第三十九話



「そういえば、お前はしないのか?」

「――ーは?」

不意に爆に声を掛けられて、刹那は首を傾げた。
主語の無い不明瞭な問い掛けに言葉を返す。

「何をですか?」

「仮装に決まってるだろ」

さも当然という風に言って、爆は身に纏っている新撰組の衣装を見せ付ける様に胸を張った。
肩に視線を転じれば、そこに立っているジバクくんの姿も変わっている。
一体何処にあったのか、ちょんまげの鬘に十手。
時代劇で言うならば、『ジバクくん捕り物帳』………激しく見たくない。

続いて、青年の隣の木乃香も嬉々とした声を上げる。
嫌な予感に、冷や汗が頬を流れた。

「せや! せっちゃんも着替えよ?」

予感的中。

満面に笑みを浮かべながらにじり寄ってくる木乃香に、刹那は怯えたように後退りながら掌を突き出した。

「い、いえ私はこーゆーのはあまり……」

しかしそれも無駄な抵抗で、逆に手首を掴まれ捕縛される。
まさか振り払う訳にもいかず、出来る事はいやいやと泣き出しそうな顔を横に振り回すのみ。

「あはは、遠慮せんでもええって♪」

幼馴染の懇願を眩しいまでの笑顔で弾き返して、木乃香はそのまま刹那を更衣室に連行していった。

「………憐れな」

それを見届けて、爆はぽつりと漏らした。

何時かの己を脳裏に浮かべ、同時に湧き上がったのは憐憫の情。
それでも木乃香を止めなかったのは、どうせ彼女は言っても聞かだろうと諦めていたのと―――刹那を慮っての事である。

京都に来てからというものの、関西呪術協会の襲撃も手伝ってか刹那は木乃香に対して、精神的に距離を置く様になっている。
今は木乃香が自ら接近しているし刹那は護衛があるしで離れられないが、修学旅行が終われば物理的にも距離を置く様になるだろう。
それが良作とは、爆にはとても思えなかった。

木乃香は絶大な魔力を有するという体質からして、魔法の世界と無縁ではいられないだろう。
まあ彼女は先程の自分の跳躍力を見て「わあ、CGや」などと喜ぶ様な人物だが、それでも限界というものがある。
関西呪術協会の件が終ったとしても、襲撃者が減るとは思えない。
以前来襲してきた忍者達も、誰に依頼されたか定かでは無いのだ。

それに再び幼馴染が離れて行ったとなれば、木乃香も笑顔ではいられまい。
刹那としても、本心では共に学園生活を過ごしたいと願っている筈だ。

ならば、近くにいる方がお互いのためになるのではないのだろうか。

「(そもそも、あいつはもう少しわがままでもいい筈だ)」

たしかに刹那は一度戦いとなれば身の丈程もある長刀で敵を討つ一流の剣士だが、まだ十四歳の少女なのだ。
自分があれくらいの時は………GCを辞めて冒険家として旅をしていたが。

それはともかくとして、爆は刹那を木乃香と共に遊ばせてやりたかった。

「爆さ〜ん!」

少女の呼び掛ける声。

それに引かれて首を向けると、その先にいたのは木乃香と刹那―――ただし、刹那の方は顔面を真っ赤に染めてしまっている。
現在彼女の身を包んでいるのは、麻帆良の制服では無かった。

所々に桜の花弁が散りばめられた、薄桃色の着物だった。
サイドテイルだった髪は下ろされ腰まで届き、牡丹の簪が挿してある。
腰には長刀《夕凪》。
さすがに置いて行く訳には行かなかったのだろう。
恐ろしい程服装にそぐわないが、それでも美麗さを損ねる要素には成り得ない。

「せっちゃん、カワイイやろ?」

やはり笑顔は崩さず、木乃香は背中に隠れようとする刹那の肩を掴んでずいと爆の前に押し出した。
逃げようとしても肩に置かれた手がそれを許さず、顔をトマトの様にした少女は対面した爆と目を合わせようとはしない。
そんな彼女に向けて、青年は一言。

「ああ、綺麗だな」

「!!」

刹那の目が眼窩から零れんばかりに見開かれた。
顔面は耳から蒸気が出てもおかしく無いほど赤みを増している。
がくりと首が重力に負けたかの様に下に向けて折れた。

俯いた姿勢のまま何事かぶつぶつ呟いているので、爆が耳を澄ませてみると、

「あうあうあうあうあうあうあうあうあう」

駄目だ。
意識が異世界に逝っている。

「………よし行くか」

青年が平然と身を翻した。

「え、せっちゃんこのままで良いん?」

「その内帰ってくるだろ」

爆が歩き出すと、その背中を追うくらいの意識は残されている様だから。


             ◇◆◇◆◇◆


爆達は、手始めに近くに開店していた御土産屋に立ち寄ってみる事にした。

「ほらほら、色々売ってるえ」

「そうですね、何かお土産でも……」

中腰になって店頭で品定めをする木乃香に、異世界から帰還を果した刹那は相槌を打った。
二人の隣では、爆が何やら神妙な顔をして手に取った人形を睨んでいる。

「ふむ……激にはこれでもくれてやろうか」

それはウサギの人形だった。

ただし全体的にやたら細長く、瞳はぎょろりとしていて、鼻は数字の『7』を反転させたような奇妙な形である。
ウサギと言うより、これでは宇宙人だ。

「奴に似てるな、主に鼻と目が」

「……?」

爆の呟きに、刹那が疑問符を浮かべる。
脳裏に浮かんだ棍棒を携えた青年の顔は、普通の人類の形状をしているのだが。

刹那は知らない。

激がフネンの山の仙人とカイに敬われ、爆に『ヒゲ』と揶揄されていた時代を。

確実に知らない方が良い分類の事実だが。

「よし、雹のはこれにしよう」

そう言って爆が手に取ったのは、またしても人形。
ただし、漫画家が良く使う様なデッサン人形である。
売り場には『友達のいないアナタに!!』と太いマジックで書かれた看板。

「それをですか……?」

「アイツ友達全然いないからな」

さらりと酷い事を言う爆だったが、その言葉に嫌味は含まれてはいなかった。
何より真っ赤な事実だった。

何しろあの性格、性嗜好である。
見た目こそアイドル顔負けの美青年だが、中身は地獄色。
同居人であるハヤテの苦労が偲ばれるというものだ。
彼が現れた当初黄色い声を上げていた麻帆良の女子生徒も、今では近寄りたがらない(ハルナは多少興味を抱いているらしいが)。

まあ、雹本人としては問題無いだろう。

爆――心の寄り所と言い換えてもいい――がいれば、それで満足らしいから。

「爆さんせっちゃん、見て見てー!!」

そう呼び掛けてきた木乃香の口には、何時の間にやら買っていた饅頭が詰められている。
その肩には、これまた何時の間にか移動していたジバクくん。
彼もまた、己の体より一回り小さいくらいの饅頭を頬張っていた。

前々から思っていたのだが、ジバクくんが食べた物はあの小さな体の何処に消えているのだろうか?
刹那は以前それを爆に聞いてみたのだが、彼は首を横に振るだけだった。

「こらこら、そんな事をしていると喉に詰まらすぞ」

注意を促しながら、爆も少女から受け取った饅頭を齧る。
少し吹き出してしまった刹那も顔を引き締めた。
………饅頭を食べながらなので、誠を表すには多少不十分だったが。


「すみませーん! 写真撮っていいですかー!?」


突然の第三者の声に振り向くと、そこにはカメラを構えた女子学生の集団。
どうやら自分達と同じく修学旅行にやって来たものらしい。

「え……」

「ハーイ♪」

「構わんぞ」

答えに窮している間に、隣の木乃香と爆が快く返事してしまう。
うろたえている内に刹那は幼馴染である少女に腕を掴まれ、レンズの前まで引き摺られる。
配置は右から刹那、爆、木乃香という順番。
しかし、ただ並ぶだけでは済まなかった。

「せっちゃん、ポーズポーズ!」

爆の背中を通って伸びて来た手が刹那の肩を掴み、引き寄せる。
無論、自分と木乃香の中間地点に立つ青年にぶつかってしまう訳で。

刹那は爆に横から抱きつく様な形になってしまった。

「―――――ッ!!」

無言の叫び声が脳内を駆け巡り、体温が急上昇。
脳細胞から爪先が全動作を緊急停止させ、多分呼吸も止まり、魂が再び異世界を彷徨する。
頭が冷え、気付いた時には、刹那はベンチに座っていた。

「……大丈夫か?」

目の前に立っていた爆が心配そうな声を掛けて来る。
青年の後方では、木乃香が女学生達から写真のデータを貰っていた。

「へ、平気です」

首を振る刹那だったが、顔の赤みが完全に引いていないため些か説得力に欠けている。

「何か、飲み物でも買ってくる。そこで木乃香と待ってろ」

身を翻した爆の背中を見送ると、刹那は軽く目を閉じた。

「(……私に、こんな日が来るとはな……)」

誰かと笑い合ったり、気恥ずかしさに顔を赤らめたり。
昔は、こんな普通の少女らしい自分の姿など想像すら出来なかったというのに。
まるで生まれ変わったかの様な、不思議な気分だった。
少なくとも、それを不快とは感じなかった。

「あれ? 爆さんは?」

木乃香が周囲を見渡しつつ刹那の隣に腰掛ける。

「あ、飲み物を買いに行きました」

刹那が答えると彼女はそうなんか、と短く返事をして正面を見据えた。
微笑みを湛えている横顔。
それを少しも歪めずに、木乃香は口を開いた。

「うち、やっぱり爆さんが好きや」

「………は?」

木乃香の台詞は間違い無く刹那の耳朶を震わし、鼓膜を叩いた。
しかし脳がその処理に難儀しているのか、上手く理解出来ない。
それを知ってか知らずか、木乃香は言葉を紡ぎ続ける。

「特別見た目が良いって訳や無いし、あんまり笑ったりしない人やけど……ホントに優しいんよ」

「……」

勿論、そんな事は知っている。
何しろ自分達は青年のその部分に惚れ込んだのだ、知らない訳が無い。
しかし―――彼女の言葉に含まれている想いの所為か、胸が酷く痛む。

「………でもな、せっちゃんも好きなんやで?」

「え?」

俯いていた刹那の頭が跳ね上がった。
未だ微笑を浮かべる横顔からは、その真意を窺う事は出来ない。

「どないしたら、ええんやろ?」

その時だった。

重々しい無数の足音と車輪が回る耳障りな音。
そんな騒音の塊が、確実に接近して来た。


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