六話 投稿者:駄作製造機 投稿日:04/09-05:32 No.214
昼。世間が食事を摂っている頃、ニコラスはカロリーメイト(チーズ)を囓りつつ書類と格闘していた。
L字型の机は全面が書類で覆われている。その一角でニコラスの右手は忙しなく文字を書き、視線は机を縦横無尽に駆けめぐる。
ラジオが静かにポップスを流していた。
何をしているのかというと。
昨日の私闘の後始末だ。
第六話
ニコラスが書類と格闘していた頃、ネギと明日菜、カモは授業が終わりしだい教室を出てある場所を目指していた。だが明日菜は何も聞かされていないのか、どんどん先を行くネギを呼び止めて言う。
「ちょっとネギ、急に何処行くってのよ。授業が終わるなり連れ出して……」
「あ、そう言えば明日菜さんには言ってなかったですね。ウルフウッドさんの所に行くんです」
「あのヤクザのような牧師の所に? 何をしに行くのよ」
「昨日のお礼と、質問に。それとヤクザは失礼だと思います明日菜さん」
「?」
ネギと明日菜、カモはニコラスのいる教会に向かっていた。帰宅部だろう生徒が下校するなかを歩き、こぢんまりとした教会の前に三人は立った。
「ここがあの牧師が住んでいるところ? 本当に教会じゃない」
「なんだか、管理も兼ねて住んでるらしいです」
「なんかイメージとは逆だな」
「私もそう思った……なんか、こう、治安が悪くて外壁ぼろぼろ、ほこりまみれ……そんなのを思い浮かべたんだけど」
「そうそう。蜘蛛の巣張ってたりな」
「明日菜さん、カモくん……本人がいないからって好き勝手言ってない?」
「う、そ、そうかな……な、中入ってみよっか!」
ほらほらとネギの背を押して二人と一匹は教会に足を踏み入れた。中を見て明日菜が声を出した。
「意外とキレイね」
「手入れはそこそこにされてるな」
多少ほこりが舞っているが、見た限りではそれなりに片付けられている。ネギはきょろきょろと周囲を見渡して、
「ウルフウッドさん、いないですね」
「兄貴、四六時中礼拝堂にいないと思うぜ?」
「あっちじゃない? 扉あるし、なんか聞こえるし」
明日菜の指し示す扉は入り口から右奥のものだった。その扉は何処か教会の雰囲気と合わず、新しいものに見える。耳を澄ませば確かに何か話し声が聞こえる。
彼らはそちらに向かって歩いていった。扉に近づくに連れて声が聞こえてくる。
「……だか……なんだわ…………あぁ? いやちょ……」
「なんか立て込んでいるみたいですね」
ネギの耳にはなにやら激しい言葉の応酬が繰り広げられているように聞こえた。そのために今は忙しいのだと思い、後でまた来ましょうと言おうとした瞬間。
「いいんじゃない?」
「あ、ちょ……」
そう言って明日菜はネギが止める間もなく扉を開ける。すると、
「だからなんで浴場の修繕費がワイ持ちなんや?! ……ガラス数枚に浴槽修理ぐらいなんやから経費で落としてもええやろ……”依頼内容にそって”って聞いとらんでそんなこと! そうや、工学部の無駄にある予算をちょっとばかしちょろまか……茶々丸で八割消えたぁ?! なら学園長に請求せえ! 幾らワシがあまり金を使わん言うても弾代は只や無いんや! パニッシャーも修理に出さなあかんし――ああバイクもや! とにかく! ワイ今月余裕ないねん! 餓死しろ言うんか?!」
なんというか。
ネギ達は唖然とし、ニコラスは電話に向かって怒鳴り散らす。どうやら修理費のことで揉めているらしい。
一分ほど話し合い――罵り合いか?――を続けた後、落ち着いたニコラスは話を纏めにかかった。
「……とにかく。学園長はワシが言いくるめるさかい、だから請求書はそっちに回せや。(プッ。ピッ、ピッ)……爺さんか? さっき経理部から連絡来て、修理費を請求されたんやが。後始末の費用までこっち持ちなんで聞いとらんで。……言ってなかったじゃないわ! とにかく始末書と始末の手配はやったるが、費用は学園持ちや。発効は今この瞬間から契約終了まで、受けれんなら護衛は降りさせて貰うで。…………OK、契約成立や。とりあえず修繕費用出しといてな。ああ、それと……ワイの仕事は護衛であり、生徒の行動を監督する義務はないで。……そこんとこ忘れんといてな。(ガチャ。溜息)……あぁ、ネギに明日菜の嬢ちゃんか、どした?」
ようやく話を終えたのか受話器を置き、ニコラスはネギ達に視線を向けた。どうやら今気がついたらしい。
呆気にとられていたネギだったがふと思ったことが口から出ていた。
「……なんだったんですか?」
その言葉にニコラスの表情が歪んだ。それはもう真っ黒に。ネギはニコラスを見て己の失敗を悟る。……思いっきりやぶ蛇らしい。
「昨日二人の魔法使いが私闘やらかしてくれての。器物損壊や情報操作の後始末をしていたところや」
「あ”っ…………」
「ったく、始めから山奥とかでやってくれれば楽やったんに……」
「す、済みません……」
ネギは平謝り。大浴場の損害はそこを指定したエヴァにも責任があると思うのは気のせいか。
愚痴り続けて数分後。やっと気が済んだのかニコラスはネギ達に椅子を勧めてコーヒーを出し、来た理由を尋ねた。
「で、今日はどうしたんや?」
「あ、はい。昨日はどうもありがとうございました。振り返ってみると危うく死ぬところでした」
「ネギ、昨日死ぬようなことあったけ? なんかそんなのは覚えていないんだけど」
明日菜の記憶ではエヴァと和解した後、気がついたら布団の中で朝になっていた。どうやって帰ってきたのかはもちろん、彼女の記憶にはニコラスに会った事実すらない。
「……そういや嬢ちゃん気絶しとったからの。知らんくても無理はないか。ネギ、説明したり」
「僕に丸投げしましたね……明日菜さん、簡単に言うと、あの後エヴァンジェリンさんを狙った魔法使いが来て、危うく殺されそうなところをウルフウッドさんに助けて貰ったんです」
ネギは明日菜に端的に説明した。至極あっさり言ったので明日菜は驚くよりも呆気にとられてしまった。
「え~と、エヴァちゃんの敵がやってきて、殺されそうになって、この人に助けられた?」
「はい」
「………………」
「明日菜さん?」
ネギが明日菜の顔を覗き込む。数瞬考え込むような表情になり、
「ものすごい大事じゃない! 怪我はない、って言うかこの人にどう助けて貰ったの?!」
爆発した。ネギに詰め寄って揺さぶりながらニコラスを片手で指さす。無意識に失礼だ。
「い、いえ。敵の魔法使いをウルフウッドさんが斃して……」
「魔法使いを斃した?! あんた等のようなデタラメな人たちをこのチンピラ神父が?! 確かによく見たらどっかのマフィアの殺し屋みたいな人だけど……いやもしかして……ネギ、調子悪くない? もしかしたらあんた熱があるかも……!?」
「…………さっきから聞いとれば、ずいぶんと言うてくれるのう?」
こめかみに大量の青筋を立たニコラスの言葉に、明日菜は我に返った。そして血の気を引かせてニコラスの顔色をうかがう。ニコラスの右手が懐に入っているのは気のせいでも幻覚でもない。温厚なニコラスだがここまで否定されると流石にムカつく。ゴム弾一発ぐらいならいいか……? などと本気で考えている。
明日菜は蒼い顔で誠心誠意謝った。ニコラスはあっさり許した。
そして詳しい説明を受けて明日菜はそれまでの話をまとめた感想を言う。
「……大体はわかったわ。あの後ネギ達が殺されそうになって、そこの……ウ、ウルフウッドさんが助けた。そして私たちを送ってくれた」
「そうです、明日菜さん」
「でもウルフウッドさんが魔法使いって本当? 見てないのもあるけど、正直信じられないんだけど」
「確かに魔法使いです。僕は見ました」
「おれっちも見たぜ」
「おいおい、何時ワシが魔法使いだと言った?」
「「「え?」」」
ネギ達は一様にニコラスを見る。コーヒーを口に含んだニコラスにネギが慌てたように言った。
「だってウルフウッドさんは魔法を使っていたじゃないですか?!」
「確かに使ったの、二回ほど。じゃが魔法を使える=魔法使いではないやろ」
「「?」」
「……なるほど」
カモはその言葉の意味を理解したのか頷いている。明日菜が怪訝な顔でニコラスに問う。
「魔法が使えるのに魔法使いじゃないってどういう事?」
「ワイは魔法を使える。じゃがそれだけや。マギステル・マギとやらも興味ないし関係ない」
「「?」」
「なら旦那は魔法使いじゃないって言うなら、旦那は何なんだ?」
疑問顔のネギ達を置いてカモが言う。ニコラスは一拍間をおいて、
「牧師であり退魔師。3-Aの副担任で護衛の戦闘者。それが今のワイや」
「でも魔法を使えるんでしょう? なら魔法使いではないんですか?」
「正確には”魔法も使える”戦闘者ちゅう事やな。使える魔法も片手で足りる数やし、戦いには専ら銃を使う。ワイにとっての魔法は『手段の一つ』でしかないんや。そもそも魔法使いの心得とかもないし、戦い以外では使わんからの」
「はぁ……」
ネギはよくわからないといった顔だ。まあニコラスの我が侭も多分に含まれているのもある。ニコラスは再び説明を始めたが、それは要約するとこういう事だった。
魔法使いと、魔法剣士。魔法使いには大別するとこの二種類になる。そのどちらかと聞くとニコラスは魔法剣士に分類できるだろう。だが彼の場合は才能に偏りがあり、一応魔法も使えるがそれはごく僅か。むしろそれ以外の戦闘方法を使うことの方が多いということ。
実際彼は過去の対人戦闘経験が非常に多く、その高い戦闘能力は魔法使い達に引けをとらない……否。その闘いの業は魔法使いにとって天敵といえる。
魔法使いではないと言い張ったのは使える魔法が戦闘系のみで数個ということと、戦うこと以外殆ど魔法を使わないからで、怪我の治療や記憶操作など多彩な術を使い、社会に貢献している彼らの『魔法使い』の定義から外れているとニコラスは考えていたからだ。
外道な戦闘技術によって敵対するものを滅ぼす戦闘者。ニコラス自身、そう認識しているが、そのことは伏せた。
「そもそもワイは魔法使い、というよりはその護衛・従者といったところか。ワイが何者かちゅうことは大体解ったやろ」
そこでニコラスはコーヒーを飲み干して脇に除けた。そして次の質問を促す。
「えっと……護衛といってましたがどういう事なんですか?」
「ネギは魔法使いやが流石に若すぎるやろ。保護者的な存在を付けておくのが一つ。あとは、その、いいにくいんやが……」
「苦い…………なによ。はっきりってくれた方がすっきりするんだけど?」
コーヒーに砂糖を追加しつつ明日菜が言う。
「3-Aのクラスやが個性的な連中が集まとるやろ? 副担任のなり手がおらんかったんや。」
「「「ああ……なるほど」」」
彼らも自覚はあったのだろう。他のクラスに比べてもこのクラスの生徒は個性的だと。一瞬過去へ思いをはせ、深く頷いた。
どのクラスにも個性的な生徒というものはいる。だが彼らも3-Aの前では霞んでしまうほどに”濃い”クラス、常識から良くも悪くも外れた人間以外担任はつとまらないだろう。
「ネギもサウザントマスターの息子っちゅう事で結構注目浴びとるらしいし、生徒がこっち側に巻き込まれんように保険の意味合いも兼ねてワイが副担任になったんや」
「解りました。でもそれなら何故エヴァンジェリンさんを止めなかったんですか?一般の生徒が襲われていましたが」
「そんなん決まってるやろ」
ニコラスは”何を言っているんだ”といった風に話す。
「友人……いや、身内に甘くなるのは当たり前やろ」
●
ニコラスの言葉に騒ぐネギ達を、仕事に邪魔だと追い返した後。ニコラスは一時間ほどで最後の書類にサインが出来た。そして万感の思いを込め、
「お、終わっ……た」
そう呟き、ニコラスは前のめりに倒れ込んだ。書類があたりに舞い散るがニコラスの視界には映らない。
時計の短針は4を指している。ネギ達がきた所為で少し遅れたかも知れない。
しばらくの間沈黙していた彼はゆっくりと立ち上がり、始末書の入った封筒を手に教会を出た。
数分後、彼は学園長室にいた。書類を学園長に渡してソファーに腰を下ろし、タバコに火を付けて紫煙を吸い込む。実に半日ぶりの一服だった。
タバコの火を燻らせながら、彼は溜息と共に言葉を吐き出す。
「書類仕事がここまでめんどいたぁ、思わへんかったわ……」
「ウルフウッド君は実務がメインじゃったのか。……うむ、問題はないの。大変じゃったろう?」
「ほんまやで。次回からは口頭での報告のみにして貰いたいんやが」
「却下じゃ。一応事件の報告書は無いといかん。大変じゃろうが頑張ってくれ」
即座にきっぱり返された学園長の言葉にニコラスは完全に脱力する。タバコの煙が虚空に溶けた。
それを見つつ学園長は口を開く。
「来週の修学旅行は覚えておるかな?」
「……ああ、やっぱしワイもいくんか?」
「頼む。目的地はまだ確定しておらんが、何かしら起こる可能性も否定できん。生徒の安全を第一に考えて行動して貰いたい」
「解っとる……じゃが、幾らワイとネギでも三十一人……いや、二十八人か。全員はカバーできんで?」
「その点は問題ない。しずな君に瀬流彦君もつける。君は相手が武力行使をしてきたときの備えじゃよ。なに、この街から出るのは初めてじゃろう? せっかくじゃから楽しんでくると良い」
その言葉でニコラスは学園長の真意を察して感謝した。事実、彼はこの街から出たことはない。外に興味がないわけではなかったが、いろいろと外に出る機会がなかったのだ。
まあ、この街も完全に把握しているわけではないのだが。
とりあえず礼を言っておく。
「なんか、気を遣わせてしもうたみたいやな。まあ、ほどほどに楽しんでくるとするわ」
「そうするといい。まあ、一応準備だけは怠らんでくれ」
「了解や」
そこでタバコを灰皿に落とし、ニコラスは立ち上がった。適当なところで一休みしてから教会に戻ることにする。パニッシャーの診断もあるしバイクの修理も手配しなくてはならない。
「じゃあの、爺さん」
そう言ってニコラスは学園長室を後にした。
●
教会に戻る途中でニコラスは何となくカフェに入った。テラスに陣取り、コーヒーを頼んで空を見上げる。
ホームの空はかつての空のように青かった。雲が流れてゆく。
此方に来て驚いたのは緑があることだけではない。月が一つということや、今頭上を流れる雲もかつては見ることはなかった。
此方に来てからの一年は驚きの連続だった気がする。更に一年はこの街に振り回されたものだ。
そしてふと気が付いた。
「空の青は海の青だって聞いたが……砂しかないあの星で何で空は青かったのやろ?」
まあ、どうでもないことなのですぐに忘れた。
懐を探ってタバコを取り出し、火を付けようとして、
「ここは禁煙だ、不良神父」
タバコ本体は黒い長髪の少女に奪われた。ライターの炎が虚空を焼く。ニコラスはタバコ誘拐犯に視線を向け、
「そうだったんか? 真名」
と聞いた。真名は制服姿で指先を使ってタバコを弄びながら言う。
「この学園は喫煙スペース以外では基本的に禁煙だ。ニコラスがよく吸っている教会の庭も、本来は禁煙なんだ……もう二年もいるのだから知らなかったとはいわないだろう?」
「いや、今初めて知ったで。つーか屋外ならええんとちゃうか?」
「……まあ、屋外は黙認されているようなものだがな」
そこで真名は椅子に座る。手にはコーヒーを持っていた。……何故か二つ。
一つは自分の前に置き、もう一つはタバコと共にニコラスの前に置いた。
「いや、ワイも頼んだんやけど」
「心配するな。ニコラスに来るものを私が持ってきただけのことだ」
「ならええわ」
そして両者ともにカップに口を付ける。ちなみにどちらもブラックだ。ニコラスは一口で止め、タバコを箱に収めつつ真名に聞いた。
「で、どうしたんや?」
「修学旅行、いくんだろう?」
「ああ。一応護衛ちゅうことやが、爺さんは観光気分でええとかぬかしとったが」
「そう言えばニコラスはこの街から出たことがないんだったな」
「この街は下手な町より規模があるからのう。おまけに刺激に満ちあふれとる」
「ニコラス。この都市は特殊なんだ。普通の街というものを修学旅行で学んでこい」
そう言って真名は再びコーヒーを口に含む。数分の間、世間話をして先に席を立ったのは真名の方だった。
「まあ、ニコラスが行くのなら次の日曜日に買い物に行こうか。まさかその黒服だけ持って行くつもりじゃあないだろう?」
「いや、そのつもりやったけど」
「……ニコラス、良いことを教えてあげよう。貴方がその格好にサングラスをかけたら誰がどう見てもその筋の人としか見えないんだ。そんな人物が女学生と行動を共にする……犯罪の臭いがプンプンするね?」
「おい」
「まあ、冗談はともかく。偶には違う格好で行ったらということだ。せっかくの旅行なんだからな」
「……ああ、詰まるところ少しは着飾れ、ちゅう事か?」
「そうだ。という訳で次の日曜は私と買い物だ。十時にここでいいだろう……そうそう、財布を重くしておくことを勧めるよ」
そして真名は立ち去った。ニコラスは服装に興味は全くなかったが、誘ってくれたのを断る訳にもいかない。そして真名は一度言ったことは撤回しない。日曜日は買い物で決まりのようだ。とりあえず金融に行かなくてはなるまい。
とりあえず彼は残ったコーヒーを飲み干してニコラスは会計をしようと伝票を手に取る。
何故か二枚あった。
「ちゃっかりしているというか………………ちょっとケチくさいと思うで? 真名……」
●
ニコラスは一度教会に戻り、パニッシャーを持つと商店街の方に向かった。
商店街と言っても書店や服飾店が目立ち、食料品店は意外と少ない。彼はその少ない食料品店の一つ、『CANG-HO-CANZ』という缶詰店に入った。
商品棚を桃缶から軍用のレーションまでありとあらゆる缶詰がならんでいる。だが店内に人の気配は無い。
彼は覚えのある臭いを微かに感じつつ、奥のカウンターに向かった。そこにはアフロの中年が座っている。
ニコラスは背中のパニッシャーを指して言った。
「……昨日万を撃った。一応点検してくれや」
「解った……奥に行ってな。店を閉めておく」
アフロ中年は手にしていた伝票を横によけ、手元からなにか取り出して入り口に向かってゆく。それを片眼に見つつニコラスは店の奥に向かう。
道行く人がその店を見ると、入り口には『本日閉店』の文字が下がっていた。
ニコラスは店の奥に向かってどんどん歩いてゆく。突き当たりに当たると踵で床を数回タップする。すると壁が開いて地下へと向かう螺旋階段が覗いた。それをどんどん降りてゆく。
下に向かうにつれてニコラスは馴染み深い、店に微かに漂っていた臭いが強くなってきた。それは火薬の臭い。
下に降りきるとそこは銃が所狭しと並んでいた。種類は多種多様で世界中の銃がそこにあるかもしれない。その奥にある整備スペースに向かい、パニッシャーを布を解く。そこにアフロ中年が入ってきた。
「アーロン。頼むわ」
「へいへい。まあその辺で座って待ってな」
ニコラスは適当な木箱に座り、アーロンと呼ばれたアフロ中年はパニッシャーを手早く分解してゆく。しばらくの間、作業する音が響いた。
数十分後。パニッシャーを元通りにしてアーロンが言う。
「劣化部分は見あたらないな。普通に使うには問題ないだろうが、俺の勘では万の集束を後一発撃ったら砲身にガタがくるぜ」
「ほうか……砲身部分の交換にはどれぐらいかかる?」
「部品がない。特注品だから一週間はかかるな」
「無理か。まあ、修学旅行で万を撃つこともないやろ。一応交換部品は注文したってや」
「解った。他に入り用なものはないか?」
「んー……退魔弾を五百、徹甲弾を千、ゴムスタン弾をマガジンで一ダース。修学旅行の前日までに届けてくれや」
「了解っと……なあ、たまには別の銃を……」
「いらん。使い慣れたもんやないと、命預ける気になれへん」
「そうか……」
がっくりと肩を落とすアーロン。ニコラスは苦笑しつつパニッシャーを布で包み、背中に背負う。
「そう落ち込むなや。ワイはお主の整備の腕は認めてるんやからな」
「そうかい。まあいいさ。それが壊れたらまた来い、新品同様にしてやるぜ」
その言葉にニコラスは頷いて店を後にした。
●
パニッシャーを背負ったニコラスが教会に戻ると、無人の筈なのに明かりがついていた。
疑問に思いつつ生活空間に戻ると。
「遅かったな」
「しばらくお待ちを。三十分ほどで夕食ができあがります」
「……何で主等がおるねん」
エヴァが机の上で茶を飲み、茶々丸が夕食を作っていた。
「……つまり、エヴァと茶々丸は昨日の礼も兼ねて夕食を作りに来た。外で待つのも何だから中で待っとった……そういうことか?」
「そうなりますね」
「つーか鍵はどうした」
「私が開けた」
「ほうか……」
普通はここで怒るなりの反応があるはずだが、エヴァ達には寛容なニコラス。特に反応もなくスルーした。
とりあえずパニッシャーを壁に立てかけた。そしてエヴァに言う。
「鍵開けた言うとったが、壊した訳や無いんやろな?」
「当たり前だ。解錠の魔法で開けた」
「ならええわ。昔みたいに扉ごと交換するのはいややからのう……」
「何時までも昔のことをぐだぐだ言うな」
以前居留守を使った際に扉ごとぶち破られたことがあったのだ。そのためにニコラスの居住区画に通じる扉は新しい物になっている。
それから間もなく茶々丸が夕食を運んできたので話はそこで終わりになった。
夕食は中華で、茶々丸は流石に超包子で働いているだけあり、非常に美味しかった。
夕食を終え、ラジオから流れる音楽を聴きつつ彼らはコーヒーを飲んでいた。この教会に茶の類はない。あるのは酒とコーヒーだけである。
ニコラスがコーヒーを飲んでいたとき、エヴァが口を開いた。彼女はコーヒーに砂糖を追加している。既にスティック三本が開けられている。
「しかし……集束魔弾一万とは、昨日初めてみたぞ? 何故模擬戦の時に使わなかったんだ?」
その問いにニコラスはカップを置き、テーブルに肘を突いて言った。
「単純な理屈や、詠唱が長すぎる。エヴァと茶々丸とチャチャゼロの連携中にあんな長い詠唱してみい、嬉々として潰しに来るやろ」
「まあ、あれだけ長い詠唱だったら問答無用で潰すな。確かに」
彼の言葉にエヴァは砂糖を入れる手を休めて答えた。ニコラスは更に言う。
「だからや。元々魔弾しか使えん半端もんやし、闘い方は以前のままの方が身体は動くしの」
魔弾。正式には集束型サギタ・マギカと言われる。
サギタ・マギカの一矢を極限まで集束させて高い威力と貫通力を与える呪文であり、ニコラスが唯一使える魔法でもある。
だが威力が上がる代わりにサギタ・マギカの特性である誘導性・タメなどが無くなってしまい、さらには銃などの依り代に宿してからではないと放つことが出来ないという欠陥を抱えている魔法だ。
あまりの使いにくさに今では全くと言っていいほど使い手がいない、『失われ行く魔法』の一つである。
「確かに銃を使った闘い方の方がニコラスは動いているな。だが半端者というのは撤回しろ。世の中の魔法使いに喧嘩を売る気か?」
「そうは言っても、才能がないんは事実やろ」
「寝言は寝て言え。何が才能がない、だ。集束させた魔弾でエクスキューショナー・ソードを相殺されたシャークティの立場はどうなる」
事実である。ニコラスが魔弾の術式をアレンジしていると偶然出来た桁違いの大量集束。その威力は師であるシャークティの全力エクスキューショナー・ソードを相殺したのだ。かなり凹んだのか数日の間、彼女はニコラスと話そうとしなかった。
魔弾に限らず、サギタ・マギカ系統の呪文は大量に集束して放つと性質が変化する。
一柱では相手に効果を与えて弾自体は消滅するが、千柱集束させると範囲内全てに効果を与え、一万柱も集束すると放つのは各属性の概念そのものとなり、光が直線上全てに効果を与える。
まあ千柱も同時召喚するにはかなりの魔力とその方面の才能が必要なのだが。
彼が同時に召喚でき、集束できるのは五万まで。無詠唱ならば二百が限界だが、魔弾に関しては超一流の魔法使いといえるだろう。
「おまけに銃を使った戦闘に特化していて相手の技を学習し、反応速度や思考すら読んで敵を追い詰める事を加味すれば超一流の戦闘者だ」
「戦闘者、か……」
「まあ」
「?」
殺人者、と続けようとしたニコラスはエヴァの続く言葉に視線を彼女に向けた。エヴァはそっぽを向きながら続ける。
「力があることは悪いことではない。力なくては守れないのだからな。それを得る過程で罪にまみれたのなら……その力を持って己の大切なモノを守り切らなくては、踏み越えた奴らに失礼だとは思わんか?ニコラス」
「……そうやな」
力は所詮力でしかなく、犠牲にしたものの為にもその意志を貫くべきだ。彼女はそう言いたかったのだろう。
ネガティブ思考から引きずりあげてくれた彼女にニコラスは感謝した。
その後ラジオを聞きながらコーヒーを飲んでいた二人だったが(茶々丸は洗い物)ふとエヴァがニコラスに聞いた。
「そういえば……こんなカードを持ってないか?」
懐から二枚のカードを取り出して言う。ニコラスはそれを見て今朝胸に入っていた二枚のカードを思い出した。
「あ~、何処置いたかのう……」
席を立って寝室に入り、先日着ていた上着を漁る。そこでカードを見つけて、
…………昨夜のことを思い出した。
思わず、柔らかかった……と飛びかけた意識を無理矢理戻す。
「って違うやろ自分?!」
「何が違うんだ?」
「うおぁ?!」
「? あるじゃないか。それについて説明するからダイニングに来い」
そう言ってエヴァは戻ってゆく。しばし硬直していたニコラスだったが、
「ワイが意識しすぎなのかのう? とりあえず、行くか……」
ダイニング兼居間にニコラスは向かった。
●
「きたか。早速だがこのカードは仮契約カードという。お前も契約に関しては聞いているだろう?」
「ああ。魔法使いとそれを補佐する従者、その間にある魔法的関係やろ。で、仮ってどういう事や?」
「本契約に比べて制約は多いが多人数と契約できるのが仮契約だ。魔力供給なども制限付きだが契約の際にアーティファクトと呼ばれる魔法具が付加される」
「アーティファクト?」
「実際に見た方が早いだろうな。ニコラス、そこに立って自分の絵が描かれたカードを持ち、こう言ってみろ。『アデアット』、と」
ニコラス二枚のカードを見る。片方はエヴァが書かれており、左右に茶々丸とチャチャゼロを、背後に人形を多数従えている。もう一枚はニコラスがパニッシャーを前に構えている絵だ。見ていると少し恥ずかしい。
とりあえず言われたとおりに立ち上がり、カードを持って言ってみる。
『アデアット』
カードが光り、手にはいつの間にかパニッシャーが握られていた。彼は思わずエヴァを見る。
「やはりお前のはソレだったか。使えるかどうか試してみろ」
言われたとおり起動させると彼が持つものと全く同じ感触が返ってきた。感嘆の声を上げるニコラス。
「凄いのう。全くワイのパニッシャーと同一やで」
「アーティファクトには何かしら特殊能力があるが……む、どうした茶々丸」
「いえ、あのパニッシャーはアーティファクトではありません」
「なんだと?」
ニコラスも茶々丸を見た。茶々丸は部屋の一点を指して言う。そこにはベルトと布が小さな山を作っている。
「洗い物が終わり此方の部屋に来ようとした所、壁に立てかけられたアレが光り消滅しました。質量の違いは0.1%、その他観測機の結果も加味して現在ウルフウッドさんが持っている物はあそこにあったパニッシャーと同一の物と判断できます」
事実、あったはずのパニッシャーはない。つまり、何らかの手段であったところから彼の手に送られたものだということになる。
ニコラスは持ち運びに便利になったと思ったが、エヴァが焦る。
「ニコラス、何か今まで持ってなかった物はないか? 恐らくそれがお前のアーティファクトだ」
「持っとらん物の言うても……ん?」
エヴァに言われて懐を探っていたニコラスは在る筈のない物の感触を感じた。それを取り出して机の上に置く。
それはホルダーに納められた五つの試験管を短くしたようなもの。材質は解らないがガラスではないだろう。中には液体が入っている。
その内の一本をエヴァが手に取りしげしげと見る。
「これがそうなのか?」
「ワイに覚えはない」
「ならこれが本来のアーティファクトだな。見た所薬品のようだが……効力に心当たりは?」
「………………」
「ニコラス?」
黙っているニコラスにエヴァが話しかける。ニコラスにはそれは見覚えがあるどころか、効力すら知っていた。
だがそれをぼかしてゆっくりと口を開く。
「これは……回復薬やな。昔に似たような物をを知っとる。かなり強力な奴や」
「そうか。だがこの手のアーティファクトは回数が決まっているだろうな……恐らく使ったらそれまで。他人にも使えないだろうな。使いどころを間違えるなよ?」
「わかっとる」
そういってニコラスはそれを懐にしまった。
エヴァはカードの他の機能を説明した後帰って行った。彼女達が帰った後、ニコラスは自身のアーティファクトである薬を見やる。
この薬はエヴァには強い回復薬だといったが本質は違う。
かつて彼が所属した『ミカエルの眼』に所属する殺し屋達が持つ薬で効力は肉体損傷の回復。
それも命を代償にしての回復だ。
代謝機能の強制促進により短時間で肉体損傷を癒すこの薬。五本しかないのはそれ以上必要ないからである。
四回。それがギリギリのラインだ。
五回目を投薬すれば、彼は人づてに聞いただけだが……回復するが僅か数分で肉体が限界に至り死ぬ。最後の抵抗のための五回目なのだ。
彼はそれを懐に収めて消した。タバコに火を付けて紫煙を胸一杯に吸い込み、吐き出す。
煙が溶けてゆくのを見ながらニコラスは呟いた。
「何処までも、忌まわしき過去はついて回る、か」
修学旅行まで後一週間。いつもと変わらない筈のタバコはいつもより苦く感じた。