第五十一話




四本の銀線が絡み合い、生じた火花が夜に華を添えた。

激突した二つの影は、刹那の間も置かず身を引いた。
逆手に握った対の短刀を振り上げ、月詠は地を蹴り飛翔する。
迎え撃つのは、雹の腰溜めの姿勢から放たれる逆十字の斬撃。

両者の耳朶を掻き毟った鋭い叫喚の後、弾き飛ばされたのは月詠であった。
体重も軽く、踏ん張る足場も無ければ、身体能力において人間のそれを優に超える鳥人に押し勝てる道理も無い。

体をくるりと回転させ、軽やかに着地した月詠に、雹は疎ましげな視線をくれてやる。

「ふん……百年も生きてない小娘にしちゃ、やるじゃないか」

「そちらこそ。さっさと殺して、爆さんの後追おう思っとったけど、なかなか楽しませてもらってますわ」

にこりと、少女は朗らかに笑った。
それは幼子のように純粋なものであったが、故にその奥の狂気が浮き彫りとなる。
雹は理解した。

両手の短刀など飾りに過ぎない。
彼女自身が、一振りの剣なのだ。

たとえ刃が折れようとも、彼女は徒手空拳で襲ってくるだろう。
そして腕が無くなれば足で、足が無くなれば頭でと、命在る限り立ち向かって来るに違い無い。

「(……胸糞悪い!)」

脳裏を駆けるのは、憎悪と怨嗟に支配されていた己の姿。
忘却の彼方に置いて行くには、数百年という年月が邪魔をする。

最愛の弟の亡骸を葬り、背の翼を切り落とした時―――心もまた、闇の中に捨てたのだ。

針の塔で手に入れた永遠の生を、0の実を増やす事に注ぎ込んだ。
殺意の使徒たるトラブルモンスターが村を潰した時などは、闇色の喜悦が空っぽの胸に広がった。
それが爆と―――捨てた心を拾い上げてくれた人と、出会うまでの日々。


月詠と自分が似ているとは思わない。


だが、その瞳に映る狂気の色が、雹の胸を酷く掻き毟る。
そこに、返り血に塗れた、過去の自分を連想してしまうから。

「それにしても、解りませんなー。何で手加減しとるんどすか? 不殺が信念ゆーには、血の匂いがキツ過ぎますけど」

あくまでも柔和な表情を崩さず、月詠は問い掛けてくる。
その能面を思わせる美貌に、雹は一つ不敵な笑みをくれてやった。

「ふふふふ。爆くんに嫌われる要因は、出来るだけ無くしたいんでね」

「……今でも充分嫌われてるような気がしますけど?」

「ははは、ツンデレさツンデレ」

「ダメな方向で前向きやなお人やなー」

月詠の憐憫が込められた眼差しは、独り悦に入っている鳥人には届かない。

「まあ、気持ちはわかりますけど。でも、うちは違います」

少女は逆手に握った双刀を胸の高さに持ち上げた。
滲み出る殺気で凍ってゆく夜気に、雹もまた両手の凶器を握り直す。
降り積もる月光を貪欲に喰らう刀身が、鋭利な輝きを纏った。

「欲しい物は、力ずくで手に入れる……たとえそれが、人間であろうとも、ね」

月詠の口唇が、弦月を模る。
けれど、その上の目は少しも笑っていなかった。
血に餓えた野獣か、獲物を狙う狩人か、いずれにしろ、視線の先に在るのは雹では無い。

「……つくづく気に喰わない奴だよ、お前。余所見なんてしてると、首が飛ぶぞ?」

幾分か怒気の込められた、雹の言葉である。
先刻述べたとおり、命まで奪うつもりは無い。
だが―――ほんの少し痛い目を見せても、それは咎められるような事では無いだろう。

負ける心配よりも、克己心と手加減具合の心配をしなければならなかった。
殺意の獣を御するには、雹の理性という縛鎖はあまりに脆い。

「それはこちらの台詞どす。兄さんも悪あらへんかったけど……メインディッシュが控えてるんで」

どこまでも腹の立つ女だと、雹は眉間に皺を寄せた。
メインディッシュの内容を考慮に入れれば、不快感はさらに増す。
両者は既に、我慢の限界を迎えていた。

凍結していた夜気が、砕ける。


「「消えろッ!」」


恥も外聞も打ち捨てて、雹は月詠は欲望も露に叫び、飛翔した。
放たれた四本の銀線が、各々熾烈な接吻を交わす。
刀身から伝わる痺れは、油となって両者の闘争心を一層燃え上がらせた。


―――雹のスーツの胸元から漏れている光など、彼等にとっては気に掛けるほどの問題では無かった。



      ◇◆◇◆◇◆



宙に放られた札。

闇夜の中で燐光を放つそれが形を変えてゆく様を、ネギは遠方より目撃していた。

杖を起点として少年の周囲に力場が展開しているため、吹き付ける突風により視界が遮られる心配は無い。
本来なら聴覚を犯す筈の風音も、周囲を厚い壁に覆われているかのように音量を削がれていた。

札が歪な人型に変わった瞬間、水柱が吹き上がった。
その中から飛び出した白い巨躯は、以前映画村で対面した異形―――ルビカンテである。

「あれは……」

『刹那姐さんを射った奴だ!!』

ルビカンテの背中に備わった翼が空気を叩き、その巨躯を急速に前進させた。
手には蛮刀を一振り携えて、ネギを撃墜せしめんと接近してくる。

速度は下げない。
逃げもしない。
背に仲間の期待を背負った今、真っ向から立ち向かうのみ。

「契約執行一秒間……ネギ・スプリングフィールド!!」

唱えられた呪文が、ネギの腕に力を与える。
魔力の光を纏ったその部分だけが、まるで骨の芯に火が点いたかのように熱を帯びた。

「最大加速!!」

周りの景色が、無数の線となって後方に流れてゆく。
大気の壁を貫き、暗い水面を断ち割り、ネギは弾丸の如く飛翔した。
それに対抗してか、ルビカンテもまた、速度を上げる。

唸る拳。
閃く蛮刀。
二つの影が激突した。

僅かな差を置いて、先に届いたのは少年の一撃。
直後破裂したルビカンテの腹は、ネギの勝利の証拠だった。

核である札を砕かれ、堕ち行く白翼の魔獣。
その脇を烈風を具し擦り抜けて、ネギは直進する。

木乃香が寝かされている祭壇は、もう目と鼻の先。
救出の為には、まずはあの白髪の少年を無力化する必要があった。
策は、ここに来るまでに練ってある。

「(―――見つけた!)」

米粒程度にしか認識できないが、夜空へと伸びる光柱の傍に、腕を組み悠然と立つフェイト・アーウェルンクスの姿。
そしてこちらに構わず儀式を続ける千草と、気を失っているのか、横になって動かない木乃香。

彼我の距離は、一分を数える間も無く縮まってゆく。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 吹け一陣の風!」

少年の腕が、鋭く打ち振るわれた。

「風花風塵乱舞!!」

魔風が、吹いた。

総てを薙ぎ払うかの様な豪風が、水面を盛大に炸裂させた。
吹き上がった大量の水飛沫は、本来の白銀を聳え立つ光柱の色に変え、金色の巨壁となって祭壇に襲い掛かる。

「な、なんや!?」

突如塞がれた視界に狼狽する、千草の声。
肝心のフェイトは、疎ましげに片腕で顔面を隠したのみであったが―――それで充分だ。
彼らの注目から逃れられれば良い。

迷い無く、ネギは自らが生み出した水煙の中に突っ込んで行った。

「契約続行追加三秒! ネギ・スプリングフィールド!」

大きく響き渡った詠唱は、当然フェイトの耳に届く。

「そこか……」

白いベールの向こうで、人影が動いた。

同方向に魔力が集結した時には、ネギは杖の柄を蹴って跳躍していた。
主を失ってなお矢の如く飛翔した杖は、掲げた掌に魔法を構築していたフェイトの頬を掠めた。

「!!」

常人ならば目で追う事すら難儀な速度であったが、彼の俊敏な反射神経は、突如飛来してきた物体にも反応してしまう。
数秒後失速し、乾いた音を立てて祭壇に転がった杖に訝しげな視線が刺さる。

「杖? ……ッ!!」

フェイトが背後の気配に振り返ると、祭壇を照らす燈籠を蹴って飛び掛って来るネギの姿があった。
白髪の少年の顔に、僅かに驚愕が走る。

「わあああああ!!」

恐慌とも、怒りとも取れる咆哮。
同時に繰り出された拳の一撃は、真っ直ぐフェイトの顔面に突き刺さった―――が。

「……つまらないね」

「!」

避けられなかったのでは無く、避けるまでも無かったのだ。
ネギの渾身の拳は、フェイトの皮膚から数センチ離れた位置で止められていた。

まるで、透明な壁に阻まれているかの如く。

『バカな!? 魔力パンチを、障壁だけで!?』

ネギの心情を、肩のカモが代弁する。
引き腕は、あえなくフェイトの左手に拘束された。

「サウザンドマスターの息子が……やはり、ただの子供か」

氷塊から刻み出されたかの様な声には、明確な侮蔑と落胆の色が混じっていた。

それに呼応してか、ネギの腕を掴む握力が圧し折らんほどに増してゆく。
苦痛に呻く少年に、フェイトはやはり言葉を持って追撃をかけた。

「期待ハズレだよ」

空いていた右手に、魔力が集う。
光が舞い、組み立てられるのは石化の魔法。
後数秒の内に、石像と化したネギが転がることになるだろう。

しかし。
そんな危機とは裏腹に、ネギは不敵に笑っていた。
まるで、悪戯を成功させた子供のように。

「……ひっかかったね?」

「!?」

何が、と。

一瞬、フェイトは手に込める力を弱めてしまった。
その隙を見逃さず、大きく踏み込み懐に潜り込んだネギは、左の掌を彼の腹に押し付けた。

続いて、紡がれる呪文。

「解放……魔法の射手、戒めの風矢!!」

今度は、フェイトが驚く番だった。
ネギの技量では――潜在能力こそあれ――無詠唱での魔法の発動は不可能な筈である。

だが、フェイトの腹で炸裂した烈風は、そのまま縛鎖となって全身に絡みついた。

「そうか……これは遅延呪文!」

事前に詠唱し溜めていた魔法を、キーワードにより解放する魔法。
これならば、詠唱を阻まれることなく魔法の矢が撃てる。
更にここまで近距離ならば、魔法障壁が反応する僅かな間隙を突いて対象に命中させることができる。

二段構えの作戦。

魔力パンチで仕留められれば良し。
それが失敗したとしても、一撃目で縮めた距離を利用し、零距離からの魔法で動きを止めればいい。

「杖よ!」

転がっていた杖がふわりと浮き上がり、主の手に舞い戻った。



      ◇◆◇◆◇◆



「くそっ、うっとおしい奴らめ」

忌々しげな顔で振り返りながらも、爆は地を蹴る足を休めなかった。

乱立する樹木の大群。
その隙間の闇に爛々と煌く無数の光点。
その正体は、爆達を追い掛けて来た鬼や妖魔
の瞳だった。

視界に入るものだけでも、軽く十を超えていた。
楓や真名達が壁となってくれたが、元々の数が多過ぎる。
打ち漏らしか、はたまた迂回されたのか、何れにせよ二人を責めることは出来ない。

「迎撃しますか?」

左方で並走する刹那の意見に、爆は首を横に振った。

「俺たちの武器は、ここでは振り回せん」

大剣と野太刀である。
森の中では周囲の木々に邪魔をされて、本来の実力を発揮し難い。
敵を樹木ごと切断、という力任せな手もあるが、威力は格段に減る。

「ですが、このままでは彼らまで連れていくことになりますよ?」

太い木の根を飛び越えながら刹那が言う。
たしかに、苦戦しているであろうネギの下に更に敵を引き連れていったのでは冗談にもならない。

「仕方あるまい。少し待ってろ」

と、木々の少ない開けた場所で急停止した爆は、くるりと身を反転させた。
肩に伸ばした手でジバクくんを掴む。

「アレをやるぞ、生物」

ヂィッと威勢良く鳴いた無二の相棒を、大きく振り被る。
同時に闇の中から飛び出し襲い掛かってきたのは、異形の追撃者達。

数はおよそ十体。
二本の角を生やした者、鋼のような肌を持った者と、姿は誰一人として一致しない。

『捕まえたぁッ!』

一体の鬼が発したその声は、次の瞬間絶叫に代わることになる。

「エレンハ!!」

爆の、必殺の投擲が放たれた。
砲弾の如く飛翔したジバクくんが、鬼達の眼前で炸裂する。
だが、彼らの襲い掛かったのは爆炎では無かった。

ジバクくんを中心にして迸った紫電が、蜘蛛の巣状に展開する。
止まった目標に油断して飛び込んできた鬼達は、目前に現れた電撃の結界に次々と激突していった。

『ガァアアアアッ!!!』

エレンハはまさしく蜘蛛の巣であった。
捕らえた者は誰一人逃さずに喰らい尽くす。
雷光が一瞬夜の森を照らした後、地に伏せたのは十体の炭人形である。

本来、エレンハは十の世界テンパの聖霊たるサンダーとシンハの合体技である。
だが、爆がこの世界で魔法の雷を習得したため、ジバクくん一体での発動が可能になったのだ。

「……よし。先を急ぐぞ」

肩に役目を終えたジバクくんを乗せ、爆が振り返った時だった。
刹那が背中から吹き飛んで来た。

「!?」

既に眼前まで迫ってきていた少女を全身で受け止める。
手には、最前まで鞘の中に収められていたはずの夕凪が抜き身で握られていた。

『行かすなって命令されてるんでな。これ以上進ませる訳にはいかんのだ』

獣のような声に前を向けば、禍々しい棍棒を肩に担いだ双角の鬼が一体。
その周囲の木陰から、更に十五体の鬼が姿を現す。
回り込まれていたのだ。

「まったく、次から次へと……無事か、刹那?」

「はい、攻撃自体は夕凪で受けましたから」

そう言いながらも、爆から離れようとする刹那の足取りは何処か弱々しく、吐く息も荒い。
休憩をしている余裕も無かったため、先刻の戦いの疲労がそのまま残っているのだ。

そんな状態にあってなお野太刀を握り締め、鬼達の前に出ようとする少女を、爆は片手で制した。

「少し休んでいろ。俺が片付ける」

背負った得物は抜かず、拳を握り固める。
シンハで纏めて吹き飛ばすことも考えたが、川原で連発したことから既に警戒されている。
一撃での掃討は難しく、さらに倒れた木々により行く手を遮られる危険があった。

「(また、時間を食われるな)」

あともう少し味方がいたならば、と詮無き事が頭に浮かぶ。
合計三十の視線が、進み出た爆を串刺しにした。
一秒も挟む事無く、突撃の号令が掛けられた。

『かかれッ!!』

怒号と共に真正面の五体が跳び、上方から襲撃する。
地に残った十体は左右五体ずつに分かれ、爆の視界外からの突撃。
迎撃せしめんと、爆が身構えた―――その時である。


「プリティピンクミラクルボンバー!!」


背中で、光が爆発した。

『ぐおお!?』

迸る七色の光輝が鬼達の視界を塞ぎ、怯ませる。
直後、跳躍していた五体の更に上空から、流星のように降ってくる人影が在った。


「炎龍爆!!」


大地に降り立った影の傍らで、火柱が発生する。
それはあたかも火龍の如く上昇し、途中の異形どもを焼き払い、ついには天と地を連結するに至った。

だが、爆が驚愕していたのは、その凄まじい技の威力にでは無い。
その二つの技が、どれもよく見知ったものであるからだ。

前方、火柱を放った影―――青年が振り返る。

黒く豊かな黒髪。
長く尖った耳。
使い手の身長を超える長大な棍棒。
そして、その先端から伸びるロープの先に繋がれた、聖霊バクザン。

青年は、嬉しそうに微笑した。

「お久しぶりですね、爆殿」

左肩に軽い衝撃が走る。
白く華奢な、女の手が置かれていた。
ゆっくりと振り返る。

両肩に掛かった、柔らかく艶やかな髪。
それはピンク色をしていた。
女の右手の上に立つのは、長い一本の毛にリボンを結んだ、聖霊バーンビ。

「あんた、まーた厄介なコトに首突っ込んでるみたいね」

彼女もまた、青年同様の笑みを浮かべた。


「カイ! ピンク!」


それは、かつての戦友達の姿だった。


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