第五十二話





―――思えば、初めての友達だったのかも知れない。

その生まれ育ちから、爆は人付き合いを苦手としていた。

そこに「世界制覇」などという野望まで唱えれば、当然誰も近寄りたがらない。
けれど、夢とはあくまで己一人が理解していれば良いもので、他人にまで受け入れてもらう必要は無かった。


そう、誰かの理解など要らない。


要らないが―――志を共にする人物との出会いに、柄ではないが、少しだけ、神に感謝した。
その宝石の様な想いを誰にも打ち明けなかったのは、ひとえに青年の意地故だったが。



爆の驚愕した表情を見て、満足したピンクは鼻を鳴らした。

過去を掘り返せば、彼には何かと驚かされてばかりなのだ。
たまにはこっちが驚かす方に回るのも悪くは無い。

それに数年ぶりとはいえ、彼と自分の再会に、安っぽいドラマの様なお涙頂戴の展開は要らなかった。

「メールもロクに返さないから、そこらへんで野垂れ死んでんのかと思ってたけど……意外と元気そうね」

憎まれ口を一つ叩き、ついでにウインクをくれてやる。
それに応じて、爆もまた口端を釣り上げた。

「ふん。下僕に心配されるほど、俺は落ちぶれとらん」

と、尊大に胸を張って言い放つ。

ああ、やはり変わってない。

自分と大して変わらなかった背は高くなり、声も幾分か低くなったが、その心は思い出の中の少年のままだった。
今では見上げなければ覗けない黒瞳も、依然変わらず強い意志の光を灯している。

「あの、あなたは……?」

二人が視線を交わしていた時。

おずおず問い掛けてきたのは、今までこちらを注視していた黒髪の少女だ。
その声音に、何か敵意に似た感情が滲んでいることに気付いたが、特別追究はせずにピンクは答えた。

「ああ、ゴメンゴメン。あたしはピンク。アンタは?」

「私は桜咲刹那―――ですけど、いえ、私が聞きたいのは、そういうことじゃなくて」

もごもごと、刹那の口は言葉を噛み砕いているようだった。

視線はあちこちに飛んで一所に留まらず、頬はほんのりと紅い。
けれど、こちらを見る目は恋人を取られまいとする乙女のそれである。

それらの挙動に、ピンクはぴんと来るものがあった。

さては……、と爆をじろりと睨み付ける。

「爆ぅ〜? アンタ、まぁた女の子たぶらかしてんの? アリババとか雹じゃ足りないのかしら?」

「たぶッ……!? 違うわ人聞きの悪い! というか奴らをカウントするのはやめろ! 男だろうが!」

爆は大慌てで否定するものの、顔の赤さを深める刹那を見るに、自分の推測は外れてはいないようだ。
どうやら「爆とはどんな関係か」と聞きたかったらしい少女に、ピンクは笑いながら語りかける。

「大丈夫よ、コイツとは友達なだけだから。そんなに心配しないでも取らないわよ」

それでも、刹那は納得していない様子である。

疑惑に満ちた視線に貫かれては、微笑を苦笑に変えるしかなかった。
ふと銀髪が脳裏を掠めたが、これは無視。

……将来、遺産分配の時とか困らないかしら?

老若男女誰彼構わず人を引き寄せるところも、どうやらまったく変わっていないらしい。
友達なだけと告げておいて何だが、少し複雑だった。

「―――ピンク殿」

その時である。

それまで沈黙を守っていたカイが、緊張した声を上げた。
何故かはすぐに知れた。


『いたぞ!!』


耳朶を震わせた獣のような野太い叫びに、ピンクは眉根を寄せた。
同時に、無数の足音。

「あらら、再会くらいゆっくりさせてくれれば良いのに」

まだまだ語り合っていたかったが、その前にこの騒ぎを収める必要があるらしい。
そういえば、とピンクは爆の戦いの理由を未だ知らされていない事に気付いたが、それは些細な問題だった。

この男は傍若無人で、掛け値無しの大馬鹿野郎だが、間違ったことは決してしない。

ただそれだけだったが、ピンクには―――恐らくカイにとっても――充分だった。
それに何より、困っている友達を助けるのに何の理由がいるだろうか?

「ま、しかたないわね。さっさと行って、さっさと解決してきなさい」

「敵は、私達が砕きます」

そう言って、ピンクとカイは爆達の背後に立ち、肩を並べた。

鼻先に、敵勢の接近を感じる。
全身の血に熱が入った。

GC時代を思い出して、ピンクは黒いハーフフィンガーグローブに包まれた手を握り締めた。

「やるわよ、バーンビ」

「準備は良いか、バクザン!」

背中の気配が遠ざかってゆく。
それとは逆の方向に、二人は地を蹴って駆け出した。



      ◇◆◇◆◇◆



「……認識を改めるよ、ネギ・スプリングフィールド。この短期間でたいしたものだ」

全身を拘束されたフェイトが感嘆したように呟いたが、それを気にしている暇はネギには無かった。

戒めの矢の効力はたったの数十秒。
それでも、木乃香を助けるには充分な筈だ。

晴れ始めた水煙を掻き分け、祭壇の中心へ走るが―――

「!?」

『何ッ!?』

そこに寝かされていた筈の木乃香が消えていた。
千草の姿もどこにも見当たらない。

逃げてしまったのだろうか?
この短時間で?

木乃香を探して首を回すネギの背中で、水が弾ける轟音が夜気を揺るがした。
ほぼ同時に肩のカモが叫ぶ。

『兄貴、アレ!』

え? とその声に従い、振り返ったネギは……その身を凍らせた。

少年の目の前で、「ソレ」はゆっくりと湖の中から身を起こした。



―――疲弊し、うつ伏せに倒れた小太郎の上傲然とに座っていた激は見た。



―――首飾りから出てきたカイと正面衝突し、目を回した月詠に止めを刺すべきか悩んでいた雹は見た。



―――鬼達と戦っていたアスナ、楓、真名達は見た。



―――関西呪術協会でネギ達の無事を祈っていたのどか達は見た。



―――祭壇に向かって走っていた爆と刹那は見た。



「ソレ」の事を、ネギは当初壁だと思っていた。
だが数歩後ろに下がり、その全容を見上げると、その認識が間違っていた事に気付いた。

簡潔に言ってしまえば、「ソレ」は一体の鬼だった。

ただし、その身長はあまりに巨大。
ビルで積み木遊びができるだろう。

無骨に迫り出した両肩から伸びる腕は合計四本。

それも、巨木を百本捩り合わせて生み出されたかの様に太く力強い。

首には、大剣を思わせる双角を備えた頭が一つ。

それだけならば何とか常識の範囲内だが、よく見れば後頭部にもう一つ同じ顔が貼り付いていた。

腰から下は、鬼が封印されていた楕円形の巨石―――鬼と比べれば小石に見えるが―――の中に隠されているが、ネギにはそれを不幸中の幸いと捉えることが出来なかった。

既に、上半身が解放されているのだ。

何かの気まぐれを起こし、あの逞しすぎる巨腕が祭壇を一撫でしただけでも、自分の命は一瞬にして終るだろう。
逃げろ逃げろと警告を発する本能から耳を塞ぐのに、ネギは大分精神力を使うことになった。

厳しい仮面めいた無機質な鬼の顔の横に、ネギは千草と木乃香の姿を見つけた。
陰陽術か、それとも鬼の力か、杖も無しに空中に浮かんでいる。


「ふふふ……残念どすなぁ。儀式はたった今、おわりましたえ」


千草の嘲笑は決して大きな声量では無かったが、しっかりとネギの耳に届いた。
間に合わなかった事は、悔しいが認めなければならない。
だが、ここまで来て諦めるつもりはなかった。


―――完全に出る前に、やっつけるしかない!!


ネギの周囲を、陣風が取り巻いた。
掌に雷光が宿る。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来たれ雷精風の精! 雷を纏いて吹き荒べ南洋の嵐!」

『待て兄貴! もう魔力は少ねぇんだ、んな大技使っちまったら……』

カモがネギの行動を止めるのも無理は無かった。
ここまで来るために連発した加速、そして先刻放った戒めの矢。

彼の言うとおり、魔力は枯渇しかけている。

頭では解っていた。

しかし、目の前には助けなければならない大切な人がいるのだ。
後退の二文字を打ち捨てて、ネギは詠唱を終らせる。

「雷の暴風ッ!!」

光が爆発する。
ネギの突き出した掌から放たれた稲妻は、荒れ狂う暴風を具して、獰猛な龍の如く鬼の胴体へ突撃した。

ネギが習得している中で最も強力な魔法に、千草の顔に僅かな不安が走る。
だが、それは杞憂だった。


ぱしん、と。


鬼の戦車の装甲の様な胸板の表面で、雷と風が弾けた。
ただそれだけだった。

果たして、蚊に刺された程度にも効いていないのだろうか。
状況は何一つ変わらず、鬼は身動ぎもしない。

それとはまるで正反対に、ネギは疲労と絶望感に膝を折った。

「―――はは、は。飛騨の大鬼神、リョウメンスクナ……これなら、こいつなら! 東に巣食う西洋魔術師どもを……あはははは!」

千草の笑声が、何処か遠くに聞こえる。
震える顔を上げると、ぼやける視界に千草の胸の前で仰向けになって眠る木乃香が映った。

「こ……このか、さん……」

『兄貴! しっかりしろ!!』

ネギは木乃香を助けたかったが、体の方は協力する気は無いらしい。
膝は上がらず、腕は震えるばかり。

そして更に、少年は悪い事には悪い事が重なるということを知った。

背後で、硝子が砕け散るような音が鳴ったのだ。

「……善戦だったけれど、残念だったねネギ君……」

氷を思わせる声に、ネギは弱々しく振り向いた。
戒めの矢による拘束を解かれたフェイトが、ゆっくりとこちらに向かって歩を進めていた。


―――絶体絶命。万事休す。前門の虎、後門の狼。


日本で覚えた熟語が、ネギの頭の中で駆け巡った。


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