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ファントム・ブラッド(3) 箱庭の満月(後) 投稿者:毒虫 投稿日:06/07-22:06 No.690



「ぐっ……」 

クラスメイトに蹴られた頬を押さえ、吸血鬼……エヴァンジェリンは呻いた。 
もう少しで長年の悲願が達成される所だったのに…!まさか、『こちら側』に深く踏み込んでいない筈の神楽坂明日菜に邪魔されるとは。 
何だかよく分からない清掃員モドキといい、馬鹿力のクラスメイトといい、不確定要素が混じりすぎた。 
本来の力のほんの一部も使えない今、これ以上戦闘を続けるのはよした方がいい、と判断する。 
神楽坂明日菜は従者の茶々丸に任せるとしても、魔法薬を全て失った状態でネギを相手取るのは危険だ。 
体術その他にはそれなりの自信があるが、流石に生身で、これといった策もなく、半人前とはいえ魔法使いに挑もうなどとは思わない。 

「よくも私の顔を足蹴にしてくれたな、神楽坂明日菜……。お、覚えておけよ」 

三流役者っぽい捨て台詞を残すと……戸惑う事なく、エヴァンジェリンは屋根から身を投げた! 
それに付き従い、茶々丸もふわりと地面から足を離す。神楽坂明日菜が制止したようだが、聞いてやる必要はない。 
それなりに高度を下げたところで、ジェットを起動させた茶々丸に掴まる。その腕に腰を落ち着けると、まだ痛む頬を押さえる。 

「思わぬ邪魔が入ったが……ぼーやがまだパートナーを見つけていない今がチャンスである事には変わりない……。 
 覚悟しておきなよ、せんせ――ぷあぁっ!?」 

せっかくのキメ台詞が、急に旋回した茶々丸に驚き、舌を噛んでしまう。 
相当痛かったらしく、涙目で茶々丸を睨み、無言で責める。 
心なしか困ったような感情を目に浮かばせ、茶々丸は眼下を指差した。 

「マスター、何者からかの襲撃を―――――感知しました」 

言葉の途中で、素早く空いている方の手を動かす。 
掌を開くと、そこには何の変哲もない、小指の爪ほどの小石が。エヴァンジェリンの眉がひそめられる。 

「投石だと? フン……随分、私もナメられたものだな」 

「いえ、それが…」 

ひゅご、と風を切る音。ジェットを逆噴射させ、茶々丸は咄嗟に後ろへ避けた。 
危うく落ちそうになったエヴァンジェリンが、慌てて茶々丸の首に手を回す。 

「ええい! 投石ぐらい、払い落とせばいいだろう! 落ちたらどうするっ!? 今は、飛べないんだぞ私は!!」 

「申し訳ありません、マスター。 
 しかし……今の攻撃を払い落とすか、掴み取ろうとした場合、高確率で私の手が破損するものと判断しました」 

「なに…?」 

茶々丸の耐久性は結構なものの筈だ。たかが投石ぐらいで破壊されたりはしない。 
となると、先程の、一握りほどのつぶてには、相当量の気が込められていたのだろう。 
モノに気を込める攻撃が得意な……といえば、状況的にあのふざけた清掃員を思い出す。 
あの清掃員、頭はどうかしているが、実力だけは大したものだ。今の状態で戦いたい相手ではない。 

「今日は疲れた。茶々丸、できるだけ高度を上げろ。さっさと帰るぞ」 

「はい、マスター」 

意地でも『逃げる』と言わないのが彼女らしい。 
主に従い、茶々丸は高度を上げた。月が近い。いくらなんでも、ここまで攻撃は届くまい……と、安心していたのだが。 

「ば、馬鹿な!!」 

ふと眼下を覗いてみれば、こちらに向かって真直ぐ飛んでくる、子供の頭ほどもあろうかという石。というか、小さい岩。 
ハルクか奴は!?など思いつつ、慌てて叫ぶ。 

「避けろ、茶々丸!」 

「はい、マスター」 

岩がこちらに届くまで、まだ若干の余裕がある。 
軌道を予測し、茶々丸はあくまで冷静に距離を取った。 
ほどなくして、物凄い勢いで飛んで来る岩。 

「フン……。ここまで飛ばしたのは褒めてやってもいいが、いかんせん狙いが粗すぎたな。 
 奴もなかなかやるようだが、やはりこの私には敵うまい」 

ハーハッハ!と高らかに哄笑する。 
岩は今まさに、二人の脇を通過……するかと思いきや、何と、岩は中空で爆発した! 
爆風に混じり、大小のつぶてが二人を襲う! 

「なっ……くあぁッ!!」 

「! マスター!!」 

爆風と、たっぷり気の練り込められたつぶてを横ッ面に喰らい、エヴァンジェリンはたまらず吹っ飛ばされた! 
速やかに茶々丸がキャッチするが、撃墜されなくとも、エヴァンジェリンがダメージを負ってしまった事には変わりない。 
茶々丸が咄嗟に庇ったのが功を奏したのか、エヴァンジェリンに岩の欠片が刺さっているという事はなかった。 
その事実に茶々丸は安心するが、その分、彼女自身が負ったダメージは大きい。 
流石に機能停止に追い込まれるほどのものではないが、少なくとも戦闘能力は大分削られた。 
本来なら、何を差し置いてもアジトまで逃げ帰るところなのだが…… 

ひゅごお!風を切り、また投石が再開される。 
幸い、今のは砂利程度のものだったが、また大きいのが来るのかと思うと…。 

「マスター……」 

「…分かっている。まともに障壁が張れない今、またアレを喰らうと致命的だ。 
 降りるぞ、茶々丸。今の状態で、正直、どこまで戦えるか疑問だが……空を飛んでいては、いい的だからな」 

苦い表情を隠す事もなく、悔しげに命じる。 
主に従い、なるたけ速やかに高度を下げていく中、幸い、これといった攻撃はなかった。 
ズシャ、と着地し、辺りを見渡すが……狙撃者の姿は見当たらない。 
苛立たしげに、エヴァンジェリンが吼えた。 

「面白くないぞ! 姿を現して戦え!!」 

要求に応えたのか、何か考えがあったのか、近くの植え込みから、人影が飛び出した。襲撃者だ。 
闇夜に隠れ、姿は判然としないが、誰であるか予想はつく。 

「随分と味な真似をしてくれるじゃないか……」 

ロクに魔力が使えないとはいえ、自分がここまで追い詰められたのは久し振りだ。 
そうでなくては面白くない、とエヴァンジェリンは不敵に笑う。 
…雲に隠れた月が姿を現し、月光が襲撃者の正体を明らかにする。エヴァンジェリンの隣で、茶々丸が硬直した。 

「あなたは……」 

「ん? なんだ、知り合いか?」 

主に訊かれるが、茶々丸は答えられない。 
清掃員の制服。似合わない眼鏡。そしてあの顔。間違いない。あの清掃員の青年だ。 
…しかし、昼間見た時とは、その印象は全く違っている。あの優しげな微笑はなく、その代わりに、射抜くような厳しい視線がこちらに向けられている。 
そう、清掃員の青年からは、明らかな怒気が立ち昇っていた。無理もない。自分達は、それだけの事をしたのだから。 
もう二度とあの笑顔を見る事は、自分に向けられる事はないのだろう。そう考えると、全身が重く感じられる。機能が著しく低下しているのだろうか。 
彼もこちらに気付いたようだ。驚いたようだが、それでも怒りの気配は消えない。 

「君は……その子の仲間だったのか」 

「………」 

答えられない。それどころか、視線を合わす事さえできない。 
怒っているのだろうか。軽蔑しているのだろうか。あるいは、失望しているのだろうか。 
いずれにせよ、清掃員の彼が、その類の感情を自分に向けている。その事実が恐ろしい。 
何が起こっているのかイマイチ事態を把握できていないエヴァンジェリンが、不愉快そうに眉根を寄せた。 
自分だけが蚊帳の外になっているのが気に食わないのだろう、苛立たしげに舌打ちする。 

「何か事情があるようだが……まあ、貴様らがどんな関係であろうが、私の知った事じゃないな。 
 おい貴様。この私の身体に傷をつけた事……地獄の底で永遠に悔やみ続けるがいい。やれ、茶々丸!!」 

「………」 

ビシッ!と清掃員を指差すが、茶々丸が動く気配はない。 
不審気に、エヴァンジェリンが茶々丸の顔を覗き込む。 

「…茶々丸?」 

「………はい、マスター」 

そこでようやく、茶々丸は構えを取った。 
いつもとは様子の違う茶々丸に、エヴァンジェリンは少し不安になる。 

(まさか、さっきの投石で負ったダメージが、私の思った以上に大きかったのか…? 
 事実上、今の私では大した戦力にはならんし……このまま戦うのは危険すぎるか) 

そう判断する。 
しかし、大人しく逃がしてくれる相手とも思えない。 
せめて、次の満月ならば……と歯噛みするが、どうしようもない。 
何か策を……と考えていると、何やら清掃員に動きが。 

「なあ……そこの子供吸血鬼」 

「子供言うなっ! くびり殺すぞ!!」 

凄んでみるが、清掃員に怯む様子は見られない。 
それどころか、むしろ怒気が強まって来ている。 

「お前に蹴られた大事なトコがなぁ……まだジンジン痛むんだよこの野郎ッ!! 
 使いもんにならなくなったらどうしてくれんだコラァ! お前が思ってる以上に切実な問題なんだぞ!? 
 まだ、数える程しか使った事ないのに! って余計なお世話じゃボケェーッ!!」 

「な、な……!?」 

ムキーッ!と錯乱する清掃員。対応に困るエヴァンジェリン。 
茶々丸も、先程のシリアスな展開から一転、新喜劇的マヌケ空間に放り込まれ、どうしていいか分からない。 
混乱する二人をよそに、清掃員の迷走は続く。 

「せっかく、人が器のデカイとこ見せてやったってのに、そのお礼が金的ってか! ざけんじゃねーぞッ!! 
 男がアソコ蹴られて、どんだけ痛いのか分かってんのか? あぁ!? 
 痛いだけじゃなく、吐き気をもよおしたりもして、まさにこの世の地獄って感じなんだぞコラァ!! 
 分かったら、きちんと頭を下げて謝れ! 『ごめんなさいお兄ちゃん』って謝れッ!!」 

「いや、謝るのはともかく、何故にお兄ちゃん……」 

「オプションぐらい付けさせてくれたっていーだろ!?」 

「何の話をしとるかー!!」 

どこからか取り出したスリッパで、パシーン!と清掃員の頭をどつく。 
大して痛くもない筈だが、大袈裟にリアクションする清掃員。 
茶々丸は完全に取り残され、妙に盛り上がっている二人をぼーっと眺めている。 

「な、ナイスツッコミ…! お嬢ちゃん、俺と天下を狙わないかっ!?」 

「狙うかっ!!」 

パシーン!と、もう一発。 
いてて……とわざとらしく頭をさすると、次の瞬間には、清掃員の表情に真剣さが戻っている。 
先程までのおちゃらけた態度とのギャップに翻弄され、エヴァンジェリンは対応に窮した。 

「さて、冗談はこんぐらいにして……ちょいと、真面目な話をしようか」 

「話、だと…?」 

眉をひそめる。 
自分は吸血鬼で、実際に被害を受けた人間がおり、更に相手は退魔師。 
この状況で、一体、何の話をしようと言うのか?少し、興味がそそられる。 

「こっちとしても、まあ仕事だから、そういうつもりはなかったんだが……」 

ちら、と清掃員の視線が茶々丸に向けられる。 
ぴくりと僅かな反応を示しただけで、茶々丸は清掃員の方さえ見ない。 

「ま、色々、やりにくいつーかさ、事情があるわけだよ。 
 んで、まずは話でも、と思ったんだけど……今日はもう遅いし、明日にでも一席設けたいんだけど、どう?」 

「ふむ……」 

アゴに手を添え、思案する。 
普通に考えるなら、その間に入念に策を練り、準備を済ませ、捕縛か殲滅するといったところ……要するに罠だろう。 
しかし、今戦っても、正直こちらの勝ち目は薄いのだ。わざわざこちらが態勢を整える暇を与えておくなど、何の意味があるのか。 
かと言って、馬鹿正直に、まさか話し合いで解決するような人間にも見えない。戦い方からして、奴は相当の曲者だ。 
自分さえ考え付かないような、何か突拍子もない思惑があるのか……?そう考えると、俄然興味が湧いて来る。 
下手を打てばこちらの身が危ういのだが、日常持て余し気味の暇を、錆び付かせがちな頭脳を、ここまで刺激してくれる存在も久しい。 
サウザンドマスターの息子に、次の言動も読めない、素性も全く謎の清掃員。 

(ジジイめ、今年は随分とサービスしてくれるじゃないか……) 

ニヤリ、と心底愉しげに口許を歪める。 
いつもの余裕を取り戻すと、エヴァンジェリンは清掃員へと向き直った。 

「いいだろう。話し合いには応じてやる。 
 が、今日の戦いで、茶々丸にメンテナンスの必要が出て来た。それも今日明日には終わらんだろう。 
 こちらの準備が整い次第、連絡を寄越すから待っていろ。場所は……そうだな、私の家でいいだろう」 

自宅の中であれば、魔力を封印されているといえども、色々とやりようがあろう。マジックアイテムも各種取り揃えてある。 
この清掃員もかなりの遣い手だろうが、流石に敵地の只中では、そう自由に動く事もできまい。 
しかし、さすがに自宅というのはあざとすぎたか?と清掃員を見やるが、何故か彼は頬を染めて身をくねらせていた。 

「い、いきなり家だなんて、そんな大胆な……。アタシ、まだ心の準備がっ♪」 

「何を考えとるかバカモノーッ!!」 

パシーン!本日三発目のスリッパ。 
いい加減先が読めそうなものだが、清掃員はまだ懲りていなかった。 

「何って……ナニしかないじゃんか、もう! 大人しそうな顔して、意外と大胆だなぁ! この、お・ま・せ・さ・ん♪」 

「……シイィッ!」 

ニマニマと緩い笑みを浮かべて肘でつついていくる清掃員の鼻面に、思い切り鋭いストレートをブチ込む。 
げぼぁ!?とカエルが踏み潰されたような声を上げると、倒れ伏し、清掃員はぴくぴくと痙攣を繰り返す。 
その頭をさらにぐりぐりと踏みにじり、周囲の地面がどす黒い朱色に染まり切ったところで、エヴァンジェリンはようやく飽きた。 

「ふう。帰るぞ、茶々丸」 

「…………はい、マスター」 

心配そうに、ぴくりとも動かなくなった清掃員を見やる茶々丸だったが、結局主人には逆らえない。 
二人が去った後には、今にもカラスが集まって来そうな清掃員だけが残された。 



「……あー、久々に効いたなー」 

しばらくして、何事もなかったかのように起き上がる影ひとつ。 
事情を知らない人間が見たら、死体が起き上がったようにしか見えなかっただろう。 
動く死体は、首の骨をポキポキと鳴らすと、憂いを秘めた瞳で、空に輝く月を眩しそうに眺める。 

「しっかし……幼女に踏まれるってのも、意外と…」 

真性の変態だった。 

裏方稼業 ファントム・ブラッド(4) メカニカル・ハート(前)

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