顔をしていたのだろうかと多少顔を赤らめた。 「……それも、暗い顔だ。そんなにつらいなら、無理してやることも無いだろ」 途端に刹那の顔に厳しさが宿る。 「そんなことは……ッ」 「無いとでも?」 問い詰める爆の言葉が、微塵の容赦もなく心の奥底に突き立てられた。 「……」 反論の言葉は喉元まで出てきたものの、すぐに引っ込んでしまった。 言われて初めて、刹那は自らの迷いを自覚した。 自分は木乃香の笑顔を失うのを恐怖すると同時に、その笑顔が離れていく事にも恐怖してしまっていたのだ。 視線を足元に這わせる刹那に、爆はふうと嘆息をついた。 「それに、あいつだってお前がいるからこそあんな風に笑えるんだ。お前がまたいなくなってみろ、どうなるかぐらい想像がつく」 それこそお前が望む事ではないだろうと、爆はゲームに興じる木乃香を目で指した。 太陽の様な朗らかな笑顔が黒い瞳に映し出される。 「……しかし」 「だいたい、西の奴らに狙われてる時点で魔法と無縁じゃいられないんだ。それなら、近くで守る方がいいと思うが」 「……」 再び黙り込んでしまった刹那に、爆は小さく溜め息をついて話を締め括った。 ◇◆◇◆◇◆ 「よう、お前ら」 駅の改札口、ネギとアスナが振り返った先にいたのは棍棒を持つ青年、激だった。 その後ろには雹もいるが、何やら文句らしきをぶつぶつと呪文の様に呟いていて、相当に不気味だ。 「激さん、雹さん。どうしたんですか?」 ネギは、この二人とあまり親しいとは言えなかった。 雹は爆と彼自身の事にしか興味を寄せず、激はこの修学旅行中に現れたばかりだ。 「なーに。ちぃと、坊主達の手伝いに来ただけさね」 言うと、激は中腰になってネギと視線を合わせた。 「?」 ネギの瞳に戸惑いの色が浮かぶ。 それに、激はにんまりと悪戯っ子さながらの笑みを浮かべると、ぷに、とネギの頬を引っ張った。 それがまた、よく伸びる。 「ひたたたたッ! 何ひゅるんでしゅか!?」 涙目のネギが手をばたばたと振り回す。 「何してんのよ!」 アスナが激の頭をはたきに掛かる。 しかし、彼も仙人と謳われた男。 立ち上がりざまにその一撃を難無くかわすと、声を上げて笑い始めた。 「あっはっはっは。悪い悪い、ついカイの奴を思い出しちまってなあ」 くしゃくしゃと栗色の髪を力強く撫でる。 二番弟子であるカイは今では立派な青年だが、当然十歳だった頃もあるのだ。 もっとも、その時は撫でてやることも出来なかった。 何しろ、手が無かったのだから。 その時、それまでひたすら呪い言を呟いていた雹が、颯爽と立ち上がった。 「さあ! 遊んでないで早く行こう!」 「何だ、いきなりやる気出して」 「早く終わらせないと、爆君分が足りなくなる!」 「よし分かったさっさと逝ってこい」 彼の中では、爆の存在そのものが養分らしい。 嫌悪を通り越して、雹を除いた三人は呆れ顔になった。 電車に乗って数十分。 辿り着いた関西呪術協会の本山は、入り口の時点で四人と一匹を圧倒した。 「ここが関西呪術協会の本山……?」 「うわーなんか出そうねー……」 「いかにも呪術って感じだなオイ」 「何か針の塔みたいな感じだなあ……」 一行の口々から漏れる感想には、いずれも万感の思いが込められていた。 ――土地そのものに魔法がかけられているのだろうか。 そう思わせるほど、その土地は異様な雰囲気を放っていた。 短い石段、その先には巨大な鳥居が聳え立ち、辺りを睥睨している様に思えた。 その奥は鬱葱とした森となっていて、それを横断するための階段が伸びている。 彼方に見える階段の終わりからは百を軽く越える小さい鳥居がドミノの如く立ち並び、その途中から先は深い竹薮に囲まれていた。 妖怪が出ても不思議は無い……というより、出ない方が逆に不自然に思える様な不気味さだ。 「ここの長に親書を渡せば任務完了って訳だな」 ガイドブックを手にしたカモがそう言った時だった。 「―――ん?」 ふと、アスナが虚空に目を向ける。 何か、ぼんやりと儚く光る人魂の様な物が近づいてきたのである。 それがアスナの怪訝な顔の前で止まったと思うと、白煙と共にポン、と可愛らしい効果音が上がった。 『神楽坂さんネギ先生、大丈夫ですか!?』 「わっ!?」 現れたのはちび刹那。 ネギとアスナ(激と雹は除かれている)を心配した刹那が放った式神だった。 ちなみに爆に預けた方とは別物で、そちらの方は現在元気にジバクくんと互角のケンカを繰り広げているのはまったくの余談だ。 「へえ、そういやこういうの使う奴、前にもいたな〜」 顎に手を添え、まじまじと見詰める激。 「ああ、『陰陽師』のライセンスの奴か。いたなあ……」 頷いて、雹。 最後に二人は声を揃えて、 「「百年くらい前」」 「「「「ええッ!!?」」」」 耳に滑り込んできた発言に、三人と一匹も声を重ねて驚愕した。 「んだよ、変な声だして?」 絶叫に逆に驚かされたのか、激がきょとんとした目で訊ねる。 「今、百年って……冗談ですよね!?」 悲鳴に似た声を上げるネギ。 それに激は、ああ、と軽く天を仰いだ。 「ちょっとな、歳取らなかった時期があんだよ。俺も雹も」 GSだった青年の顔に複雑な表情が過ぎったとしても、それは一瞬の事である。 「んなことよか、早く行こうぜ!」 ふてぶてしいまでの陽気さで、激は棍棒の先を遠方に霞んで映る山にへと向けた。 |