第五十七話




リョウメンスクナの咆哮が、駆け上がって天を衝く。

それを合図とし、爆を乗せたチッキーとエヴァンジェリンは同時に橋から飛び立った。
チッキーの丸々とした巨体の何処に、飛行を可能とする要素があるのか。
手に該当する小さな羽が動くたびに、彼は滑るようにして上昇してゆく。
姿形もあって、まるで水中を泳ぐペンギンだ。

「ところでお前、俺がいない間に高所恐怖症は治したんだろうな」

そうからかう様に笑い、爆は足元に問いを落とした。
それは臆病なドライブモンスターの気を和らげるようにという彼なりの配慮だったが、返ってきた答えはピィ……という気弱な響きを帯びた鳴き声だった。

藪蛇、だったようである。
毎度のことだが、まったく、鳥類のくせに情けない。
だが、今は情けないで許される状況ではなかった。

「我慢しろ。こいつを倒すまでの間だけだ」

爆がそう言った次の瞬間、チッキーは急上昇した。

一秒前まで彼らの浮かんでいた空間を、リョウメンスクナの巨腕が抉り抜く。
攻撃自体は回避したものの、巻き起こった凄まじい風圧がチッキーの飛行を脅かした。
直撃を受ければ、叩き潰された蚊よりも無残な状態になるのは目に見えている。
息をつく暇もなく、爆側の鬼面の口腔が開き、喉奥から赤い光弾が吐き出された。

避けるには手遅れだ。

爆は大剣を腰溜めに構えると、光弾が眼前に迫った瞬間に振り上げた。
赤光が尾を引きながら上昇し、ロケットのように夜空の向こうへと消えてゆく。
すえた臭いが鼻を突き、足元を見ると、チッキーのトサカが僅かに焦げていた。

「しっかりしろ、鳥類」

『浄華』の術の清潔な光がチッキーの傷を癒すが、まともに喰らえば治す部分すら残らず蒸発してしまうだろう。
爆は大剣を背に納めると、入れ替わりにサイコバズーカを右腕に出現させる。
二発、三発と立て続けに放たれる光弾を避けながら、チッキーはリョウメンスクナの腕が届かない距離まで離れた。
これで、気にすれば良いのは遠距離攻撃のみとなる。

爆はサイコバズーカの砲口をリョウメンスクナの顔面に向け、トリガーを引いた。
しかし、轟音を置き去りにして発射されたのは、思念から生まれた砲弾では無く氷の塊だった。

「フリーズシェル!」

凍りついた空気中の水分が、煌く橋のように爆とリョウメンスクナを繋ぐ。
氷の魔法を応用して生みだされた白銀の砲弾は、鬼神の双角の間に直撃するや、片方の頭を一瞬で凍結させた。

だがリョウメンスクナが煩わしげに首を振りたくると、効果が及んだのは表面のみだったのだろう、剥離した氷塊が湖に落ちて行く。
苦痛を感じた様子は微塵もなかった。

「……デカい。強い。タフ。これで敵じゃなければな」

そう言って、爆は再度サイコバズーカのトリガーを引いた。
効かない攻撃を重ねる愚を犯さず、通常の思念砲弾がリョウメンスクナの頭を赤々とした爆炎にて包み込んだ。
硝煙も消えぬ内に、砲口が更に三度吠える。

咲き乱れる紅い華が、夜を凄絶に飾り上げた。
それらを貫き消し飛ばし、放たれる別の赤。
五度目の咆哮が傷一つないリョウメンスクナの光弾を相殺し、サイコバズーカの出番はそれで終わった。

「これが効かんなら、シンハも無駄か……少し、きついか」

「ヂィッ!」

肩のジバクくんが、自分の丸い身体を指で差し示し鳴く。
余人なら首を傾げるところだが、GCである爆の耳には、その鳴き声は「自分を使え」という意として伝わった。
一考の後、爆は首を横に振った。

「もし失敗しても、回収している暇がない。お前を使う機会は必ずある。もう少し待て」

その時、爆が相手をしている方とは反対側のリョウメンスクナンの頭部に、夜気を貫いて白銀の奔流が叩き込まれる。
巨体に隠されて姿は見えなかったが、エヴァンジェリンの放った魔法と思われた。

「ぼーっとしとらんで、お前も攻撃しろ爆!」

予想正しく、向こうの方から少女の声が響いてきた。
隙の無い猛攻により詠唱ができず、焦れているようだった。

リョウメンスクナは本能のみで戦っているかのように見えて、行動の端々に狡猾さを見せてくる。
爆がエヴァンジェリンを守り、エヴァンジェリンが強力な魔法を放つという古来よりの魔法使いとパートナーの戦法を取ろうにも、この大鬼神は執拗に両者を分断しようとしてくるのだ。

回り込もうとすれば、見かけによらない素早さで腕や光弾が飛んでくる。
かといって距離を取り過ぎれば、追ってくる大質量が周囲に天変地異なみの被害をもたらす。
神の名に恥じず、厄介過ぎる相手だった。

「せめて、『秘点』さえ見つかればな……」

万物に存在する崩壊点。
しかし対象がこうまで巨大では、砂漠で一本に針を探し出すようなものだ。

「(ざっと見たところ、体や手足には無い。なら、残るは頭だが)」

そう推測して、爆は頭部を中心に攻撃を続けていたが、結果はこの通り徒労に終わっている。
だが物体として触れることができる以上、必ず何処かにあるのだ。
この戦いの行方は、それを見つけ出すことに掛っていると言っても過言ではなかった。

「飛べ、チッキー」

迫る閃光に思考を打ち切り、爆はチッキーを上昇させた。

ドライブモンスターの足のすぐ下を、超高熱が行き過ぎる。
続く光弾の群に追われ、リョウメンスクナを見下ろす高度まで昇った時、爆の視界を小さな光が過った。
術者のみに見える、『秘点』の光だった。

「!」

視点を下し、発光源を確かめる。

それは、リョウメンスクナの頭と頭の境から放たれているようだった。
『秘点』さえ突いてしまえば、この大鬼神は砂で作った城を蹴り飛ばすように崩れ去る。
だがしかし。

「(どうやって、阻まれずに攻撃を当てる?)」

地から来る赤光の雨霰を急降下してかわしながら、爆は思考を走らせる。

リョウメンスクナ自身、そこを弱点と自覚しているのか、上昇した爆への攻撃が一段と激しくなっていた。
その一方で、エヴァンジェリンへの警戒も欠かさない。
シールドを展開しながら突っ込むことも考えたが、光弾の一発ならともかく、二発三発四発と受け続ければ破られてしまう。
仮に光弾に耐え切れたとして、次に待つのは四本の巨腕。

如何にして攻略したものか。

爆の考えを打ち切ったのは、闇夜に炸裂した白銀だった。
散った氷の粒が戦いに興奮して熱い体に心地よい。
今度は、術者であるエヴァンジェリンの姿が見えた。

そうだった。
忘れかけていたが、今は一人きりで戦っているわけではないのだ。

「エヴァ!」

声を張り上げて、爆はエヴァンジェリンに呼び掛ける。

「何だ!?」

「五秒でいい、こいつの視界を塞いでくれ!」



      ◇◆◇◆◇◆



リョウメンスクナの中は怒りに染まっていた。

蠅の如く小さき者たちが、予想以上にしぶといのだ。
振る腕の一本、放つ光の一筋で喰らえば一瞬でこの地上から消えるのだろうが、当たらない。
そして小癪にも反撃してくる。
千年の時を越えてきたこの体にはいささかの痛痒も与えられないが、目障りだった。

あの、自分をこの地に封印した者達と同じく。
あの、自分を窮屈な石ころの中に閉じ込めた者達と同じく。

忘れはしない、あの屈辱を。
忘れはしない、あの暗闇を。


―――二度と、あの様な失態をしてなるものか。


リョウメンスクナに、以前人間どもに抱いていた油断は、もう無い。
寄らせはせず、呪いを唱える隙も与えない。
疲弊し止まったその瞬間を、奴らの最期にしてやる。
そして忌まわしきこの地を一掃した後は、再び飛騨を手の内に納めるのだ。


―――グォオオオオオッ!!


ほぼ確定した未来に心躍らせ、堪らずリョウメンスクナは咆哮を上げた。
夜気は震え、水面に波紋が広がった。

「―――闇の吹雪!」

その時、片方の頭に走った衝撃が、叫びごとその喜悦を粉砕した。

金の長髪をたなびかせ、雌の方が何度目かになる吹雪を放ったのだ。
痛くも痒くも無いが、視界が白銀に覆われている。
直後、もう片方の頭に、奇妙な鳥に乗る雄の掌より迸った稲妻が直撃した。
視界が漂白する。

四つの瞳を全て塞がれ、リョウメンスクナは身を揺らして困惑した。
明らかに、視力を奪うための攻撃だ。

だが、そんなことをして何になる?
これまでのような砲撃や吹雪は元より通用しないのだ。
視力にしても、そう間を置かず回復する。
意味の無い悪あがきか………もしや!?


―――ガァアアアッ!!


リョウメンスクナは再び咆哮を上げた。
しかしそこに含まれるのは喜びなどではなく、神の名を冠する者として相応しくはない、恐れだった。
リョウメンスクナは、屈辱を感じると共に恐怖していたのだ。
あの、小さき者達が紡いだ、自分を封印した呪いを。

それを、あの二匹は再び放とうとしているのではないか!?

疑念は心にさらなる恐怖を吹き込んだ。
もはや恥も外聞も打ち捨てて、リョウメンスクナは当たるに任せて四本の腕を振り回す。
それは豪風を巻き起こして大鬼神を包み、波を呼んで湖の岸に生えていた木々を押し流した。
口腔から吐き出される光弾は天を焼き地を砕き、破壊の環を広げてゆく。

やがて、リョウメンスクナの目に光が戻ってきた。
周囲を見渡し、そこが石の中ではないことを確かめると、心の内の恐怖が霧散してゆくのを感じた。
森の各所に空いた穴からたなびく黒煙を吸うと、さらに爽快感が増す。

うざったい金髪の雌と黒髪の雄は生き残っていたが、すぐに消し去ってやる。
リョウメンスクナの牙の間から、赤い光が漏れ始めた、その時だった。


「引っ掛かったな、デカブツ」


すぐ真上から、よく通る声が降ってきた。

それは、目の前で黄色い鳥に乗って浮かんでいる雄の声に、よく似ていた。
だがその雄は、口端を吊り上げてみたと思うと、突如全身から白煙を上げた。
煙はすぐに消えたが、黄色い鳥の上には、誰も乗っていなかった。


―――謀られた!?


上空を振り仰ごうとしたが、リョウメンスクナにそんな時間は残されていなかった。



いつだったか、大型トラブルモンスターと戦った時もこんな風だったな。

遠い日の思い出に浸りながら、爆は身を引力のするがまま、頭から落下していた。
山の如きリョウメンスクナの頂点、『秘点』の放つ光が目に刺さる。
全身に叩きつけられる大気の壁にカウボーイハットが飛ばされてしまったが、気に留めるほどのことでもなかった。
今は、右手の中にジバクくんがいれば事足りる。

「いいかジバクくん。最大の爆発を食らわせるぞ」

ヂィッ、と小さな相棒が小さいながら頼もしい鳴き声を上げた。
どんな時でも、彼は自分の傍に居てくれた。
『サー』での、命に関わる無謀な挑戦にも付き合ってくれた。
最強のGCの相棒を務めていた身であれば、あまりの未熟さに見放してもおかしくはなかったのに。
あの時の爆ではジバクくんの全力を出し切ることはできなかった。

だが、今ならどうか。
あれから七年たった、今なら。

「(―――俺は、お前の期待に答えられる男になったか?)」

あえて口には出さなかった。
だって、何だか恥ずかしいし。

下方では、リョウメンスクナがチッキーに乗った影分身の囮に気付いたようだった。
だが、もう遅い。
もう防げない距離にまで接近している。

「引っ掛かったな、デカブツ」

爆は、両手に持ち直したジバクくんを頭上に掲げた。
体が反転して、頭と足が入れ替わる。
掌の中で、手を広げたジバクくんが燐光を纏う。
リョウメンスクナが上空を見上げようとしていた。
だが、勝負は既に決している。

「行けッ! ジバクくん!!」

矢のように声が走り、彗星のようにジバクくんが投げ放たれた。
『秘点』は、リョウメンスクナの巨体をして小さく見えるが、爆の狙いは機械のように正確だった。
ジバクくんは燐光の尾を引きながら、大鬼神の頭と頭の境に飛び込み―――直後、凄まじい爆発を起こした。

赤々とした大渦のような爆炎が夜の帳を破り、僅かながら世界に昼を呼び戻した。
熱を伴った爆風に一瞬、爆の落下運動が停止する。
『秘点』に直撃を受けたリョウメンスクナはそれどころではなかった。
ダムが小さな穴から決壊するように、頭頂部から湖の底の爪先に罅が入り、そこを道として炎が駆け抜けた。
断末魔の絶叫さえ爆音に掻き消され、大鬼神の巨体が崩壊してゆく。


肩から腕が離れた。
黒煙を吹きながら四本の腕が湖面に衝突して、水が弾ける音を一つ奏でる。


次に、罅だらけの上半身が前倒れとなった。
四つの眼に困惑を灯したまま、暗い水の中に消えてゆく。


最後に、残った下半身の膝が折れた。
その動作にさえ耐えきれず両の膝が砕け、腰が上半身と同じ道を辿り、柱のような足は粉々に砕け散る。


爆はそれらの光景を、仰向けに落下しながら眺めていた。

とりあえずリョウメンスクナの上を取ることだけに専念していたから、着地のことは全く考えていなかった。
爆風により落ちる勢いは多少弱まったとはいえ、百メートル以上の高さから湖面と激突すれば命の危険さえある。
加えて、この一戦で気も魔力も底を突き、肉体を強化することもできない。

いわゆる絶体絶命だった。

「(まあ、とりあえず木乃香を助けられたのだから、良しとしよう)」

爆は瞼を閉じて激突の瞬間を待った。
だが、それは予想以上に早くやってきた。
しかも激突と呼べるような衝撃も痛みも無く、むしろ柔らかくて心地よい。
爆は瞼を開き、文字通り目と鼻の先にある金髪の少女の泣き出しそうな顔を見た。

「もう少し、早く来てくれてもよかったんじゃないか?」

「………助けてやったのにそれか」

爆とチッキーの背に挟まれたエヴァンジェリンが、呆れ返ったような声を吐き出した。

「まったく、跳んだ後のことを考えていなかったとは。馬鹿としか言いようがない」

爆は首を横に振った。

「たしかにそこまでは考えてはいなかったが、予感はしてたぞ。きっと助けに来てくれるってな」

白いエヴァンジェリンの顔が、湯に通したように紅潮する。
見開かれた目の中に、少し泥のついた自分の顔が映った。
戦いの興奮による燃えるような熱とは違う、人肌の優しい熱が、心身の疲労を溶かしてゆく。
もう少しこのままでいたかったが、流石にエヴァンジェリンが苦しそうなので、爆は身を起こした。

「ヂィーーーーッ!」

下の方で、聞き慣れた鳴き声が上がる。
チッキーから身を乗り出して見てみると、再生したジバクくんがカウボーイハットの船に乗って小さな握り拳を振っていた。
沈む前に助けてやらなければ。
爆はチッキーに降下するよう指示した。

「まったく、とんでもない修学旅行だったな」

誰にとも無い呟きが、夜の闇に溶けて消えた。


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