第三十八話



ネギ達が千本鳥居から脱出した頃、ゲームセンターで別れた爆達は―――ひたすら商店街を駆け抜けていた。

「せ、せっちゃんどこ行くん? 足速いよぉ……」

突如自分の手を引いて走り出した刹那に、木乃香が喘鳴の合間に問い掛ける。
図書館探検部に所属する彼女だったが、走る事に慣れている訳ではない。

「ああっ……す、すみません、このかお嬢様」

少女に無理を強いてしまった事を謝罪しながらも、刹那は振り返りはしなかった―――そんな余裕は無かった。

「すまんな木乃香。もう少し我慢してくれ」

そう飾り気無く労わったのは、二人の真後ろを走るカウボーイハットの青年である。
爆は瞳は前方に遣ったまま後方に意識を集中させ、気配を探る。

すぐ真後ろの二つは、ゲームセンターから行動を共にしている夕映とハルナだ。
そして、着かず離れずの距離を取りつつ、物陰に隠れながら追跡して来る気配が一つ。
追跡を止めそうに無いそれに、爆は内心で舌打ちして―――右手を稲妻の様に疾駆させた。

それを自身の顔の前で止めた時には、広げられていた五指は固く閉じられている。

「ふん……」

走行は止めず、下らないと言うふうに鼻を鳴らして、再び手を広げた。
次いでそこから零れた五つの銀色の輝きが、道路に転がって甲高い金属音を上げた。
名残惜しそうに後方に流れて行く五本の棒手裏剣を見送りながら、それらの持ち主と思われる後方の気配に肩のジバクを見舞ってやりたい衝動を抑える。


―――現在、一行は関西呪術協会の襲撃を受けていた。


一般人の往来する中では派手な真似は出来まいと踏んでいたのだが、それはこちらも同様である。
剣を抜く訳にもジバクくんを投げる訳にもいかず、背を向けて逃げる事しか出来ないのが口惜しい。

「な、なぜ……いきなり……マラソン大会に……?」

「借金取り? 昔の男に追われてるとかーーー!?」

後方の夕映とハルナがほとんど喘ぐ様にして叫んだ。
体力の無い二人には悪いが、もう少しこのゴールが不明瞭なマラソンに付き合って貰わなければならない。

「(それにしても、何が狙いだ?)」

敵の目的が木乃香の誘拐なら、こんな人通りに多い場所で棒手裏剣を投げつけてくる必要性が見当たらなかった。
下手に抵抗出来ない護衛達を抹殺しその上で木乃香を奪取するにしても、こんな所で人が死ねば間違い無く大騒ぎになり、人一人を連れて逃げるのに適した状況とはとても言えなくなる。

そんな事も想像出来ない程関西呪術協会は馬鹿なのか、それとも他に何か思惑があるのか―――

「あれ!? ここってシネマ村じゃん! 何よ桜咲さん……シネマ村に来たかったんだ〜!?」

思惟に耽っていた爆を現実に引き戻したのは、ハルナの揶揄する様な声だった。
前方に瞳を向ければ、道路に向こうに真名に見せてもらったガイドブックに記載されていたテーマパークが建っていた。

刹那に手を引かれる木乃香を見遣れば、息の荒さから明らかに体力の限界で、眼前のシネマ村で追手を撒くと同時に休ませてやりたかったが……一つの疑念が頭から離れない。

「(……俺達は、追い込まれたんじゃないか?)」

敵の襲撃に逃げ回っていたら、運良く人が密集しているテーマパークに辿りついた―――あまりに都合が良すぎやしないか。
どうも、関西呪術協会の策略に嵌められている気がしてならないのだ。
さりとて、此処で立ち往生している場合であも無いし、別の場所を探すにしても敵がどんな強攻に出るかも分からない。

「……しょうがない」

不安は魚の骨の様に喉に引っ掛かって取れなかったが、他に良い案は思い浮かばなかった。
爆は無造作に財布から畳んだ紙幣を取り出すと、それを夕映に投げ渡した。

「? 何ですかコレ?」

「悪いが、それでチケットを五人分買っといてくれ」

訝しむ少女に答えるが速いか、爆は素早く木乃香と刹那を軽々と横抱きにする。

「「きゃっ!?」」

突然腰に回された逞しい腕に思わず悲鳴に似た叫び声を上げる少女達だったが、青年の表情に動揺の色は全く無い。

「これ以上あいつらを巻き込むわけにはいかんからな」

だから別ルートで入る。
そう呟くと爆は腰を深く沈め、次の瞬間高々と跳躍した。
二人の少女を抱えた青年の影はそのまま緩やかな弧を描き、城壁を模して造られた塀の向こうに消えていった。

取り残された夕映とハルナは、呆然として虚空を見詰めていた。
しばしして、手に握った紙塀に視線を落とす。

「……ど、どーゆーコトですか?」


      ◇◆◇◆◇◆


時代劇の舞台の様な町並みは、期待を裏切らず人で溢れかえっていた。

「(これだけ人がいれば、襲ってはこれまい)」

路地裏の中から道行く人々を眺めて、少女はほんの僅かだが緊張を緩める。
ここで時間を稼ぎ、ネギ達の帰還を待つのが最前策だろう。
問題は、彼等の下に送った式神……ちび刹那との連絡が切れてしまった事だ。
敵の攻撃に対応するのが精一杯で、無意識に気を送るのを中断してしまっていたらしい。

「(しかし、ネギ先生もかなり消耗しているようだし……)」

自分の分身を通して見た様子では、少年に助力を期待する事は出来ない。
となれば、頼りになるのは雹と激だろうか?

「……まあ、ここで考えてもしょうが無いか」

ネギ達もちび刹那の異変に気付いている筈だから、何らかの反応があるだろう。
今自分に出来るのは木乃香を守る事だけだ。
軽く溜め息をつき、とりあえず思考を締め括ると―――今度は別の思考が首をもたげて来た。

「(しかし、さっきの爆さんには驚いたな)」

さっきとは、爆が自分と木乃香を抱えて塀を飛び越えた時の事だ。
驚いたと言っても不快感を覚えた訳ではない。
だが、意中の男性に触れられるというのは、やはり何か気恥ずかしかった。

たとえ仮契約を交わした―――つまりはキスをした後だとしてもだ。

「(……何の躊躇無くああいう事が出来る人だからな……)」

顔面が、まるで弱火でじっくりと焙られているかの様に熱い。

それと同時に脳内で嵐の如く乱舞するのは、やはり青年の事で。

「(そもそも爆さんは私の事をどう思ってるんだろうか、告白はしたしキスもしたけどあれは私が一方的にだし返事もらってないし、もしかしたら妹分くらいにしか思ってないのかもしれない、だとしたら)」

「……刹那?」

「ひゃあっ!?」

不意に肩に置かれた手に、刹那が裏返った声を上げる。
ばっくんばっくんといささか暴走気味の心音を聞きながら振り返ると、そこにあったのは不審気な爆の顔だった。

「どうした、そんなに顔真っ赤にして?」

青年の発した問い掛けに返答するには、刹那には女性としての経験が不足し過ぎていた。
大慌てで首を横に振り回す。

「い、いえ何でもありません! ……ってどうしたんですその格好?」

多少頭を冷やしてみると、刹那は爆の姿が先程までとは違っている事に気付いた。

頭にはカウボーイハットは被されてはおらず、代わりに額に鉢巻が巻き付いている。
視線を下降させると、山型に染め抜いた青地の羽織が目に映った。
背中では、バッグに収納されていた筈の片刃の大剣が白刃を輝かせている。

「ん、そこの更衣所で衣装を貸し出しをしていてな。新撰組とやらの制服らしい。どうだ、似合うか?」

「あ、な……はい、似合ってます」

中身が爆さんだったら何でも良いです―――そう言い掛けて、直後脳内で悶絶して、羞恥心のあまり死にそうになったのは一生の秘密だ。

「せっちゃん、爆さ〜〜ん♪」

青年越しに、前方から人懐っこい少女の声が投げ掛けられる。
刹那は振り返った爆と同時に体を少し右にずらしてみると、木乃香が駆け寄って来るのが見えた。

彼女もまた梅の花と手鞠柄の上品な着物を纏っており、長い黒髪は花の髪飾りで結われている。
時代劇に出てくる様な、良家の令嬢を思わせる服装だ。

「おお、艶やかだな」

「爆さんもかっこえーで」

「……」

向かい合う和服の青年と少女。

何処か物語りめいた光景を横合いから眺める刹那は何か、胸の奥がちくりと痛むのを感じた。
それは今までに無い感情だったが、その正体を悟れぬ程彼女は鈍くは無かった。

「(……おかしいな。私は、お嬢様の笑顔を望んでいたのに)」

今、木乃香は確かに笑っている。
それを喜ぶべきなのに、胸の痛みは増すばかりだった。

―――木乃香が爆に恋慕を抱いているのは間違い無い。
どの様な経緯で好意を持ったかは知る所では無かったが、昨夜の件でもそれは明らかだった。

ならば……自分のこの想いは、忌むべきものでしか無いのではないか?
木乃香を傷つけぬために、少なくとも自分は身を引くべきではないか?
ポケットの中に入れた契約カードに、スカート越しに触る。

何時の間にか、あれ程火照っていた体はすっかり冷え切っていた。


その頃。


「……おい雹。何藁人形引き裂いてんだ?」

「いや何だか凄まじい憎悪が湧いてきて」


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