朝から蒸し暑い一日だった。
窓から覗くことの出来る空は暗雲で満たされていて、更に不快度が増す。
巨大なバケツでもひっくり返したような豪雨が、容赦なく大地を叩く。
「……もう梅雨の時期か」
窓際に立った麗しい金髪の少女、エヴァンジェリンは何処か憂鬱気に呟いた。
憂いを帯びたその表情も、彼女の美貌を際立たせる材料にしかなり得なかったが―――
「こっちにもあるのか?」
少女の背中に掛けられた声は、それを考慮した様子も無い。
エヴァンジェリンが振り返る。
その視線の先のソファには、朝からいきなり押しかけてきた青年、爆の姿があった。
従者である茶々丸は買い物に出かけており、現在この家にいるのは少女と彼だけだ。
「大雨になるとチッキーの奴が嫌がって飛ばなくてな。ペンギンみたいな姿をしとる癖に」
口は彼の故郷に住んでいるドライブモンスターについて愚痴りながらも、その意識と眼は手元の魔法の指南書の文面に向けられている。
以前エヴァンジェリンに魔法を習って以来、爆はしばしば彼女の家にやって来る。
無論逢引きなどという色気のある用件では無く、単に魔法に対する見解を深めに来ているのだった。
剣技等と魔法を融合させ、本来何年と修行を積んで習得する筈の咸卦法まで体得しても、青年はまだ足りないらしい。
その恐ろしいまでの向上心に、エヴァンジェリンは「別荘」の使用を勧めていた。
一時間が一日になる魔法の空間。
そこでなら、爆は時間など気にせずに存分に修行に励む事が出来る―――だが、彼はきっぱりと断った。
何故かと問い質せば、曰く「それではズルになる」と。
人は皆、同じ時間を生きている。
それは人間である爆も、吸血鬼として永遠を生きるエヴァンジェリンも同様だ。
一日を、一時間を、一分を必死に生き、その中で自身を高めるために努力を重ねてきた。
故郷にいる仲間達も、今は違う星にいる好敵手もきっとそうだろうと。
だからどんなに強さを求めようとも、その一時間が一日となる「別荘」は、そんな彼等に対しての裏切りだと。
何時かまた出会った時に、胸を張って「強くなった」と自慢したい―――そう爆は語った。
いっそ愚直なまでの真っ直ぐさに、エヴァンジェリンは苦笑したものだった。
彼のこういう部分が、自分の心を捕らえて離さないのだ。
だが、ふと思う。
「(私は、このまま爆の傍にいて良いのか?)」
自らの手に視線を落とす。
自分はこの手で、窓に映る雨粒に匹敵する大勢の命を奪ってきたのだ。
人間も、人間でない者も、腕の一振りで肉塊と変わり、口唇が紡ぐ魔法で砕けていった。
屍山血河を築き続け、幾星霜。
何時しか「闇の福音」などという大層な異名までつけられた。
すると、自分を滅ぼし名を上げようとする者達も現れ始める。
そうして襲い掛かってきた彼等もまた、その命を散らしていった。
何時からだったろうか。
殺めることに、心が動かなくなったのは。
自己防衛のためとはいえ、その罪は重い。
この白魚のような繊手は、その実血と怨嗟に塗れていた。
「汚い、な」
我知らずと口から漏れた言葉も、青年は明確に聞き取っていた。
「何がだ?」
魔法書から顔を上げた爆が、訝しげに問うてくる。
それに、エヴァンジェリンは雨垂れに覆われた窓から目を離さずに答えた。
「私の手さ。……お前にも、教えただろう?」
己の過去を。
登校地獄の呪いをかけられ、この学園にやって来る以前、どんな人生を送ってきたかを。
それを聞いても眉一つ動かさなかった辺り、やはり彼は大物と言うべきか。
「ああ、聞いたが……それがどうした?」
「幸せになって良いのかと、思ってな」
窓に映る爆が、不思議そうに首を傾げる。
自ら足を踏み入れた、紅く染め抜かれた修羅の道。
後悔はしていない。
間違っているとも言わせない。
だが彼の隣に並ぶには、あまりに命を奪い過ぎたのではないか。
幸せを享受するには、身に染み付いた血臭が邪魔なのではないか―――
「何を馬鹿なことを言っとるんだ、お前は」
その声は頭上から降ってきた。
余程考え込んでいたらしい。
声の主である青年は、何時の間にかエヴァンジェリンの真後ろに立っていた。
「……馬鹿とは何だ、馬鹿とは……」
苦悩の全てを否定された気がして、拗ねた少女は窓の中の爆を睨み付けた。
力は、あまり込められていはいない。
「過去は大切だ。だが、それに囚われる奴は馬鹿だ」
「そんなこと……っ」
解ってはいる。
だが、割り切れるかどうかは別ではないか。
放とうとした抗議の言葉は、しかし爆の嘆息に遮られた。
「たしかに、お前は何人もの人間を殺した。その罪は、きっと重いのだろう」
だがな、と青年の手がエヴァンジェリンの金糸に乗せられる。
「少なくとも俺は、お前の幸せを願ってるぞ」
少女の瞳が揺れた。
青年が微笑む。
「世界中にたった一人でもそう願う奴がいるなら、誰にでも幸せになる資格
はある筈だ。違うか?」
「……っ」
天を覆う暗雲から降りしきる雨。
外に出てれば良かったと、エヴァンジェリンは思った。
そうすれば、頬を伝う涙も目立たなかっただろう。
【超短編です。】 |