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京洛奇譚(12) 手に入れた力 投稿者:毒虫 投稿日:09/13-23:19 No.1251




『ラブラブキッス大作戦』にて見事カモの本願が成就した、その明くる日。 
朝食が終わった後から完全自由時間となるのだが、横島達はネギの部屋に集合していた。 
昨夜、ネギと横島の間で結ばれた仮契約についての説明会だ。本来なら鶴子も出席してしかるべきであるが、刹那の心情を考えて欠席となった。 
先程からカモが延々と仮契約(パクティオー)カードについて講釈を垂れているのだが…… 
肝心の横島は、部屋の隅に向かって体育座りし、虚ろな目をして何やらぶつぶつと呟いているばかり。かなり精神を病んでいるようだった。 

「キス……男とキス……男と……相手はガキでセーフかと思ったら、よく考えてみりゃショタコン…… 
 ショタコン……俺がショタ……もはや、俺はロリコンじゃねぇーとか言ってる場合じゃない……想定の範囲外…… 
 しかも、なんか金髪の子に正式にライバル認定された……ヤツもショタ……強敵と書いてともと読む……嬉しくねぇー…… 
 そんでその後、眼鏡の子に漫画見せられた……なんか、俺とボウズがマッパでイチャイチャしてた……有害図書だった……飛びてェ…… 
 ホモでショタ……2重苦……復帰は絶望的……社会不適合者……ブタ箱まっしぐら……お先真っ暗……う、うぅぅぅぅぅ……」 

ついには、さめざめと泣き始める。 
皆はそれぞれ気まずげに顔を見合わせるものの、かける言葉が見つからない。 
特に事態の張本人であるカモと和美は、ちょっと調子に乗りすぎたかな……と冷や汗を流している。 
放っておけば自殺まで考えかねないほどの負のオーラを背負う横島。このままだと、とても仕事にならないだろう。 
そう判断して、刹那はそっと横島に歩み寄り、肩を叩いた。 

「あ、あの……げ、元気出してください」 

「ああ~ん? ホモでショタ確定な性犯罪者予備軍のボクに何か用ですかー? 
 ああ、あんまり近寄ると妊娠したりヘンな病気がうつったりするだろうから注意してくださいねー」 

完全にいじけている。 
死んだ魚の如く濁った瞳を向けられ、刹那は狼狽した。まさかここまでヘコんでいるとは。 
何か言わなければ、何かフォローを、と焦るあまり、刹那は何も考えないまま、勢い任せに口を開いた。 

「だ、大丈夫です! あなたは同性愛者などではありません! 
 だ、だってほら、この間、私の裸に欲情していたじゃないですかっ!!」 

浴場で欲情、なんちゃって!と、刹那らしくなく寒いギャグをかますが、返って来たのは全員分の沈黙。 
地滑りどころか土石流並みの勢いでだだスベり、刹那はぶわっと冷や汗を流す。関西出身の人間として、これほどイタい事はない。 
しかし、皆の沈黙の理由は、どうやら刹那の放ったギャグのせいではないようで…… 

「は、裸って、アンタたち……い、いつの間にそんな関係に……!?」 

「よ、横島さん! 僕の生徒に手を出すなんて……ヒドイですよ!!」 

『さすが横っち、手がはえーぜ! 俺っちも見習いてぇもんだなッ!』 

「ス、スクープだわ! 剣道少女と修学旅行先の添乗員のひとときのアバンチュール! 
 京の山に燃え上がる恋の大文字焼き(意味不明)! 露天風呂での深夜の逢瀬! 売れる! これは売れるわっ!!」 

「お、俺はショタじゃないけど、ロリでもねぇーーーーーーっっ!!!」 

「えっ!? あっ、いやっ! そ、そんな意味で言ったのでは! ご、誤解です! 誤報ですぅぅぅっ!!」 

大混乱。大喧騒。朝もはよから元気な連中である。 
…しばらくして騒ぎが収まると、流石に横島も落ち着いたようで、今では昨日の事も、野良犬に噛まれたものとして諦めがついた。 
野良犬扱いされて内心不満なネギだったが、またいじけモードに入られてはたまらないので、渋々口をつぐんでいる。 
余計な時間を食ってしまった、と残り時間を気にしつつ、カモは足早に仮契約カードについての説明を終わらせた。 

「あ~……つまり、仮契約を交わす事で、魔力が供給されたり、念話が可能になったり、なんか便利グッズが出せるようになるんだな?」 

『ま、大まかに言うとそんなトコだ。手許にカードがなけりゃダメだけどな』 

ふうん、と頷きつつ、横島は渡されたカードを観察する。 
何語かよく判らない文字が刻まれていて、真中に人物が描かれているのだが……何故かシルエットになっていて、何の事だか分からなかった。 
スカカードでさえ何らかのコスプレのような装いをしているという話なのに、自分だけ顔さえ判別できないただの影。納得がいかない。 
むう……と横島は眉をしかめる。カモもここで初めてカードの内容を目にし、困惑の表情を作った。 

『な、何だこりゃあ? 横っちのシルエット、なのか…? 
 こんなもん初めて見たぜ。つーか、アーティファクトもなんも分からねぇな。 
 字は普通に読めるんだが……称号は、と。なになに、『誰かのヒーロー』……? なんだこりゃ?』 

誰かのヒーロー。何とも曖昧で思わせぶりな称号だ。 
内心、カモは『地上最強の助平』あたりではないかと思っていたのだが……予想が外れて逆に安心である。 

「『誰かのヒーロー』……。何か意味深な感じですね。横島さん、何か心当たりでも?」 

「ん? ん~……さあ、どうなんだろね?」 

興味深げに訊ねてくる刹那を曖昧にはぐらかすと、横島はぽりぽりと頬を掻いた。 
ヒーロー。自分には全く似つかわしくない称号だと心底思う。『誰かの』と前置が付いている分まだマシだが、正直、照れくさい。 
後先顧みず熱血した経験など、横島にそうそうあるわけでもなく……心当たりがあるとすれば、今はもう思い出になったあの事件ぐらいだ。 
あの時は実力差など全く考えもせず、ただヤりたい一心で魔神に喧嘩を売ってしまったが、それも一般的なヒーロー像とは程遠いように思う。 
まあ、『誰か』のために命を懸けて戦ったのは確かなのだが。 

ネギなどは、ヒーローという単語に気を取られ、横島さん凄いですっ!と、何やら尊敬の目で見詰めてくるが、その期待には応えられそうにない。 
今の横島は、自分が一番大切なのだ。正確には、自分の命が。彼女の未来を孕むこの命を、何としてでも守っていかなければならない。 
死にたくなければ戦わなければいいのだが、戸籍もクソもないこの世界では、横島は戦う事でしか飯を食えない。 
生きるために他者の命を奪い続ける。これがどうしてヒーローと形容できようか。 
自嘲めいて口を歪める横島に何かを感じ取ったのか、カモは殊更明るい声を出した。 

『…ま、物は試しだ! 横っち、実際にカードを手にとって、アーティファクトを呼び出してみようぜ!』 

「あ、おお。やってみるか!」 

頷くと、ネギから複製カードを受け取る。 
教えられた呪文はごく簡単だった。これならいかに横島でも間違えようがない。 

「アデアット!」 

唱えた瞬間、横島の腰のあたりがパァッと光った。 
光が収まってみれば……服の上から、腰に何やらメカメカしいベルトが巻かれている。 
何となく懐かしげなデザインだなあと思いながら、横島はベルトを撫でてみた。ゴツい。 

「『誰かのヒーロー』にこのベルト、ねえ。つーことは、やっぱアレだよな?」 

「変身ベルト、でしょうね……」 

戸惑いがちに首をかしげながら、刹那。 
変身ベルト。二昔前の昆虫系変身ヒーローには決して欠かせないアイテムだ。直撃世代でないとはいえ、刹那もそれぐらいの知識はある。 
しかし……何故に仮契約のアーティファクトにそんな代物が。横島忠夫とヒーロー。点と線が全く繋がらない。 
一方、横島とヒーローと聞いてピンと来るメンバー、ネギは期待に表情を輝かせ、明日菜は疲れたように頭に手をやった。 
思い出すのも嫌だが、ヒーローと言えば対エヴァンジェリン戦の際に見せた変質者丸出しのアレなのだろう。まさかここに来て再臨とは…。 
己の視力の良さと、こういう余計なものに限って発揮される記憶力を呪う明日菜を差し置き、元来露出癖のある横島は内心ワクワクしていた。 
俺の体は美しい!とか、そういう歪んだナルティシズムは持ち合わせていないが、人前に肌を晒すのには、何かこう名状しがたい快感を覚えるのだ。 
そのまま人通りの多い往来に飛び出し、力の限り『フリーダーム!!』と咆哮したくなってくるような。 
善(?)は急げとばかりに、横島はノリノリでそれっぽいポーズをキメた! 

「変ッ身ッ! とおーーうッ!!」 

丁寧にジャンプまでしてみせるが……外見に全く変化なし。何やってんだこの馬鹿は。凍てついた空気が流れる。 
頬に冷や汗を伝わせ、横島はあれれと小首をかしげた。全く可愛くない。視線の温度が更に下がった。 
特に刹那の眼光からは殺意すら感じられる。お嬢様の護衛という重要極まりない任務なのに、何をふざけているのか。そう言いたげな。 
流石にいたたまれなくなったのか、宙を見据えて自分にしか見えない妖精さんと語り始めた横島に、カモは忠告した。 

『横っち横っち、何か説明書っぽいのも一緒に出てきやがったから、まずこっちを最初に見ようぜ』 

「お、おお、そんな便利なもんがあったのか! ったく、先に言ってくれよぅ」 

ばいばーい、と妖精さんに手を振ると、横島はカモから説明書を受け取った。中を確認する。 
まず、『ぼくがかんがえたへんしんひーろーべると』と人とおちょくったようなフォントで書かれている題名はすっ飛ばす。 
使用方法の欄だけを見てみると、やはりと言うべきか、微妙に細かい制限がかかっていた。 

ひとつ、変身は隠れて行うべし。(誰かに見られていたとしても、本人がそうと気付かなければセーフ) 
ふたつ、変身はそれっぽいポーズを決め、恥も外聞も捨て、それっぽいフレーズを力の限り叫ぶべし。 
みっつ、友情パワーは無限大。煩悩パワーも無限大。 
よっつ、武士道はシグルイなり。 

――と、これくらいか。あとは『保管する際は直射日光が差し込まないところに…』とか、『お子様の手の届かないところに…』とかそんなんだ。 
男の魂をくすぐるアイテムだが、何とも使用を持て余す代物に、横島は複雑そうな表情を浮かべた。 

「ううむ……。 やっぱ、そう簡単にゃあヒーローは名乗れないって事か?」 

『まあ、使用制限があるってこたァ、その分強力なアイテムなのかもしれねぇやな。 
 本来なら、その性能を確かめときたいトコなんだが……時間的にそう悠長もしてられねぇか』 

今は各班自由行動出発前の時間を割いているだけだ。あまり暇はない。 
『アベアット』と唱え変身ベルトを仕舞ってから、横島は気を取り直すように口を開いた。 

「ま、不本意ながらボウズのパートナーになっちまったって事は、俺は親書の方に回る事になるな。 
 んで、オデコちゃんはやりづらいかもしれんが……鶴子さんと組んでもらう。仕事だからな、我慢してくれよ」 

「……了解しました」 

苦渋に満ちた表情だが、刹那はしっかりと頷いてみせた。 
同じ神鳴剣士という事で、互いの手の内は分かっている事だろうし、連携も取りやすい筈だ。 
横島というオールラウンダーが護衛から外れたのは刹那にしてみれば痛いのだが、経験の足りないネギにはむしろ丁度いいのかもしれない。 
理屈は理解している。この組み合わせが、最も双方のためになるものであると納得できるからこそ、刹那は頷く事ができた。 
しかしまだ振り切れていない様子の刹那に、横島は苦笑して軽く頭に手を乗せた。 

「そんなに気張らんでもいーよ。鶴子さん、木乃香嬢と面識ないそうだから、べったりくっついて護衛する事はないだろうし。 
 多分、気配を消して、人ごみに紛れた形で周囲を警戒するんだと思う。何にせよ、直接顔を合わす機会はそうないだろ。 
 …何度も言うけど、そもそもあの人、別に怒ってるわけじゃないしな。もっと気楽に構えて大丈夫だって」 

「で、ですが……」 

「とにかく、木乃香嬢が出発したら、鶴子さんも鶴子さんで独自に動き出すから、挨拶とかはいいってさ。 
 でも、流石に襲撃されたりした際には、きちんと連携取るんだぞ」 

「それは……言われずとも承知していますが…」 

ならいいんだ、と満足気に頷くと、横島は刹那の頭から手をどけた。 
事の成り行きを見守っていた面々を見渡すと、少し真剣な顔を作る。 

「じゃ、あんまり待たせて勝手に出て行かれても困るし、そろそろ準備しようか。 
 しっかし、ムカつく事にボウズは引っ張りだこみたいだから、一緒にいて目立つのも困るな……。どっか適当な場所で落ち合うか」 

はいっ、と元気良く頷くネギ。パートナーができて浮ついているのか。 
横島は、思わず殺意の波動に目覚めそうになったが、寸でのところで思いとどまった。 

これから各自私服に着替えて出発、という流れになるのだが…… 
解散ムード漂う中、明日菜は憤然と立ち上がった。 

「ちょっと待ちなさいよ!!」 

皆が皆、ポカーンと一人憤る明日菜を見上げる。 
どうしたんだコイツ、と若干引き気味になるが、明日菜の昂奮は冷めやらない。 

「なんか意外な展開になってうっかり忘れちゃってたけど、ネギ! アンタ、あたしとの契約はどうなったのよ!?」 

「「「「あ……」」」」 

そうだった。皆、すっかり忘れていたが、そもそも、ネギと仮契約を結ぶ相手は明日菜の筈であった。 
それが、カモが欲を出して和美とつるみ、妙な計画を打ち出したあたりから、いつの間にか蚊帳の外に置かれていたのだ。 
折角、親友のために戦う覚悟を決めたのに、それを忘れられていたのでは、こうして激憤するのも無理はない。 
自分のせいではなかろうが、申し訳なさそうにしているネギ。カモは気まずそうに頭を下げた。 

『いやあ……なんか色んな事がありすぎて、うっかり忘れちまってたぜ。悪かったな、姐さん』 

「それはいいから、ホラ! さっさと契約結ぶわよ! 時間ないんでしょ!?」 

早く準備しなさいよ!と急かす明日菜だが……カモはそれに応えず、冷や汗を頬に流すと、明後日の方向に視線を向けた。 

『あ~……そ、それなんだけどな、姐さん。 
 実ァ、その……昨日、ちょいと調子に乗りすぎちまって、あんなデケェ魔方陣描いちまったろ? 
 アレのせいで、もう魔力残ってねえんだわ、これが……。いや、マジですまねぇ。勘弁してく…ふぎょお!?』 

「こ、こンのクソオコジョがぁ~~……!!」 

まるで雑巾を絞るように、明日菜はカモをひねり上げる。 
な、中身が!中身がーッ!?と悲痛な声が上がるが、明日菜に容赦の色は一切見当たらない。 
カモの口から、エクトプラズムと共に出てはいけない何かが顔を出し始めたところで、ようやく明日菜はカモを解放した。 
床に打ち捨てられたカモは、白目を剥いて時折ビクンビクンと痙攣している。が、見慣れた光景なのか、特に心配する者はいなかった。 
特に横島など、ざまあみろと言わんばかりに暗い笑みを浮かべている。実は相当根に持っていたようだ。 
絶賛放置プレイ中のカモは捨て置いて、話は進む。 

「まあ……そういうわけだから、木乃香嬢に何かあっても、嬢ちゃんは自重してくれよ。 
 友達が危険な目に遭うのを見過ごせないって気持ちは解るが、俺達の仕事を増やすような事になりゃ、本末転倒なんだからな?」 

「け、けど…っ!」 

「すいません、神楽坂さん……。 
 正直なところ、何かあっても、私はお嬢様をお守りするのに手一杯で、あなたの事まで手が回りそうにないのです。 
 というより、その、むしろ……」 

言いにくそうにしている刹那を目にし、明日菜は肩を落とした。 
言葉にされなくとも、刹那が何を言いたいのかぐらい察せる。要は、足手纏いだから勝手にしゃしゃり出てくるな、という事だろう。 
親友を守ると大口叩いておきながら、実際は、守るどころか守られる立場にある。それの何と不甲斐なく、口惜しい事か。 
仮契約を結べなかったのは、直接明日菜の責任ではないのだが……しかし実際、刹那はそんなものをせずとも戦っている。 
頭では分かっている。それは、彼女が幼い頃から、木乃香を守りたい一心で、恐らく自分などには想像も浮かないような厳しい鍛錬に励んで来たからだ、と。 
腕力にはそれなりの自信があるものの、まともに実戦経験もない人間など何の役にも立たない事ぐらい、誰に言われなくとも分かっている。 
そしてスカとはいえネギと仮契約を結んでいても、命の奪い合いに発展するかもしれない戦いに身を投じるにはあまりにも力が足りない事も。 
しかし。しかし、納得できない。事情を知りつつも、親友のために何もできない自分がいる。その事実が何より腹立たしい。 
俯いて拳を握り締める明日菜を、ネギが心配そうに覗き込んでいる。今はそれに応える事もできそうになかった。 
…場の重い空気を払拭せんと、言葉を選びながら、おずおずと横島は口を開いた。 

「なんつーか、その……そんなに気を落とすことない、と思うぞ? 
 そりゃあ、実際に矢面に立って戦うってのが一番、何かを守ってるって実感できるかもしれないけど、何もそれだけが全てじゃないだろ。 
 上手く言えないけどさ、もっと別なところから支える事もできるんじゃないか?  
 守るために戦うって言ったら聞こえはいいかもしれんが、戦いってのはすなわち、相手を打ち倒す事なんだ。 
 誰かを傷つける事でしか何かを守れないってのも、悲しい事だと思うけどな、俺は」 

「…………」 

「横島さん…………」 

肝心の明日菜の気分が晴れる事はなかったようだが、刹那とネギは、横島の言葉に何か感銘を受けたようだった。 
戦う事と守る事。特に刹那は感じ入るものがあったのだろう、横島を複雑な感情が混じった瞳で見詰めている。 
らしくない事を言ってしまったと自覚したらしく、あ゛~…、と気まずげに呻くと、横島は乱暴に頭をがりがり掻いた。 

「まあ、戦う事しかしてない俺が言っても、説得力なんてないわけだけども……。 
 それに、もう手は足りてるんだから、嬢ちゃんが無闇に危ない目に遭う事もないだろ。 
 それでも気になるってんなら……そうだな、木乃香嬢を目一杯楽しませてくりゃいいさ」 

「楽しませる……?」 

胡乱げな視線を向ける明日菜に、横島は大きく頷いた。 
実は何の根拠もない思いつき発言だったのだが、何とかこれで押し通さんと、高速に脳内で理論を組み立てる。 
こういう言い訳技術は、昔と比べて無駄に進歩している横島なのだった。 

「ああ。どんなにこっちが気張ったって、木乃香嬢がこれっぽっちも巻き込まれないで襲撃をやり過ごすなんて難しいだろうからな。 
 でも、一生の内に何度もない修学旅行なんだ、嫌な思い出だけを持ち帰らせるなんて事はしたくないだろ? 
 だったら、嬢ちゃんが木乃香嬢を思いっきり楽しませて、この修学旅行に少しでも多く、いい思い出を残して欲しい。 
 ボウズならまた話は別だが、俺やオデコちゃんにはそんな真似、できそうもないからな…。まあそんなわけで、頼めるか?」 

「……………」 

黙考する明日菜。 
横島の言いたい事は解る。直接前線には出ず、陰ながら木乃香を支えてやって欲しいという事だろう。 
戦いばかりが手段ではない。こうした日常の中でも、見えにくい形で誰かを支える事ができる。それは素晴らしい事だと思う。が… 
そんな事、明日菜にとっては言わずもがなだ。木乃香は親友。普段から支え、支えられ、互いに助け合っている。 
横島に言われるまでもなく、明日菜は木乃香に付き合うだろう。従う事しかしようとしない刹那にはできない事だ。 
…それに気付き、少し納得してしまった。このメンバーの中で木乃香と真に対等なのは、やはり自分だけなのだと。 
ネギはこう見えても教師で異性。木乃香はそれを忘れかけているような気がしないでもないが、やはりどこかに壁があろう。 
刹那に関しては、その立場上対等とは言い切れない上に、互いを思い合っているのに妙にギクシャクしてしまっている。 
横島は……まあ、言うまでもないだろう。あまり親しいようならむしろ問題がある。 
そして増援だというもう一人については、明日菜は何も知らないが、それは木乃香とて同じ事だろう。 
このメンバーの中で、木乃香と最も距離が近いのは明日菜なのだ。そんな明日菜がピリピリしているようでは、木乃香も観光を楽しめまい。 
横島の言葉を完全に承服する事は未だ納得がいかないが、それでも明日菜は頷いた。 

「……わかったわよ。あんまり駄々こねてる時間もなさそうだし…。 
 でも、言っとくけど、このかが目の前で襲われても大人しくしてろってのは無理だからね!」 

「そこは大人しくしてて欲しいところだけど……ま、流石にそりゃ酷な話か」 

明日菜はその道のプロでもなければ大人でもない。言っても無駄だろうと苦笑する。 
息巻く明日菜とは対照的に、何だか複雑そうにしている刹那を見やり、青春だねぇ、と呟きながら、横島はパンと手を叩いた。 

「ほんじゃ、話もまとまったところで、そろそろ準備に入ろうか! 急げよ、ちょいと時間もヤバめだからな!」 

各々返事を返し、それぞれの部屋に散らばっていく。 
横島も、落ち合う場所を決めると、すぐにネギの部屋を出て、その足で自室へ向かう。 
ノックしてから入ってみれば、鶴子は目を瞑って正座していた。 

「あの、鶴子さん……?」 

「はい、なんどすか?」 

横島の方を振り向き、ニコリと笑う。 
それで、それまで漂っていた、どこか静謐な雰囲気が霧散する。 

「言ってた通り、俺はボウズの方に付く事になったんで、鶴子さんには悪いんですけど、その……」 

「分かっとります。うちはお嬢の方につけばよろしんどすな? 
 忠夫はんに気ぃ遣ってもらうんは嬉しいけど、うちかて仕事どすから。私情は挟みまへんえ」 

そう言って、事もなげに笑ってみせる。 
刹那に対して思う事もあろうが、確かに言う通り、鶴子はきちんと仕事をこなすだろう。 
妙な気負いも見られないその様子に、横島はほっと胸を撫で下ろした。 

「それじゃ、もう時間も押してるんで……俺は行きます」 

言うと横島は、しゅた、と手を挙げて部屋を出て行った。 
心配事が一つ減り、足取りも軽く廊下を歩く横島を陰から見つめる影一つ。 

(あの人……どこへ行くんだろう?) 

陰から横島を観察しているのは、忘れ物を取りに戻っていた大河内アキラであった。 
偶然横島を見かけ、何となく隠れてみたのはいいのだが……さて、声をかけていいものやら。 
横島も基本的に鈍感な人間であるから、別段敵意のこもらない視線や気配には気付かない。 
声をかけるタイミングを失い、さりとてこのまま見送るのは好奇心が許さず、アキラは何となく追跡を続ける。 
横島が何故か旅館の裏口から出るに至り、アキラは決断を迫られた。さて、進むべきか退くべきか。 
忘れ物を取りに行くと言って友人達を待たせているので、普通ならばこのまま引き返すのが筋なのだろう。 
しかし、謎の清掃員が、今度は添乗員になって、何をなそうとしているのかも非常に気になるところだ。 
しばしの逡巡の後……アキラは、ポケットから携帯電話を取り出した。 

「……もしもし、ゆーな? ごめん、一緒に行けなくなった」 

『え、ちょ、何? どういう事? え?』 

「……ごめん」 

謝りつつも、ロクな説明もせずに通話を切り、そして携帯の電源をも切る。 
裕奈は怒るよりもむしろ心配するだろう。しかし、アキラは既に決心がついていた。 
清掃員……もしかしたら添乗員かもしれないあの男が言う、踏み込んではいけない世界。 
関わるなと言われたそれに、関わってやろうと思う。そして恐らく、今日、今、この時こそがそのチャンスだ。 
アキラを駆り立てているのは、好奇心だけではない。しかし、確かに胸の内にある、この靄がかかっているような感情を何と呼べばいいか、彼女は知らなかった。 

裏方稼業 京洛奇譚(13) 閉鎖空間

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