第三十二話



「……はあ」

とりあえず、爆の今朝の気分は最悪と言えた。
箸と碗を持つ手が何となく弱々しい。

「元気無いですね、爆さん」

心配そうに言ったのは、隣にいるネギだった。
眼鏡越しに見上げてくる彼に目もくれず、無愛想に答える。

「昨晩の後始末でな。弁償する代わりに働けと」

和美主催のゲームは、旅館に物理的な被害をもたらしてしまった。

例えば、楓と真名の交戦によりあちこちに散ばった無数のコインと手裏剣。

本来なら持ち主が責任をもって回収すべきなのだが、何故か二人仲良く気絶していたため、そのお鉢が爆に回って来たというわけだ。
その場にはザジと聡美もいたのだが、さすがに手伝わせる気にはなれなかった。

その他、数え上げればキリが無い。

「和美に小動物め……いつか清水寺から逆さ吊りにしてやる」

暗鬱と呪詛の言葉を吐き出す爆に、ネギは苦笑するしかなかった。
同時にのどかとの事を思い出して、赤面してしまい、味噌汁の注がれた椀を顔に寄せた。

「(……僕、生徒とキスしちゃったんだなあ……)」

咎めるものが無いと言えば、嘘になる。

一応、自分と彼女は教師と生徒の関係。
もちろん、嫌っている訳では無いのだが、どうにも道徳心という物が心の奥で苛むのだ。

以前アスナともしてしまった手前今更という気もするが、あの時は非常事態で、エヴァンジェリンに勝つ為に必要な事だった。

「(それに、宮崎さんは魔法とは関係無いし……)」

それが、一番の問題だった。

元々、和美とカモがゲームを開催した目的は、仮契約した際に出現するカード。
その存在は、彼女を否応無く魔法の世界に引き込んでしまう。

しかも、この何時敵の襲撃があるか分からない状況の中で、だ。

「はあ……どうしよう……」

自ら思考の坩堝に入り込んでしまったネギの呟きは、手にした椀の中で波紋を築くだけだった。


「これが契約カードか……」

フロントの隅に位置する休憩所で、椅子に腰掛ける爆が呟いた。
その手にあるのは、刹那が描かれた契約カード。
しかし、勇壮に刀を携える彼女の背にはしっかりと純白の翼まで備えられていた。

「(木乃香達には見せられんな……)」

気付かれない程度に、苦虫を噛み潰した様な表情を作る。
ここまで忠実に映し出すことも無いだろうに。

カモはともかくとして、そこにいるアスナとネギが見なかったのは幸いだった。
こんな事で、刹那の秘密が露見するのは好ましく無い。

……あの翼を隠そうともしない(その上変態という付加属性)雹でさえ平気で闊歩していられるのだから、ネギ達も刹那を受け入れられると思うのだが、彼女自身が打ち明けるまでは自分が下手にどうこうする問題では無いだろう。

「刹那」

爆は短く呼び掛けるやいなや、刹那にカードを投げ渡した。

「あ、はい」

それは投げナイフの様にひゅ、と風を切って、彼女の手の中に収まった。

「ちゃんと、しまっておけよ」

カードの絵柄を見て、それが彼なりの気遣いの念から発せられた言葉だとは理解出来たが、刹那はどんな顔をすれば良いか分からず、とりあえず苦笑を浮かべてみた。

だが彼女にとって、このカードはむしろいとおしくさえ思える。
この厚さ一ミリ程度しかない札は、自分と爆を繋ぐ鋼よりも強靭な絆なのだ。

「ふふっ」

喜悦する心を抑えきれず、自然と口端がつり上がる。

ネギから聞いた話では、魔法使いと従者は、そのまま結婚することが多いとか。

「(あわよくば……)」

自分も、その例の一つとなれるかも知れない。
その様をイメージしてしまって、刹那は全身が火を通されたように熱くなるのを感じた。
もしも一人だったら、床の上でごろごろと悶絶していただろう。

「アデアット」

アスナの声と共に、淡い光が瞬いた。

何かと爆が振り返ると、そこには彼女のアーティファクトであるハリセン、ハマノツルギが出現していた。
カモの説明によれば、複製カードは契約している魔法使いがその場にいなくともアーティファクトの使用が可能らしい。

「ほう、便利だな。刹那、お前のはどうだ?」

「はい、アデアット」

先程と同様に淡い光が拡散し、次の瞬間に集結する。
そうして現れたのは、黒塗りの厳かな鞘に収められた日本刀だった。

少しだけ柄を押し上げてみると、鯉口から白銀に美しく輝く乱刃の刀身が顔を覗かせた。
どの様な能力を有しているか気になったが、まさかここで振り回すわけにもいかない。

「アベアット」

そう唱えると、刀はまるでビデオを捲き戻すかの様に出現とは逆の工程を辿ってカードに戻る。
その一連を見て、爆は背負った大剣入りのバッグに目を向けた。

「コイツも、カードにならんもんか……」

そう呟くと、更に重みが増した気がする。

この剣とは、かなり長い付き合いとなる。
針の塔での炎との決戦の時、暴走する彼の野望を止めるために眠り姫から授かった、実の父の愛剣。

「真、だったか」

小さく、彼の親友だったという現郎から教えられた名前を呼んでみる―――特に感慨は浮かばなかった。
宇宙の塵となってしまった炎達の故郷では最強の戦士だったと聞いて少なからず興味は惹かれたが、恋しいだのといった感情は生まれては来なかった。

会話どころか顔すら知らないのだから、それは当然の事と言える。
そして、その機会はもう永遠にやって来ない。

「(いくら考えても、これ以上認識を変えようが無い、か)」

膝の上に顔杖を立てる。
爆としては、実の父親が存在した、という事実のみでも満足だった。

「(そういえば――)」

ふと思い出して、アスナと談話するネギに視線を向ける。

「(あいつの親父は、行方不明だったな)」

エヴァンジェリンが言うには、容姿は瓜二つらしいのだが。


「―――で、これは一体どういうことだ?」

爆の朝にも増して不機嫌な声に、アスナと刹那は避けるかのように目を逸らした。
不機嫌の理由は、彼とネギの前に並ぶその面子にあった。

アスナと刹那は戦闘要員なのだから、何も問題は無い。
にこにこと屈託の無い笑みを浮かべる木乃香は、むしろ目を離しておく方が危険だ。
しかし、のどか、ハルナ、夕映の三人は大問題だった。

「なな、何でアスナさん以外の人がいるんですか〜〜っ!?」

「ゴメン、パルに見つかっちゃったのよー」

小声で交わされるネギとアスナの会話に、爆は頭痛を堪えるように片手で額を押さえた。
それは彼女の失態によるものでは無く、親書の件を出さずに、三人の同行を止めさせる材料が見つからなかったからだ。

もちろん、彼女達に事情を話す訳にはいかず、仕方なく同行を認める事となった。

「(いっそのこと、エヴァ達も連れて行くか……?)」

目を離せば昨晩の様に刹那と殺意のぶつけ合いを始める可能性も否めないが、安全性で言うならそれがベストに思えた。
しかし、黙考している内にネギら一行は先へと進んでしまい、結局そのまま爆もその後に続くことになった。


………更にその後を、背中に羽を生やした青年と、長大な棍棒を持った青年が追いかけた。


ネギ達の作戦では、出来る限り人通りの多い場所に行ってこっそりのどか達と離れるというものだったが、それでもこの京都に来てゲームセンターというのは、あまりにも風情というものが欠如しているのではないか。

しかし、敵襲を考慮すれば条件としては悪く無いので、文句は言えなかった。

「爆さんもプリクラ撮ろ〜」

店内に嵐の様に渦巻く雑音を貫いて、木乃香の呼び掛けが聞こえてきた。

ちょうどその時派手な色彩のゲーム機の出入り口から出てきたネギ、ハルナ、夕映と入れ替わりに、木乃香が爆を引っ張り込む。

「ほら、せっちゃんも!」

「え……きゃっ!」

突き出された手が刹那の腕をぐいと掴んだ。
一切の抵抗も出来ずに、蛙の舌に捕らわれた羽虫の如く、遮光用の帳ごと中に引きずり込まれた。
今日の木乃香は、いつにも増して強引な気がする。

左から刹那、爆、木乃香の順。

薄暗いゲーム機内でぼんやりと光る画面を操作すると、かしゃっ、というシャッター音が鳴る。
脛の高さほどの位置から、十二枚の小さいなールが張られた紙が滑り出して来たのは間も無くの事だった。

「はいっ、二人とも!」

木乃香は手早く自分の分を取ってしまうと、その残りを始終翻弄されっ放しだった爆と刹那に差し出した。
爆は、備え付きの鋏で三枚に切り取られた内の一枚を受け取ったものの、その用途に頭を悩ませることになった。
肩にしがみ付いているジバクくんの額にでも貼り付けてやれば、案外似合うかもしれない。

その傍では、刹那も同じ様な理由で困っていた。
木乃香は笑顔を絶やさず自分の携帯電話の裏に貼っている。

―――ちなみに、その影では。

「ぐくっ……あのアバズレども……なんてうらやましい……」

翼を有する青年は、コンクリートの壁から半身のみを出しつつ、やり場の無い怒りを込めて掴む箇所にみしみしと皹を入れている。
苦痛に耐えるように食い縛る口からは、ギリギリという呪詛に似た不快音を絶え間なく流していた。
その内、血涙を流し始めることだろう。

「お、俺一位じゃん」

彼に同行していた棍棒を持つ青年は、傍に設置されているパンチングマシーンに興じている。


爆達が次に向かったのは、最近流行らしいカードゲームの機械だった。
モニターを扇型に囲む様にして、対応するカードを出し合うという物だ。
爆は、過去GC時代にルーシー達と行ったカードゲームを思い出したが、見ている限りは聖霊を使わないにしろ、似た様な代物だった。

今は、ネギが夕映から借りたスタートセットを使ってプレイしている。

「おおっうまい!!」

傍で見物しているハルナが叫んだ。
巨大なモニターには、魔物を撃破したプレイヤーキャラクターが映し出されている。

「となり、入ってええか?」

ニット帽を被った学ランの少年が、ネギの隣に座った。
歳も大体同じくらいだろう。

「あ、うん。いーよ」

「勝負だよ大丈夫!?先生」

大丈夫かと聞く割りには、大分声の調子が好戦的である。
そうして、仮想の魔法合戦は始まった。

―――ボカーン。

ややあって、可愛らしいとさえ言える爆発音がスピーカーから飛び出た。
同時に、ネギのプレイヤーキャラクターに丸っこい字で『負け』と表示される。

「あー、負けたー……」

「いやー初めてにしてはよくやったよネギ先生」

「―――そやなぁ」

ハルナに同意する声は、隣の席から聞こえてきた。
先程の、ニット帽の少年がネギに向けて笑いかけた。

「なかなかやるなぁ、あんた」

椅子から腰を上げる。

「でも、魔法使いとしてはまだまだやけどな」

「え……うん、どうも」

何処と無く、不思議な雰囲気を纏うその少年に、ネギは曖昧な返事しか出来なかった。

「……」

彼らからほんの少し離れた位置で、爆は壁に重心を預けながら腕を組み、訝しげにニット帽の少年を睨み付けていた。


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