罪と罰のその先 第一話 『真夜中の太陽』 投稿者:詠夢 投稿日:04/10-15:01 No.272
木々の隙間から零れた月明かりに照らされた森を、一人の青年が駆け抜ける。
茂みを掻き分けて。倒木を飛び越えて。
うっすらと青い光に照らされた森の中をいくには、ひどく目立つ真紅のライダージャケットを纏う青年が。
何かから逃げるようにして、息も荒く走る。
不意に、わずかに開けた場所に出て、彼はすぐ傍の大岩に身を預け、しばらく空気を貪る。
落ち着いてくると、思考にとめどなく疑問が溢れてきて、思わず彼はぼそりと零した。
「…ここは、どこなんだ…!」
彼はそれが知りたかっただけだ。
そして、それを答えてくれそうな人物とも、すぐに出会えた。
だが、その人物は─。
「なぜ、いきなり襲われなければいけないんだ…!!」
「それは貴様が侵入者だからだ。異質な、な。」
返ってこないと思われた声に、彼ははっとしてそちらを見る。
さきほど、自分が来た方向、そこにある一本の木の影から、声の主はゆっくりと姿を現した。
文字通りに『影の中』から。
長く揺れる金髪に、黒い外套の下はどこかの貴族然とした出で立ち。
まるで人形を思わせるような、齢十歳前後くらいのそんな美少女。
そして、彼が最初に出会い、突如として襲ってきた少女。
「ここまでです。」
さらに後ろから聞こえた声に、彼は慌てることなく視線をやる。
予想通り、そこにはどう見ても生身の人間ではない、機械仕掛けの長身の少女が立っていた。
貴族然とした少女が現れた時点で、囲まれているのはわかっていた。
くっと歯噛みして、彼は叫ぶように訴える。
「俺に戦う意志はない!!」
「そうか? だが、そちらに意志はなくとも、こちらに理由があるのでな。」
青年の訴えさえ嘲るように、貴族然とした少女はくっくと喉奥で笑う。
そして、背後に立つ機械仕掛けの少女が、やや抑揚を欠いた声でその後を継ぐ。
「この学園内に侵入した異分子を排除するのが、マスターと私の務めですので。」
「貴様からは強い力を感じる。相当に強い、な。故にこれを看過することは出来んと…そういうわけだ!!」
貴族然とした少女の言葉の最後は、振り上げられた腕とともに歓喜に跳ね上がり。
その指には、何らかの液体が満たされた小瓶が数本挟まれていた。
「く、やるしかないのか…!!」
青年の目が、決意を湛える。
と同時に彼を中心に、彼の足元で青白い光が輪を描いて浮かび上がる。
増大した圧力に、小瓶を構えた少女の目が、さらに嬉しそうに細められる。
そして小瓶は投げつけられた。
小瓶は互いにぶつかり砕け散り、交わる液体に少女の魔力が加わった瞬間。
身を切る冷気の刃が、牙を剥く。
その向かう先は、青い光にメッティカットと呼ばれる特徴的な髪型を煽られ、瞑目する青年。
だが凍てついた空気がその身に届く寸前、その瞳が開かれた。
「来い…アポロ─ッ!!」
青年の呼びかけに応え、彼の内側から”それ”は圧倒的な存在感を伴って浮かび上がる。
紅炎プロミネンスの輝きを宿した衣に身を包んだ、太陽の体現者。
それが腕を振るうとともに焔が踊り、呆気なく冷気の刃は掻き消された。
「ふ…ふはははッ!! 凄いな、よもやここまでの力とは!!」
その結果に少女は哄笑し、今度は両手に魔法薬の小瓶を構える。
背後では、機械仕掛けの少女が、体に搭載されたギミックを起動させつつあった。
だが、彼にとってそれらはどうでもよかった。
堪えきれなくなったように、彼は天を仰いで叫んだ。
「頼む、話を……俺はいったい、どこにいるんだ─!!」
ふたたび、襲い掛かる少女らから青年を守るように、紅蓮の炎が立ち昇った。
◆◇◆◇◆
二時間ほど前。
世界でも有数の規模を誇る学園都市、麻帆良学園都市。
その象徴とも言える大樹・世界樹を臨む広場で、それは唐突に始まった。
小さな光の粒子が、まるで粉雪のように何も無い空間から舞い始めた。
月明かりの中、幻想的な光の乱舞。
その輝きは徐々に増していき、やがてうっすらと人型を作り─。
光が収まる頃には、そこに一人の青年が立っていた。
真紅のライダージャケットの上下で、上着にある体を拘束するような大きな黒い×印の模様が目立つ。
メッティカットと呼ばれる個性的な髪型の下、顔立ちの造詣は見目麗しいとも精悍とも言える。
やがて、彼はゆっくりと目を開く。
そして辺りの風景を見回して─わずかに眉を顰めた。
「…どこだ、ここは?」
それが彼が最初に浮かべた率直な疑問だった。
彼は自分の記憶を整理する。
自分が元々いた世界が崩壊し、それを回避した平行世界も壊れそうになったのを守った。
ここまではよし。
そして、戦いの後、仲間に別れを告げ、俺は崩壊した世界に戻った……はずだ。
そして、彼は今一度周囲を見回す。
崩壊した世界には、俺が住んでた珠閒瑠すまる市だけがあるはず。しかも空に浮いている。
だが、こんな風景は珠閒瑠では見たことが無い。おまけに空が遠い。
「……平行世界のどこか、か…?」
一度は、世界を移動した者。その可能性にすぐに思い至る。
だが、その考えは彼に希望ではなく苦悩をもたらす。
彼は眉間に深く皺を刻んで俯いた。
「…俺は…戻る義務がある。戻らなきゃ…いけないんだ…!」
あの世界を崩壊させたのは、他ならぬ自分なのだから。
そう目標を定めてさえしまえば、彼の決断は早い。
とにかくは、ここの正確な場所と情報が必要だろう。
そう、顔を上げて歩き出したとき。
「おい、貴様。」
呼び止められ、彼はそちらを見る。
そこには、黒い外套を羽織った小学生くらいの少女と、こちらは恐らく中高生らしい長身の少女が立っていた。
いつからいたのか?
それは気になったがとにかく、彼は情報を得るために彼女らに無造作に近寄っていく。
「あー…よかった、人に会えて。少し、聞きたいことがあるんだが…ッ?!」
彼の言葉を遮ったのは、長身の少女の恐ろしく鋭い蹴りであった。
それを辛くも避けた彼が驚愕に囚われる間もなく、さらに捻りを利用した拳が、肘が打ち込まれてくる。
咄嗟のことにも関わらず、拳を逸らし、肘を掌で受け止めていなしながら、彼は後ろに大きく跳躍する。
少女は深追いはせず、だが構えは解かないままこちらを見据えていた。
「いきなり何をする!!」
疑問はいくつもあったが、とりあえずそれを聞く。
先の接触で、長身の少女が生身の人間じゃないことがわかったことなどは、ひとまず棚上げにしておく。
だが、彼の質問には答えず、外套を羽織った少女が笑う。
「ほう…茶々丸の攻撃を捌くか。体術はなかなかだな。」
「答えろ!!」
「騒ぐな。ふむ…強大な魔力のようなものも、貴様に感じる。これならば………貴様、名は?」
あくまで己のペースを崩さない明らかに年下に見える少女に気圧され、彼は釈然としないながらも名乗る。
「周防。周防…達哉だ。」
「ふん…では、周防達哉よ。私に血を奉げろ。」
「………なに?」
唐突で理不尽、かつ意味不明な要求をされた彼、周防達哉は一瞬当惑する。
だが、笑う少女の口元から覗く牙、そしてようやく感じ取った気配に全てを察する。
「吸血鬼!? こんなところまで悪魔が!?」
「悪魔、か…奴らと吸血鬼の真祖たる私を一緒にするな。」
達哉の指摘に、ほんの少し少女は不愉快だという表情を見せる。
「もっとも今は封印されていて、能力も大して使えんがな。そこでだ。」
にっ、と口角を吊り上げて、少女は笑う。
それは見た目に反し、背筋の寒くなるようなぞっとする笑みで。
「貴様の内にある魔力、ようは血を貰う。ちょいと現在魔力が入用なのだが、あまり学園の生徒を襲うのも面倒事になりそうだからな。」
「(学園? 近くに学校があるのか?)」
わずかな言葉の端々からでも、達哉は情報を得ようとしていた。
もし、学校があるなら、ある程度以上の情報が期待できるかもしれない。
「光栄に思え。この《闇の福音》エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの糧となれるのだから。」
望むなら僕にもしてやるぞ、と笑うエヴァンジェリンと名乗った吸血鬼を見据えて達哉は。
「断る。」
はっきりと告げた。
エヴァンジェリンは笑うのを止めて、ふん、と鼻を鳴らす。
「まあ、そうくるだろう。貴様のような目をした奴は、大抵そう言う。では交渉決裂ということで─…」
「だが、戦うのも断る。」
さらに重ねられた達哉の言葉に、エヴァンジェリンの眉がぴくりと反応する。
「ほう? だが、私を倒さねば、学園の生徒をまた襲いだすことになるぞ。選べるのは貴様が血を吸われるか、私を倒すかだ。」
「いや、お前はおそらく学園の生徒を殺す気はない。」
ほとんど断言されるように言われ、エヴァンジェリンはますます笑みを深くする。
「ほほう? 何故だ?」
「お前はさっき『現在魔力が必要』、『あまり学園の生徒を襲うのも面倒ごとになる』といった。
恐らく魔力が必要なのは封印とやらを破るためだろうが、それならもっと手当たりしだいでも構わないはずだ。
なるべく、生徒に危害を加えないようにするのは、そのせいで退治されることを恐れているか、お前が学園とやらと関係しているか。
真祖であれほど誇らしげに二つ名を名乗るお前が前者じゃないのは明らかだ。では、後者をとるしかない。
そして学園と関係している以上、死者を出すような真似は絶対に避けるはずだろう。」
淀みなく証明を挙げていく達哉を、ぽかんとした表情で見つめるエヴァンジェリン。
だが、やがて小刻みに体を震わせ、最後には声を上げて笑ってしまう。
「アッハッハ!! なるほど、頭も随分とまわるようだ。まあ、まだ論理に穴はあるが…おおむねその通りだ。」
鷹揚に頷くエヴァンジェリンをよそに達哉は、自身がここまで饒舌だったことに少なからず驚いていた。
先の戦いを経て、刑事である兄のクセがうつったのだろうか?
「いいな。ますます気に入った。是非、お前の血を飲みたくなったよ。なに、2リットルほども飲めば今の私でも僕に出来るだろう。」
「いや、待て。だから俺は戦いを望んでない。ただ、この世界のことを─…」
「茶々丸!!」
達哉の言葉は、エヴァンジェリンの号令に断ち切られる。
いつの間にか背後に回りこんでいた、あの長身の機械仕掛けの少女、茶々丸が拳を突き出してきていた。
それを、人にはありえざる速度で回避する達哉。
が、その隙をついて、エヴァンジェリンが小瓶を投げつける。
達哉の足元に落ちたそれは、鋭い氷柱を生み出して彼に向かって牙を剥いた。
「ぐぁ…ッ!!」
「常人ならば重傷だろうに、ただのかすり傷か!! そのタフネスも僕として合格点だ!! さあ、お前の力を見せろ!!」
「くッ…!!」
達哉は吹き飛ばされた勢いを利用して、横手の森へと逃げ込む。
そうして、逃走劇が始まった。
◆◇◆◇◆
今宵の獲物はなかなかに戦いというものを知っているようで、かなり手間どったがようやく追い詰めることができた。
炎を操る青年─達哉、といったか─の雄叫びに、エヴァンジェリンは哄笑する。
「話!? 話なら血を飲んだ後に聞いてやるとも!! 貴様のその力のことも含めて、たっぷりとな!!」
小瓶を投げつける彼女の表情は、どこか酔いしれたようでもあった。
実際に酔いしれているのだろう、これから血を味わうというその行為に。
噴き出す冷気を、達哉はその力の具現たる太陽神を使役して全て相殺する。
蒸気があたりの視界を遮った、その一瞬。
達哉は迷わず、一気にエヴァンジェリンの方へ向かって、間合いを詰めるべく飛び込んでいく。
それに一拍遅れて気づいた彼女が、突進を阻止すべく魔法薬を投げつけるも、ともにある太陽神がその全てを悉く薙ぎ払う。
エヴァンジェリンに向かう理由は、二つ。
茶々丸のレーザーやら何やらを相手にするよりは、まだやりやすいと判断したのが一つ。
そして。
「マスター!!」
予想通り、茶々丸がエヴァンジェリンの危機にわずかに連携を乱す。
刹那、生まれた隙をついて達哉は横へと大きく跳び、後はひたすらな逃走に移る。
蒸気は、その時に見せてしまう無防備な背中を守る役目をも果たしてくれていた。
「しまった!! ええい、茶々丸!! 追うぞ!!」
「はい!」
当然追ってくる彼女らにも、達哉は振り向かない。
それほど深くは分け入ってない森、木々の間からちらちらと明りが見える。ただ、そこを目指す。
そこまで行けば、人目に付く可能性が生まれ、少女らは追撃しづらくなるはずだ。
そして、一気に藪を突っ切った彼は森の外、舗装された遊歩道にその勢いのまま飛び出した。
タカミチ・T・高畑は、その日は非番だったのだが、ふらりと夜風に当たりたくなって外へ出てきていた。
タバコを口に咥え、さやかな風に体をさらしながら歩くこと暫く。
ふいに覚えのある魔力の発動を彼は感知した。
「(エヴァ…か? とすると相手は侵入者か。)」
そして、彼がそちらに向かおうと、傍らの森に足を向けたとき。
その青年が、森から飛び出してきた。
真紅のライダージャケットにメッティカットの好青年。
一瞬の思考の停止。
そして、そこへ追いついたエヴァンジェリンが、完全に目的を見失った目で叫んだ。
「タカミチ、そいつを仕留めろぉォ─ッ!!」
「え、マスター。それでは計画が…─!!」
茶々丸が何かを言いかけたがすでに遅し。
高畑はその声に反射的に、彼の最大級の技を放っていた。
豪殺 居合い拳。
本来交わることのない魔力と気。
その合成によって生まれた凄まじいエネルギーを纏った一撃が、大砲の如き威力で達哉を捕らえた。
「…ッ!?」
完全に無防備だった一瞬に叩き込まれた一撃によって、わけもわからぬまま達哉は意識を刈り取られた。
吹き飛ばされ、地に叩きつけられるようにして転がり倒れ伏す達哉。
茶々丸に何事かを耳打ちされて、はっと我に返るエヴァンジェリン。
そして、思わず見舞ってしまった自分の拳。
それらを順に見回して、高畑はやがて罰が悪そうに頬を欠いて。
「…あー、あれ?」
そんな間の抜けた呟きを、冬も間近な冷たい風が攫っていった。
ネギ・スプリングフィールドが麻帆良学園都市を訪れる、ほんの一月ほど前の夜であった。
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